「そうか、そうであったか」
ナザリック地下大墳墓第10階層玉座の間にてかの支配者が最初に発言した言葉であった。切りのいい所で復興工事の手伝いが終わり、次の仕事を探して組合に向かう途中、冒険者チーム「漆黒の剣」たちと軽く会話をしている時にデミウルゴスからの
(彼女に感謝だな)
モモン一行としてのことであれば、レヴィアノールがハムスケと共に城塞都市に残ることを申し出てくれたのだ。自分とナーベラルがいないことであれば、上手くやってくれるという事であった。気になると言えば、
(何で、ナーベラルまで?)
その時の彼女はやけに彼女も一緒に連れて行くように進言してきたのだ。別に変な意味はないという事で、
『ナーベラル・ガンマは本来、戦闘メイドであり、すなわち使用人でございますので可能な限りアインズ様の近くに控えているべきかと』
少し考えてみれば、幾らでも反論できる内容であったが、その時の彼女の謎の気迫と言葉の迫力に押される形でその提案を受け入れて、ここまで来たのだ。しかし思えば。
(そういう事か)
彼女たちプレアデスたちの仲の良さは墳墓では有名だ。きっとそこに配慮してくれたのであろう。彼女だって七罪真徒というグループがあるというのに、優しい人物である。
(そういえば)
その七罪たちはあまり仲が良いという訳ではないらしい。先ほどの彼女に言わせれば、筆頭たるグリム・ローズがいないと本当に殺し合いになるとのことであった。何だかその光景を怖いもの見たさで見たいと思っている自分もいる。部下の状況を把握するのは組織の長として当たり前のことであり、その情報は酒の席で彼女を半ば酔わせる形で聞いたものである。しかし、ここでアインズは一つの疑問にぶつかる。
(あれ?)
酒の席で部下からまるで無理やり個人的な話を聞くというのはあれではないか、
(これって、セクハラにアルハラになるのか?)
その時はこれ以上にない最高のアイデアに思えたのが、途端に不安になってくる。しかも自分は男で彼女が女という点が更にまずい。もしかしたら彼女があまりアルコールをとる事を良しとしない性分であったなら、もう最悪だ。
(うわあああ)
自分で自分のした行為が愚かしくそれでいて醜悪に見えてきてしまい。アインズはそれを表に出さないように必死にこらえて早3秒。
(うん!大丈夫だ。もう忘れよう)
そもそも、その時の席だって一応彼女に断りをいれ、誘ったのだ。それにその場にはナーベラルやハムスケもいた訳であり、決して無理やり参加させていた訳ではないと彼はその手のあまり褒められたものではない思考技術にも磨きをかけていた。
「それで、一度撤退をして。今に至るという訳だな」
「その通りでございます。アインズ様」
答えたのは珍しくアルベドではなく、デミウルゴスであった。それにもしっかりとした理由がある。今回の事に関しては彼が彼女より深く関わっていたからである。それも当然といえば、当然である。こと軍事に関してはデミウルゴスの方が
(そうだよな~設定とはいえジェネラル持ちな訳だし)
思い出すのは嫌になるが、かつて墳墓に攻め込んだプレイヤーたちを破った第8階層の通称「ナザリック最強の者達」の指揮をとっていたのは彼であるのだから。といっても当時はまだ単なるゲームであった為、その下につく者達の各種ステータスアップ位でしかなかったであろう事は何より自分が分かっている。ここで、これ以上この事に触れたくないと思い忘却する。
勿論それだけではない。守護者統括であるアルベドと防衛の際の指揮権を任せられているデミウルゴス、自然と彼女たちの得意分野も微妙に違ってくるのだ。
まずはアルベド、彼女にはどちらかというと、円滑な組織運営の方が向いておりもしも現実であれば間違いなく一流企業の社長秘書なんてやっているだろう。それにあの美貌だ、必ずや愛人となりいつの間にか本妻になっているなんて事もあるかもしれない。そう、本来であれば、
(俺なんかと釣り合うはずがないんだよな)
そう考えるということは、やはり彼女の事をどこか女性として意識している部分もあるという事であるが、彼はそれに気付かず、過去へと思いをはせる。
自分は結局平の社員であり、あのまま働いていても幹部どころか一つのグループの班長だってなれるか分かったものでは……いや、学歴を考えればほぼ有り得ない訳であり、結局そういった役職に立つ人間というのは仕事以外の時間も仕事の為に割いていたに違いないのだろうから……生きる為に。それを考えると、奇妙な運命だと自惚れでも思ってしまう。
(俺が、執着していた
あの頃の自分にとっては文字通りの唯一の生きがい、いや生きる理由ですらあった。だからこそ、何とかギルドを維持しようと最早娯楽などなく、単なる作業のようなプレイを続ける程のものであった。だが、それだって結局は自分の自己満足でしかなかった。それでも彼女たちにとっては文字通り自分たちの存在が、命がかかっていた訳であり、だからこその自分への忠誠なのだろう。
(違うだろ、鈴木悟)
駆られるのは自己嫌悪。当然だ、それだけではないというのはこれまでのみんなの働きを見ていれば分かることではないか、本来であれば、下等だと見下す存在である人間と共存する道を目指す為にそれぞれに働きをみせているではないか。それに、
(結構、良いものだな)
彼女たちと過ごす何気ない時間が大切なものになりつつあるのも確かだ。友人の子供たちという印象であったのが、少しずつであるが、友人に大切な子供というものに変わりつつあるのだ。それは彼らの残留思念がなせるのものだろうか?時折、彼らの力に助けられるのだから。
この時、アインズは一つの勘違いを起こしていた。確かにこの異変がおきたとき、彼はその特異性、要は複雑な立場からほかの者達の思念が混ざったのは確かである。しかし、結局のところ残留である。残りカスのようなものだ。それは時間の経過と共に薄れていくのである。つまり彼が聞いている友たちの声というのは、本人による自己解釈の一種だったりする。それも決して間違いとは言えないだろう。
『この時、この人であればこうするであろう』
と、想像がつく程にはアインズはかつてのギルメンたちと交流を深めていた訳であるし。
彼らの力を借りているという認識にしても本人がそう無意識に自己暗示をしてなしてきたことであり、結果的に事の精度を上げ、まったく間違いとも言えないけど、本人の力量であることも確かなのである。では、そんな彼が出す謎だらけなスペックの高さはどこから来るのか?
本人は友人たちの力の賜物だというが、彼は、正確に言えば、アインズではなく鈴木悟という人物が持つ一つの優位性が働いたと言える。目的の為であれば、どのような苦行でもできるのは、先の
そんな人間が疲れ知らずのオーバーロードとなったのだ。そして彼自身の目的と社会人として備えた責任感に
それが分かるこそ、アルベドはその愛情を深め、デミウルゴスは忠義に励み、アウラやマーレは親として慕い、その他の者たちもそれぞれの形で彼に尽くすのである。それを分かっていないのは当の本人だけだ。
いい加減思いふけるのをやめた彼は次へと思考を切り替える。
それに比べると防衛、つまり、ある程度戦闘に関する事を担当するデミウルゴスの方が適任と言え、何より彼とコキュートスの仲がそれを後押ししたのだ。何事も友人を介することで気が楽になるというもの。それがマイナスになる時もあるが、少なくとも彼らについては問題はないと判断した訳である。
以上が現在彼が、彼女の代わりをしている理由である。アルベドにも確認をとったところ。
『お気になると言うのであれば、褒賞を求めてもよろしいのですか?』
なんて言うので問題なしとなった訳だ。最近はそうやって見せる彼女の悪戯気な顔が可愛く見えてしまう時もあるのだ。微笑ましく、
(いや待て)
自分は彼女に挑発交じりのことをされて喜んでいるというのか?それではまるで、
(Ⅿじゃないか)
自分ではSだと思っている。いじるのといじられるのとでは前者の方が言いに決まっている。
(いつか絶対SMプレイを――て、違うだろおおお!!)
もうやめよう。これ以上この事を考えては何か大切なものを失くしてしまいそうだ。と彼は逃げるように思考を切り替える。
「成程な。それでコキュートスよいつまで頭を下げている?」
改めて目前の光景を見る。跪き、深く頭を下げたままの武人にその後ろには彼の部下として、双腕に戦闘メイドの少女が同じように跪き、さらに後ろに何体かの蟲系モンスター達が並んでいるものだ。言わずもがな彼らがこの先、墳墓がこの世界に進出した時にナザリックの表向きの武力になる予定の《軍事班》だ。
支配者より言葉をかけられたコキュートスはその言葉でようやく面を上げる。その顔は一見普段と変わらないものであるが、その内心は荒れに荒れていた。せっかく勝てそうであったところを自分の油断で撤退せざるを得ないものになってしまったからだ。自分は2度もこの方の期待を裏切ったのだ。
(私ガ命ヲ絶テト)
もしもかの主がそう命じればそれに従うつもりであるし、覚悟はとうに決まっている。だというのに、
(何故ダロウカ?)
みっともないだろうが、何とかそれを回避したいと思ってしまっている自分がいるのも確かだ。まだ自分は諦めきれないのだろうか?何を?ふと思い浮かべるのは後ろで控えてくれている少女であった。それが更に彼を困惑させる。
(???)
そうだろう。もしも、部下たちの働きに感謝するのであれば、もっとも付き合いのある2人が真っ先に浮かぶはずである。あれから、あの異変から彼らにも随分と助けられた。右腕にはスケルトン達への剣術指南、これには統括補佐から太鼓判を貰っている。彼に言わせれば、以前は力任せに乱暴に剣を振り回していたのが、しっかり形になっているという。流石に戦士長に一騎打ちで勝つのは厳しいが、それでも十分な戦力上昇であるという。
次に左腕の彼には弓の扱いに、それらのスケルトン達への指南、何より戦術について教えて貰った。それらの知識を元に、自分でもその手の資料や、何よりこの世界での情報などを照らし合わせて先の戦略を練ったのだ。友がその内容を称賛してくれたのは輝かしい思い出である。
(…………)
こんな時だというのに、穏やかな気分になってくる。そしてその傍ら口にした彼女の菓子の味が思い出される。あの黒いクッキーはあの時の新作だという。何故その話が出て来るかって?それはそれ以前から彼女の手作り菓子をいただく機会があり、何もあの時が初めてではないのだから。
先の技能習得の実験において、彼女もまたある程度の調理技術を修め、以降、自分たちによく作ってくれるのだ。そのどれもが、しっかりとした味付けであり、彼女は決して失敗作を出すことがなかった。それは能力の高さもあるのだろうが、何より誠実さを感じられるものであり、その時の彼女の優し気な様相とあわさって間違いなく忙しい合間の安らぎになっていたのだから。
(甘美トハ嗚呼云ウ物デアルノダロウ)
そしてそれがもう口にできないことを自分は残念に思ったというのか?こんな時だというのに?
(軟弱ナ事ダ)
今、考えるべきはそんな自分に尽くしてくれた部下や彼女の評価が下がらないようにすることだと彼もまた覚悟を決め、口を開く。
「コノ度ハ飛ンダ失態ヲ犯シ申シ訳ナク思ッテオリマス」
「失態?お前は何を言っているんだ?」
「アインズ様ヨリ頂イタ兵デ勝利ヲ治メル事ガ出来マセンデシタ」
実際、主の期待に最大限に答えるのは昨日の一戦ですべてを終わらせることであった。しかし、自分はそれが出来なかった。だからこその釈明だというのに、主はまるで分からないという風に首を傾げ、その顎に手を当てると別の者の名前を呼んだ。
「ウィリニタスよ。少しいいか?」
「はい、何なりと」
応えて一歩前にでるのは、玉座の左後方に控えていた統括補佐だ。その両隣には吸血鬼の前任者に樹木の賢人の姿もある。そして間違いなく今回のことであれば、自分よりもずっと適任とも言えたこの人物を呼んで主はどうするのであろうか?
「お前であれば、今回の件、どうしていた?私の許した戦力でどのようにするんだ?」
それは一つの仮定という名の問いかけであった。自分も気になってしまう。なんせかつての戦いで彼らの指揮をとっていた者がどういった戦術を展開するのであろうかを。統括補佐である男は少し考えるそぶりをみせると主へと視線を送り返答する。
「私個人の考えになりますし、もしかするとアインズ様を不快にさせてしまうかもしれません」
「構わん、今はお前のその意見を求めているのだからな」
一見、省略してもいいのではないかと思うやり取りであるが、統括補佐が支配者へととった確認は必要なことである。例え、主が許したといえ、その内容で苦しむ事になるのであれば、尊敬できる先人といえ、刃を向けざるを得ないのだから。
「畏まりました。私であれば、持久戦に持ち込みますね」
「ほう?」
自分の立場ゆえ口にはできないが、確かに先のやり取りは必要だったらしいと武人は思う。ただ悪戯に戦を長引かせるなど、主の御心を考えれば、出来るはずがないのだから。主自身はその言葉に興味を持ったらしく先を促す。いや、この表現は不適切であろう。自分もまた気になるのだから。
「それは、どういった内容になるんだ?」
「はい、その前に今回アインズ様がお使いになるよう指示された兵達でありますが、はっきり言って個々の戦闘能力ではあのリザードマン達に勝利を治めるのは相当至難であることだと私は仮定しております」
「ふむ?それは確かなのかコキュートス?」
いきなり話を振られてしまい、慌てふためき、しかしそれは表に出さず何とか答える。
「ハイ、彼ラハ強イ」
そして武人は語る。今回の戦争では兵力差3倍超過であったが、では、単純にスケルトン3体とリザードマン1体では、互角の勝負が出来るかというとやはり難しいであろうと。
「成程成程、それはよく分かった。ではウィリニタスよ話を続けてくれ」
「畏まりました。では、今回の件でナザリックが彼らに勝っているのは先ほどコキュートス様が上げた通り動かせる兵の数でございます。それを踏まえた上で説明をさせていただきます」
「続けろ」
「はい、妻……失礼しました。二グレド達の働きにより彼らの拠点の在り方というのは把握しております。そうでしたね?コキュートス様」
「ハイ」
確かに《観測班》からの報告でそれについても詳細な情報を手に入れていた。
「無論、彼らがどこに食料を集めているかも分かっておりました」
「ほう」
「???」
何故その話がでるのか、武人は一瞬戸惑うが、しかし次には彼が言う事が何となくであるが見えて来た。
「その食糧庫に火をかけます。それでしたらスクロールで済みますしね」
「それで、次はどうするんだ?」
「彼らが如何様にして食料を集めているかも把握していましたので、それをさせません」
スケルトン達の動きを考えれば、木材を使ったバリケードに障害物などの製作は可能であるし、弓兵に騎兵、動物ゾンビたちを使えばそうやって狭めた道での一方的な戦闘も可能であるという。さらに言えば、彼らは陸上での行動はそれ程得意ではないという。
確かに彼女たちの働きであれば、そう言った事を調べる事も容易であろう。そう思うと同時に情けなくなってしまう。なんせ、自分は単に相手の拠点に戦場の様子。それと彼ら自身の事を調べるに留めていたのであるから。あの少女は自分は全力を尽くしていたと言ってくれたが、
(何ガ全力ナモノカ)
出来る事はまだあったではないかと後悔の念がおしよせてくる。それは同時に少女への申し訳なさでもあった。
(私ハ)
助けられて、支えられて、だというに彼女には何一つ返せていないではないかと無力さを恨めしく思うが、その間にも話は続いている。それを聞き逃すことは絶対にしてはいけないことだ。
「つまり兵糧攻めか」
「その通りでございます」
そして彼は続ける。食料の供給を止め、リザードマン達が疲れ果てるのを待つのだという。
「そして、そうですね――」
そこで語る彼の顔に明らかな嗜虐が浮かぶ、いや一見いつも墳墓の者達に見せる優し気な顔であるが、少なくとも武人はそれが見えたような気がしたのだ。主はどうか分からないが。
「必要があれば、彼らが飲み水の調達の場としている湖に毒を放ち、その上でそこまでの道を開けますね。それか、頃合いを見て魚を放り込んでやりましょう」
「それは?」
「当然、毒入りでございます」
「それは、また面白い事を考えるな」
(何ト)
恐ろしいことを考える人であろうか、と武人は思わずにはいられない。彼は、ウィリニタスは戦う前に彼らの心を殺そうというのだ。
「しかし、それでは私が求める楽園に組み込んでやっても意味がなくはないか?」
そうだ。その方法では勝利を手にする事ができても主のご意向に答えることはできていないと、今の立場を忘れて半ば希望交じりにそう思ってしまう。自分のやり方は間違ってはいなかったと思いたかったのかもしれない。
「それでしたらご安心くださいませ、そうやって、追い詰めた上でアインズ様が描かれる素晴らしき楽園、その恩恵を享受させればよろしいのです――例えば」
彼らの主食は魚であるという。そして彼らが独自にやっている養殖の技術をナザリックの援助で大幅にその質を底上げするのだという。その上で彼は語る。例えば、一日の魚の摂取量が依然と比較にならない程、上がれば彼らはどう考えるのかと?言い方からして何やら健康の為の栄養の取り方に聞こえるが要は単純に食事の話だ。
食。
それはすべての生命が生まれながらに宿命づけられる問題だ。そして、彼らが食料難でかつて同族同士の戦争に入ったという情報もすでに墳墓の者達の働きで得られているものである。そこを攻めてそして彼らを屈服させた後、今度はそこを別の方向から存分に攻めてやるのだという。
例えば、10日間食事も水も与えずに衰弱した生物、それも多少の知性がある者に今度は大量の食事を与えてやり、それをさもこちらの優しさであるように振舞うのだ。それは一種の茶番であるものの空腹に追い詰められ、正常な思考が難しい状態であれば、
「そうなれば、彼らがアインズ様へと跪くのは必然の流れかと思います。個々の精神状態や肉体に関してましてもこの墳墓で扱う魔法で十分ケアが出来るかと。補足を行いますと今回の件、アインズ様がお決めになられたのは使用する人材でございます故、物資に関しては特に問題はないかと、それを分かっているからこそ、コキュートス様もそうされたのでございましょう?」
「ソウダ、ソコハ私モ抑エテイル」
これは事前に主と友であるあの悪魔などに確認をとっていたことだ。だからこそ、スケルトン達の装備が充実していたり、ゾンビたちがスクロールを持つことができるという訳である。
(ソレニシテモダ)
自分でさえ、少々おぞましく感じる策をこの男は言ってみせたというのに、主は何の動揺もしていないようである。これは確かにデミウルゴスの言う通り、かの方は正に至高の支配者という事であるのだろう。とコキュートスは時を忘れて、1秒ほど、アインズへの尊敬の念を抱くのであった。
さて、武人は自らの主をそう評したのであるが、当の本人はどうかというと。
(うわああ、結構エグイ事を考える奴だなあ)
先ほどは友人のようなものに思えていると考えていたのに、この手のひら返しである。それを表に出さないだけずっと立派なものではあると思うが、彼もまた少々その内容にドン引きしていたのは確かである。もっと言えば、どれだけ至高の存在になろうと、それもまたアインズのどうしようもないしかし、アルベドに言わせれば愛すべき欠点であったりする。
(いかんいかん)
そもそも創ったのは自分たちではないかと思考を切り替える。
(にしたって)
彼の製作にはあのたっち・みーも関わっているはずなのに、どうしてこんな性格になってしまったというのだろうか?
(創ったといえばだ)
そこで、視線だけを一見、木のお化けに見える現魔石管理者へと向ける。あれの製作にはかつて自分も参加したが、未だに戸惑うばかりである。
「どう され まし た。 アイ ンズ 様?」
「いや、何でもないさ」
(何でああなったんだ?)
思い出そうにももうずぅっと昔のことの様で中々でてこない。要は共同制作の賜物というべきであろうか、複数人で作った為に彼を始めとした3人はやはりほかのNPC達とは身に纏う雰囲気が異なるようである。
(それでも)
彼らも大切な存在に違いないし、先ほど統括補佐が言った内容にしても確かにやり方は非道的であるが、すべてが間違っているとも言えないだろう。今のアインズではその言い訳をうまく言う事はできそうにないが、思う事もある。恐ろしく感じはするが、それも自分の目的へと向かうための彼なりの考えであるし、アルベドが言うように墳墓に所属するものであれば、誰であろうと穏やかに接するという。(現在、例外が1名いる模様)
そして非常に興味深く、それでいて笑えない笑い話を思い出す。シズ・デルタ、先日の件でも分かったが彼女はあの年(あくまでナザリック基準)の少女らしく可愛いものが好きであるという。それ自体は確かに可愛らしいものであり、娘が欲しいと思う父親の願望を叶えた存在であるといえる。
(俺は幸せ者だな)
少しばかりの優越感に浸りながらアインズは比較的浅い所にある新しい方の記憶を掘り起こす。そんな彼女にとってはフクロウというものも十分可愛いものの部類に入るらしく、ある時、人形めいた戦闘メイドは統括補佐である宝石製の片目を持つ者に頼み込んだという。あの姿になって欲しいと。
そしてそれを快く引き受けて鳥へと姿を変える男。その姿に自らの欲求を抑えきれずにまるで年ごろの少女が親からもらったぬいぐるみにするように飛びつき、力の限り抱きしめるメイドである少女と。
ここまではよくある話であるだろうが、問題はここからだ。
周囲に響くは、鈍い破砕音に、生々しく何かがつぶれる音であったという。そして少女の腕の中には力なく項垂れるフクロウ、その目は虚ろであったとか。
なんとかその話が平和的に解決したのは今話をしている彼の姿からも分かるが、この一連の出来事には興味深い要素がある。彼は別に姿を変えても基本的な性能は変わらないはずである。そして双方のレベルは46に74と本来であれば、少女がフクロウを鯖折りにする事なぞ不可能であるはずなのだ。つまり……
(俺たち自身も変質してきている?)
ここでこれまでの事を回想していく、まずはニグン率いる陽光聖典たちとの戦闘だ。あの時は確かに魔法による攻撃を自分は防いでいたといえる。いや、むしろ。
(そこは
つまり階位魔法同士によるぶつかり合いであれば、以前の法則がそのまま働くということであろうか?では、次に考えるのはクレマンティーヌとの戦いだ。あの時、彼女の渾身の攻撃を自分は受け、痛みも感じもした。仕込んであったのは、魔法であったというのに、陽光聖典たちと何が違うのというのか、そして先ほどの話の共通点、それは、
(物理法則、あるいは肉体的な話になるというのか?)
考えてみれば、あの時、思い出すのは正直恥ずかしいが、アルベドに自殺を止められた時もそうであった。自分たちの能力値を考えれば、あり得ないことが起きてみせたのだ。そう考えると自然と浮かぶこともある。
(ツアーが言っていた)
この世界には元々別の魔法があるはずであったが、それをかの八欲王があるアイテムを用いて歪めたという話。
(この世界自体が何かしら欠損を抱えてしまっているということか?)
世界にとって、大事な法則そのものが乱れてしまい、自分たちもその影響を受けている。だとしたら、これまで以上に行動に気をつけないといけないのも確かである。が、
(今は目の前のことからだな)
これまでなんとかなってきたこともあり、深く考えてそれで現在やっている事が疎かになってしまうのは問題であるとアインズはいい加減思考を切り替える。
コキュートスもまた、彼がどのように話を締めるのか気になっていた。というか彼の話で自分がまだまだ未熟であることを思い知ったのだから。例え褒められた策でなくても目的を達成するためには、主に恩を返すためには、それこそ出来る事がほかにもあったのではないかと思うのだ。
「以上が私の考えでございます。その上で言わせてもらいますが、やはりコキュートス様には尊敬の意を示したいと思っております」
「ほう?」
(何故)
どうしてそんなことが言えるのか?自分は勝利出来ていないというのに、彼は続ける。
「私であれば、そういった方法しか思い浮かびませんでした。アインズ様のお力とナザリックの設備を活用させて頂けるのであれば、それでも十分な成果を出すことが出来たでしょうが。問題が多いのも事実でございます、それに比べまして、正面からの戦闘で彼らの心を屈服させかけたコキュートス様は流石、墳墓の武人ということでございます」
「そうだな、ウィリニタスよ。お前の言う通りだ。もっと言えば、コキュートスが私に対して罪悪感を抱いているのであれば、それは私の責任でもある」
「それでしたら、私にもある程度の責任はあるかと思います」
「アインズ様!!デミウルゴスモ何ヲ言ッテイル?!」
本当に主に友はどうしたというのか、勝利を治めることが出来なかったのは己の責任だ。それをこの方たちが庇うのであれば、それは認めてはいけないことだ。
「ア……」
言いかけた所で主が手をかざして静止するよう示す、それならば、自分はそれに従わないといけない。その様子を確認したアインズは改めて口を開く。
「そもそも、今回の件、私がコキュートスに制限をかけたのは、それは私自身の落ち目でもあると言える。なんせ私は彼の事を信頼出来ていなかったのだからな」
「ソレハ当然ノ事デゴザイマス」
何度でもいうが、自分はかつて墳墓へと攻め込んだ者達相手に大敗を喫しているのだ。そんな自分を信用してくれる主が寛大であるのだ。
「いや、初めからすべての軍勢をお前に任せていれば、今頃はリザードマン達をナザリックの支配下に置くこともできたであろう。――それにだ、お前は何か勘違いをしていないかコキュートス?」
「???」
「勝利も何も、まだ戦争は終わっていないのだろう?それに、デミウルゴスからの報告で捕虜を捉えてあることも聞いている。その上で聞こう、お前は明日からの展開をどう考えている?」
まだ任せて貰えているんだと思いたい気持ちを何とか抑えつけて武人は自分なりの考えを口にする。
「人質交渉モ視野二入レマシテ、再度ノ降伏勧告ヲ考エテオリマス」
勝利を治める事はできなかったが、それでも十分に墳墓の力を示すことはできたと判断をする。もしもこのまま潰し合いを続けるのはそれこそ、生産的とは言えないからだ。彼らの安全保障なども兼ねて無条件の降伏を迫るつもりであると主へと伝える。
「そうか、……はは」
(アインズ様?)
「はっはっはっはっはっはっは!!!!」
それは墳墓中の者達が思わず注目する光景であった。かの主が自分たちの忠義に答えて支配者像を意識した高笑いでもあると言えるし、主自身が心から喜ばれている光景でもあるように不敬ながら感じ入ってしまうのであった。
「素晴らしいぞ、コキュートスよ。そもそもだ、まだことは途中だ。それをお前がどうとか考える必要はまったくない――ほかの者達もそれは分かっているな」
「「「勿論でございますアインズ様!!」」」
そう、戦争とはあくまで外交の一環である。つまり手段であって、目的ではないのだ。今回のことで言えば、自分たちはリザードマン達をその支配下に入れたいのであって、なにも彼らを殲滅したいのではないだ。目前の武人がかつてであれば、その力のままに相手と戦うことしかしなかってであろう存在が凄い変わりようではないか。
それは嬉しさと同時に頼もしさからくるものでもあった。この武人であれば、墳墓の戦力の指揮をすべて任せてもきっと自分の期待以上の成果をだしてくれるだろという。失敗したとしても彼一人の責任にするつもりはないが。
「だとすると、最後に攻撃を予告したのもその一環か」
「ソノ通リデゴザイマス」
要は心理戦だ。向こうはこちらの襲撃に備えて、その精神をすり減らすことであるだろう。そして当のタイミングで再び降伏を迫る。生物とは、時に知性があるものであれば欲求として楽な道に転がりたいというものがある。それを考えれば、彼の判断は正しいものであるのだろう。だからこそ、支配者は武人に笑いかけるのだ。
「では、引き続き頼むぞコキュートス」
コキュートス自身も主の優しさに感謝せざるを得ない。仮に今回の戦いがもっと酷い結果で終わったとしてもこの方は何かしらの理由を上げて自分を擁護したのであるだろう。そして今になってようやくかの方の狙いが分かったのだ。この御方は自分が失敗してもいいように、わざと制限をおかけになったのだろうと、そうすれば、すべては主がそう望んだからと言えてしまうのは先ほどのやり取りが証明している。
(何処マデモ)
優しい方である。だからこそ、自分はその期待に答えていかないといけない。それとこんな時だというのに、どこか安堵している自分がいることにも多少の戸惑いを覚えている。それは後ろに控えている少女を意識すると更に大きくなるようでそれが武人の心を揺さぶるが、それらを飲み込んで彼は主へと答える。この場に必要な言葉はこれだけだ。
「オ任セ下サイ、絶対ナル支配者タルアインズ・ウール・ゴウン様、全テハ御身ガ望マレルママニ」
そう、一見して痛み分け。しかしその実態は……その勝敗は明確についているのは、当事者たちであれば、嫌でも痛感するものである。先の戦いで戦場となった広場に最も近い、彼らの集落、全部族が過去の垣根を乗り越えて終結した村。そこは今、重い空気に支配されていた。哀傷、哀惜、哀悼とそれはすべて死んだ者たちを、そして未だに行方不明である者たちを思ってのものであった。
「どうしたものか」
集会所もとい会議の場には前は6人であったのが、今はその半数しかいない。では、残りの3人は死んだのか?と聞くのはあまりにも無神経と言える。知性を、いや、この言い方はよくない。心を明確な形でもつ生物が止まるのは何もその命の有無だけではない。蜥蜴たちの中心といえる6人ではあるが、死んだ者はおらず、一応全員命があるといえば、あるのだが……
「ゼンベルはまだ……」
今は他にも話し合うべきことがあるはずなのに、まるでそれから目をそらしたいがために出たその弱弱しい声にこの場に居合わせていたスーキュはため息をつきたくなるのを何とか堪える。いや、出来る事なら自分だってもうすべてを投げだしてしまいたいと思っているのだ。あの時、自分があの攻撃、突然ゾンビたちの攻撃の射程が伸びて不意を突かれたというに、自分たちが無事であったのは、本当に運が良かったとしか言えないからだ。
「目覚めていないみたいですね」
そう言った心の葛藤は出さず、できる限り普段通りの声音で返す。
「そうか」
「それよりも明日に関しての話をしなくてはいけません」
「すーきゅの、いうとおり」
こんな時でも冷静なこの人物には助けられる。思えば、かつての戦争でも彼が後方で指揮をとっていたと思い出す。
「明日改めて、彼らは攻めて来ると言いました。それに対して私たちが出来る事は限られています」
時間であれば、十分と言えないいが、まだある。戦争が始まったのは現実でいう午前10時頃であり、そして1時間足らずで終わったのだから。終わってみれば時が過ぎるのが遅く感じてしまうが、それはそれだけ濃密な時間を過ごしたとも言えることである。
そして現在はまだ午後1時頃と言える時間帯である。よって、あがくのだ。それがどれだけみっともないものでも。しかし、
「まず、再び戦うというのは」
「むずかしい、とおもう」
「無理だろう」
「そうですよね」
これからの種族の運命を左右する場というのに参加者全員がこれでは祖霊に顔向けができないなあと思いながらもそれが出来ない理由を確認していく。
そもそも、先の戦いにしたって相手側が準備の為に時間をくれたのが大きいのだ。それを最大限に利用して設置したのがあの糸と木箱の罠なのである。それだけではない。
「今度は前情報が全くありませんからね」
前は自分が中心に相手の軍隊を調べて、それに合わせた戦い方をしたのであるが、
(いえ、これに関してはどっちみち意味がないかもしれません)
そうすることさえ、相手の罠の一環であったのだ。むしろ下手に情報を集めようとしない方がいいかもしれない。しかし、それでは何も分からない状態の戦闘となりはっきり言って今日ほど戦えるなんて事はないだろう。
「では、避難する方向で行きますか?」
「それも、むりかもしれない」
「できる訳がない」
今は仕方なく、自分が進行をしているが、こうもいう事すべてを一言で否定されるのは中々神経に響きそうである。それを何とかそれを堪えてその理由を問いかける。感情論で物を言うのは赤ん坊でもできるのだ。しっかりとした理論を自分は聞きたいのだ。
「どうしてそう思うんですか?」
「弟が――ザリュースが言っていたであろう。自分たちは見られていると」
「あれは、あくまでそういう可能性があると……」
「弟の言葉が信頼できないと?そう言うのか?」
向けられるのは明確な殺意、もしも彼が傷心でなければ間違いなく殴られていたことであるだろう。それを諌めるのはあまりにもたどたどしく、下手をすれば、子供の言葉だと思われがちなそれでいて冷静な言葉であるり、それを受けて、彼も頭が冷えたらしい。
「しゃーすーりゅー、おちつく」
「すまない、キュクー、スーキュ」
「いえ、私の方こそ失礼しました」
面倒な人物である。今の彼は部族間連合の代表だというのに、同時にどうしようもない兄貴なのだと思い知るようであった。自分も余裕がないのかもしれない。少し考えれば分かることではないか、先の戦いにおいてスケルトン達が見せた戦術、あれは間違いなく自分たちがよく使う武器を考えて用意された防御策ではないか、その可能性を指摘した彼の弟の言う可能性も考慮しなくてはならない。
「そうなりますと、逃げるなんて選択肢をとれば」
「かえって、きけん。かも、しれない」
そう、敵は不思議に紳士的なところを見せているのだ。開戦までの日にちであったり、当日だって先にあの赤い昆虫のような者が来て、攻めて来る時間帯を伝えて来たのだ。そしてそれを違えたりは決してしなかった。そんな相手に砂をかけるような事をすれば、元より戦力差が開いている状態だというのに、どうなるか想像もつかない。
「では、素直に降伏しますか?」
「うけいれてもらえるなら」
「どうだろうな……」
これも難しいかもしれない。自分たちは最初に降伏するよう言われた時に抗う道を選んだのだ。それが一回の戦闘で身の程を知ったので、今度は降伏しますだ。そんな相手を信じるものはいるだろうか?少なくとも自分が相手側の立場であれば、身勝手なものだと思うだろう。最も、あんな乱暴な事をする機会なんて一生ないだろうけど。
「だったら、どうすればいいと言うのですか?」
やや体を震わしながら出た言葉に答える者はいなかった。それはそうだろう。戦う事も逃げる事もかといって、無様に
彼らは答えのでない。かといって、投げ出すこともできない。生き地獄のような沈黙の時をしばし過ごすのであった。
そんな会議に参加すべきであるのに、そうしないリザードマンが1人ここに居た。それはこの村に移る際に新しく作った小屋の前であった。それは一般的な四方を壁で囲んだものではなく、一面だけが大きく開けられており、まるで獣が住み着いた洞穴を思わせる作りであった。
そこに横たわる一匹の獣、言うまでもなくロロロであるが、その体は重体であった。あちこちが拳大の刺し傷だらけであり、何より大きいのは外側の2本の頭は完全に両の目を潰れてしまっており、もう何も見る事は叶わいだろう。それでも首は生きているようであり、時折、首を寄せてくるのである。
「すまない、ロロロ、本当に」
ほかに気の利いた言葉が思いつかず、ザリュースはそう返すしかできなかった。あれから、まだそんなに経っていないというのがどうにも信じられない。まだ、自分もどこか夢心地のようである。いや、単に。
(認めたくないのだな)
あれは唯の夢であって欲しいと自分が思っているのだろう。なんと身勝手なことか、以前彼女に見せた気概というのはどこかへと行ってしまったのか、あるいは。
(あの時)
目前の獣が死にもの狂いで止めた敵軍の増援を戦いで出し切ってしまったのかもしれない。それだけではない。最適だと信じていた選択の数々、そのすべてが結果的にこの最悪な状況へとリザードマン達を追い詰めているのだ。
(俺は……)
ここに来て、怖くなってしまったのか?いや、それはない。ザリュース・シャシャというリザードマンもまた非凡である人物であり、同時に相当な数の修羅場を駆け抜けて来たのだ。そんな彼が今更、自己保身でこんな思いをするはずがない。繋がりというのは大きいものであり、上記の場を共に駆け抜けた友に大切な家族が死に目にあったことがその精神を追い詰めているのである。
そして、その後姿を無力感に苛まれながら見つめる雌が一人、クルシュである。彼女もまた、何とか彼の力になりたいと思っていたが、その方法が何一つ思いつかないのだ
(私って、とことん無知なのね)
しかし、それも仕方のないことである。長年、その体質から誰からも気にかけてもらえず、必要以上に言葉を交わす事もなかった為に彼女には対人ならぬ対蜥蜴経験が圧倒的に不足しているのである。
それと同時に彼女の胸にあるのはふたつの感情であった。どちらも何かしらに対する憤りであり彼女はそれを正しく認識していた。一つは何もできない自分への怒りであり、もう一つは今もなお眠り続けているであろう戦闘狂に彼の目の前にいる獣に対するどうしようもない程に膨れあがっているであろう嫉妬だ。一見関係がないように見えて、このふたつは今も項垂れている彼へ対する自分の想いの丈が生んでいるというもの。つまり、
(私にとっても彼は)
もう、かけがえのない存在であるのだろう。そう認めてしまうと体が頭が熱くなってくる。どうしようもなくあの雄が愛おしい。そんな思いが自分の体を内側から破って彼へと襲い掛かりそうである。そしてそれを自覚すると腹立たしく思ってしまう。
(私もまた、無力なのね)
愛する雄があんな状況であるというに、自分は何もできないのだ。今ほど、これまでの事が悔やまれる事はない、あの時、あるいはあの頃、少しでも何かしらでも何かやっていれば。何かできたかもしれないと思わずにいられない。
そんな彼女の横を一人のリザードマンが通り過ぎた。
(???)
また一人、一人と増えてゆき、やがて無数のリザードマン達が彼女の隣を通り過ぎ、その者達は彼を囲むように立ち並ぶ。
「あの……」
思わずそんな声しか出せず、いつもの勢いはどこに行ったのかと自分で自分に突っ込みたくなってしまう。彼らがどういった目的でここに来たのかは察することができる。この戦争の発端である彼に文句を言いに来たのであろう。その気持ちも分かるが、だからといって、唯でさえ傷ついている彼にこれ以上の痛みを与えないで欲しいと彼女は切に願いながらも何とか静止しようと駆けだすが、次に彼女の耳に聞こえたのは罵倒の類ではなかった。
「ザリュース!お前こんな所に居たのか。族長が心配していたぞ」
「え」
間抜けにもそんな声を上げてしまう。それもそうだろう。てっきり恨み言かと思えば、そのリザードマンから出たのは、彼を心配する声であったのだ。それだけではない。
「お!あんたがフロスト・ペインの持ち主で有名なザリュースさんか」
「ちゃんと飯は食ってるのか?随分やつれたように見えるが」
「先の戦い、見事であった」
「これがロロロね、うふふ、とっても可愛いじゃない」
「おい、あっちで白いのが心配そうにしているよ、あなたの雌じゃないのか?」
「まだ違います!!」
最後の言葉を否定して、(しかし、完全に否定するのはどこか嫌であった)彼女もその輪に加わる。その無数の視線はすべてが彼に対して尊敬であったり、気遣うものであった。彼自身困惑しているのであろう。その顔は完全に状況に振り回されているものであった。
それは実際その通りであり、ザリュース自身も何故自分にこんな視線が、いや、もっと言えば、
(どうして?)
自分は皆を巻き込んでとんでもない負け戦に突き合わせたというのに、
「皆、怒っていないのか?」
それは出来る事なら憎悪をぶつけて欲しいという願望であったかもしれない。これは別に彼に性癖がどうというものではない。時には罰を下してもらった方が罪の意識が軽くなるという時もあるのだ。それを聞いたリザードマン達はそろって呆れたように息を吐き、その内の一人が返す。
「お前、何言ってんだ?」
「いや、俺はとんでもないことを」
「馬鹿言ってんじゃねえ」
また別の雄がその言葉を口にしていた。彼は続ける。
「確かによ、お前が発起人であるのは確かかもしれねええ、でもな、俺たちだって覚悟を決めて決戦に挑んだんだ。そうだろう、皆?」
彼はそこで周りに同意を求めるように両手を広げて視線を斜め上へと向けた。
「そうだそうだ」
「僕もそうです」
「わたしだって」
「あたいもよ」
それを確認して、少し満足したように鼻をならすと彼は再びザリュースへと向き直る。
「それによ、お前の最後の頑張りがなければ、俺たちはこの時を過ごせていない。お前のお陰で俺たちは生きていられるんだ」
「だが、奴らは明日にも攻めて来ると、――今度こそ俺たちは負けるかも……いや、負けるんだぞ?」
それは彼自身が導き出した一つの諦めであったのだろう。だというのに、蜥蜴たちの顔は変わることがなかった。
「それでもよ、少なくとも今日一日こうやって笑うことが出来たんだ。それは他でもねえ、お前のお陰だ」
「そうですよ。それにまだ負けるなんて決まってはいない」
「ザリュースに、族長たち、それに祭司たちのあれ、何だっけ?」
「
「今や、俺たちは5部族、いや、かつての生き残りもあわせりゃ7部族連合だ!」
「最悪、他の土地に逃げるのもいいかもしれない」
「そこに先住民族がいたら?」
「住処をかけて戦争を吹っ掛ける」
「うわ、最低な発想だ」
「でも悪くないよな」
「今の俺たちならトードマン達にも勝てそうだよな~」
「「「それだよな!!」」」
「…………」
まるで、これから壮大な演奏会をやるかのような、あるいは酒を片手に持って、花見会をやろうと言っているように和気あいあいと言葉を交わし合うリザードマン達の姿が彼にはまぶしかった。
彼らにとって、先の戦いでのザリュースの働きは知っているし、何よりロロロの存在が大きいのだ。あれ程傷ついてその上であの獣は主人の為に戦ったのだ。そうなれば、獣にも敬意が生まれるし、その思いに応えて駆けた彼への評価だって上がるのだ。だからこそ、少なくともここに集まったリザードマン達に彼を憎むなんて考えはなく、むしろそう思うことこそ恥ずべきことであると彼らは一つの結論を出していた。
それに悪い事ばかりではないのも確かだ。先の戦いは散々たるものであったが、同時に蜥蜴たちが更なる高みへと昇ったとその身をもって分かることもこの謎の暖かさの要因だったりする。
「お前1人で戦っているんじゃねえんだ!何でもかんでも抱え込むんじゃねえよ」
「……俺は……」
そこで視線を動かして、一人の雌に止まる。自分が惚れた雌だ。彼女は母性を感じさせるような顔をみせて笑って言ってくれる。
「そうよザリュース、貴方は1人じゃない。私たちがいるわ。最後まで出来る事をやりましょう」
「クルシュ、俺は……いや、考えても仕方ないな。ありがとう」
ようやく、笑顔を見せたザリュースであるが、その顔はどこかぎこちなく、薄気味悪い何かを感じてしまうクルシュであり、思わず問わずにいられないものであった。
「ねえ、ザリュース」
あなた、何考えているの?と聞こうとしたところで新たな声がそれを遮る。それも自分にとってはあまりいい印象がない声だ。それでも喜ばしいものである。
「おう、ザリュース!!」
「ゼンベル!目が覚めたのか?」
まだ両脇にほかのリザードマンがいて彼を支える形であったが、何とか動けるようであった。
「おうよ!親友の俺がいなくて泣いていたんじゃあねえか!」
「まさか……そんなはずがないだろ……」
そう言いながらも彼の頬を大粒の涙が流れていた。それを見て、先ほどの悪寒は何かの勘違いであったのかと彼女は思ってしまうのであった。
時間とは、あっという間なものである。この日、アトラスは墳墓からの使者としての役割を受けた5人の中で唯一3度目の役割をこなす事になり、三度その村を訪れていた。そんな彼を向かえるのは蜥蜴たちであった。その目には未だ戦意が消えていないようであった。
(コレハ)
もしかしたら、もう一度、彼らと戦う事になるかもしれないと、その予想を打ち破ったのはある雄の叫び声であった。
「使者殿!話がしたい!!」
「キデンハ――ザリュースデアッタカ――ナニヨウダ?」
「そちらの大将との一騎打ちを所望する」
「ナニ?」
「ザリュース!あなた、何を言っているの!?」
蜥蜴たちの群れからひときわ目立つ白い声からして雌のリザードマンが彼へと問い詰めていた。それでも彼は取り乱すことなく、その話を聞く。
「ドウイウ――ツモリダ?」
詰め寄っている雌は何とか手でいなしつつ、彼は続ける。
「そちらに俺たちの同族がいるだろ。200程」
「ソノ――トオリダ」
「その上で提案をする。そちらにとっても悪い話ではないはずだ」
ザリュースは語る。その決闘でかけるのは自分たちの自由。蜥蜴たちはざわめきだす自分たちが誇る勇者は何を言いだすのかと。話は続く、リザードマン達を代表するのは当然、ザリュース本人であり、もしも彼が勝てば、今後自分たちには関わらないというものであり、負ければ、全リザードマンが無条件に墳墓の支配下に入るということであった。ただ、そのどちらにしても先の戦いで自分たちが捉えた捕虜を解放して欲しいというものである。
(ナント――ナント)
彼の胸を占めるのは、一種の失望であった。何ておこがましい雄であろうかと、それまでの印象がすべて壊れるようである。
しかし、同時に狡猾な人物であるかとも思った。それを証明するように彼の言葉が耳に届く。
「決して悪い話ではないはずだ。俺たちを欲しているあなた方の主にとっても」
(コノ――オスハ!)
自分たちの主の願いを見抜いたというのか?で、あるならば、おとなしく降伏すればいいというのに。しかし、主を思えば、その話を受けるのもどうかと彼は迷いを抱える。
『畏まりました。その話、我らが主にお伝えします』
「!!!――ウィリニタスサマ」
いつの間にか自分の右肩に見慣れたフクロウ姿の統括補佐が居たのだ。その突然の出現に目前の蜥蜴たちも驚いているようであった。しかし、彼にしてみれば、即決しかねる話であった。
(ソレハ)
(当然、アインズ様も承認済みです)
(サヨウ――デスカ)
絶対なる支配者たるあの御方の名前がでるのであれば、自分はそれに従うまでだ。改めて、目前の雄へと向かい丁度昨日と同様に伝える。その時刻を。
「ザリュース、何を考えているの!!」
クルシュは問いかけずにいられなかった。彼の提案は身勝手なものであるが、何より許せないのは彼がその決闘で死ぬつもりだと確信したからだ。
「あなた、死ぬつもりなの?」
「そうかもな」
肯定するように返されるその言葉自体も酷く恨めしいものに聞こえてしまう。
「あの求愛はどうするのよ?」
「勝手であるが、取り消させてくれ」
あれだけ熱心に言い寄ってきたといういのに、それさえあっさりと捨てられるんだと彼女は彼へのこれまでの不満も重なり怒気が爆発する。
「最低よ、あなた――本当に最低よ!!」
「クルシュ……」
思わずその胸倉をつかみ、彼女は涙と共に彼へとおそらくこの戦争が始まって以来、彼が初めて浴びるであろう罵倒を喚き散らす。
「勝手に求愛してきて!!散々、人の心を揺さぶって!!今度は死ぬからなかったことにしてくれ?本当に勝手よ!自分勝手だわ!」
「そうだな」
「私の心はあなたに縛りつけられているというのに!こんなにも縛り付けておいてこれなの!ねえ、答えなさいザリュース・シャシャ!!」
「すまない……だが」
「???」
「惚れた雌には生きて欲しい」
「!!!」
もう声にならない声をあげ、彼女は泣き叫んだ。それはどうにもならない運命を嘆いてのものか、あるいはその運命そのものを憎んであげたものであるかは、その場に居たリザードマン達には判断の仕様がなかった。
30分後
第5階層、
(久方ブリデアルナ)
こうして、主の為に武器を振るうのはと彼は感慨深げに冷気を吐く、やがて今の彼にとって最も安らぎを与えてくれる声が聞こえてきた。
「コキュートス様」
「エントマカ」
彼女の声を聴くだけで、どんな時でもどのようなものでも不安が消えていくようであり、結局それは分からずじまいであるが、自分がやる事に変わりはない。
「こちらをお持ちしました」
差し出しされたお盆にのったそれはいつもの様に彼女御手製の菓子であり、それを受け取り武人はただ一言、言葉を返す。
「感謝スル」
「頑張ってくださいませ」
同時刻
執務室にて、アインズはある資料をまとめていた。それにはナザリックに所属する者であれば、たとえPOPモンスターであっても細かくのっている名簿と言えば、良いだろうか。そして現在彼が手にしているその名簿にはあちらこちらの名前の前に黒い点がうってある。意味合いとはしては「死亡、あるいは消滅」である。
「………はあ」
「モモンガ様」
彼の哀感を帯びたため息に反応するのはその立場から当然と言うべきか、あるいはその想いから当然と言うべきなのかアルベドであった。
「大丈夫だ、アルベド。戦う以上、私たちの側にも多少の被害はでるものだ」
「ええ、ですが、それでモモンガ様が御心を痛めるのは」
「アルベド」
思わず胸が高鳴り、頬が熱を帯び、体から蒸気が出そうになる程。彼女にとってその声は優しく、それでいて凛々しいものであった。
「お前が私を想ってくれているのは知っているしありがたいとも思っているさ。だがな、だからこそ、私はこの痛みを背負わなくてはならない」
それは少し前に上げた彼がSMのどちらかというしょうもない話ではなく、アインズが決めている一つの覚悟の形だ。世界を相手に動いていくのだ。自分たちだけ傷つきたくないというのは、あまりにもご都合主義というものであるし、その死を忘れることは彼らの働きに対して最低の行いだ。だからこそ、自分は彼らをいつまでもその心に留めていなくてはならなし、いちいちそれで歩みを止めることも決してしてはいけないと。
(だが、そうなると)
NPC達が同様の目にあっても自分はそういった決断をし続けていかないとその胸に陰鬱という名の
(モモンガ様)
その様を見たアルベドは彼女で葛藤していた。まず来るのは自己嫌悪であった。
(本当に、私は酷い女ね)
何度も確認していることであるが、自分は既に真の臣下なんて名乗ることはできない立場である。目前で苦しむ御方を見れば、あの時、その願いの通りに。
(違うわ、何を弱気になっているのアルベド)
その考えはすぐに振り払う。これに関しては間違っていないと自分は言い切らないといけない。
それは他の者たちからの言葉でも判断できることであった。特にマーレからの感謝は凄いものであり、あの涙目交じりのお礼を見てしまえば、ワガママを通す形でもあの御方を引き留めてよかったと思える。
彼だけではない。墳墓には他にも主を親のように慕っている者たちが何人かいる。それは仕える者の感情としては不適切かもしれないが、彼女はそれを咎めようとは思わないし、むしろありがたく感じているのだ。
(でも……やっぱり)
自分の想いを伝えたのは失敗であったのかと心配になる。間違いなく自分が主へと抱いている気持ちが主自身の重荷の一つになっているのは時折、見せる姿から明らかではないか。それでもこの気の迷いを出せば、この方はもっと悩むことであろう。自分が悪い事なのに。そしてここからが、嫌悪の本当の正体だ。
(欲しい)
そう、ここまで主を苦しめているにも関わらず、それでも願わずにはいられないのだ。この御方の子供を産みたいと、それは例の現地産マジックアイテムの存在を知っている事が拍車をかけているとも言える。
主が子供好きであることはナーベラルからの報告でも分かっている。モモンとして活動している時に例え見ず知らずの家庭の子供であっても抱き上げたり、肩車をしている姿を何度も見ていると、それは単に主が英雄像を作る為に仕方なく……という訳ではなく心から望んでやっていることはその時に見せる笑顔から本心から望んでやっていることは間違いの可能性の方が低いというのが、彼女の話だ。それを聞いた双子が面白くなさそうな様子を見せたのも思わず笑ってしまいそうなものである。要はヤキモチだ。
(いい加減、立ち直りなさいアルベド。私がこれでは、この御方に安らぎは訪れないわ)
その回想が彼女を奮起させる。その考え方は一歩間違えれば傲慢と言われかねないものであるけど、それだけ彼女が自らの主を愛しているという彼女なりの覚悟である。決して、この御方から離れず最後まで共にあり、尽くしていくと。そして、それだけ想っているからこそ、自分が何をすべきか、自然と分かるのだ。
「モモンガ様」
彼もまた、その時に彼女見せる笑顔に多少、心が軽くなると同時に今すぐ抱きしめたいというどこからか湧いてくる衝動を何とか抑えながらその言葉に返答する。それだけで精一杯だったりするのだ。
「何だ?」
「例え、私たちの内誰かが、この先、命を落とすことになってもそれをモモンガ様が重荷に感じる必要はありません――申し訳ございません、言い方が悪かったですね。そうならないようこれからも私たちは尽力しますし、今回のことで散った者たちにしても決してアインズ様を憎むことはなく、そうしてその存在を貴方様が気にかけてくれるだけで彼らは十分満足しているはずですし、幸せ者なんですよ――少なくともそこまでモモンガ様、いえアインズ様に思って頂いている彼らが私は羨ましく思います」
「アルベド……」
その言葉は個人としてのモモンガ、支配者としてのアインズ。その両方に向けられたものである。
何度目だろうか、彼女の言葉に救われるのは、そして湧き上がるのは欲求であった。そんな彼女の唇に口づけを交わして、そのまま体を重ねて、それから激しく彼女の体をまさぐりたいと、彼女のその美しい体を貪りたいと、生存本能が生み出す雄が雌へと抱く自然的とも言える欲望が生まれてしまい。決して拒まれることもないだろうと思わずそれに従いそうになって右手を伸ばしかけて、何とか抑える。
(駄目だ、駄目だ駄目だ)
次に浮かぶのは自傷であり疑問であった。自分には性欲なんてものはないはずであるのは以前の接待の件でも分かっているではないか、それが何だこの衝動は?どこから湧いてくると言うんだ。と醜い自分を意識してしまうようである。
(いい加減、立ち直れよアインズ・ウール・ゴウン!今のお前は絶対の支配者なんだ!)
「ありがとう、その言葉が私を支えてくれている。それに、そうだな――ザリュース・シャシャか」
「はい、今回コキュートスが戦う相手でございますね」
話題を変えるという意味合いもあるが、純粋にアインズはかの蜥蜴たちの勇者のことが気になっていたのだ。
「その男?雄だが、何もこちらの戦力が分かっていない愚者という訳ではないのだろう?」
「はい、それは
「別にそれくらいは気にする必要はないのだが、そうか、あいつがそう評するのであれば、間違いはないだろう」
かつて、統括補佐は戦士長、ガゼフ・ストロノーフと邂逅しており、その時にかの男の美徳を知った。そしてそれと同じ物を今回の件、ザリュース・シャシャにも感じたという。
(自らの命を投げうってみんなの未来を護るか)
自分たちの目的を見抜いて彼が一騎打ちという方法をとったのであれば、相当な人物である。これであれば、最小限の犠牲で戦いを決することが出来るのだから。だが、その内容を考えれば、本人の命は保証されるものではなく、だからこそ彼への敬意が生まれそうであった。
それはかつての自分が下した判断よりもずっと立派だと言える。自分はただ、許しが欲しくて、逃げたくて、ああいった行動に出たのだ。そうなれば、自然と思ってしまう。
(そんな彼こそ、協力者になってもらいたい)
押し付けがましい勝手な願いであると、分かるが。それでもそれだけの人物である訳であるし、だからこそ気になるのだ。かの武人がそれをどうするのか。彼に任せている以上、どのような結果になっても自分は受け入れていくべきである。が、それでも期待せずにはいられないのだ。
(お前がどうするのか、楽しみにしようコキュートス)
やがてその時を向かえる。
その広場に集まるのは、2種類の者達、リザードマン達とそして、蟲やどちらかというと昆虫に近い容姿を持つ者たちであった。
そして一方、蜥蜴たちの中から現れたのは、1人の雄。ザリュース・シャシャであった。その手には彼の切り札にしてリザードマン達の至宝であるフロスト・ペインが握られており、その背には一本の槍が背負ってある。
彼は一度立ち止まるとそこで周囲を見回す。どの視線も自分を気遣ってのものであった。それがとてもありがたく、そして。
(覚悟を決める)
ことが出来るというものである。見回してみれば、知った顔もいくらかある。戦士頭に狩猟頭はどうやら無事だったらしい。しかし、いない者たちもいる。
(ソーリス)
あの若者も先の戦いで戦死したのは、確認済みである。残念な気持ちもある。いつか、彼ともっと戦いについて語りあいたいと思っていたのだから。今、自分が持っている槍は彼の遺品だったりする。ほかの者達に聞いても自分であれば、彼も文句はないであろうという事であった。
(兄者……)
連合代表として、この戦いを見届けに来たのであろう。そして彼に頭を下げる。それは必要なことであった。
(世話になった)
勝つ可能性が限りなく低いため、そう思うのもまた仕方ないと言えよう。自分は下手をすれば、死ににここに来たのである。それから辺りを見まわすが、最後に見ておきたい顔を見る事は出来なかった。
(クルシュは……いないか)
仕方ない、自分は彼女に対してひどい事をしたのだから。友の姿が見えないのはまだ全回復ではないのだろう。彼もいい加減覚悟を決め、正面を見据える。
そして蟲たちの中から出て来るのは、彼らの主人にして大墳墓の階層守護者が一人、コキュートスである。彼の武装というのも、酷くシンプルでありその一つの手に握られている刀が一振りだけだ。勿論ただの刀ではない。
斬神刀皇
かつて彼の創造主も使っていた。彼が持つ武器の中では最大の切れ味を誇る業物である。
彼らは互いの陣営の者達が見守る中、湿地帯の中央へと歩みを進め、対峙する。ザリュースはどこからか来る恐怖感で取り乱したくなるのを何とか抑える。以前会った使者とは桁違いの何かを感じているのだ。
「貴様ガ、ワタシノ相手トイウコトカ」
「ああ、そうだ。俺の名は」
「少し待ってもらおうじゃねえか」
名のりを途中で遮って、現れたのは異様に右腕で巨大な雄のリザードマンであった。
「何ノツモリダ」
「ゼンベル、今はお前のおふざけに付き合う暇は」
「まあ、聞けや」
戦闘狂の話によれば、自分たちと武人の間には圧倒的な実力差があるのだから。今更自分一人が増えた所でそんなに変わりはないだろうと。
(確カニ)
武人としてはどちらでも全力で刃を振るうのは変わらないので、別にどちらでも良くその申し出を受けることにした。
「改めて名乗ろう。ザリュース・シャシャ」
「ゼンベル・ググー」
「我ガ名ハコキュートス、偉大ナル御方ニ仕エシ者ナリ」
(この上にもいるというのか)
その言葉に戦慄を覚えながらもザリュースとゼンベルの2人は武人へと挑まんが為に、駆ける。まずはザリュースがその右肩を狙い、至宝たる魔法の
「遅イ」
武人はその攻撃を刀で受け止めてみせるのであった。
「おらああ!!」
続くようにゼンベルが突き出す拳も同じようにその刃の腹で受けてみせるのであった。
(やはり)
この人物はこの武器だけで戦うつもりであるのだ。それならば、友と目配せをする。
(やるぞ、ゼンベル)
(おおう、ダチよ)
それはつまり、先ほどのやり取りが演技であるという訳ではないが、この僅かな時間で何かを思いついたという事でもある。一体彼らは、
(何ヲ狙ッテイル)
武人もまた考えていた。彼らがその動きで何をしようとしているのかを、
「よそ見してんじゃねえ!!」
「不意ヲ撃チタイナラ声ハ控エルベキダ」
右足を狙ったであろう、その拳を刀で受け切る。彼にとってはそんなに難しいものではなかった。確かに目前の雄たちはリザードマン達でも強い方であるのだろう。しかし、それ以上に武人の身体能力が高いのも確かな事実であり、そんな彼にとって、彼らの動きというのはすべてが見えているのである。どれだけ動きで翻弄しようとしても無駄だ。と彼はザリュースに対しての評価を下げつつあった。
彼の動きはどこかぎこちなく、指揮官スケルトンが率いる部隊との戦いで見せた気概というものはどうにも感じなかったのだ。
(ヤハリ、コノ雄ハ)
この場に死にに来たのであろうか、だとすれば。
(尊敬ハシヨウ)
その命を持って一族を比較的安全な方向へと進めたのであるのだから。それでも失望を抑えることが出来ないのは、どこか期待をしていたのだろう。この雄であれば、この状況でも何かをしてくれるのではないかと。
「うおお!!」
「遅イ」
だが、実際はひたすらにその武器を振るうだけであり、自分の首を狙ったであろうその横なぎを受けるも何も感じることができずいい加減終わりにすべく、それをはじき、彼は容赦なくその相手が死なない程度に切り裂く。
「く!!」
軽く胸元を斬られたザリュースはその場に仰向けに倒れてしまう。斬られたという認識すらなかった。気づけば血が噴き出していたのだ。
「次はおれだああ!!」
「ダカラ……」
何度もそう思っており、そして何度か忠告したのに。それでも馬鹿正直に叫びながらつっこむその雄にいい加減武人も堪えきれず。
「声ヲ控エロト言ッテイル!!」
彼にしては珍しい怒声。本来コキュートスとは冷静に状況を見極める目と思考を持っている守護者である。それも当然、なんせ、彼は正に多種多様な武器を使うのだ。その全てをその感性がなせる技というのはいささか無理がある。そして、その彼が一瞬とは言え、激高するほどに彼らが愚かなことをしていたとも言える。その代償は大きい。
「ぐわあああ!!」
巨大な右腕を失ったゼンベルは狂乱気味に叫びながらその場に倒れてしまう。確かに重症であるものの、治療さえすれば、
(死ニハシマイ)
その腕に少し違和感を感じたが、それよりも目の前の雄である。彼の返り血を浴びたのかその雄もまた真っ赤であった。
「一人減ッタ。ドウスル」
勝ち目はないのだと、早く諦めて欲しいと、いや諦めろと彼は刀を突きつける。しかし、その雄は、ザリュースは、息を切らしながらもその提案を拒否するのであった。
「まだ、諦めきれないのでな」
そして、彼はここでその剣を一度空に掲げる様に構え、そして振り下ろした。
「
彼を中心に広がる冷気に防がれる視界。しかし、それでも武人の氷のように冷たい冷静さは失われることはなかった。
(マタカ)
これは自分も見ているのだ。単に不意打ちの精度を上げるのであれば、もうその意味もない、そのカラクリを十二分に理解しているのだから。そして、その武器を持った影が飛び込んでくるのが見えて、彼は刀を振るう。
「同ジ手ヲ二度モクライハシナイ」
しかし、見えたのは違う光景であった。
「へへ、やっぱりおめえ、良い奴だぜ」
「ナニ?!」
フロスト・ペインを持って突撃を仕掛けてきたのは、先ほど倒した雄であったのだ。失ったはずの腕にはしっかりと糸が縛ってあった。
(止血)
それをすれば、確かに出血を抑え、動くことはできるであろう。だが、片手でどうやって?いや、これこそ先の違和感の正体。
(予メ、結ンデイタ)
そう、戦う前から緩んだ状態で糸をつけておけば、後はさほど苦労しないで縛ることはできるであろう。だが、どうして、まるでそれでは。
(斬ラレル事ヲ望ンデイタ?)
そうだろう。まるで、腕を切断させるのを狙っていたかのように。その答えが出る前に次の攻撃が来た。いや、正確には自分が刀を振るうのとほぼ同じタイミングであった。流石にそれを刀で受けることはできずに空いた方の手の指を使い挟む形で止めようとするが、その感触はまるで油を触ったように、上手く力が入らず滑るようであった。
(ナ)
それは、大量に血がついた槍の先端、それを構えるのはザリュース・シャシャ
「…………」
それはほんの6秒間の出来事であったが、当人たちや当事者たちにしてみれば、悠久に等しき時間であった。武人は彼らの狙いを知ると同時に彼の目が死んでいないことに驚きを感じていた。
(ソウイウ事カ)
すべてはこの一撃の為であった。わざと愚者のように振舞っていたのも、そしてゼンベルが片手を斬らせた事もすべてが、
何故腕を斬らせたのか?大量の血液を獲得するためと、それで彼は終わったものだと自分に思わせる為であった。いや、それだけではなく、彼らの体格を似せる狙いもあったのかもしれない。先ほど飛び込んできた雄を勘違いしたのは、右腕を半分失ったゼンベルがザリュースに近い体格であったのも大きい。
別にそこまで似ている必要はない。どちらかと言えば近いという認識でいいのだ。それを誤魔化す為の冷気による煙幕、彼ら自身がそれをどうやって防いだのは考えれば分かりそうであるが、もうすべては遅い。やがて、手をすり抜け槍が自分へと到達する。
ゼンベルもまたその瞬間を待ちわびていた。彼はある程度であれば、魔法攻撃を防ぐ術を先の戦いで身に付けたのだ。
(苦労したぜ)
腕は痛むし、体は冷たくなっているが、それでもこの状況に持ってくることが出来たのだ。それには、目前の武人にも感謝をしなくてはならない。
彼はその力量差から自分たちを殺さずに屈服させるつもりであったのだ。それは彼も戦死の本能で分かっていたことであり、その驕りが今回の勝負所であった。
だが、それは結局の所、この人物の優しさという所であるのだろう。無意味な殺害はよしとしないと、集団戦闘であれば、仕方ないが、こうやった決闘であれば、それも選択肢の一つであるのだ。
それは戦争前に自分が立会いをしたあの1戦からも言えること。その上でその選択をした武人に感謝もするが、今自分が叫ぶことはそれではない。
「いけえええ!!ザリュースううう!!」
クルシュもその光景を見ていた。見つかりたくなくて、隠れていたのだ。そして気付けば泣いていた。別に彼は死ぬつもりはなかったのだ。いや、正確にはその可能性を考慮していたのだろうが、別に諦めた訳ではないのだ。こんな時でも生きることに一生懸命であった。
(本当に凄い雄ね)
自分はとんでもない人物に惚れられ、そして惚れてしまったらしい。彼女はただ、彼の勝利を願い、腹の底から咆哮する。
「勝ちなさい!!ザリュース・シャシャ!!」
二人の言葉を受け、その雄はひたすらにただ、目の前にある岩を体すべてを使って押し出すように槍を押し込む。狙うのは、唯一点、心臓があると思わしき場所だ。どのような生物であっても生きている限り、そこに活路があるはずである。と信じて彼はあらん限りの力を込める。
「うおおおおお!!」
その光景に魅せれているのは、何も現地の者達だけではない。かの支配者もまたその雄に畏敬の念を抱いていた。
(これは)
あの雄は死にに来たのではない。こんな時でも勝利を、勝つことを目指していたというのだ。その瞳は強者へと挑む雄の目であり、正に彼の生き様だ。
(本当に俺とは大違いだな)
そして次の光景を見て、胸が激しく苦しみそうになるのを何とか抑え、傍らにいた悪魔へと問いかける。
「デミウルゴス、これは」
「はい、アインズ様。私なりに調べてあることがありますが、こちらに関してはまだ何とも言えない状態でして」
「そうか、いや、分かっただけいいさ、気長にやればいい」
「お気遣いの言葉、ありがとうございます」
(そうだよな、俺が気づいていて、こいつが気づかないはずがない)
それでも、武人の勝利を信じて疑わないのは、彼の身体の頑丈さを信じてのものだと支配者は結論付ける。
「コキュートス様!!」
意外にも声を上げたのは、その少女であった。
「エントまさん?」
「いえ、失礼しました」
直ぐにいつもの調子にもどるメイドであったが、ヘラクレスにもその気持ちは理解できる。何せ、あの雄が見せた迫力はそれ程のものであったし、信じられない光景であるが、それでも主人たる武人の勝利を疑う事はなかった。
そう、確かに槍は武人の胸へと届き、僅か、本当に僅かであるが傷をつける事に成功したのだ。食い込んだところから、人とは違う色合いの体液が溢れだす。しかしそれだけだ。それ以上槍を進める事は出来なかった。
「此処マデカ」
「く」
その言葉で緊張の線が緩んだように崩れてしまうザリュース、ここまでのことでその体力を使いきってしまっているのだ。それも無理のない事であり、決して誰も責めはしないだろう。そして武人もまた考えていた。こんな時だというのに、とんでもないことを。
(モシモ)
自分が、墳墓の階層守護者コキュートスではなく、唯のコキュートスであれば、この戦い、自分は彼らに負けを認めていたと。それだけのものを感じたのだし、同時に自分はまだまだ未熟な存在だと思い知ったからだ。
今回勝てたのだって、自らの創造主がくださった力の賜物であり、自分は何もできていないのだから。胸の傷は痛むが、こんなもの主の御心に比べれば何ともない。そして自分の役割というものも把握しているつもりであった。
「俺たちの負けだ……殺せ」
それは彼なりのけじめであるのだろうが、自分がそれを許す訳にはいかないのだ。
「ソレハ出来ナイ」
「何故だ?憐れみのつもりか」
「違ウ、ソレハ私ノ判断デ決メラレル事デハナイ」
既に彼らは主の所有物のようなものであるし、それは別にしてもこの雄には生きて貰わないといけない。
「だが、俺は」
「逃ゲルナ」
「な……にを?」
「御前ハ敗レタ、コレカラハ我ラガ主ノ支配下デ見苦シク足掻イテ見セロ」
「……俺は」
「そうよ!お願いザリュース!」
「クルシュ」
「生きなさい!逃げるな!」
それは、彼女の本心でもあったし、そして雄がどうしても諦めきれない思いでもあった。
彼女と共に。
(俺は)
敗北して、それで死ぬことも許されず、だというのに、それを受けいれてしまいたいとみっともなくも思ってしまい。彼は力なく項垂れながらもその言葉を受け入れるしかなかった。
「分かった。俺たちはあなた方の支配下に下ろう」
多くの者達の命を奪い、それぞれの胸に様々な変化をもたらした戦争はここに終結したのである。
その夜、武人は主から呼び出しに応じ、執務室に来ていた。その部屋には自分と主の2人だけであり、何の話であろうかと、彼は不安を感じたが、それは杞憂であった。
「よくやってくれたコキュートス。今回の事に私は非常に満足している」
「ソレハ」
あまりの嬉しさに上手い言葉が出なかった。
「その上でお前に聞いておきたいことがある。私は、アインズ・ウール・ゴウンはお前という刀を振るうに足る主人であろうか?」
「マサカ……」
そんな事を気にしているというのか我が主は、その優しさには底がないのではないか?敗れた自分を信じてくれて、それでも至上の結果を出すことが出来ない不甲斐ない自分を使うに足るか、だって?そんなもの決まっている。
「私コソ、貴方様ト言ウ至高ノ御方ガ手ニスルニハ、余リ二モ
「別にそう聞いている訳ではないが……まあ、いい。それはそうとお前の能力は今回のことで十分に証明されたと言える。改めて、ナザリック地下大墳墓に所属するすべての軍勢の指揮をお前に預ける。頼まれてくれるな?」
「勿論デゴザイマス」
そう答えるしかない。まだまだ、自分には未熟な所だらけであるが、それでも前に進むしかないと覚悟を固める武人であった。
それから、自室に戻った彼はエントマの治療を受けていた。いや、傷やダメージ自体は既にポーション等で治療済みであるが、どうしても彼女はそれでは納得しないのだ。槍を受けた部分を濡れた手ぬぐいで拭いてくれている。
「大丈夫ですか?コキュートス様」
「イヤ、傷デアレバモウ」
「単に肉体だけの話ではありません。私はコキュートス様の御心が心配なのです」
「…………」
言葉が出なかった。そう、この少女はそれを心配してくれたのであり、それが無性に嬉しい。そして思い出すのはあの対話の後、彼へと抱き着いた雌のリザードマンである。
(嗚呼)
ようやく、自分の心の変化が分かったようである。コキュートスは、エントマへと手を伸ばすと、その体を自分の胸へと押し付けるように動かした。彼女は少々、驚きながらも決して拒絶はしなかった。
「コキュートス様?あの、……何でしょうか?」
抱きしめたいと思いそうしたが、どうしても体格差がそうさせるのか、客観的に見れば、大人が子供を胸に抱いている構図であった。それでも接触しているところから暖かなものを感じて、彼は答えをだす。これが、
(愛オシイト言ウモノカ)
だが、これを表に出す訳にはいかない。何故なら、主だって、アルベドにシャルティア、それに妹のように感じている彼女の想いに応えていないのだから、それは単に主自身の問題であることもあるが、墳墓の方針が関係していることも確かであろう。だからこそ、自分だってそうすべきであるが、もうしばらくはこうしていたいと心から思うコキュートスであった。
その者達は後悔していた。何だあれは?と、その姿はまるでカエルが人のように立った種族。そう、かつてリザードマン達に勝利した歴史を持つトードマンである。
事は数日前、墳墓の使者だという、骸骨が来て、自分たちに降伏しろと言うのだ。何を馬鹿な事を言っているんだと笑って出来るのならやってみろといったのだ。
その結果がこれだ、飛んでくるのは、無数の槍に矢、それに雷であったり炎であったりするのだ。何だあのスケルトンは?何だあのゾンビ達は?それは自分たちが知っているそのどれにも当てはまらなく、彼らは絶望の声を上げる。
「ひいいい!!」
彼らには大型のモンスターや魔獣を操る技術があるのだ。一匹の魔獣が彼らへと向かう。それは4本脚の像のような魔獣であった。その巨体を生かして彼らを潰す算段であったのだろうが、彼らはあり得ない動きを見せた。
(連結の陣!!)
(((了解!!)))
彼らは素早く縦にまるで梯子を作るように組み合わさった。まるで、組体操の様であり、5体で1柱その高さは10メートル程。そしてそれが5本出来上がり、その者達は全員が膝を折りながら魔獣に向けて倒れる。丁度その柱の先端が魔獣へとぶつかる、しかし崩れはしない頂上のスケルトンが盾を構えているからだ。そして彼らは、
(一斉の、で)
(((どっせい!!)))
曲げられた膝を一斉に伸ばす。その動きが生み出す弾力に弾かれ、巨体がトードマン達に叩きつけられる。
「うわああ!!」
本当に何なんだ!こいつらは?その未知とも言える光景が不気味な恐怖を生み出していく。
迫りくるは絶望の軍勢
第4章 完
クルシュは歩きながらあれからの事を思い出していた。彼が負けを認めて、部族連合はそのまま彼ら、正式名称はナザリック地下大墳墓というらしい――の支配下に入る事になった。その際に相手方に捉えてあった同族達は解放してもらい、偉大なる御方という方の意向でそのままあの村がほとんどのリザードマン達の新たな住居となることになった。
そう言った言い方をするのには当然理由があり、例外たるリザードマンもいるのだ。その数人は人質としてある村へと移住してもらうよう命令が来たのだ。正直、陸上で生きるのは不安があるが、逆らえる立場でない為従っているのだ。そう、彼女もその一員であった。
しかし、同時に嬉しく思ってしまう部分もある。それは、
「何だ?俺の顔に何かついているのか?」
「別に何もないわよザリュース」
彼が一緒であるという事と、
「~~~」
「ロロロ、お前は相変わらずだな」
「大丈夫よ。あなたをのけ者にはしないわ」
この獣も一緒であった。先の戦いでロロロが見せた姿に敵方も感銘を受けたのか、一度、赤い髪を持った人間の女性、当然墳墓の者であるという人物が来て、魔法――それも自分たちが知らないものを唱えたと思うとロロロは何事もなかったかのように体の傷がすべてなくなっていたのだ。やや複雑な気持ちはあるが、それでもいい事に変わりはない。しかし、それでもしばらくは体を休めてもらう為に自分たちは自らの足で歩いているのだ。
そう、いきさつはともかく新しい土地に愛する雄と愛らしいペットと共に移り住む。それは人間に限らず雌にとっては一つの憧れであり、胸が躍る状況と言える。だからこそ、不満も生まれる。
「おい、村はまだかよ」
「もう少し頑張れよ、ゼンベル」
「あなたには耐えるという概念はないのかしら?」
本当に粗暴な雄だ。同時に思う。何でこいつも一緒なんだと、彼さえいなければ完璧であったのにとわりと本気で思ってしまう。
「俺だって重症なんだぜ?全身火傷に右腕がどっかいっちまった」
「それだって治してもらったのでしょう?」
「そうだけどよ」
今回の戦争、彼は死ぬことこそなかったが、中々の大けがであった。だというのに、彼女に彼を労わる気持ちはこれぽっちも出てこなかった。簡単に治してもらったものもあるが、最初の印象がよほど悪かったのであろう。いつか漆黒の戦士が思いふけったように、第1印象とはかなり大事な要素であるようだ。
「おい、ロロロ、お前からも何か」
「~~~」
「何で離れるんだよ!!」
「やめなさいよ、ロロロが怖がっているじゃない」
「待てや!何で俺よりクルシュに懐いてやがんだ?」
「怖かったわね~ロロロ~もう安心よ~」
「~~~」
「おいおい、俺の方が付き合いはあるはずだぜ?なあ、ロロロ」
「~~~」
「そっぽ向くんじゃねえよ!!おい、ザリュースお前からも何とか言ってくれよ」
「はは、無理じゃないか?」
「そりゃあ、ねえだろ!!」
騒ぎながらも目的地を目指す者たち、やがてそこに辿り着いた彼らを向かえたのは、3人の人物であった。
三つ編みにした髪を片方に流している少女と、一度自分たちも会っている赤毛の女性、そしてローブを纏い、仮面を身に付けた性別が分からない3人目だ。中央に立った少女が口を開いた。
「ザリュース・シャシャさん、クルシュ・ルール―さん、ゼンベル・ググーさん、それにロロロ……さんですね」
「ああ、そうだ」
こちらを代表するのは彼だ。これは一つの確定事項のようなものであった。それを受けて、少女は笑顔をうかべ、両手を開く動きをする。まるで、その胸に飛び込んでこいと言っているようであった。
「私はあの方の養子であります、エンリ・エモットと言います。ようこそカルネ村に。私たちはあなた方を歓迎します」
「ああ、いや、はい、よろしく頼みます」
普段使いなれていないであろう言葉を必死に使う彼の姿がどこか可笑しくて、それでいて愛おしくて、彼女は内心微笑む。これからどうなるか、分からないが、それでも彼とあの獣と、ついでに粗暴な暴れん坊がいれば、何とかなりそうだとクルシュは不安を抱くことはなかった。
クルシュ・ルール―、彼女はその体質から天涯孤独であるはずであったが、奇怪な運命に巻き込まれ、そして数々の出来事を乗り越えて、家族というものを手に入れた。
以上が、ある雄と雌の物語の結末である。
原作4巻分終了、いつもの様にいろいろ挟みます。
それと、活動報告などの欄も活用していこうと思っていますので、良ければ覗いてみてください。時には皆さまのご意見を求める時もあると思います。