今後はChatGPTに添削・アドバイスをもらいながら掲載します。最終的な文章と構成は筆者が調整しています。
警視庁の始業時刻は午前八時三十分だが、風見裕也は一時間前に出社していた。
机の上は、昨夜のままの書類と付箋で埋まっている。どれも「今日中」の山だ。
(……降谷さん、あなたの「早く」は、現場を無視してませんか)
自嘲が喉の奥で鳴ったところで、ビジネスフォンが鳴る。
「はい、風見でございます」
「江川だ。風見君、このあと少し時間を取れるか?」
「承知いたしました。何時頃がよろしいでしょうか」
「八時四十五分。来てくれ」
「はい」
受話器を置くと同時に、隣のデスクから声だけ飛んできた。
「部長から?」
「ええ。……藤川、この書類、庶務に回してくれるか。九時締切だ。頼む」
「了解。ついでに俺のも投げとくわ」
「助かる」
「お~」
礼を言って立つ。背広の内ポケットにメモ帳を入れる癖は、やめられない。
廊下はまだ人が少なく、空調音が低く響く。ここだけ時間が遅い。
公安部長室の扉には、短いプレートがかかっていた。
ノックして入る。
朝の日差しは横型ブラインドで遮られ、部屋は必要以上に明るくない。
応接セットに、江川は座っていた。グレーのスーツ。首元の緩みがない。
笑うと柔らかいのに、目だけが笑わないタイプの人間だ。
「忙しい時間にすまないね」
「とんでもございません。用件は急ぎだと伺いましたので」
江川はテーブルの上に、薄い封筒を一つ置いた。
中身は整理され、余計なものがない。
「これを見てくれるかい」
風見が封を切ると、入っていたのは写真が一枚だけだった。
若い男。整った顔。笑顔。だが、笑顔の輪郭がどこか“作られて”いる。整っているのに、不自然だった。
背景は、白い布と簡素な演台。宗教団体の記念写真だ。
──そう見えるよう整えられている。
写真の端に、活字で団体名が入っている。
――『神々の道』。
「……これが」
「そう。最近、勢いが増している。表向きは“自己啓発”だが、資金の流れがいびつだ。人の出入りも妙に早い」
江川は指先でテーブルを軽く叩く。叩き方が、注意喚起のそれだ。
「私の管轄で“芽”の段階から見ていたが、ここに来て別の線と重なった」
「別の線、とは」
「君たちが追っている件だよ。降谷君のほうの」
風見の背筋が一段だけ固くなる。
降谷零。表に出ない。出せない。
だから、その名前が出た瞬間、用件はほぼ決まる。
「降谷君からは、こう言われている。“直接動けない。動かせない。だが、放置できない”」
「……承知しました」
江川は頷いた。
「そこで君に頼みたい。――この団体が、とある人物を追っているようでね」
「人物、ですか」
「接点を徐々に増やそうとしている。同じ場所に『偶然』が重なりすぎている」
「身元が通りにくい。表の経路で辿れない」
どこかで聞いたような言葉だった。
風見の脳裏に、降谷が短く言った一言が浮かぶ。
“厄介なのがいる。だが、敵か味方かはまだ測るな”
江川は、視線を上げずに続けた。
「名前は――楠よしの」
「……楠、よしの」
風見が復唱すると、江川はようやく視線を合わせた。
「君には、その人物に接触してほしい。確認と保全。無理はするな」
「保全、というのは」
「言葉通りだ。守る。――そして、情報を抜く。こちらに必要な範囲で」
“守る”と“抜く”が同じ口から出る。
公安の仕事は、いつもそうだ。きれいな言葉で、取引を包む。
風見は頷くしかない。
「接触方法は」
「現時点では、君の判断に任せる。だが一点だけ。相手は警戒心が強い」
「……尾行に気づくタイプ、ですか」
「ああ、その可能性が高い。だから、君は“追う側の顔”を見せるな。接触は自然に。必要なら距離を置け」
風見はメモ帳に短く書く。
自然に、距離、保全。
前みたいに、失敗はできない。
江川は言葉を切り、最後に釘を刺した。
「写真はこれだけだ。余計な情報は今は渡さない。君の動きが漏れるのが一番まずい」
「承知しました。――いただいたのは、“神々の道”の写真一枚。以上ですね」
江川は短く笑った。
「話が早い。よろしく頼むよ、風見警部補」
「はい。必ず」
部屋を出る直前、風見は一瞬だけ立ち止まった。
胸の奥に残る違和感が、妙に嫌な形をしている。
(現場にいる。動ける。身元が通りにくい。……そして、降谷さんが“放置できない”と言う)
ただの一般人なら、そもそもこの部屋まで話が上がらない。
風見は呼吸を整え、廊下へ出た。
空調音に合わせて、胃がきしむ。
歩きながら、メモ帳に目をやる。
『自然に』
――それが一番難しい。
帝丹小学校のアジサイが、梅雨の湿気を含んで鮮やかに咲いていた。
図工の時間、好きな場所で写生をするように言われ、クラスメイトたちはわいわいと散っていく。灰原は体育館の脇――人があまり来ない場所に腰を下ろし、黙々と筆を走らせていた。
「灰原、ちょっといいか?」
声がして、目を上げる。コナンが立っていた。少年探偵団の輪から抜けてきたらしい。こういう時だけ、足音がやけに軽い。
「別にいいけど」
「サンキュ。……なあ、よしのさんのことなんだけどさ」
灰原の筆が、一拍だけ止まる。
「“よしのさん”がどうしたの?」
「この前、ポアロで会っただろ。安室さん見た時、固まってた。あれ、ただ驚いたって感じじゃねえんだよな」
灰原は視線を紙に戻し、何でもないふうを装う。だが、コナンの声には「探偵の違和感」が混じっていた。放っておくと面倒になる種類のやつだ。じろりと、コナンを見やる。
「同僚に似てた、って言ってたでしょ」
「それだけで、あんな顔するか? それにさ……」
コナンが声を落とす。
「よしのさん、やたら“できる”。できるのが変なんじゃねえ。でき方が……大人すぎる」
灰原は筆先でアジサイの影を置いた。薄く、しかし確実に。
「あなたの勘は当たる時もあるけど、外す時もあるわ」
「いや、灰原も思ってるだろ」
「……」
否定しなかった。その代わり、灰原は一段だけ現実的な言い方を選ぶ。
「少し調べたの。公的な照合に、引っかからない」
「は?」
「住所も、名前も、表のデータに綺麗に乗らない。嘘って感じじゃないのよ。変なのは“そこ”じゃない。……最初から、台帳の外にいるみたい」
コナンが目を丸くする。
「それって……戸籍が――」
「その単語は雑すぎる。とにかく、“普通の経路”で辿れないの」
コナンが腕を組んだ。どうやら、彼の探偵魂に火をつけてしまったらしい。面倒なことこの上ない。
「じゃあ余計気になるじゃねーか」
「気になるなら、騒がないこと。あなたが騒ぐと、事態が大きくなる」
灰原が言い切る前に、コナンはにやっとした。
「了解。……でも、見張る」
「勝手にしなさい。ただし、こっちには迷惑をかけないで。あの人、怪我がまだ治らないのよ。やめてよね」
「こわっ」
――その夜。
阿笠博士の家のリビングで、菊花はリモコンを片手にチャンネルを回していた。
ニュースの天気予報。事故。政治。どうでもいい。……と、ふいに画面が明るく切り替わる。
『米花デパート特設ギャラリーでは、透明水彩の巨匠・花枝ほむら展が開催中です! こちらが目玉作品――「水煙の憧憬」! 150号の大作で――』
「……花枝ほむら」
菊花は、画面に映る絵から目を離せなくなった。水彩なのに重い。重いのに濁らない。湿度があるのに、呼吸ができる。
(……過去に戻れるか分からないなら。せめて、目だけでもいいものを見ておこう)
右に座る二人に目を向ける。
「阿笠さん、灰原さん」
「ん?どうしたんじゃ、よしの君」
ソファの背に半分沈んでいた灰原が、ちらりとこちらを見る。
「明日、展覧会行きません? 気分転換に。……花枝ほむらっていう画家先生の作品です」
「おお、今話題のやつじゃな」
「担任の先生が好きだって言ってた気がする。私も気になってた」
菊花は頷いた。
「じゃあ、決まりですね。チケットがいるようですから、明日は早起きしましょう」
「分かったわよ」
「うむ。たまには息抜きも必要じゃ」
菊花は笑って見せた。財布の中身が軽いことは、口にしなかった。
翌日。
米花デパートの特設ギャラリーは、朝から人が多かった。梅雨の晴れ間で、空気が妙に軽い。軽すぎて、逆に落ち着かない。
周囲を見るに、怪しそうな人物も見当たらない。現役の人間としては、初めて訪れる場所で経路を確認することや観察癖は止まらない。
(人の流れが見える。非常口はあそこ。階段は狭い。声も通りやすい空間だ。……確認は終わり。今日は“警戒”じゃなく“鑑賞”に切り替える)
(ただ見るだけ。今の私にはそれがふさわしい)
「こんにちは、花枝ほむら展へようこそ。チケットは何枚でしょうか」
「大人二枚と、子供一枚でお願いします」
阿笠が答えた瞬間、横から声が入る。
「いえ、大人三枚に変更で」
「え?」
菊花と灰原が同時に振り向いた。
「どうも、楠さん」
さらり、と。そこにいたのは沖矢昴だった。居候のくせに、いつも“居候感”が薄い男。今日も暑苦しく、ハイネックのサマーセーターを着ている。
「沖矢さん!? ……なんで気配ゼロなんです?!」
「偶然ですよ。たまたま、興味があって。……ああ、阿笠さん。差額、こちらで」
「お、おお……」
灰原が露骨に顔をしかめた。
「あなたね……」
「その反応は心外ですね。ちゃんとお金は払いますよ」
「払えばいいって話じゃないの」
菊花がチケットを買いに受付へ回ると、ほんの一瞬だけ、灰原と沖矢が二人きりになった。
「……どう思う?」
灰原が低い声で言う。
沖矢は顔色一つ変えない。
「よしのさんのことですか」
「ええ」
阿笠がスムーズにタブレットを操作している横で、菊花の指先は一拍遅れ、思わず同じ場所を二度タップしてしまう。自分でも焦りが分かった。
「器用に嘘をつく性格には見えませんね。ただ――」
沖矢の目が細くなる。
「嘘をつかない人ほど、隠すのが上手い場合もあります」
「最悪ね」
「現実的と言ってください」
菊花が戻ってきて、空気が元に戻る。
「おまたせしました。観に行きましょう」
ギャラリーの中は、予想よりも広かった。
蓮の花と少女。ビルの屋上の一瞬。濡れた空の下に、乾いた光。透明水彩なのに、画面が“鳴っている”。
阿笠が感嘆の声を漏らす。
「はー……すごい技術じゃのう」
「ですね。来てよかったです」
……と、菊花はふと、少し離れた場所に立つ男に目をやった。
青白い。息が浅い。首元に汗。倒れる前の人間の顔色だ。
(体調不良か?)
菊花が一歩近づいた瞬間、男の呼吸が速くなり、膝が折れた。
「……っ、あ、無理……」
ドサリ、と鈍い音。周囲がざわめき、誰かが叫ぶ。
「殺人事件だー!」
「アホか! テレビの見すぎだ!」
よしのの声が抜ける。自分でも驚くほど素で出た。こんな事件が多い町でも、近くで起きてほしいわけじゃない。反射で周囲を見回すが、刃物を持った人物は見当たらなかった。
「息、してない! 博士、救急車呼んで!」
「わ、分かった!」
灰原がもう膝をついている。手際がやけにいい。
「呼吸、なし。頸動脈……触れない。心停止よ」
「AEDは!?」
「持ってくる!」
「間に合って……!」
沖矢がすでに電話をしていた。
「救急、通報しました。到着まで数分です」
「ありがとう!」
灰原がAEDを抱えて戻ってきて、パッケージを開ける。
機械の音声が冷たく響く。
『パッドを装着してください』
菊花は、言われた通りに動いた。迷わない。迷えない。迷うと死ぬ。
『ショックが必要です。離れてください』
「みんな離れて!」
菊花が手を上げ、周囲を制する。灰原が息を吸うのを見て、ボタンを押した。
男の身体が跳ねる。
『胸骨圧迫を開始してください』
「圧迫、やりましょう。灰原さん、テンポ取って」
「……分かった」
灰原では体が小さく、成人男性の胸を強く押せない。
菊花は手のひらを重ね、胸骨を押し下げた。
ここで意識を失ったら終わりだ。自分の手が、誰かの生死を決める。嫌な仕事に慣れすぎた感覚が、心の奥から顔を出す。
(――やめろ。今は“楠よしの”だ。この人を助けることだけ考えろ)
灰原が気道を確保し、菊花が胸骨圧迫を続ける。阿笠は周囲を下がらせ、沖矢は人の波を押し留めた。
五センチ沈むように強く。一分あたり百から百二十のテンポ。中断する時間は最小限に。身体が覚えている動きだった。
『まもなく救急隊が到着します』
サイレン。人混みが割れる。
救急隊員が走ってきて、手際よく引き継ぐ。
担架が運ばれていく。
男の顔色が、ほんの少しだけ戻った。助かった――とは言い切れないが、少なくとも、今ここで終わりではない。
「よかった……」
阿笠が胸を撫で下ろす。
その時、スーツ姿の男が息を切らして近づいてきた。
「先ほどの方のご関係者ですか?」
菊花が訊くと、男は深々と頭を下げた。
「はい。……ご対応、本当にありがとうございました。彼は本日、うちの主催イベントの重要なゲストでして」
「主催イベント?」
男は名刺を差し出す。
「ささやかですが、御礼をさせてください。来週、うちで上映会と小さなパーティを開きます。――よろしければ、ぜひ」
上映会。パーティ。
菊花の頭に、さっきの叫びがチラつく。“殺人事件だー!”じゃない。米花町は、そういう場所だ。
(……嫌な予感しかしない)
断れば礼を欠く。断る理由も、今の自分には薄い。
「……分かりました。阿笠さん、いいですか」
「うむ。わしも恩を返す機会があるなら」
「私は……その時の気分で」
灰原は相変わらず渋い顔だ。
――その帰り道。
菊花がトイレを借りに、スタッフ通路の近くを通った時だった。
黒い影が、壁に滑るように走った。
(……ん?)
次の瞬間、非常口の向こうから「カシャ」という妙な音がした。
カメラのシャッターに似ている。だが、人の気配が薄い。
菊花は反射で、足を向けていた。
スタッフ専用の通路。
そこに――“映画泥棒みたいな格好”の男がいた。頭部が妙に角張って見える。暗い布に包まれ、手には平たい黒いケース。
(泥棒、うそだろ)
男が振り向く。目が合った……気がした。
「ちょ、ちょっと待――」
言い終わる前に、菊花の身体が動いた。
距離を詰め、ケースを掴み、体軸を崩して――
「せいやっ!」
次の瞬間、男が「どワーッ!?」と情けない声を上げて尻もちをついた。布がずれて、白いハットとモノクルが覗く。
「……キッドか」
「え、ちょ、待って!? なんで分かんの!? ていうか強っ! ガチのヤバいやつじゃぁぁん!」
菊花は膝で逃げ道を塞ぎ、襟元を押さえた。
「逃がさんぞ、てめえ。クソガキ」
「クソガキ!? 口悪っ!」
一瞬、菊花の中で“公安”が笑った。
次の瞬間、キッドが小さな球を投げた。
パン、と白い煙。咳き込む間に、気配が消える。
煙が晴れた時、そこに残っていたのは、トランプのカード一枚。
そして、黒いケースだけが床に転がっていた。
菊花はケースを開ける。
中に入っていたのは宝石ではない。古いフィルム缶――「上映会用」のラベル。
(……映画泥棒、って、そういう意味かよ)
背後で足音がした。
振り向くと沖矢が立っていた。顔色一つ変えず、目だけが少し笑っている。
「……今の、見てました?」
「少々。楠さん、あなた――本当にただ者ではないですね」
「見なかったことにしてくれませんか」
「それは難しい」
その少し後ろで、灰原が腕を組んでいた。
「……だから言ったのよ。台帳の外にいるって」
菊花はカードを拾い、ため息をつく。
米花町は、偶然が多すぎる。
「阿笠さんには内緒の方向で。この通り、この通り~」
両手を合わせて、軽く擦り合わせる。
「無理よ。博士はあなたの顔見たら分かるもの。今の顔、すごく嫌そう」
菊花は、《楠よしの》として誤魔化した。
誤魔化しながら思う。
(来週の上映会、絶対ろくなことにならないな)
――そして、その予感は、だいたい当たるのが米花町だった。
米花町は、初見の客にも容赦がない。