Komeiji's Diary《完結》   作:ptagoon

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第119季2月13日 —こんなこともありましたね—

 第119季2月13日

 

 結論から言えば、今日は楽しい一日だった。美味しいものもたくさん食べられたし、仕事も少なかった。

 

 そして何より、新入りの土蜘蛛が地底にやってきたのだ。名前は黒谷ヤマメという。以前、八雲紫と話し合っていた子だ。彼女はとてもいい子だった。健気で、誰にでも優しくて、そして見ていて楽しい。地底という、ある種暴力でものを解決している世界において、彼女は唯一の良心という存在になってくれるだろう。八雲紫もそれを期待したのかもしれない。

 

 こうして日記を書いている今も、彼女のことが頭にある。最近よく人間の姿に化け始めたお燐(火焔猫燐は気に入っていないからこう呼べと言われた)に日記を書くのを妨害されているが、それも気にならないくらいには機嫌がいい。最近は、地獄烏の霊烏路空とも仲がいいらしく、二匹で私の仕事を手伝ってくれる。ありがたいのだが、あの子に「まるでブッダみたい」と言われてしまったのは気に入らない。どちらかといえば、彼女の方がペットに好かれているというのに。少しだけ、羨ましい。

 

 黒谷ヤマメに話を戻そう。彼女は八雲紫の境界によって、強制的に旧都に下ろされた。新入りが来るときは大体そうだ。きっと、地上で寝ているときに連れ込まれたのであろう。地面にそのまま寝そべっていた彼女は、ゆっくりと目を開け、辺りを見渡した。久しぶりに新入りが来るとあって、多くの妖怪が旧都に集まっていた。鬼の中には、星熊、伊吹萃香という四天王ふたりもいる。さらには竪穴の管理をしているはずのキスメも、橋姫の水橋パルスィの姿さえあった。当然、地霊殿の主である私も例外ではない。ただ、あの子は来ていない。ペットと遊んでいたらしい。

 

 体を起こしたヤマメは、自分を見つめている多種多様な妖怪たちを見て、絶望していた。目が覚めたら知らない場所にいて、自分より遥かに強い妖怪が円になって自分を見下ろしていたら、誰でも同じ反応を示すだろう。彼女は“あ、死んだ”と呆然としている。後ろに括られた金色のポニーテールを細かく揺らしながら、襲ってきませんように、と祈るように両手を組んだ。初々しい反応に、笑みがこぼれる。

 

「大丈夫、襲いませんよ。ここの連中は喧嘩は多いですが、虐めはしません」

 

 子供をあやすように、優しく語りかける。が、なぜか分からないが、黒谷ヤマメの恐怖心は収まるどころか激しさを増していった。“助けて、殺される”と何回も繰り返している。

 

「殺しませんって。そもそも、私はあなたを殺すほどの力を持ってませんし。うそ? 嘘じゃないですよ。……ああ、自己紹介がまだでしたね。私はここの管理をしている、しがないさとり妖怪です。古明地と呼んで下さい。え、なんでって。それは私が心が読めるからですよ。さとり妖怪とはそういう者です。気持ちが悪い、ですか。よく言われます。まあ、慣れているので気にしないでください。むしろ、罪悪感を抱いていて下さることに感謝します。感動を覚える程ですよ。ここの連中ったら、そんな感情とは無縁でして。ああ、ここですか。ここは地底、旧地獄です。そう、その嫌われものの集まりであってますよ。これからよろしくお願いします」

 

 ペコリ、と頭を下げて歓迎の意を示した。だが、ヤマメは恐怖心が消え去っておらず、あたふたと慌てふためいている。懇切丁寧にここは安全ということを説明したのに、何がまずかったのだろうか。

 

 御馳走でも置いておけばよかったかと首をかしげていると、後ろから見慣れた二人が近づいてきた。伊吹萃香と星熊勇儀、鬼の四天王コンビだ。

 

「おいおい古明地、いきなり新人いびりとは酷いことをするなぁ」いつものように、星熊は楽しそうに言った。

「流石は地霊殿の主」

「え、それは私が新人にいびられるってことですか?」

「どうしてお前は心が読めるくせにとんちんかんな事を言うんだい? とぼけているのか?」

「そういうな。萃香だってよくやってるじゃないか」

「まあね」

 

 この二人が話し始めたのを皮切りに、周りの妖怪がにわかに騒めき始めた。私が話しているときには、一言も手助けをしてくれなかったのに、と責任をなすりつけたくなる。その会話のほとんどが、これからヤマメとどう接したらいいんだろうか、という相談だったが、大体の鬼は、酒盛りをすれば何とかなる、と思い込んでいるようだった。これだから鬼は、と声が零れる。

 

 当のヤマメはというと、突然まわりが騒めきだし、不安な様子ではあったが、注目が自分から外れたからか、少し安堵のため息を吐いていた。

 

 この時の私は酷く困っていた。今までの新入りは、ここが地底だと分かるなり、暴れるか、逃げるかのどちらかだった。そして、ほとんどの場合、拳と拳で語り合うことになる。そして友情が育まれるのだ。これを私は“地底の妖怪は鬼になる”とよく表現する。喧嘩で友人を作るのは、鬼の専売特許だからだ。

 

 だから、今回のヤマメのような、しおらしい妖怪に対する接し方が分からなかった。こんな時に限っていない“頼りになるほう”と呼ばれているあの子は何をしているのだろうか、と考え、現実逃避していた。きっと、黒い帽子を霊烏路空に盗まれ、その肩口にかかる髪を棚引かせながら、追いかけまわしているのだろう。

 

 座り込んでいるヤマメに近づく存在に気づいたのは、その時だった。木で出来た、大きめの桶がまるで蛙のように、ぴょんぴょんと跳ねている。奇妙で、可笑しい光景だった。ヤマメも警戒すべきかどうか迷っているようで、微妙な顔をしている。

 

 その桶は、ヤマメの目の前まで来たかと思うと、一度大きく真上に跳ねた。突然の出来事に、ヤマメは目を丸くしている。“え、何これ!? ”と驚愕しているようだ。だが、私も同じように、いや、それ以上に驚いていた。あの人見知りのキスメが、あの絶望的なまでの凶暴さを隠しているキスメが、こんなことを考えるなんて、思わなかったからだ。

 

 空に飛び立った、といっても地底なので空は無いが、とにかく見えなくなるまで上に飛んだ桶は、ゆっくりと回転しながら落ちてきた。最初は不規則だった回転が、地面に近づくにつれて、一定方向に収束していき、まるでコマのように横回転を始める。回転数はますます増していき、もはやそれが桶であるかどうかも分からなくなっていた。

 

 突然、中から何かが飛び出した。私の目には緑色がちらりと見えただけだったが、ヤマメの動体視力は私よりいいらしく、女の子、と声を漏らしていた。

 

 桶から飛び出した女の子、キスメは桶より早く地面に降り立つと、着地の衝撃で埃が舞う中、どこからか一本の棒切れを取り出した。それを天高々と真上に掲げている。

 

 歓声が上がった。鬼たちが、いいぞ! と囃し立てているのだ。彼らもキスメの思惑に気がついたらしい。

 

 桶は鋭く回転したまま、真っ直ぐに落下してくる。キスメに一切の動きはない。まるで桶と棒の先に糸が張っているかのように、一直線に向かっていく。棒に桶が触れた。キスメは膝を軽く曲げ衝撃を吸収させる。棒の先には見事、桶が乗っかっている。

 

 歓声が爆発した。あちらこちらから拍手と、指笛が木霊している。キスメは、少し怖気づいたのか、辺りをきょろきょろ見渡していたが、意を決したかのように、桶を棒で小突いた。

 

 桶から沢山の花びらが舞い散った。どれも地底にはない物ばかりだ。きっと、竪穴に零れ落ちたものを、毎日拾い集めていたのだろう。色とりどりの花びらが宙を舞っているなか、桶を持ったキスメは、腰を下ろし、ヤマメと目を合わせて、手を伸ばした。

 

「ようこそ、地底へ。歓迎するよ!」

 

 一瞬かたまっていたヤマメだったが、差し出された手を見て、表情を崩した。顔をくしゃりとさせ、子供の様に歯を見せる。

 

「うん! これからよろしく!」

 また、割れるような歓声が地底を包んだ。

 

 

 

 

 

「いやぁ、やるじゃないか。キスメにそんな特技があったなんて!」

 

 キスメの大道芸の直後、すぐに宴会が始まった。どこから取り出したのか、酒や食べ物が溢れんばかりに並び、思い思いにそれを口に放り込んでいる。ただ、今回の主役であるヤマメ、そしてキスメは鬼たちに絡まれて、その酒を楽しめていなかった。

 

「ずっと隠してたなんて、水臭いぞ!」

 

 星熊が、桶に隠れようとしているキスメの体を無理矢理つかみ、酒を飲ませている様子が見えた。ヤマメがそれを楽しそうに見つめている。まあ、キスメは本心から嫌がっているが。かわいそう、とは思うが助けることはできない。私にはやるべきことがある。そう。少しでも多くの御馳走を頂かなければならないのだ。色々あり過ぎて目移りしてしまうが、急いで皿に盛りつける。無くなる前に食べておかなければ。

 

「あんなにチヤホヤされちゃって、全く妬ましいと思わない?」

 

 肉の燻製を盛り付けていると、隣にいた橋姫の水橋パルスィに声をかけられた。手には、半分ほどしか入っていない酒瓶が握られている。

 

「パルスィ。あなた酔ってますか?」

「酔ってないわ。溢れ出る嫉妬心に酔いそうだけれどね」

「ばっちし酔ってますね」

 

 よく見ると、彼女の絹のように白い肌はわずかに赤く上気している。私と同じくらい、つまり少し肩にかかるかどうかくらいに伸びた金色の髪が、汗で湿っていた。その特徴的な緑色の目を潤ませて、妬ましいと言い捨てる彼女は、どう見ても泥酔している。

 

「あんなに歓迎されているヤマメって子も妬ましいし、早速仲良くなったキスメも妬ましい。その二人に絡む勇儀も妬ましいし、それをにこやかに見ているあなたも妬ましいわ」

「え、私も妬んでいるんですか?」

「当然じゃない。いわば、あなたはここのトップなのよ。それだけで妬ましいわ」

「なら、変わります?」

「絶対に嫌」

 

 妬むならばきちんで妬んで下さいよ、と軽く肘で小突くと、だったら、妬まれるように努力しなさいと返ってきた。なぜ、そんな努力をしないといけないのか分からない。分からないので、とりあえず、皿に盛ってあった肉の燻製を口に入れた。歯を当てるだけで肉汁が溢れ出て、得も言われぬ旨味が口の中をおおった。ゆっくりと租借し、鼻から息をはく。こうばしい香りが抜けていき、思わず頬が緩んだ。

 

「ホントに美味しそうに食べるわね」

「妬ましいですか?」

「いや、そうでもないわ」

「そこは妬んで下さいよ」

「嫌よ、というか」

 

 彼女は手に持った酒瓶を持ち上げ、口元に運んだ。ぐびぐびと喉が鳴る音が聞こえる。私の知る焼酎の飲み方ではなかった。

 

「あなた、心が読めるんだったら、私が妬んでいるかどうかなんて分かるんじゃないの?」

「いいんですか?」

「いいって何が」

「心を読んでも」

 

 あ、と声を漏らし、今のは無かったことにして、と慌てている橋姫を無視し、第三の目を彼女に向けた。必死に顔の前で手をバタバタと振っているが、そんなことをしても意味はない。

 

「ふむ。別にそんなに隠さなくてもいいじゃないですか。キスメに親しい友人が少ないことを気にしていたから、ヤマメと触れ合ってくれて安心していると。まるで母親みたいですね」

「止めて」

「新入りの子が真面目ときいて、地底になじめるか不安だったけど、大丈夫そうで私もうれしい、ですか」

「止めて」

「ただ、勇儀を取られるのは妬ま」

「止めてって!」

 

 彼女は手に持っていた酒瓶を強引に私の口に突っ込んだ。喉が焼けるように熱くなり、むせる。上等なはずの焼酎の味は、もはや分からなかった。

 

 息が苦しくなり、頭がくらくらする。目の前で、まったく妬ましいわ、とにこやかにこちらを見てくる橋姫が二人いるように見えた。その時の私は、そういえば彼女は分身ができたな、とのんびりと考えていた。

 

「いやぁ、やっぱりパルスィは優しいですね。嫉妬という感情は羨望と表裏一体ですから。嫉妬したいということは、相手に幸せになってもらいたいってことでしょうか」

「そ、そんな訳ないでしょ。なに? お酒が足りなかったの?」

「いやあ、幸せですねぇ」

 

 この時の私は、酷くお酒に酔っていた。当然、記憶もあいまいで、その時には自分は酔っていないと頑なに信じていた。だが、とある理由で鮮明にこの時の記憶を突きつけられることとなる。これは、後で話そう。

 

 とにかく、たくさんの御馳走と心地良い酔いに包まれた私は幸福感に包まれていた。だからだろうか。普段は言わないであろうことも、口からポンポンと零れ出る。それこそ、地底に来る前のように。

 

「いつも橋姫には感謝してるんですよ」

「橋姫って。突然どうしたの? 悪寒が凄いわ」

「そんなの、心を読めばいいじゃないですかー」

 

 読めるわけがないじゃない、とぶっきらぼうに突き放した橋姫だったが、その心には困惑と、心配と、少しの嫉妬が入り混じっていた。それが堪らなく嬉しくて、また同じ言葉を繰り返す。感謝してますよー、と春告精のように何度も何度も言った。

 

「ちょ、ちょっと待って。酔い過ぎじゃない? もしかして下戸だったの?」

「ゲコゲコー。なんてね!」

「ええええ、これが地底の管理者の本性なの? 演技? いつもあんなに恐ろしいのに」

「そうですか? いつもこんな感じだと思いますけど」

「そんなこと無いわ。いつもは、こう。妬ましいほどに陰険で、暴虐で、いかにも“これからあなたの心を蹂躙します”って感じだったわよ。心を読まれるってだけでも嫌悪感が半端ないのに、そんな雰囲気を醸し出しているなんて、本当に妬ましいわ」

「わたしぃ、誰かの心を蹂躙したことなんてありましたっけ」

「むしろしてない時が無いわよ」

 まじですか! と大声で叫ぶと、またもや橋姫はえええ、と目を丸くした。一体どうしてそんなに驚いているのだろうか。

「どうした古明地、そんなに大きな声を出して」

「勇儀! いいところに」

「本当にどうしたんだよ」

 

 キスメとヤマメを解放したらしい星熊は、酒瓶をこれでもかと抱えて、私たちの隣に腰を構えた。かなり酒臭いが、あまり酔っているようには見えない。

 

「古明地が酔っちゃって大変なの」

「酔った? 古明地が?」

 酒を飲みながら笑うという器用なことをしながら、星熊は橋姫の背中を軽く叩いた。

「そいつはまずいな」

「でしょ」

「地底が滅ぶかもしれん」

「どういう意味ですか」

 

 たまらず聞き返す。なぜ私が酔うと地底が滅ぶのですか、そもそも私は酔ってませんよ、と早口で詰問するも、返ってきたのは豪快な笑い声だけだった。

 

「だってよ、お前みたいな妖怪の天敵のようなやつが暴れ出してみろ。この私ですら止められるか分からん」

「そうね。私もそう思う」

「無理ですって。私は猿にも勝てないか弱いさとり妖怪ですよ」

 

 まただ、と思った。もはや驚きすらしない。星熊をはじめとする地底連中はなぜか私を過度に恐れる。一時期は、いつものように嫌われているだけだと思っていたが、状況はそれよりも酷いものだった。嫌われ、恐れられている。私と極力会いたくないどころか、会ったら心臓が止まりそうになった、と腹の底で思っている奴も少なくない。

 

「はぁ、過度な謙遜は皮肉と同じよ。全く妬ましいわ」

「そうだぞ、強者なら私みたいに堂々としていろよ」

「勇儀はもう少し大人しくした方がいいと思う」

「なんだと!」

 

 言い合いを始めた二人を肴に、星熊が持ってきた酒を手繰り寄せた。なんだか、酒を飲んでないとやってられない。そんな気分になっていた。先程の橋姫のように、ぐびぐびと飲む。

 

「星熊さん」

「うぉ、何だ急に。星熊だなんて久しく呼ばれてないぞ」

「いつもありがとうございます」

「本当にどうした急に!」

 

 なにか企んでいるのか、と肩を大きく揺さぶられる。失礼この上ないが、本心から言っているのが分かるので、呆れるしかなかった。

 

「私、知ってるんですよ」

「知ってるって何を」

「星熊さんは豪傑ではあるけれど、その実友人に対しては繊細なまでに気を使っているってことを、ですよ。例えば、“パルスィは嫉妬を活力としているんだったら、なんか自慢話でも考えておくか”みたいな感じで」

「おいこら」

「はぁ……。少しはその優しさを私にもくれればいいのに」

「いや、それは無理だ」

 

 そう断言されることは分かっていた。“こいつには隙をみせてはいけない” 強迫観念ともいえるまでの思い込みが、常に頭の片隅に付きまとっている。これも地底の住民全て、橋姫にすらいえることだった。

 

「いったい私が何をしたんですかねー」

 

 ねー、と星熊に顔を近づける。が、思ったよりも平衡感覚が定まらず、足元がふらつき、そのまま星熊に向かって倒れ込んでしまった。

 

「おっと」

 

 私を受け止めた星熊は、一瞬だけ恐怖で体を固まらせたが、しっかりと私を受け止めた。あまりにも無防備な私の姿を見て、かなり困惑している。“まぁ、私たちも酒で痛い目にあったから、人のことは言えないか”と勝手に納得していた。

 

「意外に柔らかくて心地いいですねー」

「お、おい。暴れんな」

 

 体を普段のお燐のように回転させるようにして擦り付ける。そのたびに星熊は慌て、橋姫に助けを求めた。“こいつ、本当に古明地か? ”と疑ってすらいた。

 

「地霊殿の主の知られざる本心、ってやつかしら」

「信じらんねえな。いつもはずっと殺気だっているってのに」

「もしかすると、私たちは彼女を誤解していたのかもしれないわね」

 

 そうだな、と朗らかに笑った星熊の腕の中で、私の意識は途絶えようとしていた。目がまどろみ、闇の中へ落ちていく。

 

「ただ、こいつが恐ろしくて嫌いな奴ってのに変わりはない」

「そうね」

 

 ああ、これも本心からの言葉だな。そう認識したとき、私は完全に正気を手放した。

 

 

 

 目が覚めると、地霊殿の自室のベッドに寝かされていた。ズキズキと痛む頭をさすりながら、いつの間に帰ってきたのかを思い出そうとするが、上手くいかない。

 

「大丈夫?」

 

 頭上から声がした。可愛らしい聞き慣れた声だ。答えるために身体を起こそうとするも、吐き気がして、途中でベッドに倒れ込んだ。

 

「もう、あんなにお酒を飲むからだよ」

 

 ほら、口を開けて、と水差しを私の口にあてがってくれる。“ペットのみんなも心配してたんだよ”と口に出さず心で教えてくれた。

 

「ベッドで眠っているのを円で囲うようにして寄り添っていたから、まるでブッダみたいだった」

「止めて。ブッダに殺されちゃいます」

「大丈夫だって、仏は三回までならなんでも許してくれるから」

 

 適当なことをいった彼女は、おもむろに第三の目を私に向けた。何をするつもりなのかと訊こうとして、止める。彼女が何をするかなど、心を読めば分かるからだ。もっといえば、今の彼女であれば、心を読むまでもなく、分かってしまうが。

 

「『地霊殿の主に会わせてほしい』ってお客さんが来てるよ。今は応接間で待ってもらってる」

 

 “でも、お酒で記憶がとんでるみたいだから戻してあげるよ。話が合わないと大変だし”

 

 なんて優しいんだ! と感動していたが、今思うと無理にでも彼女を止めるべきだった。相手の話に合わせることは、私たちさとり妖怪の得意とすることであったし、別に私の記憶がなかろうが、相手の心を読めば問題なかった。

 

 それよりも、【酒の席でのやらかし】を思い出すこと、そしてそれを家族に見られることの羞恥の方が問題だった。

 

 ゆっくりと、記憶の箱が開かれ、そこから波が押し寄せるように、自分の行動が鮮明に思い出されていく。途中、何度かこらえきれずに吹き出す声が聞こえたが、意図的に無視をした。自分の顔が赤くなっていくのが分かる。

 

「あ、ありがとう。もう大丈夫です。本当に」

「えー、あと少し」

「十分です!」

 

 くすくすと、口の中で転がすような笑い声を尻目に、逃げ出すようにして部屋をでる。二日酔いはもはや消え去っていた。

 

 

 応接間にいたのは今日の主役二人だった。ヤマメはともかく、キスメと直接話すことはないだろうと思っていたので、少なくない衝撃を受ける。

 

「あ、あの!」

 

 ソファに座っていたヤマメが私を見た途端に勢いよく立ち上がった。言葉を発したいが、なかなか出てこないのか口をパクパクとさせている。足はガクガクと震え、肩は小刻みに揺れていた。

 

 正直に言えば、この時点で彼女たちが何のために来たのかは分かっていた。分かってはいたが、言わなかった。

 

 頑張れ、と呟いたキスメの声に小さく頷いたヤマメは大きく息を吸った。よし、と自分を鼓舞するように声を出して、勢いよく頭を下げた。

 

「あの、さっきは失礼なことをいってごめんなさい!」

 

 誰かに頭を下げられたのなんて、いつぶりだろうか。あまりにも慣れていなかったので、つられて頭を下げてしまった。彼女が謝ってくると分かっていたのに、だ。

 

「あの時はちょっと混乱してて、その、これから地底のみんなと仲良くなっていくので、これからよろしくお願いします!」

 

 なんていい子なんだろうか。地上でも見たことがないくらいに優しくて、純粋な子だ。どうしてこんな子が地底に来ることになったのか。世の中の理不尽を嘆きたくなるほどだ。

 

「いえ、こちらこそお願いします。あなたのような妖怪は地底では珍しいので。キスメと一緒に竪穴の管理をお願いしますね。期待しています」

「はい !」

 

 元気に返事をした彼女の唇は、まだ震えていた。私に対する嫌悪感は消えていないのだろう。ただ、感情というものは単純ではない。地底の誰もが私に対する嫌悪感を持っているが、それでも星熊や橋姫のように話しかけてくれる者もいるのだ。彼女もそうなってくれるだろうか。もしかして、キスメも。

 

「キスメもよろしくね」

「ひっ!!」

 

 声をかけた途端、桶に引っ込んだキスメは一目散に部屋の外へと飛び出していった。やっぱり、そう上手くはいかないか。まってよー、とヤマメがぴょこぴょこと跳ねる桶を追っていく。だが、扉を開けた瞬間、思い出したかのようにこちらに振り返り、深々とおじぎをした。

 自然と頬が緩む。ヤマメが見ているか分からないが、大きく手をぶんぶんと振った。やっぱりヤマメはいい子だ。

 

 私の日記の妨害に飽きたお燐が、人間の姿となって私の書物を荒らし始めた。さすがにこれ以上は見ていられないので止めなければならない。ごはんだよー、という声が聞こえるが、残念ながらもう満腹だ。私の分もお燐に食べてもらおう。

 

 それでは、よい明日でありますように。

 

 

 

 




酒を飲むと本心がでるといいますよね

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