天華百剣 ー禍ー   作:HK416

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よしよしよーしよし。
イベントをやって思いの外、鶯丸が可愛かったので書きました。
まあ、修行の都合上、キャラ的にも最適だったというのもありますが。

では、本編をどぞー!





鶯丸友成と鬼ごっこ

 

 

 

 

 

「はーい。今日は人吉君のために、特別講師をお呼びしました♪」

 

「ひぃ、ひぃい、……は、へ、特別、講師……?」

 

 

 修行開始から一ヶ月。

 肉体を酷使する鍛錬は板につき、受け身もどんな形からでも完璧に取れるようになっていた。

 しかし、巴との木刀を使った実戦形式の訓練は相変わらず人吉がボコボコにされる一方的な展開である。今日も彼は顔面歌舞伎揚げ状態だった。

 

 庭に手足をついて肩で生きをしていた人吉は、一向に追いつける気のしない巴の強さと明るい声に間の抜けた声を出す。縁側に立つ巴を見上げても、ニコニコと笑っているばかり。

 

 人吉は新しい訓練と聞いて期待半分、不安半分の心持ちで、取り敢えずそのまま正座をしておく。

 新しい訓練と言うことは巴も認めるほどの成果を出している証明であり、日々の努力が報われている証でもある。期待しない方がおかしいだろう。

 そして、これまで以上の訓練になるのは明白故に、洒落にならない怪我を負うのでは、という不安も当然ある。

 

 巴は師に対する礼節を弁えた所作に満足げしながら頷くと、廊下の奥に向かって手招きをしてみせた。

 

 すると奥から一人の少女が姿を現す。

 艷やかな短い銀髪が歩く度に揺れ、口元にうっすらと刻まれた笑みと右目元の泣きぼくろは上品な色香を醸している。

 見た目のみならず、立ち居振る舞いに至るまで取り繕われていない気品で覆われている様は、正に麗人と言った趣だ。

 

 巫剣の顔立ちはみな整っている。

 三日月、椒林、ソボロは美しく、津田や五虎退は愛らしい。その中間である七星剣などもいる。

 ただ、ここまで所作が美しい巫剣は初めてた。無論、三日月や巴の所作も美しくはあるが、それは武人としての無駄の無さであり、彼女のそれとは少し違う。

 

 

「此方は鶯丸友成、こっちは間ヶ原 人吉君。二人とも、仲良くね」

 

「初めまして、間ヶ原 人吉です! よろしくお願いします!」

 

「くすっ。聞いていた通り、元気だね。此方こそよろしく、人吉さん」

 

 

 凛々しさを欠片も損なわない微笑みに、こんな笑い方はオレにはできないな、と人吉は感心したように息を漏した。

 中性的な顔立ちに紳士的な立ち居振る舞い。随分と絵になる巫剣だ。帝都を歩けば、道行く婦女子をほぼ確実に振り向かせるだろう。

 

 

(巫剣の人が講師か…………これ、オレは生きていられるのかなっ!? 頑張ろっ!!)

 

 

 しかし、特別講師が巫剣と判明し、不安が増す。

 巴とて剣士としてならば巫剣に匹敵する強さだが、巫剣は更に其処から個々の異能を持つ。

 どんな訓練であるにせよ、剣の腕と異能を織り交ぜられてはタジタジだ。真面目に死が見えてきている。

 

 だが、彼に中止を申し出る、懇願するという発想はなく、真面目さ故にやる気で漲っていた。

 

 巴は鶯丸を伴って庭に降り、己が中央に、人吉と鶯丸を三(けん)の距離を置かせ向かい合わせに立たせた。

 完全に何時もの模擬戦が巴から鶯丸に変わっただけだと思い込んだ人吉は、ごくりと生唾を飲み込む。

 

 

「では、これから鬼ごっこをして貰います。鬼は人吉君ね」

 

「え? 鬼ごっこ?」

 

「人吉君が鶯丸を捕まえた時点で、この訓練は終了よ♪」

 

 

 差し当たって怪我をする事はないだろう訓練にほっとした人吉であるが、がくっと難易度が下がったようで肩もがくっと下がる。

 

 彼の反応を察していたのだろう。巴と鶯丸は目を見合わせて笑うばかり。

 しかし、それ以上の説明はなく、巴は背を向けて縁側へと向かっていく。

 

 

「あ、あの、巴さん、これって――――っ!?」

 

「実戦によーいどんはないわよ。君は一度死んだわ。訓練中に気を抜かないこと」

 

「は、はい。すみません」

 

 

 説明を求めようとした瞬間、人吉は確かに見た。

 巴が振り向き様に刀を抜き放ち、己の首を断つ光景を。

 

 冷たい刃が肉を裂き、骨を断つ。熱い血潮が迸り、喉を焼く。

 全く異なる二つの感覚が同時に襲い掛かり、全身から汗が吹き出る。

 今まで一度足りとて刀で斬られる経験なぞなかったが、これが刀で斬られるということなのだと体験させられた事を確信できた。

 

 見れば、巴は元より刀など持っていない。そもそも振り返ってすらいない。

 人吉は余りにも卓越した力量を見せつけられ、震える声による返事しか出来なかった。

 

 

(巴さん、容赦がないな。でも、人吉さんも凄いね。あんな剣気を当てられて、まるで萎えていない)

 

 

 鶯丸も人吉と同じものを見ていた。

 巴ほどの腕前であれば、あの時点で己が出来た事を意識しただけで相手に分からせるなぞ朝飯前。巫剣であれば自身に当てられておらずとも見える。それほどまでに濃厚な剣気だった。

 

 しかし、それ以上に感心したのは人吉の胆力であった。

 あんな剣気を浴びては常人ならば失神している。失神せずとも恐怖で腰を抜かしているだろうに、冷や汗を掻いてはいても目から光は消えていない。

 これでつい二ヶ月前までは炭を焼いて暮らしていたというのだから鶯丸にとっては驚きだった。

 

 

(生まれ持った精神力と人並み外れた目的意識。成程、確かに逸材だ)

 

 

 鶯丸が協力に応じたのは人吉の境遇を聞いたからこそであった。

 彼を襲った無惨、彼に科せられた禍祓いという運命。少なくとも、巴が知っている全てを包み隠さずに伝えていた。

 

 その才能に関しては俄に信じ難くはあったが、あの巴が嘘を吐くとも思えない。

 現状、鶯丸は御華見衆に所属してはいるが、みやこ屋やめいじ館といった支部には属しておらず、巫剣使いもいない。市井の中に混じり、小烏丸からの任務に応じて動いている。特定の巫剣使いと組んでいる巫剣、支部に属している巫剣に比べ、圧倒的に自由になる時間が多い。

 そういった事情もあり、何よりも巴から聞いた事情に、同情ではなく興味を惹かれたからこそ引き受けた。

 

 

「行きます!」

 

(わざわざ声なんて掛けなくてもいいのに。真面目だなぁ)

 

 

 声を掛ければ相手は身構える。身構えられれば防御も回避も幾分容易になる。

 分かっているのかいないのか、鶯丸は余りの真面目さに呆れ返ってしまう。

 しかし、姑息に立ち回れるよりかは気持ちがいい。愚直なまでの真面目であれば眩しく映る事もある。

 

 ともあれ、好意と訓練は無関係。彼女が手を抜く理由になる筈もなく。

 

 

(――――きえっ!?)

 

 

 自慢の健脚で間合いを詰め、一息に鶯丸の腕を掴もうとした。

 もう少しで腕に指先が触れようとした瞬間、人吉の視界から鶯丸の姿が消失する。

 

 何が起こったのか理解するよりも先に、音と匂いの流れを頼りに視線を向ける。

 人吉から見て右手側、人吉が詰めた距離と同じ分だけ離れた位置で鶯丸は足首の調子を確かめ直すように爪先で地面を叩いていた。

 

 

(えぇーーーーーっ!? す、凄いぞっ!? これ、どうやったのっ!?)

 

 

 彼の捉えたのは地を蹴る音と地を踏み締めた音が一度だけ。つまり、彼女はただの一歩で三間もの距離を移動してのけたのだ。

 

 人吉は全く知らぬ技術であるが、これを縮地と呼ぶ。

 名の由来は古代中国の書に出てきた土地自体を縮めて距離を接近させる仙術。

 日本の武術においては瞬時に間合いを詰める歩法、相手の死角に入り込む体捌き、少ない歩数で接近する技術を総じて“縮地”と称する。

 鶯丸の見せたのは、その全てを複合させた高等技法。これほどまでの完成度は同じ巫剣であっても中々お目にかかれない。

 

 反射的に人吉は巴を見たが、縁側に座ったまま動かずニコニコと笑うだけ。つまり――

 

 

(頑張ってね?)

 

(………………――――――が、頑張りますっ)

 

 

 ――自分で考え、自分で学べという事だ。

 

 何も教える事だけが指導ではない。時に何もしない事こそが指導にもなる。

 

 見た事も聞いた事もない技術を前にした時、如何にして対処すべきか。

 全く未知の、想像だにしなかった異能を前にした時、如何にして対抗すべきか。

 動くだけなら、戦うだけなら獣と変わらない。其処に術理が入り込み、思考が混ざるからこそ人の戦いとなる。

 

 巴は何も技術だけを鍛えたかった訳ではない。

 窮地を前に、どうしようもない実力差を前に、状況を打開する思考も鍛えたかった。故にこその放置だった。

 

 

(それに、人吉くんの身体は土台だけは()()()()()。あの舞と呼吸は、そういうものでもあったのでしょうね)

 

 

 巴が指導に当たって最初に行ったのは、間ヶ原家に伝わっていた舞と呼吸法の確認であった。

 彼は禍憑を舞と呼吸法を駆使して斬り払ったと聞いていた。

 禍祓いという体質も一因であろうが、体質はあくまで体質。少なくとも、その場で立っているだけでは封印はできない。あくまでも戦う必要があるようだ。

 ならば、禍憑を斬れた要因の大部分を締めるのは舞と呼吸法にこそあると推察していた。

 

 そして、それを見た巴と小烏丸は納得すると同時に愕然とした。

 

 

(舞は型と鍛錬が混ざったもの。呼吸法は身体能力を向上させるものもあれば、逆に身体へと負荷を掛けるものもあった)

 

 

 巴と小烏丸の目からは舞ではなく、戦いのための型にしか見えなかった。

 その激しさたるやあらゆる神楽と比較しても類を見えない激しさであり、身体に掛かる負担は想像を絶するものだろう。そんなものを間ヶ原家の家長は半日以上も休みなく舞うと言う。

 更に、呼吸法は巴ですらが羨むほど理想的な場面もあれば、逆に何故そのようなと疑問に思うほど理想から掛け離れた場面もあった。

 

 この舞と呼吸法は明らかに、一人の戦士を生み出すためのもの。

 戦いに必要な動きを無意識下でも肉体が繰り出すための型であり、戦いに必要な肉体を造り出す鍛錬法。

 

 間ヶ原家が生まれた段階では型と鍛錬は別々であったに違いない。だが、長い時間で混同され、風化して今の形になったのだろう。

 

 

(それにしても千五百年、千五百年かぁ。自らの血筋を忘れ、一部が消え去り、混同されてもなお残る、か。当時、それほどの完成度を誇る武術があったとは思えないけど……)

 

 

 少なくともこの舞を考えた者を、巴は同じ人間とは思えない。

 武の中で剣術という枠組みに限定しても、百年で失われる流派は数知れず、失われる技は更に多い。人間は忘却する生き物であり、常に前進と後退を繰り返す。

 この舞はどれだけの時が経とうとも間ヶ原家が自らの身を守れるように、忘却や混同を前提として創られたとしか思えない。

 

 あらゆる武術の創始者でも死後、自ら生み出した技術が失われていくのは止められず、理念や理由が失われながらもなお残る流派が千五百年も続くなど誰も至っていない境地。だからこそ、同じ人間が考えたと思えないのだ。

 

 

(だからこそ人吉くんには自分で考え、感じ、選んで貰わなくてはならない)

 

 

 舞と呼吸によって、人吉の肉体は剣士として必要な要素――筋力、体力、敏捷、柔軟諸々が最低限の位置にまで達していた。

 だが、剣士ならばその過程で学ぶ筈の術理がすっぽりと抜け落ちている。

 

 彼のこれからに必要なのは、まだまだ頭打ちに至っていない恵体の更なる向上と舞の中に埋もれてしまった創始者の術理と理念の解明。

 少なくとも禍憑を倒せた事から見ても、型の意味や如何なる状況下において効果を発揮するのかを、身体は理解している。しかし、当人が頭で理解できていない。それでは最大限の効果にまでは至らないだろう。

 

 だからこそ様々な巫剣と共に鍛錬を重ね、彼女達の持つ術理を体験させる。

 

 足捌き一つに如何なる意味を持つのか。

 目線の置き方一つに如何なる理由が含まれるのか。

 技と呼ばれるものが如何なる思いによって生み出されたのか。

 

 他者を見る事でそれらを学び、自らも知らずに覚えた舞からそれを感じ取る。その境地に至る事が出来たのなら――――

 

 

(強くなる。剣士としても、巫剣使いとしても)

 

「おい、巴。小僧の刀の調整と鑑定、終わったぜ。ほらよ」

 

「ちょっとぉ、抜き身じゃないにせよ投げないでよ、あなた」

 

「へっ。それで取りこぼす玉かよ、お前が。しっかし、元気な小僧だな」

 

 

 巴が物思いに耽っていると、廊下の奥から作務衣姿の男が現れる。

 無精髭を生やした姿はものぐさな性格を表しているようであり、年の頃は四十の半ばと言ったところか。

 彼こそが巴の夫であり、御華見衆の筆頭研ぎ氏である武蔵だ。

 

 頼まれていた宝剣の研ぎと柄を人吉に合わせた調整、更には鑑定を終わらせたらしく、巴に投げて寄越す。

 巴は他人の家宝を投げる不躾を咎めながらも、しっかりと武蔵の気配と行動を察して危なげなく受け取っていた。

 

 それで、という視線を武蔵に送るが、当人は笑いながら肩を竦めるだけであった。

 調整は完璧であったようだが、鑑定の結果は芳しくはないらしい。

 

 

「仕方ねぇやな。銘も何も刻まれちゃいねぇんだ。憶測に憶測を重ねるしかねぇやな」

 

「で、その憶測はどうなの?」

 

「太刀としちゃ標準そのもの。特徴らしい特徴もねぇ。敢えてそうしたんだろうなぁ。ただ、刃紋の形からすると三条のもんに近い気がする」

 

 

 平安時代の山城三条の刀匠集団を三条派と呼ぶ。流祖は三条宗近であり、三日月宗近、小狐丸などの巫剣を生み出した。

 

 極端に特徴がでないように打たれた宝剣であるが、刃紋には確かに三条の技が見て取れた。

 刃紋は個々の刀匠、時代、一門、流派の特徴が遺憾なく発揮される。作者の特定や真贋を見極める際に重要となる部分。武蔵がそれを見違える筈もない。

 

 

「誰が作ったのかは分からねぇ。ただ一つ。オレの口から言えるただ一つの事は、この刀は刀身に刻まれた四文字のためだけ造られたもんだってことだよ」

 

「それは、禍憑を払うため? それとも、人吉くんのご先祖様を守るため?」

 

「さあなぁ、其処までは分からねぇよ。ただ、此処まで純粋な刀をオレは見たことがねぇ」

 

 

 禍災覆滅。この無銘の刀はそのためだけに造られたのだと武蔵は語る。

 造り手は、ただそれだけを刀に込めた。創造の理念も、基本となる骨子も、これまで蓄積した技術全てを使ってその一念だけのために打たれた。

 多額の金銭も、人々の称賛も、刀としての強度も斬れ味も美しさすら必要としていない。それらは邪念、この刀には無用の長物と斬って捨てられている。だからこそ、造り手は己の名を刻まなかったのだ。

 

 

「それ、折ったりしたらお前の骨も折るって小僧に伝えといてくれ」

 

 

 武蔵にしてみれば珍しい発言に、巴は目を丸くした。

 

 彼は研ぎ師として刀を武器、道具として捉えている。巫剣に対してはそうでないにせよ、人の姿を持たない刀剣に対しては驚くほど乾いた意見を述べる。

 だからこそ、剣士の使い方に決して口出ししない。使えば摩耗し、最後には折れると理解しているからだ。

 そんな彼が、折るなと口にするなど異例の事態だ。長年連れ添った巴ですら耳にした事のない言葉である。武蔵にそんな言葉を吐かせるほどに、刀匠の思いは凄まじいものであったのか。

 

 ともあれ、一歩前進はした。

 三条派の手によるものであれば、彼等の手によって生まれた巫剣ならば何か分かるかもしれない。

 

 

(三日月と小狐丸は近い内に此処へ来るでしょうし、その時に。今剣(いまのつるぎ)は私の方から出向いてみましょうか)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 鶯丸との鬼ごっこが始まってから三日目。

 

 

(全っ然捕まらない、捕まえられなーい!)

 

 

 みやこ屋の庭で人吉は地面に四肢を突いて這い蹲っていた。

 今日も訓練を初めて一時間が経過していたが、もう体力が尽きてしまったらしい。

 元より縮地など人吉が知らぬ技法。それに何の対策もなく馬鹿正直に、糞真面目に追い掛け回すだけでは当然の結果であった。

 

 

「人吉さん、少し休憩しようか」

 

「は、はひ、ひぃっ、で、でも……」

 

「巴さんの考えだけれど、人吉さんには僕の足捌きや動きを知って貰いたいんだと思う。休みもせずに追い回す事が本分じゃないよ」

 

「な、成程……」

 

「次からは一回十分、休憩を挟みながら何度も挑戦してみるのはどうかな? 君の訓練はこればかりじゃない。後にも響いてしまうからね」

 

「そ、それでお願いしますぅ……」

 

 

 貴公子然とした微笑みを浮かべながら差し伸べられた手と提案に、人吉は意気消沈しながらも受け入れて手を借りる。

 鶯丸もこの三日間、余計な口出しはすまいとしていたが、見るに見かねての提案であった。

 

 何せ、彼はこの後に巴との実戦形式の訓練が控えている。ただでさえ実力差が相手に体力が尽きた状態で向かうのでは、改善も成長も見込めず、何よりも人吉が哀れだ。

 巴との訓練を終えた人吉を見たが、元の顔が見る影もないほどに腫れ上がった彼を見て、鶯丸は目眩を覚えた。

 彼女の元で巫剣使いとして鍛えられていた人間を何人か知っているが、此処まで酷い目にあっている者は見たことがない。更に、次の日には腫れが引いて元通りの顔でニコニコと笑っている人吉にドン引きもした。

 

 

「じゃあ、縁側に座って少し待っていて。お茶でも入れてくるから」

 

「ふ、ふぁい。ありがとうございます」

 

 

 縁側に腰を下ろし、お茶を入れに行った鶯丸を見送ってからガックリと肩を落とす。

 思い通りに行かない訓練と満足の行く結果を出せない自分の不甲斐なさに項垂れていた。

 

 

(ふ、不甲斐なしっ! 落ち込んでいる暇はないぞ、人吉っ! 鶯丸さんだって手伝ってくれているんだっ! 一歩ずつでもいい、前に進むんだっ! 頑張るんだっ!)

 

 

 下へ下へと沈んでいく気持ちを振り払うように、首を振って両手で頬を張る。

 それだけで気持ちが切り替わる。非常に単純な性格だ。単純馬鹿と見るか、純粋無垢と見るかは人によるだろう。

 

 そして、鶯丸が語った巴の狙いを頭に、彼女の動きを思い出す。

 

 

(オレと鶯丸さんと何が違うんだろう。…………まずは、目の置き方かな。巴さんが言ってたみたいに、全体をぼんやりと見てこっちの一挙一投足に注意を払っている感じがする)

 

(後は足捌きもオレとは全く違う。オレは前へ前へと進もうと力を込めようとするけど、鶯丸さんはこう、力の入れ方と抜き方の差が凄い。筋肉を弛緩できるだけさせ、動く直前に一気に緊張させる感じだ)

 

(足の指先から付け根までの筋肉を全部使って、関節は柔軟だからどんな方向にも対応できるんだ。あの、縮地とかいう技術の根幹は其処にある筈なんだ)

 

(アレに対抗するならオレも同じように縮地を使わなければならない。普通だったら、何年も掛かる。けど、縮地に似た足捌きと動きは、舞の中にもあった。あそこまで速くはなかったけど。出来る、筈だ)

 

 

 始めの内は捉えられなかった鶯丸の動きも、徐々にではあるが捉えられてきた。

 動き出す前の直前の姿勢と重心を目で。動いている最中の筋肉と関節の動きを鼻と耳と肌で。彼女が何に注視し、何を感じ、身体の何処に意識を向けているのか。

 

 ただの民間人ではこうは行かなかっただろう。

 だが、彼には優れた五感と舞を学ぶ過程で培った自らの身体を巧みに操る術、父の言葉ではなく父の動きを見て学んできた経験があり、それが生きた。

 舞の中に縮地という戦いにおける移動法におけるある種の完成形が含まれていたのも驚きであるが、本人はそれに全く気付いていない。 

 

 

「お待たせ。鶯餅と冷たい緑茶だよ。本当なら玄米茶の方がいいんだけど、口の中も酷い事になっているだろう?」

 

「ええ、此処に来てから何を食べても血の味が混ざってしまって……」

 

「巴さんも容赦がないね。それだけ期待しているってことかな?」

 

「そ、そうかなぁ……」

 

(敢えて痛めつけて楽しむような方法を選んでいるのは黙っておこうかな……)

 

 

 期待されていると聞いた人吉は、少しばかり照れくさそうに頬を掻いた。

 巴の楽しそうな笑みを思い浮かべ、困った人だと冷や汗を浮かべながらも押し黙る。

 

 鮮やかな鶯色の餅を口に放ると青大豆の風味が鼻を抜け、続いて餡子の味が口の中に広がっていく。

 疲労した身体に糖分が広がっていくようだ。木刀の打ち込みで切れた口内を思い、冬場にも関わらずわざわざ冷茶を用意してくれた気遣いも嬉しい。

 

 鶯丸は縁側に綺麗な姿勢で正座していた。

 茶を啜る姿一つ取っても人吉ですら感心してしまうほどに絵になる姿だ。思わず、彼も姿勢を正してしまう。

 そんな姿に、彼女は気付かない振りをしつつも薄っすらと笑みを浮かべている。

 

 さしたる会話もなく、穏やかなだけの時間が過ぎていく。

 鶯丸は静かな安らぎと喜びを覚え、人吉は家族との時間を思い出して僅かながらに郷愁を胸に抱いた。

 

 

「――――あ」

 

 

 その時、鶯丸は驚きから声を漏らした。

 正座して折り畳まれた膝の上に、何処からともなく五虎退の白い虎が一匹飛び乗ってきたからだ。

 

 恐らく、また五虎退の下を離れて遊んでいたのだろう。冬の空気の中にあって、穏やかな日差しと鶯丸の体温に丸くなって欠伸をする。

 彼女が白魚のような指先で頭を撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 

 

「ふふ、可愛いなぁ。でも、五虎退が探しているよ。彼女の下にお帰り」

 

「……がぅ」

 

 

 鶯丸が持ち上げて縁側に下ろしてやると子虎は名残り惜しそうに去っていった。

 その後ろ姿を見送ってもう一度茶を啜ろうとしたが、横からの視線に邪魔される。

 

 見れば、人吉が不思議そうな顔をして一連の行動を眺めていた。

 

 

「鶯丸さん、動物は苦手なんですか……?」

 

「苦手じゃないよ。どうしてそんな事を?」

 

「何だか、無理に遠ざけているような気がして……」

 

「うーん、そんなつもりはないけれど…………でも、少しだけ苦手意識はあるかもしれない、かな?」

 

 

 過去に彼女も動物を飼った事はある。

 けれど、十分な愛情を以て接した彼等との別れは、殊更に早い。

 人との別れも辛いが、動物との別れも同じように辛い。時には人以上に心を通わせる事もあるのだから。

 

 少なくとも鶯丸は動物を飼おうとは思わない。

 可愛いものは好きだが、必ず訪れる別れを思えば、その辛さが勝ってしまう。

 

 

「でも可愛いもの、好きなんじゃ……」

 

「う゛っ……そ、それは否定しないけど……ほら、僕の見た目や振る舞いには合わないだろう、そういうの」

 

「別に、そんな事はないと思うんだけどなぁ……あっ、そうだ!」

 

 

 人吉の真っ直ぐな指摘に、鶯丸は頬を染めながらも趣向する。

 貴公子のような見た目や振る舞いに反して、鶯丸自身は可愛いものが大好きだ。時間があれば、一日中眺めている自信もある。

 

 しかし、自らの容姿から貴公子として扱われ、求められる振る舞いが板についてしまった。周囲からの期待に応えるために、本来の振る舞いを封じる苦しみを常に抱えている。

 

 人吉を前に素直に答えてしまったのは、彼の人柄故だろう。

 たったの三日ではあるが、よく分かる。相手のあるがままを受け入れ、決して笑う事はない実直で他者を貶める真似を決してしないと確信を持って言える。

 だからこそ、自らの嗜好を肯定する気恥ずかしさと相手の期待を裏切る恐れこそあったものの、思わず頷いてしまったのだ。 

 

 やはり、と言うべきか、人吉は少しだけ考える素振りを見せるとその場を立ち上がって廊下を駆けていく。

 予想していなかった突然の行動に鶯丸は目を丸くした。そうしている間に、人吉の姿は消え去っていた。

 

 

「あった! ありましたよ! はい!」

 

「こ、これは……可愛い、ね」

 

「でしょ? それあげますよ」

 

 

 それから数分後、帰ってきた人吉は手に持っていたものを鶯丸に渡した。

 

 手渡したのは、彼女が両手で抱えられる熊のぬいぐるみ。

 但し、市販のものではない。様々な布の切れ端を使って出来た継ぎ接ぎだらけの手製のぬいぐるみだった。

 継ぎ接ぎだらけでも布の柄も考えて組み合わせているのだろう、逆に市販のものにはない味を出している。

 

 

「これ、人吉さんが……?」

 

「いえ、母と妹が造ったんですよ。町の子が持ってた奴を欲しがったんですけど、ウチは余裕がなかったから買えなくて、それで」

 

「い、いや、そんな大事なものは貰えないよ……!」

 

 

 彼女は人吉がどのような境遇にあるかを知っている。

 ならば、このぬいぐるみは彼にとっては大事な形見であり、家族との大切な思い出の品でもある。

 

 人間は忘れる生き物だ。どれだけ大事な家族であっても、死別すればいずれは忘れてしまう。悲しいが、それは事実だ。

 だからこそ、こうした生前の品を通してかつての記憶を思い出すものだ。手放してしまっては、記憶の風化は一層に加速していく。

 

 

「いいんですよ、お礼も兼ねてますし。オレが持っていても、手入れの方法も分からない。死んだ人間のものじゃ、あんまり気持ちのいいものじゃないかもしれないけど」

 

「そういうことじゃない。そういうことじゃないよ、人吉さん。これは、家族の大事なものなんだろう?」

 

「ええ、まあ。でも、鶯丸さんならオレよりもっと大事にしてくれる人だって思うから。それに家族とは、死んでしまっても心だけはずっと一緒です」

 

 

 心からの本心と笑みに、鶯丸は返す言葉を失う。

 悲劇を忘れようとしているのではなく、家族の大事にしていたをより大事に扱ってくれると信じたからこそ手放すと言った。その程度で絆が断たれる事も、忘れる事もないと笑って。

 

 これでは、受け取らぬ方が失礼に値する。

 ずるいな、と思いながらもぬいぐるみは抱きしめてみる。

 よく天日干しにされていたのだろう。太陽の匂いと僅かに炭の匂いが混じり、心が酷く落ち着いていくのを感じた。

 

 端的に言って気に入った。

 手に取ればどれだけの思いを込めて作られたものなのか、彼の妹がどれだけ大事にしてきたのかが分かる。新品にはない味も悪くはない。

 

 

「……ありがとう、大事にするね」

 

「此方こそ、ありがとうございます。母さんも妹もきっと喜んでいます」

 

「そうだと()も嬉しい…………えへへ、柔らかいな……」

 

(やったっ! やりましたっ、母さん、美貴っ! 仲良くなれた、嬉しいなっ!)

 

 

 普段は決して見せない乙女そのものの笑みを浮かべた鶯丸に、人吉も陽の光のような笑みを浮かべた。

 

 こうしてまた一つ、巫剣との絆を深めた。意図していたではなく、息をするように自然な形で。

 もし、巫剣使いの才能が巴の言うように稜威や能力ではなく、巫剣と心を繋げることだと言うのなら、確かに才能があると言えよう。

 

 ただ、残念な点があったとするのなら、長過ぎる休憩が巴に見つかり、次の訓練が普段の倍以上も厳しいものになったという事だけだ。

 

 

 

 

 





ほい、そんな訳で、相変わらず巴さん容赦ない&舞と呼吸法、刀の謎が一部解明&鶯丸可愛いよ鶯丸の回でした。

大体、こんな感じで巫剣の皆と交流を深めつつ進んでいく感じ。
暫くはこんな感じで進むかなぁ。戦闘はもっと後。そうでもなきゃ、ド素人が足を引っ張って戦う羽目になるからね!

では、次回もお楽しみに!
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