chapter2
「――な、なんだこれは!!」
目の前の光景に、ヘッケランは声を荒げる。
眩い閃光が突如と広がり、視界の全てが白に染まる。まるで雪の中に埋もれてしまったかのように思えたが、体は凍えるどころか、むしろ包み込まれるような暖かさを感じさせる。
そうだ、これは冬の日の朝に感じたことのある温もりだ。外は寒いので、いつまでも毛布に包まって温まっていたいと思う感覚と似ている。そのままでいると、隣で寝ていた女が「いつまで寝ている」と叱咤するまでが一連の流れだったとヘッケランは回想する。
いや、しかし今はそのイミーナが危機に陥っている真っ最中だったはずだ。余計な事を考えている場合じゃない。
いつの間にか夢の中に引きずり込まれてしまっていた気分だ。瞑ってしまっていた目を、ヘッケランは無理やり開けた。
その目が最初に映したのは死の騎士ではなく、一人の女だった。白いフード付きのローブを羽織り、白金色の長い髪がフードから零れるようになびいている。闇夜の暗がりの中にいるはずなのに、彼女だけは白く光明しているように見えた。
(――化け物が消えた? どうなっているんだ!)
死の騎士がいた場所に突如と現れた女は、後ろにいるイミーナ、そしてロバーデイクとアルシェに視線を向ける。そのまま辺りを見渡し、空を見上げた。
「………………」
妙な空気が漂っている。ヘッケランはこの一変した状況が呑み込めず、まずは自分たちの身に何が起こっているのか情報を集める。
彼女が敵なのか味方なのかさえ判別出来ないこの状況は、あまりに危険すぎる。
もし、先ほどのようなヘッケランの知識にない『何か』をされた場合、どういった対処をしていいか皆目見当も付かない。
今はとにかく、後ろの仲間たちと合流しなければならない。しかし、下手に動くと返って状況が悪化してしまうかもしれない。
イミーナとロバーデイクも同じ考えなのだろう。二人ともその場を動かず臨戦態勢を取って彼女を注視している。
沈黙した状況が続く。
(このままでは埒が明かないか……)
気を失っているアルシェも気がかりだ。ロバーデイクに回復の魔法を急かしたい。
ならばまずは前衛の自分に意識を向けさせなければならない。そう結論を出したヘッケランは、彼女に話しかけようと決意する。
「失礼ですが、貴女は一体……?」
ここは下手に出るべきだと判断する。
その呼びかけに、彼女はヘッケランに振り向いた。フードを深くまで被っていたために見えなかった顔の輪郭が、こちらを向いたことにより露わになった。
月の灯りにも劣らぬ美しいライトグリーンの瞳がヘッケランを映し出す。
美女と呼ぶべきなのだろうが、体のラインが細く、どこか幸の薄そうな女だった。
魅惑的というよりは、どこか神秘的な印象を持つ彼女は、困惑した様子で呟いた。
「あ、あれ? どうしたのかしら? ――ダウンが延期? ……あれ?」
独り言のようだった。所々の箇所が聞き取れなかったが、何やら困っているのは間違いなさそうだ。
ブツブツと独り言を続ける彼女が、何かを断念したのか、ようやくこちらと意思の疎通を取ることにしたようだった。
「あの……もしよろしければ、ログアウトの仕方を教えてくれませんか?」
「…………はい?」
その言葉の意味が、ヘッケランには分からなかった。
極度の緊張下に置かれていた反動だったのだろう。こちらが意図していた答えとは全く異なる質問に、ヘッケランは間の抜けた顔をしてしまう。
すると彼女は突然驚き、ヘッケランを鋭く射抜く。
何か失礼があったのだろうか。確かに初対面の人に見せる表情ではなかったかと思うが、そこまで睨まれる筋合いはないのではと、ヘッケランは身構える。
彼女はこちらに歩み寄り、そのまま至近距離で顔をまじまじと観察されてしまう。
(――顔が近い!!)
「……ちょっと失礼」
「――ぉうわ!」
反射的にヘッケランは仰け反ってしまい、されるがままに頬をこねくり回されてしまった。
(な、なにが起きているんだー!)
「表情がある! 驚いたり、嫌がったりしてる顔だわ!」
(そりゃ驚くわー! は、離せー!)
あまりの不可解の連続により緊張が解れたのだろう。後ろで見ていたイミーナもこちらに走ってきた。
「ちょっとちょっと、あんた! 何してんのよさっきから! ヘッケランを離しなさいよ!」
「――え? ああ、ごめんなさい。驚きの連続で気が動転していたわ……」
彼女はヘッケランの頬から手を放し、胸に手を当てて大きく息を吸う素振りを見せた。
すると後ろで呆けていたロバーデイクが、慌ててこちらに走ってくる。
「――大変です! アルシェが!」
抱えているアルシェを、「見てください」と息を荒げてこちらに見せてくる。
その姿は、気を失っているというよりは、『安らかに眠っている』という印象のが近かった。
ヘッケランは目を見開き、心臓の鼓動を大きく一つ打ち鳴らす。
「お、おい! 生きてるのかこれ! アルシェ! 大丈夫か?!」
「ちょっとこれ、一切の未練もないぐらい安らかに眠っているように見えるけど! 死んでるんじゃないの?!」
「生きていますよ! ちゃんと脈がありますから。というより見てほしいのは寝顔ではなく、化け物に貫かれた胸の傷のほうですよ……」
頓珍漢な問答に、ロバーデイクはため息をついた。しかし、すぐに神妙な顔つきに戻る。それどころではないといった感じだ。
「見てください。あの時、確かにアルシェは剣で胸を貫かれたはずです。しかしあんなに大きな穴が胸に空いていたにも関わらず、その傷が見当たらないどころか、破れた服の跡すらありません」
ロバーデイクの言う通り、アルシェの胸に傷のようなものは一切見当たらない。それどころか、アルシェの姿はアンデット討伐をする前――つまりカッツェ平野に出掛ける前の姿のように、体や服に汚れ一つとなかった。
「お前が治したわけじゃないんだな?」
「私の魔法では、ここまでの即時性は出せません。あなたも知っているでしょう。それに回復魔法で衣類まで修復してしまうなど、聞いたことありませんよ」
ロバーデイクの言う通り、そんな魔法は聞いたことが無かった。
回復魔法は通常、自身の魔力を消費させて対象の生命力を回復させる。死にかけていたアルシェを全快させるには、相当の時間と魔力消費が伴うはずなのだ。しかし見たところ、ロバーデイクに疲れの様子はない。
「それに感じませんか? 我々はここで数多くのアンデットを倒している最中、あの化け物に出会いました。本来ならば疲労しきっているはずです。しかし今はそれが全くないことに」
未知との遭遇の連続、緩められない緊張のせいで気が付かなかったが、言われてみれば、確かに疲労感がなかった。
イミーナは体のあちこちを手で触る。それに習ってヘッケランも己の体の状態を確認する。
「確かに疲れがない。それどころか出発前より体が軽くなってる気がするし、力も湧いている気がする……」
「そうです。なんだか何かに鼓舞されているような気さえしてきます。今ならあの化け物を倒せるんじゃないかと思えるほどに」
「ちょっとロバー、流石にそれは勘弁してほしいわ……でも今なら確かに……」
奇妙な感覚。というよりも、通り越して不気味だった。
自分たちはもしかしたら、悪夢を見せられていたのではと錯覚してしまっても仕方がなかった。
しかし、あれが夢ではなく、紛れもない真実だと言える証拠が二つある。
それはこのカッツェ平野の霧が、妙な晴れ方をしているからだ。
突如現れた彼女を中心に、半径二十メートルほどの霧だけが円形状に晴れている。
地面の足跡には、死の騎士のものと思われる跡も残っているのだ。
「あの化け物は確実にいたはずだ。夢ではなく、現実にな」
「ええ、間違いありません。だとするとやはり、そちらの方が『何か』をしたのでしょう。違いませんか?」
こちらの様子を伺っていた彼女は、再び困った様子で辺りを見渡し始める。
体を触ったり、叩いてみたり、その都度何かを考えている。
やがて決心したのか、彼女は口を開いた。
「話を聞いていたけど、あなた達はモンスターに襲われていて困っていた。間違いないかしら?」
「ああ、その通りだ。そしたら急にあんたが現れて、気が付いたら化け物が消えてたんだ」
「理解したわ。ならあなた達は私に助けられた、と解釈してもいいのかしら?」
「……あんたが俺たちに手だししないって言うなら、そういうことになるな」
「もちろん約束するわ。それじゃ恩を返してもらう意味で私の質問に答えてくれるかしら?」
こちらの質問には一切答えない彼女に苛立ちを覚えるが、自分たちは救われた身だ。穏便にいこうとヘッケランは手で促す。
「まず一つ目、あなたたちは――」
「……? ――ここは?」
ロバーデイクに抱えられていたアルシェが目を覚ましたようだ。目を擦りながら、何故自分は抱えられて寝ていたのだろうと、不思議に思っている顔をしている。
「――ロバー、もう大丈夫。なんだか怖い夢を見ていたみたい」アルシェがロバーデイクの腕から降りる。
「夢ではありませんよ。あなたは確かに化け物に殺されそうになっていました。ですが、こちらの方が助けてくれたのです」
アルシェは自分の胸のあたりを摩る。首を傾げて、何かを疑問に思いながらもロバーデイクの言葉を理解しようとしていた。
やがてアルシェは振り返り、彼女に感謝を伝えた。
「――どうもありが、おげぇぇぇぇ!」
◆
突如嘔吐し始めた少女を見て、ミドナは驚きを隠せなかった。
当たり前だ。どういう人生を歩んできたら、初対面の人に顔を見られて吐かれることがあるのだろうか。失礼を通り越して無礼、いや、ドン引きだ。
ほとんど液体の吐瀉物が地面に零れていき、周囲が酸っぱい匂いで包まれる。
「なにをしたの!」
見ていた人間、いやハーフエルフだろうか。先ほどからミドナを疑心暗鬼して警戒していた彼女が、敵意を剥き出しにして睨みつける。
「――ちょっとまって! 一体どうしたの? あなた大丈夫?」
例え初対面で吐かれてしまっても、少女を気遣えた自分を褒めてあげたい気分だった。
これがアバターの顔ではなく、現実世界の自分の顔を見て吐かれてしまったら、恐らく立ち直れないくらい精神的ショックを受けていた事だろう。しかし、そう、これはアバターなのだ。例えここが夢の中、仮想空間が現実になった、よくある異世界転生の世界にぶち込まれてしまった、などの推論を否定しきれていない自分がいるが、そう、これはアバターだ。本当の自分の顔ではない。
そう心の中で自分を慰めながら、ミドナは少女に歩み寄る。
「――寄るなああ! 皆、逃げて! そいつは化けも――おええぇぇぇ!」
ぴしゃりと歩を止めたミドナは全身を硬直させてしまう。
瞳の先に涙を浮かべて叫ぶいたい気な少女に、『化け物』と言われて傷つかない人間がいるだろうか。いや、いない。
もはやトラウマレベルの事案だ。しかも理不尽極まりないところが、より一層ミドナの心を抉っていく。
(いや、落ち着け私……そもそも何故この子は私を見て吐いたり化け物と言っているのかがわからないと、解決のしようがないわ……)
他の三人の様子を見てみるが、特に気分を害している者はいない。いや、この少女の言葉に、ミドナを再び警戒し始めてしまっている。
ミドナは少女に直接話しかけるのを諦める。隣にいる恐らくこのチームのリーダー的な男を仲介に入れようと試みた。
「えっと、確かヘッケランさんでしたっけ? あなたにも私が化け物に見えてるのかしら?」
「い、いや、俺にはわからねえな。恐らくアルシェにはあんたがどのくらいの階位魔法を使えるのかが見えているから、吐いちまったのかもしれないな」
「――ヘッケラン! 逃げてぇぇ! 戦っちゃ駄目! 力の桁が違う! 化け物なんていう言葉で収まるような存在じゃない!」
発狂したように頭を振る少女を、ハーフエルフの女が強く抱きしめる。
「落ち着いてアルシェ! ロバー!」
「分かっています!
神官の魔法により、恐怖状態から回復した少女は持っていたロッドを杖替わりにして立ち上がる。
「――皆、逃げるべき! あれは人が勝てる存在じゃない! 信じられないような化け物!」
「…………落ち着けアルシェ。お前が警戒するのはわかる。だがこの人はお前の命を救ってくれたんだ。悪人だと決めつけるには早計だ」
ミドナは隣にいる男、ヘッケランを横目で窺う。
彼を仲介役に選んだのは正解だった。恐らく自分のことを化け物だと認識した上で、穏便に物事を運ぼうとしている。
今のところミドナは何もしていない。だからこそ、怒らせるような事をしたくないと思っているのだろう。
(それと先ほど言っていた、私の使える階位魔法を見て彼女は吐いてしまった、という台詞。彼女が探知魔法を使っているのなら……)
ミドナは無限の背負い袋からアイテムを取り出そうと試みる。ミドナの思考を読み取ったのだろうか、空中に手が入り込み、目当てのアイテムを取り出せた事に安堵する。
ユグドラシルにおいて情報系スキルや、探知魔法は重要だ。敵にアサシンなどが存在する場合、透明化される場合などがあるからだ。
遠視などにも役に立ち、様々な魔法やスキルが存在するのだが、『相手の使用階位を調べる』なんて事は基本的に誰もしない。
答えは簡単で、魔法職を取っている者ならば、誰でも第十位階魔法まで使えるようになるからだ。
しかしアルシェと呼ばれる少女は、第十位階魔法を使えるミドナを見て、『化け物』だと言う。もしかしたら他にも要因はあるのかもしれないが、この世界の魔法詠唱者の水準は低いのかもしれない。
ミドナは取り出した探知阻害の指輪を装着する。低レベルのアーティファクト装備だが、使用階位の透視くらいならばこの程度の指輪で十分なはずだ。
こちらを伺っていた少女は少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。それでもこちらを睨みつけて警戒していることに変わりはないが。
「落ち着いて。えっと、アルシェさん? 私はあなたや他の三人に危害を加える気はないわ」
「――皆、聞いて! 私はあいつが信じられない力を持っているのを見た……あいつが本気になれば、私たちはまず間違いなく死ぬと思う。だから逃げるべきだと私は判断する!」
「……だが、手は出さないと言っているぜ?」
「そうですよ。とりあえずは信じるしかありません」
「……そうね。助けられたのは事実なわけだし。とりあえず挨拶でもしとく? 私はイミーナ、よろしくね」
イミーナが右手を差し出す。その手を取るのを、恐れるようにアルシェが注意深く見つめる。
(一体彼女は何を見たのかしらね……おっと――)
「よろしく、イミーナさん」
「イミーナでいいわ。それよりあなたの名前は?」
イミーナの質問に、ミドナは頭を悩ませる。
本名を名乗ったほうがいいのか。それともハンドルネームでいいのかと。しかし、ここの四人は全員横文字の名前だ。ならば日本名を名乗るのは不自然だと思い、後者を選択する。
「…………ミドナ」
「ミドナ? 下の名前は?」
「……ないわ。ただのミドナね」
「なら私と一緒ね、私もただのイミーナよ」
「俺はヘッケラン・タ―マイトだ」
「私はロバーデイク・ゴルトロンです」
三人と握手を交わし、ミドナはアルシェに向き直る。
ビクッと体を震わせる少女は、もはや小動物のようだった。
(人の顔を見て吐かれ、化け物と言われ、睨みつけられる。普通に考えれば私は何も悪くないはずなのに、なんでこんなに罪悪感を感じるのかしら……可愛いは正義なんて言葉があるけど、真理なの? 私が悪かったの?!)
まだ心に刺さった棘は抜けない。しかしミドナは二十八歳だ。対してこの少女は十五、六といった所だろう。大人にならなければならない。根に持つような事ではないと、心の中で自分を励ます。
譲歩しようという気持ちに嘘はない。しかし、自分から名乗れない小さな自分に少しだけ嫌気が差したので、ミドナは先に右手を差し出す。
その手を見つめ、ゆっくりと少女は手に取った。
「――アルシェ・イーブ・リイル・フルト」
「……? え? 何?」
声が小さくて聞こえなかったのもある。しかしそれ以上に、長すぎて覚えられなかったので、つい聞き返してしまった。
少女を見ると、俯きながら顔を赤くしていた。
「アルシェ! イーブ! リイル! フルト!」
「――おおぅ! アルシェイーブリイルフルトさんね! あるしぇりいぶりいるふるとあるしぇりーぶ……」
自分だけ長い名前なのが恥ずかしかったのだろうか。何度も連呼するミドナをプルプルと震えながら睨みつける。
子供らしい一面もあるじゃないか、なんてミドナは思い、続くアルシェの言葉を待った。
「――さっきは、化け物とか言ってごめんなさい」
「……気にしてないわ」
もちろん嘘である。どんな理由があれ、自分の顔を見て吐かれ、化け物と罵倒されたことによる精神的ショックは、そう簡単には拭えない。
ミドナはアルシェから手を離そうとする。しかし、彼女の震える手は、力を緩めようとしなかった。
「――それと……助けてくれて……ありがとう……」
林檎のように赤らめた頬が、よりいっそう赤くなっていく。
(……困った、困ったな)
先ほどまで刺さっていた棘が、気が付いたら抜け落ちていた。
異世界生活一日目にして、ミドナは真理に辿り着いた。
そう、可愛いは正義。
この法則は、どの世界においても共通の認識であり、世界の真理の一つであると。
ミドナは屈託のない笑顔を、アルシェに贈った。
「どういたしまして」
◆
どうやら和解できたのだろうか。後ろで見守っていたヘッケランは、安堵の息を小さく吐き出す。
ひとまずは安心……とまではいかないが、とりあえず死と隣り合わせの状況からは抜けだしたと思いたい。
(まだ警戒しておくべきか。アルシェが見たものは恐らく真実だし、このミドナって女が化け物級の強さを持っているのは確実か……)
自分たちが手も足も出なかった死の騎士を一瞬で消し去ってしまうほどの魔法詠唱者だ。帝国の首席宮廷魔術師――三十魔法詠唱者のフールーダ・パラダインよりも、その魔法の実力は上だと言うことなのだろうか。
(確か第六位階魔法を行使出来るとか聞いたことがある。魔法学院に在籍していたアルシェなら<生まれながらの異能>でフールーダ・パラダインを見たことがあるはずだよな?)
ということは、アルシェが吐き出してしまったのは、フールーダ・パラダイン以上の魔法のオーラを見てしまったからだろう。
過去に大陸を荒らした魔神たちは、第七位階魔法という神の御業によって消滅させられたと聞いたことがある。つまり、魔人をも超える領域に足を踏み込んだ人物だと想定していい。
(詮索してみるか? いや、下手に探りを入れて反感を買うような事はしたくない)
もし正直に答えてくれたとしても、後になって状況が変わり、言葉通り『消される』かもしれないのだ。世の中には知らなかった方が良かった事など山のようにある。
(そもそも、そんな化け物が人の世界に居ていいわけがない。命の恩人ではあるが……とりあえず、一緒に行動するのは危険か? どんな魔法を使ってくるのか想像も付かないしな……)
もしこの場にアンデットが現れて、ミドナが魔法を放ったとし、それに巻き込まれて死なないと誰が言い切れるだろうか。魔神を倒すほどの実力者というのなら、自分達はまだ死と隣り合わせの状況から脱出していない。
ヘッケランが思考の渦に飲まれていると、隣でイミーナが怒った様子でこちらを睨んでいた。
「――ちょっとヘッケラン? 聞いてる?!」
「おっとごめんな、考え事してたわ」
「しっかりしてよね? そろそろ帰ろうって話してたのよ!」
「ああ、そうだな。 こんな所にいつまでもいるべきじゃない。撤収だ皆」
と言ったものの、特に準備するものはない。霧が掛かっていない近くの森に馬車を止めているので、そこまで歩いて行くだけだ。
「それじゃ、ミドナさん。ありがとうございました。もしよろしければ、帝国に来ていただければ是非お礼をさせていただきます」
化け物ではあるが、命を救ってくれた恩人だ。出来る限りの礼を尽くさなければならないので、建前上ではあるが誠意を見せる。
ヘッケランはミドナにお辞儀をして、感謝の意を伝える。
すると、それを見たミドナが慌てだす。
「――ちょ、ちょっとまって!」
「……どうされましたか?」
視線を泳がし、あたふたしているミドナを、とりあえず警戒しながら返事を待つ。その姿や仕草は普通の人間と何ら変わらない。しかし、真実とは得てして、驚くようなことばかりだ。見た目と実力は比例しないものだと考える。
やがてミドナは小さく呟いた。
「今帰られてしまうと私は困ってしまうというか……じ、実は私……迷子なの……多分、うん……そう、迷子! 迷子なのよ!」
「は、はぁ……」
迷子ってなんだっけ? なんて気持ちになったのを、誰が責められるだろうか。他の三人も、頭にクエスチョンマークが浮かび上がっているのが見て取れた。
「それで、ほら。私、迷子じゃない? だから、少しだけ匿ってほしいというか……」
「…………とりあえず、歩きながら話しましょう」
「え、ええ……そうしましょう」
命の恩人に『匿って欲しい』なんて言われたら、断ることなど出来ない。
しかし相手は人間の皮を被った化け物に等しい。自らの懐に厄介事を持ち込むなど御免被りたい。
ならばここは、あやふやに話をもっていき馬車で別れるべきだとヘッケランは判断した。
ヘッケランとミドナを先頭に、後ろの三人が後に続いて歩きだす。
霧の中に再び入り、警戒しながら歩を進める。前衛という役目を担っている以上、警戒を怠るわけにはいかない。
今回は運がよく助かったが、次はないかもしれないと、心に強く留めておく。
(いや、運とかそういう話じゃない気もするが……彼女はどこから来たんだ? むしろどうやってここに来たんだ? 聞いてみるか? それぐらいならいいか?)
頭の中で問答を繰り返し、とりあえず聞いてみる事にした。しかし、絶対に深くまで詮索しないとヘッケランは心の中で誓った。
「まず、ミドナさんはどこから来たのですか?」
「――え? どこからって……あっ! そうよ、忘れていたわ。質問! 質問に答えて! 約束したでしょう?」
「は、はぁ……どうぞ」
そういえばこの女、出会ってから一度もこちらの質問に答えたことが無いな……なんて思いながら促す。
「まず一つ目、ユグドラシルって知ってるかしら?」
「ユグドラシル? 聞いたことが無いですね。皆はどうだ?」
首を横に振る三人の姿に、ミドナは何度か頷いて見せた。
「どこかの地名とかですか?」
「――え? い、いや……あっと、それじゃ二つ目の質問するわね」
またしてもこちらの質問を交わす。ここまでくるとミドナの性格というよりも、何か話せない訳があるのだろう。
話せないような話など、正直聞きたくはなかったので構わないと、ヘッケランは質問を促す。
「あなた達はどんなモンスターと戦っていたの? 私が倒したのよね?」
「――え?! 知らずに倒してたのですか?」
まさか気が付かず倒していたとは。どんな魔法詠唱者だよと心の中でぼやいてみる。
そもそも本当に倒したのだろうか? 魔法によって死の騎士は倒されたものだと思っていたが、その場合、自分たちが無事なのはどういうことなのだろうか。
(範囲魔法ではなかった? だとしたら俺たちが回復しているのは何故だ? ……範囲回復魔法と対象攻撃魔法を同時に行った? そんな事が可能なのか?)
考えれば考えるほど謎が深まり、眩暈してしまいそうだ。ヘッケランは考えるのを辞めて、戦っていたアンデッドの特徴を話す。
「我々が戦っていた化け物は……名前までは知りませんが、黒くて大きいアンデッドです。フランベルジュとシールドを持っていて、騎士っぽい風貌でした」
「そのアンデッドは魔法とか使っていたかしら?」
「いえ、特には使ってなかったと思いますが……」
「うーん……アンデッドねぇ……」
どうやらミドナ自身も、どうやって倒したのか理解していない様子だった。
(そんな事が可能なのか? マグレなんて事は……ないよな。この女が化け物級の力を持ってるのは確実なんだ……)
話を聞いていたアルシェが、ヘッケランの裾を引っ張ってきた。
「――私も質問したい。ミドナは何の魔法を使ったの?」
「お、おい! アルシェ!!」
アルシェの口を慌てて塞ぐ。踏み込みすぎだとヘッケランは判断したのだが、零れてしまった言葉は戻せなかった。
ヘッケランは恐る恐るミドナの様子を伺う。何やら思考に夢中でこちらの事など気にしていないようだ。聞いていなかったのなら万々歳だったが、淡い期待はしっかりと裏切られた。
「……私が使ったのは
聞いたことがない魔法だった。たいそうな名前の魔法だな、なんて感想を心中で呟きながら、首を横に振った時だった。
「それは第何位階の魔法なの?」
「――イミーナああ!!」
問題児二号の口を慌てて塞ぐ。考えなしに発言しないで頂きたいと心から願うヘッケランだったが、その質問もしっかりとミドナの耳に届いていた。
(少しは危機感を持ってくれよ! この化け物が本気になったら間違いなく俺たちは殺されるんだぞ?! 後で消されても知らないからな?!)
そんなヘッケランの心配をよそに、ミドナは顎に手を添えながら我先と歩いて行く。どうやらしっかりと考えて発言しているようなので、後で消されるような事はないと願うばかりだった。
「その質問に答える前に、アルシェさんに質問してもいいかしら?」
「――アルシェでいい。私もミドナと呼んだから、そう呼んでほしい」
「それじゃアルシェ。あなたは第何位階まで使えるの?」
「――第三位階まで使える」
「……第三位階」
この問答に、一体何の意味があるのだろうか。ヘッケランは見守るように二人の様子を伺い続ける。
「そ、それは凄い……わね? あなたより強い魔法詠唱者はいるのかしら?」
「――帝国の皇帝の側近に、第六位階まで使える魔法詠唱者がいる。知らないの?」
「え? ……し、知らないわ、多分……その人は有名なの? どのくらい凄いのかしら?」
「――逸脱者。英雄の上の領域」
「……んん? 逸脱者? 英雄?」
何やら理解出来ていない様子のミドナに、言葉足らずだったとロバーデイクが補足する。
「帝国に首席宮廷魔術師と呼ばれる魔法詠唱者がいまして、名はフールーダ・パラダインと言われています。逸脱者とは第六位階まで到達した者を呼び、第五位階で英雄と呼ばれています」
「……なるほどね。それで逸脱者の上はなんていうのかしら?」
「逸脱者の上……ですか? 寡聞にして存じませんのでなんとも言えません。第七位階の魔法詠唱者など、御伽噺でしか聞いたことがありませんので」
「まさに神の領域って感じか? 八欲王の御伽噺じゃ第十位階まであるって話だが、眉唾もいいとこだしな」
ヘッケランも一緒に補足しておく。多くの情報を与えて、ミドナが口を滑らすような事が無いようにと祈りながら。
「……なるほど。概ね理解したわ。私が使った魔法の階位は恐らく聞かないほうがいいかもしれないけど……それだと信用してくれない?」
歩きながら話す会話の内容じゃないと、ヘッケランは額に汗を浮かべる。
全くもって聞きたくなどなかった。
例え第六位階と言われても、第六位階の魔法などヘッケランは知らない。
それに帝国最強の魔法詠唱者よりも上位の魔法を行使出来るだろう人間が、第六位階の魔法を使いましたと言われても、その言葉を鵜呑みにできるはずもない。
結局この質問に意味などないのだ。聞いたところで、何一つと真実が明かされることなどないし、証明することも出来ない。
(いや、この話の流れは……まずいな、これは……頼むぞ皆……黙ってろよ……)
やはりこの状況は危険すぎると、ヘッケランは危惧する。
これは帝国に戻ったら早急に報告しなければならない事案だ。
先ほどの質問は、絶対に答えてはいけない。
この化け物が自分達に付いてきてしまい、帝国に持ち帰るようなことなど絶対にあってはならない。
もし帝国に持ち帰った上で国に報告したとしよう。その結果、万が一国が騎士団やフールーダ・パラダインを連れてミドナを拘束しようものなら、この化け物は帝国で暴れて国を亡ぼすだろう。自分達は国を亡ぼす要因を持ち込んだ一種のテロリストになってしまう。
国に報告しなかったとしても、この化け物と交友関係が結べるとは思えない。機嫌を損なわせてしまい、殺される未来は想像に難くない。
今は何かを起こす気はないようだが、力を持っている以上、傍にいるだけでも危険だ。超越した存在とはそういうことだ。歩く災害のようなものなのだ。
先ほどの質問に答えさえしなければ、『信用しない』とこちらが暗に答えたことになる。
殺される可能性はある。しかし、今何かをする気がないのであれば、ここは黙っておくべきだ。少なくとも、帝国に持ち帰ってしまう可能性は減るだろう。
ヘッケランは後ろの三人を窺う。
全員理解している様子だった。
ならばあとは、無事に馬車までたどり着き、そこで別れるまでの辛抱だ。
(向こうは俺たちが拒否したことを理解しただろう……ならばこれは賭けだ。馬車まで生きていれば俺たちは生きることを許されたと思っていい…………まだか……まだかなのか)
馬車までの道のりまではそう遠くはないはずだ。しかし、異常なまでに長く感じるのは、ヘッケランの気のせいであってほしかった。
◆
黙々と歩く四人の背中を見ながら、ミドナは最後尾を一人歩く。
後ろに回ったのは、寂しさで胸が苦しくなってしまい目を合わせるのが辛かったからだ。
先ほどの質問を沈黙で返されたという事は、これから先、ミドナが何を言おうと信用しないという意思表示に等しい。
(…………仕方がないのかもしれない。彼らの力の水準を知った今、私は確かに化け物なのかもしれない。人と化け物が一緒になんて暮らせないか……)
化け物だと知られてしまった以上、この四人と交友関係を結ぶのはまず不可能だろう。
ここが夢の世界ではなく、現実の異世界ならば彼らは生きているのだ。過去の記憶を持ち、個人の思考で物事を考えることができる自分と同じ人間だ。
仮に自分と彼らの状況を置き換えれて考えれば、彼らが自分を怖がる気持ちは理解できる。自分だって化け物と一緒になんて暮らしたくはないのだから。
ならば、知られなければいいだけだ。
正体を隠して、どこか別の街で暮らすことはできるだろう。そこで新しく仲間を作って過ごせばいい。
せっかく目が見えるようになったのだ。自分の姿見もそれなりに悪くはないはずだし、体の肉付きは……エルフなのでお察しだが、どこか素敵な男性を見つけて、女としての幸せを手にするのも悪くない。
この四人と分かり合えなかったのは、単に巡り合わせが悪かった。
運がなかっただけで、次は絶対うまくできるはずだ。
「………………」
強く握りしめていた拳を、脇腹に叩きつける。
(……痛い)
あの時は痛くなかったのに、と心の中で呟く。
自己嫌悪で吐きそうだった。
『次は』という言葉を、後何回言えば自分は気が済むのだろう。
天空城であれだけ後悔したばかりだというのに。
(……あの時、私は後悔した。もっと人の気持ちになって考えようと。この人たちの気持ちを考えるならば、私は消えたほうがいい……)
その考えは間違っていないと、ミドナは心の中で何度も言い聞かせ続けた。
気が付くと辺りの霧は晴れていた。
前方に森が見えてきて、そこには一台の馬車が止まっていた。
彼らの馬車なのだろう。
ここで彼らとはお別れになる。
自分はどこか別の街にでも行って、異世界を謳歌すればいいじゃないか。
目が見えるのだから、どんな職業にだって就けるだろうし、仲間を作って冒険に出かけてもいい。
やり直せるはずだ。
笑い合えるはずだ。
――例え中身が化け物であったとしても。
馬車の前まで到達した四人の後ろを、少し離れてミドナは佇む。
何を話していいのか分からない自分がそこにいた。
今の自分が彼らに何を言おうと、それは全て嘘のように感じてしまうだろう。
ならばいっそのこと、何も言わずに去ってはくれないだろうか。そんなことを考えていた。
そんなミドナの想いは聞き遂げられず、ヘッケランがこちらに振り返る。
別れを告げられると思ったが、彼は何故だか驚いていた。
それに気が付いた三人も、同じような表情をしている。
「ど、どうしたんだ? ミドナさん?」
「どうしたの? なんで泣いてるの?」
イミーナの問いを、ミドナは理解出来なかった。
泣く? そんなエモートを出した記憶はない。
「――何かあったの?」
「大丈夫ですか? どこか悪いのですか?」
怪訝と心配が混ざり合ったような、そんな言葉だった。
ミドナは訳も分からず瞬きをすると、初めて自分の瞳に涙が浮かんでいることに気が付いた。
それは、初めての体験だった。
瞳に涙が溜まると、視界が霞むのだ。
瞬きをするたびに、涙がどんどん溢れてくる。
止めようと試みる。
――無理だった。
(……泣いてるの? なんで? どうして?)
何故、涙が零れてくるのかわからない。
そういえば、涙を流したのはいつぶりだろうか。
子供の頃はよく泣いていた記憶がある。
目が見えなかったからじゃない。
寂しかったからだ。
両親がいなくて、寂しくていつも泣いていた。
最近はあまり泣いていない。
いや、心はいつも泣いていたのかもしれない。
天空城の時に後悔した。
人を思いやり、人の気持ちになって考える。
良い事じゃないか。
立派な事だ。
それで誰かが幸せになれるのならば、自分はいつだって人の気持ちを優先しよう。
それで自分も幸せになれるのだろう。
いや、なれるはずがない。
自分を偽っているからだ。
正直に生きようと決めたはずだ。
嘘はもうやめようと。
この涙に嘘はつきたくない。
ここで自分の気持ちを伝えられないようでは、現実だろうが異世界だろうが、自分は永遠に孤独のままだ。
ミドナは決心する。
正直な気持ちを伝えようと、止まらない涙を手で拭う。
化け物と拒絶されるのが怖かった。
――それでも、伝えるだけ伝えてみようと、ミドナは大きく息を吸った。
◆
ゴロンと寝返ると、腰のあたりが痛かった。
いや、腰だけではない。体の節々が硬直しているようだった。
関節を伸ばそうと、思いっきり両手を上げてみる。
「……いってえ」
まだ眠っていたい。しかし、その気持ちとは裏腹に、眠気はどんどん覚めていく。
何故だろう。そう疑問に思ったが、結論はすぐに出た。
「……なんで俺は床で寝てるんだ?」
硬い床で寝続けていられるほど、ヘッケランの睡眠は深くない。
観念したように床に手をついて、ヘッケランは起き上がる。
いつもの宿屋だ。
歌う林檎亭の二階の一室。
なのに何故、自分は床で寝ていたのかと疑問に思い、いつものベッドに目を向けて驚愕する。
そこで寝ていたのが、普段隣で寝ている女ではなく、別の女が眠っていたからだ。
美しい白金色の長い髪、色気が皆無の細い肢体、溶けてしまいそうなほどの白い肌。垂れ下がった大きな耳。
超級の力を有する一人のエルフが、掛け布一枚という無防備な姿で熟睡していた。
寝ぼけた脳味噌をフル回転させようと、ヘッケランは必死に思考する。
「……そうだった。昨日泊まるところがねえからって、ここに泊めたんだった……そういや、イミーナがいねえな」
(私とミドナがベッドで寝るから、あんたは床よ!)と言われたのを思い出す。しかし、そのイミーナが消えている事を不思議に思った途端、バタンと大きな音を当てて扉が開いた。
「――ちょっと! いつまで寝てるの?! ってヘッケラン! 何してるのよ!」
「――え?」
何をしてるって、寝ているミドナの前に立ってただけなんだが……などと思ってミドナを見ると、知らぬ間に寝返っていたのか、掛かっていた布が落ちていた。
露わになったミドナの姿が、裸同然だったため、ヘッケランは慌てて顔を背ける。
「――うぇ?! なんでこんな格好で寝てるんだ! ち、違うぞイミーナ! 別に厭らしい目で見ていたわけじゃないぞ! 本当だ! 信じてくれ!」
鬼の形相で詰め寄ってくるイミーナに、抵抗する術などヘッケランには持ち合わせていない。勢いよく胸倉を捕まれ、鬼すらも逃げだしてしまいそうな剣幕で睨まれる。
「……浮気したら、殺すわ」
「存じております! イミーナ様!」
「本当に?! わかってるわよね?!」
「わ゛が゛て゛ま゛ず」
苦しいから襟首を締めるのをやめてくれ! と懇願しようとした時、後ろに投げ飛ばされる。
イミーナはヘッケランに暴力を振るう時だけ、アダマンタイト級の力を発揮する。これからは君が前衛だ! と言いたくなったが、ここは自重するべきだと判断した。
「ちょっとミドナ! いつまで寝てるの! ていうか私が貸してあげた服、なんで脱いでるのよ!」
「うーん、由依ちゃんもう帰ろうよー……」
「誰よゆいちゃんって! ちょっと聞いてんの! 起きなさいって!」
「……んん? あれ? 由依ちゃんじゃない。あなたはイミーナ?」
「何寝ぼけてるのよ! そんなことより早く起きて支度して!」
「……支度?」
「あんた覚えてないの? うちのチームに入ったんでしょう? 今日からバリバリ働いてもらうわよ! 馬車馬の如く働いてお金を稼いでもらうんだからね!」
「……はぁい」
「あんた寝起き悪すぎよ! あとヘッケラン! あんたも支度しなさい! ミドナを着替えさせるから外で着替えてね!」
「――ちょ! おい投げるなって! わ、わかった! わかったから、俺の装備を投げないでくれ!」
荷物を抱えて部屋の外に追い出されたヘッケランは、大きくため息をついた。
これから始まる超級の魔法詠唱者との生活に、大きな不安と、若干の期待を込めて。
(まぁ、なるようになるのかな。――さて)
急いで着替えて装備を整える。一階に降りると、すでにアルシェとロバーデイクがカウンターで談笑していた。
「おはようさーん」
「――おはよう」
「おはようございます、ヘッケラン。よく眠れましたか?」
「いんや、全く」
「でしょうね」
ロバーデイクがお気の毒に、と笑いながら励ます。
「他人事だと思って……お?」
二階でバタバタと足音が鳴り響く。階段を勢いよく降りてきたイミーナとミドナは、どこか既に疲れている様子だった。
「まったく、しゃきっとしてよね……ほらミドナ、挨拶!」
「……ええ、そうね。今日からここでお世話になるわ……その、よろしくお願いするわね」
「なんでちょっと上から目線なのよ! 一番の新入りでしょーが!」
「うるさいわね! 一番強いんだからいいじゃない!」
「何よ! あんたの強さなんて、私の偉さに比べたらまだまだ下よ!」
「ヘッケランがリーダーなんでしょう?! なんでイミーナが偉いのよ!」
「あー……そろそろいいか二人とも。打ち合わせを始めたいのだが……」
これが第十位階を超える、第十一位階――ミドナ曰く『超位魔法』――という御伽噺の世界ですら聞いたことが無い魔法を行使することができる、伝説中の伝説、神の領域の魔法詠唱者の姿だとは、ヘッケランには到底思えなかった。
こうやって見ていると、子供にすら見えてくるのだから不思議なものだ。
(一人は寂しいと泣いてしまう最強の魔法詠唱者か……まぁ、仲間に入れてしまったからには仕方ない。うまくやっていくしかないか……)
それでも、あの時のミドナは真に迫るものを感じた。
寂しいという気持ちに、嘘偽りがないとヘッケランは感じた。
だからこそ、ヘッケランは三人を説得してミドナをチームに入れたのだ。
もちろん不安は山ほどある。
神の如く力を有する仲間が、果たしてチームに調和することができるのだろうか、と。
しかし、蓋を開けてみたらこの調子だ。
イミーナと喧嘩して、怒りながらも皆と笑い合っているミドナの姿を見たヘッケランは、杞憂だったと思いなおす。
(きっと大丈夫だ。――よし!)
歌う林檎亭一階、いつものテーブルにて、ヘッケランは普段より少しだけ気分良さげに宣言した。
「うんじゃ、俺たち『五人』のフォーサイト、打ち合わせを始めるか!」
chapter2 end