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女上司HSK

 龍牙は緊張の面持ちでコート本社に出社した。

 コートに入社し、早三年。いままでは毎日疑似精子を三十六リットル作るという激烈に地味な仕事しか与えてもらっていなかった龍牙であったが、ついに人事部から連絡があり、とある部署に配属となった。

 要は出世。名称のない雑用係から、肩書を持った社員へのランクアップだ。

 ただ、龍牙には強烈な不安があった。

 配属されたのが製品課のお客様サービス部。主な仕事は電話対応。

 つまるところクレーム処理だ。

 クレーム処理の話といえば、必ずしも悪い噂を耳にする。

 入社後、うまくなったのはより本物に近い疑似精子の作り方だけだ。社会的な成長など微塵もない自分に務まるのだろうかと、心配で夜も眠れなかった。

 さらに、今回初めて上司と呼ぶ人間ができることになる。

 龍牙は人付き合いが苦手だった。とんでもなく特徴がない人間だったからだ。

 大抵のことはそつなくこなすも、どれが得意というわけでもない。趣味は漫画を読むことかテレビを見ることだが、これといって熱中しているわけでもない。

 そのため、学生時代には友人と呼べる存在はいなかった。ひたすらに空気で、集合写真などにはちゃんとその場にいるのに、まるで欠席者のように左上に顔写真が挿入されていた。それも毎回だ。

 そんな生き方を続けると必然、会話も苦手になってくる。

 入社してすぐの仕事、疑似精子つくりではネットで作り方を調べろといわれ、いままでに他の社員と会話することはほとんどなかった。

 思えば、それを命令した人間は、龍牙のそういった他人となじめなさそうな雰囲気を察して、他者とほとんど関わらない仕事を任せたのかもしれない。

 しかし、そんな仕事はこれまで。上司と部下となると、さすがに会話もなしというわけにはいかない。様々なことを教わりながら、人と人の関係を気づいていかなくてはならないのだ。

 龍牙にはそれが恐ろしかった。新たな仕事への恐怖よりも、そちらの方が勝っていた。

 嫌な人間だったらどうしよう。怒鳴るような人は嫌だな。残業とか強要されるのかな。

 いやいや、やめろ。と頭に沸いた悪い考えを振り払い、ずり落ちた唯一のトレードマークである眼鏡を中指であげる。

 上司になる人間が悪人だと、なんで決めつけるんだ。もしかしたら、こんな私にも心やさしく接してくれるような、天使のような方かもしれない。

「そうよ……きっとそう」

 お客様サービス部の部屋の前で、龍牙は自分に言い聞かせるように呟き、ぴしっと背筋を伸ばしドアを開けると、

「失礼します」と中に入る。「始めまして。本日より、お客様サービス部へと配属になりました、龍牙と申します。どうぞ、よろしくお願い――」

 そこまでいったところで、龍牙は言葉を止めた。小さな部屋の中には電話の備え付けられた机が三つだけで、誰もいなかったからだ。

「あれ」

 携帯で時間を確かめるも、ちゃんと始業時間になっている。

 遅刻でもしたのか、そう思っていると。

「ヴァー!」

「いひぃ!」突然聞こえてきた死にかけのピノキオみたいな声に、龍牙は思わず飛び上がった。「え? ななな、なに」

 背中をドアに押し付け、その声の方、机の奥に目をやると、地を這う黒い影が見えた。

 人のようなものだった。エクソシストに出てくる、悪霊に取りつかれた人間のように、ブリッジの状態で地面を張っていた。手足は人のものとは思えない動きをしており、関節が増えていたり、あり得ない角度に曲がっていたりしてる。

 もしかして……この人が。

 瞬間、そこにいた人間のような生物は、首だけを龍牙に向けると、その体制のまま、ゴキブリを思わせるような動きで足元にやってきた。

 気味の悪さに「ぬぃ!」と龍牙は声を上げ、片足を上げて固まると、その生物は、鼻炎によって鼻のつまった子供のような声で、こう聞いてきた。

「あなたは人間さんですか」

 龍牙は答えることができなかった。ただ一つ、頭の中にあった言葉は。

 ――化け物。

 

 

「なんで変える必要があるんですか」

 人事部の隅。パーテーションによって区切られた机と椅子があるだけの場所で、龍牙の異動願いを、人事部、部長である木村はそう一蹴した。

「いや、あのですね」龍牙は机の下で手をもじもじと動かす。「上司の……寿香さん? でしたっけ」

「ええ、そうです」

「あのー失礼かもしれませんけど……あの人は」龍牙は声を少し落とす。「人間……なんでしょうか」

 妙な間の後、木村はぎこちない笑顔を作る。

「気持ちは分からなくもありません。ですが彼女は人間ですよ……きっと」

「ほら! いま、きっとって。願望じゃないですか。やっぱり木村さんも確証ないんじゃないですか」

「まあまあ、落ち着いてください」興奮気味の龍牙を、木村はなだめる。「確かに、造形とか、言動とか、少々人間離れしているかもしれません」

「少々じゃないですよ。関節増えたり、変な方向に曲がったりしてるんですよ」

「そういう人もいるでしょう。それにほら、ちゃんと日本語喋ってますし」

「判定ガバガバじゃないですか。それなら九官鳥でも人間ですよ」

「いいえ、九官鳥は羽の生えた鳥類です。寿香さんは四足歩行のギリヒューマンです」

「ギリじゃダメなんです、マジヒューマンじゃないと」

 木村はひたいをかきながら、ふーっと長い息を吐き「ちょっと、コーヒーでも飲みますか」といって立ち上がった。

 パーテーションから出て行き、カップを二つ持ってくると、一つを龍牙の前に置き、木村は椅子に座り難しそうな顔でコーヒーを一口啜った。

「まあ……キミのいう通りですよ。彼女は確かに人間には見えない」

「やっぱり、なら異動を――」

「でも」と木村は龍牙の言葉を遮った。「それは認められない」

「どうして」

 龍牙が困ったように眉を寄せると「一口飲んで」木村はコーヒーを勧める。

 コップを手に取り、口元で傾けるのを確認すると木村は「落ち着いて聞いてほしい」と前置きを挟んで続けた。

「正直にいうと、キミの扱いには困っています。なぜ入社してからキミをずっと疑似精子作りとして、働かせていたのかわかりますか? キミの影が薄すぎるからです。仕事現場でそんな人間がいると、全体に支障が出る」

「はいぃ……」

 龍牙はしょんぼりしながら、またコーヒーを一口含んだ。

 実際にそうだとも思う。自分のような人間は集団行動に向いていない。

「しかし、ずっと下っ端がやるような疑似精子作りに置いとくというわけにもいきません。毎日懸命に働いている社員を、なんの理由もなく昇進させないというのは、人事部としての仕事をこなしていないということになる。それなりの功績を収めているものには、それなりの地位を与える。それが我々の仕事です。しかしながら、ホモビ制作というのは――というよりも、この世に存在する仕事とというものは、基本的に集団行動です。となると、キミが入れる部署は限られます。それがお客様サービス部なんです」

「あのぉ……他にはないんでしょうか」

「ありません」木村はきっぱりと答えた。「あそこ以上に適してる場所は、いまのところ。でもいいじゃないですか。あなたはこれでもかというほど特徴のない人。特徴の塊である寿香さんとは、きっとうまくやっていけるでしょう」

 そういいながら、木村はカップを傾けた。

「いや、関係ないと思いますけど」

「それと、よく考えてほしいんです、彼女がどうしてお客様サービス部で働き、しかも部下を持つほどの人間になっているのかを」

 龍牙は虚を突かれた思いで、ハッと顔を上げた。

 クレーム処理という高度な技術が必要な仕事を、あの会話すらままならそうな生物はいままでこなしているのだ。

 いったい、どういうことなんだ。

 考え込む龍牙に、木村は聞く。

「ちょっと考えてみてください、龍牙さん。コートはホモビデオメーカーですよ。ホモビデオにクレームって……どう思います」

 はたまた、衝撃の質問だった。

 そうだ。ホモビデオにクレームする人間など、イカれチンポしかいないはずだ。

「過去の例ですが。昏睡レイプは犯罪だからやめろだとか、男優が汚すぎるから二度と使うなとか、そんなクレームもあったりしました。僕も、色々と苦労しましたよ」

 龍牙の眉がきゅっと寄る。

「き、木村さんも昔、サービス部に?」

「ずいぶん昔ですけどね。あの頃は、毎日のように不眠症でした。彼らはクレーマーなどという言葉で表すことはできません。モンスターですよ。TDN人間がそれに対抗する手段はありません。化け物には化け物をぶつけるしかないんです」

「それが、寿香さんだと」

「その通りです」

「……えっと、寿香さんがクレーム処理として有能な人材であることは分かったんですが、それと私があの人の下で働きたくないというのは、まったく別の話じゃ」

「別の話ですか……本当にそうでしょうか」木村はカップを口元に運ぶも、その目はしっかりと龍牙を捉えていた。「彼女とあなた、会社にとってどちらがより大きな利益をもたらしているか。考えるまでもありませんね」

 挑発的な口調でそういい、木村がコーヒーを飲むと、龍牙は自分の体がほんの少しだけ熱くなるのを感じた。

 そう、いままで龍牙が行ってきたのは、誰でもできる疑似精子作りのみ。対し、クレーマーという強敵に立ち向かっている寿香。当然、社への功績は寿香が圧倒的に上だ。

 自分が上司に文句をいう筋合いはあるのか? いやない。何ならその逆、敬わなくてはならない。ちゃんと本人しかできな仕事を、会社のためにこなしている、寿香という人物を。

「確かに……私が間違っていました」

 くっと顎を引いて、龍牙はいった。

 そうだ。私がやるべきなんだ、なにもできない私だからこそ。

 やって見せる、必ず!

 

 

 と思ったのも、そのときだけだった。

 冷静になって考えてみれば、別に龍牙がサービス部に居なくてはならない理由はない

 影が薄くてもできる仕事はあるはずだ。モザイク処理とか、動画編集とか。

 人外の部下という面倒を押し付けるのに、押しに弱く流されやすい自分が一番、都合がよかっただけだろう。

 事実、木村の挑発に乗り、やる気があるような発言をしてしまったし、そんなことをいった手前、やっぱり間違ってませんか、とかいう勇気もない。

『どう見ても小学生じゃないだろ! 筋肉ムキムキだったじゃないか! 詐欺だよ詐欺!』

「はい! はい! まことに申し訳ございません」

 電話越しにメチャクチャをいってくるクレーマーに、龍牙は頭をペコペコさせながら答える。

 十八歳以上は出れないんだから、本物の小学生に見えるわけないだろ。と思いながら。

『ふざけんじゃねぇよ、弁償しろよ弁償!』

「申し訳ありませんが、そういったサービスは行っていなくてですね」

『だったらなんで電話対応なんてしてんだよ!』

「こちらは、より良い物を提供するため、お客様の意見を聞く場所であり、商品に致命的な何かがあった場合――」

『あ、もういいよ』

 ぎゅっと、唇を噛む。

 お前が聞いてきたんだろ。

『というかキミさ、なんか俺のこと舐めてない? お客様だよ、オレ』

「いえ、そんな滅相もありません」

『舐めてるんだよ! そうじゃなかったとしても、そう思わせてるお前が悪いよな!』

「あぃ……も、申し訳ありません」

『なにが申し訳ないの? なにが悪いか、ちゃんとわかってんのか』

「え……えっと、ですね……不快にさせたことをですね」

『俺は男優の話してるんだよ!』

 三十分後。散々いろんな愚痴をいわれ、一方的に切られた電話を、龍牙はプルプル震えながら置いた。

「うぅ……うう」

 メッチャ帰りたい。

 これで電話対応は三件目だったが、どいつもこいつも頭のおかしな連中ばかりだった。

 演技が棒だとか、ヤクザ役がこわいとか、三章が空気過ぎるとか。

「どうでもいいじゃん」

 龍牙は机に突っ伏すと、首を寿香の方に向ける。

「はい、えー趣味は、趣味、好きなこと、東方。好きなゲームは東方projectです。はい、本当に大好き。えー東方キャラだと犬走椛ちゃん。ものもーのーの、物部布都ちゃん。後は純子、ちゃんとか、後は魔理沙も好きです」

 首を後ろに九十度近く曲げながら、受話器を耳に当てる寿香は、あの意味不明なクレーマーに対し意味不明な返しをしている。

 たぶん――というより、確実に会話は成立していない。なんとなく、思い付きで言葉を発してるだけなのだろう。

 それで仕事をこなせているのだから、自分が馬鹿らしくなってくる。

「そうよ」龍牙は握った拳で、軽く机を叩く。「なんであんなアホな連中に、私がマジメ君みたく対応しなくちゃいけないのよ。あれぐらいでちょうどいいのよ、あれぐらいで」

 ぼやいていると、電話が鳴った。

 見てなさい、適当にやってやる。

「あっは~~い、どうも、玉袋モミモミ電話サービスでーす! はぁ~おまんこおまんこ」

『えぇ……』

 かなり恥ずかしいが、相手からは困惑の声が聞えてくる。

「クレームのお電話ですかぁ~そんなことより、私のイクところ聞いててくださ~い。うっふん~おほほほう~~いっへぇあ~~~」

『……』

「クリクリクリクリ、おクリがエクスタスィ~~吹きます吹きます潮吹き吹きます、おっほほほほほぉイクゥ!おクリイクイク明生一平ちゃん、ちゃちゃちゃんちゃん!!fo~~……あー、えっと」最初にあった勢いも衰え、頭がまわらなくなっていき、顔がどんどんと熱くなっていく。「……ち、ちんぽこ……ぽこぽこ……」

『キメてんのか……お前』

「……いや……あの……申し訳ありません、取り乱しておりました」

 怖いぐらい体が熱くなっていた。口に出した言葉を思い返すと、涙が滲み出て、死にたくなってきた。

『キミさ、自分がなにしたか分かってるのか?』

「もう……う、申し訳ありません」

 バカなことをした。あんなことができるのは、異質な脳みそがあってこそだ。

 凡人中の凡人である自分に、終始イカれまんこに徹するなんてできるわけがなかった。

 こんな仕事……私にできるのかな。

 龍牙は鼻をすすり、クレーマーに頭を下げながらそう思った。

 

 

 やっと終業の時間となった。

 長い八時間だった。幸いにも、電話対応は時間が決まっているため、残業はない。

 龍牙はヘロヘロになりながらも、バックをもって立ち上がる。

「お疲れ様です」

「おぉ疲れさまでひた~」

 寿香さんは、どうしてか妙にテンションが高い。腕や肩などを、人間の可動域を超えてぐるぐると回している。

 最初は見るたびに怖かったが、もうこの一日で慣れてしまった。

「では、私はこれで」

 サービス部の部屋から出ようと、ドアの前に立った瞬間、龍牙の肩に手が置かれる。

「ちょっとまってよぉ~」

 声がして振り向くと、寿香は椅子から動いておらず、腕が二mほど伸びて肩を握っていた。

 ちょっとビクっとしたが、ああ伸びるんだ、とすぐに納得する。

「なんでしょうか」

「あのぉ~この後って……予定とかありまひゅか?」

 ……え?

 

 

 予想外だった。

 仕事初日から、飲みの誘いに誘われるなんて思ってもなかった。

 そもそも人間か定かでない寿香が、こういったものを行う習慣があることも驚いた。

 断る理由もないので、行きつけという居酒屋に一緒にいくと、着いたのは腰ほどの木の板で区切られた座敷席が並ぶ、平凡な居酒屋だった。

「そしたらその勢いでなんた、よくわからない広告がピューン!って飛び出してきて、それで、間違って、ポチって押してしまったんですよ。そしたらワンクリック詐欺に引っかかってしまって」

 どういう経緯でこの話になったのかは、よく覚えてないが、たぶんワンクリック詐欺に引っかかった話をしている。

「そうですか、それは大変でしたね。で、どうしたんですか」

「うん、インフルエンザには一回もなったことないですけど、風邪の回数は山ほどありますねほんとに」

 ……ああ、やっぱり。

 うすうす気づいていたが、まったく話が通じていない。

 クレーム処理をしているときと同じだ。なんとなくで、思いついたことを口に出してるだけなのだろう。

 しぶしぶ、適当に相づちを打つが、とてつもなく退屈だ。これなら、人形にでも話しててほしい。

 寿香は楽しそうに話を続けると、ビールの入った中ジョッキを鼻に流し込んだ。この程度のことでは、もう龍牙は動じない。

 喉をごくごく鳴らし「プハッー」と気持ちよさそうに声を上げながら、そっちで飲んでないのに、なぜか口の脇を手でぬぐった。

 さらには、寿香は箸というものを使わない。

 つまみがほしくなったとき、目線を落とさず机の上を手探りし、皿をつかむとそのまま口に持っていく。

 その際に、いっしょに少し食べてしまっているのか、机の上に並ぶ皿は、だいたい端の部分が欠けている。

 こんな生物と一緒に飲むとなると、当然注目を引く。

 きっと、いつもはこの居酒屋もにぎわっているのだろうが、みんな静かに声を落として、こちらの席をチラチラ見てくる。

 居づらい。めちゃくちゃ居づらい。

 背中に視線を感じながら、龍牙は顔を見られないように、頭を下げてジョッキを傾ける。

「……はぁ~」

 ビールが喉を通ると、おも~いため息が漏れ出てきた。

 仕事は大変で、上司はこんなので、そのせいで変な目で見られている。

 初日でこれだ。これから先、いったいどうなってしまうのか。

「寿香さん……私、サービス部にきてまだ初日ですけど……なんていうか……うまくやっていける気がしないんですけど」

「二問目。あなたが街を歩いていたら、突然天子が降りてきました。おやつにマシュマロといちごオーレと鯖缶をくれといっています」

 当然のごとく通じていないが、それでもいいと、酒の勢いに任せて龍牙は心中をぶちまける。

「そもそも……そもそもですよ、入社初日から疑似精子づくりって、それも一人で三年延々と続けてたんですよ。それでもおかしいのに、次にいかされたのはもっとつらいサービス部。酷いじゃないですか。相手は、とんでもなく頭がおかしいクレーマーどもですよ。それを、なんの能力もない私なんかに……しかも、上司である……あなたはとてもマイペースで、なにも教えてくれないし。私これからどうすれば――」

「しょれは……ですねぇ」

 気が付くと、寿香は真剣な表情で、龍牙の顔を覗いていた。

 それは、始めてみる寿香の人間っぽい顔だった。

 もしかすると、ためになることでもいってくれるのかと、きゅっと両手を握り口を閉ざした龍牙に、寿香は鼻をすすって続ける。

「あのでしゅね……クレ、クレーマーっていうのは……みんな、その、むかむかしててですね……まあ、よくわかんないんですけど、とにかくですね……龍牙ちゃんには、私が――ゴボボッボボボ」

 突然、寿香は緑色の液体を口から吐きだした。

「うっうわああああ」

 龍牙は飛びあがった。「ちょ、どう、どうしたんでか」

「いんやぁ……ちょっと飲み過ぎ――ドッバボボボボ」

 液体は耳や目からも溢れ出してくる。

 どうしようどうしよう。

 焦る龍牙はとりあえず、携帯を取り出す。

 救急車……いや、寿香さんって人用の病院とかいっていいのか? 動物病院……いや、動物が困る……外科っていうか、地球外来科みたいなのがある病院は――

「あるわけないでしょー!」

 龍牙は頭を抱えて叫んだ。「もー! 誰か助けてー!!」

 

 

 翌日のサービス部、龍牙は本日二件の電話対応が終わると、ちらりと寿香の方を見た。

 いつものごとくよくわからない話を、クレーマーにしている。変わった様子はない。

 あの日、液体の浸った机に突っ伏した寿香が、五分間ほど激しく痙攣し、いよいよNASAあたりに通報しようと思ったところ、突然復活。

 液体をすべて吸い取り、事なきを得た――といっていいのか定かではないが、やはりこの化け物は普通じゃない。

 早いことここから去らなければ急に、おなかへった~、あなたおいそ~う、とかいいだして、頭からがっつりと食われかねない。

 しかしながら、部署移動は絶望的。転職も、なんの取柄もない、ただの疑似精子作るのがうまい女をどこの企業が雇ってくれるというのか。

 コートはそれなりに給料もいい。いまから別のところで最初からとなると、当然給料は落ちるだろう。

 いまを耐えれば、いずれ出世も見えてくるかもしれないが、そのいずれまでに、自分は耐えられるのか。

 龍牙は口をすぼめ、じっと電話を見つめていると、

「龍牙しゃん」

 と電話対応が終わったらしい寿香に声をかけられる。

「はい、なんでしょう」

「あのでしゅね……えっと、明日に、その、ちょっとしゅっち、出張があります」

「……へ」

 想定外の出来事に、龍牙は狼狽する。「ちょちょちょ、ちょっとそれは困ります。その日は私一人ってことですか?」

「まあ~そうですね」

「いやいやいや、私まだここにきて一週間もたってませんよ。二人でやっててもつらいのに、そんな一人なんて」

「いやーそう言われましてもね……あのー確か岡山県のコート県北にある川の土手の下支部で、サービしゅ部がなんか大変みたいで……呼ばれちゃいました~」

 ちょっと誇らしくしている寿佳に、龍牙はイラっとくる。

「呼ばれちゃいましたって……あなたは私の上司ですよね。そんな無責任な」

「えーとですねはい。たい焼きですね。たい焼きはやっぱり、私は一口で、食べてしまうので、えっと、まあ真ん中から、食べます」

「ぐっむ……むううぅ」

 龍牙は子供のような声を上げながら、意味不明モードに入った寿香をにらみつけた。

 こんなとこ、すぐに辞めてやる。

 

 

 そして翌日。

 寿香のいない仕事は、朝からてんてこ舞いだった。

 電話はひっきりなしになり続け、休む暇もない。

 そのさなか、ひっそりと頭の中で思う。

 辞める、辞めてやる。

『だから、返品しろっていってんの!』

「申し訳ありませんが、そういったサービスは行っておりません」

『話し通じないな、社長に変わってくれ』

「そちらもできません」

『なんだとこの――』

 クレーマーからの罵詈雑言を、龍牙は右から左へと聞き流す。

 さすがにこれだけこなせば、それなりに慣れてもくる。絶対に辞めるけど。

『もういいよ、バカ会社! もう買わねぇからな!』

 捨て台詞が聞えると、強制的に電話は切られた。

 すると、不意に電話は静かになった。平日の昼だ、クレームやってる暇人ばかりというわけではない。

 だが、クレームが本格的になるのは基本午後だ。ここからも一人となると、少し気を引き締めなくてはいけない。

「ふう……おしっこいってこよ」

 サービス部の部屋からでて、トイレに向かい、用を足して出ると、ちょうど男子トイレから木村が出てきた。

「龍牙さん」

「あ……ど、どうも」

「大丈夫ですか。確か今日は、寿香さん、川の土手の下支部に出張ですよね」

「ええ、まあ、それなりに」

 ここで文句の一つもいえないのが、自分らしいところだ。

「そうですか……ちょっと疲れてるようにも見えますけど」

「はい、結構つかれてます……あ」

 そのとき、突然思い立つ。

 言おう。いま、この会社を辞めると。

 この手の重要な話で、言うタイミングを逃して、結局伝えれず自分が我慢をするという経験を何度もしてきた。

 いま言っておかなければ、いつになるかわからないし、後に引けば引くほど言いづらくなり、そのうち諦めてしまうかもしれない。

 それはもう嫌だ。自分の思ってることを、ちゃんと伝えなければ。

「あ、あの木村さん」

「はい?」

「わた、わたわた、私あの……あの、この会社をや……や」

「この会社を……なんですか?」

「や……やめ……ヤメチクリウム合金ってなんでしょうね」

「……はぁ?」

 木村は首をかしげる。

「い、いやーどっかで聞いたんですよ、それが頭から離れなくてですね。確かアニメ?……ガンボリって名前の奴でしたっけね」

「いやぁ、聞いたことないですけど」

「あ、すいません、木村さんアニメなんて見ないですよね、そうですよね。じゃあ、私はこれで」

 くるりと踵を返し、サービス部に戻る途中、「なにをやってるんだ……私は」ボソリとつぶやき、龍牙は肩を落とした。

 その弱弱しい背中を、木村は心配そうに眺めていた。

 

 

 後5秒……3……2……1……。

「やった!」

 時計の針が真上を差すのを見て、龍牙はガッツポーズをした。「やったぁ~終わったぁ~」

 ぐったりと机に倒れ込み、涙をにじませる。

 なんとなく、達成感もあった。この境地を抜けることができた自分が、誇らしかった。

 すぐに家に帰って、お風呂に入って寝たい。そう思ったが、

「いや、ダメ!」

 机を叩き、顔を上げる。「いわなきゃ……ちゃんと辞めるって」

 自分にそう言い聞かせるも「でも、しんどい……寝たい」と体を小さくする。

 別に明日でもいいかな。いや、でもな~。

 うじうじと、一人部屋で悩んでいると、ドアからノックが鳴り「失礼します」と木村が顔を出し「あ、龍牙さん。ちょっといい」と部屋に入り、龍牙の対面に座る。

「あ、はい」

 なんの用事かは知らないが、ちょうどいい機会だ。帰るまでには絶対に辞めるっていってやる。そう思ったが、ふと木村の表情を見て、龍牙は不思議に思う。

 なんだか……困ってる?

「まず、先にキミに謝っておく」

 木村は軽く頭を下げた。「本当に申し訳ない」

「え……え!?」

 突然のことに、龍牙は慌てふためいた。「えあ、いいいいいや、なんですか」。

「いや、やはりキミには、ここは荷が重すぎたと思う。サービス部という過酷な仕事に、人間とは思えない上司。誰もなりたがる人間がいなく、正直困っていました。そして、キミに押し付けてしまいました。悪いことをしたと、思っています」

「い、いやそんな。気にしないでください」

「そう言ってもらえると、助かります。それでなんですが、キミが良いというのならですが、部署の異動をしませんか?」

「え? でも、いいんですか。やりたがる人間なんて、いないと言ってたし。それに、私ここにきて三日目ですよ」

「ええ、これは私の過失です。なんとかします」

「はぁ……なるほど」

 唐突に振ってきた、願ってもない話に、龍牙は呆気にとられた。

 辞めたかった理由は、こ↑こ↓、サービス部がつらかったからだ。それが解決されるのなら、辞める必要はなくなる。

「どう、でしょう」

 返答を待つ木村がそう聞くと、龍牙はハッとして顔を上げる。

 考えるまでもない。こんなことは中々ない話だ。それに、木村さんは私のことを思って、この提案をしてくださった。断るわる理由は何一つない。

「はい。すぐに、明日にでも異動を――」

「ちょっと!」

 突然、部屋のドアが開き社長が部屋に入ってきた。

「社長」

 すぐに木村が立ち上がった。「どうかなさったんですか」

「ああ、説明は後だ。きき、キミ、サービス部だよね」

 社長は龍牙を指さす。

「私ですか? そうですけど」

「じゃあきて」と説明もなしに、龍牙の腕をつかんだ。

「えっ、ちょっなんですか」

「説明は後! 早く来て!」

 無理やり手を引かれ、やってきたのは十九階、ある一室のドアの前だった。

「この部屋に、本社まで来たお客様がいるから」

 息を切らしながら、社長はそういった。

「お、お客様って」

「クレーマーだよ」と社長は声を潜める。

「ええ!? わ、わざわざ本社にですか。というか、なんで私が」

「キミはお客様サービス部でしょ。電話係とはいってない。こういったときの対処もキミの仕事の――」

「おう、あくしろよ!!」

 ドアの向こうから聞こえたドスのきいた声が、社長の言葉をかき消し、龍牙は肩をビクっと跳ねさせる。

 向こうにいるのは……いったい。

「ほら、早く行って」

 恐怖に震えていると、社長に背中を押される。

「いいい、いやでも」

「でもじゃない! 早く!」

「ひいいい」

 頭がまわらなくなり、混乱した龍牙はとりあえずドアを開け、中に入った。

 中は机が一つと、それを挟むソファーがある小さな部屋だった。

 奥にある窓からは、夕焼けが室内をオレンジ色に照らしている。

 そして、龍牙から見て奥のソファー、そこに座っていたのは。

「ちょっと遅かったんとちゃう!」

 机を叩き、そう叫んだのは色黒のホモだった。夕焼けが作る濃い影により、その黒さは漆黒の物となり、怖さが増して見える。

「ああああ、あの、あの」

 パニック状態の龍牙は、とりあえず頭を下げる。「申し訳ございませんでした」

「申し訳は聞きあきたわ! ほら見ろよ! このクソみたいなDVDをよぉ!」

 龍牙はクレーマーが指さす机の上を見る。

 そこには、ホモビのパッケージが三つ並んでいた。

「どうすんだよコレなぁ! どれも、クソみたいな作品でなぁ! お前どうすんだよこえw高かったんだよなぁ!!」

「ああああ、はぃ」

 龍牙はクレーマーの怒号に対し、足をプルプル震えわせて、呻いた。

 電話越しにいわれるのも嫌なのに、まじかでやられるとことさらに恐怖を感じる。

「す、すいません許してください」

 切羽詰まった龍牙は、早くこの場を離れたい一心で、破れかぶれに頭を深く下げた。「あの、な、なんでもしますから」

「ん?……いまなんでもするって言ったよね」

「……は」

 クレーマーのホモ特有のねっとりした声をきき、とても嫌な予感がしたが、事実のためうなづく。「あ……はい」

 もしかすると、とんでもないことを口走ってしまったのかもしれない。

「じゃあ犬の真似してみろ」

「え? 犬……ですか」

「犬だよ! ヨツンヴァインになるんだよ!」

「は、はい!」

 すごまれてビクつきながらも、土下座しろの意味だと悟った龍牙は、すぐに膝と手を地面につく。「あの、申し訳――」

「おい、なに犬の癖に服着てんだよ」

 頭を下げる直前に固まった龍牙は、不穏な予感と共に顔を上げる。

「はい?」

「犬は服着ないだろ。あく脱げよホラホラ」

 頭から、さっと血の気が引いていった。

 さすがに裸で土下座なんて、できない、したくない。

「ああああ、あの、そ、それはちょっと――」

「なんでもするっていったよなぁ!」

「ひぃ!」

 確かに言ったが、そこまでするつもりではなかった。

 半べそをかきながら、どうしようか悩んだが、クレーマーのいう通りにするしか、この場を解決する方法が思い浮かばない。

「あ、あのー……裸で土下座したら……帰っていただけるんでしょうか」

「おう、考えてやるよ」

 考えてやる。

 確実ではないが、いまはそれにすがるしかない。

「むっ、くぅ」

 なんで……なんでこんなやつにぃ。

 立ち上がった龍牙は、歯を食いしばりながらゆっくりと上着を脱ぐ。

「ストリップみたいに脱げよ」

 ストリップ? 私をなんだと思ってるんだ。

 そう思うと、龍牙は自然とクレーマーを睨んでいた。

「なんだその反抗的な目はオォ!?」

「いえ……なんでもありません」

「なら早くシャツ脱げシャツ、これもちゃんとやれよリッパみたいに」

 ストリッパーなんて見たことないわよ、と胸の中で悪態をつきながらも、シャツのボタンをはずし、脱ぎ捨てた。

「下もだよ」

 ゲス特有の声質でクレーマーがそう言うと、龍牙はスカートも脱いだ。

 下着姿の状態で、龍牙は探るような目をクレーマーに向ける。

 さすがに……これ以上は……。

「とま……って見えるのは私だけでしょうか。早く脱げや」

 やはり、クレーマーは全裸にさせる気だった。

「あの、それだけは」

「なんでもするっていったよなぁ!? あくしろよ! 帰らねぇぞ!」

 付け入る隙もない返答に、龍牙は口をぎゅっとすぼめた。

 この……クソホモ野郎。嫌だ……でもやるしか……。

「わ……分かりました」

 龍牙は目を強く閉じて、背中に手をやると、ブラジャーのホックをつかむ。

 まぶたの奥で、クレーマーのほくそ笑んでいる表情が、手に取るように分かった。

 こんな奴にぃ。

 意を決し、ホックを外そうとした、そのとき、

「ヴァー」

 どこからか聞こえた、その鳴き声を聞いて、龍牙は手を止め、目を開く。

 クレーマーもその異質な鳴き声に、驚いているようだった。

 周りを見渡し、声の出所を探していると、窓の外、夕日にシルエットが見えた。

 それは鳥のようだった。だが、龍牙だけは分かった。

 あれは鳥ではない。骨格を変え、皮膚を伸ばし、飛べるようになった人間のような生物だ。

 そのシルエットはどんどんと、こちらに近づいていき、鳴き声はそれとともに大きくなる。

「ヴァー!!」

 そして、このプールで溺れたピノキオが、一瞬だけ水面から顔を出したときの叫び声のような、この異質な声の主は――。

「ひ、寿――」

 影は龍牙のいる部屋に直撃し、ガラスの割れる音が部屋に響いた。

「キャ!」

 砕けたガラスが部屋に飛び散ると、龍牙はしゃがみ込み、頭を抱えた。そして、ゆっくりと顔上げると、そこには、「寿香さん!」

 鳥のような生物に変貌をとげていた、寿香がそこにいた。

「てめえええええええぇ!! なにしてんだあああぁ!!!」

 叫び声が聞こえ、クレーマーを見ると、顔に砕けたガラスがいくつも突き刺さっていた。「どう落とし前付けるんだよお前。こんなことして、ただで済むと思ってるのか」

 寿香さん、どうするつもりなんだ。と顔を向けると、寿香は人型に戻っていた。

 しかし、寿香はなにもいわず、クレーマーをじっと見ている。

「なんとか言えよ!」

 叫ばれながらも、まったく動じない寿香は、妙な間をあけた後、口を開くと、

「ご主人様、ご食事の準備はいかがいたしましょう」

 案の定、でてきたのは意味不明な言葉だった。

「えぇ……」

 当然、クレーマーは困惑する。しかし、寿香は止まらない。

「ご飯にします? お風呂にします? それとも、わ、た、し? ってもう! なに言わせてんだよバカ兄貴!」

 クレーマーは、もはや完全に言葉を失っていた。龍牙も同じだ。

「ぅぉわぁっ!!」

 不意に寿香はおっさんみたいな声で叫び、龍牙とクレーマーの二人は肩を揺らす。「お化けだよん! にひひ、怖かったかい?」二人は別に返答してないが「な~んだ怖くなかったのかぁ」と続ける。

「次は怖い奴にするからな。覚悟しろよぉ!」

 いや、もう十分怖い。

「分かった」

 クレーマーはさっさと、机の上にあるDVDを持ち、バックに入れた。「も、もう帰りますよ~帰る帰る」

 すると、クレーマーは「やべぇよやべぇよ」とつぶやきながら、部屋を出て行った。

 ドアが閉じられ、二人きりなる静かな部屋の中、寿香と顔を合わせると「寿香さぁん」と龍牙は大粒の涙を流した。

「ありがとうございます、ありがとうございますぅ」

 駆け寄り、涙でぐしゃぐしゃになった顔をお腹にこすりつける。「怖かった、怖かったよぉ」

「おぉ~、よしよし」

 泣きじゃくる龍牙の頭を、寿香は関節の安定しない腕で撫でた。

「でも、どうしてここに」

 鼻をすすり、涙をぬぐった龍牙は聞いた。

「なんかあの~、きむ、木村しゃんから連絡がきて。龍牙ちゃんが大変だって聞いたから、来ちゃいました」

「え、県北にある川の土手の下支部からですか?」

「はぁい。も~仕事中だったから、大変でひたよぉ~。鳥になると、全身痛くてぇ」

「仕事中にですか……どうしてわざわざ、そんな大変なときに飛んできてくださったんですか」

「当たり前じゃないれすかぁ。龍牙ちゃんの、友達のためなら飛んでもきましゅよ」

 その言葉に、龍牙は言葉を失う。

 と……友達。

「ヴァ! 私、まだ仕事が残ってたんでした。すぐにいかないと」

 そう言うと、寿香の体は骨がボキボキと骨格を変えていく音とともに、鳥の形へと変形していく。

「また、なにかあったら、よんでくだしゃいね」

 そう言うと、寿香は窓から飛び立っていった。「ヴァーーーーー!!」

 龍牙は窓際に立ち、目を細めながら、夕日へと向かっていく寿香の背中を見て、つぶやいた。

「とも……だち」

 

 

「えぇ! こ、断るって」

「はい」

 寿香の行きつけと言っていた居酒屋。そこで、木村と飲んでいた龍雅は、そう答えてうなづいた。

 今日は前と違い、注目の目もなく、酒が進む。

「いいんですか、サービス部のままで」

 木村は信じられないといった表情でそう言うと「はい」と龍牙は笑いながらうなづいた。

「確かに、大変ですけど、やりがいはありますし……それに、寿香さんもいますから」

「いるといっても、人外ですよ」

「確かに、人外かもしれません。ですが、私のことをちゃんと考えてくれていました。だから、もう少しだけ続けようと思ったんです」

「そ……そうですか。まあ、キミがそう言うのなら、私はなにもいいません」

 木村は腑に落ちない様子で、つまみを一つ口に運ぶ。「……しかし、ずいぶんと変わりましたね。今日、トイレで会ったときは、ずいぶん疲れた表情だったのに、いまはイキイキとしています」

「ええ、ちゃんと気づけましたから。私のこと大切にしてくれる、ひとー……というか、生物もいるって」

「そうですね」

 木村は笑いを浮かべて、うなづいた。

 二人でビールを飲むと。

「ああ、そういえば」

 龍牙はジョッキを下げて、いった。「言われたんですよ、寿香さんに」

「なんと」

「私、友達とかいままで、一人もできたことなかったんですけど。寿香さんは、私のこと……友達だって」

「……なるほど」

 龍牙の脳裏に、寿香の顔が浮かんだ。

 意思疎通も、ちゃんとままなっていなかった。いつも、この人は私のことを、なんと思っているのだろう。いつも、そう考えていた。

 それがまさか……いつのまにか、友達だなんて。

 そう思ったとき、龍牙は純粋に沸いた心の声を、口に出した。

「……いや、さすがにそれはないなって」

「うん、ですよね」

 木村は苦い顔でうなづく。「……種族がね」

「はい……違いますから」

「うん、難しいですよね、さすがに」

「……はい」

 サラリーマンたちが集う居酒屋。その喧噪の中、変な空気の流れを感じた二人は、黙ってジョッキを傾けた。

 私の名前は龍牙。

 コート入社歴三年。製品課お客様サービス部。主な仕事はクレーム処理。

 これから先、もっと大変なことが、たくさん起きるだろう。

 それに立ち向かう覚悟はある。しかし、地球外生物と友達になる勇気は、まだない。

 


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