どうやら俺は、この眼を持って生きていかねばならないらしい 作:けし
大地が海のようにうねり、星が悲鳴を上げる。それでも星の抑止力は傍観を決め込み、故に介入する存在などいるはずもない。
織は刃を振るい、藍染は霊圧で作り上げた刀を手にする。時折鬼道も織り交ぜながら、天地鳴動の戦いは繰り広げられていた。
「『即身・三重結界』」
「直死──、っ」
視えにくい。さっきよりも死が遠のいている。手繰り寄せるには時が足りない。この視え方は橙子が見せてくれた聖遺物の感じに近い。だが藍染はそんなものに目をつける筈がない。崩玉の特性か、斬魄刀の力か。
知ったことでは無い。どちらにしたって俺には殺すことしかできないんだ。
「躊躇い…というよりは迷い…、君の心ではなく単に私にそれが視えない故の停滞があるね」
「…分かるのかよ。視えないくせに」
「君の動きから推察しただけさ」
「オマエじゃなくて、オマエの斬魄刀だ。さっきからオマエの使う技全部視えづらいんだ。ぼやけて、焦点が合わない。死を拒絶するんじゃなくて、悟ったような」
「…鏡花水月か。
白々しい。元々の行動と性格が先入観となって、全ての言動へ信が置けない。信じられるのは多分、己の考えたことのみ。
人の理と
「視えないからこそ視えるんだよ。気が散って仕方がない」
「諦めてくれとしか言えないがね」
「ああ、そうかよっ」
本来ならば、一瞬で着く決着。そうならないのは、俺がこの場に何かを見出し、それを藍染も見出したからか。
「…!」
藍染が目を見張る。
──雰囲気が変わった。さて、一体何をしてくれるのかな…?
俺から見ればそれは喜悦の表情だった。苛立ちが湧き上がるほど、ゾッとする笑みだ。
「…無垢識、開境──」
以前までの瞬間的な開放ではなく、継続的な発動。踏み入れた先に視える世界は、たった一人の世界だ。
鬱陶しく思いつつも妙に馴染む着物をたなびかせ、縮地を使って懐へ踏み込む。
俺が立つ境界である『無垢識』は生命の集合無意識より逸脱し、理に寄る場所だ。だから、
そうして入り乱れた刃の果てに、何かを視た。
光が、迷いを断ち切った。死が鮮明に映り、これ以上なく視界が広がる。
「さあ、
だから、これで最後。俺がそう決めた。
女々しく、ダラダラと引き伸ばし続けた想いと決別し、俺自身を手に入れる。
「ああ、穂積織。私も、ここで幕をひこうと思っていたよ」
呼応するように藍染が手を広げる。全てを見下すように、しかしその目にはかつて見られなかった光が視えた。
斬魄刀が鳴る。無垢識に至り、ついに鏡花水月の束縛力を上回った『九字』の神秘が、空間を覆い尽くした力を断ち切った。
「っ、まだそんな力があるのか」
「こいつは元々のこの刀の力だ。やっとまともに使えたがな」
最後は純粋に剣技を以って。──否。自らの想いの丈を以って。
「両儀の狭間に消えろ──」
「集い、砕け散れ──」
全霊を賭して、その刃を振るう。
「──無垢識・空の境界」
「──荒耶識・鏡花水月」
人類の集合無意識の力で理を従えた刃。
星に根差す理でなく、宙の理を宿す刃。
拮抗は、果たして一瞬だったのだろうか。それとも数秒ほど続いたのだろうか。感覚が加速していて、記憶すらも吹っ飛びそうな。
覚えているのは、無垢識で流れる中に視えた、深海に落ちた赤色の死。めがけたのはその一筋だけだったということ。
だからほとんどないけど、それでも残るものはあった。
「──、終わった、か」
「ああ、終わりだ」
息を漏らすようにして捻り出した、藍染惣右介の声。
あの拮抗の果てに倒れたのは、藍染惣右介の方だった。
死の線をなぞり、点を斬り裂き、その身体は袈裟に裂けていた。
人間の集合無意識は、人間のものである。ならば生きているのだと、きっとそういうことなのだろう。
もう、藍染の身体には死の線がはっきりと見えている。崩玉は死んだのだろうか。それとも何処かに消えたのだろうか。
──死が足音を立てている。
「穂積織」
「…なに」
「君が、
「…あんなもの…?」
「
「…ああ。いたな、そんなやつ」
そう漏らすと、ふふ、と変な笑い声が聞こえた。呆れたようなニュアンスがあるのは、気のせいじゃない。
「すまない。実に、君らしいと思っただけだ。…それで、私の質問には答えてくれるのかな?」
「……。俺にはさ、モノの死が視えてるんだよ。『直死の魔眼』ってやつだ。だからオマエに言った通り本当に、生きているなら神様だって殺せるんだよ」
何度も口にした事実。しかしそれを耳にしてなお、藍染は俺を見て離さない。ただ、待っているんだと、嫌でもわかってしまう。
「だから。だから俺にとって霊王がなにかと言えば、なにも変わらない。結局俺にとっては、ただナイフ一本で殺せてしまうものでしかない」
「…っ、ははっ、はははははははは!」
「…何がおかしい」
何かを抱えた、気持ちの悪い張り付いた笑みではなく、吹っ切れたような透き通った感じを抱かせる笑い。
そこには、殺意を抱くことはなかった。
──笑われたことについては別なのだが。
「いや、すまない。そうか。霊王
「…?」
訳の分からない言葉で自己完結したらしい。側には全く理解ができなかった。
「ならば私が取って代わったところで、──殺されていたことに変わりはない。いや、そもそも霊王すら眼に入っていないのか」
「さあな。というか、仮に霊王になったオマエに殺意を抱くかは知らないぞ」
「きっと抱くさ。君にとって、私が藍染惣右介である限り。その
言葉が出ない。憎たらしいことに、それは正鵠を射ていたのだろう。思わず漏れそうになる舌打ちを堪えた。
「私と君は似て非なるものだ。一人だと知っていて、それしか知らない。背中を向けて歩んでいても、それは同じだ。私は
「…、俺とオマエじゃ、持ってるものが違う。俺は回帰して、オマエは進化する。藍染惣右介。俺がオマエを殺したいと思ったのは多分、オマエの存在に答えを感じたからだ。がらんどうが埋まりそうな答えを」
「…」
「オマエは『虚無』で、それが当たり前だと思った。それでも欲したから、斬魄刀と力を失くした」
代償ではない。ここで答えを得てしまったから、それを目敏く崩玉が見つけた。奪われ、失い。けれど満足している自分がいる。藍染惣右介は、笑っていたんだ。
「……ああ、そうか」
空を見て、得心がいったのか。
「オマエが何を見て、何を求めて、それをどこに求めたのか。そんなのは俺には関係ない。でも、オマエはそうしないと答えを得られないし、自分が自分じゃいられなかったんだ。醜くても、汚くても、そうだとわかっていても認められない。受け入れたら変わってしまう。
変化を恐れたから永遠であろうとし、誰よりも一人だったから王であろうとした。だからオマエは何も成さない。何も救わない。
俺だってそうだ。何も成せないし、救う事もない。殺すことしか能のない殺人鬼だ。そこには、俺以外に意味を見いだせない。
俺たちは誰よりも弱い。繋がる事がないから、抱え込んだものを取りこぼす。──だからオマエは天に立とうとし、俺はそれを殺したんだ」
答えは欠片でも、きっと忘れない。
それは光でなくとも、誰かの光に変わりゆくもの。
視えない傷跡に染み込むように。あるいは埋めるように沈みこむ。
それはきっと、
だから、俺たちはたった一人の
「穂積織。私は私なりの答えを得た。もう私はいなくなるが、果たして君がどう歩むかを、ゆるりと眺めることにするよ」
時間だ。死が身体に張り付く。逃れることはない。崩玉も死んだ。境界は再び定まり、世界はあるべき色を取り戻す。
「──────────」
「──ハッ。最期まで口の減らないやつだよ、ホント」
最後に吐いた息も、残ることはない。今生で最後に遺した言葉は、機械的に俺の脳に終われるだけ。何もない。何も残らない。最大の敵であったはずの藍染惣右介はその実、最も救われるべき人間であったのに。
抑制、封印。霊力で編まれた衣は解け、容姿は元に戻った。ただ、髪が伸びたのはほとんどそのままなのだが。
置いてきたものは沢山あるが、得られたものもある。
自分よりの殺人衝動というものが、微かに灯ったのを感じていた。
「さ、戻るか」
日常へ踏み出した一歩。相変わらず視える景色は脆いのだけれど、それでも確かに在るのだ。
踏みしめて、思い知る。空を見上げて、ふと笑みを零す。
それだけで意味を知れる。全てが終わったのだと、心から実感したんだ。
年内には破面編完走を企んでますけしです。
あわよくばあと1話くらいエピローグとして挙げるかもしれない。