四季崎記紀は、決して『完全』を目指そうとはしなかった。

だから、これはただの間違いであり、蛇足でしかない。

そう、例えば、四季崎記紀が想定よりも未来を憂いていたとしたら? 例えば、闇へ堕ちることと知りつつも『完全』を目指してしまったら? 幕府の喪失を心から望んでしまったら?

『完成』した刀は、『完了』を経て、『完全』となる。

結局のところ刀は、“腐っても刀”である。
  峠の茶屋にて。
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