Komeiji's Diary《完結》   作:ptagoon

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第119季2月20日 —流石にこの日は忘れません―

 第119季2月20日

 

 地上では、例年以上の大寒波が襲ってきていて、人間も妖怪も中々に大変らしいが、ここ地底は一年を通して暑い。それは地上が大変な今でも変わりはなく、床暖房完備という無駄な機能をもった地霊殿ではキンキンに冷えた水が必需品だった。もっとも、ペット達はこの暖かさは気に入っているようだったが。

 

 なぜ、いきなり気温の話をしたかといえば、何も会話のネタに天気の話がうってつけだと聞いたからではない。確かに、地底の皆に嫌われている現状をどうにかしたい、と八雲紫に相談したところ、「天気の話でもすればいいんじゃない?」と雑な返事が返ってきて、そんなものか、と納得したが、今回の話とは何の関係もない。

 

 今日の早朝、目が覚めた私は体の違和感に気がついた。頭がぼぅとして思考がまとまらない。それどころか、思ったように体をコントロールすることすらできなかった。二日酔いかとも思ったが、昨日酒を飲んだ覚えはない。

 

 強い倦怠感に堪え、なんとか小柄な自分には不相応なほど大きいベッドから抜け出す。だが、ふらつく二本の足ではうまくバランスを取ることができず、その場に倒れ込んでしまった。

 

 助けを呼ぼうとするも、上手く口が動かない。ならばと心の中でSOSを叫ぶも、それでも助けは来なかった。

 

 ああ、私はこんなところで死ぬのか、と半ば諦めかけていると、救世主が部屋に入ってきた。ペットの内の一匹、地獄烏の霊烏路空だ。

 

「おーい、朝ごはんだって、って死んでる!?」

 

 勝手に殺さないでほしい、と思いつつも口に出す元気は残っていない。ただ、幸運なことに人間の姿に化けている彼女なら私を運ぶことはできるだろう。そうすれば、何とかなるはずだ。

 

「えっと、えっと、まずはどうしよう」

 

 慌てふためいていた彼女であったが、あ! と大きな声を出し、とてとてとこちらに駆け寄ってきた。運んでくれるかと思ったが、そのえげつない思惑を覚り、悲鳴を上げたくなる。

 

 私の体をひっくり返して仰向けにさせた彼女は、自分の手を祈るように重ねて、私の胸に優しく置いた。心音を確認するようにゆっくりと手の位置を調整している。やめて、と息を振り絞ったが、聞こえている様子はなかった。

 

「たしか倒れている人妖がいたら、心臓マッサージをすればいいんだったっけ」

 

 彼女の全体重が私の胸に突き刺さり、肋骨がボキボキと悲鳴をあげる。鈍い痛みが体を襲った。私の呻き声が聞こえていないのか、彼女は躊躇なくまた体重をかけてくる。痛みで脳が麻痺し、何も考えることができない。

 

 ああ、私の妖生はペットに殺されて終わるのか。痺れる頭のなか、せめて最後に餡蜜が食べたかったなあ、と考えているうちに意識は暗闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「妖怪が熱中症だなんて、聞いたことがないよ」

 

 頭上に乗せられた氷袋を落とさないように、ゆっくりと頭を動かす。心配そうに見つめる第三の目が、顔のすぐ近くにあった。

 心臓マッサージをされて死にそうになっている私は、お燐によって発見された。いまだ私の肋骨を折ろうとしている霊烏路空を宥め、三つ編みの髪を揺らしながら必死に医務室に運んでくれたのだ。

 

「いや、死ぬかと思いましたよ」

「熱中症で地底の主が死んだら面白かったね」

「面白くはないです」

「面白いよ。同士討ちで死ぬくらい面白い」

「同士討ち?」

「この前よんだ本であったの。人間が洗脳されて、仲間同士で殺し合いさせるやつ。敵の“操られていたとはいえ、こいつはお前がやったんだ”って台詞がよくてさー」

「悪趣味です」

 

 というか、実際に死にそうになったのは霊烏路空の心臓マッサージのせいだったのですが、そんな感じのことを心を通して伝えると、彼女はああ、と納得するように頷いた。

 

「それ、お空は悪くないよ。普通だれか倒れてたらやるでしょ」

「心臓マッサージを?」

「そう、心臓マッサージ。常識でしょ?」

 

 そんな常識は知らなかったし、知りたくもなかった。そんな常識のせいで、私の可愛い肋骨は危うく折れそうになったのだ。

 

「いやー、私の『命を救おう! 救命講座』も無駄じゃなかったんだなー」

「何やってるんですか」

 

 頭が痛いのは、熱中症のせいだけではないだろう。基本的に自由奔放な彼女だが、まさかペットたちに救命講座をしているとは思わなかった。体の強い妖怪に、そんなことを使うべき時があるのだろうか。

 

 "私たちは体が強くないから、必要でしょ"

 

 なぜか得意げに鼻を鳴らしている彼女に向かい、分かりやすくため息を吐く。どうして彼女が"頼りになるほう"と呼ばれているか、分からなくなってきた。

 

「どうせ教えるなら、助けの求め方とかにしてください」

「えー、分かったよ」

 

 絶対に分かっていないことが、私には分かった。

 

 

「古明地姉妹が二人で外出なんて、明日は雪でも降るんじゃないかい?」手に持った瓢箪を口に運びながら、伊吹萃香は言った。

 

 新しく入った子の働きぶりが見てみたい! そう言って、とてとてと走り去っていく困ったちゃんを追いかけているうちに旧都にまで来てしまっていた。これでは、姉妹と言うよりも母娘だ。ただ、私もヤマメの様子を確認しておきたかったし、熱中症の病み上がりであったため一人で行くのも不安ではあった。もしかすると、彼女はそういった私の心を読み取ったのかもしれない。

 

 ただ、旧都で伊吹萃香に出会ったのは予想外だった。鬼の四天王の一人である彼女は、その私と同じか、それよりも低い小柄な体を大の字に広げ、地面に横たわっていた。茶色の長い髪は砂まみれになっていて、頭に生えた大きな二本の角は、呼吸して体が動くたびにカツンと音を立て、地面とぶつかっている。

 

「あー、萃香が倒れてるー」

 

 なんとか無視できないかと思考を巡らせていた私であったが、その努力は水泡に帰した。気づけば、何時のまにか萃香に寄り添って、確かめるように彼女の体にさわっている。

 

「萃香も熱中症かな?」

「いえ、ただ酒に溺れているだけでしょう」

 

 だから放置して早く竪穴に行かないと、そう心で訴えるも、彼女は聞こえていないのか、それとも聞く気が無いのか、おもむろに伊吹萃香の胸に手を置いた。よいしょ、と肩を上げ少し腰を浮かしている。

 

「倒れている人妖がいたら、まず心臓マッサージをしないとね」

 

 ちょっと待って! と私が叫ぶのと、彼女の手に体重が加わるのは同時だった。痛ったい! と叫ぶ声が聞こえる。ああ、私たちはついに鬼の逆鱗に触れてしまうのか。土下座したら許してくれないかな、そう考えていたが、悲鳴をあげて、辛そうな顔をしているのは、心臓マッサージを施そうとしたやぶ医者の方だった。

 

「萃香の胸凄いよ。もうカチコチ。手をねんざするかと思った」

「それは鬼だからでしょう。鬼の体は鋼のように硬い」

「でも、勇義の胸は柔らかかった」

「それ以上は止めましょう」

 

 純粋な心は時に人を傷つける。伊吹萃香が自身の体について特に劣等感を抱いているとは思えないし、姿を自由自在に、それこそ山のように巨大化させたり、霧のように実体のないものにすら変身できる彼女にとっては関係のない話だろうが、火種は極力撒かない方がいい。それが私たちの生きる道だ。

 

「うーん? 誰の胸が硬いって?」

「あ、おはよう萃香」

 

 ただ、一度撒いた火種が回収できないということも忘れてはいけない。

 

「いえ、やっぱり鬼の体は強靭だな、と思いまして」

「当たり前だろ」

 伊吹萃香はカチコチの胸を張った。

「私たち鬼はそこんじょそこらの雑魚とは違うんでねぇ。というか、さっき私の体にさわってただろう? 何をしようとしてたんだい?」

「あ、それは」

「心臓マッサージだよー」

 

 伊吹萃香の心に疑惑が満ちていく。"何だよ心臓マッサージって"と訝しんでいた。そう、それが普通の反応ですよね、と思わず同調したくなる。

 

「心臓マッサージっていうのは、死にそうな人妖にやったら、もしかしたら助かるかもしれない救命方法だよー。胸の辺りを軽く押すの」

「そんなんで生き返ったら苦労しなくないか?」

「コツがいるんだってー」

 

 鬼が心臓マッサージをやったら、確実に胸が潰れて死んでしまう。倒れている自分の胸に手を置く伊吹萃香の姿を想像した。恐ろしい。だが、私が死にそうになっている中、伊吹萃香が必死になって心臓マッサージをしてくれるとは思わなかった。

 

 ふーん、と生返事をした伊吹萃香は、ところでと話を変えてきた。彼女の心に明確な目標が立っていることを覚る。私たちから聞き出したい情報があり、それはまた何とも言えないものだった。にやけそうになる顔を何とか引き締める。

 

「古明地姉妹が二人で外出なんて、明日は雪でも降るんじゃないかい?」

「地底で、ですか」

「地底でも雪が降るかもしれないだろ」

 

 八雲紫と伊吹萃香は親交があったらしいという話を思い出した。なるほど、もしかすると彼女も困ったら天気の話をすればいいと言われていたのかもしれない。にしても、雪はふらないが。

 

「えー、雪は降らないでしょ」

「じゃあ、何が降ると言うんだい?」

「そんなの、分かるわけないよ」

 

 ニヤニヤと笑いながら、彼女は第三の目をくるくると回した。どうして鬼に挑発的な態度をとれるのか、不思議で仕方がない。感心するほどだ。

 

「まあ、何も降ってこないならそれでいいんだ。それで、姉妹水入らずでこれからどこへ行くんだい?」

 

 察しがついているだろうに、伊吹萃香は訊ねてきた。心なしか少し声が上ずっているように聞こえる。いつも豪快な鬼にしては、珍しく遠まわしだ。照れ隠しなのか、それとも鬼として彼女は異端なのか、いずれにせよ、口元の笑みを隠すことが難しくなってきた。

 

「竪穴に行くんですよ。ヤマメの仕事ぶりを見てくるんです」

「へー」

 

 興味がなさそうな顔をして、少し顔を逸らした。あまりにも分かりやすすぎる。霧という不定形の形をとれば、私たちの読心の能力が及ばないことは分かっているはずなのに、それでも彼女は普段の姿で質問してくる。それが面白くて仕方がない。

 

「まあ、ヤマメなら心配することはないと思いますが」

「まあ、あの土蜘蛛はなかなかに良い奴だしねぇ」

「ええ」

「ヤマメって子は、そんなにいい子なの?」

「私が思う限り、地底で二番目にいい子です」

「いちばんは?」

「私です」

 それはない、と二人が声を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

「ヤマメって子、かなり好かれてるんだね」

「ええ」

 

 伊吹萃香と別れた(振り切ったと言ってもいい)私たちは、無事竪穴へとたどり着いていた。どんなに見上げても先が見えないほど長いこの竪穴は、地上への入口へとなっている。そのため、地底に封じられた妖怪が逃げ出したり、地上のものが迷い込んだりするのを防ぐ必要があるのだ。だから、本来地底に封印された側のヤマメが警護するのは少し問題があったが、ヤマメなら逃走なんてしないだろう、と誰もが思っているのも事実だった。

 

「でも、萃香がヤマメにあそこまで好意的とは思わなかったなあ」

「私もです」

「もっと、喧嘩が強い奴のことを気に入ると思ってた」

 

 先程の、伊吹萃香のことを思い浮かべる。彼女が私たち二人を見た時、真っ先に浮かんだのがヤマメのことだった。"もしかして、この二人はヤマメに何らかの罰を与えようとしているのではないか"そんな疑惑が浮かんでいた。だから、彼女は私たちの目的を探ったのだ。いったい彼女がヤマメのどこを気に入ったかは分からない。おそらく本人も分かっていないだろう。だが、ヤマメのことを無意識に気に掛けるくらいには好意的のようだった。少し過保護だとは思うが。

 

「ますますヤマメって子に会いたくなってきたなー」

 

 竪穴の壁から生えている無数の鍾乳石を避けながら、ゆっくりと竪穴を進んでいく。熱い地底と寒い地上で温度差があるからか、全体的に霜が降りてきて、うっすらと視界が白く霞んでいた。だからだろうか、なかなかヤマメとキスメの姿が見当たらない。

 

「ねえ、気がついてる?」

 突然後ろから話しかけられたものだから、驚き、その場でふらついた。未だに飛ぶのはなかなか慣れない。

「気がついているって何がですか?」

「何もかも」

 そんな曖昧な事を言われても分かるわけがない。心を読んでも一緒だ。"本当に分からないの?"といわれても、困る。

「分からないなら、いいや」

 

 くるりとその場で一回転してみせた彼女は、楽しそうに鼻歌を歌い始めた。自分も真似しようと思ったが、普通に墜落しそうになり、止めた。

 

 何かが落ちてきたのはその時だった。私よりも大きな物体が勢いよくすぐそばを猛スピードで落下していった。遅れて、鈍い音が底の方から聞こえる。岩だろうか。にしては、不自然なほどに落下速度が速い。

 

「いま、何が落ちていったのか分かりますか?」

「え、何か落ちてきたの?」

 

 他のことに気を取られていたのか、彼女は落ちていったものについて気がついていなかった。衝突しなくてよかったと、心から思う。

 

「一応、確認しに行きましょう」

 

 えー、と不満を漏らす彼女を無視して勢いよく底へと向かっていく。嫌な予感がした。背筋に冷たい汗が流れる。お願いだから、気のせいであってくれと願うが、大抵こういう予感は当たってしまうのだ。

 

 何分降りたのか分からないが、気がついたら足に地面がついていた。遮二無二下ってきたから、時間の感覚が曖昧だ。ただ、そんなことを吹き飛ばすくらいに衝撃的な光景がそこには広がっていた。

 

「いや、びっくりだね」

 近づいていった彼女は、口元に手を当てて驚いている。

「雪は降らないと思ったけど、まさか」

 うつ伏せに倒れていたそれを仰向けにひっくり返した。と、さらに酷い現状が目に入り、思わず小さく悲鳴をあげてしまう。

「まさか蜘蛛が落ちてくるなんてね」

 血まみれで倒れているヤマメの姿が、そこにはあった。

 




心臓マッサージ、常識ですよね?

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