Komeiji's Diary《完結》   作:ptagoon

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第119季3月22日─一番大切なものは、もうないですね─

第119季3月22日

 

 この世で一番大切なものは何か。こう聞かれれば、普通はどう答えるだろうか。金。名誉。家族。力。酒。たくさんの答えがあると思う。そのどれもが正しくて、その人なりの性格が出るものだ。十人十色とはこのことで、多種多様な考えがあるだろう。だから、絶対にその考えを尊重しなくてはいけない。馬鹿にしてはいけない。それがどんなに下らなくても、指さして笑うなんてこと、してはいけないのだ。

 

「だから、そんなに笑わないで下さい」

「そんなこといったってね」

 

 ケラケラとだらしなく笑う我が愛しの姉妹は、その大きな黒い帽子を床に落としたのも気にせず、腹を抱えて体をくねらせていた。医務室の無機質な床がトントンと音を立てる。

 

「お菓子を抱え込んで、“これはこの世で一番大切な物なんです”なんて叫ばれたら、そりゃ笑うでしょ」

「酷くないですか?」

「少なくともその言葉よりは酷くないね」

 

 あまりにもずっと笑われるものだから、私も段々と腹が立ってきた。そこまで馬鹿にしなくてもいいのに。しかも、今回は状況が状況だったのだ。そのお菓子が。私の大事な大事なお菓子が差し出されそうになったのだから。

 

「たかが私のお菓子を渡したところで、八雲紫に食べられるだけですよ」

「そうかなあ。ちゃんと考えてるでしょ。妖怪の賢者なんだし」

「妖怪の賢者という言葉に、プラスの意味はありません。馬鹿にするときに使うんです。やーい、お前の顔は妖怪の賢者だー、ってね」

「どっちかといえば、地霊殿の主だー、って言った方が馬鹿にしてる感は出ると思うよ」

 

 悔しいが、言い返せなかった。確かにその通りだ。

 

 八雲紫が頼んできた食料調達の件は、正直に言えばまったくやる気がなかった。それこそ、暇つぶしに案を聞いたら、「隠し持っているお菓子を全部上げればいいじゃん」という適当な返事しか来ないような、そんな他愛もない会話の種にしかなっていなかった。

 

 だが、それはすぐに会話の種から芽が出て花が咲き、その花のとげが私たちに突き刺さることになる。

 

 そう。それはこの日記に挟まっていた。お菓子の隠し場が見つかり、姉妹同士で楽しく会話をしていた時に、何気なくベッドの上に置いていた日記を手に取ったのだ。昨日書いたままにしておいたそれを、そっと隠すようにしまおうとして、その時に、中から一枚の紙きれが出てきた。最初は栞かと思ったが、よくよく考えれば、私はそんな物を挟んだ覚えはない。ぎょっとし、すぐにそれを掴み上げる。すると、そこにはこう書かれていた。

 

“今月中に人間1000人分の食料を渡さなければ、鬼達に血の池地獄にすら入らず、逃げたと言いふらします”

 

ふざけるな。私は大声でそう叫んだ。その無茶苦茶な内容に憤ったのも確かだが、それよりなによりも、人の日記を勝手に読み、しかも置手紙を挟んでいくという悪趣味な仕打ちに憤慨したのだ。もし、八雲紫がいまこれを読んでいるのならば、すぐに止めた方がいい。いや、止めて下さい。

 

 それくらい、この置手紙は私にとっては嫌なものだった。

 

「それ、どうかしたの?」

「あ、これは」

 

 なんでもない、そう言い切る前に私の手から奪い取った彼女は、その小さな紙を読み、目を丸くした。へぇ、と嫌味な笑いを浮かべてもいた。

 

「やるじゃん。妖怪の賢者も」

「こら、悪口はいっちゃいけませんよ」

「私は地霊殿の主じゃないから、そんなことは言わないよ」

 

 心からあはは、と笑う彼女と対照的に、私は戦慄していた。せっかく生き延びたと思ったのに、ただ死ぬのが少し遅れただけだった。人間1000人分の食料がどれくらいかは分からなかったが、少なくとも今月中というのは無理な話だった。作物を育てようにも、間に合わない。芋でも食ってろ、と文句を言いたいが、きっと芋ですら足りなくなるのだろう。どっちにしろ、その負担を私に乗っけないでほしかった。

 

「いやあ、まさかこんな交換条件を突き付けてくるとはね」

 

 タハハ、と笑っている彼女の顔には、どこか不安げな影が浮かんでいた。私の不安を同じように感じ取ったのだ。

 

「八雲紫に頼むべきじゃ無かったかなあ」

「頼む?」

「血の池地獄から助けてくれって頼んだの。勇儀さんたちから聞いた時、絶対に死んじゃうなって思って」

 

 宴会の席で、私に任せなさい、と黒い帽子を揺すっている彼女の姿が見えた。私の命の危機を救ってくれたのは彼女だったのか。やっぱり、持つべきものは良き家族だ。いつだってそうだ。彼女は私の危機を人知れず助けてくれる。それに対し、私は何もしてやれてないが。

 

「本当にどうしましょうね」

「さあ。私たちにはなにも思いつかない」

「詰んでるじゃないですか」

「さとり妖怪が詰むって、おとぎ話の中の話だと思ったよ。将棋も囲碁も負けようが無いのに」

 

 私は普通にお燐に負けたことがあるということは黙っておこう。そう思ったが、思った時点で伝わってしまう。彼女は目を半開きにし、これだから、と実際に口にした。

 

「これだから駄目なんだよ。私がいないと本当に駄目なんだから」

 

いつもの口癖を言った彼女は、指をくねくねと曲げ、得意そうに胸を張った。

 

「私たちで分からなければ、誰かに聞けばいいんだよ」

「え」

「ほら、三人寄れば文殊の知恵って言うじゃん」

 

 三人中二人がすでに駄目だったら、きっと駄目なのではないか。そう言う私を引き摺るようにし、医務室から出ていった。行先は分かった。ペット達の所だ。

 

「ペットに頼る主人って、情けないね」

「そうですか?」

「まあ、地霊殿の主だからしょうがないか」

 

 本当に悪口として定着しそうで、怖かった。

 

 

 

 地霊殿は、いうまでもなく広い。それこそ、今でも一人で彷徨えば迷ってしまうほどに広い。この前も、自室からキッチンへと向かおうとして、誤ってお燐の部屋へと入ってしまい、死ぬ程驚いた。彼女は普段は可愛らしい猫の姿だが、れっきとした火車という妖怪なのだ。そして、その性質が、趣味が問題だった。八雲紫に負けないくらいに悪趣味なのだ。

 

 死体集め。それが彼女の趣味だった。

 

 人間の死体を好むが、たまに動物の死体も拾ってくる。どうやって腐らせずにいるか分からないが、それは所狭しと部屋に陳列されていた。まるでワインセラーのように、木の棚の上に気取った感じで置かれている死体の群れを前に、私は情けない悲鳴をあげ、全力で逃げ出した。それを八雲紫に目撃され、笑われたのも、今ではいい思い出、いや、今でも悪い思い出だ。

 

 それほどまでに広い地霊殿だったが、それでも空いている部屋はそれほど多くはない。というのも、贅沢なことにペットにそれぞれ一室ずつあてがっているからだ。私たちさとり妖怪に懐き、勝手に住み着くようになった動物たち。知能の高い奴から低い奴。屈強な奴から貧弱な奴。さまざまな動物たちがここにいるが、その数を私は把握していなかった。あまりにも増えすぎて、きっと一回もあってないような動物も少なくはないだろう。地底中はおろか、地上の動物の大半ですら住み着いているのではないかと、八雲紫が頬を引きつらせながら言っていた。

 

 

では、そんな動物たちの世話を誰がしているのか。そんな重労働を好んでやるような変わり者は誰か。それは、私を背中に抱えながら、ずんずんと廊下を進む少女だった。どうして姉妹なのに、ここまで違うのだろうか、と不思議に思う。

 

「ペット達にあげてる餌を八雲紫に渡せばいいんじゃないですか?」

「あの子たちは基本自分でとってきてるよ。お燐とかは私たちと同じご飯だけど、妖怪じゃない子は勝手に取ってくるの。そんなのも知らなかったの?」

「なんで知っていると思ったんですか」

 

 てっきり、私は毎食こちらで用意しているかと思っていた。が、よくよく考えれば、そんな余裕は私たちにはない。もしあれば、それこそ八雲紫のために食料を用意できる。

 

「やっぱり、ペットはいいものですね。癒しです」

「そうだね」

「ペットとの戯れと甘味が私の生きる目的ですよ」

「小さいなあ」

 

 クツクツと彼女が笑うたび、体が揺れる。笑ってはいるが、彼女も同意しているようで「ペットはいいよねえ」と伸びた声を出していた。その通り。ペットはいいものだ。

 

 ペットはいい、甘味もいい、と小唄を歌っていると、いつの間にか随分と奥まで来ていた。てっきり、一番手前の部屋から回っていくと思ったので、拍子抜けする。

 

「最初はどこに行くつもりですか?」

「まあ、やっぱりお燐とお空のとこかな」

「お空?」

「霊烏路空。長くて本人が覚えられない名前なんて、意味がないでしょ。だからそう呼んでいるの」

 

 地獄烏の彼女は、お燐と同様ひとの姿へと化けることができた。そのせいで、肋骨が折れそうになったのは記憶に新しい。

 

「そうそう。言い忘れてたけど、ペット達に講座を開くのは禁止します」

「え?」

「救命講座とか、助けの求め方講座とか。あれで酷い目に遭ったんですから」

「えー」

 

 どうして不満げなのか分からないが、彼女はしぶしぶといった様子で頷いた。だが、その心は、次は何の講座を開こうかな、と嬉々として考えている。もはや叱る気にもなれない。

 

 一歩一歩前へと進むたびに、体が揺れ、鈍い痛みが走る。それでも、昨日伊吹萃香に抱えられていた時よりかは遥かにマシだ。一応は気を使ってくれているらしく、あまり揺らさないようにと忍び足で歩いてくれているようだった。彼女の明け方の空のようにきれいな髪に顔をうずめる。帽子が引っかかったが、気にしない。

 

 そうしている内にたどり着いたのは、霊烏路空の部屋だった。お燐の部屋で無くて本当に良かった、と心から思う。

 

「お燐もお空もいるね。ちょうどいいや」

「どうして、その二人が部屋の中にいるって分かるんですか?」

「心を読めばわかるじゃん」

 

 つまらなそうにそう言った彼女は、大きな音を立てて扉を力いっぱい開いた。驚き、悲鳴をあげる二人の姿が、背中越しに見える。その、二匹のペットの姿が面白くて、つい笑ってしまう。壁を隔てた向こう側にいる人妖のこころを読むなんて芸当は私はできない、と困惑していたが、そのことも消し飛んでしまった。きっと、私も同じ年になればできるようになる、と勝手に納得する。

 

「どうしたんですか、さとり様。そんな急いで入ってきて」二本の尻尾を逆立てたまま、お燐が訊いてきた。

 

 それはね! と大声で叫んだ声を遮り、口を挟む。余計なことを口にされそうで、怖かったのだ。

 

「実は、とある事情で食料が大量に必要になりまして、何かいい案がないかと、模索しているんですよ」

「うちの家計って、そんなに厳しいの?」霊烏路空が、心配そうに眉を下げた。

 

“そりゃ、理由を説明しないと、そう思われるでしょ”

 

 呆れの感情が、これでもかというほど、流れ込んでくる。地霊殿の主としてのメンツが丸つぶれだ。そもそも、身動きが取れない状態で、背中に抱かれて入ってきている時点で、そんなものある訳もなかったが。これでは単純に姉に甘える妹のようではないか。そう思いなおすと、急に恥ずかしくなってきた。

 

「八雲紫に頼まれたんだよ。地上に恩を売るのも悪くないでしょ? ざっと人間1000人分。どう? 何かいい案ない?」

「そう言われてもなー」

 

 お空とお燐は互いに顔を見合わせ、首を傾げ合っていた。どうしたもんか、と私たちのために必死に頭を捻ってくれてはいるが、どうやら特に何も思いつかないようだった。

 

「無理しなくてもいいですよ。なにか思いついた時に教えて下さい」

「あの、ごめんなさい」

 

 お燐が申し訳なさそうに眉をハの字にして、恭しくお辞儀をした。

 

 あくまで頼んだのはこちら側であって、質問に答えられなかっただけで謝る必要はないし、そこまで厳しく躾けているわけではないので、最初はどうしてお燐が謝ったのか、理解できなかった。が、すぐに分かった。彼女のこころには、鮮明にその時のことが映っていたからだ。

 

“勝手に地上に干渉してごめんなさい!”

 

 お燐は、私が星熊に殺されそうになっているときに、八雲紫に助けを求めようとし、伊吹萃香を地上に連れ出した。どのようにしてそれを行ったかは分からないが、あの地底にいる鬼の四天王の一人である伊吹萃香が地上に出るとなると、それだけで大事だろう。そして、当然のように八雲紫は介入してきて、そのまま地底へとやって来た。

 

「地底と地上の関係は、複雑で歪です。些細な事でそれが壊れてしまってもおかしくないほどに」

「ごめんなさい」

「でも」

 

 私はお燐に優しく微笑みかける。“包帯が巻かれている顔で頬を緩めても、気持ち悪いだけだよ”とこころの声が聞こえたが、きっと気のせいだろう。

 

「でも、結果的にお燐のおかげで私は助かりました。だから怒ったりしませんよ」

「本当ですか?」

「もちろんです。言うじゃないですか、結果良ければすべてよしって」

 

 いい言葉だ。途中でどんなミスをしようと、最後までになんとかすれば、問題ない。そう思わせてくれる。最近なにかと失敗続きの私にとって、救いともいえる言葉だった。

 

 よかった、と強張っていた顔をほどいたお燐だったが、すぐにお燐は顔をもう一度固くした。それを見て、お空も同じような表情へと変わった。辛そうに顔を俯かせている。彼女たちの翼や尻尾も、くたりとへこたれていた。

 

「仲良くしていたポコ太が、死んじゃったんです」

 お燐が、しんみりとした顔で言った。

「まあ、老衰だったんで、幸せな死に様でしたよ。でも、やっぱり悲しいですね」

 

 せめて、死体はきちんと供養してあげないと、とお燐は思っているようだった。その供養というのが、私の知っている通りの供養なのか、それとも、火車のコレクションにすることなのかは分からなかったが、お燐に任せる方が、そのポン太なる動物も救われるのは確かだ。死体を下手に扱うと、怨霊が増えかねない。

 

「そっか、ポコ太死んじゃったんだ」

 小さな声で、そう呟いて、背負っている私を地面にゆっくりとおろした。

「残念だね」

 

 そう言った彼女は、私の隣にぺたんと座り込んだ。私は思わず、その顔をまじまじと見てしまう。彼女は、残念だね、と言った割には、大してそう思ってなかったからだ。自分の可愛がっているペットが死んだと聞かされた割には、平然としている。

 

“ペットが死ぬのなんて、もう珍しくもないよ。一日に十匹くらい死んじゃう時もあるから。だから、慣れちゃった”

 

 私の心を読んだ彼女は、そう私に伝えると、薄く笑った。その笑みは、はかなげで、私の胸を締め付ける。頼りになる方の古明地。と呼ばれている理由が、少しわかった気がした。

 

 やっぱり、私なんかより地霊殿の主に向いているはずだ。

 

「それ、もしかしなくても悪口だよね」

 

 心を読み、そう笑う彼女の前で私は愛想笑いを浮かべる事しかできない。

 

 

 

 

 

 ここに来て、食料調達に関する案が何も聞けなかったのは、かなりの痛手だった。ペット達の中で、知能が高いのはおそらくこの二匹だろう。彼女たちが何も思いつかないということは、他のどのペットに聞いても駄目だということだ。

 

「やっぱりペットに聞くのは止めて、自分達で考えようか」

 

 どうやらそう思ったのは私だけでは無いようで、黒い帽子をゆさゆさと揺らしながら、考えよう、と何度も呟いていた。やはり姉妹は考えることが同じなのだろうか。そう思うと、少しうれしくなった。

 

「でも、もう少しお燐たちと戯れてからにしますよ」

「え、どうして?」

 

 分かっているだろうに首を傾げた彼女の口は、意地悪く笑っていた。

 

 近くにいたお燐とお空に向かい、小さく手招きをする。すると、彼女たちは、人型から動物の姿、猫と烏へと変わり、私に向かい突っ込んできた。包帯のせいでうまく撫でてやることはできないが、それでも彼女たちは満足そうだ。

 

「私の生きる目的は、ペットとの戯れと甘味なんですよ。それに」

「それに?」

「もしかすると、こうして遊んでいる最中に、何かいい案が浮かぶかもしれません」

 

 かわいいペット達は、私の包帯へと器用に身体を擦り付け、気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。自然と頬が緩む。その視界の奥で、助走をつけて、こちらに抱きつこうとしている人影が見えた。黒い帽子は既に脱げ落ちている。

 

「結果良ければ全てよしってやつだね!」

 

 威勢のいい掛け声と共に、目の前に可愛らしい顔が、もう一つ現れた.

 

 




お菓子は結局まだ残っています

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