キャットの部屋は今日も騒がしい。
カルデアに召喚されたサーヴァントの多くは、各々の自室で余暇を過ごす。
個人使用であったり、複数人でシェアしたり、集会の場となったり、かたちだけの就寝に利用したり、その形態は様々だ。
サーヴァントの多くは元人間、ないしはそれに近しい神性や怪物が占めている。長く霊体化したままでいるより、実体化して各々の娯楽に耽ることを好むのは、別段不思議なことではない。
ただし、カルデアの部屋が有り余っているとはいえ、狭い空間自体に拒否反応を起こすサーヴァント達も一定数存在する。
生前に大神殿を保持していたオジマンディアスなどは最たる例で、通常「部屋」と呼べる空間に彼を押し込むというのは、大英雄アーラシュにもできない相談であった。
そうしたサーヴァントたちのために、技術顧問のダヴィンチが提案したのは、シミュレータを利用した生活空間の提供である。
本来は戦闘演習に用いるものだが、再現された建材や装飾は、シミュレーション中においては現実と遜色ない。それを利用して、各々が満足いく空間を、仮想空間内に再現するのである。
このシミュレータルームの試みは好評で、今や両の手で数え切れないほどのサーヴァントたちが、このシステムを使用していた。
そんな電子の部屋の一つに、藤丸立香は今日もアクセスした。
〜〜〜
立香が目を開けると、そこは質素な庭に面した風通しの良い縁側だった。
ヒグラシの鳴き声が、どこか遠くから聞こえてくる。鼻孔をくすぐるのは、雨上がりの土の匂い。
晩夏の夕暮れを切り取った、タマモキャットの世界だ。
「おお、ご主人。よくぞ来てくれた、くつろいでいくがよい」
縁側で丸くなっていたタマモキャットが顔を上げ、ひょこりと起き上がる。
「いいよ、そのままで」
「よいものか。お昼寝タイムは何物にも代え難い至福であるが、キャットの本質は奉仕と給仕、つまりはメイド業なのだワン。ご主人は座して待つべし」
向日葵のような満面の笑みで言われては、立香も止める術を持たない。ここは彼女の部屋なのだから、彼女がしたいようにさせるのが一番だ。
軽やかに奥間に消えていくタマモキャットを見送り、立香は縁側に腰掛けた。
「……」
頬を撫でる涼風。揺れる風鈴。
これほど心落ち着く場所を、立香は他に知らない。
ぼんやりと空を見上げていると、不意に、ガサリと草葉が擦れる音が聞こえた。
ゆっくり視線を下ろすと、茂みから顔を出したものと目が合う。それは、巨大な体躯の狼だった。
「いたんだ、アヴェンジャー……」
狼王はのそりと立ち上がると、無言のまま光の粒子になって消える。シミュレータから出たのだ。
遅れて、彼の片割れである首なし騎士が、控えめに左手を挙げてから消えていった。
「たまに現れるぞ、あのワンコ。人の気配がないゆえ、居心地がよいと見える」
湯呑みと茶請けを乗せたお盆を持って、タマモキャットが戻ってきた。
シミュレータ内でお茶を振舞われるというのも不思議な話だが、電子技能にも長けるタマモキャットによる改良の賜物らしい。
「一応、草原とかも設定はしたんだけどな。あんまり入りたがらないから、シミュレータルーム自体気に入らないのかと思ってたよ」
「馴染みのあるものが、逆に辛いこともある。つまり、ネコに煮干を与えすぎては良くないという好例なのだな」
「わ、わからん……」
「深く考えるな、ご主人。ワタシは煮干よりもニンジンを好む」
湯呑みを受け取り、立香は控えめに口をつける。ぬるめに淹れた緑茶の苦みが、口の中いっぱいに広がった。続いて茶請けのどら焼きを頬張ると、これまた粒あんの甘さが染み渡る。
「美味しいね、流石」
「うむ、ご主人が嬉しいとワタシも嬉しい。しかしここで食事をしても満足感が得られるだけで、いずれ餓死する。心するように」
「わかってるって」
どれだけ再現性が高くても、ここにあるのはあくまでデータ。栄養はない。
わかってはいても、この縁側での一服は代え難い時間だと立香は思っていた。
「今日のお勤めは済んだのか?アフターファイブなのか?」
「んー、まあ、そんなところ。訓練メニューはこなしたし、今は特異点も見つかってないしね」
「ならば、清々と羽を伸ばすがよい。どれ、耳掃除をしてやろう。キャットの爪が火を噴くぜ」
「やめ、くすぐったいから!」
「ワハハハ!」
ふわふわの毛とぷにぷにの肉球が、無遠慮に立香の顔をまさぐる。立香が足をばたつかせると、タマモキャットはさらに激しく、立香の顔を弄り出した。
「ちなみに、今日は段蔵ちゃんが来てるぞ」
「は……?って、わーっ!」
軒裏からにょきりと生えてきた顔に、立香は飛び退るようにタマモキャットと距離をとった。
「座った姿勢からの機敏な跳躍……マスター、今の動きはとても忍者的でございまする。やはりマスターには是非、この段蔵めの教練に参加して頂きたく」
「いきなり出てきたかと思えば、また脈絡のないことを……っていうか、キャット!他の人がいるならそう言っといてよ!」
「ワタシの良妻ぶりを見せつけたかった。反省はしていないし、後悔もない。あるのは達成感と煮干への未練のみ」
「いや、さっきニンジンがいいって……あー、もう相変わらずキャットは!」
「マスター、先ほどの戯れのことならお気になさらず。ペットとじゃれ合うようでとても愛らしく、色事の気配は露ほども」
「お?もしやキャットは喧嘩を売られているのでは?」
シュッシュッとネコパンチを繰り出すタマモキャットを尻目に、庭に降り立った段蔵は、いそいそと立香の隣に腰掛ける。
「泥棒猫……キャットを差し置いて猫を被るか……」
「まあまあ……。それにしても、段蔵もキャットのルームに来るんだね。アヴェンジャーがいるよりかは馴染んでるけど」
「ええ、たまさかに。この身は絡繰なれど、風雅は心得ていると自負しております。キャット殿のセンスは、実に好ましい」
「今更媚びてももう遅い!茶の湯と菓子を貪り身体を伸ばし、ゆるりとくつろいでいくがよい!」
ガミガミした口調と、そっと差し出される湯呑み。視覚と聴覚の情報が噛み合わず、立香はまた混乱する。
段蔵は、至って自然にまったりしていた。
「あらあら?今日はとっても賑やかね」
ついていけない自分が未熟なのかと腕を組む立香。その耳が、これまた新たな声を拾う。
鈴の音のような、魅惑の美声。聞き違えようがなかった。
「むむむ。その声はマリー。いやマリアンヌ!」
「まとめないでください!」
「御機嫌よう、キャットさん。ヴィヴ・ラ・フランス!」
現れたのはマリーとジャンヌ。共にフランス所縁で、姉妹のように仲の良い二人だ。
そして、マリーとタマモキャットは第二特異点からの付き合いである。こちらも気心の知れた仲らしいが、大体いつも会話が噛み合っていない。
「千客万来なのだな。これはお茶不足の危機。お茶がなければミルクを飲めばいいとは言うが、このままでは一揆も有り得る」
「それなら、今日は私に振舞わせてくださいな。よいしょ」
どすん、と巨大なガラスの馬車が質素な庭に鎮座する。マリーの宝具の一部であり、やたらと容量の大きい倉庫である。
マリーはその中から、白と金のティーカップとポット、何やら高価そうな紅茶の葉、そしてぐったりとしたエミヤを取り出した。
「……近頃見ないと思ったら、こんなところに……」
無惨な姿のカルデア台所番の姿に、立香は一人黙祷を捧げる。それを見たジャンヌも、目を伏せて十字を切っていた。
「彼の淹れる紅茶は絶品なの!キャットのお茶に負けないくらいなんだから」
「なんと。そうまで言われると、この段蔵も興味を抱きます」
絡繰とは思えない食への執着である。
自分が褒められているわけでもないのに、マリーは嬉しそうに、「ええ、ええ!」と繰り返していた。
そしてこれは、シミュレータの外でやるべきではないか。立香はそう思ったが、面倒くさそうなので進言を止めた。
「……収拾つかなくなってきたし、そろそろ帰ろっかな……」
「ごーしゅーじーんー。敵前逃亡は切腹である。キャットとマリーの茶道のぶつかり合い、裁定を下すはご主人の役目。質より量の裁決を行うルーラーは当てにならぬ」
「ちょっと、今私を馬鹿にする必要ありました!?」
「いっぱい食べるジャンヌは魅力的よ。ハムスターを飼ってるみたい」
「マリーまで!そんなもの、飼ったことないでしょうに!」
「マスター、マスター。段蔵は牛が呑めます!」
「張り合い方がおかしいんだよなぁ…」
頭を抱える立香の姿に、タマモキャットが一際大きく、ワハハと笑った。
飛び交う声、止まない喧騒。
土の匂いも、ヒグラシの声も、遠くなる。
タマモキャットの周りはいつもそうだ。
賑やかで、騒がしくて、笑顔が絶えない。
こんな静かで質素な世界を作りながら、彼女はそれだけで済まさない。
だから、立香はここが好きなのだ。
この懐かしい情景が。
いつかの夏、花火のような輝きが。
いつだって、ここにあるから。