第119季4月7日
私の好きな言葉に、骨折り損のくたびれ儲け、という言葉がある。意味は、苦労するばかりで利益はさっぱりあがらず、疲れだけが残ること。何度聞いてもいい言葉だ。まるで、私の今まで生きてきた道のりを要約するかのような、切実さが含まれている。骨を折って、それでいて何の利益も得られなかったことなんて、珍しいことではなかった。肉を切らせて骨を断つ、というが、実際は肉も骨も私ばかりが切られ、それでいて何もなすことができない。それが私だった。
「だから、そうやって目の前で簡単に骨を折られると、少し悲しくなりますね」
星熊は私の言葉に耳もかさず、もう一度骨をぽきりと折った。
結局、八雲紫から課されたノルマを達成する目処は立たなかった。というより、そもそも本当に達成させようとしているのか怪しいくらいだ。それくらい、実現不可能だった。まだ、鬼達を説得する方が楽かもしれない。いや、それはないか。
だが、面倒ごとというのはどうやら重なるようで、命をかけた食料調達に挑んでいる私に、追い打ちをかけるような事態が、地底を覆っていた。
「別に折ってもいいだろ。どこの馬の骨とも分からないんだし」
「それ、馬の骨なんですか?」
「そうだな。まったく、いったい地底に何が起きているんだ」
星熊はいつもの快活さとは打って変わり、心底だるそうに息をついた。ちらりと私をみて、もう一度息を吐いている。失礼だったが、文句は言えない。
「地底中に骸骨が無数に現れるなんて、どういうことなんだよ」
「さあ」
その面倒ごとというのは、地底のあらゆる場所に骸骨が現れた、というものだった。突然現れたそれは、誰にも見られること無く、いつの間にかそこにあったらしい。スケルトン、という西洋妖怪がいたような気がしたが、まさに、骸骨が現れ、ひとりでに動いたとしか思えなかった。
「まるで見当がつきませんね。どうしてこんなことに」
「そういうのはいいから、早く白状したらどうだ?」
威圧するためか、手に持っていた馬の骨を握りつぶした。その砕けたものが頬に当たり、チクリとした痛みが走る。やっと全身の傷が治ったばかりだというのに、また新しく傷ができてしまった。
「どうせ、また古明地のせいなんだろ? どんな手品を使ったんだ」
「い、いえ」
「手品じゃないのか。いいから、説明してくれ」
「私は何も知らないですよ」
そこで星熊は、ガハハといつものような笑いを見せた。辛気臭さを吹き飛ばすように、地底の中の空気を全て吹き飛ばすように、大きく笑った。
「おいおい古明地」
心を読むまでもなく、彼女の次に口にする言葉は分かった。
「嘘はよくないぜ」
今度は私がため息を吐く番だった。まあ、そう言われるだろうな、とは覚悟していた。前科があるからだ。ヤマメが全身に大けがを負った時、私は何も知らないと、そう言った。が、実際は、私が彼女らの心をいじって、怪我を負わせたのだ。つまりは、しらばっくれていた。知らないふりをしていた。嘘をついていた。少なくとも、星熊はそう思っている。
「今度は嘘じゃないですよ。私にここまで影響力はありません」
「よくいうぜ」
なぜか星熊は楽しそうだった。
「血の池地獄に落ちた癖にピンピンしやがって。むしろ怪我も治ってんじゃねえか」
私は、このとき、かなり焦っていた。背中には冷たい汗が滝のように流れ、顔から血の気が引いていく。その反応によってウソがばれないかと、余計に焦りが募っていた。本当は入っていないということがばれないかと。
「それはあれですよ」
「どれだよ」
「私は不死鳥なんですよ。燃やされたら復活するんです」
私は何を言っているのだろうか。こんな馬鹿げた誤魔化し方があるか。まだ黙っていた方がよかった。様々な後悔が押し寄せてきた。八雲紫にばらされる前に、自分から白状してしまったようなものだ。これで、食料調達はしなくてすむかもしれないなあ、なんて現実逃避をしていると、星熊がまた大きな声で笑った。
「そうかそうか。お前はそうだったのか」
「え?」
「変だと思ったんだよ」
うんうんと頷いた勇儀は、がしりと肩を掴んできた。どうしてそこまで嫌っているのに、殺したいほど嫌悪しているのに、こうして距離を近づけられるか、私には分からない。
「ただのさとり妖怪とは思っていなかったが、まさか不死鳥とはな」
「え、あの」
「驚いたが、まあ、納得もできる」
「勇儀さん?」
星熊は驚いた、と言っていたが、それ以上に私の方が驚いていた。それもそうだろう。まさかこんな嘘を本心から信じるなんて、夢にも思っていなかったのだから。
「嘘ですよ。嘘。そんな訳ないじゃないですか」
「嘘って何がだ」
「私が不死鳥の訳ないじゃないですか。ただの、しがないさとり妖怪ですよ」
「しがないさとり妖怪ってなんだよ」
また、豪快に笑った彼女は、足元に落ちていた骨を持ち上げた。さっき折った馬の骨とは別のものだ。地霊殿の周りにも散乱していたが、旧都はそれ以上に多かった。大して損害はないが、気になるものは気になる。
“まあ不死鳥でもなんでもいいが、さとり妖怪って時点でだめだな”
彼女は、自分でそう思い、また勝手に笑っていた。何が面白いのか分からないが、どこか居心地が悪くて、「この骨、勇義さんはどう思ってますか?」と話題を変えた。
「骸骨共が夜な夜な大名行列でも開いているのかもな」
「いえ、それはないでしょう」
「どうして断言できるんだ」
「夜に旧都を練り歩けば、酔っぱらった鬼に絡まれるからです」
違いない、と叫ぶ星熊は、心底楽しそうだった。事実彼女はこの状況を楽しんでいる。だが、その楽しみの感情よりも、私に対する拒絶反応の方が大きい。その本能を振り切ってまで、私と共にいるのはなぜだろうか。もし私が逆の立場だったら、絶対に関わらない。
「なあ、古明地」
大きな一本の角を大きく縦に振りながら、星熊は訊いてきた。
「やっぱり、お前がやったんだろ」
「だから違いますって」
「でも、お前ならできるだろ?」
「何をですか?」
「誰にも知られないように骨を地底中にばら撒くこと」
確かにできないことはなかった。心を読める私であれば、誰もいないかどうかを確認し、そこに骨を捨てることなんて造作もない。だが、そうする時間も、動機もなかった。そして何より。
「そんな骨、どこから調達するんですか」
「そこが問題なんだよなあ」
「そもそも、私を犯人という前提を外してください」
星熊はこの“スケルトン事件”を解くことを、一種の娯楽としているようだった。私が犯人でも、特に責められるようなことはないだろう、ということも分かっていた。むしろ、褒められるとも。確かに、地底中に骨をばら撒くことは、目立つことでもあるし、気味が悪いものだが、誰かが傷ついたりすることもない。それに、平然と妖怪の死体が転がっていたりする地底では、骨が落ちていようが、気にしないような豪胆な奴の方が多数派なのだ。
「なら、お前は誰が犯人だと思うんだよ」
「犯人ですか」
「まあ、犯人というよりは、悪戯っ子だな。お前と違って」
笑えない冗談だ。だが、それでも星熊は笑う。しかも、質が悪いことに彼女はこれを冗談だとは思っていないようだった。私はまだ彼女たちの中では、犯人のままなのだ。
「まあ、私は単純にお燐かなって思いましたよ」
「へえ、なんでだよ」
「ほら、火車だからですよ。死体をいつも運んで、集めてるじゃないですか」
「死体と骸骨は違う」
「一緒ですよ」
「違う。焼酎と日本酒ぐらい違う」
私は、酒についてはほとんど知識が無かったので、それがどういった違いを意味しているのかは分からなかったが、とにかく、彼女がそこまでいう程に骨と死体は違うのだということが分かった。
「あれですね。砂糖と抹茶ぐらい違いますね」
「はあ?」
「砂糖を舐めて苦いという人もいませんし、抹茶を飲んで甘いという人もいないじゃないですか。それと同じですよね」
「おまえ、例え下手だな」
「酷くないですか?」
私はつい星熊を睨みつけてしまう。まるで仲がいい友人のような会話だ。もし私が心を読めなければ、本当にそのように思っていただろう。だが、鬼らしく単純な彼女の心は、私には一切開いていなかった。何重にも扉を作り、その全てに鍵を閉めている。私にはそんなもの意味ないと知っていながら、それを作っているのだ。心の壁といってもいい。
「それに、味が分かんねえ奴だったら、その二つは区別できないだろ」
「味が分からないような妖怪がいるんですか?」
「いるなあ。口がない奴もいるし。それに、心に負荷が加わり過ぎると、物の味が分からなくなるらしいぜ」
「だったら、少なくとも勇義さんは大丈夫そうですね」
違いない、と朗らかに笑った彼女は、足元の骨をけった。両腕を頭に持ってきて、骨があってもなあ、と呟いている。
「骨があろうがなかろうが、地底には関係なし、か」
「そうですね」
「まあ、最近地底に骨のある奴が少なくなってきてたから、丁度良かったがな」
「どういうことですか?」
「喧嘩を吹っ掛けても、断ってくる輩が増えたんだ」
「骨があるってそういう」
むしろ、あの鬼の四天王である星熊に会って、逃げ出さない奴がいたら、おかしいのではいか。
「自業自得ですよ」私は万感の思いを込めて、そう言った。
「暴れまくるからです」
「じごうじとくねぇ」
彼女にしては、珍しく含みのある言い方をした。
「私はな、自業自得って言葉は嫌いなんだよ」
「そうなんですか?」
「あんなの、弱い人間の言い訳にしか使えないよ」
弱い人間、と聞いて、私は以前地霊殿に来た一人の男性のことを思い出した。あの、八雲紫に連れてこられたという面白い人間だ。彼は、きっともう死んでいるだろう。残念なことに人間の死体の報告は来ていないから、溶岩に飛び込んだのかもしれない。
「いいか。自業自得だなんてのは、他者を貶める時に使う言葉なんだよ。ああ、可哀そうな目に遭ってるな。でも自業自得だから仕方がない。私は助けないぞって具合に、仲間を助けないための言い訳に使ってるんだ。罪悪感を消しているんだよ」
「いやに感情が籠ってますね」
「むかし、萃香がよく言ってたんだ」
ああ、と私は納得してしまう。あの掴み所がない小さな、けれども強大な鬼がいかにも好みそうな言い回しだった。
そこで、私はふと思いつくものがあった。あの伊吹萃香の瓢箪からは、水さえ入れれば酒が出てくると聞いたことがある。それを食料として地上に渡せばいいのではないか、そう思った。が、すぐにその考えを消し去る。酒だけで生きていけるような奴は、鬼だけだ。
「どうした? 私の顔をじろじろ見て」
つい、星熊の顔を凝視したようで、彼女は顔を顰めた。
「何かついてるのか?」
「い、いえ」
なぜか気恥ずかしくなった私は、「勇儀さんは、人間にたべものを送らなきゃいけないと言われたら、何を渡しますか?」と口走っていた。胸が跳ね、余計なことを言ってしまった、と後悔が押し寄せてくる。
一瞬きょとんとした星熊だったが、すぐに口を緩め、また笑った。彼女は笑わなければ死んでしまうのではないか、と心配になる。
「いきなり何を言い出すかと思えば、いきなり何を言い出すんだよ!」
「ちょっと、思いついてしまったので」
そうだなあ、とその長い金色の髪を撫でた彼女は、野太い声で言った。
「私だったら、岩でも食ってろつって、投げつけるなあ」
さすがは鬼だな、という感想しかうかんでこない。
私たちは、骨で溢れた旧都の道を進み、どこか手ごろな店を探していた。けれど、どの店も開いていない。今日は何か祭りでもあるのか、と思ったが、違った。その店の中には確かに店員がいて、たまには客もいた。けれど、閉店というのぼりが掲げられているのだ。その理由は単純だった。私に店に来てほしくないのだ。
もはや、この程度ではへこみもしない。感覚が麻痺してしまったのだろうか。嫌われすぎて、嫌われても何とも思わなくなってきていた。ただ、甘味屋にもう入れないとなると、大声で泣き出したくなるほど悲しかったが、幸いなことに、行きつけの店は私に対してまだ寛容だった。嫌っていない訳ではないだろうが、金払いのいい客を逃したくはないのだろう。今は、その豪胆さがありがたかった。
「おいあれ、古明地。あそこ見てみろよ」
店の看板を見ながら歩いていると、突然星熊が立ち止まった。いったいどうしたのだろうか。そう思っていると、顔を掴まれ、強制的にとある方を向けられる。首が痛んだが、視界に飛び込んできたそれを見て、それどころじゃなくなった。
視線の先には我が愛しの姉妹がいた。
それがどれほど異常なことか。彼女は私以上に出不精で、ひとりで出かけることなど、まずない。大抵出かける時も私かペットと一緒だ。そんな彼女が外を一人で歩いている姿など、私も初めて見たかもしれない。
「どうしたんでしょうか。悪い物でも食べたのでしょうか」
「私が知る訳ないだろ。ただ、悪いものを食べて外出するようになるんだったら、あいつには毎日食わせた方がいい」
「確かに」
向こうはどうやら私たちに気がついていないようで、建物の陰で腰を落としていた。かなり遠くにいるので、何をやっているか分からないが、あの特徴的な帽子と似合わない髪色は見間違いようがない。
「手でも振ってみますか」
星熊に聞く前に、手を精一杯に伸ばしてブンブンと振る。となりでドン引きされていたが、気にしてはいけない。あの古明地が、こんな子供の様な仕草をするなんて、酔っぱらっているのか、とか言われていても、気にしてはいけないのだ。
はるか遠くにいるあの子は、どうやら気がついたようで、ばさりと立ち上がった。てっきり私は、恥ずかしいとでも文句を言いながら、ふてぶてしくも、こっちに来るものだと思ったが、違った。私たちに背を向け、全力で飛び去っていく。その姿はみるみる小さくなっていき、一瞬で見えなくなった。
「逃げてったな」
「そ、そうですね」
まさかそこまでの勢いで逃げられるとは思わなかったので、動揺してしまう。
「あれですかね。何か悪いものでも食べて、家族を嫌いになったんでしょうか」
「いや」
私の左肩を掴み、ぐいっと身体を近寄せてきた星熊は、満面の笑みを作った。その笑顔はみているこちらまでもが楽しくなるようなものだったが、私は楽しくない。彼女が何を言うか、分かってしまったからだ。
「自業自得だぞ」
今思えば、溶岩に捨てるべきでしたね