Komeiji's Diary《完結》   作:ptagoon

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第119季3月20日—終わりの始まりだったのですね―

 第119季3月20日

 

 運命っていったい何だろうか。きっと、この質問をされたら、以前の私は笑ってしまう。何を生娘のようなことをいっているんだ。自分に酔っていて恥ずかしい。そのセリフはくさすぎる。まだドリアンの方がましだ。だってドリアンはおいしいけど、その質問は青臭いだけだから、と。だが、実際に今日この質問をされた時、私は何も言うことができなかった。真面目に返答をすることも、馬鹿なことだと嘲笑することも、ユーモアがありますねと笑い飛ばすこともできなかった。だが、いったい誰がそれを責められるだろうか。あの時の彼女に何か言葉をかけてやることができたら、誰かが救われただろうか。それはない。絶対に。なぜなら今回の件で救われなかったのは、おそらく私だけなのだろうから。

 

 奇しくも今日はヤマメが地霊殿を去る、いわば退院する日だった。寂しがるペット達に笑顔を振りまきながら、また来るから、と去っていく彼女の背中は、どこか小さく見える。いつものように扉の前で振り返り、ぺこりとお辞儀をしたヤマメの眉はハの字に下がっていた。心をよむまでもなく、キスメのことを考えているのだと分かる。どうしてお見舞いに来なかったのか、不安がっている。だが、それでもキスメを疑っているわけではなかった。

 

 "嫌われちゃったかな。仕事、ひとりで任せちゃって、申し訳ないな"

 

 頭の中で、なんて謝ろうか、お土産に菓子折りでも持っていこうかと考えているほどだ。お人好しにもほどがある。かえって怖いくらいだ。そんなに人を信用していると、いざ裏切られた時、取り返しがつかないくらい心に傷が刻まれるのではないか。そんな疑念が浮かんだ。そして、残念なことにそれは今日現実となってしまったのだ。

 

 ヤマメを見送った後、優雅に書斎でティータイムを嗜んでいたところ、地霊殿に招かれざる客が入ってきた。八雲紫でも、星熊勇儀でもない。もっといえば名前すら最早ない彼らが突然部屋に来たのだ。驚きのあまり紅茶をふき出しても、何もおかしくないだろう。そのせいでこの日記に染みができてしまったとしても。

 

 地霊殿にやって来たのは怨霊だった。死してなお、責め苦を受け続ける悪しき魂。そういうと少しかっこよく聞こえるが、要するに成仏すらできなかった悪人の成れの果てだ。そんな奴らが地霊殿にやって来たのは初めてだった。確かに地底では、旧地獄ということもあり、怨霊など見慣れたものなのかもしれないが、私はほとんど見かけたことがない。なぜか。嫌われているからだ。怨霊にすら嫌われるとなると、逆に誇ってもいいかもしれない。

 

 そんな怨霊が、地霊殿にやって来た。それも一匹二匹ではない。蟻が列をなすように大量に入ってきたのだ。壁をすり抜け、口が緩んだロケット風船のように天井をビュンビュンと飛び回っている。彼らの悲痛な心の叫びがきこえ、鬱陶しい。確か、怨霊の管理はお燐に一任していたはずだ。真面目な彼女が職務を放棄したとは思えないから、きっと何かしら事情があるのだろう。だからといって、これほどまでの怨霊が部屋にいては、たまったものではない。仕方がない。外に出るのは億劫だが、お燐に会いに行こう。そして主人らしく叱ってやるのだ。確か、猫のしつけには霧吹きが有効だと八雲紫が言っていた。火車に霧吹きが効くとは思わなかったが、念のため懐にしまう。

 

 椅子から立ち上がり、歩きはじめようとした瞬間、縦横無尽に飛び回っていた怨霊たちが動きを止めた。ピクリピクリと痙攣するように震え、一度大きくぷゆんと揺れたかと思えば、示し合わせたかのように、一斉に動き始めた。統率のとれた軍隊のように、きびきびとした動きで、私と扉との間から一瞬で離れる。まるで海を割るモーセになった気分だ。

「もしかして、怨霊も霧吹きが苦手なのでしょうか」

 そんな訳ないじゃん、と言われた気がした。

 

 

 

 

 

「緊急事態ですよ! 助けてください」

 

 やっとのことで見つけ出したお燐は、深刻な表情でそう叫んだ。地霊殿を出て、地底中を探し回っても、なかなか彼女は見つからず、結局いちばん最後に向かった旧都の入り口付近で見つけた。ひどく怯えている彼女は、体をこれでもかと丸め、小さくカタカタと震えていた。私を見つけるなり、“やっときてくれた!”と安堵のため息を吐いていたため、とりあえず何があったかを聞く前に、霧吹きを顔に吹き付けた。グミャ~、と変な叫び声を上げた彼女は、こんなことしている場合じゃないですよ! と憤慨し、私を責めた。どうやら八雲紫の情報は当てにならないらしい。

「いったい何があったんですか?」

「口で説明する時間もないので、はやく心を読んでください!」

 

 焦りながら、旧都の中心へと私を引っ張っていく彼女の心は恐怖に包まれていた。“やばい、キスメが殺される”としきりに悲鳴をあげている。つられて、私も悲鳴を上げたくなった。 

 

 キスメのことがばれてしまった! 

 

 なぜばれたか、キスメはまだ無事なのか、ヤマメにこの事実は知られてしまったのか。様々な疑問が頭の中を駆け巡る。恐れていた最悪の事態が起きてしまった。「どうしてもっとはやく伝えてくれないのよ!」お燐は悪くないと分かっていながら、つい責めるような口調になってしまう。

 

「すぐ助けを求めましたよ! この前の『助けの求め方講座』で教わったとおりに」

「はい?」

「この前、地霊殿でやってたんですよ。“面倒くさがりな人は普通に助けを求めても出てこないんだよね-。だったら、その人を困らせるようなことをすればいいんだよ”って」

「あの馬鹿!」

 

 口は災いの元という言葉をこれほど実感したことはなかった。これからは地霊殿でペットに講座を開くことを禁止しようと心に決める。結局不利益を被るのは、いつだって私なのだ。

 

 今後、怨霊を使って呼ぶのは禁止だ、とお燐に伝えると、「分かりました! ご主人様にしか使いません!」と返ってきた。何も分かっていないので、もう一度霧吹きを顔に吹き付ける。あと、そのご主人様も止めてほしい。きっと八雲紫に盛大に勘違いされる。

 

「何とか言ったらどうだ!」

 

 下らない会話は終わりとばかりに、旧都の奥から星熊の猛烈な叫び声が聞こえてきた。思わず、舌打ちしてしまう。よりによって星熊か。これは間違いなく骨が折れることだろう。もちろん、物理的にだ。

 

 声の方に向かっていくと、人だかりができているのが見えた。誰もが殺気立っているからか、心なしか彼らの上に白い湯気が漂っているように見える。正直、あれを仲裁にいくのは気が引けるが、やるしかない。腐っても、地霊殿の主なのだから。

 

「一体、何の騒ぎですか?」

 彼らの心を読み、私の声が頭に響く適切なタイミングで声を張った。少し裏返ってしまったが、きちんと彼らには伝わったようで、私に視線が集まる。

「おう、古明地じゃねぇか」

 遅かったな、とまるで甘味屋で待ち合わせをしていたかのような気軽さで、星熊は右手を挙げた。「もう始まってるぞ」

「始まってるって、何がです?」

「見たら分かるだろ。エンディングだよエンディング。犯人を見つけたんだ」

 

 星熊の後ろをのぞき込むと、一つの桶がぽつんと置いてあった。中でキスメが顔を青白くして震えている。第三の目を向けて、キスメの心をよんだ。よんで、すぐに目を背ける。そして後悔した。こんな事があっていいのだろうか、と絶望する。なるほど、真実はそういうことか、と頭では分かったものの、こんな現実は受け入れたくない、と心が叫んでいる。

 

「すこし、落ち着いてください。なんでキスメが犯人だと分かったんですか」

「なんでって、こいつが嘘を吐いたんだよ」

「嘘?」

「そうだ。ヤマメが怪我してから全然キスメを見なかったから、心配になって探したんだ。そしたら井戸ん中に隠れててよ。なんでそんな所に隠れてんのか、もしかしてヤマメについてやましいことでもあんのかって聞いたんだよ。そしたら」

「あ、心をよんだんでもういいです」

 あー、そうかい。と抑揚のない声で星熊は言った。

 

 キスメは嘘を吐いた。確かにそれは事実だ。そしてキスメがヤマメに負い目がある。これも事実だ。でも、だからといって彼女が袋叩きにあってもいいか。答えは決まっている。

 

「それで、今キスメを問い詰めていた、ということですか」

「ああ。でも、もう必要ないな。古明地が来たなら、隠し事もできないだろ」

 

 小さな桶がビクンと震えた。中のキスメがひょこりと顔を出す。“ごめんなさいごめんなさいごめんなさい”誰に謝っているか知らないが、延々と同じ言葉を繰り返している。このままでは、彼女の心が壊れてしまうだろう。その前に、何とかしなければ。

 

「結論から言えば、ヤマメが落下したのはキスメのせいといえます」

「やっぱりか」

「ただ、キスメが悪いか、といえばそうとも言い切れません」

 

 私は必死に頭を動かす。針のむしろとなっている彼女は、実はそこまで悪くないということを、伝えなければならない。

 

「あれは事故だった。そうですね?」

 はぁ? と星熊が眉をひそめるのと、キスメが桶から驚くように飛び出すのは同時だった。そんなにキスメが驚くと思っていなかったので、少し面食らう。

「古明地、嘘はよくねぇよ」蔑むように、まわりの鬼たちが睨んでくる。あまりの恐怖で手に力が入り、隣にいたお燐の尻尾を強く握りしめてしまったが、表情には出さずにすんだ。

 

「嘘じゃないですよ。ほら、ヤマメの歓迎会おぼえてますか?」

「そりゃあ覚えてるけどよ」

 

 それがどうかしたか? と星熊は首をひねった。内心で小さくガッツポーズをする。話を聞く姿勢もなく、いいからキスメを処罰しようと言い出すことも否定できなかった。それに比べると、星熊の姿勢はまだ柔らかい。キスメを“敵”とはまだ認めていない。いや、認めたくないのだ。

 

「そのとき、キスメが隠し芸をやったのも」

「ああ、覚えてる」

「あれです」

「は?」

「あの大道芸は、一度桶をかなりの高さまで飛翔させますよね。しかも凄い回転した桶を。それを竪穴で練習していたんですよ。まあ、仕事をさぼるなと言いたいところですけど、問題はそこじゃないです。それで、いつものように桶を飛ばしたキスメだったんですが、新入りのキスメが竪穴の壁に糸を張っているのを忘れていたんです。それで」

「それで桶が糸を切り裂いた、と」

「そうです」

「そんな馬鹿なことがあるわけないだろ」

 

 実際、そんな馬鹿なことがあるわけなかった。キスメはそんな事故ではなく、きちんと自分の意思で、彼女の糸を切った。まさか、こんな大事になるとは思わなかったらしいが、悪意は確実にあった。

 

 大道芸の技術を用いて糸を切ったという私の話に嘘はなかった。真実は、こうだ。キスメはヤマメと仲がよかった。親密であったといってもいい。彼女たちは出会って間もないにも関わらず、親友といってもいいほどに互いを好意的に見ていた。だからこそ、キスメは複雑な感情を胸に蓄えていた。ヤマメは性格がいい。それこそ、たかが大けがを負っただけで、地底が犯人捜しで躍起になるほどに。

 

 簡単にいえば、彼女は嫉妬をした。橋姫が絡んでいるかは分からないが、彼女の心は嫉妬で狂っていった。自分の親友であるヤマメと仲良く話している相手にも、そして一瞬で地底に溶け込んだヤマメ自身にも、彼女の暗い心は及んだ。そして、爆発した。あの日、彼女はヤマメの糸を狙い、桶を飛ばして、確実に彼女の糸を断ち切ろうと、一番負荷がかかるところに桶をぶつけた。キスメは、きっとヤマメは少し体勢を崩すだけだと高を括っていた。少し悪戯をして、彼女を困らせたいという幼稚な発想も含まれていた。実際、本来ならばそうなるはずだったのだが、とある理由により事態は取り返しのつかないほど大きくなった。だから、彼女はここまで隠れていたのだ。糾弾されることを恐れて、処罰されることを恐れて、そして何よりヤマメに嫌われることを恐れた。

 

 キスメの心には当時のことが鮮明に刻みつけられていた。桶を糸にぶつけ、思ったより下に落ちていったヤマメを見に行くと、血まみれで倒れていたその瞬間の恐怖が、絶望が、否応なしに私の目に映った。そんな彼女をこれ以上追い詰めると、取り返しのつかないことになる。

 

 それに、本来責められるべき妖怪は彼女ではない。

 

「それで? まさかそんな嘘をいうために来たんじゃないだろうな。何とかいったらどうだ、古明地さんよぉ」星熊の近くにいた、筋骨隆々な鬼が睨みをきかせてくる。

「なんとか」とっさに口に出してしまい、肝が冷えた。こんな巫山戯たことをいっては、私が殺される。必死に、次に続く言葉を探した。

「なんとか、キスメを許してくれないでしょうか。彼女はヤマメを今でも親しく思っていますし、きっとヤマメも許してくれると思います」

 

 ヤマメという名前を聞いた途端、キスメの顔に苦々しさが宿った。後悔と罪悪感で打ちひしがれてしまいそうだ。もしかすると、何もしなくとも、彼女は勝手に自滅してしまうかもしれない。

 

「許す、ねぇ」

 深刻そうにうなずいて見せた星熊だったが、彼女が許す気がないのはすぐに分かった。いや、彼女自身は許してもいいと思い始めている。キスメのことも随分と買っているようだし、当人同士で解決すればいいと、納得もしている。だが、それが許される段階はすでに超えてしまっていた。この地底にくすぶった雑念は、犯人不在では収まらない。誰かがつるし上げられなければ、鬼は納得しない。それを星熊はよく分かっていた。

 

「許せない、ですか」

「分かってるだろ? 心がよめるんだから。キスメがすぐに名乗り出て、ヤマメに謝ればよかったんだ。こそこそと隠れて、犯人じゃないふりをするなんて、見て見ぬふりをするなんて、卑怯だろ」

「だから、暴行を加えるんですか? 弱い物いじめは嫌いといっていたじゃないですか」

「”敵”には容赦しないともいった」

 敵。彼女はそう断言した。つまりは交渉が失敗した、ということだ。

 

 隣で震えていたお燐が心配そうにこちらを見上げてくる。キスメが地底中から処罰されるのを、望んでいる妖怪なんているのだろうか。少なくともお燐は助けたいと思っているし、星熊だってそうだ。ただ、一度動き出した車輪は、誰かにぶつかるまで止まらない。もしキスメがヤマメを殺そうと思っていたのだったら、まだましだったのに。やはり犯人など見つけるべきではなかったのだろう。

 

 どうしたら、キスメを救うことができるのか、彼女がつるし上げられるのを防ぎ、罪悪感で心を壊すのを防ぐ方法を考える。だが考えれば考えるほど、無理じゃないかと諦めそうになってしまう。もし八雲紫なら、こんな時はどうするのだろうか。彼女の言葉を思い出す。が、自分に対する罵詈雑言しか思い出せなかった。

 

 だけれども、何とかするしかないのだ。

 

「星熊勇儀。少し冷静になって考えてください」

「どうした、急に」

「キスメとヤマメは仲が良かった。それは間違いありませんね」

「ああ」

「でも、キスメはヤマメに手を出した。何故だかわかります?」

「さあな」

「それは……」

「それは?」 

 

 次の言葉を口にしようとしたが、喉が詰まった。口をパクパクと鯉のように動き、言い淀んでしまう。口が回らなかった訳ではない。本当にこの選択で正しいのか、上手くいくのかと直前で不安になったからだ。だが、腹をくくるしかない。

 

 “あなたには才能があるのよ”そう、八雲紫の声が聞こえた気がした。

 

「それは、私のせいです」

「は?」

「すこし、悪戯をしました」

 

 口を半開きにし、呆然と佇んでいる星熊を前に、私は小さく息をのむ。今度は、嘘をつくなと言わないのですね、嘘なのに、と声が零れそうになった。

 誰かが車輪を止めなければならないなら、犠牲にならなければならないなら、私がなればいい。地霊殿の主として、嫌われ者のトップとして、嫌われ役は慣れている。そう結論付けた。

 

「竪穴の二人の心を少しばかりいじくりまして、まさかこんなことになると思いませんでしたけど」

「いじくったって、何をしたんだ」

「なにって」

 

 まさか問いただされるとは思っていなかったので、言葉に詰まる。当然だが、私は他人の心をいじくる事などできない。いったい何と言えば彼らは納得するのだろうか。

 “犯行方法も面白い物だったら、より信用されるかも”

 

「同士討ちっていいと思いません?」

「え?」

「彼女たちを、興奮状態にしたんですよ。闘争心むき出しの。だからキスメはヤマメを攻撃し、ヤマメは体の自由がきかなかった。もし、キスメがもう少し遅かったなら、先にヤマメが攻撃していたかもしれません」

 

 桶が跳ねあがった。以前、ヤマメのことを聞きにきたときのように、飛びかかってくる。鬼たちの間を縫うように移動し、あっという間に私の前に躍り出る。一瞬見えた彼女の瞳には、確かに涙が浮かんでいた。

「よくもヤマメを! 私の親友を!」

 彼女は叫んだ。私の首に狙いを定めながらも、力一杯に叫んだ。だからだろうか、私が少し動くだけで、余裕をもって躱すことができた。攻撃を外したキスメは、地面に座りこんで、その小さな手を地面に叩きつけている。悔しさと無力感に溢れていた。

 

 実際はもちろん私が彼女の心を操ったわけではないのだから、キスメが彼女の糸を切ったのは本人の意思だ。だが、それを暴露してしまったら、今度こそ彼女の心が壊れてしまう。その代わりに、私は覚えたての言葉を使った。私に対する恨みでキスメの罪悪感を消すために。

 

「でも、操られていたとはいえ、ヤマメをやったのはあなたですよ」

「ひぅっ!」

 桶に身体を引っ込めたキスメは、一目散に逃げていった。カツンカツンと建物や井戸にぶつかりながらも、全速力で去っていく。その彼女に向かって、煽るように声をかける。

「歩みの遅い奴は殺していいらしいですよー」

「てめぇ!」

 

 星熊はついに怒りの沸点を超えたらしく、私にズカズカと近寄ってくる。その目は怒りに満ち溢れていて、今にも殴り掛かってきそうだ。その鋭い瞳にはもはやキスメは映っていなかった。その星熊に追従するように、周りの鬼も私を中心に円状に並んでいる。となりのお燐はいつの間にか何処かへいなくなっていた。

 

「どうして、そんな事をしたんだ?」

 つい、吹き出してしまった。どうして彼女たちを同士討ちさせたのか。そんなの、私が知りたい。

「そうですね。強いて言うならば」

「ならば?」

「同士討ちで妖怪が死んだら面白かったから、ですかね」

 大きく腕を振り上げた星熊は、私めがけて一直線に腕を振り下ろした。

 

 

 

 目の前を星熊の太い腕が通り過ぎる。体を捻るようにして、何とか躱すも、腕が通り過ぎた後の衝撃波で体が吹き飛ばされる。体勢を整える前に地面に背中が叩きつけられるが、反射的に左へと大きく跳躍した。元いた場所に巨男の鬼が突っ込んできて、砂ぼこりが辺りを包む。視界が悪くなり、相手の影が見えなくなるが、心は見える。上から三人くらいの鬼が弾幕をはろうとしている。地面を滑るように浮遊し、範囲外へと逃げる。待ち構えていた小鬼が銃を構えてくる。近くにあった小石を蹴り上げて、標準を狂わせる。

 

 もう、何度繰り返したか分からない。が、確実に私の体は傷ついていった。右腕は捻じれ、感覚がない。右足は根元からおかしな方向に曲がっていて、まともに立つことすらできなかった。腹には風穴があいていて、溢れんばかりに血が流れだしている。意図したかは分からないが、ヤマメと同じような傷を負っていた。

 

「いい加減、本気を出したらどうだ」つまらなそうに、星熊は吐き捨てた。

「鬼相手に手加減するなんて、いい度胸じゃないか」

 

 もちろん、私は手加減なんてしていないし、する余裕もない。だが、それを訴える元気すらもう残っていなかった。血を流し過ぎたからか、意識は朦朧とし、気を抜けばその場に倒れてしまいそうになる。このまま私は死んでしまうのではないか、と何度思ったか分からない。だが、それでも倒れる訳にはいかなかった。

 

「そろそろ、許してはくれませんかね」

「ああ!?」

「疲れました。もう動きだって遅くなってきてます。次はまともに避けられません」

「歩みの遅い奴は殺してもいい、っていってたじゃねぇか」

「いってませんよ」

 

 星熊が一歩足を引き、身体を半身にして腰を落とした。私の第三の目には彼女が何をしようとしているか、はっきりと映っている。確実に息の根を止めるために、彼女の全力をぶつけるつもりなのだ。心なしか、取り巻きの鬼が私たちの間から一歩引いたような気がする。

 

「なあ、古明地。この前の宴会のこと覚えてるか?」

 顔を伏せたままの星熊は、拳をひきながらそう訊いてきた。

「この前の、ヤマメの歓迎会を覚えているか?」

「もちろんです」

「あの時、私は思ったんだよ。古明地のことを嫌っていたけど、それでもいい所はあるんだなって。喧嘩をするのは御免だったが、酒を飲むのは楽しいかもって、そう思ったんだ。でも、やっぱり私はお前のことが嫌いだ。嫌いだったよ」

「ええ、知ってます」

「そういうとこが駄目なんだよ」

 

 顔が見えないので、今彼女がどんな表情をしているのかは分からない。が、きっと笑っているのだろう、クツクツと押し殺すような笑い声が聞こえてくる。嫌いだった。つまり今は嫌いですらない。その言葉がどうしようもないくらい悲しくて、ただですら折れていた心がさらに脆くなっていく。そして何より、星熊が私以上に悲しんでいることが驚きだった。“でも、お前と話すのは嫌いじゃなかった”そう確かに心が訴えていた。

 

 星熊が動いた。踏みしめていた地面が割れたかと思えば、彼女の姿が消えた。彼女がこちらに向かい全力で突っ込んできているのだ。だが、私には舞い上がる砂煙しか見えなかった。相手の姿が見えないが、私を殴り殺そうとしているのは分かる。何とかその場から逃れようと体を動かそうとする。が、動かない。頭が真っ白になる。折れ曲がった腕や足の感覚が完全になくなった。もはや飛ぶことすらできない。気がつけば、いつの間にか目前に星熊が迫っていた。張り詰めた弓のように体をしならせ、今にも拳を振り下ろさんとしている。

 

「三歩必殺!」

 泣きながらそう叫んだ彼女は、三歩も歩いてなかったですよ、と私が言い終わる前に拳を振り下ろした。

 




焦っていたとはいえ、他にもやりようがあったというのは酷ですかね

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