「そろそろ、頂上だ……」
おでんは声を潜めて、そう伝える。
「もうなのか?」
登山道に入ってからまだ1時間も経っていない。
途中二回ほどダークキュイに襲われたことも考えると、たいして高い山ではなさそうだった。
「頂上には神社がある。……誰がが身を潜めているとすれば、絶好の場所だ」
おでんの言葉に、皆が息を呑んだ。
坂道が終わると、一気に視界が広がる。その一角は木々がなく、地面は石畳になっていた。
そして正面には、小さな神社が見える。そしてその前に、一人の女性の姿があった。
それは間違いなく、夢で見たダーケストの姿だった。
「あれが……?」
「ああ。あれが……自分の夢に出てきたダーケスト、ナットーだ」
ナットーはこちらを向いている。当然、向こうにもこちらの姿は見えているだろう。しかし、彼女は動かなかった。
「ひとまず、あっしだけが行く」
おでんはそう呟くと、ナットーに向けて歩き出した。
「あんたが……ダーケストって奴かい?」
おでんはナットーからある程度の距離を取って立ち止まり、串を構える。
「汚らわしい……」
「あ?」
「何の苦しみもなく生まれて、何の努力もせずシェフの寵愛を受ける。そのことについて、なんの疑問も抱いていない、醜い存在」
ナットーは空を見上げ、そう呟いた。
「せめて死ぬ時は、苦しみなさい」
ナットーは刀を抜き、その場で刀を振り下ろした。
「……! 秘剣・蒟蒻!」
おでんがそう叫ぶと、おでんの前に巨大な蒟蒻の壁が現れた。
しかし次の瞬間、三日月形をした白色の衝撃波が蒟蒻の壁を貫いた。
それは蒟蒻を貫き、その後ろのおでんを貫き、それでも勢いが衰えず、自分たちの方に向かってくる。
「危ないっ!」
「『オムレツ障壁!』」
白ご飯が皆の前に立ち、オムライスは先程見せた黄色のシールドを展開した。
しかしナットーの白色の衝撃波はオムライスのシールドを貫き、白ご飯の身体を貫き、後ろにいた皆の身体を貫く。
「ぐはっ……」
その一瞬で、自分以外の全ての仲間が、地面に倒れた。
本来負の厨力の影響を受けないウィッチまでもだ。
「みんな! だいじょーぶ!?」
ウィッチは即座に起き上がる。主食のキュイである白ご飯とオムライスはすぐに起き上がった。
遠目であるが、おでんも再び立ち上がっている。
「カフェモカさん!」
白ご飯がカフェモカに駆け寄った。カフェモカはぐったりとしたまま動かない。
致命的なダメージを受けたキュイは厨力を吹き出す。それがないため、致命傷ではないようだ。
しかし気を失っているのか、白ご飯の呼びかけに答えようとしない。
「かまぼこ!」
おでんが大声で叫ぶ。
「……! 分かった!」
かまぼこはふらつきながら立ち上がると、手に持った杖をくるくると回した。
「『渦巻の呪文』!」
かまぼこの杖から桃色の光線が放たれる。それはナットーに向けてではなく、ナットーの頭上に向けて放たれた。
桃色の光線はナットーの頭上で渦を巻き、やがてそれは巨大な蒲鉾のような形になる。
「秘剣・蒲鉾!」
おでんは飛び上がると、その巨大な蒲鉾に向けて串を突き刺す。
そしてそのまま、おでんは串に突き刺した蒲鉾を、ナットーの頭に向けて振り下ろした。
「くっ……」
ナットーは自らの刀を頭上に掲げ、その蒲鉾を受け止める仕草をする。
おでんとナットー。両者に挟まれた蒲鉾は大きく潰れ、その場に四散した。
「ちっ」
おでんは舌打ちするとナットーから距離をとった。
「江戸の名主、おでん。今の、かまぼこのキュイとの協力攻撃があなたの切り札であるなら……あなたに勝ち目はありません」
「へっ。ダークキュイにも名を知られているとは思わなかったな。でも、勝負はまだ分からねえ」
「…………」
ナットーは再び刀で、空を斬る。
すると再び、白色の衝撃波がおでんを襲った。
「くっ!」
おでんはその場で横っ飛びする。白色の衝撃波はおでんの脇をかすめ、おでんの衣服を少し切り裂いた。
「その強烈な負の厨力の籠もった刀で……この空間の厨力そのものを切り裂いていると見たねえ」
おでんは鼻をこすると、にやりと笑う。
「負の厨力を飛ばしているわけじゃねえ。だから正の厨力と相殺されずに、触れたものすべてを切り裂いていく」
おでんは傷のついた衣服を引っ張って見せる。
「ただ、避けりゃあ同じことだ。空間を切り裂くなんて大技、連発できるとも思えねえよ?」
「……ふっ」
ナットーはおでんの言葉を聞いて、薄く笑った。
「そうですよ。避ければいいだけです。しかし、誰しもがあなたのように素早いわけでもありません」
「……!」
おでんは慌てて後ろを振り向いた。
「おでんさん! かまぼこと、春巻きさんが……!」
オムライスが悲痛な叫びを上げる。
先程の攻撃はまたもおでん以外の皆を貫いていた。
オムライスと白ご飯はどうにか立ち上がれているものの、残りのキュイは起き上がれない。
「これが一対一の戦いであれば、確かにまだ勝負はついていないかもしれません。しかし、この状況下ではあなたに戦いを続ける選択肢はない」
「てめえ……」
おでんはナットーを睨みつける。
「引きなさい、おでん。仲間の命を危険に晒してまで、戦うべき目的があるわけでもないでしょう」
「……くそっ」
おでんはナットーを睨みつけながらも、ナットーから段々と距離をとっていき、自分たちのいる場所まで戻ってきた。
「すまねえ。あっしの力不足だ。癪だが……この場は一旦、引き返そう」
おでんは皆に向けて頭を下げる。
「そこまで深い傷ではないと思います。休める場所まで帰れるのであれば……助かるはずです」
白ご飯は倒れているカフェモカや春巻き、かまぼこの様子をうかがいつつ、そう呟く。
「あっしが責任を持って送り届ける。あのダーケストが追ってこねえのなら……大丈夫」
おでんの言葉に釣られ、自分はナットーのいた場所に改めて視線をやった。
しかしそこにナットーの姿はなかった。自分がそのことに驚くとほぼ同時に、自分の首筋に何かが巻き付けられる。
「逃げるのであれば追うつもりはありません。ただ、シェフ……。あなたは別の目的があってここに来たのではないですか?」
気付くと自分の背後にナットーが立っていた。
ナットーは両腕を自分の首筋に回し、軽く締め上げている。強い力ではないが、振りほどけそうにはない。
「てめえ!」
おでんが再び串を構えた。
「おでん! 自分は大丈夫だ。それより、皆を安全な場所に……頼む」
「で、でもよう……」
「自分はキュイではない。ダークキュイに危害を加えられる心配はないんだ。気にするな」
躊躇するおでんに向けて、自分はそう告げた。
「白ご飯。よろしく頼む」
「……はい!」
白ご飯はそう返事をすると、春巻きを背中に背負った。
現時点で既に動けないキュイが半分だ。これ以上事を荒立てると、死者が出てもおかしくない。
「シェ、シェフ……」
「必ず江戸の街まで戻る。待っていてくれ」
不安そうなウィッチに向けて、自分はそう伝えた。
皆を見送った自分は、ナットーに手を引かれて神社の中にある一室へと連れて来られた。
その部屋は小さな和室で、中央に炉が置かれている。いわゆる茶室であろう。
「夢の中だけではなく、現実でもお会いすることになるとは思っていました」
ナットーは最初にそう告げると、哀しそうな瞳でこちらを見つめた。
「ナットー……話したいことがある。聞いてもらえるか?」
自分はそう口を開いた。
ウィッチやおでんはダーケストを退治する目的でここに来たのだろう。
しかし自分の目的は、ナットーともう一度会話することだった。
「……ええ。どのような話でも、構いませんよ」
ナットーはそう伝えると、自分から少し視線を外す。
「自分は人間界から連れて来られたシェフだ。キュイディメの世界では部外者だし、望んでこの世界に来たわけでもない」
「はい。存じています」
「ただ、自分が生み出したキュイは、家族と同じだと思っている。彼女たちを害する者がいるのなら、自分はその者を許せないだろう」
自分の生み出したキュイは自分の子のようであり、妹のようでもある。少なくとも、愛することに理由はいらない存在だった。
自分のその言葉を聞いて、ナットーの表情は曇った。
「ウィッチたちはダークキュイはキュイを害する存在で、倒すしかないと言っている。ただ……それに、自分は疑いを持っている」
「と言うと?」
「ウィッチが嘘をついていると言いたいわけじゃない。ただ、片方の話だけを聞いて判断するのは危ういと思った」
自分はずっと胸に引っかかっていた違和感を、そう説明した。
言葉を話さず、ただキュイに襲いかかるダークキュイが敵だと言うのはまだ分かる。しかしダーケストは言葉で意思疎通ができるし、必ずしも好戦的でもなかった。
そのダーケストを敵だと断定してよいのか。それは自分の中で常に胸に引っかかっていた。
「それで、ダーケストである私の話も聞いてみようと思った……と言うことですか?」
「そう言うことだ」
ナットーの問いかけに、自分は頷く。するとナットーは大きなため息を吐いた。
「残念ながら……と言うべきなのか分かりませんが、キュイたちの意見と私たちダーケストの意見はおそらく同じです」
「戦うしかない、と言うことか?」
自分の言葉に、ナットーは頷いた。
「むしろダークキュイの方がよりキュイに対する敵意は強いでしょう。キュイたちを倒さないと、自身が消失してしまうのですから」
「消失してしまう……?」
「はい。キュイディメの負の厨力はまだまだ少ない。ダークキュイは、この世界では長くとも1年程度で寿命が尽きます」
ナットーのその言葉は、自分にとっては衝撃的だった。
「だからこそダークキュイはキュイを倒して、少しでも正の厨力の濃度を下げようとしています。私個人はそれを無駄な抵抗だと考えていますが、戦っている仲間を否定したくはありません」
そう言うと、ナットーは大きなため息をついた。
「私たちダークキュイが生存できるほど負の厨力が強くなれば、今度はキュイが私たちと同じ立場になるでしょう。だからこそ……キュイとダークキュイはお互いに戦うしかないのです」
「……そうか」
それは残酷な結論だった。ナットーの言葉は、キュイとダークキュイの共存を完全に否定していた。
それはつまり、自分とナットーも共存できない関係である、と言うことだ。
「話してくれて感謝する」
自分は心が割り切れないまま、話を終わらせる。
「……シェフ。私も少し話して良いでしょうか?」
ナットーの言葉に自分は頷いた。自分の話に真摯に答えてくれた恩もあるし、何より彼女の考えを聞くのは自分の義務にも思えた。
「シェフはキュイを家族だと言いました。同様に、キュイもシェフのことを家族だと思っているでしょう。そして……ダークキュイも、シェフのことは家族だと思っています」
「ダークキュイもなのか?」
「負の感情から生まれたとは言え、料理から生まれた存在なのです。シェフのことを生みの親だとは思っていますよ」
ナットーのその話は、また自分の中でのダークキュイの印象を変えた。
「ただ……負の感情で生み出された私たちは、キュイほど素直にシェフへの愛を伝えられません。スターゲイジーパイやバーガーカンとお会いになったのであれば、分かるはずです」
「分からなくは……ないが」
自分はスターゲイジーパイとはあまり話せていない。
しかしバーガーカンは確かに自分に好意を持っていた。そしてそれを最後の瞬間まで自分にうまく伝えられなかったのだろう。
「しかし唯一。シェフに好意ではなく恨みを抱いているダークキュイがいます。それが、今回の事件の首謀者です」
「首謀者……キュイディメの負の厨力を増大させようとしているダーケストのことか」
自分がそう確認すると、ナットーは頷いた。
「彼女の目論見が成功すれば、近い将来大半のキュイは消失してしまいます。シェフにとっては最大の敵と言えるでしょう。しかし……」
ナットーは立ち上がると、何故か自分の隣に座り直した。そしてナットーは手を自分の頬に伸ばす。
「シェフは先程、自分はダークキュイに危害を加えられることはないと言いました。しかし実は、そうでもありません」
ナットーの白い指先が自分の頬から唇へと動いていく。
「厨力での攻撃は、厨力を持たないシェフには何の効果もありません。しかし、話せるし、触れられるのです。シェフを苦しめる手段は、いくらでもあります」
ナットーは自分の唇を何回か指でつまみ、弄ぶ。そしてで指を離すと、その指先を自分の唇に当て、官能的な笑みを浮かべた。
「正直なところ、殺される覚悟はできている」
自分はナットーから目線を外しつつ、そう答えた。
訳の分からない世界に引きずり込まれ、戦闘に巻き込まれているのだ。自分だけが安全圏にいるとは一度も思ったことはない。
一人でこの場所に残った時点で、最悪の場合は殺されることも覚悟していた。
「その覚悟はお見事です。しかし、私に勝てない程度の戦力で首謀者と戦っても、確実に皆殺しにされます。それを私は見過ごすことはできません」
ナットーは今度は両手を自分の頬に伸ばす。
「先程話したとおり、私もシェフを愛しています。シェフを失いたくありません。そして……ふふっ」
ナットーは薄く笑うと、両腕を自分の背中に回し、身体全体をこちらに倒してきた。
自分の身体はナットーの身体に押し倒されて、仰向けの状態になる。
「やはり私もダークキュイなのでしょう。素直にシェフを愛せそうにはありません。どんな手段を用いても、シェフが傍にいてくれればそれでいい、と思ってしまいます」
ナットーは自分の両腕を両手で掴む。身体全体も押し付けられており、簡単には身動きがとれない。
「シェフ。この場所で私と二人、キュイディメの行く末を見守りましょう。首謀者の目論見どおりキュイディメがダークキュイの世界になれば、私は生涯あなたにお使えします」
ナットーは自分の胸に顔を押し付ける。
「首謀者の目論見が失敗すれば、私も消えます。そうしたら、キュイの所に帰ればいい。それでよいではありませんか……」
そのナットーの言葉はまるで子供の泣き声のようで、自分はそれ以上抵抗する気はなくなった。