Komeiji's Diary《完結》   作:ptagoon

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第119季3月30日─一期一会は最悪ですね─

 第119季3月30日

 

 どんなものでもいつかは壊れる。それは自然の摂理で、避けられないものだ。どんなに丁寧に扱おうが、丈夫な物だろうが、必ず終わりが来る。それを、今日味わう羽目になった。というのも、この日記を書くために愛用していた万年筆が、ついに駄目になってしまったのだ。文字を書こうとするも、うまくインクを吸い込まない。とくに悲しくはなかった。ああ、ついにこれも駄目になってしまったんだな。今までお疲れ様でした。と、そうお礼を言うくらいで、感慨深いものは特になかった。

 

 だけど、それをペットの糞掃除に使われるのは、さすがに納得できなかった。

 

「流石に駄目ですよ、それは」

「駄目って何が?」

 

 きょとんと、首を傾げた彼女は、ぎょろりとした第三の目をこちらに向けた。心を読まれているので、彼女はこの複雑な私の感情を分かっているはずだったが、それでもなお不思議そうな顔をしている。納得していないのだ。私の感情を理解したものの、どうしてそう思ったかまでは理解していない。なんで分からないのか、と思わず声を荒げてしまう。

 

「その万年筆は私が愛用していた物なんです」

「知ってるよ」

「それこそ、肌身離さず持ってました」

 

 知ってるって、と淡々と言う彼女の顔に、少し困惑の表情が浮かんだ。どうして私がここまで意固地になって反対するのか分かっていないのだろう。

 

「その愛用していた万年筆を、ペットの糞掃除に使うのですか?」

「そうだけど」

「嫌ですよ」

「えー。でもさ」

 

 でもも糞もあるか、と文句を言いたかったが、心の中に押し込める。が、当然ながら心の中まで読まれるわけで、彼女は分かりやすいくらいに、むっとした。

 

「でも、これにとっても、有効に使ってあげる方がいいでしょ。そっちの方が幸せだって。この死んだ万年筆も」

「万年筆が幸せを感じるとは思いませんし、そもそも元々生きてないですよ」

「そうじゃなくてさあ」

 

 包帯も大分取れ、体も動かせるようになっていた私は、医務室から出て、いつも通り自室で生活するようになっていた。想像の何倍も治りが早い。もしかすると、八雲紫がなにかしたのかもしれないな、そう思っていると、ずいっと目の前に可愛らしい顔が現れた。短いくせっげが、私の頬を撫でる。

 

「このままじゃ、どうせゴミになるだけでしょ? 地面に埋めるか溶岩に落とすか飾っておくか知らないけどさ、どうせ使えないじゃん。だったら、有効活用した方がいいに決まってるよ」

「確かにそうですけど」

「でしょ?」

 

 だから、これ貰っていくね、と満足そうに頷いた彼女は、スキップしながら私の部屋から出ていった。開けっ放しになった扉を呆然と見つめる。彼女は気楽そうでいいな、とそう思ったわけではない。むしろ逆だ。彼女はああ見えて、色々なことを考えている。私なんかよりよっぽど、思慮深い。いつも明るく振舞っているのも、彼女なりの考えがあるのだ。私も本来であればああいう風にふるまうのが正解なのだろうが、上手くいかない。

 

 “地霊殿の主は、薄気味悪くて、陰湿で、丁寧口調なんだよ”

 

 そう、心の声が聞こえた。それが、実際にいま聞こえたものか、それとも私の記憶の中のものであるかは分からなかったが、以前言われた言葉だったことは確かだ。地霊殿の主という悪口に含まれる意味を聞いた時に返ってきた言葉だった。だが、今考えても、丁寧口調であることが悪口になる理由が分からない。

 

 ぼけっと、そのまま扉の方を見ていると、段々と眠気に襲われてきた。視界が徐々に暗くなっていき、ぼやけてくる。このまま眠ってしまってもいいかな、と思っていると、その扉から誰かが入ってくるのが見えた。寝ぼけていた頭が急に冴えていく。それは、来客に対応しなければ、といった義務感でも、親しい友人が来たことによる高揚感でも無かった。

 危機感だ。殺されるといった危機感に襲われた。

 

「あなたが地霊殿の主の古明地さんですか」

 そう呑気に笑った彼は、どういう訳かとても呑気だった。妖怪ですら地底に来たら困惑するというのに、どうして。

 

「すこし、用事があってきたんですけど。安心してください、ここに来るまで誰にも会ってないですよ。あんたなら話が通じるって言われたんで来たんです」

「誰に」

「橋姫様に」

「ばっちり会ってるじゃないですか」

 

 どうして、彼がここにいるのか。いや、それは心を読めば分かった。八雲紫が連れてきたのだ。どうしてそんなことをしたのかは分からないが、とにかく、彼がここに来てしまったのは事実だ。だが、肝心の八雲紫が姿を現さないのが妙だった。

 

「たぶん、初めてですよ」

「初めて? なにがです?」

 

 私はそれには答えなかった。だらけていた体を起こし、もう遅いかもしれないが、地霊殿の主のように振舞う。つまり、薄気味悪くて、陰湿で、丁寧口調になるように心掛けた。

 

「地霊殿に来るような、命知らずな“人間”はあなたが初めてだと、言っているんです」

 

 

 

 

 

 人間。私たちさとり妖怪を恐れ、そして逆に私たちは彼らを恐れている。絶対に相反する存在。それが今私の目の前に座っていた。若い男だ。短く切られた髪を後ろに撫で付けている。その体つきはがっしりとしたもので、おそらく腕力は私よりもあるだろう。居心地が悪いのか、しきりに周りをきょろきょろしているが、それでも落ち着いたものだった。

 

 そもそもだ。本来であれば地底に人間が来ることなんて、ありえないのだ。地上と地底を結ぶ唯一の通路である竪穴は、とても人間が通れるようなものではないし、優秀な監視役が二人もいる。だから、そもそも人間が来るなんて想定をしていなかった。それに、しばらく人間と遭遇していなかったからか、そもそも彼らがどういう存在か、思い出せなくなっていた。だが、彼らが私たちにした酷い仕打ちだけは忘れそうにない。

 

 

「どうして私がここに来たかと言いますと」

 しかし、目の前の男はそんな私の苦悩も知らずに、意気揚々と語りだした。それはそれで腹が立つ。

「あれですよね。地上の人里で自警団をしているときに、八雲紫に脅され、いえ、頼まれたんですよね」

「そ、そうです」

 

 露骨に彼の顔が歪んだ。やっと、私のさとり妖怪としての恐怖が脳にまで達したらしく、ガタガタと震え出した。こころを読まれることは、人妖問わず、悍ましく感じるのだろう。

 

 そんな男から目線を外し、小さく息を吐く。八雲紫が本当に何を考えているかが分からない。人間をひとり地底に置いて、いったいどうするつもりなのだろうか。もしかして、この人間は大層な悪人で、追放されたのだろうか。いや、それはない、と首を振る。八雲紫がわざわざ人間を地底に追放するとも思えなかったし、この人間が、そこまで悪事をするようにも見えない。彼の心を読む限りでは、かなりの善人のようだった。それこそ、こんな地底に自分の意思で来るほどに。

 

「にしても、よく引き受けましたね」

「え?」

「奥さんの出産が成功するように、なんて曖昧な約束を、よく信用しましたね、と言ってるんです」

「あ、ああ」

 

 照れくさそうに彼は頭を掻いた。その頬は僅かに赤くなっている。彼の心には、笑顔で目を輝かせている、一人の人間の女性が映っていた。きっと、彼女が彼のつがいなのだろう。そんなつがいを出しにした八雲紫に対し、私は怒りよりも懐かしさを感じていた。流石、妖怪の賢者だ。

 

「ま、まあ」

「まあ、いきなり現れた恐ろしい妖怪に反抗できなかったってのが一番の理由ですけど、妻の出産が後押ししたのも事実です、ねえ。随分と仲がいいんですね。羨ましくはないですけど」

「は、はあ」

 

 どう反応すればいいか分からなかったのか、彼は苦笑いをしていた。

 彼の頭には、いきなり現れた金髪の、恐ろしい妖怪の姿が浮かんでいる。間違いなく八雲紫だ。だが、彼の思い浮かべている彼女の姿は、私の知っている彼女より、妖艶で、恐ろしいほどに美しかった。きっと、恐怖と共に、神々しさも感じていたのだろう。だから、彼女の言うことを信じてしまったのだ。

 

 そんな哀れな人間は自分の薬指をさすっていた。よく見ると、そこには指輪がはまっている。それを、無意識に触っていた。さすがに私も考えていないことを読むことはできないが、その指輪がなんなのか、想像がついた。

 

「その指輪、もらったんですか?」

「あ、ああ」

「誕生日に妻から。へえ。私だったら食べ物のほうが嬉しいですけどね」

「実は自分もそう思ったんですが、絶対に言えませんでした」

 

 なんだ、結構分かる奴じゃないか。そう言おうとしたが、それよりも、彼の様子が少しおかしいことに気がついた。苦しそうに眉を下げ、胸をさすっている。ゴホゴホとせき込むその口からは、確かに血がでていた。

 

「病気なんです」

 聞いてもいないのに、男は語りだした。

「もう、いつ死んでもおかしくないそうです。ここに来たのも、そのせいかもしれません。どうせ死ぬなら、妻のためにってやつですかね」

「独善ですよ、それは」

「分かってます」

 

 そう言った男は、もう一度大きく身体を揺さぶった。青白くなった顔からは、確かに死相が浮かんでいる。もってあと三日といったところか。八雲紫は、それも分かって彼をここに連れてきたのだろうか。

 

「地上で死にたくなかったんですよ」

「行方不明だったら、まだ生きているかもしれない、と希望を持てるから、ですか」

「怖いなあ、地底の妖怪は。心を読まれるのは想像以上に怖い」

 

 彼は、もし自分が死んだことが妻に知れると、後を追いかねない。少なくとも出産に悪影響が出ると、そう思っているようだった。ただそれを回避するためだけに、こんな地底で死のうと決意したのだろう。実際は、八雲紫の脅しに屈しただけなのだろうが、そう邪推してしまう。だた、私には分かった。その奥さんは、確実に彼が死に際だと分かっているということを。そして、姿を消した理由すら知っているに違いないことを。何故か。彼の顔は既に、死人のそれだったからだ。

 

「もし、私のせいで妻に何かあったらと思うと、いてもたってもいられなくて。妻は体が弱い所があるんです」

「あなたよりもですか?」

「昔は強かったんですよ。なんていっても自警団をやってましたから」

 彼は、服をめくり、力こぶを作ってみせた。確かに私なんかより遥かに頑丈そうだ。

「とにかく、私はとも倒れになるのが嫌だったんです」

「反とも倒れ派ってことですね」

「いいですね。その言葉」

 

 反とも倒れ派、反とも倒れ派、と繰り返し呟く彼の顔は、穏やかだった。そんな彼の顔を、つい、ぼうっと見てしまう。

 

 その時ふと、自分が恐怖心をこの人間に抱いていないことに気がついた。むしろ、親しみを感じていることに。なぜだろうか。死にかけの人間だからと、見下しているのか。それとも、幸の薄そうな顔に親近感を覚えたのか。いや、違う。

 

 久しぶりに家族以外の存在で、私に嫌悪感を抱いていない奴に出会ったからだ。

 

「無事に生まれた子供には、なんて名づけたんですか?」

 

 あえて、もし、や予定という言葉をつけなかった。子供が生まれてくるころには、彼はすでに死んでいるはずだからだ。確認ができないのならば、無事生まれると信じておいた方がいい。ここまで自分が気遣いをしていることに、また驚く。妖怪の賢者は、これを狙ったのだろうか。

 

「そうですね。女の子だったらまゆみで、男だったら三郎にしようって、伝えてあります」

「三郎? 三男なんですか」

「いえ、長男です」

「なるほど。あなたの名前が次郎だからですか。安直なんですね」

「悪いですか?」

「いえ、いいんじゃないですか」

 

 どうでもいいんじゃないですか。と、言おうと思ったが、彼の心に満ちている暖かさに水を差すのは申し訳なく思い、止めた。気づけば、彼の私に対する恐怖心は、収まっているようだった。これも、初めての体験だ。ペット達ですら、私には恐れを抱くのに。きっと、これから死ぬのだから、どうでもいいのだろう。

 

「きっと、元気で頼もしい子になるはずです」

「なんで分かるんですか?」

「自分たちの子ですからね。妻を支えてくれるでしょう」

 

 信じられないことに、彼はそのことについて一寸の疑いも抱いていなかった。まだ産まれていないにもかかわらず、既に親バカを発症してしまっている。そんな彼が、少しだけ羨ましかった。

 

 私たちは、しばらくそこで話し合った。それは、好きな料理の話だったり、好きな甘味の話だったり、好きな飲み物の話だったりと、様々なことを話した。そのどれもがしょうもなく、下らないものだったが、それでも私はなぜか楽しかった。だが、どんなものにも必ず終わりは来る。

 

「そろそろ、行きますね」

 

 男は徐に腰を上げた。その足は、ふらふらと安定せず、すぐにひっくり返ってしまいそうだったが、それでも彼は一人で立ち、扉へと向かっていく。行く先はどうやら決めていないようだった。八雲紫は迎えにはこないらしい。つまり、ここから出て、彼は死ぬ気なのだ。

 

「一ついうならば、鬼や他の妖怪に会う前に死んだ方がいいですよ」

「どうしてですか?」

「まともな死に方をしません」

 

 なるほど、と頷いた彼は、そのまま扉を開け、出ていった。これから死にゆく人間の気持ちなんて分からない。だが、私の気持ちは晴れやかだった。少なくとも悲しみはない。なにか、春のそよ風に誘われて、たんぽぽの綿毛が飛んできたような、そんなちょっとした幸運にあったような気分だ。彼の、薬指につけてあった指輪を思い出す。その輝きは、なぜか脳裏にこびり付いていた。せめて、幸せに死んでくれればいいのに、と願わずにはいられない。

 

 どんなものでもいつかは壊れる。それは自然の摂理で、避けられないものだ。どんなに丁寧に扱おうが、丈夫な物だろうが、必ず終わりが来る。それを、今日再び味わう羽目になったのだった。 




随分と好印象だったんですね。日記にそれが現れる程に

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