どうやら俺は、この眼を持って生きていかねばならないらしい 作:けし
やっとこさ投稿。ちょっとスランプっぽくなっててうまく筆が進まない。申し訳ない。
乱雑に積み重ねられたブラウン管。粗い画質の映像は、遠目では何が映っているか分からない。
半ば錆びている蝶番のついたドア。辛うじて確保されてる動線を一歩外れれば、身の置き場もないほどにばら撒かれ、積み重ねられたハードカバーの本やら束のような書類やら、──よく分からないインテリアのような、アンティークのようなレリック。
床は申し訳程度に敷き詰められた床板と、それが剥げてしまっている部分がある。
それでも人がいる程度の生活感を覗かせる、たった2人の
そんな廃墟じみた空間。──言うまでもなく、橙子の事務所だ。
俯瞰風景を覗いていた亡霊を殺してから少し間が空いていた時期で、俺の身体にはまだ包帯がいくらか巻かれていた。
この義骸はどうやら霊体とのリンクが強いらしく、霊体の受けた傷が義骸の受けた傷のように出力される。そのせいで、本来無傷のはずの義骸にも生々しい傷跡が残る羽目になった。
だがこの痛みが、生きているということを教えてくれる。霊体ではなく器子で構成された肉体の齟齬が、不快感になって「在る」という実感を与える。
「…なんだよ」
「いやなに、その義骸とやらを作った身としては、どうやら満足してもらえたようで何よりだよ」
顔に出したつもりは無かったのだが、雰囲気には出るものらしい。
嫌なところを突かれて顔を顰めながら、淹れたばかりのコーヒーを口にする。ブラックの苦味が喉を駆ける。
「というか、この義骸オマエが作ったのか」
「喜助からの頼みでね。義骸というのは本来、魂魄が入る器のようなものでしかないらしいんだが、それは少し特別製だ」
「どのあたりがだよ?」
自分の身体をしげしげと見回してその差異を探す。しかしその違いとやらは違和感としてすら感じられない。霊体と肉体のリンクと齟齬以外では。
「そのリンクだよ。分かってて
「…その機能、いるのか?」
「オマエには必要だろう。受けた傷が知らない間に治ってました、だなどと、殺人嗜好症の気があるオマエには許せないんじゃないか?」
否定する要素が見当たらない。言いくるめられるのにはイラッとするが、当たっていることにいちいち言い返すほどツンツンすることもない。コイツは寧ろそうした行動の揚げ足をとるタイプの人間だ。
「まあ、その義骸については追々話すことにしよう。織、お前は『
「『易経』? なんだそりゃ」
橙子の唐突な話題転換。聞いたこともない単語の意味を聞かれた。それに対する答えは当然「知らない」になるわけだが、どうにもコイツの話は、俺の根幹にあるものに触れる。殺人思考とはまた別の琴線に触れてくる。
腹立たしいことに、そういう理由から総スカンできない。コイツの話をな。
「『易経』というのは中国における儒教の五大経典の一つだ。今では占術に受け継がれる教えではあるんだが…、ここじゃ関係ない話だな」
「それで?」
「易経内で広義の定義を遡っていくと、六十四卦から八卦に至る。六十四卦とは八卦を重ねたものだからな。そして八卦は四象から流れ出たものだ。さらにこの四象を遡ると、両儀に辿り着く」
「……」
その言葉に、その単語に。わずかな反応を示す。
「この両儀を辿ると太極──
「両儀と、…根源……」
「織。お前も何となく気付いてたんじゃないのか? お前自身の本来の名を」
「養子だってのには何となく気付いてたさ。家族ではあるけれど、そこに繋がりはないってことに」
「そうだろうな。『穂積』というのは、聞けば名のある商家らしいな? 『穂を積む』というイメージが、地道な努力からの成功を連想させたんだろう」
その推量は決して当てずっぽうではない。そのイメージは恐らく共通に抱けるものであり、共感を得ることもできる思考だろう。事実、俺の養父も口伝ではあるがそういう思想で名付けられたものだと聞いたことがあった。
「だがな織。『穂積』という名に本来そういう意味は込められていないんだ。『穂積』は
無反応を貫いて、そのまま話を促した。
「ぶっちゃけた話、由緒ある一族と言ってもいい。由来が口伝で伝えられているようだから失伝したのかもしれんが、そういう意味では『両儀』と繋がっていてもおかしくはない」
「……そっか、アイツの名前……」
「………、何か思い当たることでもあったのか?」
「いや、何でもない。けどな橙子。俺はどこまでいっても穂積の人間だ。俺の起源は両儀のものでも、俺はやっぱり穂積織という存在なんだ。だから、両儀の名前はアイツに押し付けてやる」
そもそもの話、俺の起源は多分、「アイツ」に由来するはずだ。
嫋やかで、穏やかで。何でも知ったような、見透かした口ぶり。式は知らないだろうけど、
殺人衝動も、虚無という起源も。或いは、全てを隔てるこの力さえも。
『式』、──否、『両儀式』から流れ出たものなのだ。
「…、アイツというのは誰かは知らないが──。織、お前は」
「分かってる。橙子、もういい」
醒めない夢はない。明けない夜もない。そも、永遠という概念は無い。だけど俺が動かなきゃ、いつまでもそのままだ。
己の内の殺人衝動。それを見つける。自分の意思で。
そうすればきっと、何かが変わる。
それはきっと、ほんの少し、自分寄りの殺人衝動。
「で、何処に行くんだ? 織」
モノで溢れかえる部屋の動線を辿って、ドアの前に行き着く。暗色のドアを前に投げかけられた橙子の質問に、立ち止まった。
「────ああ」
満たされる沈黙。ブラウン管の微かなノイズと、橙子の煙草の燃える音だけが漂い、その空間を我が物顔で陽光が横切る。
「忘れ物を、
ノブをひねって開け放ち、俺は伽藍の堂を去った。足早にでも、ゆっくりでもなく。ただ自分の思うままに。
「忘れ物…か。さて、両儀でありながら穂積である事を決めたお前が、それを
煙の龍──『煙龍』と銘打たれた煙草の煙が踊る。微動だにしない固まった空気を混ぜるように。
今となっては減っていく一方のクソ不味い煙草の味を噛み締めて、橙子は煙を吹き出す。
その時浮かべていた表情は、傍目には分かりにくいだろうがきっと、柔らかく笑ってたんだろう。
──────────
無人の荒野。清々しいまでに開けた大地の上で、二振りの刀が舞う。
鉄の音が反響し、戦う二人の耳を叩く。
黒髪をオールバックにした男は、自らを傷つける刃など意に介さずに攻撃を続ける。
烏のように真黒な髪を足下まで伸ばした人型は、男か女かの見分けすらつかないが、自らの攻撃をまるっきり無視してやってくる男の攻撃を躱しながらその腕を振るっていた。
「君に付けられた傷が再生するということは、君はまだ本気じゃないということかな?」
「うるさい。オマエ、不死だとかそんなやつになってるから視えにくいんだよ」
まるっきり視えないわけではないけれど、思わず目を凝らしてしまう程度には視づらい線。直死の魔眼はただ視覚化するだけだから、濃淡の補正なんてしてくれない。
それに、コイツの卍解の能力すらもまだ分からない。
鏡花水月荒耶識──。アラヤ識というのはよくわからないが、そのネーミングには必ず意味があるはず。というか、そうでなくても何となく俺の卍解と名前とか能力とかが似ている気がする。
少なくとも鬼道系で、何かを誤魔化したり弄ったりする力を持つんじゃないか。そう思考の隅で取り留めもなく考えた。
そんな思考の時間は一瞬よりも遥かに刹那。須臾とでもいうべき間隙。しかし、今の俺たちならばそれでも殺すには事足りる時間でもある。
「っ…」
「どうした? さっきから攻撃が当たっていないが、余計なことでも考えているのかな?」
よく回る舌だ。縮地と崩玉による空間移動は、結果に差異がほとんど無く、俺とコイツは移動先で激突を続けていた。
──いや。むしろこれは──?
そんな横槍じみた思考が再び挟み込まれるが、あいも変わらずそれを無意識で処理して、身体は半ば反射で動いている。
極限の集中がもたらす時間感覚の延長。引き伸ばされたその間に交わされる幾百の剣戟。一つ一つが空気を震わせ、大地を揺るがすかの如く鳴動する。
「そろそろ、君も飽きてきたんじゃないか? ただ剣を交わすだけで満足はしないだろう」
「…何が言いたい」
「いい加減、互いの卍解の本質を示そうという話だ」
本質。そう言われて、身構えた。先に見せられるのは俺だと思って。
そしてその通りになる。藍染惣右介は刀を水平に構え、刃に空いた手を添えた。
「砕けろ──『鏡花水月荒耶識』」
ふと、気がついた。
「五感が、正しく動いている……」
完全催眠から解放されていることに。全てが真っ当な働きをしている。現実という名の
『鏡花水月』の能力が解除されているんだと、すぐに思い当たった。
「気づいたかな? 今、私の『鏡花水月』による完全催眠は解かれた。それは君だけでなく、全員同じことだ。こうしなければ卍解の力を使えなくてね。君は完全に騙せなかったが、その他大勢に対しては完全催眠程度で十分だから、この卍解は使うことはないと思っていたよ」
「なんだ、じゃあオマエの卍解も、完全催眠に似た能力なんだな?」
「結果的には、だ。まずは体感してみるといい」
まずは小手調べだ。
そう言い放ち、切っ先を俺へと向けて呟くのは。
「【千手皎天汰炮】、【飛竜撃賊震天雷砲】、【双蓮蒼火墜】」
「っ!!?」
ただ呟いただけで、その全てが
そう、小さく口にした言霊は鬼道の名前。そしてそれは、完全詠唱したものと同等の威力。
縮地を行使して、その場を瞬きの間に退いた。その数瞬後、さっきまで俺がいた場所が霊圧に喰らいつくされた。それを俺は離れた場所から俯瞰する。
「やはり速いな。その速度は私を超えている」
「そりゃどーも。つか、その能力は何なんだ。さっきのだけじゃ分からないぞ」
「まだまださ。ゆっくりと、ゆっくりと明かすのが楽しいんだからね」
また呟かれる。少し聞き覚えのない単語を頭にして。
「【歪・飛竜撃賊震天雷砲】」
まるでホーミングミサイルだ。逃げるたびにしつこく追いかけ回される。鬱陶しいことこの上ない。
確かこの破道は八十八番だったか。ならば。
「【縛道の八十一・断空】」
八十九番以下の鬼道を全て防ぐことのできるコレなら問題ないはず。
「フッ…、無駄だ」
だが、本来その攻撃を防ぐことになるはずの壁は、ほんの僅かな拮抗の後にあっさりと壊れてしまった。
こうなると、もう殺すしかない。打ち消すのは苦手だからな。
死が見えにくいのは相変わらず。だが在るのは確か。故に殺す。
エネルギーの塊に対して、まるでスコーンにフォークが突き刺さるような軽やかさで刃が突き立てられた。そして、そのままあっさりとエネルギー塊は霧散した。
「どうやらこの手は悪手のようだね」
「鬼道の改変…? 詠唱すらせずにそんなことが…」
「そら、次だ。気を抜けば死ぬぞ」
続く攻撃がどんなものかは不明だが、対処はできるはずだ。そう考えて、集中力を高めた。
不意に、藍染惣右介の気配が
「なんだよそりゃ…」
この眼を持つから分かる。それは幻影だとか、残像だとかいうちゃちなものじゃあ断じてないのだと。そこに形があるからこそ、その気配は生きているのだと、分かってしまう。
どういうことかは分かるだろう。藍染惣右介が物理的に増えたのだ。全く同一の存在が、同じ空間に同じ時間に存在する。だからと言って互いの存在が
自身を、いとも容易く寸分違わぬように創り上げた。あらゆる物理法則を無視した、まるで文字通り神の所業だ。
「ふむ…、こういうのを『えげつない』とでも言うのかな? 君から見れば」
「ああ、確かにえげつない。でも、そこに生きているなら殺せる」
「そう、か…。まだまだ改善の余地はあるようだね」
改善…?
相変わらず何を言ってるのか全くわからないけれども、何となくヤバいことをする予感はする。
「全く…、君という存在に綻びが在れば、そこから付け込めたものを…。その綻びがないとはね」
それは多分、蒼崎橙子や浦原喜助ならば笑って否と返すような台詞だっただろう。アイツらは俺のことを知ってるから。
ガワしか見ていないからこその発言にとれる。他人の
「『万象には綻びが存在する』…と言っていたかな? 当の君にはそれがないというのは不思議な話だ」
「橙子なんかが聞いたら鼻で笑いそうな台詞だな。でも俺だっていち人間なんだ、殺せる程度の綻びはあるだろうさ。ま、そんなもんを簡単には見せないけどな」
綻びの存在に例外はない。だからその綻びをコイツの前に見せたら、それで終わりになるだろう。コイツの言から察するに、コイツはその綻びをこじ開けるつもりだったのだろうから。
「それで? オマエの力は一体何なんだ? 口にした鬼道を完全な形で発動したり」
周りの、3人の藍染惣右介を見渡して。
「こうして、
「そんな君なら、すでに当たりはついてるんじゃないか?」
「…ああ、クソ。だからオマエは嫌いなんだ。…ああ、限りなく当てずっぽうに近い直感でな!」
「私としても君の能力が聞きたいんだ。互いの推量を聞きあうのも、いいんじゃないか?」
「大体そもそも殺し合いの最中に能力の明かし合いなんてナンセンスだろ。まあ、間違って確信するよりはマシなのか。そうでなくても、
「今までの君の戦いを見ていても大まかにしか把握していなくてね。
それもそうだ。そもそもそれは二つの力を以って成されたことだからな。
俺自身の──直死の魔眼と。
俺の斬魄刀の──境界を操る力と。
それでも、俺の本領じゃないのは分かってる。
だけど、これ以上は。『無垢識』の深奥は到底、
本当なら、ソコまで行かなければならないのかもしれない。
だけど、俺は穂積織であることを決めた。故に、『両儀式』でなくてはならないその領域には行けない。
──ああ、それでもいい。それでもいいけど。
この衝動は一体、何処から流れ出たものなのだろうか。俺か、それとも『式』か。
いいさ。今はただ、この刃で殺そう。きっとそれは俺の意思であり、『式』の意思だろうから。