2022追記:すべての始まり。文芸部誌に載ってた加古の作品を、俺が勝手にリメイクしたやつ。今から考えるとひどいことしてるけど、当時はガキだったので。
死にたい。
ある時から、俺は何かにつけてそう思うようになっていた。
小さいときから、何をやっても並な人間だった。苦手なこともなければ、得意なこともない。趣味もネットかスマホゲームくらいで、自他ともに認める面白みのない普通の高校一年生だ。
いや、本当に「普通」の人間なら、こんな気持ちになることもないのだろう。
俺にはこれからの人生が何の変哲もないものになることが分かっていた。そして、それがたまらなく無価値に思えたのだ。
「有城、大丈夫か?」
担任に一応といった様子で声をかけられた。どうやら気づかないうちに下校時刻を迎えていたらしい。
「すみません、大丈夫です」
「おう、気をつけて帰れよ」
彼は俺のことを、本当に普通の生徒だと思っている。自分の出世にも影響しないし、問題も起こさない。だから微塵も興味がない。そんな彼自身も、また普通の教師だ。
俺はため息をつくと、鞄を背負っていそいそと帰路につく。手のひらサイズの携帯電話を片手に、とぼとぼと。
そんな俺の日常は、一瞬にして終わりを告げた。
爆音で鳴り響くクラクションの音にふと顔を上げると、真っ黒な高級車が猛スピードで迫ってきていた。
その直後、信じられないほどの衝撃が身体中を走り抜ける。声に出ない嗚咽とともに、地面に叩きつけられるのを感じた。
意識が薄れていく。
俺はぼんやりとした視界の中で、信号機の赤い光を眺めていた。
(やっと解放される.......)
俺はいつも死にたいと思っていた。だが、だからと言って自分で自分の命を絶つことなど、できやしないのだ。
赤信号を無視したのはこちらだから、俺を轢いた人も重罪にはならないだろう。俺はこんな死に方を、ずっと望んでいた気までしてきた。
死後の世界、という概念は腐るほど聞いてきたが、俺が死んだら魂はどこへ行くのだろうか。いや、そもそも魂なんてなくて、俺に待っているのは永遠の闇なのかもしれない。
それもいいな、と心の中で笑いながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
「ん........」
次に眼が覚めた時、視界は闇に覆われていた。身体はピクリとも動かない。
想像していた通り、死後の世界は無限の闇だったのだろうか。一瞬そうも思ったが、次の瞬間身体中に激痛が走った。どうやら俺は、死に損ねたらしい。
「てめぇ、運転する時はもっと気ぃつけろ。てめぇのじゃなくて組の車なんだからよ」
ドスの効いた低い声が、どこかから聞こえてきた。
「すみません、兄貴!......でも、あのガキ赤信号突っ切ってきやがって」
「だとしてもだ。警察でも呼ばれたら、車に積んである銃やらヤクやらが全部バレてお釈迦じゃねぇか。違うか?」
「いや、本当にすみません。ちょうど人目がなくて助かりました」
「近くの山に向かえ、そこで死体埋めるぞ」
ははん、と俺は思う。
どうやら俺を轢いた車は非合法組織のもので、彼らは俺が死んだものだと勘違いしてトランクに詰めたらしい。
このままだと、これから俺は山に埋められる。ひと思いに轢いてくれるのならまだしも、生き埋めで苦しい思いをするのはなかなか困る。かと言って、抵抗する体力なんて残っているはずもない。
「ん?」
指に何かが触れた。痛みをこらえながら握ってみると、どうやらナイフのようだ。少し辺りを探ってみるが、流石に拳銃は別の場所に保管しているようで、トランクには薬が入っているらしい大量の麻袋とナイフ一本だけが転がっていた。
これを使って抵抗するか?
もしかしたら万に一つくらいは可能性があるかもしれない。だがおそらく、素人で、しかも瀕死の僕が拳銃を持ったプロ二人にナイフで勝てる訳はないだろう。
それに、そうまでしてこの世に執着があるわけでもない。
そうなれば、俺が取れる手段は一つしか残されていない。
極限の状況を利用して、自らの手で、自分の望みを叶えるのだ。
俺はナイフを強く握り、首に当てる。
そしてすうっと息を吸うと、勢いよく横に掻っ切った。
「起きろーっ、死亡者10000000号!」
耳元で聞こえる絶叫に飛び起きると、俺の身体は今度は真っ白な場所に居た。天界、そんな言葉がすぐに浮かぶ。
俺を起こした女性は頭に丸い輪が浮かんでいて、翼が生えていて白い服を着ている、まさしく天使そのものだ。
「君、名前は?」
至って興味がなさそうに聞かれて、少しむっとしながら答える。彼女ももしかして「普通の天使」なのだろうか、などとくだらないことを考える余裕があるのは、覚悟していた死だからか。
しばらくタブレット端末のようなものを操作していた彼女の顔つきが、急に変わった。
「えっと.......有村くん?君、交通事故に遭ってからわざわざ自分の首を切って死んでるよね。なんで?」
どうやら俺は死後の世界でもレアケースらしい。事情を説明すると、彼女は興味深げな顔でうなずいてみせた。
「それは大変だったね。そんな君に、嬉しいお知らせがあります」
「何ですか?」
「君はね、今年に入ってからちょうど一千万人目の死亡者なの。だから天国と地獄の他に、君の居た世界とは別の世界に行く権利が与えられる。これ、毎年やってるんだよね」
そう言って彼女は俺にパンフレットを手渡す。そこにはずらりと文字が並んでいたが、世界共通言語の英語で書かれているので俺には読めない。
「天国って、どんな所なんですか?」
「天国?天国は私たちが住んでる所。痛みも苦しみもないけど、忠告してあげる、死ぬほど退屈だよ?」
「じゃあ、地獄は?」
「一言で言えば牢獄。ずっと閉じ込められて、強制労働させられたり痛い罰を受けたりするところ。君は.......行かなくて良さそうだね」
そして、俺はいよいよ本当に知りたいことを訊く。
「別の世界っていうのは?」
正直なところ、俺はこの選択肢を選ぶ気だった。天国も地獄も話を聞くと楽しい所とは思えない。だが元の世界に戻るのは一番嫌だ。あの無価値で苦しい日々など、頼まれてももう二度と送りたくない。
だが、天使はそんな俺の考えを見透かすように、ゆっくりと首を振った。
「それは一番おすすめしない。.......あそこは、私にもよく分からないから」
「分からない?どういうことです、それ」
「別の世界っていうのも色々あって、この選択肢を選んだ人たちはそれぞれ違う世界に飛ぶんだけどね?そのはずなんだけど、どの世界もだいたい同じ文明、自然、技術.......気味が悪いほど、似過ぎてるんだよ」
天使はそこで、心底恐ろしいという風に身震いしてみせた。
「それにね、あそこは何もかもが......うん、やっぱり『分からない』っていう表現が正しいと思う。自然はあるけど、温かみが全くない。人々はは優しいし、君のことを皆が好きになると思う。でも皆画一的で、個性が全くない」
まるで見てきたかのように、いや恐らく何人もの死亡者をそこに送ってきたのだろう、語る。
「遊びで数日行くのならまだしも、あそこに長い時間いると......まともな人間なら、狂うよ」
彼女は僕の顔を覗き込むようにして、そう言った。僕は思わず仰け反る。
じゃあどうしたらいいんだよ、とは聞かないが、俺はここにきて迷いが生じていた。死後の世界はどれも厄介で面倒臭そうなものばかりだ。本当にこの内のどれかでなら、俺の人生は価値あるものになるのか?
「.......俺は」
迷っていても、仕方がない。俺は腹を決めた。
「俺は、賭けるよ。一番曖昧な、別の世界とやらに」
天国でも地獄でも、俺が元いた世界でないのなら、正直どうでもいい。行ってからのお楽しみ、ということなら、一番お楽しみ要素が多い所に行ってやろう。
そんな、覚悟でいた。
それなのに、天使はタブレットをもう一度覗くと、きゃっ、と小さく悲鳴をあげて、俺に言ったのだ。
「ごめんね、有村くん。君、間違いだったよ」
「ま、間違い?」
「君は死ぬ運命じゃなかった。君の乗せられた車はたまたま検閲に引っかかって、君は意識不明のまま病院に運ばれ、何とか一命を取り留める。そんな筋書きだったのを、誰かが間違えちゃったみたい」
俺は、死ななかった?
じゃあここにいる俺は、いったいどうなるんだ?
「というわけで有村くん、君は元の世界に帰ることになりました。本当にごめんね」
天使は無邪気な顔で、告げる。
「.......ふざけんな!」
気がつけば、叫んでいた。
「俺はあんな世界になんか、もう二度と戻りたくねぇんだよ!平坦で退屈で、何の変哲も無い人生なんて、もううんざりなんだ。なぁ頼む、どこでもいいからさっさと連れていってくれよ、頼むから!」
別の世界なんてリスキーなもの、怖いに決まっている。
だが、元の世界に戻ることの方が、よっぽど怖かった。だからこそ決断したのに、これじゃ生殺しだ。
天使は服の裾を掴む俺の手を引き剥がしながら、ちょっと笑った。
「.......一つだけ忠告しといてあげる。有村くんが嫌いなその人生が、多分一番幸せな選択肢だと思うよ?」
「こんな人生の......こんなつまらない人生の、どこが幸せだって!?」
「でも、これまでの人生で幸せな瞬間が全くなかった?ガチャでレアモンスターが当たった時、夕飯に好物が出た時。これっぽっちも嬉しくなかった?」
天使の思いがけない言葉に、俺は一瞬口ごもる。
「それは......」
「逆だってそう。悲しかった瞬間だってあったでしょ?......そりゃゲームや漫画みたいに大きなイベントは起きないかもしれないけど、君の人生だっていくつもの起伏で出来てる。普通の人には、それくらいが丁度いいんだよ」
大きなイベントばかりじゃ疲れちゃうでしょ、と天使は笑った。
俺の身体が、だんだん薄くなっていく。
「待て、待って!俺は行きたいんだよ、他の世界に!ここじゃないどっかに!」
泣きじゃくるように這いずる俺に、天使ははあっとため息をついた後、にこやかに告げた。
「そう慌てなくても、次に来た時にはもう一度好きなところを選ばせてあげる。.......元の世界に戻る、以外だけどね」
ふざけるな。俺を連れて行ってくれよ。
そう喚く俺は、実は心の中で真実に気付き始めている。俺は自分の人生を、どこか変な角度から見ていたのではないか。正面から直視するのが怖くて、逃げていたのではないか。
それを認めたくなくて、とにかく大きな声を出し続けた。そうすれば、天使が呆れて地獄にでも突き落としてくれやしないかと期待した。
そんな俺の顔を、彼女は屈んでじっと見つめる。
「もう一つ、いいこと教えてあげるよ」
不意にその顔が、心臓をバクバクと脈打たせるような、不吉な異形に変わった。
「死んだ人間に、幸せな人生なんて訪れるわけないだろ」
死神はそう嘲笑すると、俺を尻目に去っていった。
そうして、再び意識は薄れていく。
帰って来た元の世界は、今まで見てきたものとは少しだけ違うような、そんな気がした。
fin.