はねバド!~Second Wind~   作:STORICKS

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14th game Hands in the Air

 伝説の第二章の始まりを告げる、ゲームセットのコール。

 最後まで走り切った益子に肩を貸して、旭が戻って来る。

「よくやった、二人とも」

 月並みな言葉では物足りないが、今は彼女たちをいかにうまく称賛できるかを考えるよりも、『次』に意識を向けるのが重要だ。

 勝利を掴み取って戻ってきた二人が、何よりも必要としているのは『チームの勝利』だからだ。

 彼女たちの奮戦に応えるためには、次の試合を取って勝ち切ることが唯一にして最高の結果。

 それが自分の責務だと、倉石は労いもそこそこに、荒垣に声をかける。

「さっき言った通りだ。細かいことは考えなくていい、大きなデザインで行け」

「了解──」

 目を閉じて、細く長く呼吸をしてから、荒垣はコートに向かう。

 膝にはサポーター。

 立花も不安を顔に出さまいとしているが、内心は穏やかではないだろう。

 張蒼華が倉石の戦術ノートを読んでいるはずもないが、ウェイトの大きな選手に対しては、シャトルを散らして走らせ体力を奪い、コンセントレーションを低下させる──というのは常套手段だ。

 中国代表に席を貰っている選手ならば、何も指示されなくともそうするだろう。

 スマッシュもそうそう打たせては貰えない。

 見た目に『わかりやすい』選手である荒垣は、常に相手に手の内を晒した状態で戦わなければならないようなもの。

 もちろんその分、虚を突いたプレーはより鮮やかに決まるだろうし、そういう『意外性』をきちんと制御して行けば、荒垣なぎさは、もう一段上のステージに上がれる。

 そのために、膝に不安を抱えつつも、この日本代表に呼んだのだ。

 しかし、だからこそ倉石は、敢えて一歩引く。

 選手をしっかりと見ろと、教え子にその行動と、彼女たち──石澤望も、荒垣なぎさも──が残した結果に教えられた。

「──立花君」

「はい?」

「君が見てくれ、荒垣は」

「……わかりました」

 選手を一番よく知っている人間がコーチングするのが、最も効率が良い。

 そんな常識論を持ち出すまでもなく、『ここは立花君の出番だ』といったふうに、倉石はいったん席を外す。

 向かう先は、試合を終えたばかりの二人が休むアップゾーン。

 先ほどやりそこねた祝福と労いを、しっかりとこなすためだが、志波姫と、狼森の状態も気になる。

「お疲れさん、二人とも」

 彼女たちの性格からして、握手よりもハイタッチの方がいいだろうと倉石は考えたが、益子は彼の手をぐっと握りしめる。

 望なら事案になるところだ。

「お、おい──」

「ありがとう。……ごめんな、監督。勝手して」

「いやなに、『勝手』じゃないさ、何も──」

 すべてチームのためだったんだろう、と倉石は理解している。

 ただ、それを殊更に言うのは、今はまだ早い。

 荒垣の試合がどうなるかは、やってみなければわからない。

「旭も、よくやってくれた。難しい注文をしたな」

「ホントですよ……勝てたから良かったですけど……」

 どちらかと言えば旭の方は、勝利への喜びを、疲労が多少上回っているようだ。

 実力不透明とは言え中国代表を相手に、一時はほとんど一人で戦っていたのだから、無理もない。

 益子が離した手を、彼女と叩き合わせる。

「勝たなきゃ、何のためにやってるかわかんねーだろ」

 旭の短いため息に得意げな笑みを浮かべて、益子はフロアに腰を下ろした。

 しきりに足首をくねらせて、筋肉を解そうとしている彼女を見て、倉石はクールダウンをしっかりさせようと思った。

 明日も試合は続く。

「マッサージがいるだろう、神藤コーチを呼んでくる──」

 そう言って踵を返す倉石を、益子は制した。

「いいよ、旭がやってくれる。上手いから、コイツ」

 

 

 

 

 荒垣と張蒼華の試合は、重い展開のまま最初のインターバルを迎える。

 二人の選手のうちどちらかが抜け出すということもなく、また一戦目のようにミスの目立つ試合でもないが、とにかく、前半を勝って終えたのは張蒼華の方だった。

「……荒垣」

「大丈夫、問題ないよ」

 強打で崩してお膳立てをし、盤石の体勢から相手の読みを見切って、荒垣はスマッシュを打っている。

 また張蒼華も、前評判に違わぬハイレベルなプレイヤーであり、きちんと強打を受け切って荒垣を追い込む場面も見られた。

 お互い持ち味を出した結果が、今のところは一点差で張蒼華のリードとなっている。

 もっとも、10-9に追い上げたまではいいが、最後のポイントは左右に振り回されてからの、前へのカットを上げきれずネットに掛けた失点だ。

 インターバルに入る、その形は悪い。

(逗子総合の石澤がやりたかった戦術だ、これは……)

 立花は記憶を辿る。

 あの時は、彼女の才能の片鱗を感じつつも、荒垣が最後まで押し切って勝利した。

 三セット目に、望の方が少し息切れしてしまったというのもあるだろう。

 序盤、主導権を握られて攻め手のないままに迎えたインターバル。

 彼は荒垣に教えた。

 一つか二つ前のラリーを工夫すれば、その後の結果が変わる。

 つまりは、望にカットスマッシュを打たせなければいい。

 その方法は自分で考えろ──。

(強打……は実際に拾われている。スマッシュが決まっているのは重心の逆を突いた時だけだ)

 立花と荒垣の思考は、ほとんど重なっている。

 高身長に胡坐をかかず、努力を怠らなかった結果、金メダルさえ夢物語ではないと思わせるほど、世代では群を抜いていた。

 突如として襲った膝の故障により、ほとんど隠居状態で北小町のコーチを引き受けた立花だが、教え子に同じ轍を踏ませるつもりは毛頭ない。

 ただ、二人は男女の違いこそあれ、同じタイプのプレイヤーだ。

「神藤コーチ、何か──」

「フムン……あんた、カットスマッシュは打てるよね?」

「え? まあ、多分……」

 日本代表にしては頼りない返事に苦笑しつつ、神藤コーチは話を続ける。

「今まで一本もウォッチはないだろう? それはもちろん、相手の張蒼華がしっかりインコートで返球してるからだけど──」

 ウォッチ、即ちアウトになるボールを見送る行為は、今までどちらの選手もしていない。

 コニーとの試合で荒垣は、自らの大きな弱点の一つであった『選球眼』をわずかながら克服した。

 それはリスクを背負っての、ある意味『勝負』に勝ったわけだが、本来の選球眼とは、一時的に精度が高まるようなものでは、当然ない。

 常に意識をし続けて、無意識にインかアウトかを、打ち返せるタイミングのうちに判断する必要がある。

 ああいったプレッシャーのかかる場面で『シャトルを見送った』経験は荒垣にはまだ少ないし、彼女の場合はそもそも、全てのシャトルを追いかけまわすスタイルになってしまったきっかけに、弱点を作ってしまった原因がある。

 それを、今直せというのは不可能だ。

「怪しい球は見る? でも……」

「いや、全部いっていい。ただし、『怪しい』と思ったら一拍待ってカットを打つんだ。アウトボールを無理やりフルスイングするのはリスクがあるし……」

 それは、荒垣にもわかる。

 膝や肩が痛くなったり重くなるのは日常茶飯事だし、羽咲との試合では、彼女の仕掛けた『なぎさちゃん封じ』にハマって背中を痛めた。

 もっと幼いころから選球眼を醸成しておけば、団体戦前という最悪のタイミングで膝が限界を迎えることもなかっただろうが、それはもう、終わった話だ。

「『怪しい』と言う判断をした上でアプローチを変える。それを相手に気付かせる。中国代表相手に、あんたの駆け引きは、実体がなきゃ勝負にならないよ──今は、まだね」

「……わかった」

「ホントかい?」

「なんとなく」

 帽子の鍔を揺らせて高笑いをし、神藤コーチは荒垣を送り出す。

 

 

 

「あいつ、大丈夫かよ……」

「へぇ、泪も人の心配するようになったんだ。お姉さん嬉しいわ」

「うっせぇ、バーカ」

 試合の熱は引いたが、二人は身体を冷やさないようにジャージを着込んでいる。

 しかし、益子の顔が赤いのは、それだけが原因ではないだろう。

 狼森は志波姫が世話をしているし、ベンチワークは豊橋に任せておけばいい。

 電光掲示板と、ディスプレイで試合を確認しつつ、時折カメラが映さない時間帯に、荒垣の表情を見に行くぐらいしか、今の二人には仕事がなかった。 「──なんとかするでしょ、荒垣なら。あのスマッシュがあったら、普通は負けないよ」

 暇そうな二人にちょっかいを出そうと、志波姫が割り込んでくる。

 お前の『普通』を普通にするな、と旭は言いたかったが、それよりも先にパートナーの方が反論した。

 ディスプレイから視線を外し、益子は思い切り首を後ろにそらして、彼女に顔を向ける。

「やけに肩持つじゃねーかよ、唯華のくせに」

「そう? 私は全員の肩を平等に持ってるつもりだけど」

 さかさまの視界の中で、志波姫がにやりと笑う。

「ほーん」

 益子が生返事でやり過ごす間に、スコアはイーブンに戻る。

「やっぱエグいわ、あのスマッシュ。お前受けれる?」

「無理。でも、打たさないようにはしたい」

 ドリンクのボトルを握ったまま、旭は手を振った。

 首の角度を直した益子も頷く。

「そうだよなあ……なんで、あんなに打たせてるんだ」

 取り返せる自信があるからよ、と志波姫は益子の隣に座る。

「逆突かれた時以外はちゃんと返してる。あっちの中国の子だって、国の代表なんだし、レベルは高いはずだよ。現に荒垣は、ネット前全然勝ててないでしょ?」

 ネット前で勝てない、という事態に今一つ理解が乏しいような顔で、益子は唸る。

 旭は別にしても、彼女や、横でストレッチをしている狼森には、ネット前で相手にやられた記憶はほとんどない。

「ホントはもっと距離を保ってラリーをしたいけど、そうすると走らされる距離が長くなるからね」

 苦手意識が消えたわけではないネット前に、荒垣はたまに敢えて飛び込んでいる。

 結局不利を被ってポイントを落としているのだから、それはあまり意味のないように益子には思えた。

「そんなもん、振らせなきゃいいだけじゃねーか」

「アンタならそりゃ、そうできるだろうけど……荒垣は小手先の技術はまだまだだし、『勝負』するしか手がないからね」

「やけにディスるじゃねーかよ、唯華のくせに」

「見てんの、ちゃんと全員。アンタと違ってね」

「はー」

 もちろん、志波姫には荒垣を殊更『ディスる』意図はなく、ただ自分の分析結果を披露しているだけのことだ。

 益子ならば、強烈なドライブをコースに差し込んで行ける。

 志波姫なら相手を前に釣り出して、後ろへ追い返す。そうした戦術で上回ることが出来るから、相手の意図など具現化させないだろう。

 そもそも、相手が用意した『勝負』の舞台に乗らずに勝ちを収めることが出来る。

 先程の試合にしても、益子は初っ端から独走態勢を築くことで、中国ペアが戦術を試す間もないままに、ゲームのペースを自らの手に引き込んだ。

「お──」

 荒垣がポイントを連取して、電光掲示板の数字がカウントアップする。

 12-11、これで逆転だ。

「……スマッシュ打ってるだけじゃねーか」

「アンタ、北の偉い人に『核ミサイル撃ってるだけじゃねーか』って言える?」

 突拍子もない志波姫のたとえ話に、旭も思わず噴き出す。

 益子はと言えば、どこかで見たニュースの記憶を手繰りながら、反論を試みる。

「あんなの、どうせ中身入ってないんだろ? パカパカ撃ってるけど」

「そうだよ。──『抑止力』、だから。今の荒垣は違うでしょ? 実際それでポイントを取ってる」

 小難しい言葉にはついていけないと、益子はタオルの上から髪を掻く。

 旭には少しだけ、思い当たる節があった。

 あの、宮崎での試合。

 石澤望のカットスマッシュを見てから、一歩目を出せなくなった豊橋アンリの後ろ姿が、脳裏に浮かぶ。

 強烈なエースショットは、対戦相手にはっきりと残像が残る。

 打たれればポイントを失うのだから、無警戒で突っ込むことなど出来ない。

 かと言って警戒し過ぎれば、豊橋のように勝負どころで自分のストロングポイントを出せなくなってしまう。 

「……本当は、打たない方がいいってこと?」

 どんな競技も、ある部分ではメンタルスポーツだ。

 技術だけで勝敗が決まるなら、旭だってこれほどは、バドミントンにのめり込んではいない。

 ここにいるプレイヤーなら、他の誰しもがそうだろう。

「うん──この試合はともかく、荒垣にとっては将来的にその方がいいね。いろんな意味で」

 それを理解した上でやってるならいいけど、と志波姫は呟いた。

 旭も同意する。

 荒垣が今やっているのは、ただ自分の好きなようにバドミントンをプレイしているだけだ。

 対戦相手も同様に、自分の得意なシチュエーションでは、しっかりとポイントをもぎ取っている。

 単純な実力勝負。

 張蒼華の方も、これまでの選手とは違って、表情豊かだ。

 荒垣と目線を合わせるようなタイミングもあって、お互いに健全なヒートアップをしながら、せめぎ合いを楽しんでいる。

 見ていても楽しいが、そこに一抹の不安を過らせる、荒垣が装着しているサポーターをディスプレイ越しに見ながら、益子はタオルの中で考えた。

(あんだけ飛んでりゃ、膝もやっちまうよなぁ……)

 インターハイ、コニーとベスト4を争う試合で、彼女が途中棄権したという結果だけは知っているが、試合の中身がどうだったかは、同じタイミングで羽咲とやっていたから知らない。

 その後に兄と久しぶりに会って話をして、宿に戻って旭を待って、それからどうしたのか。

 あまり記憶は残っていないが、その翌日の試合はやけに身体が軽く感じて、楽しかったことははっきりと覚えている。

「年取ると垂れるんだよね、若い頃運動してた人って」

「……は?」

 

 

 

 

 荒垣に逆転されたと見るや、張蒼華はねじを巻き直す。

 アップテンポの展開でポイントを取り返し、スコアは再び張蒼華が前を走る。

 14-16となって、荒垣は主審にシャトルを返した。

 わずかな隙間に、彼女は思考を走らせる。

(ネット前は全部やられてる……神藤コーチに言われた『怪しい球』も今のところ無いし──)

『荒垣なぎさ』と言う選手について、中国代表がそれほど警戒心を持って偵察を入れていたわけではないだろう。

 ジュニア時代に大舞台を経験している益子や志波姫の方がよほど、海を越えて名が知れている。

 しかし、特徴的な選手であることは間違いないから、対策も立てやすい。

『荒垣はネット前が下手』と言う情報がなくとも、これほどの強打と走るスタミナを持っていて、ネット前まで上手い選手ならば、出場するのはこの大会ではなく、ユーバー杯やオリンピックになるだろう。

 必然的に、足りないだろうと思える部分を突いてくる。

 それでも強打を防ぎきれないから、スコアが競っているだけのことだ。

 この試合ここまで、スマッシュを完璧にリターンはされていないが、早晩目は慣れてくるだろうし、荒垣の体力も落ちていく。

(石澤とやったときみたいだ……ネット前で勝てるイメージがないから、スマッシュに固執しちゃう。ポイントの取り合いにはできても、この点差じゃ最後交わされる……)

 コニーとの試合で、荒垣がネット前に詰める選択をしたのは、12-11と勝ち越していたタイミングだ。

 立花の飛ばした指示通り、クリアーで逃げる手もあった。

 突如ネット前に寄せた荒垣に対し、オーバーシュートを連発してしまったコニーだが、その『怪しい球』をしっかりと看破できたことで、彼女は一回り成長した。

 だが今の対戦相手、張蒼華は少なくとも、ミスはしていない。

 ネット前の勝負を挑んで勝てる自信は荒垣にはないが、仮に五分で引き分けたとしても、デュースを待たずに張蒼華が逃げ切ってしまう。

 一セットを失う代わりに得るものが、わずかばかりの体力の温存では、まったく割に合わない。

 ただし、もう少し『何か』をせしめることが出来れば、許容できるロスになる。

 タイプが違うだけで、プレイヤーとしての大まかな実力はほとんど同じ。

 それは荒垣の自信過剰ではなく、コート外から見ている神藤コーチや、立花の見立てとも矛盾しない。

 張蒼華のロングサービスを追いながら、荒垣は考える。

(──今までアタシがエースを獲ったのはスマッシュだけ。なら、あえてそこを軸に置いてみよう。単純に……)

 可能な限りの思考時間を確保しようと、荒垣は大きくクリアーを上げた。

 張蒼華は大きなストライドでラウンドに入り、ラケットを背中に担いで振り抜く。

 リードしている状況下で、対戦相手がある意味消極的になり、ゲームに『凪』を求めているなら、殊更にそれを崩しに行くことはない。

 彼女はそう考えているようだ。

「違うよ」

 不意に聞こえた娘のつぶやきに、神藤コーチも同調する。

(『違う』……のは確かにそうだ。よく訓練されてはいるけど、野生がない)

 ダブルスを二つ落として、後がなくなったシングルスの頭。

 あと五ポイントで第一セットを奪えるというときに、相手の『流し』に合わせる必要はない。

 荒垣とて、攻めに出た瞬間のミスは、即座にポイントをロスしなかったものも含めれば、いくつかあったものの、単純なミスショットはここまで犯していない。

 センスが良ければ、ここで『凪』には付き合わない。

 間延びした打撃音の続くコートの中で、荒垣は考えを組み立てていく。

(待ってる──ミスを、というより、攻めを……)

 それはこっちもなんだけど、と荒垣は心の中で苦笑しながら、ボディフェイントを入れてクロスにドライブを打った。

 張蒼華は機敏に追いつき、しっかりと球足を抑えたヘアピンを返す。

 もっとも、これは荒垣も意識していた返球だ。

 できるだけ膝に負担を掛けないように重心を身体から外さず、腕を伸ばして拾い上げる。

 少し高くはなったが、ネットに張り付いて落ちるシャトルに対して、張蒼華は一瞬のためらいを含みつつも同様にヘアピンを打った。

 さらに一歩詰めた荒垣が、彼女のバックサイドへ低く流しつつ、自らもシャトルのサイドへステップ。

前に出てラケットを立てれば、そうそう頭上を抜かれることはない。

 案の定張蒼華は、平行移動した先でまたもヘアピンを選択した。

 荒垣は彼女よりも一歩余分にサイドステップし、ヘアピンからプッシュの打ち合いに変化したラリーに対応するため、徐々にネット前から後ろに下がる。

 フォア奥をやや大きく開けて──。

 

 

 

 

「ネット前勝負?」

 アップゾーンでディスプレイを見ていた三人も、試合の様相が変化していることに気付いた。

 狼森は遠く離れたところで、試合の進展を確認するためだけに、画面に注意を払っている。

「プッシュだかドライブだかわかんねーな、あれ」

 ネット前が苦手な荒垣が、張蒼華と互角に渡り合えているのは、彼女が一定の間合いを保ち、ラケットをしっかりと振る空間を得ているからだ。

 もっともその分、相手にも時間的な余裕を与えてしまうから、荒垣の返球にも張蒼華が差し込まれることはなく、時折リズムを変化させながら、プッシュの応酬が続く。

 このままどちらかがスイートスポットを外して失点するだろうと、三人は思っていたが、突如荒垣はラケットを高く掲げ、開いていたネットへの距離を詰める。

 虚を突かれた張蒼華は、荒垣の重心が既に後ろに方向転換していることに気付かないまま、彼女のフォア奥へクリアーを上げた。

 プッシュのバックスイングからでは十分な飛距離は稼げない。

 荒垣は素早くバックステップを踏み、落下点に入る。

「……パターンC?」

「はん? なんだよ、それ──」

「前に出るフリをしてクリアーを打たせて、距離を置く。その上でカットスマッシュを──」

 志波姫が導き出した結論は、インターハイ団体戦での望との試合で見た手筋だ。

 彼女が倉石に貰ったというノートを読むと、その手筋は『パターンC』と名付けられて、そこに記されていた。

 よくよく見てみれば、どれもこれもオーソドックスなパターンばかり。

 望はこれで面白いのかと、志波姫も気にはなったが、あの試合の第二セットは、そんな組み立てに少々圧されてしまった。

 ベーシックな戦術であっても、その精度がとことん高ければ、志波姫でさえ追い込まれることもある。

 彼女のような基礎技術がしっかりしていて、コントロールが良いオールラウンダーには、うってつけの『教本』だっただろう。

 ところが、今それをやろうとしているのは『スマッシュだけは男子並みの大艦巨砲主義者』だ。

 十分な準備を経て放たれたスマッシュは、張蒼華が打たれる前に足を止めてしまうほどのスピードでコートに跳ねた。

 15-16。

(パクったな、あいつ……)

 倉石は開いたノートで口元を隠し、荒垣に拍手と声援を送る。

 特に内容のある言葉は、あえて発しない。

「微妙な展開だね……」

 神藤コーチが、帽子をかぶり直して言う。

 豊橋と羽咲は少し離れたところに座っているから、二人の『横綱相撲』に熱の上がった歓声の中では、彼女の声は聞こえなかっただろう。

「本音を言えば、サッと譲って手じまいにしておけばよかった。あの子の性格じゃ、それができないだろうけど──」

 先ほどの見様見真似の『パターンC』は、次のセットに持ち越しておいても良かった。

 少なくとも、セットが深まって負けている場面で、ポイントを取り返すために使うのは、新しい『味』としてはもったいない。

 立花と倉石も同意する。

「確かに……ここは落としても、第二セットを取り返せば、追い込まれてる向こうの方が最終セットはプレッシャーがかかる」

 このセットを落とせば三連敗で団体戦敗北──その重圧に打ち勝てるほど完成された選手はこの世代にはなかなかいないし、また張蒼華のプレイを見ていれば、プレッシャーを感じないタイプでもなかった。

 プレイスタイルと性格はリンクするというのは、神藤有千夏の持論だ。

 もちろん、『第二セットを取り返す』のはただの皮算用であるし、現に今もつれてしまっているから、この作戦はもう使えない。

「コニーとの試合もそうでした」

 立花が唇をかむ。

「第一セット頭から全力で行って、最後まで膝が持たなかった」

「ああ……」

 あの時と、同じような展開だ。

 もっともコニー相手にはそうするしかなかったし、今日の相手である張蒼華も引けを取らない選手ではあるだろう。

 だが、また今日も最後の最後で棄権などと言うことになったら──。

「立花君」

「はい?」

「もしそういう『兆候』が見えて、君がダメだと思ったら絶対に止めるんだ。益子や、後の狼森の事なんか考えなくていい」

「……わかりました」

 背中に冷たいものを感じながら、立花はコート上で躍動する教え子をじっと見つめる。

 スコアはまたしても、同点になっていた。

 

 

 

 

 ゲームはその風圧を増しながら、デュースへと突き進んでいく。

 19-19となってなお、荒垣に『変化』の手立ては見つからない。

(もう、こうなっちまったらしょうがない……最大集中で第一セットを獲りきる──!)

 何も考えずにストロングポイントを押し付けていく。

 そのために、望と倉石の編み出した戦法を少しだけ借りた。

(駆け引きは『実体』──スマッシュを打たなきゃ始まらない……)

 パターンCへの入り口を作るために、荒垣はショートサービスを選択する。

 強打を警戒してか、張蒼華は高くレシーブを上げて、コートミドル奥に陣取った。

 見た目にはコースは空いているが、これまでに見た彼女の反応速度を計算すると、エースを獲れるコースはごくわずか。

 いなされてしまえば、一つ前のラリーで動作が大きかったぶん、『次』に立ち遅れるのは荒垣の方だ。

(コントロール……八割の力で、バックサイド!)

 ほんの少し足を浮かせて、荒垣はラケットを振り抜く。

 威力よりも精度を高めるチョイスの結果だが、この程度のスピードならば、張蒼華もコントロールを失うことはない。

 丁寧にラケットの面を合わせ、荒垣のフォアサイドへ低くはたく。

(張が『上げてしまう』のは、アタシの強打を受け切れなかったとき……)

 いったんネット前に出てヘアピンの交換を挟んだ後、荒垣は大きく打ち上げて再び間合いを取った。

(さっきのタイミングで上げさせても、スマッシュは決まらない。どちらかのコートをオープンにさせる──攻守の入れ替わり、その一手目で叩かなきゃ……)

 ホームポジションへの『戻り』は、決して遅くはない。

 しかし、張姉妹としてダブルスを組んでいる期間が長かったのだろう、彼女は少しだけその基礎をないがしろにしているように、荒垣は感じていた。

 というよりも、殊更にホームポジションに固執することのないダブルスである程度結果を残している彼女だから、その『効率化』の残滓がシングルスに出ていると言ったほうが、より適切だろう。

 これを欠点と言うのは、重箱の隅を突くようなものだ。

(荒垣特有の問題ではないが、サイズの大きい選手は、そうでない選手よりも、『ボディワーク』でコースを悟られやすい……)

 倉石は、両隣の立花と神藤コーチを見る。

 二人とも、ある程度サイズが大きい部類のプレイヤーだ。

 特に神藤コーチは左利きということもあって、右利き同士の対戦とはラリーの形が異なるから、よけいにボディの動きを見られることが多かっただろう。

(だからこそボディフェイントが効く、という利点もあるが──基本的には、デメリットが先に来る。コースを読んで守備範囲に濃淡を作れる選手ならば猶更だ。張蒼華のように)

 人間の体幹は、せいぜい五度ぐらいしか回転しない。

 荒垣が男子に迫る強打の『出力』を持っているのは、体幹から発したパワーをうまくシャトルまで伝えるスイングによるものだが、理想的でセオリーに適ったそのスイングは、コースを読まれやすいというリスクもはらむ。

 もっとも高校生レベルで、そこまで相手を観察しながら、あの強打に対応できる選手などそう多くはなかったから、これまでそのリスクが顕在化することはなかった。

(体幹の自由度で行けば、志波姫と石澤が双璧……)

 ただし、志波姫のそれはある種『捻じ曲げる』という行為を含んでいる。

 ナチュラルに下半身、体幹から肘までの連動のラインを変えることが出来るのは、彼が見てきた選手の中では望が一番得意だった。

 考えてみれば当然だ。

 しなやかで弾力性に富んだ肘を持っている彼女が、他の関節は何故か固い……など、遺伝子の作りからして有り得ない。

──『肘だけ』が柔らかいはずはない。

 膝も、体幹も、手首も。

 あらゆる関節の自由度が高い。

(タップ、スイープ、ロック、ベンド、コック……インパクトの瞬間の手首の使い方でさえ、数えきれないほど種類がある──混乱するだろうと思って教えなかったが、アイツは宮崎でそれを勝手に掴んできた─)

 荒垣のような強打はないし、志波姫ほど洗練されてもいない。

 益子や羽咲のように、この競技においては天啓たる『左利き』でもない。

(『ストロングポイントを押し付ける』というとことさら、力を込めて相手をねじ伏せるイメージを浮かべがちだ。だが、それはまったく違う……)

 志波姫の絶品のフェイクドロップも、羽咲の回転数を抑えたクロスファイアも、アクセル開度を絶妙に調節した、『ハーフスロットル』の産物だ。

 操作できるかどうかは別として、その入力の分解能は『石澤望』がもっとも細分化されている。

 荒垣は──。

 

 

 

「よしッ──!」

 球足の長い、強いドライブの打ち合いを制して、荒垣はガッツポーズする。

 こういったところでのミスが減り、徐々に戦術の幅を広げているのは、倉石達にも見えている。

 常にアクセル全開でラケットを振っていては、ネットに掛けるかサイドアウトするかして、マッチポイントを握られていたところだろう。

(強打の威力が、ほんの一枚上手であるだけで、単純なラリーなら優位に立てる。先が見えないまま来るところまできた、セットの最終盤だ……相手にとっても、取れる選択肢はそう多くない)

 ある程度の点差、たとえば五点ほど開いた時間帯があったなら、そこで『捨てる』なり『形を変えて一気に追いつく』なりの変化を生み出すタイミングはあっただろう。

 しかし、張蒼華は荒垣の求めた『凪』に付き合ってしまった。

(あそこでネットに張り付かれて、速いラリーで攻められれば、そのまま20-17ぐらいになっていただろう。そうなればこちらも『捨てていい』と指示を出した──荒垣は聞かないと思うが……)

 その指示に従わなかったとしても、例えば力んだ荒垣がスマッシュをアウトにしてしまったりして、結果的に最後の最後まで追いつめたのに逃してしまう、という幕切れは避けられただろう。

 中国代表相手にマッチポイントを奪われて、三点を奪い返す引き出しは、彼女にはない。

 スマッシュも早々決まっているものではないから、闇雲に打っても三つのうち決まるのは良くて一つ。

 結局デュースまでは持ち込めない。

 そうなれば張蒼華は一気に盛り返し、悪い流れで年下の狼森に引き継いでしまう。

 益子の努力も水泡だ。

 志波姫はなんとかするだろうが、予選の一試合目で彼女をフル稼働させるのは、決勝トーナメントへ向けての駆け引きを考えれば、既に半分負けていると言っていい。

 日本まで偵察隊は来なくとも、ここはデンマークだ。

 観客席には、それらしい人影もちらほらと見える。

 日本代表には、当然そうしたスタッフは随伴していない。

 映像はテレビ放送で得られるとしても、外から俯瞰して試合を見ることのできるアナリストが居ると居ないとでは、得られる情報の『熱量』が違う。

 これは日本代表にとって不利だ。

 だからこそ、予選リーグでは益子のシングルスを組む予定にしていないし、志波姫もできるだけ試合が決まった段階で、究極言えば『手の内を見せないという制限下でならば、負けてもいい』ぐらいの意図を彼女に伝えてある。

 それが『日本代表』としての戦い方だ。

 単純な力比べなら、デンマークは別としても他の国には、シングルスに益子、志波姫、羽咲と並べれば勝てる。

 旭と石澤で補強するのもいいし、羽咲の代わりに狼森を豊橋と組ませても、マッチングが合えばある程度計算できるペアだろう。

 お互い上背のある久御山と荒垣を組ませてみるのもいい。

(──だが、そうはしなかった。オーダーが歪んでいるのは中国だけじゃない、日本もだ……)

 羽咲と豊橋は自らに課せられた任務を完遂した。

 益子は自分の試合だけでなく、トーナメントまで見据えた勝ち方に拘り、旭の協力を得てそれを成した。

(だからこそ、ここは一気に勝ちたい……単純に、三セット目までもつれた場合の狼森の状態も心配だが、何より『流れ』に乗るうえで、ここは落とせない──頼む、荒垣)

 何も言葉を発することなく、倉石は手を大きく叩く。

 荒垣がそれに反応する素振りは見えない。

 集中に入っている。

 ショートサービスから深いリターンを待ち、長いドライブを二本差し込む。

 コースに打ち分けたそれにも、張蒼華は素早いステップで追いつき、荒垣を前に釣り出そうと短い羽根。

 まだ、足は動く──。

 最後に踏み込んだ左足と同時に、荒垣はシャトルを思いきりカチ上げた。

 時間的な猶予はあると見て、ラウンドからハイクリアーを返す張蒼華。

 深く返されたそれを、荒垣はサイドアームからバックハンドでドライブリターン。

 コントロール重視、威力は五割まで低下しているだろう。

 すべては『必殺技』へのお膳立てだ。

 再びベースラインを走って追いついた張蒼華は、前へのショットを警戒する荒垣のバックサイドに、低く返球する。

(く……これは繋がらない、『最後』には──)

 広く開けたクロスに打って来れば、前に出た勢いのままに飛び込んで叩くつもりだった。

 だが、そうはさせてもらえない。

 荒垣はラケットの面を立てたまま身体を半身にし、肘をたたんで振り抜く。

 詰まらされたことが奏功して、張蒼華の足元にシャトルは落ちていく。

 身体を反転させて、バックにラケットを引く余裕はない。

 と、張蒼華は右足を浮かせ、その下にラケットを振り下ろした。

(──股抜き!?)

 虚を突かれた荒垣だが、曲芸から跳ね返されたそのシャトルは、決してコースは厳しくない。

 むしろ絶好球──。

(落ち着け……)

 ステップを取り直し、体勢を整える張蒼華を見て、荒垣はコースを探す。

 どちらかのサイドが広く空いていれば、それはそちらに『網』を張る用意をしているということ。

 彼女の立ち位置はほとんどホームポジションだが、試合を通じて見られた傾向──フォアサイドがわずかに広い。

(──クロス!)

 甲高い打撃音と、ほとんど同時にシャトルがフロアに着弾する音が響く。

 倉石の願いが叶った瞬間だ。

 第一セット終了のコールを聞きながら、彼は会場から聞こえる拍手に、『後悔』をより一層深める。

 

 

 

 

「よく獲りきったな、荒垣……」

「まあね」

 思ったよりも地に足を付けてプレイしている。

 倉石は素直に彼女の成長を認めた。

 インターハイから少し『冷却期間』を置いたこの時期、短い合宿と言うこともあって、特に怪我持ちの荒垣の状態はどうか、という懸念もあったが、ひとまずは心配なさそうだと、立花や神藤も胸をなでおろす。

 もっとも、乏しい引き出しを総動員してなお、深い点数までゲームは煮詰まった。

 見ている限りでは、張蒼華もさほど試合巧者という印象はなかったが、武器を曝け出している荒垣の方が、今後打つ手がなくなってくるのは確かだ。

「──スマッシュをカウンターの起点にされると、一気に苦しくなる。さっきのようにしっかりと『お膳立て』をすることを怠るなよ?」

「わかってるって、倉石さん」

 膝をぐりぐりと回しながら、荒垣はにやりと笑ってみせる。

 その表情からは、痛みを我慢しているようには思えない。

 それでも、念には念を入れよとばかり、立花は彼女の足元に屈んで、膝をいろいろな方向から押してみる。

「──いまのところ、大丈夫だよ」

「……わかった。だが、今日はもっと手前で『止める』ぞ。それは約束しろ」

 狼森だって、志波姫だって居るんだから、と立花は諭すように言う。

 荒垣は反抗するでもなく、おとなしく彼の言葉に耳を貸していた。

「このセットで決める──行ってくる!」

 右肩を大きく回して、荒垣はコートに戻ってゆく。

 あまり不安そうな顔をしていては、後の選手にも影響が出る。

 倉石は立花にそう言って、一つ大きく声援を荒垣に送った。

 

 

 

(ああは言ったけど……)

 張蒼華のサービスを待ちながら、荒垣はぐっと身体を低くする。

 同じ組み立てで勝てるか? といえば微妙だ。

 単純に、スマッシュの速度に目が慣れてくるだろうし、逆に一転攻勢に転じるチャンスを与えてしまうかもしれない。

 第一セットでは特に、コースを気にせず全力で打ったスマッシュの方が拾われていた。。

(スマッシュは無暗に打たない──整うまでは、抑えてコントロールする)

 クリアーのリターンに対し、いったん下がった張蒼華は、同じハイクリアーが宙に浮いている間に、素早く前に詰める。

 彼女は第一セットと同じく、フォアサイドをわずかに広く開けて、ネット前に陣取った。

 意識の薄いバックサイドをドライブで抜きたいところだが、距離が遠すぎるし、クロスサイドは塞がっている。

(──クロス、の上!)

 荒垣は低い軌道のドリブンクリアーを選択。

 フォアへの意識が強い張蒼華に対して、持ち前のパワーで放った快速球。

 バックから軽く落とされることはない。

 案の定、張蒼華は差し込まれを回避するため、打点を身体の近くに置いてハイバックを返した。

(さっきと一緒だ、ハイバックが甘い──)

 そんなところまで泉に似ているのか、とほくそ笑みながら、荒垣は深さの足りない浮き球に、ラケットを目いっぱい叩き付ける。

 コースはどこも塞がっているが、絶好球なら話は別だ。

 狙いはボディ、いや、どこでもいい。

「──はッ!!」

 張蒼華のラケットを弾き飛ばす豪快なファーストポイントに、観客席が沸く。

 

 

 

 

(ハイバックが苦手な選手は多い。イヤになるほど……)

 倉石は自らが手掛けた幾人もの教え子の顔を思い出す。

 張蒼華に似ていると言った泉もそうだったし、現に張蒼華も、そのほかのショットに比べれば精度が著しく落ちる。

(近年見た中で上手かったのは石澤と、橋詰ぐらいか……志波姫は全部上手いし)

 理由はいくつかある。

 まず、多くの指導者がハイバックを嫌うことだ。

 フットワークをサボらず、しっかりとラウンドに入って打てと教えるのは、ある意味では当然ともいえるし、倉石自身もハイバックの技術を高める事とは別に、基本としてそう教えている。

 もう一つは、ラリーの中でハイバックを打たざるを得なくなった時点で、既に旗色の悪い方向に動かされているということ。

(背中越しにシャトルを追いかける──つまり視線がブレる。その状態で後ろから飛んでくる物体を正確にとらえることは、人類には難しい。肩や肘の動きも通常とは逆だ)

 これまでの中国代表の選手を見ていれば、なるほどフットワークは基礎を忠実に守っていて、そこには微塵も『サボり』は感じられない。

 後ろ向きから回転しなければならないハイバックよりも、ラウンドに入って打った方が、後の行動が素早く取れるという利点もある。

 身体の正面でしっかりと捉える、それは基本中の基本だ。

(少なくともアジア人の中では、荒垣の強打は極めて有効な武器になっている。小手先の戦術では崩しきれないだろう……)

 仕方なくスマッシュに固執した結果が、幸運にも最善手となっている。

 これでは何のためにコーチがいるのかわからなくなってしまいそうなものだが、細かい指示は荒垣を混乱させるだろうし、何より彼女のやる気を削いでしまう事にもなりかねない。

(好きにやらせる──情けないが、これが今のところベストだ。ただし──『止める』時は引き摺ってでもコートから出す)

 そうさせないためには、荒垣はこのセットで試合を終わらせるしかない。

 知ってか知らずか、彼女は序盤からアクセルを踏み込んでいる。

 

 

 

 

「強いわ、やっぱり……」

 久御山が呆れたように言う。

「ああ……久御山は荒垣とやったもんね」

 組んだ足を床に降ろし、久御山は手をひらひらとさせながら苦笑いした。

「アカンて、あのスマッシュは。ウチも色々考えてやったけど……」

 意識していても返せるかどうかという強打を受けるために、久御山はどうしても『自分の形』を崩す瞬間を作らざるを得なかった。

 二年連続出場とは言え、当時まだまだ無名選手だった荒垣に対し、彼女は序列の上では益子泪を上回る第三シードでのエントリー。

 それほどの選手でさえ、荒垣のスマッシュに対応する術を見つけることは出来なかった。

「打たしたら負けやね。羽咲ちゃんぐらいレシーブ強いんやったら、なんとかできるかも知らんけど……」

 一つのポイントを争うラリーの単位では、張蒼華もそれが出来ているシーンはある。

 だが、羽咲のような何でも拾ってしまうほどの読みと反応速度は持ち合わせていないから、『荒垣のターン』が来れば、ポイントを明け渡してしまうことになる。

 4-1と開いたスコアをさらに伸ばそうと、荒垣は短い間合いでロングサービスを放った。

「これで走ったら、もう勝ちやな……」

「うん──」

 望は、これまでコート上で展開されているラリーを反芻した。

 コントロールを重視していることもあるが、今日の、あるいは今の荒垣はドライブが非常に『締まって』いる。

 もともと球足が極めて速いそれが多少速度を落としたところで、コースがより厳しくなっているから、攻めに繋げるリターンはおいそれと打てない。

 それはたぶん、羽咲に大敗してからのいろいろな試行錯誤の間に身に着けたものでもあるだろう。

 増大した練習量の産物かも知れない。

 彼女のプレイスタイルにとって、最大効率の鍛錬ではなかったかもしれないが、意志を以ってラケットを振り、シャトルを打っている限り、無駄な練習などない。

 少なくとも望はそう教えられたし、実際大したことのない選手だった自分が逗子総合のエースになれたのも、愚直に基礎練習を積んでいった結果だ。

 努力の積み重ねをひっくり返してしまうほどの才能など、存在するはずがない。

 自然に、張蒼華は決め手を欠いたままの長いラリーに引き込まれ、集中力が途絶えたところでの甘い返球を、才気煥発の荒垣が逃さずチャンスにつなげ、しっかりと攻め切っている。

 第二セットはそれが余計に顕著だ。

「一セット目は、ちょっと迷ってる感じだったけど……」

 松川も久御山に同意する。

「このセットは最初から思い切り行けてるね。前の試合の流れを、いい意味できちんと『消して』戦えてる」

 二つ勝てば、あと一つ。

 積み重ねたリードに胡坐をかいて図々しく攻めれば、手痛いしっぺ返しを食らう。

 望は二年の夏を思い出す。

 もう随分、過去の事として振り返ることは容易い月日が流れたが、それでも忘れ去ることは出来ない。

 一つの試合の流れだけを読んでもダメだ。

 団体戦は、みんなで戦う。

 

 

 

「このまま、行っちまうか……唯華の出番はねーなァ」

「いや、全試合やるから」

 そうじゃなくて、と言いながら益子は立ち上がる。

「お前の『勝負』は無くなったってことだよ。そこの犬森も──」

「狼森あかねだ。そろそろ覚えろ」

 悪態をつく狼森も、どこか覇気のない顔で益子に向き直る。

「冗談だよ」

 気を抜くにはまだ早い、と旭が言うタイミングもなく、荒垣だけがスコアをどんどん伸ばしていく。

「こうまで崩れるもんかぁ?」

「うーん……」

 志波姫はなかば憐れみを含んだ目線を、ディスプレイに映る対戦相手に向けた。

 打開する手段が見つけられないまま、張蒼華は徐々にその火を弱めていく。

「あれだね。ずーっと揃わないルービックキューブみたいなもの」

「うわ──やだな、それ」

 一人遊びの得意な益子には、似たような経験があるらしく、誰よりも強い拒絶反応を示した。

 最初は、ここをこうしたらどうだろうと楽しく遊べる。

 そのうちに、いつまでも思い通りに行かないそれに人は苛立ち、やがて冷静さを失う。

 普通はそうなる前にルービックキューブを投げ捨てるものだが、国を背負った張蒼華には、ラケットを捨てることは許されない。

 むしろそのことだけが、彼女をなんとか立たせている支えだったのだろう。

 十七やそこらの少女には、あまりにも残酷な仕打ちだ。

(荒垣が中国語話せたら、あの子もコニーみたいにしてあげられるんだろうに……)

 張蒼華にとって唯一の救いは、圧倒的大差で終わった第二セットの後、荒垣が彼女の手を強く握り、しっかりと視線を合わせてくれたことかもしれない。

 

 

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