Komeiji's Diary《完結》   作:ptagoon

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第119季3月21日─やっぱり、地上と地底は関わり合いになるべきではないですねー

 第119季3月21日

 

 一件落着。まさに今日がその日だった。当然、その一件というのはヤマメが酷い目に遭った件である。それが、名実ともに今日で解決した。昨日、包帯でぐるぐる巻きにされ、ベッドの上で眠っていた私には分からなかったが、壮大な宴会が旧都で行われていたらしい。例の一件を落着させるための宴会だ。

 

 当然、その話を聞いた時、主役はヤマメとキスメだと思った。まあ、それも決して間違いだという訳ではなく、一番酒を飲んだのは、飲まされたのは彼女たちだったようだ。勇儀はキスメに謝り、キスメはヤマメに謝り、ヤマメは全員に謝った。それで全て水に流れた様だ。唯一、伊吹萃香だけが浮かない顔をしていたらしいが、まあ大よそ大団円といったところか。

 

 八雲紫を含めた彼らは盛り上がり、豪華な酒と高級な料理を楽しみ、絆を深め合った。その、高級な料理を食べられなかった事だけが唯一の心残りだが、すべて私の理想通りだといっていいだろう。誰も傷つかず、地底は壊れず、地上との争いも避けられた。ただ、一つだけ。一つだけ私の予想と違った点がある。それは何か。名前だ。この大規模な宴会の名前が予想外だった。私は、ヤマメの復活を祝う会だとか、キスメに謝る会、だとばかり思っていた。だが、実際は違う。その宴会の本当の名前は、前夜祭だった。古明地に一泡吹かせるための前夜祭、という名前だったのだ。

 

 

 

 

「そんなに包帯をまく必要はあるのか?」不思議そうに首を傾げた星熊は、肩をすくめた。

 

 身動きの取れない私は、伊吹萃香に抱えられ、旧都に連れてこられた。寝起きだったので、最初はお燐か誰かが食堂に連れていってくれていると勘違いしていた私は、自分を抱きかかえているのが彼女だと知り、これ以上なく驚いた。驚き、そして絶望した。死刑に向かう囚人も、きっと同じ気分なのだろう。

 

「まあ、でも萃香に感謝するんだな。私は腑に落ちないが、約束は守る」

「昨日、あんなに殺す気でいたのに」

「殺していいんだったら、殺してやるよ」

 ガハハと豪快に笑った星熊は、身動きが取れない私の肩を叩いた。

 

 彼女のその言葉に嘘はなかった。もし、伊吹萃香の一言が無ければ、私の命はもう無かっただろう。九死に一生を得たといえるかもしれない。いや、いえないか。今から行われる残虐な行為に、私の体が耐えられるとは到底思えなかった。

 

「煮るなり焼くなり好きにしていいとはいったが、殴っていいとは言ってないからな」

「本当にずるいよ、萃香は」

「できれば、煮るのも焼くのも止めて欲しいのですが」

「そんくらい我慢しろよ」

 

 大してつらくもないだろ、と眉をひそめた伊吹萃香に、軽くおののく。それで辛くないのは鬼だけだ。

 

 昨日、星熊と伊吹萃香の勝負はどうなったか。当然、伊吹萃香が負けた。というよりも、彼女は初めから勝つ気ではいなかった。鬼である以上、喧嘩というものに燃えないはずはなかったが、それでも彼女は負けを予見していた。だから、わざわざ勝負の前の条件を自分で言ったのだ。「もしお前が勝つことができたら、古明地は煮るなり焼くなり好きにしてくれていい」と。つまりは、彼女はこれで勝っても負けても私が死なないようにと保険をかけてくれていたのだ。その言いがかりともとれる条件を、星熊が飲むことを知っていて、そしてそれを屁理屈だと捨てないことも知っていて、彼女はそう言ったのだ。ただ、彼女の誤算は、私が煮たり焼いたりすることに堪えられそうにないということである。

 

「私は煮ても焼いても美味しくないですよ」

「心配しなくても、誰もさとり妖怪を食べようとはしないさ」

「そうなんですか?」

「絶対に腹を壊すからな」

 

 大声で笑う星熊の心には、昨日の鬱屈とした暗さは消えていた。鬼らしい、豪胆で強気なものに戻っている。きっと、飲み会ですべてを洗い流したのだろう。なんとも単純なものだ。だが、さすがに私に対する嫌悪感や憎しみまでは、キスメとヤマメとを同士討ちさせたことに対する憎悪だけは、消えていなかった。分かっていたが、それでも悲しい。

 

「お燐たちは、私が今日、煮て焼かれることは知っているんですか?」

 

 せっかく旧都に来たというのに、すぐまた私を抱え上げた伊吹萃香に、私は訊ねた。この時の私は、きっと、旧都のどっかに五右衛門風呂みたいなものがあって、そこで茹でられていたのではないか、とそんな事を考えていた。出来れば、お汁粉みたいに餡子と一緒に茹でられたいな、なんて呑気なことすら考えてもいた。ぬめりとした餡子の感触が、案外泥風呂みたいでいいかもしれないんて、思うべきではなかった。

 

「ああ、火車もお前の姉妹も知ってるよ。昨日の宴会は、それの前夜祭だったからな」

「止めてくれなかったんですか?」

「多分、大丈夫だろうって笑ってたね」

 

 大丈夫な訳がないじゃないか。そう心の中で叫ぶ。あの子に聞こえてたらいいな、と思いながら、せめて、料理を持ち帰ってくれれば良かったのに、と呪詛を呟き続けた。だが、今思えば、この時の私もどこか大丈夫であろう、とそう高を括っていた。溶岩の上に立てられている地霊殿の主である私なら、熱々の大判焼きを一口で食べられる私なら、きっと少しのやけどで済むだなんて、幻想を抱いていた。だが、そんな淡い期待はすぐに打ち破られることとなる。

 

 結論からいえば、彼女たち鬼の四天王は、私を旧都のはるか遠く、辺境を通り越して、もはや秘境なのではないか、と思うところまで連れてきた。怨霊で溢れ、罪人の悲痛な呻き声が否応なしに聞こえてくる。これだけでも十分な罰になるんじゃないですか? と文句を言ったが、お前にとってはご褒美だろ、と星熊に軽くあしらわれた。ひどい。

 

「それで? こんなとこに来て、何がしたいんですか」

「おまえ、本当に地底の管理人なのか? ここにはあれがあるだろ」

「あれって、何ですか? 甘味屋ですか?」

 

 どうやら、私がつまらない冗談を言ったと思ったらしく、二人とも肩をすくめた。本気でいったとは、言い出せなくなってしまう。

 

 私は地底の管理人、嫌われ者のリーダーである。今では、お燐やお空が多少の仕事を手伝ってはくれているが、それでもほとんどの仕事は自分が行っている。そんな超多忙な私は、残念なことに地底の細かな場所の配置なんて、覚えていられなかった。せいぜい、旧都と、地霊殿と、地上との竪穴くらいだ。なぜ、そこは覚えているのか。そこで何かと問題を起こす連中が多いからだ。目の前の二人を筆頭に。

 

「なあ古明地。私はな、結構怒ってんだよ」

 いきなり、星熊はそう切り出した。怒っているといった割には、にんまりと笑みを浮かべている。

「キスメとヤマメを同士討ちさせたことも、それを黙っていたことも私は絶対に許さない」

「ええ、知ってますよ」

 そして、そう思っているのは地底のほぼ全員だということも知っている。これ以上嫌われないだろう、と思っていたが、下には下があるらしく、以前よりも地底を覆う嫌悪感は増していた。

 

「だがな」

 伊吹萃香から私を乱暴に取り上げ、肩に担いできた。彼女のごつごつとした腕は、恐ろしさよりも、どこか安心感を与えてくれる。それが、昨日私の命を奪おうとしたのに、だ。

「だが、私は酒が好きなんだ」

「はあ」

「だからよ」

 

 ずかずかと真っ暗な道を進むと、目の前が急に開けた。昔見た、琵琶湖を思い出した。水平線が視界を覆いつくし、思わず気の抜けた声が出てしまう。琵琶湖と違うところと言えば、その水平線をつくっているのは、水ではないということだ。

 

 呆気に取られている私を他所に、星熊はごほん、と咳をした。胸を張り、大きく息を吸っている。伊吹萃香の方をほんの一瞬気にしたのが、私には分かった。

 

「だから、今度酒を持ってきてくれよ。一緒に呑もう。そうしたら、許してやる」

 

 え、と声が零れた。誰の声か。私の声だ。心を読んでいた私が、彼女の言葉に驚いたのだ。彼女が何を言おうとしているのか、分からなかったわけではない。だが、まさか本当に口にするとは思わなかったのだ。

 

 まさか、あの星熊勇儀が、思ってもいないことを言うなんて、嘘をつくなんて、考えもしなかった。

 

 聞きたいことがあり過ぎて、口をもごもごとさせるしかなかった。そんな無様な私など歯牙にもかけず、いつも通りケラケラと笑った星熊は、「着いたぞ」と意気揚々と言った。

 

「まあ、煮て焼くとなると、ここしかないよな」なぜか自慢げに、伊吹萃香はうんうんと頷いていた。

「私だったら、三秒もあれば抜け出せるな。萃香はどうだ?」

「私はそもそも入るようなへまはしないよ」

「そりゃあそうだ」

 

 嫌味にこちらを見た伊吹萃香のことなど、私はもうどうでもよかった。いや、どうでもよくないが、頭の中が混乱していて、考える余裕もなかった。星熊が嘘をついたことに動揺したのもあるが、彼女たちが私をどうするか、分かってしまったのだ。いや、元々分かっていたのかもしれない。だが、実際にそれを目の当たりにして、急に恐怖に襲われたのだ。

 

「血の池地獄に落ちるような馬鹿は、古明地ぐらいさ」 

 

 伊吹萃香のその言葉は、私の微かな希望を打ち砕くのには、十分すぎた。

 

 

「本当に、血の池に落とすのですか?」

 

 返事は分かりきっていたのに、つい訊ねてしまう。星熊の腕から抜けだそうともがくが、当然抜け出せるはずもなかった。そんな私を見かねたのか、伊吹萃香は口を尖らせた。

 

「落とすさ。それくらいは我慢しな」

「それくらいって、だって、血の池ですよ?」

「いいじゃねえか。ぬめりとして泥風呂みたいかもしんねえだろ?」

「餡子と血とでは雲泥の差ですよ」

 

 何の話だ、と訝しんでいる星熊を無視し、目の前に広がる赤い水平線を見やる。赤黒く、そしてゆったりと動くそれは、溶岩によく似ていた。が、特有の生臭さが明らかに違う。ただの血の沼だったら、単純に気持ちが悪いだけだが、彼女たちが「煮るなり焼くなり」する目的で来たとすれば、高温である可能性が高い。もっとも、彼女たちの心を読んでも、血の池についての情報は全く出てこなかった。

 

「あの、お願いがあるんですけど」

「なんだ?」

「助けてくれたりはしませんか?」

「助けるのは無理だな。せめて、何かと等価交換じゃないと」

 

 そう意気揚々と笑った星熊は、勢いよく私を血の池に投げ込んだ。鬼の四天王ふたりの姿が、あっという間に小さくなっていく。心構えをする暇すらなかった。鉄の臭いを帯びた風が体を覆い、口から酸っぱいものが込み上げてくる。飛ぼうとかんばって身体を動かすも、包帯と痛みのせいで上手くいかない。惨めな私は、そのまま目を瞑り、どうか神様助けて下さい、と祈る事しかできなかった。

 

 

 だが、この日記を読んでいる人なら分かるだろうが、私は血の池に落ちることは無かった。落ちてしまえば、絶対に助からないだろうから、そもそもこの日記を書くことはできない。こうして日記を書くことができているという時点で、私は生き残ったという証明になるだろう。こうして書いている今も、当時の恐怖を思い出し、半泣きになりながら書いている。まさか日記で生存証明を行うことになるとは思わなかった。それに何より最悪なのが、血の沼地獄に落ちている私を救ったのが、あの八雲紫だったということである。

 

「感謝してほしいわね」

 

 目を開けると、そこには八雲紫がいた。最悪の目覚めだ。

 血の沼地獄に落ちたと思っていたが、いつの間に地霊殿の医務室にいた。八雲紫が、血の池に落ちる寸前にスキマを作り、助けてくれたと知ったのは、もうしばらくしてからだ。その時の私は、突然現れた八雲紫の顔に、死ぬ程驚いていた。まだ、目の前にくさやを吊るされていた方がましかもしれない。

 

「なら、次からはそうしとこうか?」

 八雲紫の後ろから、ひょいと覗き込むようにえへへと微笑んできた。少し混乱していたせいで、一瞬それが誰だか分からなかったが、口にしていない言葉が分かるようなのは、身内しかいない。そして、私の知る限り身内は一人しかいなかった。

 

「私がゆかりに伝えといてあげたの。血の池地獄に落ちたら、きっと死んじゃうって。だから助けてって」

「ありがとう。本当に。まじで」

「あら? 私にはお礼は言わないのかしら?」

「言わないです」

 

 うふふ、と相変わらずのムカツつく笑みで私を見下ろした彼女は、徐に私の包帯をほどき始めた。一体何をするのか、と抵抗するものの、敵うはずもなくすぐにはがされる。

 

「うわ、酷い怪我ね」

「私がどれくらいの怪我かなんて、分かってるでしょうに」

「実際に目にするまで、何が起きているかは分からないわ」

 

 そうだよ、とびしりと手を出してきた姉妹へと、そっと第三の目を向ける。彼女は私のことを随分と心配してくれているようだった。

 “私一人に地霊殿の仕事を任せるなんて、許さないから”と照れくさいのか、そんなことを言ってきた。

 “もしそうなったら、書いている日記を読みなおしてやるんだから”とも言っている。

 

 これは、絶対に死ぬわけにはいかなくなったな、と一人でうんうんと頷いていると、八雲紫が私の顔のすぐ近くまで寄ってきた。その顔には、仮面のような微笑が張り付いている。嫌な予感がした。

 

「私はあなたを助けたわ」

「ええ、どうも」

「でも、幻想郷の賢者である私は、ただで救済を行うほど安い女でもないの」

「そうだったんですか?」

「そうよ。それに、さっき勇儀も言っていたじゃない。何かと等価交換じゃないと助けられないって」

 

 そこで、彼女が何を言わんとするかを、ようやく理解した。つまりは、助けてやったから一ついうことを聞けと、そう言っているのだろう。なんて傲慢なんだ。本当に賢者とは思えないほどに厚かましい。というよりも、勘弁してほしかった。

 

「だからね、あなたには」

「頼み事があるんですね、早く言って下さい」

 

 そこで、きょとんと眼を丸くした八雲紫は、私の顔をまじまじと見つめてきた。いったいどうしたのだろうか。

 

「どうしたんですか?」

「いえ、単純に驚いたのよ」

「え? 何に」

「いえ、何でもないのよ」

 うふふ、と気色悪く笑った彼女は、わざとらしく辛そうな顔を作り、頼みごとを話し始めた。

 

「つい最近まで、地上で酷い寒さが続いていたのは知っているでしょう?」

「ええ、知ってますけど」

「実は、とある事情でその寒さがまだまだ続く予定でね」

「予定? どうして分かるんですか」

 

 いくら八雲紫だからといって、そんなことができるものなのだろうか。そう思い、質問を重ねたが、すべて無視され、何事もなかったかのように、彼女は言葉を続けた。

 

「そのせいで、食料生産に影響が出ていてね。まあすぐには影響は出ないと思うのだけれど、後々になって響いてきそうなのよね」

「そうなんですか。ご愁傷様です」

 

 もし、地上の食糧不足のせいで、地底にある貴重な甘味にまで影響が出たら嫌だな、とそう考えていると、包帯を巻いている腹を肘で小突かれた。

 “なに馬鹿なことを考えてるのさ”と三つの目を使い非難してくる。おいしい食べ物の重要性を理解していないのか、と私はそのことに驚いた。

 

「それでね、あなた達に頼みたいことっていうのは」

「いうのは?」

「地上に少し食料をわけて欲しいのよ」

 

 このとき、私は意地でも断るべきだったのだ。いや、実際に断ろうと「無理ですってそんなの!」と叫んだが、それが口から出る寸前で、八雲紫は姿を消してしまった。神出鬼没にもほどがある。

 

「どうする?」

 呑気にそう聞いてきた彼女は、心配そうにこちらを見上げてきた。

「どうするって言われましても」

 どうしようもないではないか。

 

「まあ、たぶん何とかなるでしょう」

 私は本心ではそう思ってなかったが、気楽にそう口にした。当然そのことはばれてしまっているが「そうだね」と同じように本心でもないことを彼女を口にしてくれる。

 

「まあ、最悪じぶんの身体を食べてくれ! ってあげればいいんじゃない?」

「なんてひどいことを言うんですか」

 

 楽しそうに冗談を言う彼女を見ていると、こちらも少し気が楽になる。地上に流すほどの食糧は残念なことに存在しないが、たぶんどうにかなるだろう。もしならなかったとしても、少なくともさとり妖怪は食べられない。

 

「どうしてさとり妖怪は食べられないの?」

 

 私の心を読んで、聞いてくる。私は八雲紫が捲っていった包帯を見せつけるように指さして、笑った。星熊に言われた言葉を思い出す。

「絶対にお腹を壊すからですよ」

 

 




地霊殿の仕事を押し付ける対価が日記を読まれることだなんて、むしろ釣り合いが取れていないと思います。

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