<過去、Arcadiaに投稿したものの改編verです>
普通、という言葉がある。
別になんということはない、誰もが知るその通りの意味。
一応、辞書などを引っ張り出して調べてみれば
1、ひろく一般的に通ずる物事
2、どこにでも広く見受けられる共通意識
などといった説明がされたりしている言葉だ。
さて、何故俺はこんな冒頭から今時思春期まっさかりの子供でもしない哲学的な考えをしているかといえば、まぁ簡単だ。
普通という言葉の意味を深く考えたいような事態に遭遇してしまっているからである。
ここまで言えばきっと、誰しもが今回の事態はともかく原因については検討がついたであろう。
当然ながらその迷惑な存在の名前は涼宮ハルヒ。
世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。略してSOS団における団長であり、神かなんかと思うようなよくわからん力を持った局地的台風。いや大天変地異。もしくは天地創造レベルの存在だ。
流石に大げさだって?
十二分に承知している。
だが一般人からすれば、可哀想な人扱いされてしかるべき流言とか戯言なこれは、とても信じたくはないが真実で。
前途したSOS団の団員各自はそんなハルヒを見張る役目で使わされたエージェント的なやつらなのだから、これまでの人生で培ったあらゆる常識というやつは無駄だったらしい。
「キョンーっ! あんたいつまでそうやってボサっとしてんのよ」
「いや、世界の普遍について考えていてな」
「なに馬鹿なこと言ってんの? そんなことよりこっちを見なさい、こっちをっ」
「……あー、ということだが、本当にそっちを見て大丈夫なのか? 長門」
「平気、問題ない」
「ふぇ~~~、みないでくださいーーっ!!」
「こらl なんでいちいち有希に確認とってんのよ。これは団長命令よ、いいから見なさい」
「キョンくん~、お願いだからみないでぇ」
いいかげん、無視できなくなったのでそろそろ今の状況を説明したい。
場所は教室から渡り廊下を経由して一階に降り、そこから一旦外に出て別校舎へ。
入ったらすぐの階段を登り、どこか薄暗さを感じる廊下の半ばにある一枚のドア。
そこは元文芸部であり、現在の俺のいろんな意味での中心地、頭が痛いことにハルヒの存在とその取り巻きを加味すると冗談でなく世界の極地点でもあるかもしれないSOS団部室である。
で、不本意ながらその我らが部室。
ハルヒの勝手さを具現化したような備品の山が揃えられた大人版子供部屋のごとき空間に置かれたパイプ椅子に座ってドア側をじっと眺めるというある種の奇行を働いていた俺の後ろには、一人を除いたいつもの面子がいらっしゃる。
先程少しだけ声が響いた順番でいうところの、ハルヒ、長門、朝比奈さんの三人だ。
そしてもうめんどくさくなってきたのでぶっちゃけると、哀れSOS団マスコットであわせられる朝比奈さんは、卑猥といっていい格好に着替えさせられていた。
以上、説明終了。
「ウザい! なに聖人ぶってんだかしらないけど、見なさい!」
「ぶぬぅっ…」
突然、頭を両手で掴まれると、こちらの身体の向きなんて全く考慮せずぐるりと回されそうになる首。
当たり前のことだが人間の頭部というのは身体と反対に180度向けられて無事なようには出来ていない。
椅子から転げ落ちながらなんとか、まだまだ愛しい首から上との分断を這いつくばって回避する。
「ぐぇ、おまえなっ」
「あはは、なにその動き、面白すぎよキョン。カエルかなんかみたいじゃない。うん、もう一回やってみせなさいよ」
「二度とやるかアホっ! おかげで死にかけた、…ぞ」
床に打った膝が痛い。ついでに捻った腰も痛い。おまけに万力みたいな力で掴まれた頭も痛い。
だというのに、俺は文句のために開いた口をポカンと開けたまま、一挙に吹き飛んでいくそれらを忘れて硬直した。
「あぅぅぅ」
いつもの部室、そこに現れた美の化身。もしくは可愛さをまるごと具現化した聖なる妖精。
彼女は俺と視線が合うと恥ずかしさに身をすくめ、両手で布地の少ない自らの格好を精一杯に隠している。
そんな妖精の頭にぴょこりと除く犬耳。そうあの犬耳だ。
どうでも良いことかもしれないが俺は猫より犬派だ。
犬種でいえばコーギーが一番好きだが、ゴールデンレトリバーもなかなか良いと思っている。
つまりは大小関わらず、触り心地の良さそうな犬が好きらしい。
そしてまさしく、彼女についた犬耳はその通りのものだった。
「……ふかふか、ですね」
「あんまり沢山見ないでくださぃ」
「す、すみません。つい」
以前、いつだったか自称超能力者である古泉が言っていたことがある。
俺はハルヒに唯一干渉できる存在であり、朝比奈さんはそんな俺を篭絡するために送られた存在ではないかと。
だから彼女は、幼めな容姿で胸が大きくて一見弱々しくも一生懸命で可愛い、好みとしてど真ん中な姿をしており。
それらすべてが自分を絡めとり、ハルヒのよくわからんパワーを有利に扱うための材料としてある、というやつだ。
そのときは冗談抜かすなと切り捨て、お仕舞いにしていたが。
ここに来て更にこんなリーサルウェポンまで用意されてくるとなると、否応なく信じてしまいそうだ。
言いにくいことだが、魂が強く震えていた。
これでは谷口の馬鹿を笑えんではないか。冗談ではない。
頭を振って馬鹿を追い出す。
「それでハルヒ。こりゃなんだ?」
「見てわかんないの? 犬耳ビキニよ」
「それぐらい見てわかるわ、なんでそんな斬新なものが部室内にあるのか聞いてるんだ」
まだまだ落ち着いていないがとりあえず落ち着け、俺。
元凶たる主犯、いつものごとく胸を張って偉そうにしているハルヒに問いかけるが、返ってきたのはロクな答えではなかった。
そう、伝え忘れていたが彼女は、現在学生の学び舎たる学校内にいるというのに水着姿をしているのだ。
あまりにも他に気をとられ驚きは薄れたが、一般的なスタイルの高校生には似つかわしくないほど大胆な白のビキニはしかし、彼女に最高なくらい似合っていた。
勿論、付属の犬耳カチューシャを含めてである。そこは外せない。悔しいがグッジョブだ。
だがこれは、少々けしからなすぎないだろうか。
どこのグラビアアイドルかと言いたくなるパーフェクトバディと容姿に、愛らしい犬耳。
今までにも、俺にとっては幸福で彼女にとっては不幸であるが、様々に着せ替えられてきたSOS団マスコットである朝比奈さん。
部屋の隅に演劇部でもないのに用意されたハンガーラックには大量に衣装がかかり。
それら全てが彼女の温もりを一度は納めた経験を持っている。
個人的には、既にお馴染みという気さえするメイド服が好みであるが、バニーや浴衣、変わり所では豹の毛皮も中々だった。
しかし歴史はついに覆された。
やはり可憐な少女には犬耳だったんだろう。
尻尾がないのが残念だが、ビキニに尻尾というと逆に凄まじ過ぎて確実に許容オーバーするためこれで良かったのかもしれない。
駄目だ、完全に茹っている。
自覚はあるのに止められないぶん性質が悪く、症状も酷そうだ。
今日は帰ったら一旦すぐに寝よう。
その後は、家にいる犬でない毛玉でリハビリもしなくてはな。刺激が強すぎて後遺症がでかねん。
「キョン。あんた、さっきからブツブツ言ってるけど平気?」
「あぁ、大丈夫だ。問題ない」
「全然大丈夫って顔してないじゃない。あ! はは~ん。さてはキョン、あれね」
なんだよ。
「犬耳好きなんでしょ」
「……っ!?」
「本当は尻尾もつけたかったんだけど、未完成のわりに十分みたいね」
くそっ、動かせなくなった視線を追われでもしたか。
こういうときだけピンポイントで正解とか意味がわからん。
あと意地が悪そうにニヤけるな。お前のそれは似合いすぎて怖いんだ。
特撮に出てくる悪の女幹部にでも就職しろ。
「ふん! なんで幹部なんかしなくちゃいけないのよ。あたしだったら王様になるわ」
それを言うなら悪の親玉だろ。
しかしこいつは実際、その上の神様になれるだけの力を持ってるだけに性質が悪い。
というかあれか、あまり考えたくない事態ではあるが。
こいつが悪の女幹部、もとい悪の王様になったとしたらあの映画騒動を超える何かが起こる可能性があるのか。
簡便してくれ。無限に湧いて出てくる戦闘員が地球征服なんぞ冗談でしか笑えないぞ。
「世界が崩壊するからやめてくれ。それでもう一度聞くが、いったいこれは何なんだ?」
「決まってるじゃない。世の愚民どもから金を巻き上げるための集金装置よ」
「身も蓋もないな、おい!」
「まぁ、その効果もいま実証されたしね。さぁ、行くわよみくるちゃん。手始めに駅前で稼ぐわよ」
おいよせ、ハルヒ。
今の麗しい姿をした朝比奈さんでは、なまじ本気で大金が集まってしまいそうじゃないか。
ちょっとした所で済まない騒ぎが起こって国家権力が動くぞ。
「いいじゃない、むしろ望むところよ。健全な部活動に注意する前に公共風俗の乱れを何とかしなさいって追い返してやるわ」
「アホ、駅前にビキニで行こうって奴が言える台詞かそれ」
「言うだけならタダよ。もし負けても帰るだけだしね、まぁ勝つつもりしかないけど」
「んな無茶な挑戦に人を巻き込むな。ヘタせんとも停学ものだぞ」
「大げさねぇ、ビキニが駄目なら夏の海岸で逮捕の嵐じゃない」
「場所をわきまえろって話だろ」
「はぁ、わかったわよ。冗談よ冗談。まったくすぐムキになってイヤね。これだから犬耳好きは」
「ぐっ、確かにそうかもしれんが関係ないだろ」
「まったく、これだから犬耳好きは」
「わざわざ二回言う意味あんのか、くそっ」
「くっくく。あー、キョンったらおかしいわ」
****
とまぁ、なんてことがあった放課後。
好き放題したかっただけのハルヒのやつを適当に宥めすかして、それも無事終わり。
あぁ今日も平和だったなぁ、などと在りもしない平穏を口にしたのがまずかったのか、事件は遅れてやってきた。
そう、たかがあれだけの出来事であれば、不本意ながら日常茶飯事。
わざわざ普通という言葉について物思いにふけるには足りなすぎた訳だ。
そして平穏はたった一つの電話によって、あっけなく壊された。
『涼宮ハルヒの力が発現した』
「は…?」
『対象は朝比奈みくる。現在保護しているからすぐ来てほしい』
帰ってから軽く寝て、飯を食って、さてテレビでも見るかとおちついた所でチャンチャラ鳴り出す携帯。
掛けてきたのは、あまり豊富とはいえない俺の電話帳を埋め、意外なことに着信頻度も結構あったりする団員仲間。
端的な口調からもわかる通り、頼れる我らの切り札兼何でもあり担当の長門である。
しかし女というのは話し好きで、電話とくれば一時間以上もぺちゃくちゃやらかすもんだと聞いたこともあるが、少なくとも俺は長門がそのような状態になったのを見たことがない。
いや、時折あるわけわからん事態に対する長文説明は別だが、あれはあれで女子一般の範疇でないのは確かだ。
ともあれ連絡を受け、向かった先はもう何度訪れたか分からない高校生の一人暮らしには不釣合いな高級マンション。
ご立派な玄関にちゃちな泥棒など寄せ付けないとばかりの威圧感あるエントランス。
なんとなくここに来ると、自分がトレンディードラマの登場人物にでもなったような気さえしてくる。
実際はファンタジーで俺にとっちゃミステリー。あとは気分的にハイサティスファクションだが。
背筋を若干伸ばし、エントランス左手にあるインターホンパネル前に立つ。
忘れられる筈もない三桁の番号。
708をテンキーで入力し呼び出し用のベルが付いたボタンを最後に押す。
少しの静寂。けれどもそう間を置くことなくぷつんと音がしてインターホンが繋がる。
「長門、俺だ」
『入って』
「おう」
ツーといえばカー、とも表現すべきやりとりの後、解除される自動ドアのロック。
カシャン。ブンッ、ィィーン。
厳かに開く、集合玄関。
誰もいない空間に密かにそれらが響き、そこにタイル張りをコツコツと進む足音が加わる。
やがてエレベーター前にたどり着き、乗り込み、上昇し、ドアから出てそう歩くことなく708号室の前へ。
いつかと、いつものようにベルを使わず扉へノック。
人気が近づく気配はないが、不思議能力を横着に使うここの主の意向に沿って電子錠が遠隔から解除される。
便利なものだ。もしかしたら入り口エントランスでも同じ力を使っているのかもしれない。
「入るぞ、長門」
同棲しているカップルとてもう少し気を使うのではないかと思えるぶっきらぼうさで、見慣れた長門の部屋に上がりこむ。
そこに広がる、一人暮らしの若者が一度は目指すアール・デコ風の整然さとも違う、生活感が薄いだけの居住空間。
段々と物が増えちゃきたが、少し前まで部屋にカーテンすらない場所だったからな、ここは。
あの無頓着星人にはまだまだ地球を勉強してもらって早く馴染んでもらう必要がありそうだ。
そんなことを考えながら靴を脱ぎ、フローリングの廊下を進み、リビングに歩を進める。
やはりというべきか、そこには威風溢れて鎮座まします制服を着た長門の姿。
いや、実際そんなことはないだろうけど、様々なアレコレを知っている今となってはもう、ただのか弱い少女とこいつを思うことはないだろう。
そしてその隣にはもう一人。
「あれ、朝比奈さん? っと、お邪魔するな、長門」
「いい、座って」
「……えと、こんばんわ、キョンくん」
電話口の言葉から予想できていた筈だから、わざわざ驚く必要もなかったからおかしな反応だったかもしれないが。
その疑問は彼女の存在ではなく、格好に向けて放ったものだった。
彼女の頭には室内だというのに何故か、ほわっとした深い頭巾のような帽子。
体勢も変に縮こまっていて、如何にも困っていますという様子。
そして彼女もまた、学校帰りから直接ここに来たのか制服姿をしている。
「それで今回はいったいどうしたんだ?」
「涼宮ハルヒの力が発現した」
「あぁ、そりゃ聞いたが」
「対象は朝比奈みくる」
「それも聞いたな」
と、視線を改めて朝比奈さんに移す。
ほわほわ可愛いお顔を今は困惑に歪め、相変わらず室内だというのに頭巾?を被りっぱなしな麗しの美少女。
そこで俺はある不思議な点に今更気がついた。
小柄な体格。
愛らしい童顔。
微妙にウェーブした栗色の髪には艶があり。
潤んだ瞳と密かに震える唇、その他あらゆるパーツが織り成す顔の造詣は、問答無用の可愛さを作り上げている。
あと巨乳。
うむ、まごうことなき完璧な萌えキャラだ。
いやいやまてまて、違うだろう。
今言いたいのはそういうことじゃない。
「すみません、朝比奈さん。その帽子っぽいものをとってみてもらえませんか」
「…うぅ、はい」
「っ……ぁ」
どこか悲しげに「でもしょうがないよね」という諦めを交えながら頭巾か帽子かわからないものに手をやる朝比奈さん。
ある一つの予感に身を硬くしてその光景を注視していた俺は、しかし驚きを抑えることは出来なかった。
布地の下からふわりと現れる二つの物体。
それはつい数時間前、放課後にも見たあの素晴らしき、もふもふの具現。
否、先の偽物とは異なる魂の篭もった本式。
犬耳、リアルバージョンだった。
「ど、どどどどぉ」
「落ち着いて」
「いや、だが、…長門、これは」
「犬耳」
「あ、うん。そうだが」
「今は隠しているけれど犬尻尾もある」
「なっ!? どこなんだそれはっ! あと形状は? 耳はコーギーっぽいから尻尾はカーディガンのちょんもり尻尾か?」
「ふぇぇぇん、キョンくんスカートめくらないで~」
くっ、駄目だ。
手を止めたい気持ちは山々なんだが、朝比奈さん、あなたが犬耳をぴくぴくすればするほど熱が胸くなって。
「落ち着いて」
ぼこん!
「…うぐ、すまん、取り乱した。朝比奈さんにも大変申し訳ないことを」
「い、いえ、ちょっとびっくりしましたけど平気ですから」
クールを通り越し、静かなること山のごとしを忠実に体現する長門にとっては珍しい物理的直接攻撃な突込みを浴び。
ようやく、遥か彼方へ旅立ちかけていた脳が正常稼動へあと目前とぐらいまで戻る。
野獣のごとき豹変におびえていた朝比奈さんにも丁重に土下座し、居住まいを正したあとは視線を下げて俯く。
長時間の直視はまだ危険と判断してのことだ。
「話を戻す。これは恐らく部室で着用したカチューシャに宿っていた“犬耳美少女とはこうあるべき”という製作者の深い願望と、涼宮ハルヒが考えていた“特殊性癖の人間に対し、強い影響を持って魅了しろ”という願望が相互作用を起こしたことで偶発的に起きた事象。本来カチューシャだった物質がこうして変容したのも、より強度を増すためと想定される。この強度想定における基準は恐らくあなたに全てが委ねられている。それは朝比奈みくるに装着されたカチューシャに対するあなたの反応が大きいものであったから。しかし本来、涼宮ハルヒはあなたに特別な執着を持ち、それを許していない。だけど、今回の場合に限り彼女はこれを例外と見ている。理由は犬耳をつけた朝比奈みくるに対するあなたの反応が、あくまで純粋な嗜好からくる好意だったと認識したため。これは涼宮ハルヒがあなたの妹に感じている認識にほぼ類似する。つまりは愛玩に近いもの。よって非常に希有な状況が成立している」
「ふむ、何でも俺の思い通りになるってことか?」
「概ね、そう」
「え? え、ええ?」
相も変らぬ息継ぎを感じさせないマシンガントーク。
いやまぁ、マシンガントークという響きから連想するとハルヒの方がよっぽど似合っている気もするのだが、しかしあいつほどになるともはやガトリングの十字放射かそれ以上となるので、やはりマシンガントークの座は長門でいい。
その、いつもならばあっけなく投げ出していてもおかしくない集中攻撃を浴び、けれど今夜の俺は全く無傷だった。
なにせ信じられないことだが、この全知全能としか思えない宇宙人の言葉は、脳ではなく魂に染み入るほど俺の望み通りなのだ。
好きこそ物の上手なれ。
まさしくそんなことわざが相応しく、自分の好みな物事には知識も熱意も集中するから理解力があがる。
しかし、念のために確認はせねばなるまい。
誘蛾灯にふらりと寄っていったら世界が終わりかねないのがここ最近の常だ。
普段から、傍にはいつも太陽を目指して突き進む団長様もいらっしゃるしな。
「しかし、それでは朝比奈さんの意思があまりにも蔑ろになっていないか?」
「それについても問題ない。今の朝比奈みくるは、わんことなった朝比奈みくるであり、言うなればみくるわん。このため、彼女と彼女の異時間同位体が憂う後身を気にする必要はなく、内外の観測者達に考慮すべき影響もない。又、朝比奈みくるが持っていた私心はどうあれ、みくるわんはあなたに多大な好意を抱いている。今も本当はごろごろ甘えて擦り寄りたいとずっと思っている。それら全ては今回行われた涼宮ハルヒの力の発現によるものであり、同時にそんな彼女に対するあなたの感情も一時的な特異と見るに事足りる。ならばそこに生まれた可能性がどう帰着するかはもう別問題」
「なるほど、犬に噛まれたと思えばいいと」
「概ね、そう」
「え、ええっ!!」
長々とあったが、簡潔に説明するならばこうだ。
今日の放課後の出来事、犬耳コスプレの件が発端となってハルヒのはた迷惑な力が発動。
その際、必死で宥めすかしてお流れになった集金計画に心残りがあったかしらんが、それも含めあいつは朝比奈さんに犬耳つけて愛玩的な役割でもやらせたら俺の反応が面白い、とでも考えのだろう。
それが他ならぬハルヒ以外の存在が思ったことならば、馬鹿いうんじゃねぇの一言で済んだ。
しかし現状、俺の目の前には犬耳に加えて尻尾までついている、リアルけものっ娘少女。
更にここからが大事なことだが
「なぁ、長門。みくるわんとなった朝比奈さんを元に戻すにはどうしたらいいんだ?」
「簡単、あなたの持つ欲求を満たしたら良い」
「ふぇぇーーっ!!?」
やはり、そういうことなのか。
目を白黒させて驚く朝比奈さんには悪いが、どうやら今回の事態はなんとも特別性らしい。
なにせ他称宇宙人であり、自称情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースである長門が「非常に希有な状況」と言うほどのこと。
今まであった世界改変クラスのトンデモに規模さえ劣るが、俺もたしかに珍しいことには同意せざるをえない。
予測が合っているのだとすれば、ハルヒの持った「特殊性癖の人間に対し、強い影響を持って魅了しろ」という願望に対し、目に見えることのない魅力たる数値を算定、具現化させる役割を持つのは俺なのだ。
それはこれまであったどんな状況にもなかった要素である。
「それ以外の方法。例えば、おまえの持つ力で何とかすることは出来ないのか?」
「多少の齟齬はあれ可能。でも、涼宮ハルヒが他者にその力の一端を委ねた今回の事態は貴重」
「つまり?」
「情報統合思念体は静観を指示してきている。わたしもあなたと朝比奈みくるに不都合がない限り静観したい」
「だが、俺はともかく朝比奈さんにとっては既に絶賛不都合発生中だと思うが」
「それは表面上。だからこそこうして選択の機会が成り立っている」
機会? 本当にこれを機会と呼んでいいものなのか?
今やあわあわを通り越して、もじもじを経由し、すっかりめっきり白く燃え尽きてしまったような朝比奈さんに視線をやる。
長門はそんな俺たちに構うことなく、いや、別の意味では構ってくれているのだろうがお茶を入れに立つ。
程なく人数分の湯飲みが置かれ、三人が共に無言のまま淹れられたお茶をすする。
ずず、ず、……ごくり。
言葉なく、だけど目線で徐々に彼女へ向かって「大丈夫ですか」と確認の意思を送り。
ようやくそれに返事が来たのはお代わりで再度淹れられたお茶がいい加減無くなる頃だった。
「あの、朝比奈さん。変におもんばかるのとか苦手なんで、かなり直接的に聞いていいですか?」
「うん、……はい」
「朝比奈さん的に、今回の件はどうお考えなのでしょう?」
可哀想なほどに庇護欲をそそるおどおど顔。
それがやっとこそさ落ちついてきた所でこんな質問をするとは、我がことながらなんて酷いやつだろうと思う。
だってこの問いかけに逃げ道らしい逃げ道はないのである。
ここで絶対の力を持つ、穏便であろう解決の手段を持つ宇宙人は静観の姿勢。
そして彼女の言うことには、朝比奈さんの背後、きっと大人バージョンの朝比奈さんも含めてそちら側の組織も静観。
で、今回に限りなんとか出来るかもしれない力を授けられた俺でさえ、根本的な想いとして静観。
もとい積極的介入の意思を持っているのだ。
無論、ここでどうしても嫌ですと言われれば、あの手この手を使って何とかしてやろうと考えているが、こんな状況では立場的にも心情的にも嫌だとは言いにくいだろう。
……あー、うん、そうだよな。
長門から少し気になる発言もあったが、わざわざ追い込むような真似をするのはフェアじゃない。
このやり方では、まるでまったく脅しそのものだ。
「いや、申し訳ない。やっぱり、ここは別の手段で」
「待って! キョンくん」
「えっ……?」
「あの、確かにあたし、すごく困惑してますけど、不思議なことに嫌じゃないみたいなんです。だから」
きゅっと制服の端を自分で握り締め、向けられた瞳にはもう怯えの色は殆どなかった。
もしかしたら犬耳に異常なまでの反応を示した俺に配慮してくれているんだろうか。などと瞬間思ったが、どうやらそれとは違う、彼女自身の意思ともいうべきものが立ち昇るのが分かった。
おかげで時間がかかりはしたが、処理能力の低い俺の頭にも朝比奈さんの言葉の意味が浸透していく。
「良いんですか?」
「はい。……あ、でも、あんまり酷いのはやめてくださいね?」
「それは、もちろん」
といっても、わんわんになった朝比奈さんをどう好きにしてもいいという条件はあまりに破格だ。
元々からして隣に立つのも気後れしてしまいかねない美少女である彼女。
そこに倒錯的なプレイともいえる、わんわんが加わるとなればちょっと精神がアブダクトされかねない事態といえる。
俺とて本物の犬に通じる愛玩的感情とは別に思春期男子的な強い欲望もある。
四つんばいになったみくるわんに首輪つけてお散歩したい、とかいうぶっ飛んだ想像すらギュンギュン浮かぶのだ。
危険極まりない。
などと、不用意にもぼんやり考えてしまったのがいけなかった。
スパンと、
本当に予兆もなくスパンと湯飲みを置いてフリーになっていた手のひらがいつのまにかコードのついた持ち手を握っている。
なんだこれは、と視線は自然と長く伸びたコードの先にいる朝比奈さんに向かい
「ぶぼっ、…!!?」
「え? ふわっ、わわわわわ」
コードは彼女の首筋に伸びていた。
正確には、これまたいつ付いたのかもわからない彼女の首輪へと。
若干余裕のある構造をしているのか当事者二人が共に驚いても「ぐぇっ」となることは無かったが、安心できたのはそれだけだ。
「キョンくん、見ないでーっ!!」
「す、すみませんっ」
加わる物あれば、減る物あり。
明らかにペット用とおぼしき首輪と散歩コードが増えた代わり、綺麗すっぱり消されてしまったものもある。
それは朝比奈さんの着ていた服全て。
表層を覆っていた北高制服のみでなく、だからつまり上下の下着すらも綺麗さっぱり無くなってしまい。
おかげで彼女は突然の事態により全身くまなく肌色に。
あっけにとられ、わけもわからない驚きでまじまじと各部確認してしまい、慌ててそっぽを向いたが既に時遅し。
まぶたの裏に鮮明に残ってしまった美少女の姿。
それは芸術家達が絶賛するヴィーナスを個人的には一桁超えた神聖な美しさ。
もう出来るならば、脳内美術館のメイン展示物として毎日でも眺めたい光景だ。
恐らくそんなことをすれば鼻血だけで出血多量になる自信があるが。
「すっ、あのっ、…ちょっと、部屋をでますので服をなんとかっ、いや、ほんとうにごめんなさいっ!」
「うわぁぁぁん」
バタバタと長門家のリビングを逃げ出し、浅からぬ事情で中腰のまま玄関まで避難。
背後からは何とも表現できないケモノのような泣き声が聞こえる。
しかし、いったいなんだというのだ。
ぜーぜーばくばくと痛む肺と心臓を深呼吸でいたわりながら、出来るだけ肌色を思い出さないようにして先程の原因を考える。
ハルヒの力で朝比奈さんはわんこに。俺には彼女をより萌える存在に改竄する力が身に付いた。
治す方法は俺が彼女、みくるわんがもうこれ以上ないくらい可愛いわんこになったと満足すること。
一応、長門も治す方法を持ってはいるが、出来れば上記のやり方で解決してほしいと長門もその親玉も思っている。
朝比奈さんも困惑気味ながら了承。
そこで俺が妄想たくましく、彼女に首輪つけてお散歩したいと思い浮かべてしまった。
直後、みくるわん肌色に。
しかも首には、犬用の首輪とリードのための紐。
あまり考える必要もなかった。
明らかに俺の所為。というか突然に謎の力を得てしまった愚か者による暴走だった。
ハルヒよ、すまん。
お前を常々暴走超特急と思い、辟易してきたが、俺より数倍マシかもしれん。
このままではいったいどんなエロ恐ろしい事態が起こるのか自分でも想像がつかない。
何でも適うということがこれほど厄介だとは想像だにしなかった。
神様ってやつも大変だな。こんなもんあったら絶対破滅する。
いや、神話って結構ろくでもない話が多いし、彼らも彼らで苦労したのだろうか。
今ならその気持ちの一端が理解できる。
南無南無。
「えと、キョンくん」
「え、あぁっ、は、はいっ」
「一応、入ってきて大丈夫です」
「そ、そうですか、では、失礼させていただきます」
なんて狼狽し、役にも立たない考察と反省をする間にも、朝比奈さんの方はなんとか立ち直ったようだ。
いや、違うか。何につけても今この現状を改善するのは俺か、俺の意思が必要であると考えたんだな。
このあたりの気持ちの切り替えは、さすが上級生と尊敬の念が浮かぶ。
誰かに道を示してもらわないことには中々動くことの出来ない自分では到底持ち得ない強さだ。
とにかくこちら側とすれば、それに甘んじることなくまずは謝罪だ。
故意ではなかったにしろ、乙女の柔肌を無理やり暴いてしまったのは確か。
示談金を出すなら貯金を全てはたくのも覚悟しよう。
勿論、それ以上というならば出来る限り応じる。
そう思っていたのだが。
「じゃあ、恥ずかしいですけど行きましょうか」
「気をつけて」
「はぁっ!? いや、待ってください。やっぱ辞めませんか? 危険すぎます」
「けど、こうしないと元に戻れないし」
「それについてはもっと深く広く考えてみましょう。きっと他に良い手立てが」
「今のみくるわんの状態を完全にレジストできるのはあなたの欲求を満たすしかない。それ以外の方法は誤魔化しに過ぎない」
「ぐっ、このタイミングで退路を塞がんでくれ、長門」
「でも本当のこと」
リビングに入った俺を待っていたのは、タオルケットをぐるりと全身にかぶりこちらを窺うみくるわんと、特に何も変わることなく整然とした様子のいつも通りの長門だった。
なにはともかく、すかさず予定通りに謝罪。
その後、何故みくるわんがタオルケットに包まれた状態だったのかを聞いた俺は思わず唖然としてしまった。
彼女の着ていた制服ともろもろ、それ自体は部屋の片隅に畳まれて置かれていたらしいが、いざそれを着なおそうとした所、あれよあれよとよく分からないうちに畳み直して、床に置いてしまうらしい。
三度挑戦して諦めて、しょうがないから長門の服を借りようとしたがこれも駄目。
どうにもいかないのでタオルケットをかぶることになったそうだ。
これについては長門曰く、「みくるわんをわんことして見るあなたの深層意識」が原因じゃないか?ということだ。
確かに俺は服だけならともかく、下着までつける犬などありえないと思っている。
そしてたまに見かける、ペットに服を着させて散歩させる飼い主をなんとなく毛嫌いしていたのも確かだ。
よってわんことなった朝比奈さんは素っ裸がデフォとなり、服を着ることが出来なくなっているとのこと。
これについては何とか考えを改め、下着は不可だったが上下一枚ずつの制服だけを着させてあげることは出来た。
だが、それだけ。
ブラウス一枚では溢れんばかりの何かが透けて見え、下も下で尻尾が邪魔になって簡単に布地がめくれ上がる。
よってタオルケット再びである。
しかしそんな状況にも関わらず、朝比奈わんこ、改めみくるわんはまだ散歩に行く気持ちがあるらしい。
なんともあっぱれな覚悟。
世が世なら一角の武将にもなれたかもしれない。ただ、それ以外があわあわだからやっぱり無理か。
それにつけても何故平気なんだ? 女の子がほぼ裸で首輪をつけられて外を散歩だぞ。
長門が通常空間から特定の空間を切り出し、位相を操って認識をずらす結界とやらを使用してくれるから問題ないらしいが、本当なら即お巡りさんに捕まってしかるべき裁きを受けなくてはならないような所業だ。
無茶すぎる。
「ね、キョンくん。長門さんの言うとおりこれが一番確実な手段ってことは間違いないみたいですし」
「それにしたってあまりにも」
「あたしなら平気です、なんとか頑張ってみせます。だからキョンくんも上手く手伝ってくださいね」
「は、…はぁ」
「それに」
……形は不自然だけど、何もかも全部気にせずデート出来るの、こんなことがなくちゃ不可能だから。
「え、…?」
「う、ううん。なんでもないんですっ! それよりほら、どんどん時間が遅くなっちゃう」
「むぅ」
途中、ぽしょぽしょぽしょっと何か言葉をこぼし顔を赤らめた様子が少しだけ気にかかったが、ここへ来たのだって夕食後だからぐだぐだしているうちにもう結構な時間帯だ。
あまり長く悩み続けることも出来ないし、明日にも響く。
「すみません。じゃあ、ちゃっちゃと終わらせて解決しましょう」
「はい」
「なんとか安全に終わらせてなるべく見ないようにしますから。申し訳ないですが暫くの辛抱を」
「うん、キョンくんのエスコートを信じてますからきっと平気です」
****
そうしてついにスタートすることになってしまった深夜のお散歩。
俺の手にはペット用のリード。繋がる先は当然ながら危うい恰好の朝比奈さん、もといみくるわん。
うん、もう精神的にいろいろマズいからいい加減腹を据えよう。
彼女はいまわんこだ。変に気を使いすぎていちいち恥ずかしさを刺激させるのはよくない。
やりすぎは絶対にしないし、全身全霊で守り抜くことには変わりないが、いつもの彼女とは別だと思って対応しよう。
「さて、行きましょうか?」
「はい、……わん」
「ふぐっ!!」
玄関をそっと音を立てないように出て、いざみくるわんと進もうとした矢先、腰がくだけた。
「あ、ごめんなさい。変でした?」
「いえ、すごく可愛いと思います」
「そうですか? えへへ」
おい俺、なにを言ってるんだ。なぜ止めん。
そしてみくるわん。どうしてそう楽しげなんだ?
「では改めて出発します」
「はい、わんわん」
結局、彼女のふんわか笑顔にほだされ。開始早々に中断した散歩が、よりわんこと飼い主っぽくなった状態で再開される。
但し、常に前を行くのは様々な面を考慮して俺だ。
はっきりいって後ろを歩くと見えてしまうのである。その、彼女のアレとかアレがだ。
上はブラウス一枚で、下はスカート一枚。
しかもお尻から突き出した尻尾がふりふりと動き回るおかげで、立っているならまだしも四つんばいだとかなり危ないことになる。
だというのに、みくるわんはまるで本物のわんことまではいかないが、かなり無防備だ。
今だって返答の際、よいしょと首を上に向けて一生懸命こちらの顔を覗いてきていたが、そうすると透けたブラウスからご立派な女性の魅力がふんだんにアピールされてしまうのだ。
それが無くたって、このシチュエーションだけで男ならば十二分に鼻血もの。
なんとなく分かっていたから目を逸らしていたが、そうでなかったら中腰になって出発は更に遅れていただろう。
おっと忘れずに首をとんとんしておこう。予防というのは大切だからな。
「キョンくん…?」
「あ、すいません」
先程から謝ってばかりだな、俺は。
だけどもなんとなく、この謝罪の回数はまだまだ伸びていく確信がある。それだけ今の状況はやばい。
そうして行きに来たときとは逆にエレベーターを降りて、エントランスホールから外に出る。
ちなみにみくるわんはずっと膝をついた四つんばいのわんわんスタイルだ。
痛くないのかって?
どうやらその辺りは、いつの間にか平気なようになってしまっていた。
ここでちょっと説明しておくと、現在みくるわんにかかっている力は大まかに三つある。
一つ目は勿論、彼女がわんわんになってしまっていること。
二つ目は殆ど裸の状態で服が着れなくなったのと首輪が外れなくなったこと。
最後に長門にやってもらおうと思っていた他人からの認識遮断を含め、散歩における懸念が幾つか消えていること。
前二つはともかく、後ろ一つはなんとも安心な話だが。じゃあどうしてこうなったかとなると難しい問題になる。
どうしたって完全な正解を知る術は持たないのだから考察は無駄かもしれないが、けれどそれでわかったこともある。
なんと、この現象にはストッパーがあるらしい。
らしいというのは長門による推測のためだが、あいつの言うことならほぼ間違いないと俺は信頼できる。
あいつは嘘を言わないし、あいつが分からないような事柄は人類の誰にだって分かるわけがない情報だからだ。
そんなわけでほぼ確定情報扱いとなるそのストッパー説だが、どうやら元の朝比奈さんの意思が関わっていて彼女が本気で嫌だと思う事態は絶対起きないように出来ているというのだ。
正直、なんじゃそりゃと思った。
だって彼女は現在進行形でわんわんとして散歩中なんだ。
もし自分がそうなったら世を憂いて身投げしかねん事態と言っていい。
でも、本人に確認をとったところ顔を赤くし、はわわと困った様子だったがぎりぎり我慢できる状況だと口を割ってくれた。
当然ながらそこには俺や長門に対する気遣いが多分に含まれていることは間違いないだろうが、それにしたって凄まじい忍耐だ。
だが彼女はハルヒによる数々の仕打ちをうけても、最終的には笑って許してしまえる聖女みたいな人。
本当に我慢してしまえるのかもしれない。
しかしここで重要になってくるのが、朝比奈さんにふりかかった謎の力において、ただ一つだけ起こった例外だ。
それは一旦全裸の状態となって服が着られなくなった所から、限定的だが上下セットの制服を着用できた事である。
このとき肝心なのは同じく長門のあげた仮説。
彼女を裸にしてしまった要因が「みくるわんをわんことして見るあなたの深層意識」であったというやつだ。
確かにそれによってみくるわんは犬としての通常形態である全身肌色となってしまった訳だが、そもそも俺は根本的にわんこは勿論朝比奈さんについても酷いことなどしたくはない。
これが前提にあるとすれば、彼女の意思がストッパーとなっている可能性は極めて高いのかもしれない。
だって俺は朝比奈さんに本気で嫌だって言われたら、結果として自分が酷い目をみるとしたって何かすることは絶対出来ない。
なのでもしかしたらだが、彼女に強い否定の意思があれば、このわんこ化を最初から消してしまえたかもしれない。
と仮説だらけの推論により幾ばくかの安心を持っていられたのは、散歩が始まって五分ほどまでのことだった。
「あ、ちょっと止まって下さい。わん」
「ん、…どうしました?」
マンションを出て暗がりの道を歩くこと暫し。
幸いなことに見える範囲の通りに人影はなく、それでも警戒と緊張でドギマギしていた背中に子犬のような可愛い声がかかる。
「そのままこちらの方に」
「えっ、はい」
「じゃあ、少し待っててくださいね」
「? まぁ、いいですが」
慣れない四足歩行のため、テシテシとゆっくり進行していた散歩がみくるわんの意向で停止する。
訳も判らずその後の指示に沿うと、やってきたのは道路の端っこ。
この時点でなんとなく嫌な予感はしていたが同時にまさかと楽観もしていた。
確かにわんこならやるのが当然だとしても、さきほどの考察からいってスルーされて当たり前と思っていたからだ。
だが
「ちょっ、えっ、うおっ」
「ひぁっ、キョンくん、今はこっち向いたらだめですっ!」
「ご、ごめんなさい。本当に申し訳すいませんっ」
ずっと続けていた四つんばいからよっこいしょと腰を落ち着け、手を地面から離す、みくるわん。
そうして形作られるお尻を浮かせた体育座り。
これから何をしようとしているなど、考えるまでも無かった。
犬のお散歩に必須の行為。マーキングという奴である。
いや、じゃなくて、待ってください。一言声をかけてからしてもらえば目線をやることなんてしませんよ。
ていうか、あわわわわわわ。
「それ絶対だめなやつですから! それだけは無しで! ほんと無しでお願いします!」
「ふぇぇー、……」
あなたは曲がりなりにも女の子で。まぁ今はメス犬ですが、ってメス犬なんて表現するとなんか一気に卑猥さが増して。
くそう、犬耳美少女の野外散歩マーキング(未遂)とか、もう本当に危険すぎて訳が分からなくなってきた。
「だって、唐突におしっこさせてって言うの恥ずかしかったですし、……くぅん」
そんなもん絶対いまよりマシな恥ずかしさだと断言できますから。いきなり冒険しないで下さい。
ん? まてまて、まずそこが問題だろう。
幾らなんでもマーキングは駄目だ。
道路の端っこでそんなことするのは酔っ払ったおっさんぐらいで小学生だってやるなら隠れた場所でやる。
あとは本物の犬ぐらいだが、んや、現在の彼女はわんこではあるが、しかし大部分は女の子であり外でおしっこなど。
どうにかこうにか説得し、認識を改め、犬的衝動を留めてもらう。
さすがにそれは理性がやばい。心持ち中腰の体勢になってしまうのも仕方がないだろう。
身体の奥で何かが跳ね上がり、密室へ投げられたスーパーボールみたいにして駆け回る。
もはや萌えを通り越し、ぼえーっとなってきた感がある。
「キョンくん、はやくー」
「って、先に行かないでください。ちらちら見えそうっていうか、あ、危ないですからっ」
****
かくして散歩は続けられ、俺達はたまたま通りすがった他人との遭遇八回、再びのマーキング(未遂)一回という経緯を辿り。
最終目的地に指定していた小さい自然公園へ来ていた。
「どうぞ、ただの缶ジュースですが」
「わぁっ、ありがとうございます、…わん」
俺のなかの貧相な頭脳が導き出す犬の散歩の定番といえば、家から往路三十分以内の範囲を回りつつ、途中の公園で自由に遊ばせてやり、満足したなら帰る。というものだ。
そしてこの漠然とした感覚こそが、現在実地している散歩の重要な指標となっている。
俺が彼女を可愛い愛玩的な存在として扱いその魅力を高め、満足することで今回の騒動は終息する。
だからこそのわんこ扱い。
ただ長門の家でお茶を飲んでいたように人間扱いするのも、きっと反則ではない。
なのでこうして労いと謝罪と胸に秘めたお礼を込めて、誰もいない公園のベンチで一息つく彼女に飲み物を進呈しているのである。
「それにしても参りましたね、意外とこの時間でも人が居て」
「はい、驚いちゃいました。でも、キョンくんが庇ってくれたから心強かったです」
いざその時が訪れると、実際に不思議な認識阻害の力とやらが効いているか心配もあり焦ったりもしたのが。
どうやら俺も含めて完璧にその機能は発揮されているようだった。
その際、びくびくしたわんこが足の傍にまとわりつき、何かがふにふにしたりすべすべしてきて、そっちの方が厄介だった。
どうにかこうにか公園にあるベンチに赴き、みくるわんを待機させ、進んで飲み物調達役となったのはそのためだ。
はぁ、やたら疲れた。
咄嗟にコーヒーを選んだが、このぶんだと俺もみくるわん用に買ったオレンジジュースでよかったかもしれん。
理性フル稼働のおかげで脳が焼け付きそうだ。
「ね、キョンくん。なんかこういうの、楽しいですね」
「あー、確かにそういう感情があるのは否めません」
「むぅ、その言い方だとなんだか嫌々みたい」
「まさか、遠慮なく表現すれば最高な気分ですよ。ほんとに」
特殊な状況。夜の公園。ベンチに二人。
こうしているとあの七夕の夜を思い出す。
タイムトラベル時の強烈な不快感でぶっ倒れ、朝比奈さんの膝枕を味わえたあの日。
その後すぐ朝比奈さん大人バージョンの到来により慌しく事態は進行していったのだが、それさえなく、ついでに時間的余裕もあれば是非とも若者的会話にでも勤しみたいと思ったものだ。
なんて考えていると突然ふとももの上に重みを感じ、えっ、と意識が戻された。
「わぅん」
「あのー、みくるわん?」
「ふふふ、……くすくす」
この状況に考えることは一緒だったのか、はたまた俺のよこしまな希望を読まれたのか。
先手を打ち、俺の脚を枕に寝転ぶみくるわん。
ここからでは顔の表情は見えないが、代わりにふかふかの尻尾と耳がこれ以上ないくらいご機嫌な様子で動いている。
うーん、無邪気だ。
人気のない夜の公園で男と二人、って状況はもっと過敏なくらい意識してしかるべきだと思うのだが、まったくの無警戒。
それはもう俺のベッドで安眠を貪るシャミセンなみと言っていいほど安心しきっている。
肉食動物からしたらまるまると美味しそうな羊だというのに、その目の前でぐーすか寝てしまう危うさ。
本人に自分が極上の美少女だという自覚はないのだろうか。
「キョンくんの太もも、かたいですね」
「まぁ、男ですからね。快適な寝心地は提供できません」
「んーん、快適ですよ? こうしてるとすごく安心して」
ごろごろごろ。
「ね、キョンくん」
「はい、なんでしょう?」
「なんでもないです、…ふふー」
上目遣いでこちらを見て笑ったり、枕にした俺の脚を指でつついて遊んだり、さっきから凄く楽しそうなみくるわん。
わんことしたら散歩が嬉しいのは正常かもしれないが、しかし人間として見たらかなり酷い目にあっている筈なのだがなぁ。
だいたい、服もろくに着させず首輪をつけ四つんばいで外を散歩、なんてどう考えたって軽蔑ものの行為。
俺の所為ではない、といいたいとこだけれど、そうとばかりも言えない今回のドタバタで。最悪、口もきいてもらえない事態だって有り得ただろう。
それでもこうして嬉しそうな感じでいられると、ほっとすると共にこちらまで嬉しくなる。
我慢できず、耳をなでなで。
感触はふにふにのふあふあ。
みくるわんもその行動に目を細めて気持ち良さそうだ。
なんとも和む可愛いわんことのやりとり。
けど、
「ね、キョンくん」
「はい、今度はなんですか?」
「キョンくんって、キス、したことありますか?」
そこへ唐突に投下されるドキっと1オクターブほど鼓動が高まる質問。
「いえ、……一度もないですが」
「えへへ、そっかー」
顔の表情は依然として見えない。
でも犬耳がちらちらとこちらを気にして、答えのあとには犬尻尾がふりふり暴れている。
くぅっ、危ない。あんまりそっちに視線をやると目の毒すぎる。
スカートなんかとっくにめくれ、肌色が殆ど丸出しだ。
否応なく、高まった鼓動がビートを刻みだす。
「じゃあ、好きな人っていますか?」
「え、あ、しいて言えば朝比奈さんですかね、やたら可愛いし…………って、ぬおっ!」
「ふあっ、わわ」
原因をあげるなら脳が茹りきっていた、というほかあるまい。
男なら誰でもが一度は受けてみたい魅惑の質問。
ゆるい空気に当てられ続いていた意味のない会話の最中、ふと紡がれた告白の定番みたいな会話。
こんな状況がにわかに信じられず、ついぼんやりと迂闊に地滑りを起こした己の口。
覆水盆に返らず。
後悔は先に立たず。
口は災いの元。
いつの世にもこれらを気をつけろと沢山の格言が残っているというのに、人は失敗を繰り返す動物らしい。
「えっと、さっきのはほんとのほんとに?」
「うっ」
「どうなんですか、キョンくん。大事なことですよ」
「嘘ではないです」
「それじゃあ、ほんとなんだ」
「そう、なりますね」
だが、そんな切欠が言い方向に転がることだってあるらしい。
どうしても歯切れが悪くなる俺の言葉にどんどん被さってくる追撃。
その様子は宿題を教えてとせがむ妹だったり、調子に乗って勢いずくハルヒのよう。
だからなし崩し的に気持ちを白状させられて、そのたびにパタパタする尻尾から彼女の感情も読み取れてしまう。
気が付けば、頬を染め、どこかいたずらっぽい顔がじっとこちらを見つめている。
なんとも俺の琴線に触れる「遊んで遊んで」とせがむ、わんこのような表情。
その顔がそっと近づいてきて
かぷ
首筋にかみついた。
「はむ、はむはむ。……うん、よし」
「いえいえ、なにをしてるんですか」
「ふぇ、わかんないですか?」
「わかりませんよ。今の流れのどこに噛み付かれる要素がありました?」
「だってキョンくんが言ったんじゃないですか」
「え、…?」
「“犬に噛まれたと思えばいい”って」
だから、今からのキョンくんは好き放題されても文句いえないんです。
そんな言葉と共に、そっとベンチに押し倒される。
上に乗るのは、学園のアイドルであり、SOS団唯一の癒しキャラであり、守ってあげたくなるような可愛らしい先輩。
それが星を背後に降ってきて
近づく顔と顔。
ちゅっと音をたて触れ合う唇。
離れる間際にはぺろりとおまけつき。
「いまだけ、ほんのちょっと夢を見させてください、わん」
唖然とするこちらに、瞳を濡らした子犬がそんな願いを囁きかけた。
****
それから一週間と少し後の光景。
『涼宮ハルヒの力が発現した』
「は…?」
『対象は朝比奈みくる。また犬耳と尻尾がついた。現在保護しているからすぐ来てほしい』
「ちょ、ちょっとまってくれ長門! どういうことだ? 今日は休日だったし活動も無かったぞ」
『前回の残り火』
「なっ、あれ治ってなかったのか?」
『わからない。検証が必要。だから前回の時と同じ行動をトレースする。今度はわたしもチェックする』
「いや待ってくれ、それはマズイ」
『大丈夫。そのためにわたしもつけたから』
「は? なにを?」
『じゃあ、急いで』
ガシャン。
「え、いや、え……ど、どうしろと?」
end
もともとXXXだったのを全年齢向けにde-tuneしてのアップです。
ヤバいところ残ってたらごめんなさい。
美少女+わんわん、絶対需要多そうなのに誰も書いてくれないので、結構昔に書いたやつですが投稿してみました。