一歩、また一歩ヘッケランはもがく男に近づく。互いの距離は歩幅にして7歩分。その間、彼は男から目をそらすことは一切しない。その男は顔に何かつけているようであり、その様は彼女を思い出させる。
(レヴィアさんみたいだな)
そう思ったのは、印象が似ていたからだろう。どちらもまるで、彼女の場合は完全にそうなのであるが、鳥を連想させるのだ。他にも見るべき所はないかと、男を観察する。
右足が使い物にならないのは間違いのない事実のようである。彼女が放った矢に、自身が投擲したサーベルが刺さっており完全に潰れていると再度確かめる。
(妙だな)
そう思ってしまったのは、男が倒れたままであるから。耳を澄ませばかすかな呼吸音が聞こえ、その目だってこちらに向けられている。
ヘッケランが疑問に思ったのは、男が自己治療を行わなかった事だ。此処までの攻防でこの人物が並大抵の者ではない事ははっきりしている。初めにこいつが行った射撃そのものが常識外れであるのだ。距離は勿論であるが、この深い霧の中、正確にスレイプニールの目を射抜き、そして姫を狙った一射。そんな芸当が出来る相手が、20秒という時間を無駄にするはずがないのだ。それ程に受けた傷が深いのか、あるいは元々ポーション等を持っていないのか、それとも別に何か狙っているのか……
(結局)
先ほど己の背中を撃った攻撃の正体は分かっていない。ポーションを浴びても背中の痛みは消える事はない。撃ち込まれた異物が原因なのは分かりきった事であるし、それを知らないままというのは、この後の展開を予想すれば、好ましい事ではない。また襲われる可能性が多いにあるのであるから。
(何だ?)
今も、彼は視線を男へと向けている。目を離してやられるなんて事になれば、それこそ彼女にどやされてしまう。
また、一歩彼は男へと歩を進めて、そろそろだと腰に差したもう一振りのサーベルを抜き去り、男へと向けて言う。
「率直に答えて貰おうか。あんたの正体と目的、後は背後関係か?」
ヘッケランの言葉を受けて、男は目を見開く。そして、そのまま20秒が経過して、呆れたように答える。
「貴方…………――馬鹿ですか?」
(――ぐ)
ぐうの音も出ないとはこういう事だろうとヘッケランは感じた。同時に男が言う事も最もである。簡単に敵に情報を教える奴はこの世界にいない。いたとすれば、彼はそいつを信用しないから。かと言って、簡単に引き下がる訳にはいかない。彼はサーベルを向けながらまた一歩男へと歩み寄り言う。
「あんた程の人物が今の状況を理解していない。なんて事はないと思うが?」
そう、優位なのはあくまでこちらなのであるから。打ち身とは言え、まだまだ戦えるこちらに対して、男は四肢を2つ失い、動く事さえままならない状態であるのだから。
「悪いことは言わない。正直に全てを話す事をお勧めするぜ」
「…………」
そのまま沈黙が10秒程続いたと思えば、新たな人物がその場に来た。と、いうようり来たかという認識であった。
「ヘッケラン!」
「イミーナ」
彼女は騎獣から降りると、弓を構え、いつでも矢を放てる姿勢を作り、その狙いをヘッケラン同様に動けない様子の男へと向けたまま近づく。その表情は険しいものであり、それだけで彼女がこの男に対して相当な怒りを燃やしていると分かる。
(たく、ま、仕方ないって奴だな)
ヘッケラン個人の考えを言うのであれば、彼女のこの姿勢に気性は危険だと思っている。戦闘とは馬鹿正直に武器を振るって斬りあえば良い物ではない。限られた時間内、それこそ1秒未満の中で有効的な一手を決めて行動しなければ、敗北は必至である。
しかし、彼女に関しては諦めている部分もあるし、そこが好ましいとも思ってしまう。目前の男に同情する所があるとすれば、よりによって、彼女の見ている前で子供に手をかけようとした所であろう。自分達のチームで、最年少であり色々と訳ありな少女を最も気にかけているのも彼女であるのだから。
(と、いけねえな)
思わずそんな彼女の姿に見惚れてしまったとヘッケランは男へと視線を戻す。彼女が口を開いたのは、それと同時であった。
「あんた何者? どういうつもりで第3王女を狙ったのかしら?」
「イミーナ!」
思わず彼は彼女を咎める。こういった場での戦い。情報戦とも呼ぶべき場で、彼女は真っ先に重要な情報を吐いてしまった。何か戦略があっての事であればいいが、彼女にはそんな計算はないと長年の付き合いから言えた。それに、男が放った矢が王女に当たりそうになったのは、偶然の可能性だって……
(いや、それはねえな)
そう思うのは簡単だ。しかし、あんな偶然早々あるものか、あの一撃は間違いなく男が意図的に狙ったものであると戦士としての経験から確信を持って言える。それは、同時にこの男が殺しなれている人物でもあるという事でもあった。その点に関してヘッケランは特に何も言うつもりはなかった。自分達だって似たような仕事を受けてきた時だってある。無論、あの少女はそれを知らないが。
(間違いではなかったようですね)
2人の人物に見下ろされている男は、体を激痛が走っているというのに、絶望的な状況だと言うのに、冷静にそう思考していた。己の目の精度は客観的に評価しているつもりであるが、それでも絶対という事はない。間違いであった場合。自分達は時間を無駄にする可能性だってあった訳だ。
しかし、自身の足を撃ち抜いた女性が教えてくれたのだ。自分が放った矢が狙った少女は間違いなくこの国の王女であると。
(ひとまずは、私の勝ちですね)
情報は既に仲間達に伝えてある。はっきり言えば、自分は彼らの中では下から数えた方が速い位の実力だ。移動を再開したであろう国王一行の方は彼らに任せて、自分は目前の2人を殺す事に集中すれば良い。
(ええ、貴方達の判断は正しいですよ。逆の立場であれば、私だってそうしたでしょうから)
男もまたその経歴から多くの戦場を渡り歩き、また多くの戦士あるいは兵士と対峙した記憶がある。動けない相手であれば、可能な限り情報を引き出す。それが常識だ。それをせずに、殺してしまうというのは3流の思考だ。つまり、今自分を見下ろしている男性に女性は戦士としては1流である。
(確かに)
あの貴族が目をかけるだけはあるとその点は認める。あれから、自分達のまとめ役である彼からの指示で件の貴族についても調べる事になったのであるが、驚くべく事実が発覚したのであるから。それだって、彼を知る人間を捉えて吐かせた情報であるけど。
(貴方には同情しますよ)
自らの命が危ういというのに男は貴族に憐憫の情を向ける。この国が抱えている状況に対して、その貴族が行っていたのは国を思っての事であったのだから。それだって、自分達にしてみれば、邪魔以外の何ものでもない。出来る事なら、貴族派閥の長である彼か、あるいは地位よりも金に執着している彼が音頭を取ってくれていれば、もっと楽に事は進んだはずである。
男は2人の様子を確認する。彼らは、どちらも自分へと視線を向けている。それ自体は間違いではない。何をしようとしても、その前に対処出来るようにする為。しかし、だからこそつける隙というのも生まれる。
(では、死んでもらいましょうか)
己の怪我など歯牙にもかけず男は思考を続ける。
「たく、お前はそうやって直情的なんだからよ」
「うるさいわね。ヘッケランは許せるの? この糞野郎をさ?」
「いんや、全く」
実際は、彼女ほどの怒りはなく、少し後ろに下がった辺りで見ているといった所が本音である。が、それを言ってしまえば彼女ともめる事になるのは目に見えているしまさか敵の前でそんな漫才めいた事をする訳にもいかないのでそう返しておく。
(さて、どうしたもんかね)
選択肢としては、この男を縛って連れて帰るかここで殺す。その2択だ。どちらにもメリットデメリットはある。どちらを選んだ方が、この先上手くやれるかと考えて改めて男を見て、そして気付いたある違和感に。
(あれはどこにいった?)
この男は魔法の品らしき板に乗っていたはずであり、それが周囲に見当たらない。勢いよく転落したとは言え、それがどこにも見えないというのはおかしい話である。あるいは、余りにも霧が深い為に、透明なそれを見落としている可能性だってあるが、何にしても警戒してしかるべきであるし、時間をかける訳にはいかなくなった。
「おい、あんたが乗っていたあれはどこにいった?」
サーベルの切っ先を男ののどに向け、いつでもお前の首をはねる事は出来るぞと脅しをかけながら再度質問を投げ掛ける。
「…………」
が、男は無言であった。その事に腹を立てたのは彼女であり、矢を引く手に力を入れながら男に言う。
「何もしゃべらないつもり? あんたをここで殺しても良いのよ?」
「別にそうしてくれても構いませんよ」
彼女の言葉に男はそう返した。別に投げやりという訳ではなく、かといってぶっきらぼうという訳でもなく、まるで感情がこもっていない声音であり、それが余計に彼女の感情を逆なでした。
「あんたねえ!」
「イミーナ。落ち着け」
怒りで体を震わせる彼女を宥めながら、ヘッケランは周囲を確認して気付いた。先程よりも霧が深くなっている事に。
(どうなっているんだ?)
この霧は自然発生したもののはずである。しかし、これは余りにも不自然であると同時に男の目が一瞬不穏に光ったように見えて、彼は飛び出して彼女を突き飛ばした。
次の瞬間彼の左肩と首の間から盛大に血が噴き出し、それを見た彼女は悲鳴を上げる。
「ヘッケラン!」
呼ばれた彼は激痛の中、目を動かして男を見る。奴は再び左手をかざしており、その上にある物を今度はしっかり確認する事が出来た。
(あれは……)Y字型に伸びた突起物。その両端から伸びているものは、まるでトカゲが自ら切ったしっぽのように揺れている。(……スリングショット?)
その武器の存在はヘッケランだって知識で知っていた。プライベートでも付き合いがある帝国騎士が教えてくれたのだ。かの鮮血帝は軍の増強としてこれの導入を検討していると。弓矢と異なる射撃武器。原理に構造自体はどちらも変わらないが、共通点だってある。
それはどちらも使用に両手を使うという点だ。しかし、この男は今片腕が死んでいる。それは間違いない。折れたらしき腕は今も垂れ下がっているだけであるのだから。
(――があああ!)
それ以上思考が続かなかった。今度は鎖骨の辺りが灼熱の痛みに襲われたからだ。そんな中、冷たい声が聞こえる。
「次弾装填」
エンリは、鍬を振って土を均していた。新しい畑を作る第一歩はそこからなのであるから。畑とは、種を地面に撒いて水をかければ良いというものではない。
(しっかりほぐさないと駄目だもんね)
良い食物を育てるには土からしっかりとしなくてはならない。作物は王国に税として納める分に、村に住む人々の食料でもあるのだから。そんな彼女傍では、妹であるネムも膝を曲げて、手に持った道具で地面をかいている。
周囲を見回してみれば、ルプスレギナにヤルダバオト、他にも村の若い人たちにゴブリン達と教団からも数人が来てくれている。しかし、その中でも特に目を引くのは彼女であった。
(やっぱり、すごいなあ)
それは、黒い全身鎧に身を包んだ女性。以前、初めて出会った時以来に見る姿であった。最初は悪いと思っていたが、彼女の働きのおかげで予定よりもずっと早く整地が進んでいるのも確かであり、本来であれば、今日も合わせて2日の予定のつもりが、半日で済んでしまったのであるから。
エンリは知ることはないのであるが、それはアルベドなりに姉妹達と距離を詰めようと奮闘した結果であった。普段の彼女というより、戦闘時で彼女が扱うバルディッシュと今回使用している道具鍬。その2つは用途こそ違うもの、形自体は似ている為に彼女がその扱いを完璧に覚えるのもあっという間であった。よって、彼女は墳墓でも上位に入る腕力を存分に振るって大地を均したのである。
(これだけやれば)
きっと、姉妹が自身に抱く感情だってもっと良い物になるであろうとやや黒い微笑みを兜の中で浮かべながら。それから、彼女もまた周囲の確認をする。村の開発というものは進んでいるし、それは設備に施設だけに限らず人材にしてもそうだ。元より墳墓にいる者達だけでは、主の望みにそう事は難しい。
彼女の視線がゴブリン達に向けられれば、彼らは即座に頭を下げる。アルベド自身はそうする必要はないと思っているが、彼らにしてみれば仕えている少女が信頼しているという点だけでそうする必要性を感じさせるのだ。
(アインズ様の話だと、彼らも違うという事だったわね)
以前の世界とこの世界には違いも多く、その確認もまた職務の一つであった。今頃、墳墓では彼の配下がその実験をしているはずである。
次にアルベドが目を移すのは、教団の者達であった。
(…………気を付けなくてはならないわね)
一瞬、憤怒に我を忘れそうになるのを抑える。この組織を率いているのは、いずれも主の言葉を聞かなかった者。主を傷つけた者達であるから。
彼女の視線に気付いた教団所属の者達は即座に土下座をする。否、彼らにとっては、それが最高位の挨拶のつもりであるのだ。
(あれは、どうにかすべきかしらね)
主も何度かそれを見ているが、自分の目から見て彼らのあの行為は主を戸惑わせているよう思えるし、なんだかあまり良い気もしないのだ。
(ま、焦る必要は無いわね。時間はいくらでもあるのだから)
それから、彼女は村人達にも視線を向ける。その度に、彼らも頭を下げる。ちなみにカルネ村におけるアルベドの認識というのは、結構謎に包まれている。と、いうのも彼女がゴウンの恋人であれば、直ぐに話は終わったのであるが、当時のやり取りを見る限りそうではないらしい。では、彼女はいったい何者であるか? と、詮索をしたいと思いながらも何とか抑えているのが現状であった。
エンリにしても、あまり墳墓の事を広めるのは良くないと積極的に話しはしないし、ネムにもそう伝えていたから。
「あの、アルベド様」
呼ばれて、その方向を見れば、主の養子である少女が立っていて、その左右には赤毛のメイドと仮面の戦士が控えている。彼女は努めて平静に応じる。
「何かしらエンリ?」
少女は少し迷うように、視線を左右に巡らし――アルベドとしては、遠慮をする必要はないと思っている。彼女の頼みであれば、自分は何でもするつもりである。やがて、少女は意を決したように口を動かす。
「良ければ、お茶にしませんか。アルベド様のおかげで今日の予定は殆んど終わりましたので」
「そう、それは良いわね」
良い傾向であると、少女からそのような提案をされる事自体に喜びを感じる。
「ルプスレギナ」
「勿論、承知しております」
アルベドが彼女の名を呼べば、メイドは一度頭を下げて準備に取り掛かる。その間、仮面の戦士が身に纏う雰囲気が幾分かとがる。
(当然ね)
少女の護衛が減るのであるから。それも当然だ。ちなみに、妹の方は常に隠密能力に特化した僕が3人程で警護を行っている。万が一にも彼女達に何かあれば、主の心がどうなってしまうかは分からないし、自分もまた正気を保っていられる自信がない。
「ネムもお疲れ。他の皆さんにもお伝えしないと」
それから、エンリは参加していた者達全員にその事を知らせて解散させた。それから、アインズから貰っていたアイテムの1つ、呼び鈴のような形をしたものを鳴らす。その音が周囲に広がって、ほどなくして下級悪魔が飛んで来る。その大きさはエンリの胸にも納まりそうな程小さく、人間の赤ん坊に小さな角と蝙蝠の羽がついたような姿をしており、羽を使って飛んでいる訳ではないらしく、風船のように宙に浮いている。
「エンリ様。お呼びでございましょうか?」
「はい、突然の呼び出しに応じてくれてありがとうございます」
頭を下げるエンリに、アルベドの前という事もあり、下級悪魔は手足を振りながら返す。
「エンリ様、頭を上げてください。私が貴方様の希望に応えるのは当然の事ですから」
「それでも、お礼を言わせてください」
少女は再度頭を下げる。彼女にとっては、過ぎた待遇であるのだ。今の状況は、かといって、臆したままでは恩義を返す事は出来ない。故に心を奮い立たせて彼らを使役しているが、その度に少女は心で念じる。
(私は、あの方を傷つけた罪人です)
そう思う。間違っても今の自分の状態が自然なものであると慣れてしまわないように。
「本題に入りますね。実は……」
エンリは下級悪魔に予定よりも早く整地が終わったので、予定を繰り越して明日から作業に入ってもらう事になる事を。
「畏まりました。では、ゴーレムC班を回しましょう。元よりその予定でしたので」
「そうですね。彼らが抜ける分を補う必要がありますよね……えっと、ジュゲムさんに相談しましょうか?」
「それが良いでしょう。ゴブリン達は最近、暇の様子ですから」
その会話をネムは必死に理解しようと目を細めて姉と悪魔のやり取りを睨んでおり、その姿にアルベドは保護欲を掻き立てられる。そして、少女の姿に頼もしさを感じてもいた。
(恐ろしいわね)
話を聞く限り。この少女は主と出会うまでは、本当に作物関連の知識しか持っていなかったと言う。それが、今の姿を見れば、上に立つ人物ではないか。これも、あの悪魔の教育の賜物であろう。出来る事なら自分がその役割をしたかったが、諸々の事情で断念せざるを得なかった。
アルベドが少女の姿に感心している間も職務的なやり取りは続く。
「暇? ジュゲムさん達がですか?」
「はい、ここの所ナザリックからの出向者も増えてきていますので」
その言葉でエンリは理解した。ゴブリン達のこの村での役割は、外部の警戒、村人たちの雄姿で結成された自警団の訓練、それから村の拡張に関する工事である。
「そうでしたか、しかしご迷惑ではないでしょうか?」
「エンリ様、決してそのような事はありません」
下級悪魔はそう答える。この少女は村に人材を派遣する事で墳墓の方が大変ではないかと危惧しているのだ。しかし、実際の所、墳墓というのは暇な者が多い。
何故なら、そのほとんどが墳墓の防衛戦力であるのだから。そして、それも効率的な方法をかの悪魔が考案して、出来る限り人材を余らせるようにしているらしい。その分の労力をまた別の所に回す事が出来るのであるから。
そして、もっと言うのであれば、カルネ村への出向というのは墳墓所属の者達にとっては、一つの栄誉となりつつあった。だって、そうだろう? ここは、偉大なる主が進める計画の中心であり、主の養子である姉妹がいるのであるから。ここで働いている者達は墳墓に帰る事があれば、他の者達にそのことを自慢する位、というかこの下級悪魔もそうであり、その度に機嫌を崩す仲間と喧嘩になるのだ。
(違う違う。アルベド様の前で下手な事は出来ない)
現在、墳墓所属の者達の管理等をしているのは、この統括を含めた3人が中心である。自分がこの立場になれたのは普段の働きが認められての事である。しかし、だからと言って気を抜いてはならない。もしも、自分の働きに不備があると思われれば、即座に墳墓に左遷されてしまう。そんな事になれば笑いものだ。それだけはなんとしても避けねばならない。
「私どもは、決して迷惑とは思っておりません。むしろ貴方様の為に働けることを誇りに思っているのです」
(どうして)
そこまでしてくれるのだろうかとエンリは思ってしまう。自分はあの人に迷惑をかける事しか出来ていないと言うのに。
(駄目駄目、これは良くない事だ)
彼女は無理やり思考を変える。自分がなすべきことは、あの方に少しでも恩義を返す事であり、他の事は考えるべきではない。
「分かりました。では、これからも皆さんの事は頼りにさせていただきます」
「はい、そう言っていただけるのであれば、至上の喜びでございます」
「話をもどしましょうか。ジュゲムさん達の事ですが」
「はい。実は……」
下級悪魔はエンリへと説明を行う。カルネ村の防衛戦力と言うのは日々増えて来ている。しかし、これだって当たり前と言えば、当たり前の話であるのだ。村は広がり、住む人々も増える。守るべき場所だって膨らむ訳であり、その全てを自警団とゴブリン軍団でカバーするのだって限界がある。よって、墳墓からの出向者が増えている。しかし、それによるトラブルだって少なからずある。防衛だってただ、兵士を集めて立たせれば良いという者ではない。資源は限られているし、時間だって同様だ。
何事にも効率的なやり方というものがある訳であり、その辺りを考えるのはやはりと言うべきかデミウルゴスが最高責任者だったりする。そして、結果としてゴブリン軍団の担当地区が減り、彼らは多少時間が浮いたという事であった。
無論、そんな事で腐るゴブリン軍団ではない。ならば、空いた時間を有効的に活用しようと彼らは彼らで村の為、エンリの為に働いており、一番は自己研鑽であった。もっと強くなって、戦えるようになって、彼女を護るのだと。そして、それにある少年が巻き込まれてやや大変な目にあってもいるが、今はそこまで重要な話でもない。
「そうだったんですね。では、今日の夕方辺りでも話をするとしましょうか」
「畏まりました。では、ジュゲムには私の方から伝えておきます」
「はい、お願いしますね」
頭を下げるエンリに再び下級悪魔は慌てて、その場での話は終了となり、悪魔は自分の仕事を行うべく、アルベドやお茶の準備中であるルプスレギナと言った墳墓における上位者に、同じく主の養子であるネムに一度礼をするとその場を飛び立つのであった。
「すみませんアルベド様。お時間を取らせてしまって」
「別に良いのよ。それにしても、立派よエンリ」
その言葉をかけると同時に彼女は少女の頭へと手を伸ばして、優しくさする。一連の行動が余りにも自然であった為にエンリは拒む暇もなく彼女のなすがままとなってしまう。
(――!)
エンリは目頭が熱くなるのを感じていた。頭に置かれた手というのはとても温かく、記憶が呼び覚まされるようであった。まだ、妹が生まれていない頃、同じように母にしてもらった時の事を思い出して……泣きそうになるのを必死に堪える。
(駄目だよ……甘えたら、これ以上この方々のご迷惑になる訳には)
自分は一度養父である彼に情けない姿を見せてしまっている。あの時の養父の心遣いのおかげで両親の事はなんとか乗り越える事が出来たように思える。
(自信はないけど)
それでも、日々が大変なのは変わらないのである。広がっていく村の管理に、新しく移り住んだ人々との関係作り、そのいずれもが10代後半の少女には荷が重いのも確かであるのだから。それでも、何とか懸命に日々を生きている。そんな少女にとって、アルベドがしてくれた行為というのは、安らぎを覚えるものであった。どうにか堕落してしまわないよに、それを意識しながらエンリは言葉を返す。
「そんな事はありませんよ。ゴウン様に、アルベド様、ナザリックの皆様方がいらっしゃるから出来る事なのであり、決して私が凄い訳ではありません」
「私はそう思わないわ、エンリ。さっきのやり取りだって私の目から見ても大したものだったわよ」
彼女は謙遜する少女にそれこそ母親のように称賛の言葉を送り、傍らにいたネムも頷きながら同意する。
「アルベド様の言う通りだよお姉ちゃん! すごくかっこいい!」
「ネム……」
ネムにしたって、そう思うのは嘘偽りのない本心であった。あれから、事件があった日からの姉というのは日に日にかっこよくなっているし、綺麗になっているようであるから。そんな姉の役に立ちたいと頑張っているが、中々身につかないものである。さっきの話だってゴブリン達の時間が空いているという事位しか分からなかったのだから。
アルベドは次いで、姉妹から一定の距離を保っている彼女にも問いかける。
「貴方だってそう思うわよねヤルダバオト?」
名を呼ばれるだけで、肩が一度上下に揺れるが、それを周りに気付かれないように抑えて彼女は自身が思いつく限り最高の称賛を少女へと贈る。
「はい、エンリ様の働きあってこそのカルネ村でございますから」
「ヤルダバオトさん」
「くふふ、聞いたエンリ? 貴方は立派なのよ。もっと自分に自信を持って頂戴」エンリを撫でる手を頭から頬へと移して、今にも泣き出しそうな……それだって表に出さない少女に笑いかける。「それにね、もっと私達を頼ってくれても良いのよ?」
「ですけど……私は」
なおも顔を曇らせる少女にアルベドは自身の黒歴史を持ち出す。
「少し昔の話をしましょうか。覚えているかしら? 私達が初めてあった時の事」
「はい、あの時は本当にありがとうございました」
そう言って、反射的に頭を下げようとするエンリをアルベドは頬にかけた手に力を入れる事で押し留める。よって、結果的に彼女の顔は歪んでしまい。それを見たネムは笑う。
「あははは! お姉ちゃん変な顔~!」
「ネ~ム~?」
視線だけであるが、珍しく怒気を向けられてしまいネムは慌ててヤルダバオトの後ろへと隠れる。そのやり取りを微笑ましく思いながらアルベドは改めてエンリへと向き直る。
「もう、済んだ話なのだから頭を下げる必要はないわ。もう二度とこの件で頭を下げないで頂戴」
「はい……分かりました」
エンリはアルベドが珍しく見せる迫力に押される形で了承する。彼女の顔を見れば、どこか余裕がないようであった。
「えっと、ね。大切な話はこれからなのよ」アルベドは意を決したように何とか口を動かす。まるで、本当は言いたくもないといった様子だ。「余り、気を悪くしないで頂戴ね」
念には念を入れるように言葉を重ねる彼女の顔は青くなっていき、それだけで不安がエンリの胸を占めてくる。勿論、彼女を心配しての物だ。
(なんだろう?)
「あの、ね。あの時、正直私は貴方達の事には全く興味がなかったわ」
それは正に彼女にとっては最大の賭けであった。この言葉で姉妹からの信頼を失う可能性だって十分にあるから。しかし、この後の話をする為にはどうしても必要な過程であるのだ。
(ああ、やっぱり言うべきじゃなかったかしら)
もしも、これで姉妹に嫌われてしまえば、自分がこの村に来ることは叶わなくなるし、主の正妻の座だって危ない。しかし、それは自分の事情であるので、何とか顔に出さないように努める。しかし彼女は自分で思っている程完璧ではない。彼女自身は無自覚であったが、その顔の青さは深く、本来であればかくはずのない汗だって彼女の頬をはしっている。それを正面で、この場にいる者達で最も近くで見たエンリは思わず笑ってしまう。
「はい、それだって当然だと思います」
エンリだってそれは分かっている。初対面の人間に家族と同等の思いを抱けなんて言われて出来るとは思っていないし、あの時の状況を考えれば彼女の言葉は間違ってはいない。
「アルベド様のお気持ちだって分かっているつもりであります。当時のナザリックの現状を思えば、アルベド様が私達姉妹に良い感情をお持ちではないというのも当然かと」
「ええ、ありがとう」アルベドは、震える口で何とか感謝を述べて言葉を続ける。大事なのはここからなのであるから。「だけど、アインズ様は貴方方を見守るとお決めになった。なら私だってそうあるべきだと考えたのよ」
「ふふふ、あの時の事は今でも印象に残っています。アルベド様は本当に綺麗な方でしたから」
「うう、余りその事を言わないで頂戴」
アルベドにしてみれば、本当にあの時の事は辛い記憶であるらしい。彼女達の主であるゴウンと言うのは基本的に穏やかな人物であり、彼が彼女達を叱責するという事は滅多にない。そんな彼が彼女をあそこまで怒ったのはあの時が初めてであるという。最も、あれとはまた別にその光景を見ている訳であるが。
「それから、だったわね。貴方がこの村の代表として振舞うようになったのは」
「私自身はそのつもりはなかったんですけどね……」
笑い話であるとエンリは苦笑して見せる。その姿にアルベドは何とか彼女の心を先ほどよりはほぐす事が出来たようであると次の話に移る為に、準備を進めていたメイドへと確認を取る。
「ルプスレギナ」
「はい、いつでもお茶を楽しんで頂ける用意は出来ております」
彼女は笑って、手でテーブルを指し示す。人数分の席に、カップ。お茶にしたって、彼女がこの場の面子の為に厳選したであろう物が揃っているし、中央に置かれた皿には山のようにクッキーが盛られており、ネムなどは目を輝かせている。
「では、続きはお茶を飲みながら話すとしましょうか」
「はい、そうですね」
少女にかけた手を名残惜しく離しながらアルベドは促すのであった。エンリにしても、元は自分が言いだした事である為にそれに従い、既に菓子を頬張っている妹の姿を視界におさめながら歩き出すのであった。
(なんて奴!)
それを見た彼女は怒りのままに矢を放ち、それは男の胸を貫いた。間違いなく致命傷を与えたはずであると言うのに、男の目は自分を捉える。
(どうなっているのよ……)
男は既に重傷のはずであるし、その体は激痛が走っているはずであると言うのに男の戦意はまるで消えない。
(ヘッケラン)
男へと注意を向けながら、彼女は先ほど自分をかばった為に大けがを負ってしまった彼を案ずる。一瞬、眼球を動かすだけでその状態を確認する。
(!!!)
途端に胸に広がるのは、怒り、悲しみ、そして憎悪であった。この男は自分が乗っていた浮遊版を予め空へと浮かしてあったらしい。彼が男を撃ち落としてから1分も立っていないというのに、よく思いつきそして行動に移せるものだ。いつの間にか深くなっていた霧の為に、それに気付く事が出来なかった。そして、自分達との会話で適当に時間を稼ぎ、狙いを定めて思いっきり振り落としたと言った所か。思えば、そのアイテムは男の意思である程度動かせるようであったから。
(く、あたしのせいね)
自分が冷静さを欠いてしまった為に彼に大けがを負わせてしまい、その事が更に彼女を苛立たせる己の不甲斐なさを恨んで。そんな彼女の耳に男の声が聞こえる。
「思わず口に出してしまいました。そうする必要はまったくないと言うのに」
(もう限界ね)
既にこちらの被害だって甚大である。当初はこの男を捉えるつもりであったが、このままでは返り討ちに合う可能性が出来てしまっている。直ちに方向転換してこの男を始末するべきであると彼女は次の矢をつがえる。それよりも先に男は口を開く。
「
耳を疑った。そして、次には己が危惧する光景が広がる。彼の体に深く食い込んだ板が動き出し、そしてその度に彼の体から、板と体の接触面から血が流れ出し、彼女は再度悲鳴を上げる。
「あんたねえ! ふざけるのも大概にしなさいよ!」
咆哮と共に、彼女は矢を放つ。今度の狙いは、男の顔であった。この距離であれば、間違いなく当たるはずだ。しかし、その矢じりが男の頬肉をえぐるよりも先に、男の体が後ろへと引っ張られる。同時に大量の血が噴き出す音が聞こえて、その音が更に彼女の思考を乱す。
(不味いわ。このままでは、ヘッケランが)
彼の体から無理矢理抜けた板は男の方へと飛び、そして残った左手でそれに捕まり、引きずられる形で男は移動したのであり、それによって自分の攻撃を躱して見せたのだ。それでも、相手もまた万全ではないのは確かであるらしい。無理矢理地面を滑った為に、男もまた苦痛を味わっているはずであるのだ。その表情はまるで変わらないが。
男は3秒程滑ったと思うと、再び地面へと体を投げ出す。それは、まるで体中に包帯をまいた重傷者をベッドへと乱雑に投げ捨てたようであり、男は一度地面へと倒れる。イミーナの推測通りと言うべきか、男も限界であったのだ。
(まだ、です。まだ倒れる訳には)
何とか騙し討ちで1人倒したのであるから。あとは、この女性を何とかすれば治療の為の時間を稼ぐ事が出来るはずであると男は再びスリングショットを構える。
その間、約7秒。勿論、イミーナだってこの時間を無駄にはしない彼女は大きく彼の方向へと飛び込む。
「ヘッケラン! 大丈夫! ごめんなさい。あたしのせいで」
それは、これまでの彼女らしからぬ顔であった。負けん気が強い狩人ではなく、男性の身を案じる女性のものであった。
彼女は素早く腰元の鞄からポーションを取り出すと、それを彼に特に傷が深い左胸部へと振りかける。しかし、傷は直ぐには塞がりはしない。それだけ大きな傷という事でもある。
「……イミーナ」
声を出し、視線はこちらを向いておりその眼差しには意思が宿っているようであり、その事実を確認出来ただけで彼女は安堵の表情を浮かべる。
「もう限界よ、あいつは始末する。良いわね?」
「ああ、そうだな……」
緊迫した面持ちで言う彼女に彼もまた頷いて答える。ヘッケランは此処に来て、男の事を見くびっていたと思い知らされたようであった。この男の武器は他にもあったのであり、その危険性を彼女に伝える必要があるのであるから。
「イミーナ、周囲に気を配れ、他にも」
「ヘッケラン?」
次の瞬間、彼は彼女へと飛びつき押し倒す。その事に顔が火照りそうになるも一瞬で冷める。自分達の体のわずか傍を何かが高速で通り過ぎたからだ。
自分達を狙ったであろうそれは、地面へと命中して大地に小さな穴を空ける。そして、彼は――普段であれば、夜を共に過ごす時の距離で今なお頬の赤らみが取れていない彼女へと囁きかけるように言う。
「イミーナ、今の気付いたか?」
「気付いたって……ああ、そうなのね」
「ああ、そうなんだよ」
そう、今の攻撃全く予測出来なかった。これは、おかしい事であるはずだ。イミーナは、彼女は常時男へと視線を移すことをして決してその動きを見逃す事はしていなかった。そして、今の攻撃は男が居た方向と反対から来たのであった。
そして2点目。
「全く音がしなかったわね」
「ああ、全くな」
これもおかしい話であった。遠距離攻撃、弓にスリングショットを使用した物理的なものから魔法を使用したものまで使用すれば本来音が響くはずなのである。弓であれば、弦が空気を弾く音がする訳であるし、魔法にしたって例えば、仲間である少女も使える雷撃等は、放てば空気を焼く音がするのだ。この世界では珍しいが、広地にて射撃戦となった場合、別にこれだけではないが、戦場では僅かな音を聞き逃さない事も重要なのであり、チームで最も耳が良い彼女が聞こえなかったとなれば、もう決まったようなものだ。
「仕掛けは2つ。って、事ね」
「ああ、音を消すのと、弾道を変えているものだ」
そう、男はもう自力では殆んど動く事が出来ない。かと言って、敵の増援が来ているとも思えない。ならば、先ほど自分達を襲ったのはあの男のスリングショットから放たれた弾丸で間違いないはずであると2人は考える。
「何とか、明かしたい所であるが、時間がねえ」
「ええ、そうね」
追い詰めているのは、こちらであったと言うのにまたも場は膠着してしまった。個人的な要望、否、理想を言うのであれば、男が行ってくる謎の攻撃のカラクリは解いておきたい。分かっていない事があると言うのは嫌な予感がするからだ。しかし、それ以上に猶予がないのも確かであった。唯でさえあの男は厄介であると言うのに、謎の攻撃によって、こちらは肉体、物資共に消耗しっぱなしであり、これ以上長引けばこちらがやられてしまう。
(それだけは、回避しなくちゃな)
依頼が始まって、まだ半日も立っていない。こんな所で自分達は終わるつもりはない。
「イミーナ、あいつはどうしている?」
現在2人は地面に伏した状態であり、そしてヘッケランは男と反対の方向を向いていた為に聞いた事であった。不用意に動くのは、危険しかない。スリングショットの攻撃にしたって、さっき撃ったばかりであるので多少は時間があるはずである。
「さっき動いた位置から動いていないわね、あの板を使うにしたって、限界があるんでしょ」
そう言う彼女の声はいつも戦闘中に聞いている相棒のものであり、ヘッケランは内心で笑う。こんな彼女が頼りになるのである。
「よし、合図をしたら、一気に奴に近づいて叩く。フォロー頼む」
「分かったわ」
それから、彼は不意に彼女の頬に口を当てる。口先から熱が伝わってきて、胸が満たされる。勿論怒った彼女の声が返ってくる。その顔は真っ赤であり、怒っていると言っても全く説得力はない。
「あんた、馬鹿じゃないの? こんな時に?」
「こんな時だからな」
再度彼女を抱きしめて、ヘッケランは意を決して動き出す。起き上がって、即座に反転、倒れた男へと駆け出す。どこから攻撃が来るか分からないし、回避に防御だって難しい。先程彼女をかばえたのは、本当に運が良かったからとしか言えない。
(ここで勝負をつける!)
倒れた男との距離は、ヘッケランの歩幅にして10歩分。短いようで長い、彼の決死の突撃が始まり、その後ろをイミーナが続く。彼女は矢をいつでも撃てるように構えながら未だに赤いままの顔で毒づく。
「本当馬鹿なんだから……」
思わず、先ほど口付けされた所に触れたいという欲求が生まれるがそれを抑えて、彼女も目標である男と、周囲へと注意を向ける。どこから攻撃が飛んでくるか分からないのであるから。今度は、彼を守ってみせるという決意と共に彼女も走る。