暗闇の中、白い光が自分の目に飛び込んだ。
気付くと自分の目の前に、白装束に身を包んだ女性が立っている。一部が赤地になっていて、巫女の装束のような印象もあった。
「…………?」
その女性からは不思議な匂いが漂ってきた。
あまりにもその女性とは、そしてこの場所とは不釣り合いな匂いであったが、この匂いは間違いない。
「納豆……?」
自分が匂いの正体を呟くと、その女性は笑みを浮かべた。
「初めまして、シェフ。私はD・ナットーと申します。あなたたちの呼び名で言えば……ダーケストです」
「…………!」
自分が警戒した様子を見せると、ナットーは悲しげに笑った。
「戦いに来たわけではありません。それに、ここはシェフの夢の中です。この中で私ができることは、精々こうして姿と声を伝えることくらいです」
ナットーは今の状況をそう説明する。
自分は今の状況が掴めていなかったが、夢と言われれば納得がいった。
自分自身の存在すら曖昧な、ふわふわとしたこの感覚は現実のものとは思えない。
どこか別の場所に転送させられたと言うよりは、夢や幻覚を見せられているという感覚の方がしっくりきた。
「想像どおり、いえ想像以上に、シェフの夢の中は美しいです。料理への愛に溢れています……」
ナットーは自分にとっては暗闇にしか見えない虚空を見上げて、そう呟く。
「自分の夢に入ってきて……何の用なんだ?」
自分がそう尋ねると、ナットーは少しの間沈黙した。
「お恥ずかしながら、実のところ大した要件ではないのです。そう……次元の魔女がダーケストを追い続けるのであれば、近い内に私とシェフは現実でも出会うでしょう」
ナットーはそこまで言うと、自分に背を向ける。
「その時、あなたの傍らにはキュイがいるでしょう。そうであれば、シェフにとって私は敵にしかならないでしょう」
「……そうだな」
「でも今はまだ、シェフの隣にキュイはいません。……敵になる前のシェフに、一度きりだけだとしても会いたかった。用件はそれだけなんです」
ナットーはそこまで言うと、再びこちらに振り向いた。
「自分には……その言葉に何と返せばよいのか、正直分からない」
自分は心の内をそのまま、ナットーに答えた。
ナットーの真摯な言葉に返事をするには、自分はキュイのこと、ダークキュイのこと、そしてキュイディメのことを何も知らなかった。
「ナットー。もし自分に伝えたいことがあるなら、敵ではない今の内に全て伝えてほしい。……そのくらいのことしか、自分にはできない」
そう告げると、ナットーは目を閉じる。
「今のキュイディメは、年々負の厨力が濃くなっています。ダークキュイが増えたのも、私たちダーケストが生まれたのも、根本の原因は負の厨力が増大したからです」
負の厨力が濃くなったという話は、キュイディメに来た際にウィッチからも聞いた記憶があった。
「次元の魔女はどうにか負の厨力を減らそうと、自分で料理を作り、キュイにダークキュイを退治させ、ついには人間界からシェフを呼び出したりと頑張っています。……しかし、それは愚かなこと」
「愚か……?」
「川の上流に毒物を垂れ流す工場があるのに、下流で毒を浄化し続けても無駄な努力にしかならないでしょう? 負の厨力が濃くなった原因を無くさないで、キュイディメの負の厨力を浄化し続けても、何の解決にもなりません」
ナットーのその話は、確かにもっともだった。
「負の厨力が濃くなった原因……ナットーは知っているのか?」
「把握しています。しかし、負の厨力が濃くなった原因が無くなれば、私たちダーケストは消滅してしまうでしょう。ダークキュイとして、その問いには答えられません」
ナットーはその時初めて、自分に敵意を向けた。
あまりの殺気に自分の心が震える。このダーケストは今までのダーケストより遥かに強い。それは厨力を感じない自分にすら分かった。
「まあ……バーガーカンは『首謀者』と話してしまいましたね。自然発生ではなく人為的な原因がある、と言うことは間違いありませんよ」
そこまで話すと、ナットーの姿が希薄になった。
「それではシェフ。一時の夢でしたが、ダークキュイとしてこの世に生を受けてから、最も満ち足りた一時でした。……さようなら」
ナットーの姿が薄れ、その場から消える。
「ま、待て」
自分でもなぜそうしたのかは分からないが、ともかく自分はナットーを呼び止めた。
「……私は和風島の霊山に住んでいます。私に用があれば、いつでも来ていただいて構いませんよ」
最後にナットーの声だけが響いた。
目が覚めた自分は、ひとまず近くにいたカフェモカとウィッチに、夢の話をすることにした。
「う〜ん。それは単なる夢なんじゃない?」
ウィッチが冷たい一言を告げる。
客観的に考えると、自分がまだ見ぬダーケストの姿を勝手に想像し、夢を見ただけにも見える。
あのダーケスト……ナットーが確かに存在するという根拠は何もなかった。
「夢の中に入るとはまたファンタジックな話ですが。例えば相手に幻覚を見せるスキルは存在するかもしれません」
カフェモカは少し間を置いてから呟いた。
「ただ、ここは次元ハウスです。次元ハウスにまで影響を与えるスキルを使えるダークキュイがいるとは、考えたくありませんね」
「そうだよ〜。仮に次元ハウスに攻撃できるダークキュイがいたら、今すぐにでも攻め込んでくるんじゃない?」
カフェモカの言葉にウィッチも賛同する。
確かに自分に影響を与える力があるのなら、次元ハウス内のキュイを攻撃することも可能そうだ。
しかし次元ハウス内はいたって平和だ。つまりそんなダークキュイは存在しないとも言える。
客観的には納得がいったが、しかしそれでも自分の感情はその答えを否定していた。
「もっとも、和風島に霊山と呼ばれる山は、確かにあります」
自分の心情を知ってか知らずか、カフェモカは話の方向を変えた。
「シェフが気になるのであれば、和風島に行ってみても良いのではないでしょうか。他に手がかりもないのですから」
「個人的には、行ってみたいと思っている」
自分は率直に自分の気持ちを伝えた。
「シェフが行きたいのなら付き合うよ〜」
ウィッチは軽い口調で賛同する。
「サーロインステーキ、玉子焼き、ドーナツの3人はまだ厨力が完全に回復していません。となると、和風島に向かうのはパニーニ、クレープ、白ご飯、春巻き、そして私、カフェモカの5人ですね」
「そ、そんなに大勢で行かなくてもいいんじゃないか」
話が大きくなり、自分は思わず声をあげてしまう。大勢で行ってやはりただの夢でした、となるのは正直なところかなり恥ずかしい。
「……まあ、可能性は低いですが、シェフの夢に入れるダーケストがいるのなら、私たちが和風島に移動した隙に、次元ハウスを襲うかもしれません」
カフェモカは自分の言葉を聞いて、前言を翻した。
「パニーニとクレープには次元ハウスに残ってもらいましょう。情報収集だけであれば、私、白ご飯、春巻きの3人で十分です」
「あ、ああ。そうしてくれると助かる」
自分の情けない言葉でカフェモカの意見を変えてしまい、申し訳ない気分になる。
とは言え、あのダーケストが次元ハウスを襲う可能性は確かにゼロではない。次元ハウスにも留守番を置いた方が、安心はできる。
「それじゃ、出発は明日の朝でいーい?」
ウィッチの言葉に、自分は頷いた。急ぐ旅ではない。今日慌てて出発する必要もないだろう。
それに、自分にはもうひとつ考えるべきことがあった。
和風島であのダーケスト、ナットーと再開したら、自分はナットーに何を話すのだろうか。自分はまだそれすらも分かっていなかった。
翌朝。昨日の話どおり、自分はウィッチ、カフェモカ、白ご飯、春巻きと共に和風島に向かった。
ウィッチの転送陣は、和風島では京都と江戸、ふたつの街に設置してあるらしい。
自分たちは霊山に近い、江戸の街にまずは訪れることにした。
和風島は、その名のとおり日本料理の厨力が集まる地方だ。自分にとってはある意味故郷に当たるのかもしれない。
しかし、実際に来てみると、やはりそこは日本とは別の世界であった。
木造の平屋建ての建物が並ぶ情景は、まるで時代劇の世界に迷い込んだような印象を受ける。現代の日本に暮らす自分にとって、その光景は懐かしみを覚えるものではなかった。
「ああ……懐かしい匂いがします〜」
白ご飯が歓声をあげる。
「江戸と言えば、白ご飯がもっとも流行した街だったな」
「そうですね〜。食べ過ぎで身体を壊す人もいましたけど……皆さんにとても愛されていました〜」
江戸では、白ご飯だけを食べ過ぎて脚気にかかる人が急増した。
キュイディメの江戸と人間界の江戸は同一の街ではないだろうが、それでも江戸の特徴を色濃く残した街であることに間違いはないだろう。
「さて、江戸に来たのなら街の名主に挨拶しておきましょうか」
カフェモカはそう提案する。
「名主って、なんなのだ〜?」
「街のリーダーのことですよ。面倒見の良い人ですから、協力してくれるかもしれません」
春巻きの質問にカフェモカはそう答える。
「問題は、神出鬼没な人なので、どこにいるか分からないことですが……」
カフェモカは周囲を見渡す。そして、艶やかな着物を着た一人の女性に目を向けた。
「あれは……」
カフェモカはその女性に近付いていく。すると、その女性もこちらに振り返った。
「あら……カフェモカさん。それにウィッチさん。お久しぶりです」
着物の女性は薄く笑うと、軽く頭を下げる。そして、初対面である自分たちに視線を向けた。
「日本料理、天ぷらと申します。以後、お見知り置きを」
その挨拶はあまりにも優雅で、自分は返事をするのを忘れるくらいその動作に見惚れてしまった。
「白ご飯です。よろしくお願いします」
「春巻きなのだ〜! 揚げ物仲間なのだ〜!」
「え〜と……自分はその、シェフだ」
白ご飯と春巻きに合わせて、自分も自己紹介する。
「やはりあなたがシェフ様でしたか。エウロパ大陸、メリケン大陸での活躍は聞き及んでいますよ」
「知っているのか?」
「ええ。この街には色々な情報が集まりますから」
天ぷらはそう言うと、笑みを浮かべる。
「天ぷらさんが名主さんなのだ?」
春巻きがそう尋ねると、天ぷらは首を振った。
「私は名主ではありませんよ。そう……強いて言えば、名主の友人です。皆様方は名主に会いに来たのですか?」
「ええ。ダーケストのことを知っているなら話は早い。その件で少し相談があるのですよ」
カフェモカは自分たちの用件をそう告げる。
「……なるほど。それでは案内いたしましょう」
天ぷらはそう答えると、こちらに背を向けて歩き出した。