「――それで、私に何をしろって言うの?」
それは、昼時の幻想郷。
普段より博麗の巫女の気分がいっそう悪くなる、よりにもよってこの時間に来訪者は現れた。
「何って、お前巫女だろ? ならやる事はひとつじゃないか」
訪れた来訪者は、不機嫌という感情を隠そうともしない巫女とは対照的な笑みを浮かべて、当たり前のようにそう答えた。
彼女の性格を表すかのように明るい金髪を持つ少女、霧雨魔理沙。
その足元には、つい先程箒で突っ込んだおかげで吹っ飛んだ障子扉が転がっている。
「頼むぜ、霊夢」
彼女は屈託のない笑みを浮かべ、巫女――霊夢に親指を立ててみせる。
霊夢はこめかみに皺を作りながら、ゆっくりと魔理沙の方を向いた。
「……用件もきちんと言わず、人様の住処の一部を飛ばした謝罪もなしに、私の昼食を邪魔してきた奴の頼みを誰が聞くって?」
精一杯怒気を抑えてなんとかそれだけ言った霊夢のすぐ傍には、箒の衝撃で無残な姿に散った米と焼き魚の姿があった。
彼女の怒りのおおよそ8割は飛ばされた昼食に対する怒りである。
博麗の巫女は、食事時に来訪者が訪れることを最も嫌う。
それは自分が最も癒しを感じる時間を邪魔されるからであり、そんな時に限って問題を抱えて神社にやってくる来訪者が多いからであった。
「あ、いや、悪いな」
その事をよく知っている魔理沙は一瞬たじろぐが、すぐにいつもの調子を取り戻す。
「けど大変なんだぜ、霊夢。あほあほ妖精が里で暴れてんだよ」
「……あほあほ?」
謝罪を簡単に流された霊夢のこめかみに皺が一つ追加されたが、一応話は聞く姿勢を見せる。
魔理沙もその様子を感じ取って、安心したように続ける。
「なんだ、ほら、あれ。目がちかちかする色してるあいつ……」
「私はあんたへの怒りで今、頭くらくらで目はちかちかよ。つまりあんたね」
「だぁー。そういうのじゃなくて!」
自慢の金髪をがしがしと掻いて、呆れたように肩を竦める魔理沙。
「霊夢、もっと心を広く持とうぜ」
「そろそろ殺すわよ」
「おぉ、おっかないぜ、全く。
――思い出した、クラ……クランピ……そんな名前の奴だ」
「……あぁ、ね」
魔理沙のあいまいな情報を聞いて、霊夢はその存在を思い出す。かつて一度対峙したことのある、その妖精。
クラウンピース。
それまでに対峙してきたどの妖精とも違う、妖精とは思えないほどに強力な力と「人を狂わせる程度の能力」を持った厄介な存在。
あまり存在を記憶しない、それも妖精……しかしそんな霊夢でさえ、こうして思い返すことが出来る。
思わず、ため息が漏れる。
「また面倒な……あんたがどうにかしなさいよ」
「無理だ。私はあいつらとの賭けに負けたからな」
「はぁ?」
「聞くか? 妖精に毒キノコの毒は効くかってやつだ。私は平気だと思ったんだがな。
……負けた私は、あいつらの悪戯を一日見て見ぬ振りをしなきゃならないんだ」
軽快に話す魔理沙に対し、どんどん頭が痛くなる霊夢。
思わず頭を抱えたくなるその内容に、もう起こる気力も失っている。
「ウンピだっけ? あいつ、結構回っちゃっててさ」
「あんたが原因じゃないの、それ」
「過ぎたことはいいんだ。頼むぜ、夕食には私が何尾か魚を持ってきてやるからさ」
その一言に微かに反応する、霊夢の耳。
ぴくぴくと無意識に動かしながら、探るように続ける。
「……米は?」
「5合だ」
「いいわ。案内しなさい」
本来妖怪を退治する役目がある博麗の巫女はやっと、重い腰を上げた。
「さすが霊夢だぜ、奮発した甲斐があるってもんだ」
「そのぶん、面倒なんでしょね……」
安い女だと、自身でも理解している霊夢は――それでも、食欲には抗えない。
渋々といった足取りではあるが、己の役目を果たすために少女は社の外へと飛び立つのだった。
*****
里に着いてみれば、その存在の居場所は案内されずともすぐに分かるものだった。
それくらいに、人間たちが騒いでいる。
妖精の能力によるものかと身構えた霊夢であったが、どうもただの野次馬らしい。
「はいはい。どいたどいた」
「巫女を連れてきたぜ、ほら道を開けるんだ」
そんな野次馬の波を書き分けて、二人は人々の集まる中心、恐らく問題の妖精・クラウンピースのいる場所へと向かう。
人々も霊夢に気づくとすぐに道を開け、早く助けてあげてください、今は危ない状態ですなどと声をかける者もいた。
「全く、人騒がせなんだから……妖精のくせに」
ぶつくさと文句を垂れながらやっと中央付近まで来ると、中心の状況が初めて見えてくる。
人々がある程度の距離をとって取り囲むようにしていたのは、問題の妖精・クラウンピース。
それと対峙するように向き合う、一人の人間だった。
「……あれが狂わされた人間? 何してるのかしら」
「ん? いや、私が見た被害者はあの足元に転がってる奴だったぞ」
「足元?」
魔理沙に言われて見てみれば、対峙している人間の足元にはぐったりとして目を閉じている、また別の人間がいた。
霊夢は顔をしかめて、足早にそれに近づこうとする。
しかし、
「来ちゃだめですよ!」
ある声に遮られて、霊夢は歩みを止めた。
何事かと思えば、その声の主は今まさに妖精と対峙している人間から発せられたものであった。
「だめって……」
霊夢は妖精も見るが、それは前見たときと様子の違う、どこかおかしな興奮状態にあるように見える。
明らかに正常でないその姿に、霊夢ですら危機感を覚えるほどだ。
「私を誰だか分かってる? 巫女よ。危ないのはそっち、早く離れなさい」
「大丈夫ですから、すぐにこの子は回収しますので」
「は……?」
その内容もおかしなものだったが、何より助けを断られたことが霊夢の怒りを蓄積する。
せっかく助けてあげると言っているのに、何を言っているのかと。
「魔理沙、あいつなんなの?」
「ああ、あれは餅屋だな」
「は、餅?」
「何でも人里から離れたところに住んでる奴らしくて、毎日里に足を運んでは餅を歩き売ってるんだ。
この餅がまた絶品でな。今里の一部では噂になってんだぜ」
「ああそう。それで、何でその餅屋様があんな自信満々にしているわけ?」
「さあ?」
魔理沙は何のけなしに答えて。霊夢は呆れたようにため息をつく。
里の離れにいようが餅だろうが、要するにただの人間であることに代わりはない。
いくら妖精とはいえ、あのクラウンピースは危険すぎるのだ。きっと、それを知らないのだろう。
霊夢は忠告を無視して傍へ寄ろうとするが、
「巫女様、彼なら心配要りませんゆえ」
それを止める声があった。
振り返れば、それは普通の人間によるものだった。それも、一人ではなく。
みなが口々に、あの人なら大丈夫、なんて揃えてのんびりと言葉にしていた。
「何言ってるの? いい? あの妖精は普通の妖精とは違うの。氷精なんかよりもずっと……」
「ええ、存じております。しかし、あの妖精だからこそ大丈夫だと言っているのです」
「何を言って……」
一向に話の見えない霊夢は苛立ちを隠せない。
そして、そんな時に事態は動き出した。
「もう! 私の邪魔をしないでよ!」
聞こえてきたのは、少女の声。
まさに問題の中心点にある妖精・クラウンピースのものだった。
彼女は自身と対峙する人間に向け、苛立ったように声を荒げる。
しかし人間は冷静に、
「だめだよ、何を思ってこんな事してるかは知らないけど……。怒られるよ?」
「知らないわ! 今の私は頭がぐるぐるして、力がこうぱぱ~って溢れてきてるんだから! ほらぐるぐるって、ぐるぐる……」
「……全く、何を食べたらそうなるの」
人間はクラウンピースに対し呆れたように肩を竦める。
クラウンピース自身は目をぐるぐるさせ、やはり正気を失っているように見える。
怪訝そうに双方の会話を聞いていた霊夢には、何がなんだかさっぱり理解できなかった。
初対面では無いようには見えるが、しかし妖精が危険な状態であり、人間に敵意を向けていることに違いはないとは確信する。
「あんたがどんな関係かは知らないけど、今そいつはキノコの毒やらでとっても危険な状態なのよ。いいから私に任せて……」
「キノコ……通りで。なるほど、ありがとうございます」
人間はそう言うと、素直に霊夢に任せ――ることはせず、腰から一本の鞘がついたままの刀を抜く。
霊夢はその行動に一瞬目を見開き、
「馬鹿! そんなものでそいつに適うわけ……!」
「うがーっ!!」
霊夢が叫ぶのと、妖精が発狂し弾幕を放つのはほぼ同時であった。
(しまった、遅かった……!? いや!)
霊夢の頬に、一筋の汗が流れる。
しかし何とか平静さを持ち直し、クラウンピースの打ち出した弾幕に対し麗府を放つ。
「間に合え! 夢想封印!」
「あ、おい馬鹿、霊夢!」
しかしそれは、クラウンピースの弾幕を的確に狙ったはずのそれは、不幸なことに対峙する人間のほうへと飛んでいってしまった。
正確には狙いはあっているのだが、クラウンピースは人間に向けて弾幕を撃っていたらしく、結果同時にそれらが向くことになる。
となれば、その先にある未来は……大惨事。
霊夢の表情から、今度こそ焦りが生まれた……その時。
「ん――」
人間の鞘から、刀の刀身が少しだけ姿を現したと思えば、次の瞬間にはまばゆい光が辺りを包む。
そうしてまた次の瞬間には、弾幕は消え……人間は無事に地面に立ったままで、妖精だけが力が抜けたかのように紙面に伏せる。
湧き上がる人々には何も見えなかったその一連の流れを、今この場で霊夢だけが正確に確認していた、
「……」
「……ひゅー」
その動作を全て見ていた霊夢には、しかしそれが何なのか理解することは出来なかった。
ただ、あの人間が何か小細工をして、一瞬のうちに弾幕と妖精を無力化したことだけは理解している。
そう、それは……自身の弾幕さえも。
「ええと、それじゃあ、お騒がせしました」
人間はそう言って頭を下げると、転がっているクラウンピースをよいしょと背中に背負い、その場を後にしようとする。
人々を掻き分けて進もうとするその人間に、霊夢は声をかけた。
「あんた、なんなの?」
その言葉の意味は、複数の意味を持つ言葉。
何者で、何という名で、本当に人間であるか――。
人間はゆっくりと顔だけ霊夢に向け、それに答える。
「……ただの美味しい餅屋ですよ。どうぞ、よしなに」
*****
もう遠くどこかにいってしまった餅屋のいた場所をにらみつけながら、霊夢は考える。
あの時、微かだが感じることの出来た――どこか、懐かしい姿。
「ああ。そうだ……」
やがて何か納得したかのように頷き、やっとその場を後にする。
霊夢が感じたあの力は、微かに見えた刀を抜いた瞬間の姿。
それが幻覚だろうと何であろうと、霊夢が確かに知っているものであった。
「――綿月……依姫」
それは、忘れもしない強大な存在。
かつて自分が全く歯の立たなかった、異界の存在……。
「まさか、ね」
しかしそんなことはあり得るはずがないと、かぶりを振りながら。
お腹の減った博麗も巫女は、足早に帰路に着くのであった。