はねバド!~Second Wind~   作:STORICKS

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8th game WILD CHALLENGER

「豊橋と羽咲は奥のコートで、立花君がノックを打つ。益子と旭は俺が見る」

 倉石が飛ばした号令に呼応して、四人はシャトルがいっぱいに詰まった籠を持ち、指定されたコートに向かう。

「荒垣と志波姫はまずストレッチだ。他三人は交代で1セットゲームを回していけ。神藤コーチが見るから」

 あらかじめ引いてあった体育用のマットに二人を促し、松川は袖をまくる。

 今更ストレッチなんて、と悪態をつくでもなく、荒垣はそれに従った。

 現時点で膝に不安を抱えている彼女だが、兆候はないにせよ、肩や肘もスマッシュを打った分だけ酷使しているのは間違いない。

 志波姫にしても、古傷の再発は絶対に避けたいところだ。

 それに彼女にはとりたてて、すぐ直せるような欠点は存在しない。

「あ、じゃあ……あかねちゃんと久御山、最初にやっていいよ。私審判やるから」

 代表練習とは言え、ここは望にとってホームコートだ。

 ゲストを優先するのは当然の事だろう。

 倉石は手際よく役割を分担する三人を横目に、益子と旭のもとに向かった。

「待たせたな。お前たち二人は心配してないが……ただノックを打つというのもつまらんからな」

 そう言って彼は、自らのコートの奥隅二か所に、底が彼女たちから見えるようにして空き籠を置く。

「狙って、入れてみろ。そうだな……1ダースのうち五本入れば、ジュースを奢ってやろう」

 つまりそれは、上からでなく、ドライブで叩き入れろ、と言うことだ。

 ふん、と益子は鼻を鳴らす。

「よっしゃ、やろうぜおっさん」

「泪!」

「──もとい、監督」

 旭がすまなさそうに向けた目を高笑いでいなし、倉石は練習メニューを開始した。

(こんな跳ねっ返りは、ウチにはいなかったな──)

 

 

 

「……狼森、ちょっと」

「なんだばや、コーチ?」

 久御山がポイントを取り返し、二点差にしたところで、おおむね狼森の押し気味で進んでいた試合を、傍らで見守っていた神藤コーチが止める。

「望ちゃん、シャトル──」

「あ、うん」

 少し羽の曲がったシャトルを、久御山は望にはたいて寄越す。

 望はケースから新品のシャトルを取り出し、彼女に投げて渡した。

「おおきに」

 その間に神藤コーチは狼森のコートに立ち入り、身振り手振りで指導を送る。

「アンタも綾乃と一緒、頭振らないようにしな」

「お、おう」

 神藤は狼森の肩と腹部に手を置き、力を入れて彼女の上体を起こした。

「体幹を立てれば、頭はブレない。点数はいいから、常にこれを意識すること」

「おーん……」

 それから神藤はコートの外に出て、手を打って鳴らす。

 それを合図に、久御山がサービスを打ち、再び試合が始まった。

「コーチ、今のって……」

「ん、ああ──」

 神藤は望の横に立ち、試合中の二人の邪魔をしない音量で語り始める。

 背が小さく、『拾い』からゲームを作るスタイルの選手が陥りがちな欠点。

 それは彼女の娘もそうであったし、今指導したばかりの狼森や、同じくラリーを主体とする豊橋にも見える傾向だという。

「頭が動くと目線がブレるし、何より疲れるからね。体重の八パーセントほどは頭だから、だいたい五キロの錘を振り回してるようなもんさ」

 久御山にはそういう欠点は見えないらしく、彼女には神藤は特にコーチングをしないまま、一セット目が終わった。

 スコアシートは用意してはいたが、この練習はポイントが重要ではない。

 望の頭の中で計算した限り、21-15ぐらいだっただろうか。

 勝ったのは狼森だが、久御山も特に悔しそうな表情は見せない。

「久御山」

「はい?」

 独特のイントネーションと共に、首をかしげる彼女。

「狼森は、結構中国の選手に似てる部分があるけど──やってみて、どうだった?」

「そやなあ……」

 久御山はラケットを脇に挟み、手ぶりを交えて神藤に伝える。

 うん、うんと頷いている彼女を横目に、望は入れ替わりでコートに立った。

 狼森と軽くウォーミングアップをしながら、二人の会話に耳を立てる。

「横より縦とちゃいますか? 崩すのは……」

「そうだね、正解だ。人間の体は横長だからね、あとはそれを実現できるように、メリハリをつけて打つこと。攻めてのネットは仕方ないから」

「はい、おおきに」

「じゃ次、石澤と狼森、始めて。狼森は、さっき言った事忘れないようにね」

「はいっ!」

 

 

 

 かつん。

 シャトルが籠の取っ手を叩く。

「──二本、だな」

「オイ小さくねぇかその籠、おっさ──監督」

 五本も入れるのは無理だよ、とばかりに益子は旭の方を振り向く。

 まんべんなく散らされたシャトルを打ったのは、二人とも半分ずつぐらいだったが、籠に入れたのは益子だけだ。

「石澤は最高九本入れたぞ? と言っても、フォアのスマッシュリターンで、だがな」

 と、倉石が教え子自慢を披露したところで、『天才』のプライドに火が付いたようだ。

「……旭、どいてろ」

「え? ちょ──」

 彼女の肩口、ギリギリ柔らかくない所を手で押しのけて、益子はコートの中央に立つ。

「十本入れてやる」

「オーケー……」

 やれやれ、と言う風に旭は肩をすくめてみせた。

「ほれ!」

 倉石はバックスイングをとり、シャトルを泪のフォアサイドに上げた。

 心地よい打撃音が響く。

 シャトルは倉石の腰をかすめて、左側──益子のクロスサイドの籠に突き刺さった。

「ほら、一本目!」

「フムン……」

 得意顔の益子を見据えて、倉石は再びシャトルを上げた。

 今度は、彼女のバックサイドだ。

「っ!」

 矢継ぎ早にシューズとフロアの擦れる音を立て、益子はサイドステップで落下点に入る。

 そして──。

「おりゃ!」

 コースが甘い──と倉石は錯覚した。

 シャトルは空中で弾かれたように角度を変え、過たず、今度は倉石の右側の籠へ一直線。

 彼女の十八番のクロスファイアは、籠の『底』でなく内側の『壁』に命中する。

「ほぉ……やるな」

 当然、と言わんばかりに益子は胸を張って、得意顔を彼に向ける。

 傍で見ている旭も、初めて自転車に乗れるようになった我が子を見るような目で、彼女を見つめていた。

「どんどん来いや、監督」

「よおし──それっ!」

 三本目も、倉石はバックサイドへシャトルを送る。

 ただし、前回よりもずっと遠い。

 見送ればアウトかも知れないそれを追う益子に、旭は一歩二歩下がってスペースを空けた。

「ふッ──」

 バックのオーバーハンド。

 手首と肘の外旋をフル活用して放たれたそれは、倉石の予想に反して、彼の左側──ストレートコースの籠のわずかに手前でバウンドし、そのまま吸い込まれた。

(流石、と言おうか……)

 ワンバウンドだからノーカンだ、と倉石が言うかどうか迷っている間に、益子が声を上げた。

「今のはキツくねぇか?」

「……ま、そうだな」

「今の球は旭に任すよ。決めてくれるよな?」

 水を向けられた旭は、わずかにはにかんで頷き、重心を載せる脚を入れ替える。

「そう、ね……あんたのペアだからね、私」

「だな」

 

 

 

 結局、益子泪の記録は八本だった。

 といってもこれには、ワンバウンドの『疑惑の判定』は含まれていない。

 むしろあのコースをクロスでなく、ストレートにコントロールできるあたりが、彼女の非凡なところだろう。

 その後の旭は四本に終わったが、彼女の場合は『外した』シャトルも、全てバックラインぎりぎりに着弾している。

 旭海莉も、決して凡人ではない──と、倉石は確信した。

 そこに、何やら面白そうなことをしていると見て、ストレッチを終えた荒垣がコートに近づく。

「おう、荒垣。膝はいけるか?」

「問題ないよ、倉石さん」

 強気に振舞っている、と言うわけではないだろう。

 彼が手渡したサポーターも、荒垣はきちんと付けている。

「アタシもやらせてよ、スマッシュのコントロール?」

「かまわんが、壊すなよ?」

 そう言った倉石に右手を上げて、彼女は小さく呟く。

 壊れねぇよ──。

「泪、あんた荒垣とやったんでしょ?」

「もう昔だよ、そんなの。覚えてねぇわ……」

 どちらかと言えば、彼女の記憶に残っているのは、別の出来事──。

「……そういやあいつ、神藤にスコンクで負けたんだよな」

「ちょっと、泪」

 わざとらしく、聞こえるように言ったのを咎めようとして、旭は泪の肩に手を置く。

 当然耳に入っていた荒垣だが、それを制する。

「いいんだよ、旭」

 そうして、確かめるように屈伸をしながら、彼女はふうっと息をついた。

「アタシが弱かったから──今は違う」

 上半身を沈み込ませ、荒垣は上目で旭と益子、倉石を順番に睨み付ける。

「さ、来い!」

 呼応して、倉石はシャトルを打ち上げた。

 さっきまでの二人よりも遠く、高く。

 クリアーと言うよりはロブに近いそれに対し、荒垣は半歩体を引いて、空中に飛び上がった。

 金属のような衝撃音と共に、空気が歪む。

 ターゲットの上っ面にヒットしたシャトルは、その勢いのまま、反対コートの豊橋の足元まで飛んで行った。

 ひっくり返った籠は、無残にも取っ手が割れ、欠け落ちている。

 歪んだ空気が元に戻るのを待って、倉石が言った。

「……壊すなって言ったろ。三百円な」

「へーい」

 荒垣はちょろっと舌を出して見せる。

 本気で請求する気がないのは、倉石の表情を見れば明らかだ。

 それから、彼と同じように、『荒垣なぎさ』への認識を改めた人物がもう一人。

「──泪、口あいてる」

 

 

 

 

 数か月前に受けた、自動車教習所の卒検のような気分で、望はひとまず一セットを終えた。

「おつかれ、望ちゃん。やっぱし上手いわなぁ」

「ありがと」

 久御山が差し出したタオルを受け取り、望は神藤の顔色を伺う。

 その表情から、さほど期待を裏切ったわけではないと、彼女は思っていた。

「石澤は、もっとシンプルに行っていいよ」

「え? はぁ……」

 相手をどうやって崩そうか、と考えるのはとてもいいことだ、と神藤は言う。

 ところが望の場合、そこにばかり意識が向きがちで、かえってラリーを複雑にしているらしい。

「石澤はたぶん、セットで勝つときは、点差開いてるでしょ?」

「ええ……」

 宮崎での試合を、彼女は思い返してみる。

 旭と一緒に途中棄権した試合を除けば、デュース間際まで競ったのはせいぜい深川との三セット目ぐらいで、あとは豊橋を十点に抑えたり、久御山に至っては六点に留めて大勝した。

「リズムがいいときは、アンタは強い。ただ──事実として点数が取れているなら、深く考える必要はないんだ」

「はい」

「うん──志波姫!」

 神藤は、松川と軽くウォーミングアップをしている志波姫を呼んだ。

「はい、コーチ?」

「アンタ次、石澤とやりな」

「おっ」

 にやり、とする彼女に、望は軽くたじろぐ。

 久御山や狼森はともかく志波姫は、望にとっては夏のインターハイで戦って負けた相手だ。

「……それじゃ、狼森はさっきの意識を作る練習をしよう。久御山は審判ね」

「ほい」

 二人の間で、ほんの少し空気が張り詰めたのを察してか、神藤は狼森を松川のもとへ向かわせた。

「よし、勝負だ望!」

「ええっ」

「じゃあ、負けたら勝った方の言うことを聞く、でいいね?」

 口角を上げた志波姫に、望は沸々と闘志が沸き上がるのを自覚する。

 それはどちらかと言えば、『勝って当然』と言わんばかりの志波姫の表情に対してではなく、自身の貞操の危機に対してだった。

 心の中で、望は呟く。

(この一球は絶対無二の一球なり……!)

 

 

 

 裂帛の気合が充満するコートの隣で、豊橋と羽咲がへたり込んでいた。

 かれこれ一時間近くノックを打ち続けている立花も、日の丸のジャージが身体に張り付くほどに、汗をかいている。

「──疲れたね、綾乃ちゃん」

「うん……」

 とにかくまんべんなく、あらゆるコースに配球されたシャトルを、二人は手際よく分担して追い続けた。

「ちょっと休憩しよう。脚とか痛くないか?」

「あ、それは全然……どうでした? コーチ」

「ん……正直、初めて組んだとは思えない」

「でしょ?」

 素直に感想を述べた立花に、豊橋は得意げに羽咲と笑みを交わした。

 荒垣と組んだ時ほどはバタつかないだろうと、彼も予想はしていたが、守備範囲の広さでは羽咲にも引けを取らない豊橋のサポートがあれば、『攻撃』への転換も極めて容易に、また随時に行えるだろう。

「ただ──倉石さんも言ってたけど、お前たち二人の仕事は『次』にできるだけ多くの情報を伝えることだ」

 二人は表情を引き締める。

「もちろん、勝てば最高だけどな」

「一回やってるからね、綾乃ちゃんと」

「そうだね」

 二人は、今夏のインターハイ二回戦で対戦している。

 二回戦からの登場で、羽咲よりも体力的に有利だったとはいえ、彼女はその試合で、『羽咲綾乃』を幾度となくネット前から引き剥がして見せた。

「強かったもんなぁ……アンリちゃん」

 羽咲のような、いわば『自由形』のプレイヤーにとっては、『やりたいことをやらせてもらえない』のは苦痛だっただろう。

 また豊橋にとっても、高校生活最後の試合で、一年生に負けてしまうというのは、悔いが残らない結果だとは、とても言えない。

 それでも今二人が、懐かしそうにその試合の思い出を語るのは、豊橋が試合中に投げかけた言葉によるところが大きい。

『いい試合をしよう』──。

「そんなことも、言ったっけ……」

「言ったよ、アンリちゃん」

 バドミントンに愛される選手は限られている。

 しかし、バドミントンを愛することは誰にでもできる。

 関わる全てを愛し、リスペクトしてきたからこそ、豊橋アンリは一年生からインターハイに出場するほどに上手くなり、また自分自身が一年生に敗れる側に回っても、勝者を讃えることができるのだろう。

「また、試合したいね」

 その言葉に、豊橋はうんと頷いて、シャトルを集めているコーチを手伝おうと、腰を上げた。

 羽咲も、後を追って立ち上がる。

 ふと、隣のコートの試合が目に入った。

 まるで本番さながらに険しい表情でカットスマッシュを打ち込む望。

 半分飛び込みかけて、追うのを諦めた志波姫がシャトルを拾って返すと、審判役の久御山がデュースと言った。

(……私も)

 背中を向けている母親をじっと見つめ、念を送る。

「おーい、羽咲?」

 名前を呼んだ立花の声に、神藤は軽く後ろを振り返る。

 羽咲はあわてて目を逸らし、シャトルを拾う二人に混じった。

 

 

 前半から中盤を過ぎるあたりまでは、志波姫が三点ほど離していた時間帯もあった。

 しかし望は、そこから怒涛の追い上げを見せて、先にマッチポイントを窺ってみせる。

 デュースに入って先にマッチポイントを握ったのは志波姫だが、望は前後の揺さぶりから、伝家の宝刀リバースカットでひっくり返した。

(この一球は──)

 二十回以上詠唱している呪文を途中で切り上げ、望はショートサービスを放つ。

「っ──」

(前に詰める? ならこっちはクリアー、と見せかけて──)

 志波姫はインターハイで使った手を、再び繰り出す。

 フォームに拘る望がステップ位置を確かめ、バックスイングを大きくとることを予見し、彼女の目線が下がった一瞬に、ラケットを走らせた。

(さあどうだ──!?)

 白帯を越えていくシャトルを見送り、リズムを乱すことを期待して志波姫は望を見る。

 と、二人の目が合う。

(え……)

 早いテンポを欺瞞することを意図したサイドアームを、望は完全に見切っていた。

 ドライブリターンなら、差し込まれたのは志波姫の方だろうが、望はカットを強く掛けて打ち返す。

(二重で、仕掛けるか──)

 最初の目論見が失敗し、ドライブを予測して足を踏みかえた志波姫は、緩んで曲がり落ちるシャトルに向けてダッシュ。

 下で拾うしかない高さに落ちてきたが、タダでチャンスボールを与えるわけにはいかない。

(遠くに!)

 志波姫はアンダーハンドからラケットをしゃくり上げ、シャトルを望の後方に飛ばす。

「──!」

 望はバックステップを踏み、シャトルが自由落下に入る一瞬の間で、志波姫の位置を確認した。

 踵をコートに擦り付けて、加速度の向きを変える彼女が見える。

(コートミドル──よし!)

 後ろ体重になった志波姫の手元に、望は渾身のスマッシュを叩き込む。

「ち──」

 身体の半分だけをスライドさせ、下手から志波姫はシャトルを捌く。

 上に打ち上がるしかない。

(貰った──!)

 引いた半身を戻す志波姫を流し見て、望は前に跳躍した。

「──ふッ!」

 風船が割れるような音を立てて、シャトルは志波姫の重心の逆、バックサイドへ飛ぶ。

 志波姫も自身の運動神経に入力はしたのだろうが、バランスを崩し、脚をもつれさせた。

「よっし!」

 シャトルが彼女のコートに着弾したのを確認して、望は背を向けてガッツポーズをする。

「……えっと、マッチポイント、望ちゃんやな?」

 頼りない久御山のコールに、振り返った望は力強く頷く。

 対面の志波姫はコートを踵で撫で付け、前髪に絡んだ汗を拭きながらも、飄々とした顔色を変えない。

「いやあ、強くなったねぇ望。何がアンタをそこまで──」

 ズレたリストバンドを直しながら、志波姫は笑みを送る。

「……本能、かな」

 強くなったのは紛れもない事実だろう。

 しかし、この場合はとにかく、『真実の瞬間』は試合中だけに留めておいてほしい──という、望の切なる願いが、三度目のデュースを生んでいる。

 もっとも、コート脇の二人には、彼女が『インターハイの借り』を返そうと燃えているようにしか見えない。

「本能? いいねそれ、椎名林檎?」

 生まれる前の曲のタイトルに、久御山は素朴な感想を述べる。

「古っ」

「え──」

 神藤の顔が歪んだ。

 

 

 

 

 午後になり、逗子総合バドミントン部の中で早めに授業が終わる特待組が、ちらほらと顔を出す。

 普段の着古しのTシャツとは違い、日の丸の入ったポロシャツを纏う倉石を見て、数人の生徒は、顔をほころばせて更衣室に入っていった。

「ねえ、なぎさちゃん」

 壁にもたれて靴紐を結び直しつつ、羽咲は荒垣に問う。

「あの望ちゃんって、そんなに強かったっけ?」

「はあ? 逗子総合のエースだぞ。弱いワケないだろ」

 荒垣が笑い飛ばす。

 しかし羽咲は、どうにも腑に落ちないようだった。

「やってみたいなぁ……」

 目下のところ、彼女の練習メニューは豊橋とのマッチングを高めることだ。

 午後からは相手を変え、倉石がノックを担当する。

 望は相変わらず、志波姫や久御山、狼森と一セットずつのランダムマッチを繰り返し、都度神藤からのアドバイスを受けて、それを実践する作業に没頭していた。

 志波姫との二度目のセットで、何も賭けているものがない事を確認したおかげか、分相応と望が自覚するスコアに収まった後。

「──ほんとアンタ、いい打ち方するよね」

 神藤がポツリと言う。

「え? ありがとうございます……」

 打球初速が高いバドミントンだが、終速はそれほどでもない。

 球体を打ち合うテニスや野球などに比べれば、シャトルははるかに空気抵抗の大きい形をしている。

 競技を始めたばかりの初心者ならいざ知らず、ある程度出来るようになれば、ついつい疎かにしてしまいがちな『シャトルをミートする』作業。

「技術的に、すぐにどうこう言える部分はないけど、何かあったら聞きな。こっちは上がっていいから、益子呼んできて」

「あ、はい」

 手渡されたタオルを肩にかけた時、気軽に返事をしてしまったと、望は後悔した。

 相方の旭とは、宮崎の大会で少し仲良くなれた──と自負しているが、バドミントン雑誌でジュニア世代の特集が組まれればまず一番手で名前が挙がった益子泪と、会話をしたことなどあるはずもない。

 もっとも、どちらかと言えば望には、彼女が写っている写真では、いつも耳に絆創膏を巻いていること──つまりはピアスの穴を隠しているのだが、そういう『ヤンキー』めいたところも、益子泪を実力の隔たり以上に遠く感じさせる要因の一つだった。

(……)

 気持ちを落ち着けるために少し遠回りして、望は彼女たちがノックを受けているコートに向かう。

 ふと、望は益子の耳元を見た。

 絆創膏は貼っていないが、茶色い点がいくつか。

「あのー、益子さん……」

 怪訝な表情で、益子は振り返る。

「──なに」

「あ、えっと、神藤コーチが呼んでる」

「ああ──『さん』は要らないよ」

「……うん」

 肩を少し上下させて息を整えてから、益子はコートを出る。

 彼女はすれ違いざまに、望の肩からタオルを奪い取った。

「借して?」

 ラケットを両足の間に挟んだ益子は、『行儀悪い』という旭の声に手を振って応える。

 顔を覆い、目のあたりをタオルの上から両手で擦った後、彼女は腕、胸元、脇と拭いていく。

(私のなんだけどなぁ……)

 それを口に出すと、彼女の耳のように穴だらけにされてしまいそうだったから、望は思いとどまった。

「──悪い、結構ガッツリ拭いた」

「大丈夫、洗っとくから」

「サンキュ」

 少し温もったタオルを望に返し、益子は肩を回して神藤のいるコートに向かう。

 散らばったシャトルを片付け終えた旭が、望に申し訳なさそうな顔を見せた。

「ごめんね、石澤。後でシバいとくから」

「あぁ、全然いいよ」

(……なんだか、いい匂いするし)

 逗子総合の倉庫には、多種多様なタオルが山と積まれていた。

 それは大会応援の際に一般の生徒に配るために作った分の余りだったり、はたまたメーカーの営業が、カタログ落ちした在庫品を置いて行ったりしたものだ。

「旭と石澤は、宮崎の大会で組んだんだろう?」

 と、対面コートの立花コーチが言う。

「ええ、まあ……言っても、エキシビションですけど」

「いやいや、経験がゼロじゃないってのは大きいさ。少し散らすから、二人のペア合わせをしよう」

「はいっ」

 そうして望は、タオルをポールのフックに掛けて、旭と軽く手を合わせた。

「よろしくね」

「うん──今日は万全だから、脚」

 

 

 

「泪、ちょっと」

「あ?」

 一日目の練習が終わり、汗が引かないうちに風呂へと急ぐ益子を、旭がドアの前で止める。

「なに」

「あのね──」

 旭は、ラケットバッグからタオルを取り出す。

 益子が今日の練習中に、望から借りたものだ。

「それ、あいつのじゃん。サインしろって?」

「違うわバカ」

 ふん、と益子は鼻を鳴らした。

「ちゃんと洗って返しなさい」

「えぇ……いいだろ別に、そんなの」

 ベッドにふて転がる益子の顔面に、旭はそのタオルを投げつける。

「わぷ──」

「もう、いつまでも子供ぶってんじゃないの」

 表情は厳しいが、旭は努めて諭すように、益子に声をかけた。

「……だって」

 否が応でも、『益子泪』はこれから先、どんどん『普通の人』になっていく。

 才能だけで勝ち切れるのは高校まで──そんなキアケゴー氏の言葉を旭が思い出すまでもなく、周囲は益子泪に対する眼差しの熱量を落としている。

「今までと同じことをしてたらダメ。もっと相手の気持ちに立って、言動に気を付けなさい」

 そうしないと──。

(お義母さんといつまで、絶縁してるの……って、言えないか)

 上げ膳据え膳で取り扱ってくれる大学や実業団など、益子と言えども存在しない。

 遠征、合宿、大会──事あるごとに、お金がかかる。

 そう遠くないうちに必ず、解決しなければならない問題を前に、今の奔放な泪では、ダメだ。

「我慢することも覚えて。私だって、春が来たら卒業して、泪とは──」

「……わかってる」

 口をとがらせ、益子は呟いた。

 彼女自身も、そう言った『引き潮』は感じていたのだろう。

 中学までは無敵で、津幡は勿論志波姫にも追随を許さなかった。

 しかし高校三年間で、二人の差はぐっと縮まる。

 志波姫の間断ない努力の賜物であるし、益子が最大の上昇角を維持できなかったのも確かだ。

 それが『三強』で収まっているうちはまだいい。

「みんな、強くなってるんだから」

「……」

 豊橋や久御山はともかく、かつての益子にとっては荒垣など鎧袖一触の相手だった。

 なのに、今日彼女のスマッシュを見て、端的に恐怖を覚えた自分がそこにいる。

「洗濯機の使い方なら、教えてあげるから」

「ほんと?」

 益子の顔がぱっと明るくなる。

 ひょっとして、使い方がわからなくてゴネてたのだろうか。

(いや、まさか……でも、泪のユニフォームも私が洗濯機かけてたし……)

「お風呂、行ってからでいいから」

「旭も行こうよ」

「え? 大浴場?」

「イヤか?」

「イヤじゃないけど……」

 益子がそんなことを言い出すとは、意外だった。

 旭は含み笑いが彼女に見えないように背を向けて、手早く着替えとバスタオル、お風呂セットの類をまとめる。

「──よし、行こ」

「おう」

 暖房の利いていない廊下に出て、二人は肩をすくめて一階への階段を降りる。

 角の取れた板張りが立てる軋み音を縫って、大浴場の更衣室からは幾人かの騒がしい笑い声が聞こえた。

 益子は、中の状態がどうなっているかも気にせず、引き戸を全開にする。

「──お、泪!」

 声を上げたのは志波姫だ。

 簪を解き、髪を下ろしている望の脇をすり抜け、彼女は熟練の刑事のような動きで、益子をホールドする。

「おい、やめろ」

 口ではそう言いながら、されるがままに上着を脱ぐ泪を見て、旭も顔をほころばせる。

「旭、お疲れさま」

「うん──今日のタオル、明日返す……──」

 小さなボディタオル一枚で前を隠す望を、出来るだけ見ないようにと旭は心がける。

 天才は作れる、という持論を持つ神藤も含めて、バドミントンが上手い奴は胸が大きい、という持論を、これ以上補強したくなかった。

 もっとも、それに対する反証は、益子や羽咲のおかげで保たれているから、これは永遠に答えの出ない問題、となるだろう。

(ま、そうは言っても泪よりは……)

 第二段階に差し掛かったプロレスを横目に、旭は手早く服を脱ぎ、望を追って風呂場へ向かった。

 

 

 

 

 ひとしきり、風呂で騒いだ後。

 ランドリールームに望と旭達は集まっていた。

 洗濯機は二台あるが、片方は誰かが使用中だった。

「石澤、私がキッチリ洗うから」

「あ、うん」

 どうせいっしょに洗うのだから、益子からタオルを取り返そうと思ったが、本人が洗うと言っているのだから、まあいいか──と望は思った。

 と、旭が彼女たち三人分で一杯になった洗濯槽の中に、液体タイプの洗剤を投入した後に、益子がおもむろにもう一本の『何か』を投入しようとする。

「それなに」

「リンス。いい匂いすると思って」

「やめなさい。しかもそれ、私のでしょ」

「えー」

 旭は益子の手を押さえ、ふたを閉じてスイッチを押した。

 勢いよく水が流れ込む音。

「……ま、その気持ちは大事」

 他愛もない話をしていると、凹みの多いアルミ製の引き戸が開く。

「志波姫──と神藤コーチ」

「やあ、お疲れ」

 神藤は大きな洗濯籠に、三つほどの袋を入れていた。

「えらく多いですね、コーチ……」

「朱美と、綾乃のぶんもあるからね」

 あの子の洗濯物をやるなんて何年ぶりだろう。

 そう言って、神藤は懐かしそうに微笑んだ。

「そういえば、みんな寮なんだよね。洗濯とか、大変じゃない?」

 彼女はともかく、フレゼリシア女子も、宇都宮学院もバドミントン部は全寮制だ。

「うちは後輩がやることになってるから……一年とかの頃は大変だったね」

 志波姫が語る。

 強豪校と言えども『部活動』である限り、一定の上下関係というものは発生する。

「やっぱあるんだ、そういうの。人数多いしね……」

「ウチはそういうの無いよな?」

 と、益子が旭に聞く。

「あるよ。アンタは自分のだけさっさと入れて、回してたでしょ」

「だって家でもそうだったし……」

 小学校ぐらいまでは、義母との拗れもまだ小さかった。

 中学に上がって、めきめきと頭角を現す益子は、両親が期待をかけていた兄を簡単に追い越してしまう。

 決定的になったのは、兄の特待を叩き潰した一件だった。

「もうそこから親と口きいてなくて、貰ったのお金だけ。飯も自分で炊いてた」

「……」

 あっけらかんと話す益子に、旭以外の慣れていない三人は表情を曇らせる。

 彼女のことを良く知っている志波姫でさえそれだから、自分も似たようなことをやらかした神藤など、苦虫を嚙み潰したような顔だ。

 空気を察した旭が、泪を連れて出ていく。

「──なんか、聞いちゃいけなかったのかな」

「あの子が自分から言ったんだから。気にしなくていいよ、望」

「うん……」

 と、片方の洗濯機が止まり、ブザー音が鳴った。

 神藤の眉間の皺が緩んできたころに、その洗濯物の主が現れる。

「おつかれさんです」

「ああ、それ久御山のだったんだ」

「荒垣のんもあるよ?」

 独特のイントネーションで場を和ませつつ、久御山は袋を開けて中身を手早く乾燥機に移し変えた。

「ほい、お待たせ」

「先やっていいからね、乾燥機」

 選手のコンディションを考えるなら、全てコーチが身の回りの雑用を取り持ってやる方がいいのだろうが、予定外の代表派遣とあっては、あいにくそこまでのスタッフは揃えられなかった。

「ありがとうございます──」

 逗子総合バドミントン部がこの合宿所を使うのは、春休み期間ぐらいだ。

 部活動の時間が長くなる大会前の強化練習の時期は、自主的に泊まり込む部員は何人かいる。

 志波姫は、粉末の洗剤を小分けにしたパックを取り出す。

 興味を持ったらしく覗き込んだ久御山に、彼女はひとつ分けてよこした。

「こんなんするんや、志波姫はん」

「液体は飛行機に持ち込めないからね、嵩張るし」

「ああ……」

 

 

 

「なんか私、変な事言った?」

「かなりね」

 旭と益子は、合宿所玄関の自販機の前にいた。

 色褪せた赤いベンチに座り、しばらく夜風の音を楽しむ。

「アンタ実際、どうする気? その、家のこと」

「どうしよっかなぁ……」

 益子がどこまで考えているかは分からないが、旭はとりあえず、最高と最悪のシチュエーションを想像してみた。

「そりゃ、全部解決してくれれば、私は嬉しいけど」

「……たぶんすぐには無理」

 経済的には到底自立などできない高校生の益子を、両親と繋いでいたのは兄だ。

 彼はトップの名門とは言えないが、大学でもバドミントンを続けている。

 エリート街道から外れても、道はたくさんあるんだから、『コースアウト』させた泪を、そんなに責めることはない、と。

「直接は、まだ無理」

「そっか……」

 最悪、はそれこそ彼女が高校を卒業して、路頭に迷うことだ。

 仕送りはいい額を貰っているとはいえ、高校を出て即働くにしても、たとえばアパートを借りたりするほどの貯金はない。

 そもそも未成年だ。

 何をするにも親の同意が要る。

 それは、バドミントンの『プロ』になるにしても。

「……この大会が終わったら、結論を出そう、泪」

「──うん」

 旭は卒業したらいったんは普通に親元に帰る予定だ。

 どこの大学に行くかは分からないが、単純に独り暮らしはしてみたいと思っている。

「なんかでも、将来そういうの、バレそうでやだな」

 この年代のバドミントンを追う記者の間では、益子泪の家庭環境は言わば公然の秘密だ。

 事情を理解しており、また競技の発展を願う彼らのコミュニティの中では、『そのこと』は書かないのが暗黙のルールとなっている。

 しかし、将来彼女がトッププレイヤーに返り咲いた時、また大きな大会で結果を残した時。

 『そうでない』人間が、その事実を面白おかしく書き立てる危険は、十分に考えられる。

「……そうね。でもしょうがないんじゃない? 過ぎたことだし」

 旭にはもちろん、そういった特殊な事情はない。

 だからある意味『他人事』として見るべきものであるし、益子が彼女自身で、この問題を解かなければならないのだ。

「それまでに、大人になりなさい」

「簡単に言うなあ、お前」

 

 

 

「望? なにぼーっとしてんの?」

「──へ? ああ、いや……」

 さっきの益子の話を、望は考えていた。

 彼女の家族の中で何があったかは知らないし、おそらく聞くべきことではないのだろうが、それでも、両親と一年間口を聞かないなど、望には考えられなかった。

「あんた優しいもんね」

「……」

 優しい、というか、心が弱いのだろう。

 望はそう自覚していた。

「荒垣の膝も、壊さなかったんでしょ?」

「まあ、それは……」

 どちらかと言うと、『壊せなかった』の方が正しいだろう。

 『全国』に行きたいという気持ちは、完全に荒垣の状態を思いやる気持ちを上回っていた。

「志波姫だったら、どうする? 昔からの友達と、故障を抱えてる状態で対戦したら──」

「うーん、そうねえ……」

 それでも、私はやっちゃうかもな、と志波姫は呟いた。

 大会にエントリーして、コートの向こう側に立った以上は。

「全力でやるのが礼儀とか、そういう意味じゃないんだけど……」

「そういえば志波姫、矢本さんと──」

「あ、それだ!」

 宮崎の大会で、望は矢本と対戦した。

 彼女が膝に故障を抱えていることは、いざ試合開始の時まで知らなかったが、望は彼女を左右に振るのではなく、大柄な選手のウィークポイントになりがちなボディを攻めていくことで、ひとまず一セットをモノにした。

「千景に怒ったのはね、あれだよ。単純に無理をしたから」

「……」

 あの時のフレゼリシア女子は、インターハイ団体戦優勝を成し遂げた後。

 世代の頂点を極めてなお、もっと上でやれる才能があって、どうしてそれを潰してしまうようなリスクを負うのか。

「高校生活が終わったら全部終わり、じゃないんだから──ってね」

「……荒垣がフレ女に居たら? メンバーだったと仮定して」

「外す」

 きっぱりと彼女は言い切った。

 それは、コニーが来たからどうとかいう話ではないことは、望にもわかる。

「私は家族だと思ってるからね、みんな。『フレ女一家』で勝ちたいなら外れなさい、って言うよ」

 そういう意味では、子供の集まりなのかもしれないな、と志波姫は言った。

 高校生なのだからそりゃそうだろうと、神藤や久御山は思うが、ひとまずは彼女の話を聞き続ける。

「だから団体戦で優勝するとこって、絶対的な一本の柱がないとダメなんだよ。私はそうなろうとしたし、望もわかるでしょ?」

「……うん」

 もちろん、彼女たちに負けた逗子総合には、そういう柱がなかった──という謗りではない。

 ではないが、志波姫と自分を比べれば、『エース』としての柱の太さは、歴然の差があっただろう。

 それでも、神奈川を勝ったというのは事実だし、望にとってはバドミントンを続けていくうえで、かけがえのない財産だ。

 エースナンバーを背負って勝ち上がる、ということの意味。

「はっきり言うけど、私はこの代表でも、私が『エース』だと思ってる」

 関白宣言だね、と志波姫は笑ってみせた。

 

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