第119季2月10日
以前書いた日記が書斎の奥底から見つかったため、また書き始める。もっとも、私がなぜ地霊殿の主などという大層な役職を押し付けられているかについて書かれているだけだったので、実質的には今日が初日といえる。紙が何枚か破れていたり、くしゃくしゃになってしまったが、仕方がない。
ただ、唯一まずかったのは、この日記の存在を知られてしまったことだ。誰にか。誰もにだ。見つけたのは書斎を掃除していた、みんな曰く"しっかりしている方の古明地"こと私の自慢の家族だ。最近では、彼女の方が主に向いているのではないかと、密かに思っている。ちなみに私はしっかりしてない方、と思われているわけではない。怖くて、嫌味な奴と思われている。理由は知らないが、心を読んだので間違いない。
それで、私の日記を発見した彼女がまずはじめに何をしたか。音読だった。地霊殿に住み着いた動物たちにも聞こえるように、大きな声で読み始めたのだ。流石の私も困惑した。困惑のあまり、胸辺りにある第三の目を投げつけてしまった。痛かった。そして、最悪な事に、たまたま来ていた八雲紫と、あとで詳しく話すが、鬼の四天王なるものの一人、星熊勇儀にも聞かれてしまったのだ。きっと、今では地底中に広まっているだろう。まあ、八雲紫が最悪な奴で、可哀そうな私は健気に頑張っていると思ってもらえるのであれば、それも悪くないかもしれない。そう自分に言い聞かせる。
そもそもなぜ八雲紫が来ていたのか。この理由は単純だ。地底に新入りが加わるのだ。いつものように、"封印"や"追放"といった形で。その打ち合わせと情報のすり合わせのために、わざわざ地底まで来やがったのだ。
「お前なら、八雲紫の心すら読めるんじゃないのか?」
護衛として来てもらった星熊勇儀は、こう訊いてきた。いつものように「難しいですね」と単調に返したが、実際は難しいわけではない。出来ないのだ。だが、以前そう言ったところ、「嘘はよくないぜ。私の前では二度と嘘を吐くなよ」と鬼気迫る表情で言われてしまったため、それ以来曖昧な言い方にしている。鬼の中でも随一の腕力を持っている彼女も、他の鬼と同じく、嘘を嫌う性質を持っていた。だが、私の言っていることは嘘ではない。にも関わらず、まともに取り合ってくれないのだ。
「今度あたらしく来る子は、土蜘蛛の子なのよ」
地霊殿の応接間。無駄に広く、大きなソファが鎮座しているそこで、くつろぎながら八雲紫が言った。私と星熊を交互に見ては楽しそうに笑っている。気持ちが悪い。
八雲紫の話など、さらさら聞く気がなかった私は、自分の膝の上で眠っていた黒猫の背中をさすっていた。猫又のように見えるが、一応は火車という妖怪らしい。名前は火焔猫燐。趣味は死体集めだ。私が名づけたのだが、本人(本猫)は気に入っていないらしい。気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らし、二つに分かれた尻尾で足をくすぐってくる。可愛い。
「聞いているの? 地霊殿の管理者様」
あまりに猫を撫でるのに夢中になっていたからか、八雲紫が私の前に境界を作ってきた。私が苦手なのを知って、何かある度に作ってくるのだ。どうして、こいつよりも私の方が嫌われているかが理解できない。が、今回にいたっては全面的に私が悪い。まったく聞いていなかった。
「当然」聞いていませんでした。そう口を開く前に、隣に座った星熊がガハハと笑い肩を叩いてきた。あまりの衝撃に、失神しそうになる。口から内臓が飛び出しそうになるのを、必死にこらえた。
「おいおい、誰に口をきいてるんだ? こいつはさとり妖怪だぞ。心の声が聞ける奴が、人の話を聞いてない訳ないだろ。こいつは地底中の心の声を常に聞いてるんだよ。嫌な奴だろ? だけどな八雲紫。こいつは私が認めるほどの強者なんだ。腐っても地底の管理人だぞ、あんまり舐めないでほしいな」
「勝手に腐らせないでください」
いやあ、悪い悪いとまた、肩をバシバシと叩かれる。小さく嗚咽が漏れたが、幸運なことに星熊に聞かれることはなかった。
なぜ彼女が私をここまで過大評価しているかは分からない。出会った時からそうだった。"喧嘩はやりたいけど、こいつとは嫌だな"と初対面のときに心の声が聞こえた。なるほど、こういう嫌われ方もあるのね、と驚いたものだ。
「あら。随分とその子のことを買っているのね。鬼の四天王が実力を認めるなんて、珍しいじゃない」
「馬鹿にするなよ、幻想郷の管理者さんよ。流石にこれほどまでの強者を見逃すほど、私は落ちぶれていないよ。見る目には自信があるんだ」
きっと、彼女の目の網膜には深い傷がついてしまっているのだろう。自慢ではないが、私はペットの狸にすら負けたことがあるのだ。弱者の中の弱者といってもいい。
"あなた、勇義になにをしたの?"
八雲紫が、意図的に心を開いて訊ねてきた。心当たりなんてある訳ない。
「何もしてませんよ、本当に。私はただ広い家でおいしい食べ物を食べたかっただけなのに。いつか責任を取ってもらいますよ。というか、今取ってください。助けて」
八雲紫は返事をせず、眉をひそめただけだった。何かを考えるように、また扇子を広げて口を隠している。かっこうつけ、と小さく呟く。
「なんだなんだ? いきなり訳の分からないこと言い始めて。というか、古明地がそんなに会話しているのをはじめて見たぞ」
「ちょっと、心を読みましてね」
やっぱり読めるんじゃないか、と責めるような目つきで星熊に睨まれる。いえ、今のはたまたまです、というが、鼻で笑われた。"何がたまたまだよ"と悪態をついている。
「というより、この子は地底ではあまり会話しないの?」
絹のような金髪を艶めかしく揺らしながら、八雲紫は勇義に扇子を向けた。いつの間にかそれは閉じられている。かっこうつけ。
「私の知っているこの子は、あり得ないくらいにおしゃべりなんだけど」
「またまたー、嘘は良くないぜ」
また、ガハハと笑う。"スキマ妖怪にしては面白い冗談だな"と驚いているのが分かる。何が面白いのか、さっぱり分からない。
「そう、なのね。ならば普段のこの子はどんな感じなの?」
「どんな感じって言われてもな」
どこかの誰かさんのせいで、地底の管理人として右往左往しています。いつも必死に、事実死にかけたことは一度や二度ではないですが、とにかく仕事のせいで休めません。助けてください。そんな思いをこめて、全ての目を使い八雲紫を睨むが、目を合わせてはくれなかった。
「実際に見たほうが早いんじゃないか?」
「見る?」
不思議そうに首をかしげる八雲紫とは逆に、私は戦慄していた。星熊が何を考えているのか、何をしようとしているのか、分かってしまったからだ。拒否権がないことも、だ。
「こいつの普段の態度を見るなら、こんな屋敷に引きこもるよりも、やっぱ街に繰り出さなきゃな」
「なるほど」
「私は反対です」
勇気を振り絞り、精一杯の反抗を試みる。蟷螂の斧、ということわざのように、ささやかな抵抗は、中々に格好いいものだ。
「私は家が好きなんです。ほら、外はおっかないじゃないですか。怖い妖怪がうじゃうじゃいるし、怨霊もたくさん。私の幸せは美味しいものをゆっくり食べることなんです」
「おい古明地」
肩に手を置かれる。星熊の腰まで伸びた金色の髪が、鼻をくすぐった。星熊が顔を近づけてくる。額に伸びた大きな角が刺さりそうで、びくりと体が震えた。
「嘘はよくないぜ」
嘘ではない、と言うことは、もちろんできなかった。
私たちの家の地霊殿は、ここ旧地獄の中心に位置している。当然、旧地獄で最も栄えている場所、人呼んで旧都からも距離は近く、飛んでいけば、5分もあれば着く。ただ、旧都から近いということは、それだけ目立つ場所にあるわけで、今はめっぽう減ったが、一時期はカチコミが絶えなかった。
境界をつくって行こうとした八雲紫を宥め、空を飛んでいった私たちだったが、旧都についた途端、思わぬ妖怪と会うことになった。
「おう、キスメじゃないか」
星熊の声に驚いたのか、びくりと体を震わせ、大きな桶に身体を隠してしまった少女は、おいおい、そんなに邪険にしなくてもいいだろ、という言葉を聞き、「なんだぁ、ゆうぎか」と安堵の息を吐いた。"危なく、首を狩っちゃうところだったよ"と別角度で安心していることに気がついているのは、おそらく私だけだろう。
「こんなところで、何をしているんだ? いつもなら竪穴のところにいるだろ?」
「いや、その。ちょっと、地霊殿の主に用があったんだけど、行きづらくて」
桶からひょこりと顔だけ出したキスメは、見上げるようにして星熊を見つめていた。青緑色の髪を左右に束ねて、なぜか白装束を着ている。種族はつるべ落としだ。可愛らしい子供のような姿だが、妖怪の強さは見た目で決まらないから、恐ろしい。
「だったら、都合がいい」得意げに星熊が言った。
「どうして?」
「だって、丁度ここにいるから」
体をずらし、私たちを指差した。ちょうどキスメからは死角だったのだろう。私たちを見たキスメは、驚き、恐怖し、興奮した。"やられる前にやる"彼女の本能からの声が、嫌と言うほど聞こえてきた。
私が後ろに下がるのと、キスメが斬撃を放つのは同時だった。仕組みは分からないが、桶に入ったまま、一直線にこちらに突っ込んできて、真っ直ぐに手を振り下ろしてくる。当然、そう来るのは分かっていた。いくら本能的に咄嗟に攻撃したとしても、妖怪である限り、私たちは心が読める。が、いくら心が読めようが、行動が読めようが、対処できるかといえば別問題だ。自分の想像よりも、キスメの動きは素早く、また殺意も異常だった。ここら辺が地底に封印された理由かもしれないな、と呑気に考えていたが、彼女の攻撃を避け切れないことは明確だった。後ろに下がりながら、何とか体を左にひねる。別に意図があったわけではない。ただ、左で微笑んでいる八雲紫の陰に隠れて、矛先を彼女に変えてやろうと、そう思っていたのかもしれない。
ひゅん、と耳元で音が鳴り、キスメの手が振り下ろされた。私の目のぎりぎりを通過し、その手は地面に叩きつけられる。痛みはない。が、何本かの髪の毛が切れてしまい、パサリと宙を舞っていた。あの子だったら、自慢の黒い帽子が切れた! と憤慨するだろう。
「あら、中々に攻撃的ね。これが地底流の挨拶なの?」
「そんな訳ないじゃないですか」
よくあなたが避けられたわね、と心配する素振りもなく訊いてきた八雲紫に、切れた息を整えながら、あなたのせいですよ、と呟いた。今度、おはぎでも差し入れてください、と。
「いやー、やっぱり古明地は意地が悪いな」
「え?」
どこから取り出したのか、大きな盃を手に持った星熊は、それに口を付けながら、やっぱりいけ好かないな、と正直に言った。
「今のも、避けようと思えば、もっと早くに動けたはずだ。敢えてぎりぎりで避けて、相手の精神を参らせようとするなんてな。実力差を考えろって、暗に伝えてるんだろ? 現にキスメは、ほら」
私の足元にいるキスメに目を落とした。表情は見えない。桶に身体を折りたたむようにして入って、カタカタと小さく震えている。うちのペットの火焔猫燐みたいだ。だが、彼女の心には、はっきりとした恐怖が刻まれていた。当分夢に出るくらいの、だ。
「いや、私はそんなつもりはないですよ。誰もがあなたみたいな反射神経と、身体能力を持っているわけじゃないんです」
「またまた」
呆れるように肩をすくめた。また、いつものように私の言葉は届かない。
「なるほど、大体あなたが陥っている現状は分かったわ」
眉間を指で押さえた八雲紫が苦々しく、口を歪めた。その仕草はおばあちゃんみたいですよ、と伝えるも、無視される。
「勇義。単刀直入に言うわ。あなたはこの子を過大評価し過ぎよ。この子自身の実力は大したこと無いわ。愚直だし、軟弱だし、すぐ食べ物につられるし、人の話を聞かない、そんな子よ。あなたが思っているような、強者では断じてない」
そこまでこき下ろさなくても、とも思ったが、星熊を説得するには事実よりも盛る必要があると、勝手に納得した。したが、すぐにそれは無駄だと分かる。勇義の心は分かりやすかった。"何言ってんだこいつ"と呆然としている。驚くでもなく、怒るでもなく、呆然としていたのだ。"疲れているのか? それとも頭がおかしくなったのか?"と真に受けてすらいない。彼女の中では、私が強者なのは常識で、例えば砂糖が甘いだとか、抹茶は苦いだとかと同じ扱いなのだろう。私だって、砂糖が苦いと言われたら同じ反応を見せる。つまり、説得は不可能だ。
「紫は変な奴だな」
結局、そう結論付けた星熊は、キスメの頭をガシガシと撫でた。怖かったな、でも、何か用があるんだろ? と子供を諭すように優しく語りかけている。その優しさを、少しでも私に分けてほしいものだ。
「キスメ。あなたの要件は分かりました。新入りの子に興味があるんですね?」
「なん、で」
「なんで分かったか。単純です。私はさとり妖怪だから、ですよ。それで、新入りの子でしたね。ちょっと能力がえげつないですが、まあ妖怪にはほとんど害が無いので大丈夫でしょう。性格もはつらつとした子らしいので、内気なあなたとは息が合うかもしれません。竪穴の管理が一人では大変? まあ、あそこは外界とつながってますから、確かに侵入者を防ぐという面では一人では大変かもしれませんね。なるほど。では、そこに新入りの子も配置することにします。最初は大変かもしれませんが、仲良くやって下さいね」
ひと息に言い切って、小さく息を吐く。一人で話し続けるのは私の悪い癖だ。だが、今更直すことはできない。さとり妖怪の性といってもいいだろう。ただし、あの子は違うみたいだが。
「だってよ。良かったなキスメ」
「う、うん。あ、ありがとうございました」
小さく頭を下げたキスメは、一目散に飛び立っていった。心に刻まれた恐怖が、より深さを増している。私にはもう会ってくれないかもしれない。
「勇義。この子はいつもこんな感じなの?」
「そうだな。大体こんな感じだ」
「大分会話していたように見えたけど」
「あれは会話じゃない。言葉で滅多切りにしているんだ」
源頼朝みたいだったな、と勇義は愉快げに頬を緩めた。会ったこともない源頼朝に心の中で土下座する。一緒にされてごめんなさい、これも全部八雲紫が悪いのです。
「まあ、大体この子の様子は分かったわ。付き合ってもらってありがとうね」
「本当ですよ」
「まあまあ、そうカリカリすんなって」
結局、旧都に来たにも関わらず、ものの30分で地霊殿に戻ってくることになった。途中、甘味屋の近くを通り過ぎた時に、八雲紫の袖をつかんで「寄って行きましょう」と引っ張ったのだが、また今度ね、とお茶をにごされてしまった。その時の、これだからこいつは、みたいな顔は絶対に忘れない。
星熊は他の鬼に絡まれて、具体的にはもう一人の四天王である伊吹萃香に喧嘩を仕掛けられていたため、巻き込まれないようにと置いてきた。なので、広い地霊殿の応接間には、私と八雲紫の二人っきりだ。ペットもどこかに退散しており、あの子も自室で眠っていた。
「あなた、才能あるわよ」
突然、八雲紫がそう言ってきた。
「そりゃ、私は天才ですから。何だってできます」
「面白くない冗談ね」
「地霊殿の主なのに、どうして馬鹿にされるんでしょうか」
「あなたが馬鹿だからよ」
彼女はわざわざ心を開いて、それが本心であることを示してきた。ムカつくことこの上ない。
「どんな生き物にも、どんな個体にも何かしら才能があるというけど」
「けど」
「まさかあなたに才能があるだなんて」
なんでそんな才能がない奴にこんな役職を押し付けたのか、と問いただそうとしたが、止めた。きっと、嫌われ者のリーダーは、一番嫌われている奴がやるべきだ、と思っているに違いない。
「それで、私にはどんな才能があるんですか?」
「簡単よ」
ふふ、と魅力的な笑みを浮かべた八雲紫は、また、扇子を広げた。
「嫌われる才能」
ああ、と声が零れてしまった。確かにそうだ。そもそも、さとり妖怪という時点で嫌われる運命にあるのに、さらにもまして嫌われる才能があるのだとしたら、それは、もう最強じゃないか。多分、そんな妖怪はどんな奴からも嫌われるだろう。
「八雲紫」
「なあに?」
「あなたは私のことは嫌いですか?」
「好きに決まってるじゃない」
「そうですか」
高い高い天井を見つめた。昔の洞穴だと、まともに立つこともできなかったことを考えると、大きな進歩だ。人間に闇討ちされる心配もない。食べ物にも困らない。あの子も楽しそうだしペットも可愛い。
「でも、私はあなたのことは嫌いですよ」
「可愛くないわね」
「私は可愛いですよ」
でも、どこか心に空虚さを感じる。第三の目に、ぽっかりと穴が空いてしまったかのようだ。恵まれた地位に立って、初めて気づくこともあるのかもしれない。
私のことを好きといった八雲紫が、心を閉ざしたままだったことに気づいた時、私はふとそんなことを思った。
いま、ペットの火焔猫燐が私をよんでいる。どうやら晩御飯の様だ。八雲紫は、もう帰ってしまった。広い広い応接間で、延々と日記を書き続けた私の腹は、あまり空いていない。だが、きっと家族と食べるご飯はおいしいのだろう。そう願った。
それでは、よい明日でありますように。
八雲紫は案外色んなことを考えて選んだと思います。多分。