二日目は、初日に三試合を戦えなかった十数人を除いた人数で行われる。
「デハ、各々対戦相手を見つけて、試合を開始してクダサイ。──あまり取材の方々を待たせないように、ネ?」
いたずらっぽく笑ったキアケゴー氏が二階に収まると、集まった選手たちの中から一組、また一組と別れてコートに入ってゆく。
望は、二日目の頭を埼玉栄枝の岩崎と戦うつもりでいた。
年一回の恒例となっている、逗子総合と埼玉栄枝の練習試合で手合わせをしたことがあったからだが、それはもう一年以上も前のことだ。
その当時の、倉石の指示に忠実に動く、しかしやたらに精密なバドミントン人形だった望ではない。
もっとも倉石には、望を己の操り人形に仕立てるつもりは毛頭なく、ただ『逗子総合の石澤』を育てていただけのことだったが。
「──ねえ、あんた」
「え?」
声の主が岩崎ではないことは、望にはすぐわかった。
数人の人影の向こうで、岩崎は隣県の強豪、宇都宮学院の旭海莉と腹の探り合いをしていたからだ。
そこに割って入って、この二人との連戦となるのは、望の本意ではない。
そこまで自信は持てなかった。
なお重盛は朝食を食べ過ぎたらしく、キアケゴー氏の挨拶が終わるとすぐにトイレに駆け込んでいた。
昨日の二試合目で棄権し、デンマークへの挑戦権を失った矢本は、既に二階席で観客の一人となっている。
「やろうよ、一試合目」
望に声をかけてきたのは、長門湯谷都央の深川ゆも。
その珍しい名前は両親が付けたものだが、望にはその意味が分からなかった。
ただし、『自由な発想』の両親に育てられたおかげで、同い年とは言え初対面の人にも、随分とフランクなようだ。
「あ、えっと……」
「深川ゆも。『ゆも』でいいよ」
そう言ってはにかむ姿は可愛いものだが、望の返事も聞かずに袖を引っ張ってコートに向かう様は、周囲の耳目を集める。
(こういうのと付き合う彼氏は大変なんだろうなぁ……)
まるでバドミントンとは関係のない事を思い浮かべつつも、望は彼女がつまんだ袖を振り払おうとはしなかった。
「オヤオヤ、ゆもチャンですか……これは大変デスネ」
「そうでしょうか? 久御山さんにあれだけの大勝をして、私はもう、石澤さんの方が……」
髭のおっさんとぐだぐだ喋るよりは、お互い手の内を知っていてやり辛さのある岩崎と朝っぱらから戦う方がマシだと、旭は考えたらしい。
そのため、今日のキアケゴー氏の話し相手は矢本だ。
彼女には試合の予定はないから、たぶん一日中そうなるだろう。
「コトはそう簡単にはいきマセン──ゆもチャンは圧倒的スピード型デス」
昨日、望が戦った相手は、豊橋にせよ久御山にせよ、基本的にはバランス型だ。
その上で己の長所を磨いた結果、豊橋は粘り強い『拾い』を得て、久御山は一回り大きな核を得た。
「東のあかねチャン、西のゆもチャン──マァ、綾乃チャンもスピードタイプと言えばソウデスガ……この二人には劣りマス」
可愛がっている割には、羽咲のことをあまり大きくは評価していないんだな、と矢本は思った。
確かに羽咲は二つの大きな欠点を持つ。
体格の小ささ、体力のなさ。
バドミントンを辞めていた期間がある選手で、あそこまでハイレベルになるのは異常だと矢本は考えているが、単純なスピードであれば狼森、深川の二人が双璧と言えるだろう。
「恐らく、今の望チャンが最も苦手なタイプ……初っ端から体力を使い、カットを連発して走らせ続けレバ、この試合には勝てても、『その後』が辛くなりマス。唯華チャンなら、その辺は上手くやるデショウケドネ」
対豊橋戦のように、要所要所で望が必殺技、完全ノールックでサイドラインに落ちるリバースカットを放つというのなら、それは値千金の一打となる。
しかし、とにかくカット系を乱発して相手を振らなければならない、となると望の体力面で厳しい。
足は四戦目でも動くだろうが、カットを打つたびに捻られる腕の筋肉は、そのうちオーバーヒートして使い物にならなくなる。
中断期間のあった羽咲よりは体力はあるにせよ、キレがなくなれば、左利きのクロスファイアでさえ、サイズが大きく、ラケットワーク自体は決して抜きんでてはいない荒垣のような選手にすら拾われる。
「でも、唯華は別に、カットプレイヤーではないですけれど……」
彼女と長く一緒にプレイをしていたということもあるが、矢本はいくつかの点で、望のプレイを志波姫に重ね合わせていた。
「唯華チャンは特別デス。彼女はバドミントンの『コア』が違う。例えて言うなら、『トラック』と『リリック』デスネ」
『トラック』とは車のことではない。
歌曲の伴奏、特にヒップホップ、ラップ系のそれを指して『トラック』と言い、『リリック』は韻を踏んだ特徴的な歌詞のことだ。
「『トラック』は原則的には、音楽理論に基づいて作られるモノ。対して『リリック』の自由度ははるかに大きい。何語を交えようが自由デスシ、例えばラップにありがちな『汚い言葉』も唯華チャンは、使おうと思えば使えるデショウ?」
確かに、と矢本は頷く。
もちろん志波姫の人間性からして、キャプテンという地位を笠に着て誰かを虐めるようなことは全くない。
しかし例えばノック練習などでは、対面コートに立っているのが誰であれ手心を加えるようなことはなかったし、平たく言えばサディスティックなものを、矢本は時たま感じていた。
息が上がり、太ももの筋肉が軋み始めている部員に対して、取れそうで取れない──逆だ。
『取れなさそうで取れる』配球をするのが、格段に上手い。
だからこそ身体の大きい矢本や雄勝が、大舞台で活躍できる選手に育ったわけだが。
「ソノ二人が組めば、面白いデショウネエ……」
にんまりと目を細め、キアケゴー氏が呟いた言葉を、矢本は聞き逃さなかった。
「あの、この大会で優勝したらデンマーク派遣っていうのは……」
「フフフ──始まりますネ」
(速っ──!?)
これはシングルスのラリー速度ではない、と望は驚嘆していた。
距離を取ろうとクリアーを深め一杯に打っても、数巡すればまたネット前の乱打戦に戻る。
まるで、社会科の授業で見たビデオの、湾岸戦争の対空砲火。
テレビの中の出来事と違うのは、望のシャトルが次々と撃墜されていることだ。
時の米大統領なら、そんな事態になれば世論に配慮して早々と撤兵するところだが、もちろん望にその気はない。
対空砲火の一瞬の切れ目を縫って、望は申し訳程度のポイントを取り返す。
常軌を逸したスピードバトルが十八番の深川だが、目の前の強敵を撃ち落とすために少々無理をしているらしく、いくつかネットにかかったシャトルもあった。
それでもスコアは4-11。
(落ち着け、相手のリズムに呑まれるな……)
望は心の中でそう唱えてから、目を瞑って二、三度深く呼吸をする。
速いラリーを落ち着けるには、クリアーの連打でとにかく相手をミドルコートから奥に押し込むしかない。
それぐらい望も分かっている。
論理的思考というよりは、身体に染み付いた行動原理のレベルで。
人間の三大欲求の一つ──どれかはわからないが──が『シャトルを拾う』に置き換わったのが羽咲とすれば、目の前の深川は、『速く打ち返す』に置き換わっているのだろう。
夕方になればこのスピードも少しは衰えるのだろうが、今はガソリン満タンの朝一発目だ。
二セット目の頭からがむしゃらに全力をぶつけて行けば、そのセットは獲れるだろうが、消耗戦に引き込むのは『その後』を考えると、最終的な勝利が遠のくように思える。
(そういえば、あんまり『速い選手』とやったこと、なかったなぁ……)
ふと、望はそう考えた。
自分には経験値がない──少なくとも、これほどのレベルのスピードラリーは未体験ゾーン。
で、あるならば。
(……このセットは相手にやる。ひたすらクリアーを打ち続けて、深川が前に出るパターンを全て曝け出させる。それから、第二セットで深川の『一歩目』を潰す。これしかない──)
「……スピード、落ちました?」
「マサカ」
まだ午前中ですよ、とキアケゴー氏は笑う。
だが、コートから聞こえてくる打撃音は、第一セット前半よりも明らかに間延びしていた。
というよりも。
「ただ、リズムは変わっていますネ……まるでシャッフル・ビートデス」
同じようなリズムを、矢本は聞いたことがある。
スマッシュ練習だ。
それよりは幾らか二つの音の間が縮まっているのは、深川の方がミドルコートより前で望のクリアーを捌いているからだ。
コートの中では、深川がとにかくドライブで望を振り回し、望の方は全く反抗することなくひたすらにクリアーを上げ続けている。
コースも間合いも厳しいそれを無理やりクリアーに持っていっているのだから、深い返球にはならない。
そんなラリーを十数回も続ければ破綻する。
シャトルがコートに落ちた回数は、望側の方が圧倒的に多かった。
結局望は第一セットを8-21で落とす。
しかし、コートチェンジをしてこちら側に来た望の顔は、矢本には妙に自信ありげに見えた。
(さて、と……)
僅か八点しか取れなかった第一セットだが、望の心中に焦りはない。
傍目にはまるで深川の練習相手をしているような、クリアー一辺倒のラリーパターンも、意図したものだ。
(前に出る方法は、だいたいセオリー通り──深川は、相手も前に引きずり出して、決着を付けたがるタイプ……)
基本的に深川はショートサービスしか打たない、ということも望は分析していた。
ショートサービスに対してのレシーブ、という意味のクリアーでは、本来もっとコースを突くべきもの。
しかし、第一セットの後半全てを、望はまず『見る』ことに消費した。
事実、望が挙げたクリアーは、絶妙なコースに打ち分けられたものではなかったし、さして上背のない深川であっても、それを叩き返すこともできた。
だが敢えてそうせず、彼女はネット前に望を出させる。
つまりはそこで優劣をハッキリさせて追い込むのが、彼女の戦い方なのだろう。
深川も同じくクリアーで返球してくるから、必然的にネット前勝負になる。
さもなくば、彼女はヘアピンを落とすだけで簡単に完封することができたし、望もある程度はネット前に付き合った。
よほど自信があるのだろう。
(実際、上手い。でも──『誘う』クリアーを打つ瞬間に、隙が出来てる……)
そこを突くにはどうしようか、と考えているうちに、インターバルは過ぎた。
(まずは、強打を入れてみる)
第二セットは、望のサービスからだ。
(ロングで行く。ネット前を嫌っている、無理やり引きずり出している、と思わせるために──)
一瞬深川と視線を合わせ、望はシャトルを左手から離す。
「っ──!」
ロングなら、打ち上げたシャトルが落ちてくる間に、望はネット前に詰めることが出来る。
深川にしてみれば、手間が省けて好都合だろう。
案の定彼女は、返球はしやすいが微妙な高さに、シャトルを打ち返してくる。
(この乱打戦は付き合う。でも、この一回きり──!)
相手が前に出てくるのは予想通りだ。
足元を突くのは困難と見て、望は彼女の手元にドライブで返球。
サイドアームからでは、そう厳しい球は返せない。
深川は手首を返してシャトルをラケットにミートさせ、望のボディ目掛けて打ち返す。
(久御山戦のアレで行くか……? いや──ここはボディにドライブ!)
「ふッ!」
望は身体を大きくスライドさせ、ラケットを振るスペースを作る。
なんとか面は作れたが、コースは限定された。
(関係ない、強くッ!)
身体のほぼ真横で捉えたシャトルは、それなりの威力を得て深川のバックサイドに返った。
ヘアピンを落とせば、望がそれを読んで動いていなければ、得点できただろう。
しかし深川はあくまでも望を『抜く』ことに拘っている。
当然だ。
さっきの第一セットは、それが通用したのだから。
(キックして身体を中央に戻す。そして下がりながら──)
望がヘアピンを拾うためにネットと平行移動していれば、そのシャトルは彼女の腋の下を抜けていっただろう。
しかし、深川が打ったのはバックハンドのドライブ。
無論、威力はフォアよりも落ちる。
ドライブと読んでバックステップを踏んだ望には、それをコントロールして返すことは容易い。
(低いフォアへ……勢いを殺せ、できるだけ──)
ワイパーショット。
深川は腕を伸ばして何とか拾うが、厳しい返球は出来ない。
ネット前勝負を挑んだ時点で、コート片側に押しやられてからの、球足の短い急角度のワイパーに対抗する術はない。
広く空いたバックコートへシャトルを沈め、まずは望の得点。
(これでいい……まず、『組み立てを変えた。簡単には抜けない』と思わせる。その上で──)
二本目のサービス。
望はショートサービスを選択した。
深川にとっては大好物だろう。
難なく拾ってすぐさま、ネット前に張る。
(あくまでも『抜き』に来るか……)
今度は望は付き合わない。
バックハンドからクリアーを、深川のバック奥へ。
間合いの長いラリーに引き込むつもりだと彼女は誤解したのか、頑なにロングラリーを拒み、望が前に出る時間をわざわざ作るハイバックのクリアー。
コート対角から前に出てくる深川を確認して、望は『必殺技』を放った。
自分から間合いを詰めたのだ。
何が起きたかを正確に把握できたとしても、対処する時間はない。
シャトルはネットにかかる。
2-0。
「よぉしっ!」
望はひときわ、大きなアクションを取ってみせる。
安っぽい挑発ではない。
そうなればしめたものだが、望の狙いは、『このリバースカットが奥の手』だと深川に思わせることにあった。
苦しくなれば『アレ』が飛んでくる。
クリアーで距離を取るのは愚策だ、そう思わせるために。
そこからしばらく、望が優位で試合は進行した。
スコアは15-9となっている。
「ウーン……」
キアケゴー氏はなにやら不満顔だ。
急場しのぎの対策に、羽咲よりもお気に入りの『ゆもチャン』が引っかかっているのが気に入らないのだろうか。
「石澤さんは、立て直しましたね」
矢本がポツリと感想を漏らす。
「ソウデスネエ……確かにあのリバースカットがあれば、不用意に間合いを開くのは危険デスガ……」
なまじ『見る時間』があるから見てしまう。
望は、ストレートにカットスマッシュを打った場合の『偽』の着弾点を見て、ラケットを振っている。
どれぐらい肘を捻り、いくつの回転数をシャトルに与えれば良いのか。
彼女はそれを体得していた。
それを意識してコントロールする練習を、ひたすら積んでいたから。
もやがかかったような不明瞭な精神状態のまま、身体はひたすら単純作業を刷り込まれ、意識は単純化されていく。
もっと重心を下げろ。
パターンCは、Dは……。
お前は荒垣とは違う。
──じゃあ、『わたし』はいったい、なんなのか──
五里霧中の中で、倉石の指導だけが『灯台』だった。
ひたすらそれに向かって漕ぎ続ければいずれ、船は辿り着く。
辿り着かなければ『死』だ。
ただ一点だけを目指し、意識を集中させる。
意識、意識、意識……がやがて無意識になる。
そうして霧が晴れた瞬間、望は己にありとあらゆる『武装』が備わっていることに気づき始める。
荒垣が手渡し、志波姫が鍵穴に差し込んだ『鍵』は、あるいは安全装置の解除キーだったのかもしれない。
手にした武器は無意識に操られ、『正しい着弾点』を見なくてもそこに打ち込める。
攻撃目標の座標を入力してから発射される、巡航ミサイルのようなものだ。
根本的に、それを迎撃するにはまず、望が狙う『座標』を読まなければならない。
「その為ニハ、『一つか二つ前のラリー』で、彼女がロックオンしている瞬間を見逃してはイケマセン。デスガ……」
深川は、己の最大の武器を生かすために、前後左右の揺さぶりで望を釣り出すことに労力を割いている。
それではダメだ、とキアケゴー氏はため息をつく。
「イケマセンネェ……『音』がうるさすぎます、アレデハ」
「ノイズ、ですか」
「エエ……」
『一つか二つ前のラリー』の時、石澤は前に張りたがる深川のために、自分自身も付き合って前に出ている。
そこで行われるのはたいていヘアピンの交換。
仮に望のヘアピンが甘ければ、深川がプッシュの連打で強引に勝ち切るか、あるいはいったん彼女をネット前から剥がして、自分だけが優位な位置をキープしようとする。
また逆に深川が甘ければ、やや浮いたシャトルを望がコースにコントロールし、深川を四隅に押し込んでから開いたコートへ叩き落す。
「ゆもチャンは、身長にしては腕が長いデスヨネ? いわゆる、ウイングスパンが広いプレイヤー……」
「確かに……」
スピードプレイヤーにありがちなスタミナの消耗による自滅を深川があまり見せないのは、腕が長い事で、フットワークをある程度『サボれる』ことによる。
長い腕は、短く使うこともできる──それが抜群に上手いのが、彼女を全国区のプレイヤーに押し上げている理由の一つだ。
これは綾乃チャンにも言った事ですが、とキアケゴー氏は前置きして話す。
「日本の高校生のレベルは、世界的に見ても高い方デス。その中で一定の地位を築けるプレイヤーは必ず、何かしら『ストロングポイント』を持ってマス」
羽咲は『サウスポー』、荒垣や津幡は『強打』、志波姫は『戦術』……。
倉石から譲り受けた老獪な『戦術』はまだまだ望のモノにはなっていない。
志波姫のように数多の強豪と渡り合っていくことで、今後醸成されていくものだ。
即ち望の『戦術』は、現時点で志波姫のそれに比べれば劣るものだが、彼女にはそれと別に、目の肥えた元全日本の記者をして、『シャトルの捉え方が上手い』と言わしめる長所があった。
肘の柔らかさからくるカットのキレは、言ってしまえばその副産物に過ぎない。
そして、深川と同じように──シャトルの捉え方が上手いなら、『下手』に捉えることも出来る。
だが、『スピード』は本来歓迎すべき『身体の成長』に伴って徐々に失われていく。
トレーニングをして筋肉量を増やせばウェイトは増え、それでもスピードに拘れば、待っているのは悲劇的な破綻だ。
「スピードと言うのは、只々『速ければいい』と捉えられがちデス……」
ところが実際には、そのスピードを敢えて『遅く』することで相手を幻惑することも出来るものだ。
瞬間的にではあるが、望は『着弾点を見るスピード』をゼロにしている。
それは最速ともいえるし、最遅ともいえる、言わば『特異点』──ゼロ・ポジション。
──そもそも、『荒垣とは違う』って、いったい何が。
第二セットを望が21-16で勝ち切りイーブンに戻した後、二人はインターバルに入る。
身体を休めることに専念している望に対して深川は、軽くステップを踏み、手首のストレッチをしていた。
最終セットは序盤から得意のスピード勝負を仕掛け、ポイントを奪って逃げる腹だろう。
(私が荒垣と違うのは……)
身長、パワー、選球眼、ネット前、カット……ほんの数秒ほどの時間でもこれだけ思いつくほど、あらゆる要素がある。
要するにそれらが『優』と『劣』を両極に持つ軸線上に散らばっているのだと、望は気付いた。
『違う』ということ自体が即ち『劣っている』わけではない。
──なんだ、倉石監督も言ってたじゃない……。
荒垣なら深川に対して、ひたすらにボディを強打してまともにラケットを振らせない戦い方ができる。
深川お得意の、『ネット前』に持ち込む展開の出鼻をくじいて、すんなりストレートで勝ちきれる。
それができなくとも望には、深川に勝つ方法がすでに備わっているはずだ。
(裏をかく……このセットもそれで行く)
第一セットとの無抵抗とはうって変わって、第二セットは望がラリーの主導権を握り続けた。
リバースカットを意識させて深川の出足を抑えたこともあるが、突如豹変した相手に対する戸惑いもあっただろう。
それを受けての作戦続行だが、望はひとつの見落としをしていた。
いくら策を弄しても根本的に『スピード』は深川が上であること。
そして、追い込まれた対戦相手が迷いを殺して愚直に向かってきたとき、『裏』は無くなる。
「──っ!」
完全に差し込まれた。
浮いたシャトルはサイドラインを割り、深川のポイント。
カットの切れが落ちたわけではない。
不意に挟み込まれるカットスマッシュに、彼女が完璧にタイミングを合わせて返球してくることはなかった。
それでもスピードにやられてコントロールを失う場面も多々あり、スコアは13-13。
幾度か先頭は入れ替わったが、お互いが相手の背中に張り付きながら高速ラリーを続ける展開。
(どこまで付き合うか……)
望はこの状況でも、自分がさほど冷静さを失っていないことに安堵する。
相手の意図が決まり切っているのも一つの要因だが、そもそも深川は本来、今まで望が相対してきた強敵たちに肩を並べるには、少しばかり力不足な選手だ。
『ベスト4』の志波姫や荒垣とやりあった望にとっては、『ベスト8』級の彼女の『強さ』そのものは、未知の領域ではない。
(志波姫の手を使う? でも──)
インターハイ団体戦、志波姫との第二セット序盤で彼女にやられた手。
速いラリーを落ち着ける、と見せかけてその実、ドライブを望に返球し乱れを誘った。
恐らくあの試合ではそれが『真実の瞬間』だっただろうし、相手が『自分自身』なら間違いなく有効なだろう。
しかし、相手は自分よりもスピードのある深川だ。
彼女たちの世代の一般的な選手──たとえば泉や、重盛のドライブのスピードが100として、荒垣やコニーのドライブは時に軽く150を上回る。
なかばスマッシュのような強打だからこそ、大きな武器になるわけだが、シャトルを拾う速さも計算に含めれば、羽咲や狼森、目の前の深川だって120ぐらいは出ているだろう。
前に詰めて前で打つ、それは遠くから強打するのと結局、時間的には変わらない。
望や志波姫は、戦術で優位に立てる分や、コントロールの良さによるコースの厳しさを加味しても、やはり120程度。
『普通のプレイヤーよりは、なかなかいい』──そんなものだ。
だから多分志波姫はもし荒垣と対戦したら、スマッシュは絶対に打たせない。
相手の『150』を殺すと同時に、自分の『120』を押し付けていく。
自分にもそれが出来ればいいのに。
望はそんなことを考えながら、深川のラリーに付き合い、お互いに二点ずつを得る。
15-15。
(……もう、いい加減に突き放さないと)
こういう張り付いた終盤では、『強み』のある深川の方が走りやすい。
一点を先んずれば、間を置かず次のサービスを打ち、同じムードのままで二点目を奪いに行ける。
デュースに入ってしまえば、それでゲームセットだ。
(うーん……)
確かに追い込まれてはいるが、望は微かに口角を上げる。
少し笑ってしまうほど、自分の思考回路の安定感に驚いた。
今なら志波姫のように相手の行動の理由を、七つも八つも考えられるだろう。
また一点ずつを取り合い、16-16。
誰かに、どこかにヒントはないか──?
(久御山……違う。荒垣は、無理だ……)
ふと、耳に別コートのコールが飛び込んできた。
「マッチワンバイ旭。21-19、18-21、24-22」
(旭……益子……いや、そんなセンスは──そうだ、羽咲!)
集中力をいったん切った望が落としたポイントの後、深川が間髪入れず続けたラリー。
その最中、望はラケットを握る手をほんの少しだけ開いた。
中指と薬指だけが最低限密着していれば、それでコントロールは出来る。
基本的にはパワーのなさを補うため、しっかりラケットを握って打つことに拘ってきた望だが、ここで一旦、それを捨てた。
『強打』の裏は、『弱打』とでも言うべきか。
僅かに緩んだシャトルは、ほんの少しだけ深川のステップを澱ませた。
息の上がった望が、少しタイミングをしくじったように思えただろう。
(もう一度、今度は普通に──)
オーケストラの指揮者のように、望は抑揚をつけてラケットを振る。
深川のフォア、低めに落としたシャトルも、彼女は身体を翻して難なく返球してきた。
(次は、ちょびっと『掛け』て──)
打撃音が鈍くなった。
少しだけ山なりになったシャトルに、深川はまたも足を惑わせる。
(ここで、真っすぐ──叩け!)
ボディへのドライブ。
『伸びがいい』シャトルは、深川の胸元に飛び込んでいく。
ラケットのネックを弾いたそれは、彼女を飛び越して真後ろに落ちた。
17-17。
「──よしっ!」
傍目には、簡単なミスで取られた点をあの手この手で何とか奪い返したように見える。
しかし、『それ』に気づいた者もごくわずかにいた。
「『天才』──という言葉は、この場合敬意を欠いていますネ……」
キアケゴー氏はゆっくりとしたテンポで、そう評した望に拍手を送った。
「ちーチャンは、ラリー図を描いたことアリマスカ?」
「へ? あ、まあ……一年のころなんかは結構……」
ラリー図とは、コートの図に、そのポイントごとのラリーの流れを描き入れてゆくものだ。
ごく基本的な定跡と言えるパターンなどは、書店にあるバドミントンの入門本などにも載っている。
矢本が描いていたのはフレゼリシア女子に入学した頃。
それまではシングルスプレイヤーだった彼女が、高校に入ってダブルスプレイヤーとして戦っていくために、その当時の先輩の試合などを描き入れていたものだ。
それを持って試合後、先輩に『あの時なぜこうしたのか』と聞き、また志波姫達ともそうやって切磋琢磨してきた。
指導者である亘監督は、倉石のように口数の多いタイプではないから、部員同士で考える必要が大いにあったのも理由の一つだ。
「アレね……プロの中には軌道の横に『数字』を書いている人も居るんデスヨ」
「数字?」
望が試合中に考えていた三桁ではなく、一桁の数字。
それは紙のスペースを考えれば当然の対処だろうが、たとえばある選手は五段階ぐらいで、そのショットの『強度』を明記しているのだという。
1なら80%、2なら85%……という風に、微妙に各ショットの強度を変えていくことが、揺さぶりになるのだという。
「へえ……やっぱり、プロってすごいんですね……」
小学生並みの感想を返しつつ、矢本は考える。
各ショットの強度『だけ』を変えることができるプロのレベルの高さにも驚くが、それを同い年である望が、その精度の差こそあれ『出来ている』ことにはより驚嘆を覚えた。
もっとも、それが出来る選手はほかにも知っている。
志波姫だって、あの第二ゲームで当の望を乱れさせたのは『その手』だったし、キアケゴー氏のもとで羽咲は、同じフォームから繰り出す三種類のクロスファイアを使って狼森や益子を破った。
本質的には同じことだ。
望がそれを出来ることにも、よくよく考えれば不思議はない。
誰よりも高い確率でシャトルをクリーンヒットできる彼女が、敢えてそうしなかったとき、シャトルは伸びを失う。
だが次のシャトルは、元気いっぱいに伸びてくる。
同じスイングからその二種類が来れば、どうしたってこちらの精度は悪くなる。
二階席で座って見ている矢本だから、なんとなく『何をしているか』が分かる程度で、コート内を走り回り、視線がブレている深川には、全く気付けない。
志波姫が望に掛けた『球種を見誤らせる』という魔法よりも、こちらの方が厄介だ。
視野が広かろうが対応するスピードがあろうが、『気付けない』──意識の外から攻撃されているとなっては、対処不可能。
無論それで惹き起こされる『乱れ』は、志波姫のそれに比べればごく小さいものだから、彼女のように即座にポイントにつながるものではない。
深川は『自分が少し疲れてきたから精度が落ちている』としか思っていないだろう。
だが、この状況下ではそれで十分なのだ。
第三セットを自分のストロングポイントを望に押し付けて走り切る──そう考えていた深川の目論見は、この土壇場でひとりでに崩れる。
また『裏』が現れれば、とどのつまりは同じこと。
21-18。
欺瞞の『疲れ』に自ら飲み込まれた深川は急にパフォーマンスを落とし、望が終盤ポイントを連取して試合は終わった。
「セッティングを終えた状態──自らの心が揺れていない状態デハ、望チャンは強いデス」
しかし、どこか『お膳立て』に拘り過ぎているところがあった。
心がしっかりと立てば揺れることはないが、まずセットアップが出来ないと途端にパフォーマンスを下げてしまう。
その状態では、『上』で戦っていくのは、厳しい。
そうキアケゴー氏は言う。
国際大会ともなれば、縁もゆかりもない地球の裏側の国から、とんでもない才能が飛び出してくることも、ままあるのだ。
そもそも荒垣に敗れたのも、望が自分で考えたのではなく、倉石が考えた戦術が通用しなかったのが本質だ。
『お膳立て』が崩れた後も、一時の覚醒状態を得て取り返すには至ったが、それは幻でしかない。
扉が開いたのはやはり、志波姫との一戦だ。
「シカシ、マァ……あと三試合、誰が抜け出しマスカネェ」
「これって、トップの選手しか行けないんですか?」
「ソウデスネ。最終的には、『私が決めることではない』デスガ……」
「──?」
「シゲ、お疲れ──もしかして……」
「勝ったよ、初勝利!」
「やったじゃん。相手は──」
今治第三の鈴木らしい。
初日の練習時に、連れの阿方の方は待たされて不機嫌な顔を見せてきたが、対照的に柔らかな表情の、どこか所作もおっとりした彼女を、望はよく覚えていた。
(まあ、でも……)
ああいう、『毒』のない子は、そんなにスポーツは強くならないんだろうか。
重盛にしても、たまにきつい事を言う。
もっとも彼女の場合は悪気はなく、持ち前のハングリー精神がそうさせるだけだろう。
「ま、一勝三敗だからね。デンマークは無理だなぁ。石澤は?」
「勝ったよ。でも、一セット落とした」
「四連勝かぁ……やっぱ石澤とやるの、辞めよ」
重盛がぽつりと漏らした言葉に、望は耳を疑う。
「……なんで?」
──勝負は、やってみなきゃわからない。
そんな安易な言葉は、重盛を惨めな気分にさせるだけだろう。
望は出かかった言葉を呑み込んだ。
「やらないよ、悪いけど」
その言葉を合図に歩き出した重盛を、望は早足で追った。
二人は横に並んで、会場外の自販機に向かう。
彼女は悟ったのだ。
全国区の強豪を薙ぎ倒して四連勝した望と、凡人同士の手慰みでようやく一勝を拾った自分には、埋め切れない実力差がある。
それは今となっては客観的事実かもしれないが、それが全てではない。
重盛はそんな投げやりな性格ではないし、一時の苦悩を周囲に八つ当たりするような子供でもない。
「──やらないよ?」
自販機まで来て、重盛は同じ言葉を繰り返した。
望の予想通りだが、彼女の表情には、諦観や卑屈さは無く。
「わかった。……シゲ、ありがと」
「おう! また、あとで」
重盛は笑顔を見せ、買ったばかりのペットボトルを手に戻っていく。
宮崎に来る前、重盛は『高校でやりきった』と言った。
『でも、まだ終わりたくない』──とも。
彼女の高校での競技生活は、ある面では全く満足のいく、実り多い日々だっただろう。
木叢監督は、倉石のように煩いタイプではないと望は記憶していたが、それは虚飾やハッタリで、生徒を惑わせないためだろう。
倉石はときたま、望や選手たちを鼓舞するために、大きなことも言う。
(あぁ、そうか。やっぱりシゲは……)
大して期待もされずに入学したとはいえ、木叢監督の大切な教え子の一人なんだな、と望は思う。
横浜翔栄の選手たちは、自分で考える。
それは木叢監督の指導の根幹を為すもので、試合中一番煩いと言われる逗子総合とは対照的だ。
好対照、とは言わない。
実際倉石が観客から顰蹙を買ったり、主審に注意を受けることもしょっちゅうで、『分からない人』から見れば、生徒に自分の考えを押し付ける傲慢なロートル──そう思われることもしばしばあった。
当然、逗子総合の部員たちは倉石がそんな三流監督でないことはよく知っていたし、心情的には気に食わないことがあっても、結局『勝てる』わけだから、それでよかった。
対して木叢監督は、究極的には『勝ちを追わない』──。
生徒が自分で考え、必死に戦った結果ならば、将来バドミントンを続けていく上での、『より良き負け』と考える。
『敗北』が意味を持たなくなるのは、バドミントンで金を稼ぐようになってからだ。
コニーのように。
もちろん、強豪校の指導者としては結果を残さなければいけないから、彼は特待の待遇をABCの三つに分けることで、競争意識を煽り、学校側のコストを下げるという一石二鳥の手を生み出した。
C特待だから来なかった選手もいるし、重盛のようにそれでも翔栄に来た選手もいたし、Aに甘んじて、自分の『本当の大きさ』を見誤った選手もいた。
ともあれ、それが奏功しているのは、逗子総合の連続インターハイ出場記録が途絶えたことで証明されている。
──だからシゲは、考えてくれたんだ。
望は『友達』に感謝した。
重盛に勝っても他の誰に勝っても、一勝は一勝だ。
単純に、デンマークには近づく。
だがそれに、どれほどの意味があるのか。
『格下』から稼いだ星でまやかしの栄光を買っても、何も得られない。
橋詰のようになるだけだ。
上手かろうと、強かろうと確固たる基礎が無ければ、鉄火場でバックを引く。
その場凌ぎではたとえ、『精一杯』やろうと、勝てないのだ。
重盛がさっき言った、『悪いけど』の意味が分かって、望はほっとした。
一瞬揺らいだ心が、ぴたりと定まる。
二試合目は誰にしよう。
さっきの深川ほど鮮明な武器を持った選手は見当たらないから、別に一セットを『見』に費やす必要もな い。
同じタイプとの単純な実力勝負で行けば、望と同じ『インターハイに出た組』の、埼玉栄枝の岩崎や、宇都宮学院の旭には多少分が悪いかもしれない、と彼女は考えている。
(どっちかというと旭の方が嫌だな。知らないし……)
とは言え仮に負けたところで、それは『より良き負け』にあたるものだろう。
同じタイプの選手同士の対戦なら、細かい部分の優劣で鬩ぎ合っていくことになる。
そういう試合を通じて、志波姫に近づいていくことが望の現時点での目標であるし、結果的に今回デンマークには行けなくとも、バドミントン人生においては価値がある。
だが、重盛と戦って得られるものはない。
将来の時点では、あるかもしれないが……。
お互い、バドミントンを続けるにしても日本の大学だろう。
デンマークに行けても、入社式も終わっているこの時期では、実業団からの誘いは流石にないだろうし、
せいぜい、私学の入試が始まる二月末ぐらいまでに、ちょっとはオファーが来れば上出来だ。
海外に留学というのも現実的じゃない。
ならばこれから未来で、どこかで交わることもあるに違いない。
その時に取っておこう。
望はスポーツドリンクを飲み干して、エントランスの対戦表に向かう。
──あと残ってる『四連勝』は誰だ?