「マリン!?大丈夫!?」
俺が自らの存在を改めて認識している時、近くで悲鳴に近い声があがる。この声は……?
「レオナ姫だ、あの賢者が危険だという事を告げて連れてきた」
すっ、と俺から離れたヒュンケルが説明する。何でも、俺の異常な様子をガイコツ兵から報告されたヒュンケルは、回復魔法に頼らざるを得ない事態になっていると想定し、賢者の卵であるレオナ姫を連れてきたらしい。
うちの団って魔法使える奴いないからな。
「っ!なんて酷い傷なの……!」
ヒュンケルの言う通り、俺を押しのける勢いでマリンの元にやってきたのは、パプニカ王女であるレオナ姫であった。いや、王亡き今は女王と言うべきか……?とにかく、俺も治療の邪魔にならないよう、跨っていたマリンの上から退く。
「マリン!死んじゃ駄目よ!ベホマ!」
レオナ姫はマリンに駆け寄って膝枕をしつつ、その体にベホマをかける。すると、傷だらけで瀕死状態だったマリンの傷はゆっくりと、だが着実に治っていった。
「ベホマが得意という噂は、本当だったようだな……」
「ヒュンケル……今の時期は、レオナ姫を幽閉箇所から出したくなかったろうに……すまないな」
レオナ姫を城の奥底に幽閉し、その上で世間にはレオナ姫は処刑したと公布する……パプニカ残党狩り、そして人間の支配が完了したら、どこかへ逃がしてやる……そう考えていたヒュンケルにとっては、城内とは言えレオナ姫を幽閉先から出したくはなかっただろう。
今までは兵士たちも一部を除きレオナ姫は処刑されていると思っていたようだが……今回のことで彼女の姿を見る者がいれは、そうはいかない。
「気にするな、城内にはいずれ発覚していたことだ」
「……ありがとな」
そうこうしているうちに、レオナ姫のマリンの治療が終わったようだ。ベホマによって、傷は完全に塞がっている。
「姫、さま……申し訳、ござい、ま……」
「いいのよ……無理して喋らないで……今はゆっくり休んでいて……」
だが、レオナ姫のベホマは怪我の治療と体力の回復を同時に行う事ができないようだ。傷は塞がっても、ダメージは残っているようで、マリンは息も絶え絶えにレオナ姫に礼を述べた後、ゆっくりと眠りについた。
怪我の治療が終わったタイミングを見計らってヒュンケルが前に出ようとしたが、俺はそれを抑える。ここはマリンを殺しかけた張本人である俺が行かねばなるまい。
とは言え、なんて声をかければいいやら……人間を殺しかけたことを謝るのは、魔王軍として戦っている俺が言うのもおかしな話だしな……ここは無難にいくか。
「……レオナ姫、礼を言う……おかげでここのルールに背かないですんだ」
「……あなた……さっきの鬼気迫る様子は尋常じゃなかった。一体……」
おお、俺がマリンを殺しかけたことに激怒するかと思いきや、かなりクールだなレオナ姫。まぁ、この状況で魔物が人間を殺そうとすることに怒りを顕わにしてもしょうがないとは分かっているらしい。
「……言い訳にしかならないが、俺は……俺は自分が自分じゃないってことを知って……混乱してたんだ。そのせいでマリンを殺しかけてしまった」
「自分が、自分じゃない……?」
レオナ姫は俺の言っていることの意味が分からないようだ。当たり前だ。急にこんなこと言われて理解できる方が怖い。だが、わざわざこの場で俺の出生についてまで語るような必要はない。むしろ、簡単に言いふらしてはいけないだろう。
「……これで納得しろとは言えないが、俺から話せることはそれだけだ……じゃあな、ありがとう」
結局のところ、俺たちは今現在殺しあっている魔族と人間。不死騎団は騎士道精神溢れるヒュンケルが率いているが故に、殺さずに助ける人間もいるが……それはあくまでも例外に過ぎない。
レオナ姫は家臣が殺されかけたことに憤りはしても、それをここでぶつけることを無意味だと理解し……俺は八つ当たりでマリンを殺しかけたことを申し訳なく思っても、それをこの場で伝えることの滑稽さを分かっている。
だから俺は謝罪をせず、ただ礼だけを言って、レオナ姫に背を向けた。レオナ姫は何か言いたげだったが、何も言わずに、苦しそうに息を荒らげながら眠りについているマリンの看病を続けていた。
「ヒュンケル……そういえば、勇者たちは?」
俺を追いかけて来たということは、勇者パーティーを放置してきたのだろうか。だとしたら流石に申し訳なさすぎる。
「ああ、どこから話したものかな……お前が去った後……」
★ ★ ★
「カロン……あいつ、どうしたんだ……!?」
ヒュンケルは、突然狂ったような笑い声をあげた後に走り去って行ったカロンを見て、嫌な予感がした。今、カロンから目を離してはいけない……そんな漠然とした不安が、ヒュンケルの胸中を覆う。
「はぁ……はぁ……ど、どうなってるんだ……?」
ヒュンケルに手も足も出なかったダイも、もう一つの戦場……ポップとマァムがカロンと戦っている場の状況を掴みかねていた。
「ヒュンケル!お願い、教えて!あの人は一体……!?」
その時、かなり焦った様子のマァムがヒュンケルに声をかけた。
「なに……?どういうことだ?」
「あの人……カロンは私を見て、レイラって……私の母の名前を呼んだわ!そしてその後、父ロカの名前を呼んだ……ヒュンケル、ひょっとして……ひょっとしてカロンは私の……!」
「ロカ、レイラだと……?まさか!」
カロンのあの尋常でない様子。僧侶レイラと戦士ロカの娘マァム……彼女との間で何かがあったのは間違いない。そしてカロンがマァムを見てレイラと言ったという……そしてカロンは、人間の遺骨を元に産み出された呪法生命体……
そこまで考えて、ヒュンケルは気づいた。様子がおかしかったのは……自らの『生前』を思い出して、混乱していた……?
「……運が良かったな、お前たち……カロンに感謝するがいい……この場は見逃してやる」
「な、なんだって!?」
突然剣を収めようとしたヒュンケルに、ダイは訝しげな声をあげる。
「お前たちの力量は既に知れた……後回しにしても問題にならん相手だ」
「や、やろ~、舐めやがって……」
舐められたと感じたポップは、杖を握りしめる。
だが、ダイもポップも本能的に気づいていた。ヒュンケルは今の自分たちでは、正攻法では決して勝てない相手だということを……そしてヒュンケルはまだ、本気を出していないであろうことを……
ダイたちにとっても、作戦を立てるなり態勢を整えるなりために、この場での決戦を避けられるのは悪い話ではない。不死騎団団長を前にして倒せないというのは悔しいが、ここは戦いを止めてヒュンケルが去るのを待つべきか……。
だが、マァムにはヒュンケルに聞いておかなければならないことがあった。
「待ってヒュンケル!最後に質問に答えて!カロンは、カロンは私の……兄さんなの!?」
例えその質問が、真実を知る者から見たらとてつもなく滑稽だとしても。
「な、なんだって~!?」
「あいつが、マァムの……お兄さん……!?」
マァムの衝撃的な質問に目を剥いて驚くダイとポップ。
「カロンが私を見てレイラと言ったということは、彼は母さんの昔の顔を知っていたんだわ!そして多分、今の母さんのことは知らない……あと、私のことはよくは知らないみたいだったけど、名前を聞いてから余計に様子がおかしくなった……だから、だからひょっとして……」
マァムは禁呪法について詳しくない。そういった危険かつ非人道的なものがあるということ自体は知っているが、具体的にどういう魔法なのかは知らない。
だからこれは、決して的外れな推測というわけではない。
ただ、本人の持っていた知識と、与えられた情報が噛み合わなかっただけである。
少々要領を得ないながらも、必死に自分なりの根拠を述べるマァム。その痛ましい姿を見ていられなくなったヒュンケルは、ゆっくりと首を横に振る。
「マァムといったな……一つだけ言ってやる、カロンはお前が思っているような存在ではない……そうだろう、クロコダイン?」
「むぅ、気づいておったのか」
その時、物陰からぬぅっと姿を現したのは、獣王クロコダイン。先日勇者ダイ一行と戦い、そして敗れた百獣魔団団長、クロコダインである。
「く、クロコダイン!?」
「そう警戒するな、ダイ……俺はもうお前たちと戦うつもりはない」
「え?」
「ヒュンケルが相手ではダイたちがピンチかと思ったが……何やらトラブルらしいな」
明らかに以前戦った時の様子とは違うクロコダイン。ダイさんたちが困惑しているのを尻目に、ヒュンケルはクロコダインの言葉の真意を読み取っていた。
「ほう、裏切るのかクロコダイン……六団長の中でも、お前とバランだけは尊敬に値する男だと思っていたが、見込み違いだったようだな」
「……ヒュンケルよ、俺はこいつらと戦い、人間の素晴らしさを知った……最早魔王軍にはいられぬ」
同じ人間であるお前には、人間の素晴らしさが分かるはずだ、と語るクロコダイン。
「え!?と、いうことはまさか!」
「ああ、これからはお前たちに力を貸そう」
「本当!?ありがとうクロコダイン!」
「お、おいダイ、そんなに簡単に信用して大丈夫なのかよ……」
思いがけない人物が味方になったことを純粋に喜ぶダイ。対してポップは半信半疑だ。例えばの話だが、もしもクロコダインがヒュンケルの攻撃から身を呈してダイを庇う……といった登場の仕方をしていたら、ポップも疑いを持たなかったかもしれない。
「クロコダイン……貴方はカロンの正体が何者なのか知っているの!?」
「……?確かに、俺は奴のことを知っているが……」
それに対し、マァムが気にしているのはやはりカロンのことであった。先ほどまで様子を伺っていたクロコダインは、マァムがカロンを自分の兄だと誤解していることを知っていた。ここはその誤解を解いておくべきか……
「クロコダイン、いくらお前でも、奴の出生を言いふらすことは許さん」
が、それに対してヒュンケルは釘を刺した。クロコダインは、その真剣な鋭い瞳に射貫かれ、軽はずみにカロンが呪法生命体だと言ってはいけないのだと理解した。
「マァム、答えが知りたいならば地底魔城に来い……そして本人から聞き出すのだな。ダイ、貴様との決着もそれまでは預けておく」
「ま、待ちやがれ!」
「よせ小僧、今のお前たちのレベルでは策もなしにヒュンケルには勝てん」
マントを翻して振り返るヒュンケル。ポップはその背中を反射的に追おうとするが、クロコダインに止められる。そういったやり取りを尻目に……ヒュンケルは、カロンが帰還したと思われる地底魔城に向かった。
★ ★ ★
「クロコダインが裏切った!?」
「信じがたいことだが、事実だ」
ヒュンケルの説明を聞いて色々言いたいことはあったが、一番驚いたのはあのクロコダインが裏切ったということだ。
「勇者一行だけじゃなく、クロコダインとも戦わないといけないのか……」
「いや、それはない」
少々厄介なことになったと頭を抱えそうになった俺だが、そんな心配をヒュンケルはあっさりと否定する
「上手く隠していたが、クロコダインはダイとの戦いで負った傷が完治していなかった……あれでは戦うのは不可能だろう」
「なるほど……じゃあ勇者パーティーだけが相手で済みそうだな」
「……奴らは必ずここに来るだろう……カロン、ダイと魔法使いの相手は俺がやる。お前はマァムと……いや、『前世』と決着をつけてこい」
「……ああ」
マァム……俺の『前世』であるロカの娘の僧侶戦士。ただ父の骨を再利用して産まれただけの魔物を、生き別れか何かの兄だと勘違いしている哀れな女。
先ほどは思わず逃げてしまったが……今度は逃げない。俺は、マァムと正面から向き合い……俺の中の『
今日はもう休んでいろ、というヒュンケルの言葉に甘え……俺は自室で、眠りについた。
その日、俺は『初めて』地底魔城に来た時の夢を見た。あの時懐かしさを感じたのは、懐かしそうにしているヒュンケルに引っ張られたのだと思っていたが……今となってはそれは、勘違いだったのだと分かってしまって……何だか無性に、悲しかった。