「わ〜! すごいですぅ……」
眼前に広がる光景を見て、卵焼きが歓声をあげた。
召喚陣から出ると、目の前を大きな川が流れていた。川沿いにはいくつもの木造の小屋が立ち並び、周辺は石畳で舗装されている。
周囲を見渡すと、野菜や果物が陳列された商店もあった。しかし、店主を含めて、人の姿は見えない。
「人間の世界に比べると随分と静かだけど、こう言うものなのか?」
自分はウィッチに尋ねる。
「元々キュイの数は人間に比べると多くない。それに輪をかけて、最近は数が減ってきている。だけど……それにしても誰の姿も見えないのは不思議かも〜……」
ウィッチ自身も少し違和感を覚えているようだ。
「まあともかく、少し歩いてみましょう」
ウィッチの声に合わせて自分は歩き出す。玉子焼きは景色に釣られてあちらへこちらへとふらふら歩いている。
一方、白ご飯はずっと自分の隣を歩いている。特に感動や驚きを感じている様子はない。
「白ご飯はエウロパ大陸に来たことはあるのか?」
そう尋ねてみると、白ご飯はこくんと頷いた。
「キュイの姿ではもちろん初めてです。でも、料理としては西洋にいたこともあります。西洋での私は、ライスって呼ばれているんですよ」
白ご飯は自慢下に胸を張ってみせる。
つまり、キュイは料理の時の記憶を持っているということだろうか。
「白ご飯は西洋生まれなのか?」
白ご飯は今度の質問には首を横に振った。
「私は日本人のシェフさんから生み出されたキュイですから、日本の要素が強い白ご飯です。でも、他の地方の白ご飯の厨力も混ざっているから、多少は他の地方の白ご飯の性質もあるんですよ」
「な、なるほど……」
白ご飯の説明は分かりやすかったが、どうも自分はまだキュイという存在が理解しきれていない。
「いやあああっ!」
街並みを数分ほど歩いていると、突然耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
「……ウィッチ!」
「うん! こっち!」
悲鳴は正面にある小屋の裏手から聞こえた。自分は急いで声のした方に走り出す。
「やっ、やめてください~! 帽子を取らないでください~!」
悲鳴の主は茶色の服に身を包んだ女性だった。それが人でないことは一目で分かった。後ろ髪が途中から、クリーム色の液体になって流れ出していたからだ。
「ぼ、帽子を取られると私は単なるスープになっちゃうんです~!」
後ろ髪が液体の女性は必死に帽子を押さえている。そして、その帽子を取ろうとしているのは……それもまた、明らかに人間ではなかった。
一目見て人間以外の存在だと分かる青い肌。青は料理のタブーとされている色だ。それが料理の敵であることは、直感で分かった。
「このっ……!」
自分はダークキュイと思われる存在に飛びかかった。勢いをつけてぶつかり、襲われているキュイから引き離そうとする。
「だ、だめですぅ~!」
途端、自分の体は後ろに引っ張られた。
「だ、ダークキュイと戦うのは……私たちの役目です……」
自分を引っ張った張本人である玉子焼きは、声を震わせながら自分の前に立った。
「シェフ! ダークキュイから離れて!」
続けてウィッチの声が響く。
「し、しかし……」
「シェフの厨力はキュイに力を与えるように、ダークキュイにも力を与えてしまうの!」
「え、ええっ……!?」
ウィッチのその言葉を聞き、自分は慌ててその場から離れる。
少し離れてから振り返ると、ダークキュイは標的をこちらに切り替えたようだ。玉子焼きに視線を向け、今にも飛びかかろうとしている。
そして、ダークキュイの足が地面から離れた。
「『夢境』っ……!」
ダークキュイが玉子焼きに飛びかかる。その瞬間、玉子焼きの体から光が放たれた。
「あれは……!?」
玉子焼きから放たれた光は、球状になり薄黄色の膜となって玉子焼きの体を包み込む。ダークキュイは玉子焼きに何度も飛びかかろうとするが、その薄黄色の膜にぶつかっては跳ね返されていた。
「私は皆さんを守るバリアを張ることができます!」
気付くと自分たちの周囲にも薄黄色の膜が張られている。ダークキュイの様子を見るに、確かに奴はこの薄い膜を破ることはできないようだ。
「それで……ここからどうするんだ……!?」
「え、えっと……どうしましょう~」
玉子焼きは何とも頼りない返事を返す。
「わ、私が頑張ります!」
続いて白ご飯がダークキュイに向かって走っていく。そして、その右手を前方に突きだした。
つまりは、単純なパンチを繰り出した。
「ギャギャッ!」
ダークキュイは白ご飯に殴られて声をあげる。ダメージを与えたと言うよりは邪魔をされて怒ったというような雰囲気だ。
「えいっ!」
白ご飯はもう一度殴りかかる。その攻撃はダークキュイには当たっているが、どうも当のダークキュイにダメージを与えているようには思えない。
ダークキュイも反撃で白ご飯に飛びかかろうとするが、玉子焼きのバリアがありうまくいっていない。
どちらも攻め手がない状態だった。何かできることはないかと、自分は周囲を見渡す。
「……うわあっ!」
後ろを振り向くと、目の前、手を伸ばせば届く距離にもう一匹ダークキュイが立っていた。
こちらを襲おうとして、玉子焼きのバリアに止められていたのだろう。バリアが無かったら完全に不意をつかれていたところだった。
「ど、どうすんだ……」
自分には戦う手段がない。玉子焼きや白ご飯はもう1匹の相手で手一杯だ。ウィッチは何かできないのか。
ウィッチの方に視線をやると、その視線の意味を察してかウィッチは大きく首を振る。
「私もキュイじゃないから戦えないよ~!」
「じゃ、じゃあ……逃げることは!? 転送の魔法でどこかに飛ぶとか!」
このエウロパ大陸にはウィッチの転送の魔法で移動してきた。あれを使えるのであれば、とりあえずこの場からは逃げられる。
「転送は召喚陣のある場所でしか使えないよ〜!」
「じゃあ、走って逃げよう!」
自分はウィッチにそう伝える。ともかく囲まれたままではどうにもならない。一旦敵から離れるべきだ。
「逃げる必要はありませんよ。シェフ様、ウィッチ」
その時、自分の背後から声が聞こえる。振り向くとそこにはワインレッドのマントに身を包んだ女性が立っていた。
片方の手にはパイプ、もう片方の手にはなぜかコーヒーカップを持っている。そして彼女はそのコーヒーカップを、勢いよく振り上げた。
「愚か者に知性に満ちた裁きを……!」
その声とともに、コーヒーカップから黒い液体が飛び散った。強いコーヒーの香りが周囲に立ち込める。
飛び散った黒い液体からはコーヒーの香りの他にチョコレートの風味も感じられた。カフェモカ……だろうか。
明らかにコーヒーカップの容量を超えた量のカフェモカが、辺り一帯に撒き散らされた。
ダークキュイの身体もカフェモカで濡れている。自分たちは玉子焼きのバリアがあるからか、カフェモカはかかってはいなかった。
「『モカアサルト』っ!」
最後に彼女が声をあげると、撒き散らされたカフェモカが、まるで爆発物のように次々と破裂する。
「……!?」
爆音と爆風を感じ、思わず自分は目を閉じてしまう。
数秒後目を開けると、先程まで目の前に立っていたダークキュイは、身体の半分程度が黒い霧のように変化していた。
やがて身体の全てが黒い霧になり……その黒い霧も空気に溶け、消えた。
「初めましてシェフ様。カフェモカと申します。以後お見知りおきを」
カフェモカを撒き散らした女性は、こちらの予想どおりカフェモカと名乗った。つまり、カフェモカのキュイと言うことだろう。
「お久しぶりです、ウィッチ。相変わらず殺意に満ちたコーヒーを淹れているんですか?」
「淹れてない! ……じゃなくて、エウロパは今何が起こってるの?」
ウィッチの質問にカフェモカはすぐには答えず、パイプを燻らせる。
「それは私にも分かりませんね。突然街に大量のダークキュイが現れたので、街の皆を避難させた後、こうして片端からダークキュイを浄化していったわけです」
「も、もう他にダークキュイはいないのか?」
自分がそう質問すると、カフェモカは両手をあげてみせる。
「街の反対側から殲滅してきましたので、当面の危険は去ったと考えます。最も、ダークキュイが大量発生した原因が分からない以上、根本的な問題は解決していませんが」
カフェモカはそう言うと、手元のコーヒーを口に含んだ。
「あ、あのう……」
自分たちの様子を遠巻きに伺っていた女性が声をあげた。最初にダークキュイに襲われていた、後ろ髪が液体の女性だ。
「マッシュルームスープ。あなたは避難しなかったんですか?」
カフェモカはその女性をマッシュルームスープと呼んだ。その名前を聞いて、自分はその女性の頭の帽子がマッシュルームを模していることに気付く。
「はうう……ご、ごめんなさい~。逃げる途中に変なダークキュイに見つかっちゃって……」
「変な……?」
「普通のダークキュイよりももっと私たちの姿に近くて。こ、言葉も話していたんです」
マッシュルームスープがそう伝えると、カフェモカは目を見開いた。
「言葉! ダークキュイがですか!?」
「ひいっ! ご、ごめんなさい~」
カフェモカの勢いに押されてか、なぜかマッシュルームスープは謝りだした。
「ああ、失礼。大きな声を出しすぎました。どんな言葉を話していたんですか?」
カフェモカが改めて質問すると、マッシュルームスープも落ち着きを取り戻す。
「星を見ているって言ってました……」
「星を? この真昼間から?」
カフェモカは空を見上げる。自分も合わせて空を見上げたが、当然星など見えるはずがなかった。
「私のことに気付かなかったみたいで、一人で話していました。それと……最後にエゲレスって言ってました」
「エゲレス……ですか。ふむ」
カフェモカはそこで一旦話を止める。
「エゲレスって……イギリスのこと?」
自分は隣のウィッチに尋ねてみる。
「ここエウロパ大陸の端にある島のこと。シェフの想像どおり、人間界のイギリス周辺の厨力が集まっている場所よ」
ウィッチがそう説明すると、カフェモカは再び口を開いた。
「エゲレスは元々ダークキュイの力が強い場所です。人間界にいたシェフ様なら、ご存じでしょう」
「あ、ああ」
イギリス料理の評判の悪さは当然知っていた。他国の食文化を否定したくはないが、料理に手間と時間をかけるほど良い厨力が生まれるのであれば、イギリスの厨力はかなり低いだろう。
「今までにない新しいダークキュイが現れ、エゲレスに向かっている……ふむ」
カフェモカは再びパイプを燻らせる。
「シェフ様はどうお考えになりますか?」
「え……」
突然話を振られ自分は狼狽する。
「この世界のことは詳しくないけれど……街を襲った、何者か分からない敵がいるなら、追いかけるべきなんじゃないか?」
少し考えてからそう答えると、カフェモカは満足気に頷いた。
「同意見です。シェフ様、目的が同じであるならば……シェフ様の旅に、私も同行させては頂けませんか?」
「一緒に? それは……願ってもないことだ」
自分はウィッチや玉子焼き、白ご飯の様子を伺ってから、そう返事をする。
そもそも先程のダークキュイとの小競り合いですら、彼女がいなかったらどうなっていたか分からない。
むしろこちらの方が同行をお願いしたいくらいだった。
「それではよろしくお願いします、シェフ様、ウィッチ」
カフェモカはそう告げるとゆっくりと頭を下げた。そして続いて、玉子焼きと白ご飯の方に歩いていく。
「私はシェフから生まれたキュイではありませんが、仲良くしてくださいね」
カフェモカは二人の方に手を置いた。
「は、はい!」
二人は目をキラキラと輝かせながら返事をした。自分たちが倒せなかった相手を一瞬で倒した人物だ。憧れの感情を抱いてもおかしくないだろう。
玉子焼きたちには申し訳ないが、自分も少し安堵の感情を抱いていた。