海面から太陽が頭角を現していく時間帯。鎮守府内の寮にある提督の私室のキッチンで、長い緋色の髪と黄色いエプロンをはためかせながら忙しなく動いている艦娘が一人。艦娘の名前は江風。この鎮守府の提督と深い絆を結んだケッコン艦。
彼女がキッチンで何をしているのかと問われれば、やっていることは一つ。江風は提督の為に朝食を作っているのだ。
江風は油揚げと豆腐の入った鍋に味噌を溶かし終えると、アジの干物を入れて置いたグリルを開けて焼き加減を確認する。
「うンうン!いいじゃんいいじゃん!」
火が通った味の表面は焼き目のついた白色になり、身から出た脂が光を反射している。菜箸で摘んで味を大皿に移して大皿に大葉を乗せ、その上に大根おろしを盛る。これで朝食のメインメニューが完成した。
続けて、味噌を溶かした鍋がぐつぐつと音を立て始めたので沸騰しきる前に火を止めて、味噌汁も完成した。
更に下ごしらえをしたほうれん草を小鉢に盛りつけ、その上に鰹節をふりかけて、ほうれん草のおひたしも完成。
このタイミングで炊飯器がピーと甲高い機械音を奏で始めた。その理由は至極明快、御飯が炊けた証拠だ。
炊飯器の蓋を開くと、独特の甘い香りを孕んだ水蒸気が部屋の中に逃げていく。
江風はその香りを楽しむように一つ鼻で息をついて、炊飯器の中を覗きこむ。
「ンン~~!!」
炊飯器の中のお米たちは艶々と光沢を帯び、整然と起立して釜から掬い上げられるのを待っているかの様だった。
「今日も上手く炊けたなぁ」
釜の中にしゃもじを入れ、外側から真ん中に詰まっていると言う美味しい部分が全体に行き渡るように混ぜ込み、茶碗へと盛る。
盛り終わったらしゃもじについたご飯を手で掬って一口含む。
「うんまいなぁ!」
江風の姉からにがりを入れると甘さが引き立つと言うアドバイスを受け実行した結果、確かに米の甘さが増した気がした。水の加減も丁度良し、ベタベタになる位に多く無く、だからと言って芯を感じる位の硬さも感じない。
江風はほっぺに手を当てながら、今日の炊き具合を心の中で絶賛する。このままもう一口だけ御飯を食べたいと言う気持ちもあったが、今は我慢。食べたのは味見の為であり、何よりこのご飯は提督に食べて貰う為に炊いたご飯。自分だけ独占する訳には行かないのだ。
炊飯器を閉じしゃもじを置くと、味噌汁をお椀に注ぐ。
これにて完成。江風特製の朝食セットだ。
朝食セットをちゃぶ台に配膳し、江風は提督が眠る寝室へと足を運ぶ。彼が寝室としているのはリビングキッチンに隣接している和室。
大きな音を出さないよう静かに襖を開ける、そこには布団を跳ね除けてお腹に手を当てて安らかに寝息を掻いている提督の姿が。
江風は抜き足差し足で音を立てないように提督の枕元に座ると、彼の顔を真上から覗きこむ。
普段から江風の事をからかったりしてきて子供っぽい印象を受ける提督なのだが、彼の寝顔は尚更子供みたいだ。
口と鼻から息をして口端から涎が滴っている様は、昼寝している子供と言ってもいいだろう。
「てぇとくー」
彼の幼さを感じさせる寝顔に自然と口許が緩んだ江風は、声量を控えめにして提督の身体を揺すってみる。
「うん……」
提督の身体はまだ起きたくないと言わんばかりに揺すっても大きな反応を返さない。
「ンー……」
江風が声を大にしなかったのはワザとだ。今の声掛けも、提督の身体を揺らしてみたのも、提督の眠りの深さを測ってみたに過ぎない。
「うり♪うり♪」
提督がちょっとやそっとの事じゃ起きないと判断した江風は、提督の頬を人差し指で突っつく。
寝汗が頬に張り付いていたのか、提督の頬は少しばかりギトついていたが、今の江風にとってはそんなものは関係なし。彼女は単純に提督の頬っぺたを突いて楽しんでいるのだから。
「むぅ……」
提督の顔は突然の攻撃から身を守る為に、身体を横向きにして逃れようとする。江風の指は一旦提督の頬から離れるが、状況を把握していない獲物を狩ることなど容易い事。
「逃げんなよ~」
獲物を追いつめる事を楽しむ狩人の様に囁きながら、またまた提督の頬っぺたを人差し指でツンツンと攻撃する。
普段から提督にからかわれているお返しと、無防備に寝ているのが悪いのだ。
江風は指で提督の頬を押して頬っぺた越しにあたる歯の硬さを楽しんだり、中指を追加して頬っぺたをトントンと叩いて楽しんでいたのだが、ふと当初の目的である朝ご飯を食べて貰うという事を思い出し、名残惜しそうに提督の頬から指を離した。
因みに、この提督が起きない限り頬っぺたツンツンは毎朝やっている。
江風曰く、
『油断している方が悪いンだよ』
との事である。普段からからかわれている江風が言うだけあって中々に説得力がある言葉だ。
江風は提督の胸元辺りに手を置いて、大きく身体を揺らして彼の目覚めを促す。
「おーい、提督ー。起きろー」
今度は声量もあげて、提督の事を完全に起こすつもりで。
江風の健気(?)な目覚ましのおかげで、提督はゆっくりと瞼を開き始めた。
「んぁ……かわかぜ……?」
舌足らずながらも自分を呼ぶ提督。
「そうだよ。提督、おはようさん」
その声に応えるように江風は朝一番の微笑みを彼に捧げる。
「うん……おはよう」
江風の笑顔に釣られるように、提督は寝起き故の表情筋が緩み切った笑顔を浮かべる。
その笑顔を向けられると江風の顔色は朝焼けの様に変わる。
普段は江風にだけちょっと意地悪で、誰に対しても慇懃な提督が浮べる寝起きの笑顔。提督がこんな緩み切った笑顔を浮かべる事を知るのは江風だけで、江風のみに向けられているのだから。
「め、飯が出来たぞ!江風、先に待ってるかンな!」
提督に今の表情を見られるのを防ぐために逃げるように告げて江風はリビングへと戻る。
「うぃー」
提督は気の抜けた返事をすると、上半身を起こし身体を一度伸ばしてから立ち上がり、江風を追う様にリビングへと向かった。
* * *
常夜灯だけがついていた薄暗い寝室を出て、朝の光を一面に取り込んだリビングへと足を運んだ提督を待っていたのは、江風が丹精込めて調理した朝食と脚を崩して座っている江風。
「おお……!旨そうだなぁ!」
「だろだろー?早く食べようぜ提督」
寝起きの目を思わず見開いてしまうような江風の手作り朝食。作った江風もお腹が空いて我慢が出来なくなったのか、早く食べようと催促して来る。
提督は江風と向かい合う様に座ると掌を合わせる。江風もそれに倣う様に手を合わせる。
「ありがとう江風」
「うン」
「「いただきます」」
二人は小さく頭を下げて食材へ感謝を捧げ、食事を始める。
提督は味噌汁の入ったお椀を手にとり、口腔へと注ぐ。
鰹出汁の旨みと味噌の風味が口いっぱいに広がる。
「はぁ……旨いなぁ……」
日本人におなじみの味噌汁の味。味噌のしょっぱさも控えめで、油揚げも下処理をしっかりとしたため油っこさも感じない。文句なしの出来だ。
「にひひ~。当たり前だろ?」
当たり前だと言いつつも、内心は味が濃すぎないかとかの心配だらけだった江風はほっとしたように息をつく。
味噌汁を堪能した提督は、アジの干物に箸を入れる。力を込めずともアジの身はほぐれ様は、見る者にアジの身の柔らかさを伝える様だ。最初の一口は大根おろしを使わずにそのまま一口。
「うん。美味しい!」
アジの身は簡単にほぐれた様にふんわりとしており、脂のよく乗った身には塩味が馴染んでしつこさを感じさせない。
「うンうン」
良好な提督の反応に江風も満足げに頷く。
その次に提督が箸をつけたのは白米。白く小粒な宝石達を提督は味わう。
「旨いな……。今日の白米はいつもより甘い……のか……?」
「姉貴達に教えて貰ったんだ。にがりを入れると美味しくなるって!」
自慢げに鼻を鳴らして白米がよりおいしくなった理由を話す。
「成程な」
江風からの答え合わせを受けて提督は納得した様に頷く。
「それにしても」
「うん?」
「料理、上手になったよな。この前まで、御飯の炊き方も知らないわ調味料は勘で入れるわフライパンは焦がすわで不安だらけだったんだが」
唐突に始まった振り返り。それは江風にとっては忘れ去りたい位の過去の失態集。
「ンなっ!む、昔のことだろ!」
「昔じゃ無くて一ヶ月前の事だろ」
提督からの反論にこれ以上言い返せなくなった江風は口を塞ぎながらも恨めしそうに提督を睨みつける。
江風からの無言の抵抗に、提督は楽しむかのように小さく笑い声を漏らす。
「一ヶ月か……」
そう、江風は一ヶ月前から突如として料理を始めたのだ。つい最近まではおにぎりしか握った事が無かった江風がだ。
最初の内は悲惨の一言だった。炊飯の仕方は知らず出てくる御飯はお粥、味噌汁は塩分の塊、具材は全て乱切り、メインディッシュとなる料理達は勘調理。
どう見ても地雷な料理でも江風からの好意を無下に出来なかった提督は江風の作った料理を食した後、喜んでくれると期待していた江風にバッサリと『マズい』と言い切ったのだ。
それでショックを受けた江風はいじけはしたが、へこたれる事はせず料理修業を始めたのだ。
まずは料理が出来る姉達から懇切丁寧に料理を教わり、鳳翔と間宮達からの指導を受けて料理の腕を上げていった。
修行を始めてからの一週間後は大味さが目立つが無理をしなくても食べれる料理になり、二週間後は普通に食べれる味になり、三週間後は盛りつけや見栄えを気にする余裕も出てきた。
今は料理が美味しくなるひと手間や技を教わっている最中らしい。日々、江風の作る料理が美味しくなっているのが提督もよくわかっている。
つい先日だっただろうか、江風に何で唐突に料理を始めようとしたのか聞いた。
その時の江風の答えは、
『江風の作ったおにぎり以外を美味しそうに食べてると、なンか胸の中がムズムズすンだよ』
だった。
江風は直接口にしなかったのだが、江風は嫉妬していたのだろう。提督を喜ばせる料理を作る人達に。
何とも負けず嫌いな江風らしい理由だろうか。その時、提督は嬉しさと江風のいじらしさを感じて思わず吹き出してしまって拗ねられたのだが、何とも幸せな理由だと振り返ってみて思う。
自分は江風が独占したいと思う位に愛されてるのだと。
「一ヶ月で上手くなったな」
「全く、すっごくがンばったんだからな」
プイと拗ねたようにそっぽを向いてしまった江風に提督は苦笑を浮べる。
一ヶ月で一通り料理をこなせる位に上達するには想像を絶する努力が要される事だろう。
努力家で負けず嫌いで一途な江風はその努力を今もしているのだ。他の誰でも無い提督の為に。
「わかってるよ。江風のご飯、凄く旨いぞ」
「だろー?だろー?」
褒められるとすぐに機嫌を直す江風。そういう単純な所も江風を愛らしく感じるポイント。
「ありがとう」
「いいっていいって!それより、今日の昼飯と晩飯に食べたいものは何かあるかい?」
「江風の好きに作ってくれ。江風の料理は美味しいからな」
「なろー……献立考えるのも大変なンだからなー」
提督に不満を漏らす江風。しかし、彼女の浮かべているのは表情は晴れやか笑み。
「ありがとう」
「イイって!いつもの事だかンな!」
自分の為に食事を作ってくれる江風に感謝を述べながら、提督は再び江風の愛情がこもった朝食に箸をつけた。