「優雅に散りなさいっ」
クレープの声と同時に、イチゴやキウイのような形をした厨力の塊が、ダークキュイの周囲に現れた。
そしてその塊は光に形を変え次々にダークキュイに衝突していく。強い衝撃音が響き、それが静まった頃にはダークキュイは最早その姿を留めていなかった。
「すごいですぅ!」
玉子焼きがぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「えーと……お粗末様でした」
クレープはスカートの裾を少し持ち上げ、お辞儀する。
キュイの戦いのことは自分にはよく分からないが、クレープがまるで敵のダークキュイを相手にしていなかったことはよく分かった。
「妙ですね……」
喜んでいる玉子焼きとは裏腹に、カフェモカは首を傾げる。
「どうかしたのか? カフェモカ……さん」
自分が声をかけるとカフェモカは薄く笑った。
「他のキュイのように呼び捨てでお呼びください。私はもう、シェフ様のカフェモカ、なのですから」
「あ、ああ」
思わず自分はカフェモカから目を離してしまう。
他のキュイは自分の料理から生まれた所を見ているからか、どことなく自分の分身のような感覚がある。
しかしカフェモカとは最初から人と人として出会っている。今から他のキュイと同じように接するのは、難しい注文だった。
「妙というのは?」
自分が話を戻すと、カフェモカはまた考え込む仕草をする。
「ここシャンパーニュはシャンパンのキュイが統治している区域です。シャンパンは自分のことよりも領内の平和維持を優先する騎士道精神に溢れるキュイです。彼女のお膝元でダークキュイに遭遇するなどと言うことは、本来あり得ません」
「何かが起きている……ということか。言葉を話すダークキュイとも、関係があるのか?」
「無関係では……ないでしょうね」
少しの沈黙のあと、カフェモカは思い立ったように歩き出す。
「急ぎましょう。今すでに、何かが起こっているかもしれません」
シャンパンの館は、小さな田舎町の片隅にあった。
道は舗装されておらず、目の前の舘以外には大きな建物もない。周囲はのどかな田園風景が広がっていた。
「さて、入りましょう」
カフェモカは正面の鉄格子の扉に、手をかける。
「勝手に入っていいんですか?」
白ご飯が尋ねると、カフェモカは首を降ってみせる。
「シャンパンはそんなことを気にするようなキュイではありませんよ」
その言葉と同時に、カフェモカは扉を開いた。鉄のきしむ音が辺りに大きく響く。
扉の向こうは一面の花壇となっていた。人工的に整えた花壇というよりは、自然のままに花を咲かせているような印象を受ける。
ただ、手入れを怠っているわけではないということは、咲き乱れる花々の美しさからよくわかった。
花のアーチを潜り抜けると、舘の玄関が見えてくる。するとその時、玄関の扉が勢いよく開いた。
「……カフェモカ殿!」
こちらの姿を見て声をあげた女性は、頭に草の冠を付けていた。オリンピックでよく見る、オリーブの葉でできたあの冠だ。
「こんにちは、シーザーサラダ。シャンパンに用があるのですが、入っても構いませんか?」
カフェモカは彼女のことをシーザーサラダと呼んだ。
シーザーサラダは北米大陸生まれの料理だ。そのキュイがここ、エウロパにいるのは料理人として少し不自然に思えた。
オリーブの冠や赤いマントと言った格好を見ると、シーザーサラダと言うよりは古代ローマの政治家、シーザーの面影が強く出ているような気がする。
「シャンパン様は……今は不在だ」
シーザーサラダは神妙な顔をしてそう告げる。
「では、待たせてもらっても良いですか」
「いや、その……いつ戻られるかは私にも分からない」
「……どう言うことです?」
カフェモカは首をひねる。
「シャンパン様はダークキュイを追ってエゲレス島に向かった。どの程度の遠征になるかは分からないが、少なくとも数日で戻ってくることはないだろう」
「シャンパンが……? このシャンパーニュ地方を置いて、エゲレスに遠征?」
「少し長くなるが、経緯を話してもよいだろうか?」
シーザーサラダはそう前置きすると、先日、ここシャンパーニュ地方であった出来事を話し始めた。
「シャンパン様! 東部草原地帯、異状なしです!」
シーザーサラダはその日も、異常が無かったことをシャンパンに告げた。
1日3回の見回り。それを毎日続けていて、最後に異常があった……ダークキュイを発見し、戦いになったのはおよそ半年前のことだ。
異常が無いのが当たり前。それでも1日3回の見回りを欠かすことはない。それがシャンパンの信念であった。
「お疲れさま、シーザー」
シャンパンは優しく声をかける。その声にほんの少し曇りがあることをシーザーサラダは見逃さなかった。
「何か……ありましたか?」
「……いや。ブルギニヨンの帰りが少し遅いんだ」
「ブフがですか?」
シーザーサラダは周囲を見渡す。
ブフ・ブルギニヨンは西部の田園地帯の見回りを任されていた。
彼女の担当する地帯はこの館から最も近く、範囲も最も狭い。普段であれば、シーザーサラダが館に戻ってくる時間には既に彼女も館に戻っているはずだった。
「様子を見てきます」
「……いや。私も行こう」
シャンパンは少し間をおいてから、立ち上がった。
館の外はもうかなり陽が落ちていて、薄暗くなってきていた。
とは言え、周囲が暗くなるまで後1時間はかかるだろう。この明るさならブルギニヨンを探すのに支障はない。
シーザーサラダを前にして、二人は田園地帯のあぜ道を進んでいく。
「シーザー。あれは何だ……?」
後ろのシャンパンが、正面右奥に見える畑を指した。その畑の中央部には、黒い霧に覆われた人影のようなものが見える。
その黒い霧は、ダークキュイが発する負の厨力にとてもよく似ていた。
「まさか……」
「急ぐぞ!」
シャンパンはそう叫ぶと、シーザーサラダの脇をすり抜けて走り出した。シーザーサラダも慌ててその後を追う。
近寄るに連れて、人影の姿が段々と明らかになってくる。それは想像していたダークキュイの姿とは少し異なっていた。
足元まで伸びたグレーの髪。セーラー服のような黒い上着。そして彼女の周囲には魚の骨が浮かんでいた。
奇妙な格好であるが、その姿形は普通のキュイとほぼ変わりが無かった。身体から流れ出ている負の厨力がなければ、ダークキュイとは思えなかっただろう。
「しゃ、シャンパン様……気をつけてくだ……」
その時ブルギニヨンの声が聞こえた。
「ブルギニヨン!」
ブルギニヨンはそのダークキュイから少し離れた場所に倒れ込んでいた。シャンパンは急いでブルギニヨンの元に駆け寄る。
その時、目の前のダークキュイが突然光を発し始めた。
「シャンパン様っ! 危ないっ!」
シーザーサラダがそう声を上げるとほぼ同時に、ダークキュイから紫色の強い光が放たれる。
紫色の光はいくつものの塊に分かれ、四方八方に高速で飛ばされていく。
「くうっ……!」
その内のひとつがシーザーサラダの身体を貫いた。シーザーサラダの全身には強い衝撃が走る。意識が遠のき立っていることすらおぼつかない。
この威力の攻撃を広範囲に行う。その相手は明らかに普通のダークキュイよりは強かった。
「……何をするっ!」
シャンパンはダークキュイに向けて叫ぶ。
「……空を……見上げるの……」
「……!」
ダークキュイが言葉を話した。その事実にシャンパンはうろたえる。
「故郷……エゲレスの空は……もっと北?」
「エゲレスだと……?」
シャンパンは声をかけつつ、懐からシャンパンの瓶を取り出す。それはシャンパンの武器であった。
何者かは分からない。ダークキュイであるかどうかすら、不明瞭だ。
しかしブルギニヨンを傷つけ、そして今また自分たちに攻撃を行ったと言うだけで、戦う理由としては十分すぎた。
「えっ……」
シャンパンが瓶を構え、それをダークキュイに向けようとしたところで……そのダークキュイは突然姿を消した。
先程までダークキュイが立っていた場所には、残り香のように微かな黒い霧が漂っている。そしてそれも、十数秒するとその場から消え去った。
そして、すべてが夢だったかのように、周囲にはいつもと変わらぬ風景が戻ってきた。
しかし夢ではないことは明らかだった。シャンパンも、シーザーサラダも、ブルギニヨンも。その身体に受けたダメージは残っていたからだ。
「シャンパン様はその後、パニーニとパルマハムを連れて、そのダークキュイを追ってエゲレスに向かった。私はブルギニヨンの看病だ。彼女は攻撃を2回受けていて、私よりも損傷が大きい。完治までしばらくはかかるだろう」
長い話を終えて、シーザーサラダは大きなため息をついた。
話の中のダークキュイは、自分たちが追っている言葉を話すダークキュイと同一人物なのだろうか。少なくとも無関係ではなさそうだ。
「実は私たちも今、その言葉を話すダークキュイのことを追っているの」
「なんだって……!?」
ウィッチが説明すると、シーザーサラダの目が大きく見開かれた。
「昨日の朝、私の街も襲われました。私自身はそのダークキュイを目撃してはいませんが……目撃者の語った人物像と今のシーザーサラダの語った人物像はほぼ同じです」
「……そうだったのか」
シーザーサラダはカフェモカの話を聞いて、納得したように頷いた。
「何が目的なのかは分かりません。ただ、危険な存在であることは明らかです。急ぎ、エゲレスに向かわねばなりません」
「……そうだな。エゲレスのキュイが心配だ。シャンパン様が間に合ってくれれば良いのだが……」
「シャンパンはここを何時ごろ経ったのですか?」
「領内の安全を確認し、仮眠を取って夜明け前に出ていかれた。時間で言えば、ちょうど半日くらい前のことだ」
「半日……ですか」
カフェモカはそう呟くと目を閉じた。
「順調に進んでいれば、今頃はエゲレス島の南端、コーンウォールにたどり着いた頃でしょうか」
「コーンウォール?」
「……ああ。シェフ様の世界とは違って、エゲレス島に渡るにはコーンウォールを経由するしか方法がないのです。シェフ様の感覚だと、遠回りに思えるでしょうが」
自分の言葉に、カフェモカはそう答える。
「と言っても私の転送なら直接ロンドンにも、スコットランドにもいけるよ〜」
ウィッチは自慢気に自分の能力を語ってみせる。
「まあしかし、私たちもコーンウォールに向かいましょう」
「え〜」
ウィッチの顔が続いては膨れ面になった。
「シャンパンとの合流を優先しましょう。ウィッチ、コーンウォールへの転送の準備をお願いします」
「は〜い……」
ウィッチは仕方ないと言った様子で立ち上がる。
「……あの。どうかしたんですか?」
自分の隣に座っていた玉子焼きがそう尋ねてくる。自分が考え込むような表情をしていたのが気になったのだろう。
「……いや。なんでもないさ」
自分は玉子焼きの肩を軽く叩くと、立ち上がった。
コーンウォール。その名前に自分は何か思うところがあった。カフェモカが話したように、地理的な話で疑問を持ったわけではない。
しかし具体的に何を考えたのかは自分自身もよく分からなかった。何か引っかかりを感じたのだが、うまく説明できない。
胸に小さな疑問を残しつつ、自分はコーンウォールに向かった。