箸休め−サーロインステーキ−
エウロパ大陸での冒険が終わり、当面の目的は新たなキュイを生み出すこととなった。
とは言え、やることはいつもと同じように料理を作るだけだ。
キュイを生み出すためだけに四六時中料理を作るのは料理への冒涜だろう。むしろダークキュイが発生しそうだ。
エウロパ大陸での戦いから一週間が過ぎたが、新しく生まれたキュイは1人だけだった。
「お兄ちゃん。何してるの?」
自分の背中に声がかかる。振り向くとそこにはこげ茶色で網目模様の服を着ている少女が立っていた。
彼女はサーロインステーキのキュイで、つい3日前に仲間に加わった。
自分のことをお兄ちゃんと呼びたいと言ってきたので、断る理由もなくそのままにしている。
玉子焼きや白ご飯のような見た目が幼いキュイは元から妹のような存在として見てきたので、お兄ちゃん呼びされることにもあまり抵抗はない。
「……ごはん?」
サーロインステーキは調理台に置いてあった、どろりとした白米を見てそう尋ねる。
「いや、米麹だよ」
「こめこうじ?」
「う〜ん、日本で食品を発酵させる時に使うんだ。今回はこれでお酒を作ろうと思ってる」
いま自分が挑戦しているのは日本酒の醸造だ。
シャンパンを見て、酒のキュイは強いのではないかと思ったことと、日本では法令の都合上作れなかった酒類に挑戦してみたかったからだ。
「お酒かあ。さっちゃんは飲めないなあ」
「さっちゃんはお酒を飲んだことはあるのか?」
サーロインステーキのことはさっちゃんと呼ぶ。それがサーロインステーキ本人の希望だった。
「料理だった頃は焼き上がる前によくお酒をかけられてたよ」
「あ、ああ。フランベか」
フライパンに酒を少量入れて火柱を立たせる技法、フランベはステーキを焼く際にはお馴染みの技法だ。
「酒をかけられるのは嫌だったのか?」
「ううん。ふわあってして、いい気持ちだったよ。今は子どもだから飲めないけど、大人になったら飲んでみたいな」
「そ、そうか」
どうにも返答に困る会話が続く。
キュイの年齢は未だによくわからない。古く歴史のある料理のキュイほど年齢が高いようだが、正確なところはこうして本人に確認するしかなかった。
「さっちゃんも何か手伝おうか?」
「そうだな。料理は終わってしまったから、洗い物を頼んでもいいか?」
「はーい!」
サーロインステーキは元気よく返事をすると洗い場に向かう。
彼女はパルマハムと同じ主菜のキュイだ。戦闘のときは手に持ったフォークで敵を叩きつける。
訓練の様子を見ている限り、動きは危なっかしいがスピードとパワーは他のキュイとは段違いだ。心強い味方になってくれるだろう。
しかし、サーロインステーキ1人が増えたところで、あのスターゲイジーパイに勝てるようになるとも思えなかった。
さらなる仲間が必要だが、新たなキュイはなかなか生まれてこない。
(しかし、あれは何だったのだろう……)
自分は4日前のことを思い出す。普通の食パンを焼いたらキュイが生まれるときのように食パンが光りだしたのだ。
しかし結局、その食パンからキュイが生まれることはなかった。あの現象は何なのか、ウィッチに聞いて見たが心当たりはないようだった。
昼食が終わってから夕暮れまでの間、キュイたちは戦闘の訓練をする。以前パニーニが提案したとおり、キュイを2チームに分け実戦さながらに戦っていた。
自分も用がない時は訓練の様子を見学するが、今日は別にやりたいことがあった。
「……よし」
自分は準備を終えると、次元ハウスの書斎にいたウィッチに声をかける。
「ウィッチ。夕食にはまだ早いが、料理を作った。もし良ければ一緒に食べないか?」
「食べる〜」
ウィッチは即答すると、自分より先に食堂の方に歩いていった。自分もウィッチの背中を追いかける。
ウィッチは食堂に着くと周囲を見渡して、首を傾げた。
「他のみんなも呼んでこようか?」
「いや、今日の料理はウィッチと2人で食べようと思っている」
「ええ〜!?」
自分がそう言うと、ウィッチは大袈裟に驚いた。
「そ、それは困るなあ。私もシェフのことは嫌いじゃないけど〜」
「……ああ。すまないがロマンチックな話では全く無い。この料理を見れば分かるだろう」
自分はテーブルの上に先程焼き上げた料理を乗せる。
「うわ、グロテスク〜」
ウィッチはそれを見てそんな声を上げる。
その料理はきつね色に焼き上がったパイだった。しかし普通のパイとは違って、パイの中から外に顔を出すように、いくつもの魚の頭が飾り付けられている。
「スターゲイジーパイだ」
自分はその料理の名称をウィッチに告げる。
「ああ……これがそうなんだ〜」
ウィッチはそのパイをまじまじと見つめた。
ウィッチが見守る中、自分はパイにナイフを入れる。パイを四等分し、その内の一片を小皿に盛り付ける。
「抵抗が無ければ、食べてみてくれ」
自分はその小皿をウィッチの前に差し出した。
「いただきま〜す」
ウィッチは先程グロテスクと呼んだ料理を、全く気にする素振りもなく口に運んだ。
「おいしい!」
「そうか、それは良かった」
自分も別の一片を小皿に盛り付け、ウィッチの隣の椅子に座り、パイを口に運ぶ。
魚油の香りとパイ生地の香ばしい香りが口に広がった。中身は普通の魚のパイと同じだ。見た目を気にしなければ、誰でも美味しく食べられる料理だろう。
「でも、キュイたちは食べたがらないかもね〜……」
ウィッチはパイを運びつつ、そんな言葉を漏らす。
「やはりそうか……」
自分がウィッチだけを呼んだのも、他のキュイたちが嫌がることを考慮したからだ。
それはこのパイの見た目が悪いからといった理由ではない。
スターゲイジーパイはそれこそ先日、キュイたちと激しい戦いを繰り広げた相手である。敵だった相手の料理を目にしたら、嫌でも辛かった戦いの記憶が蘇ってしまうだろう。
またいずれ戦いが始まるにしろ、今の平穏を自分から崩したくはなかった。
「なあウィッチ。スターゲイジーパイ……あのダークキュイは、本当にダークキュイなのか?」
自分は同様にキュイたちの前では口に出せなかった疑問を、ウィッチに尋ねてみることにした。
「ダークキュイなのかって言われたら、ダークキュイだとしか言えないよ〜」
ウィッチは軽い口調でそう答える。
「しかし……他のダークキュイと違い、あのキュイは会話もしていたし、こうして元となった料理も存在する」
「う〜ん」
ウィッチはパイを食べる手を止める。
「キュイを攻撃して消滅させた。それだけでもうダークキュイであることに疑いはないの」
先程よりは真面目な口調で、ウィッチは説明する。
「キュイを消滅させる力……負の厨力を持っているキュイのことを、ダークキュイと呼んでいるんだから」
「いや、それは分かるが……」
自分の質問の意図とウィッチの答えがずれていたので、自分は改めて質問する。
「ダークキュイだとしても。他のダークキュイとは違って、意思疎通を図ることはできると思うんだが」
「それは、私もそう思うよ」
ウィッチは頷くと、再びパイに手を伸ばす。
「それなら、話し合えば戦わずにすむ可能性もあるんじゃないか?」
「う〜ん。無理かな」
ウィッチは少し考えてから、そう答える。
「キュイの力の源である正の厨力と、ダークキュイの力の源である負の厨力は互いに打ち消し合うの。同じ空間に存在しているだけで、既に戦っているのと同じ」
ウィッチはカップに水差しから水を注ぐ。
「グラスの中にお湯と氷を入れて、同じ水なんだから戦うなって言っているのと同じかな。キュイとダークキュイが共存しようとしたら、たぶんどちらの存在も消えてなくなる」
「……そうなのか」
ウィッチの例え話は、キュイとダークキュイとの間の溝が自分が思うより遥かに深いことを示していた。
「おかわりしていい?」
「あ、ああ」
自分はパイをもう一切れ、ウィッチの皿に乗せた。
「シェフはどうして……このパイを作ろうと思ったの?」
今度はウィッチがそう質問してくる。
「……スターゲイジーパイは見た目が独特で、あまり良い印象を持っていない人も多い料理だ。でも、悪い料理ではない。立派な料理だ。それを示したかった」
自分の感情をうまく言葉にするのは難しかった。
スターゲイジーパイという料理そのものに問題があってダークキュイが生まれたわけではない。料理人として、そこだけは自身の料理で証明したかった。
「どんな料理にも変わらぬ愛情を注ぐ。シェフのそういうところ、私は好きだな〜」
「あ、ああ。ありがとう」
ウィッチに自分の感情を肯定されることで、自分は少し気が楽になった。
「でも、あのダークキュイ……スターゲイジーパイを含めた全ての料理、全てのキュイを助けようとすると、逆に全てが消えてなくなってしまうかもしれない。それだけは忘れないでほしいな〜」
「……肝に命じておくよ」
ウィッチの言葉に、自分は深く頷いた。
キュイたちの訓練が終わると夕食の時間だ。人に限らず、キュイたちも激しい運動のあとはお腹が空くようだ。
最近はかなり夕食の量を増やしているが、それでも毎回綺麗さっぱり完食してくれる。
夕食のあと、就寝までの間はキュイたちは思い思いに過ごす。一人の時間を楽しむキュイも、他のキュイと雑談に興じるキュイもいる。
自分は夕食の片付けをしながらそれとなくキュイたちの様子を伺っていたが、ここ数日は白ご飯の姿を見かけないのが気になっていた。
少し思い当たるふしがあり、その日自分は夕食の片付けを終えたあと、キュイたちの訓練場に向かった。
「やっぱり、ここにいたか」
自分は訓練場の片隅の石段に座っていた白ご飯の姿を見つけ、声をかける。
「あ、シェフさん」
白ご飯の呼吸は整っておらず、顔も紅潮している。それは白ご飯が直前まで激しい運動をしていたことを物語っていた。
「一人で訓練していたのか?」
自分がそう尋ねると、白ご飯はこくりと頷いた。
「私は、他のキュイより強くないから。他のキュイより、もっと頑張らなくちゃいけないんです」
「……そうか」
自分は白ご飯の隣に座る。
キュイは料理の種類によって得意分野が異なる。主食である白ご飯は他のキュイよりも耐久性に優れていた。
しかし、同じ主食であるパニーニが仲間に加わった。白ご飯にとっては自分と同じ長所を持つ仲間ができたことになる。
そして、キュイたちの訓練の様子を見る限りでは、仕方のないことではあるが、やはり長年の戦闘経験を持つパニーニの方が、白ご飯よりもあらゆる面で強かった。
白ご飯がそのことで気を病むのも無理はない。
いや、しかし白ご飯はそのようなことで思い詰める性格には思えなかった。
「パニーニのことを……気にしているのか?」
自分はどちらにも取れる表現で尋ねた。
「……はい。私がもっと強ければ……パニーニさんが倒れることも、そしてみんなが傷付くこともなかった」
白ご飯はそう答える。やはり、白ご飯の悩みはもうひとつの方だった。
スターゲイジーパイとの戦いに、唯一白ご飯だけは参加していない。その前の戦いでの損傷が激しかったからだ。
もう一人、敵の攻撃に耐えられる盾のような役割を持てるキュイがいれば。パニーニが一人で全ての攻撃を引き受ける必要はなかった。
「……そうだな。確かに白ご飯がもっと強かったら、結果は変わっていたかもしれない。でも、それは白ご飯だけじゃなくて、みんなに言えることだ」
「それは……はい」
白ご飯は少し躊躇したあと、頷いた。
「だからみんなで訓練してるんだからな」
「はい。でも……私は他のキュイより弱いから、もっと頑張らないといけないんです」
「ちょっと待った」
自分は白ご飯の言葉を遮る。
「頑張らないといけない、なのか。頑張りたい、なのか。白ご飯の気持ちはどっちなんだ?」
「え……」
自分の問いかけに白ご飯は言葉に詰まった。
「強くならないといけない、と思っているなら。白ご飯が一人でそこまで背負う必要はない。みんなで頑張っていけばそれでいいんだ」
あのパニーニであっても、一人では限界があったのだ。どんなに頑張ろうとも、一人で到達できる地点は決して高くない。
「強くなりたい。そう思っているなら、応援するよ」
「…………」
白ご飯は沈黙したまま、自分の言葉を反芻する。
「私は……強くなりたいです」
「分かった。それなら無理のない範囲で、これからも頑張れよ」
「はい」
白ご飯は素直に頷いた。
やる気があるのであれば、もちろん自主的な訓練を止めるつもりはない。ただもう一言、言っておくべきことがあった。
「白ご飯が強くなりたい理由は……仲間を守りたいからだろ?」
「……はい」
「その仲間の玉子焼きが、最近白ご飯が遊んでくれなくてさみしいって言ってたぞ」
「……え」
白ご飯は自分の言葉に目を丸くする。
「仲間を大切に思うなら、仲間と一緒に過ごす時間を作るのも、大切なことじゃないか?」
「……そうですね。ごめんなさい、気をつけます」
白ご飯はそう言うと、ばつが悪そうに笑ってみせた。
「それじゃ、今日はもう次元ハウスに戻るか?」
「はい。今日は玉子焼きと、寝るまでゆっくりお話します」
自分は白ご飯のその言葉に安心して、白ご飯とともに次元ハウスに戻った。