はねバド!~Second Wind~   作:STORICKS

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1st game Summer song

「そうですか……わかりました。では」

 相手が電話を切るのを待ってから、受話器を置く。

 実業団を引退して、社業に専念した数年間の名残だ。

 今日のようにスーツを着ているときは、余計にこの仕草が出てしまう。

 パイプ椅子を軋ませながら、倉石は思案する。

 と、体育教官室の扉が開いた。

「失礼します」

「おう、石澤。まあ座れ」

 言われるまま、望は腰を下ろす。

 彼女は引退してからも、平日はもちろん、今日のように、自動車学校の予約のない土日にも部活に顔を出す。

 と言っても、できるだけ現役生に迷惑をかけないようにと、トレーニングルームでの筋トレと、体育館の隅でのフットワーク練習ぐらいだ。

 たまに後輩にせがまれて、実戦練習の相手をしている。

「あの……」

 顔を伏せたままの倉石に、望は怪訝そうだ。

 倉石の服装にも、クエスチョンマークがついているのかもしれない。

 いつものくたくたのTシャツではないし、無精髭もきれいになっている。

「あぁ、すまん。進路の話だ」

「こないだの、東北体育大学ですか? まだちょっと、親とも……」

「いや、それは焦らなくていい」

 そう言うと、倉石は内ポケットから小さな手帳を取り出した。

「十一月の連休に、キアケゴー氏の協賛で開かれる大会がある。『スピリッツ・オープン』、知ってるか?」

「えっ? いえ……全然」

「だろうな。俺もさっき電話で初めて聞いたクチだ。引退してから大学入学までのつなぎとして、部活引退後の高三を宮崎に集める大会らしい」

 バドミントンのメジャー化のためとはいえ、商魂たくましいヴィゴ・キアケゴーのことだ。

 ちゃっかり動画サイトとのタイアップを仕込んでいる。

 それはともかく、大義としては、この大会で各地の有力選手にスポットライトを当て、大学や実業団の目を向けさせようという狙いだろう。

 ひいてはそれが、日本のバドミントンの隆盛につながる。

「個人戦でインターハイに出た選手には、だいたい声をかけているそうだ」

「はぁ……」

「行くか? 宮崎」

 望は思案した。

 話は唐突すぎるきらいがあるが、バドミントンが出来るなら行かない理由はない。

 どちらかというと、模試の日程や、親の了解の方が気になる。

「行きたいです、けど……」

 三年間、結局望は個人のシングルスではインターハイに出場できなかった。

 うち二回は、荒垣に阻まれたのだが。

「よし、決まりだ」

「えっ、あの」

「金の事なら心配するな。今年は団体も早く帰ってきたからな」

「うっ……」

 冗談だとわかっていても、まだ整理しきれていはいない。

 目の奥が熱くなる。

「いや、すまん。飛行機代と宿泊費は学校持ちだ。負い目を感じるなら、結果で応えてみせろ」

「……はいっ!」

 うん、と頷いて、倉石は席を立った。

「さて、それじゃ俺は出掛けるからな。特待で声をかけてる選手の親御さんに会うんだ。これから前橋だぞ、信じられるか? もう一時だってのに」

 望ははにかんで、答える。

「探して下さいね、次のエースを」

「ああ、任せとけ」

 ぺこりと頭を下げて、望は部屋を出ていく。

 思えば練習中も、どこか肩を落としがちだった。

 まだしばらく、望の背負っていた『常勝・逗子総合』の重しは後を引きそうだ。

 あるいは、過去のエースとしての、現役生に対する不安が、体育館に足を向けさせるのだろうか。

 倉石はふと、横浜翔栄の木叢監督が言っていたことを思い出した。

──上げ膳据え膳はその子のためにならない。でも、だからといって、千尋の崖に突き落とすのもよくない。バランスが大事なんだ。特待だろうがなんだろうが、結局ただの十五歳の少女なのだから。

 望について、倉石にあるのは『介入し過ぎた』という後悔の念が多くを占める。

 木叢監督のように放任的であったなら、どうなっていただろう。

 一度ぐらいは、神奈川のシングルス代表として、全国の舞台に立てただろうか。

 そうすれば彼女は、自分を高めてくれるライバルとより多く、より早い段階で出会えていたかもしれない。

 一年か二年のときに、志波姫と対戦していれば。

「……もう行かないとな」

 学校のパンフレットと、部活風景を収めたDVD。それから、白紙の戦術ノート。

 この三点セットは、スカウトには欠かせない。

 ポケットの中に車の鍵があることを確かめて、倉石は部屋を出る。

 二階にある体育教官室からは、練習風景がよく見える。

 石澤は、ゴムチューブを使ったトレーニングに没頭していた。

 筋力を高めながら、肩肘の柔軟性を損なわず、よりしなやかに。

「……そうだよなあ」

 お前は志波姫じゃねーんだ──呟いて、倉石は階段を降りる。

「じゃ武山、あと頼むな。メニューは軽めでいいが、ダラけないようにしろ」

「はいっ」

 逗子総合のキャプテンは、石澤から新二年生の武山に代替わりした。

 神奈川の同世代の中では有望な選手だったが、特待生ではないし、スカウト順位も一番ではない。

 数年前の主力選手の妹だった。

 姉は、今も大学でバドミントンを続けている。

 上背はなかったが、とにかく体力を鍛えて走り負けない選手に仕上げた。

 妹の方は姉よりもフィジカルには恵まれたが、姉から『逗子総合のシゴキ』を聞き及んでいたのか、入部当初から走り込みを続け、最後まで足を止めないステップワークを身上に活躍している。

「さて、と」

 蝉の声もまばらにはなったが、屋外に停めてある車は蒸し風呂状態だ。

 エンジンをかけ、エアコンを最大にしてから、倉石は体育館の入り口脇にある自動販売機に歩く。

 今日の目的地は前橋。

 長丁場の運転になるから、コーヒーは避けておこう。

 何度か十円玉を入れ直してようやく出てきたスポーツドリンクを片手に、倉石は車に戻る。

 運転席に座ると、あっという間に汗が噴き出してきた。

 カバンからタオルを取り出す。

 ついでに、今日勧誘に向かう中学生のファイルも。

「うむ……」

 逗子総合に寮はない。

 もしこの子が特待を受けるとしても、一人暮らしをすることになる。

 無論、それだけの逸材だからわざわざ行くのだし、家庭も裕福と聞いていた。

 前橋インター近くのコンビニに、カーナビの目的地をセットして、倉石は車を走らせ始める。

 

 

 

 第三京浜を降り、環八へ。

 渋滞に埋まった車内に、多摩川を越えて降り出した雨の音が響く。

 バドミントンは天候に左右されない競技だ。

 他の部活の指導者とは違い、天気予報を気にする必要はほとんどない。

「いつも混むな、ここは……」

 ワイパーが吹き残した水跡の向こうで、信号が青に変わる。

 先の方で、車線が減っているようだ。

 初心者マークを貼ったハイブリッドカーを割り込ませる。

 時間に余裕を持つのは大事だ。

 それは、バドミントンの指導でも。

 教えるべきことの優先順位をきちんと付けておかなければ、実質二年半しかない高校の部活では、何も教えられない。

 もっとも、逗子総合の三年生たちは望に限らず練習熱心で、引退してからもみなちょくちょく顔を出す。

 前を行く初心者マークのブレーキランプが光った。

「関越に乗るまでは、ノロノロだな……」

 車の運転は嫌いではないし、前にいた高校では、合宿や大会の移動のためにも運転していた。

 ふと、倉石は望の言っていた事を思い出す。

 自動車学校に通っている、と。

 つまりそれは、大学に入ってしまえば部活漬けで、自動車学校に通う時間が無くなるから、ということだろう。

 どこであれ望は、大学でもバドミントンを続けるつもりなのだ。

 高校最後の大会で、インターハイに出場できた達成感。

 また逆に同級生──ここでは、志波姫唯華のことを言う──にあれだけ完敗してしまうと、もう競技者としての『上がり』に浸ってもおかしくない。

 終わる理由は人それぞれだが、終わらせるのは例外なく本人だ。

 望に関しては、幸運にもむしろ、バドミントンへの熱量を増大させる結果になった。

 まだ記憶に新しい、あの敗戦。

 相手の弱点を理解するのが早く、試合後半にタイガー・ウッズ顔負けのラッシュを見せる志波姫に対して、敗れはしたが第二ゲームで得点を伸ばした。

 倉石自身の助言はあったが、プレーをしたのは望で、その得点は彼女の思考と実践の結果だ。

 だが、もっとお互いに、色々なことに、気づくのが早ければ……。

「……いかんいかん」

 難しい顔をしていては、これから会う生徒に怖がられてしまうかもしれない。

 もっと他愛ないことを考えよう。

 たとえば。

「あいつ、車何買うんだろう……」

 

 

 

「……くしゅんっ」

 もう、夏も終わりだな。

 日が傾くのが早くなって、風が少し涼しくなっていく。

『ブカツ』に取り組む高校生はこの時期、その多くが夏に残した後悔を胸に練習に励む。

 去年までなら、春の選抜に向けて修正点を洗い出している時期だ。

 望にとって、それは今年も変わらない。

 端的に言えば、視野の狭さ。

 それは複合的な要因で、とにかく監督の指示を全うすることに固執するプレイスタイルによるものでもあり、丁寧にシャトルをミートし、また持ち味のカットを正確に叩き込むためにフォームにこだわるテクニカルな問題でもあった。

 自分なりに考えたのはそのぐらいだ。

 荒垣との準決勝の後、もちろん監督とは話し合った。

 ただ、その時はお互い試合後のアドレナリンが出ている状態だったから、どこまで冷静な話し合いができたかはわからない。

 お酒が飲める歳なら、もっとよくわかり合えるのかもしれないけれど。

 後者の要因については、望は一筋の光明をとらえていた。

 志波姫との対戦で感じたこと。

 荒垣のように力業でこちらの戦術を潰してくるのではなく、『読み』をもとにこちらの返球パターンを強制してくるような。

 あれは……マークシート形式のテストだ。

 そして、たぶんどれも正解じゃない。

 荒垣のは圧迫面接だな。羽咲のクロスファイアは、さしずめひっかけ問題のなぞなぞだろう。

 ともあれ、ショットのクオリティ自体は、志波姫とそこまで差がなかった、と思いたい。

 もっと実力差があれば、テストというよりセミナーのように感じたはずだ。

 体力面はわからないが、志波姫がやっているバドミントンは、極論で言ってしまえば、『足の削り合い』をしなくてもいいスタイルのもの。

 運動量なら三強の津幡を筆頭に、志波姫を上回る選手が全国にはいるだろう。

それが『走っている』か、『走らされている』かの違いで……。

「あの、先輩」

「どうしたの?」

「いや、扉閉めるんで」

「あ、うん」

 監督があまり口を出さなくなって、最近はスカウトやなんかで練習中にいないことも多い。

 目先の大会は全国につながるようなものではないし、自分たちが『いちばん上』になったばかりで、緩みがちな時期。

 それでも武山はきちんと休憩時間を決めて、体育館に響く声は、人数が減っても変わりない大きさだ。

 これなら、選抜も期待できそう。

 

 

 

 

「……今日も来たのか。今日は練習試合だからコートは使えないぞ?」

「いいです。トレーニングだけやります」

 新人戦を控えて、今の時期はどの高校も練習試合を多く組んでいる。

 大会日程や会場の関係から、好きなだけ人数をエントリーすることができないためだ。

 やっとこさ団体戦に出られるだけの人数しかない公立校なら別だが、逗子総合を含む多くの私立強豪では、全員を大会にエントリーできない。

 望のようなエース格になれば当然、コンディションと相談して出られるだけ出るわけだが、結果空いたところの『穴埋め』でしか試合経験を積めない選手も多い。

 練習中は声出しに終始し、大会期間は応援に徹する。

 高校生活をそれに費やしてしまうのは、寂しいものだ。

 チャーターバスで乗り付けてきた関東第五高校の生徒の中にも、そういった選手がいるだろう。

「じゃ、ロードワーク行ってきます」

「ああ……」

 夏の盛りは過ぎたとはいえ、晴れている日はまだ三十度を超す。

 そんな中、望は長袖のウインドブレーカーを着込んで走り出した。

 日焼けを嫌がるわけでもないだろう。

 どこかの高校野球の強豪校は、夏でもグラウンドコートを着て、マスクをつけてランニングするそうだ。

 

 

 

「11-6。インターバル!」

 一年生の審判姿も板についてきた。

 倉石は立ち上がって手を叩き、戻ってくる選手たちに声をかける。

「よしよしよし、オッケーオッケー!」

 10-3からの三連続失点で流れが多少悪くなったが、最後は長いラリーを制してのインターバル入り。

「これが四点差なら全然違うぞ。よくやった。後半は連続ポイントを与えないように、どんどん目先を変えていけ。いいな?」

「はい」

 中学からペアを組む彼女たちは、二人とも『半免』の特待生だ。

 インターハイの連続出場が途切れた昨年の夏大会でも、ダブルスでそこそこに勝ち上がっている。

「あと、いつも言っているが、二人同時にペースを上げすぎるな。さっきの最後のラリーは別だが、点差があるうちはサッと流して取り返せばいい。二十一点目に先にたどり着けばいいんだ。そこは二人で声をかけろ」

「わかりました。行ってきます」

 と同時に、審判の試合再開の声。

 軽く手を合わせて、二人はコートに戻っていく。

 倉石はまた、パイプ椅子に腰を下ろした。

 

 

 

「ふぅ……っ」

 浪子不動の階段を二十本。

 膝に負担をかけないよう、下りはゆっくり歩いて戻るだけだが、それでも足がじんわりと痛む。

 乳酸がたまっている証拠だ。

 逗子総合のある三浦半島は、山が海に迫っているところが多い。

 下半身を鍛えるにはうってつけの環境だ。

 学校を出発した時から持っていたペットボトルの中身は、ほとんど尽きかけていた。

 望はそれを飲み干すと、ゆっくりと歩き出す。

 海岸沿いを走る国道の脇に、公衆トイレがあることは、望は入学前の春休みから知っていた。

 催したわけではない。

 水道と、近くの自動販売機に用があるだけだ。

 この時期は、盛りのついた若者も多い。

 そういう手合いが周囲にいないことを確認してから、望はウインドブレーカーを脱ぎ、水道で顔を洗うと、裾で顔を拭いた。

「……よしっ」

 ウインドブレーカーを腰に巻き、望は学校までの帰り道を走り始める。

 そろそろ、練習試合も終わっている頃だろう。

 

 

 

 練習試合は、おおむね逗子総合の勝利に終わった。

 負けた試合もあったが、それは時間の兼ね合いで、先方の二年生とこちらの一年生の試合になったからだ。

 倉石は手ごたえを感じた。

 関東第五は、ネームバリューで言えば、横浜翔栄と並ぶ関東の強豪だ。

 逗子総合の知名度はその二校に比べてやや落ちるが、それは特待生のスカウトエリアが狭いからだ。

 団体戦の連続優勝が途切れるまでは、ほとんど神奈川県内からしか特待生を取らなかった。

 昨日行ってきた群馬の前橋などは、数年前なら及びもつかなかった場所だ。

 無論、それだけコストもかかっている。

 横浜翔栄ぐらいの知名度があれば、有望な生徒の方から自発的に越境入学してくることもあるのだが。

「武山、挨拶行くぞ。ほかの者は自主練したければしていいが、きちんと試合の反省をしてからだ。いいな?」

「はい」

 二十人程度の円の中から、武山が進み出て倉石に続く。

 他の選手たちはそれぞれに、今日一日の結果を振り返っている。

 しかし、フレゼリシア女子のように海外から、しかもプロ選手を引っ張ってくる高校に比べれば、かわいいものだろう。

「ありがとうございました。倉石さん」

 関東第五の監督が、握手を求めてくる。

 それに応え、倉石は手を握り返した。

「いえ、こちらこそ。いい選手いますね、第五さんも」

「いやいや、ウチは栄枝にも近いですから。トップクラスはそっちに獲られちまいます」

 強豪校の監督同士は、だいたい顔見知りだ。

 県予選はもちろん、関東大会でも上位に出てくる名前はだいたい同じ。

 今年の『北小町』は、ちょっとしたセンセーションだったが。

 と、バスに荷物を積み込んでいる生徒たちの傍らを、望が歩いてくる。

 一人、車体から離れてついてきた。

「あの、石澤さんですよね」

「えっ?」

 望には、他校の隠れファンも多い。

 荒垣ほどでないにしろ背が高く、また簪を挿した独特のスタイルも良く目立つ。

 風貌はどこか大人びていて、他校の応援に来た生徒が心酔してしまうことはよくあった。

 もっとも、実力があるということが大前提ではある。

 望自身、あまり愛想の良くない方だが、大会で何度もやりあった横浜翔栄の重盛なんかとも、実は仲がいいらしい。

 今時の高校生というのは、そういうものなのだろう。

 もっとも、ほんのちょっとしたことで、もしかすると重盛は、望とチームメイトになっていたかもしれないのだが。

 自分の高校時代と対比しながら、そのほほえましい光景を倉石が眺めていると、少しばかり会話を交わした後、望はにっこりと笑い、その少女と握手をしてから、倉石のもとに戻ってきた。

「お疲れ。もう試合終わったから、自主練やる奴と一緒にやっていいぞ」

「はい、ありがとうございます」

 体育館からは、早くもシャトルを打つ音が漏れ聞こえている。

 逗子総合の選手は、とにかく日がな一日、コート内を走り回っていることが苦にならない者ばかりだ。

 こういう選手を預かる監督の仕事は、無理をせず、無駄を無くすために必要な技術を教えること。

 オーバーワークによる故障を避けてやること。

 つまりは、自分の実力と競技との『距離感』を保って、三年間やって行けるかどうか。

 倉石はそれをスカウティングの最重要項目にしている。

 それゆえに、望と同世代で『そこそこ』だった重盛をピックアップしていた。

 当時重盛よりも優れた選手は、神奈川県内に限っても二桁は居た。

 用意していた『半免』の特待枠でさえ、彼女には破格の待遇だっただろう。

 それでも倉石がリストに彼女の名を載せたのは、そういう『距離感』が抜群に良かったからだ。

 フィジカルはなく、技術もまだ未熟ではあったが、その時々で『勝てる』ショットを丁寧に叩き込み、当時の先頭集団を冷や冷やさせる試合を幾度も繰り広げた。

 何よりも、万能感に溺れる多くの『神童』たちと違い、地に足を付けたプレイスタイルが倉石の心を打った。

 もちろんその拡大強化版として、石澤望という選手がいたのだが。

 結果的には、『半免』の逗子総合ではなく、重盛は『四分の一免除』の横浜翔栄を選ぶ。

 それでも、二年半の月日が流れて今、その二人が実は仲がいいというのは、倉石には不思議でも何でもない事だった。

 不思議と言えば、橋詰が神奈川に来たことの方だ。

 その当時の彼女ほどの実力があれば、埼玉栄枝からも当然オファーが来ていただろう。

 それが『全免』だったのか、『四分の一免除』だったのかはわからないが。

 

 

 

「そういえばお前、免許はいつ取れるんだ?」

「さぁ……九月頭ぐらいに卒検ですね、たぶん」

「そうか……」

 『スピリッツ・オープン』への参加申請書類を記入している望を眺めながら、倉石は考えた。

 この大会には、インターハイ出場者がずらりと顔を並べるらしい。

 キアケゴー氏によれば、流石に『三強』はもう進路が決まっていて、そもそも声をかけてはいないらしいが、それでも居並ぶ名前と学校名を見る限り、武者震いが止まらない。

「大したメンバーだ。この大会で勝ち上がっていけば、いいところから声がかかるだろう」

「トーナメントなんですか、これ」

「……えっ?」

 お互い顔を見合わせる倉石と望。

「……あれ? いや……書いてなかったか? その紙に」

「初日、二日目はシングルス個人戦。三日目はランダムペアのエキシビションダブルス……としか」

「んん……?」

 首を傾げる倉石に、望は大会要項の書かれた紙を手渡した。

 どうやら会場近くのホテルを借り切って、選手同士の夕食会も行われるらしい。

 そういう雰囲気はあまり望は得意ではないが、『宿泊費』のぶんだけ、肩が軽くなった気がした。

「まぁ、いい。翔栄の木叢監督にでも聞いておくよ」

「あそこも誰か出るんですか? 橋詰?」

「いや、重盛らしい。橋詰はしばらく競技と距離を置くそうだ」

「ふーん……」

 望が逗子総合に入学したての頃、橋詰とは対戦したことがある。

 スコアは覚えていない。ということは、多分勝ったんだろう。

 重盛と対戦したことは、少なくとも公式戦ではなかったはずだ。

 そのおかげで、お互いの『距離感』が上手く保たれている面もある。

「ラインしてみよう」

 橋詰はともかく、重盛が宮崎に行くのなら、夕食会とやらも、寂しい思いをせずに済みそうだ。

 

 

 

 

 

 逗子総合は、基本的には進学校だ。

 だから、普通の高校よりもちょっとだけ、夏休みが短い。

 八月の最後の週から、授業が始まる。

 三週間ぐらい経ってようやく『日常』に収まってきたそれに、少し飽きてきたある日の昼休みのこと。

「あ、シゲ。悪いね電話しちゃって」

『いいよ。もう今日から始まってるんでしょ、試験』

「まあね……それで、こないだの話」

 スポーツ特待生の集まるクラスは、活発な生徒が多い。

 昼休みの喧騒をできるだけ遠ざけようと、望はアイスティーのペットボトルを机に置き、教室の窓を開ける。

 潮の香りがほのかに漂ってきた。

 電話の相手は重盛だ。

『いいんだけどさぁ、ウチもう新チームになっちゃってるから、練習相手が……』

「だから電話したの。逗子総こない? 今週日曜とか」

『いいの?』

 その日は、新人戦前最後の練習試合が組まれているが、今度は遠征だ。

 つまり体育館は誰も使わない。

 鍵は前キャプテンの望も持っているし、倉石からも『学生証は持ってくるように言っておけ』とだけ。

『じゃあ行こうかな。駅から歩きで行けるよね?』

「行けるけど……迎えに行こうか? 車で」

『なに? もう免許取ったの?』

「先週ね」

 逗子総合では、二輪の免許はご法度だそうだが、乗用車の免許についてはとやかく言わないらしい。

 もっとも、自動車学校に入学するという届け出と、安全運転の誓約書は出さなければならなかった。

『でも、車なんてどうやって……』

「お父さんが、乗ってないやつ貸してくれたの。『免許取っても、乗り続けてなきゃ逆に危ない』って」

『ほーん』

 確かに一理ある、と重盛は思った。

 パパも似たようなことを言っていた気がする。

「じゃあ、その時間に迎えに行くね。なんかデカい羽根ついてる車だから、すぐわかると思うけど』

 ……デカい羽根?

 

 

 

 約束の日曜日。

 時間に余裕を持って現れた望より早く、駅に着いていた重盛。

「うわぁ」

 その『なんかデカい羽根』のついた車に、彼女は目を丸くした。

「デカい羽根って、こういうことか……」

 GTウイング。

「お父さんスゴイね。走り屋でもやってたの?」

「走り屋?」

「峠とか首都高とか、サーキットとか走るの」

「なにそれ……」

 重盛はその大きなウイングを眺めながら、後ろから助手席に回り込む。

「うわぁマニュアルじゃん」

「『練習しろ』って、お父さんがね」

「ぱねー。GTウイング付けたS15に初心者マークかぁ……」

「イチゴ?」

 今日のパンツは無地だったはずだ。

「この車の形式だよ」

「ふうん。重盛んち、車屋さんだっけ」

「ただの板金屋だよ。パパは『プライベーター』なんてカッコつけてるけど」

 重盛の家は、藤沢街道沿いの──重盛の父が言うには『チューニングショップ』だという。

 一時は潰れかかっていたそうだが、数年前には丘陵地に一軒家を買うぐらいまで持ち直したらしい。

 ここ数年、スポーツカーが人気だそうだ。

 確かに望も、隣を走る車にのぞき込まれた覚えが何度かある。

「まぁいいや、サァ行くか!」

「うん。シートベルトしてね」

 望はギアを一速にいれ、大仰に安全確認をしてから走り出した。

「終わったらご飯行こうよ。びっくりドンキー」

「あぁ……びっくりドンキー、いいね」

 

 

 

「出来た?」

「うん、オッケー」

 二人でコートの準備は完了。

 ポールを立てたりネットを張ったり、お互い三年生の二人には久しぶりの作業だった。

 望と重盛はコートの反対側同士で、準備運動を終える。

「じゃ……軽くやろっか」

「よしっ」

 最初は望のトスアップ。

 重盛は、力みはないがスナップの利いたハイクリアーで返球。

 受けて望も、同じショットで返す。

 ある程度の実力者同士が打ち合えば、それはそのまま、緊張感を保った効率の良い練習となる。

 お互い相手のステップの邪魔にならないところに、丁寧に羽根を『置いて』行く。

 試合前練習でも、こういうところで相手の力量がわかるし、相手にとってもそうだ。

 フォア、バックのクリアー。

 目で合図した後、ドライブに切り替えて数十回。

 ひとしきり打ち合って、最後は少し動いて打った重盛が、ネットにかけてラリーは終わった。

「ふぅ……」

 望は少し、重盛よりも動きの量が多かったようだ。

 まだ足りない、と言わんばかりに肩をぐるぐる回す重盛。

「やっぱいいね、シゲ」

「ん?」

 きょとんとして、重盛は動きを止めた。

「シゲの羽根は、いい音する」

「なに、それ。言われたことないよ」

 苦笑する重盛に、休憩を促して望はコートを出る。

 一人分ほどの空間を開けて、重盛はドリンクボトルを手に座り込んだ。

「私けっこう、その日一発目の立ち上がりとか集中できなくてさ。隣のコートの練習とか、ぼーっと見ちゃったりするの。ほんのちょっとだけどね」

 ストローを口から離して、重盛は頷く。

「なんとなく、違いがあるの。ショットの音っていうより、風を切る音っていうか……」

「ふーん……」

 重盛にはよくわからなかった。

 基本的には目の前の対戦相手に全力で、悪く言えば余裕がなかったから。

「いや、なんか……うまく言えないんだけどね」

「なんとなくわかるよ。人によって、向かってくる音の感じが違うのは、わかる」

 『言われてみれば』のレベルで、自信はないけれど。

「シゲの音は、『さぁ来い!』って、呼んでるような感じ」

 望が立ち上がる。

 重盛も。

「よしっ、……じゃあもっと呼んであげるよ」

「うん」

 再び、体育館に音が広がる。

 

 

 

「あー……」

 片付けを終えた頃から、なんとなく外が騒がしくなっていた。

「いやあ、すごいね」

 ほんの五〇メートル先に停めた望の車が、霞むほどの大雨。

「最近多いよね、こういうの」

「ね」

 汗が冷えないように、重盛は羽織ったジャージをきちんと着直す。

 エントランスの冷えた床が心地よい。

「シゲ、あの大会出るんでしょ?」

「出るよ」

 にやり、と笑ったように見えた。

「翔栄でやりきったことに悔いはないけど、まだ終わりたくないからね」

 今年の夏、横浜翔栄が団体戦で北小町に敗れたのは、波乱といえば波乱だった。

 いや、それを言ったら今年の高校バドミントンは何もかもが波乱だったような気がする。

 三強の一角、それも世代最強と目されていた益子泪が一年の選手に敗れた。

 その『一年』がとびっきりのモンスターだったことは、今は誰も疑っていないだろうが。

 順当といえばそれこそ、荒垣が県予選を連覇したことぐらい。

「大学でも続けたい。だけど、一般だとウチがね」

「やっぱ、お金かかるよね」

「かかるね。翔栄の特待だって、Cランクでもありがたかったもん」

「うん……」

 望は『全免』だったが、それでも用具類のサポートまではつかない。

 『四分の一』だけの免除ではさらに厳しいだろう。

 いくら家の商売が上手くいっていても。

 それに、大学となれば学費も生活費も、バドミントンにかかわるお金もけた違いだ。

 強豪に入れば長期間の合宿や、海外遠征まであるだろう。

「ま、それもそうなんだけど」

「?」

「AとかBの特待で入ってきてる子達と勝負したかった、ってのもあるんだけどね」

 その言葉に、望は妙に納得がいった。

 そうか。

 シゲは多分、相手を値踏みしないんだ。

 格上だから割り切ってやろうとか、格下だから体力の消耗を抑えようとか、そういう考えにならない。

 だから、最後まで走り切る。

「……なるほどね」

 

 

 

「ありがとね、今日」

「ううん、私も楽しかったよ」

「じゃあまたね。大会、頑張ろう」

「うん」

 手を振り、駅の改札口に消えていく重盛を見送って、望は車を発進させる。

 車の運転というのは、難しいものだ。

 確かにこれは、期間が空いたら出来なくなってしまうことかもしれない。

 ましてやマニュアル車では、それこそ両手両足を使って運転するのだ。

 こんな雨の日は、余計に神経を使う。

 それでも望は、案外この車が好きになってきていた。

 カーブを抜けた先でアクセルを踏み込むと、ちょうど人間の両足の踵がスッと揃うような。

 五感を使い切る感覚は、望が今バドミントンに求めているものに通じる。

 車のことはよくわからないけど、教習車とは明らかな違いがあった。

 あれはなんとなく、手で無理やり曲がっていくような感じで。

 少し先の信号が赤に変わる。

 行動範囲が広がるのは、いいことだ。

 ガソリン代を使いすぎるのは、両親もあまりいい顔はしないけれど。

 

 

 

「新人戦、どうでした?」

「まあまあだったな。武山も勝ち残ったし。ただ、ダブルスは港南のあいつらにやられちまった」

 港南のあいつら、とは、芹ヶ谷と笹下のことを言う。

 一年生で神奈川予選を制して、インターハイでも益子のペアに食い下がった二人だ。

 聞けば、逗子総合からエントリーしたダブルスのペア二つとも、彼女たちに負けたらしい。

 片方は一年生の腕試しだからまだいいが、二年生ペアの方は尻に火がついているところだろう。

「ま、練習だな。石澤もしっかりやっとけよ。あと一か月ちょっとだぞ」

「わかってますよ……で、大会の中身は分かったんですか?」

「ああ」

 倉石は、手書きのメモを取り出した。

 A4サイズを折りたたんだそれを開くと、たぶん木叢監督がまとめたのだろう。

 倉石とは違う筆跡で、文字が並んでいる。

「……なんですか、これ。どういう……」

 その紙に書かれていた内容を、要約するとこうだ。

 初日、二日目で合計七試合をこなす。『全員が』──らしい。

「最初の対戦相手はランダムで決まるらしいが、そのあとは自由対戦ということだ」

「自由対戦って……」

「空いたコートにどんどん入っていく。相手は適当に見つけてな」

 初日に最低三試合を戦わないと、二日目以降は参加できないとある。

「まだ全員の名前がわかったわけじゃないが、今のところ分かっているのはこの辺だ。とりあえず『第二集団』はほぼ全員来る」

 三強からは一段落ちるが、それでも全国区の選手たち。

 久御山に馬野山、華のある豊橋アンリ。益子の陰に隠れがちだが、シングルスでもいっぱしの実力者の旭海莉。フレ女の矢本の名もある。

 重盛の名前も、もちろんあった。

「強いですね」

「都合二日間で七試合、勝ち負けが同じならセットカウント、得失点で優勝を決めるらしい。優勝すれば現地のアンダー18の大会に招待される。ついでにデンマーク旅行だ」

「ワッフルでしたっけ」

「それはベルギー」

「あぁ……」

 呑気なもんだ、と倉石は頭をかく。

「あのな、石澤」

「はい?」

「そういう『ニンジン』がぶら下がって、しかもこの条件だ。『楽に勝てそうな奴』には群がってくるぞ」

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