Fate/Grand orderのSSです。エドぐだ子カップリング。時系列は断章全クリア後、絆レベルは5以上(どこら辺かは想像にお任せします)。二人がイチャイチャしたり、と思ったらちょっと危ない目にあったり、そんな感じのお話。
巌窟王と言う非常に人気のあるキャラーー勿論私も大好きなのです。しかしやはり扱いが少々難しく…色々と気を砕きはしたのですが、二次創作である以上、大小の差はあれどキャラ崩壊からは逃げられず、恐らくこれは解釈違いを無限に引き起こすだろうなと理解はしています。
していますが、今の自分にこれ以上のものが書けるとは思えず、同時に形にしたからには公開したいと言う欲が勝ってしまいました。申し訳ありません。

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エドモン×ぐだ子カップリング。書きたいことは粗筋は書いてしまいました。なのでそちらをご参照ください。
もしよろしければ読んで頂けると幸いです。解釈違いには寛容になって頂けるとなお幸い。


其は遍く悪意を憎む者だった

 どうして、私のことを気に掛けてくれるの。

 そう彼に聞いたことがある。

 勿論勇気の要ることだったし、私の意図を汲み取ってはくれないだろうことも分かっていた。

 ――それでも聞かずには居られなかった。窮地から救われること、都度四回。何かを期待しない方がどうかしている。

 決して彼のみの手を借りた訳ではない。彼がいつも助けてくれた訳でもない。

 ――それでも彼は、駆け付けてくれる。どうにもならない時、彼でなければならない時に、決まって必ず。

 霊基の特殊さ故?そうかも知れない。

 宝具の性質が故?勿論、それもある。

 ――“出来る”のと、“する”のは、別次元の話だと思う。

 だから聞いたのだ。彼は口元を微かに歪めて言った。

 「様々だ。一言では言い表せん」

 それは、予想よりは遥かに嬉しい答えだった。“下らないことを聞くなマスター”と一笑に付されるか、さもなければ“お前は我が共犯者なれば、導くに大義も要らぬ”と良く分からない言葉で煙に巻かれるか、二つに一つだと思っていたからだ。それだけで解決できない程度には、私は彼の中で扱いに難しい存在らしい。

 でもそうなると、それだけじゃ満足できないのが人間なのだ。私は英雄でも何でもない。ただの人間でしかないのだから。

 様々って何?義務感?気紛れ?私自身に対しての興味はあるの?あるとしたら、それはどれくらい?

 いつもそうやって考えて、自分に嫌気が差す。今の平和な日常は――私と、大切な人々が掴んだ安息は、こんな浮ついた思いで過ごして良いものなのだろうか。

 ――良い訳がない。

 声が反響する。それは女性のものだったり、男性のものだったり、若かったり、老いていたり――誰でもなく、誰でもあるような、そんな声。

 ――棄てられた者達のことを考えろ。人理修復の過程で取りこぼされた、幾つもの命のことを。

 その言葉は、酷く私の胸を痛ませた。ここ最近、良く聞く声だ。

 特異点が消滅する際、そこで起こったことは歴史には残らない。ダ・ヴィンチちゃんに説明されなくたって、そんなことは分かる。元の歴史に戻すのが私達の役目で、そうなれば自然、犠牲になった人も元通り。

 でも、そんな簡単なことじゃないのだ。上書きしたからって、そこにあった悲劇が消える訳じゃない。確かに人が苦しんで、絶望して、死んだ。勿論人だけじゃない。英霊――その場に呼び出された、英雄偉人の現身たちだってそうだ。本人ではない。魂すらない。それはデータベースに集積された記録のコピーみたいなものらしい。条件、状況に合致するように編集された分身。だから何だって言うのだ。私にとっては、生きて、笑って、触ると暖かい、人と変わらない存在なのだ。その死はなかったことには出来ない。

 それに――本当に取返しの付かない終わりを迎えた人達も居る。オルガマリー所長、ドクターロマニ。人理が修復されても、あの人達は帰ってこない。

 一生私は抱えて生きねばならない。私の、取りこぼしてしまった人々を。苦しくても、辛くても、それが私の――

 不意に、視界を黒色が埋め尽くした。おかしな話だと思う。夢の中は真っ暗だったのに、どうして私はそれが黒いと分かったのだろう。パッと視界が開けると、仄かな灯りが眼に入った。

 「…巌窟王?」

 そう思ったのは、珈琲の香りがしたからだ。眼をこすって壁際の方を見ると、やはり彼だった。

 「お目覚めか、マスター。随分と魘されていたな?」

 クツクツと笑いながら、湯気立つカップを手に、私の隣に腰を下ろす。

 銀色の波立った髪、鮮やかな山吹色の双眸。ジャケットとスーツの下に隠された痩身は確かに鍛え上げられ、無数の傷と、しかしそれをものともしない無尽の意志、無畏の力、無窮の知恵によって支えられている。この世のあらゆる理不尽と悪辣を憎み、憤怒によって焼き尽くさんとする復讐者。

 そうは見えない時も、山ほどある。例えば今とか。

 「魘されてた?ホント?」

 「本当だとも。何故嘘を吐かねばならない」

 彼はベッド下の引き出しから、勝手知ったる様子でタオルを取り出し、私に放った。それで初めて気付いたのだけれど、私は汗だくだった。

 「ううん。御免ね」

 「フン。人理修復を為し、潜む四匹の悪意をも砕いた。今のお前に、苦悩があるとは思えんがな」

 「苦悩…?」

 ぼうっとした頭をはっきりさせようと思って、珈琲を啜る。うん、美味しい。ブラックが飲めるようになったのは、単に彼のお陰だと思う。

 「お前の心を蝕む毒とも言えよう。夢とは、解放的なものだ。自由で、とりとめがない。その夢が敢えて己を苛むのなら――すべからく、そこには苦悩が存在せねばならない。自明の理だ」

 段々意識が明瞭になってきて、背筋がゾッとした。慌てて手を振って、誤魔化す。

 「大したことじゃないよ。最近魔術リソースが足りてなくてさ…そろそろ集めに行かないとなあって」

 それは本当に悩みの種だった。巌窟王は珍しく意外そうな顔をした。

 「ほう?」

 「何でそんな変な顔するのさ」

 「…お前は抜けているが、やるべきことはこなす女だ。たとい日々の下らぬ責務だろうとな」

 またも顔が熱くなる。さっきよりも熱いし、多分耳も真っ赤になってる。隠そうと思ってタオルで顔を拭いた。

 「サボってたのは事実だけどね」

 「そこが分からん」

 「…皆に悪いかなって思ったんだ」

 「サーヴァントは戦いの道具だ。知らん訳ではあるまい」

 「そんなこと、百も承知だよ。でも…もう全部終わったんだもの。それでもここに残ってくれてる皆を、たとえ資源集めでも――利用したくないの」

 彼はふう、と溜め息を吐いた。

 「やはりお前は難儀だな、マスター。全く以て魔術師らしくない」

 「…軽蔑した?」

 「本当にそう思うか?だとすれば、マスターとしても半人前と言うことになるが」

 彼はそっと私の手を取った。

 「だからこそ、奴等はお前を慕う」

 「…そうだと良いけど」

 「フン。何を今更弱気になっている。そうでなければ、誰がこのような辺境に留まるものか」

 彼の手が離れる。まだじんわりと暖かい。カップを手に取って覆えば、この熱を逃がさずにいられるだろうか。無糖は苦手だったけれど、彼の淹れてくれる珈琲は別だった。

 「シミュレーターなら、俺が付き合ってやる」

 ふと彼が言った。ほんの少し、微笑んで。

 「でも、一騎じゃ大変だよ」

 「クハハ!遠慮するなマスター、所詮児戯のようなものだ。それとも何か、俺の力を見誤っている訳ではあるまいな」

 勿論そう言う訳じゃない。純粋な力と言う点でも、巌窟王と言う英霊はこのカルデアにおいてトップクラスだし――

 ――二人きり?

 私は頭を振った。そんなこと、考えるな。何とかして笑顔を浮かべ、彼に答える。

 「分かった、お願いして良いかな」

 「ああ。では、また後でな、マスター」

 外套と帽子を被り、巌窟王は部屋を出て行った。はあ、と溜め息が漏れる。

 ――ホント、自分が嫌になる。

 誤魔化したのは、知られたくなかったからだ。こんな分かり切ったことで悩んでいる馬鹿な私を、隠したかったからだ。

 ――浮ついて、お気楽に生きるなんて。許される訳がないのに。

 

 

 

 「…」

 彼は考えていた。元々人相の良い方ではない――それは決して、整っていないと言うことではなく――顔が、益々顰められ、只でさえ近寄り難い空気を一層深めていた。

 頭を悩ませているのは、彼のマスターである一人の少女――藤丸立花のことだった。

 ――確かに焼き払ったと思ったが。

 彼女の心、深層の意識に潜むかの魔術王の一欠片。廃棄され、何者の声も届かぬ空間に滞る魔神。吹き溜りと呼ぶに相応しい塵芥が彼女を蝕んでいるのは、単に彼女の美徳が故だ。

 ふう、と溜め息が漏れる。あれは、お人好しが過ぎる。

 「おや、エドモン君。おはよう」

 彼を呼び止める声があり、顔をそちらに向ける。丁度通りかかったのは食堂だった。総長と言うこともあり、伽藍とした堂内に、一人の青年が座っている。

 「ああ、良き朝だな、エミヤ」

 すっかり色の抜け落ちた髪と、それに似合わぬ浅黒い肌、精悍な顔付き。鍛え上げられ、無駄のない肉体には、黒いシャツとパンツ。椅子には赤いコートがかけられている。錬鉄の英雄、無銘の英霊。カルデア内でも取り分け由緒の知れない霊基――しかして、その力は折り紙付き。

 エミヤは苦笑して言った。

 「とてもそうは思えない顔をしているが。何かあったのかね」

 改めて思うのだが、やはりここにはお人好しが多い。マスターの影響だろうか――似通った霊基とは、縁が結ばれやすいものだ。この弓兵も例に漏れない。彼は肩をすくめた。

 「我らがマスターが、最近魘されているのでね。少し気になっただけだ」

 「立花君が?」

 「ああ」

 全てを明かすつもりはなかったが、嘘を吐くつもりもなかった。巌窟王、モンテ・クリスト伯と言う存在は、悪意と虚偽が生み出した死の王。有事の際ならば兎も角も、同胞の純心を欺く必要はない。

 「図太く、芯があるように見えて、実は繊細な子だからね。人理修復は長く、苦しい旅路だった。何処かにしこりが残っていたっておかしくはない」

 彼も頷き――ふと視界の端に妙なものを発見した。狐の尻尾だ。

 「貴様も居たのか、タマモ」 

 声を掛けると、ひょこりと顔を出した。端正な顔立ちに、狐の耳。コサージュとメイド服を身に纏い、真面目そうな表情で手を握り締めている。

 「別に隠れてた訳ではないぞ。朝の仕込みをしていたのだワン。今日は私の当番だからな――しかしッ」

 俊敏な動きでバスケットに何やら詰め込み、気が付けば食堂の入り口に立っている。流石はバーサーカーだなと感心していると、

 「御主人が不調となれば、良妻なるもの看病をするが務めと見つけたり!!後は任せたぞエミヤ!!このツケはいつか必ず返すゆえな!!」

 そう言って、瞬く間に居なくなった。

 暫しの沈黙の後二つの溜め息がこだました。

 「やはりバーサーカーだな。身体に問題があるとは一言も口にしていないぞ」

 「まあ、あれがタマモキャットと言う奴だ。もう慣れたよ」

 エミヤは小さく、「――Trace on」と呟いた。パチリと魔力の火花が散り、まるで手品のようにピンク色のエプロンが彼の手に現れた。

 「済まないな、エドモン君。時間が許せば、珈琲でも飲みながら歓談と洒落込みたかったが――」

 巌窟王は口元を吊り上げ、それに応えた。

 「気にするな。貴様の手料理を待ち望む者は多い、精々答えてやれ」

 そう言って、彼もその場を去った。当てどなく歩いていると、やはり頭をもたげて来るのは彼女のことだった。

 ――あれを蝕んでいるのは、言わば大義の影だ。

 彼女が背負った大義。その輝かしさの暗がりに隠れた、当事者だけが罹る病。故に再び魔神の残骸は彼女の心に根を下ろした。

 ――早く手を打っておいた方が良いだろうな。

 

 

 

 タマモキャットによる突然の襲撃――もとい、朝食デリバリーを受けた後、私はシミュレーターに籠った。

 英霊のデータと戦うシミュレーション――通称“修練場”と、某RPGに登場する敵を連想させる腕状の敵性体相手の通称“種火集め”には用がなかった。どちらも英霊の霊基を磨き上げ、よりその力を引き出すための魔力リソース目的に行うものだけれど、全ての戦いが終わり、そもそも所属サーヴァント全ての霊基解放が終了しているので、必要がないのだった。

 ダ・ヴィンチちゃんが『足りない足りない足りないよう立花ちゃん!!!!』と半ば狂乱気味に叫ぶ程枯渇しているのは、クォンタムピース――霊子、魔力の揺らぎと呼ばれる魔力リソースの方だった。

 縦横無尽にシミュレータールームを埋め尽くす扉を象った敵性体。その扉は、“彼方”と“此方”を繋ぐ――そう言う意味で模しているとダ・ヴィンチちゃんは言っていた。

 『魔力が揺らげばクォンタムピースは生まれる。けれど、それは副産物でしかないからね。より効率的に集めるなら、魔力の揺らぎを、最大限QPに変換する機構が必要だ』

 つまるところ、それがこの扉だと言うことらしい。所詮ホログラムじゃないか、と思うのだけれど、“意識する”ことが大切なのだと言っていた。扉と言う変換機に、魔力を放つと言う事実。それを認識すること。

 息を一つ吐いて、手を掲げる。

 ――魔力の流れを、意識しろ。

 「――宜しく、巌窟王」

 「クハハ!!この程度、宜しくされるまでもないな!!」

 彼は深く帽子に手をかけ、身体を沈め――消えた。

 右から、左から、上から下から、炎が空気を焼く音と、敵性体の消滅する音が聞こえる。とても眼で追えやしないけれど、これが巌窟王の戦闘スタイルだった。無窮の知恵による処理速度を肉体に反映させる宝具――正直、何を言ってるのか良く分からないと思うし、私自身も分かっていない――による、超速戦闘。

 全三段階に分かれているシミュレーションも、物の十数秒で片付いてしまった。モニターしているダ・ヴィンチちゃんに都度経過状況を聞き、続行すること一時間と少し――私の方が参ってしまった。

 「あーもうダメ!もう無理です!ギブアップ!!」

 「だらしないぞマスター。この程度で音を上げてどうする」

 「この程度ってねえ!!何週したか分かってるの!?二百四十七回だよ、二百四十七回!!」

 巌窟王は呆れたように肩をすくめた。

 「単調な作業ともなれば、なるべく効率化した方が良かろう。それとも手を抜いた方が良かったか?」

 「そりゃあ…早い方が嬉しいけど」

 もう少し、気遣いと言うか。只の駄々じゃなくて、魔力回路も熱を帯びている。幾らバックアップを受けているとは言え、パスとして使うのは私の回路なので――当然限界はある。

 『まあまあ。実際随分潤ったし、今日はもう切り上げても良いんじゃないかな』

 昨日までとは一転して、欣喜とした様子でダ・ヴィンチちゃんが言った。何て現金な――いや、彼女の性格は嫌と言うほど理解しているけれど。

 それはそれとして、私は助け船に感謝した。ありがとうダ・ヴィンチちゃん。

 彼は咳払いして、ダ・ヴィンチちゃんに質問した。

 「…おいレオナルド。今のでどれ位になったんだ」

 すぐにモニターから反応があった。

 『えーっと…大体4億QPだね』

 「実数値ではない。ここの運営に換算してだ」

 『当分は大丈夫だよ。これからちょくちょくこなしてくれれば、枯渇することはないだろうね』

 「把握した。必要ないのなら…続ける意味もないな」

 その言葉を聞いて、私は大の字になって倒れた。

 「はー…終わったあ…」

 彼も隣に腰を下ろし、懐から煙草を取り出した。指先で火を点け、紫煙を吐き出す。

 「これからはまめにこなすことだな。そうすれば、回路を焼け付かせることもなかろうよ」

 「あ…分かってたんだ」

 「パスで繋がっている以上、分かるも何もない」

 彼は煙草を挟んだ方とは逆の手で、私の手の甲を覆った。急に身体が楽になる。芯に籠っていた熱も、段々と引いていくのが分かった。

 気休め――ではない。一日に一度、一人限りの宝具だった。

 「ありがとう」

 「何。こう安穏とした日々では、こいつの使いどころもないからな」

 手を握る。彼は振り払うでもなく、そのままにしてくれた。

 「マスターよ」

 「うん?」

 「悪夢の種は、これですっぱり取り去られたな?」

 それは聞くと言うより、確かめると言うより――探るような言い方だった。

 私は曖昧に頷くことしか出来なかった。

 「うん。今日はぐっすり寝られそう…多分」

 彼は暫し私のことを見つめていた。山吹色の瞳からは、底知れない力が感じられた。人々が畏怖した、イフの塔よりの脱獄者。

 思わず私が自白してしまう前に、彼の眼が離れた。

 「なら良い」

 暫く、私と巌窟王はそこで休んでいた。が、彼は一本吸い終えると、立ち上がった。

 「俺はこれから用事がある。一人で帰れるな、マスター」

 その言葉は何処か、厳しかった。

 「そりゃ、勿論」

 「結構。ではな」

 そう言って影も形もなく消える。

 後に残された私は、一抹の寂しさを感じながらシャワーを浴びて、それからマシュを誘い大広間に顔を出した。ロッジを模しており、一種のリラクゼーションルームとして扱われている。

 最初に私達に気付いたのは、先生だった。

 「おやマスターにマシュ。ここに来るとは珍しいじゃないか」

 長く艶のある黒髪、黒縁の眼鏡、黒スーツに痩身。眉には皺が寄り、インテリヤクザと名状するに相応しい男性――諸葛孔明の霊基を譲渡された、さる時計塔の若きロード。魔術の授業を受けることもあり、私は彼のことを先生と呼んでいた。

 「一気にQP集めしたら疲れちゃって。ちょっと気晴らしに」

 「と言うことで、先輩の付き添いです。ここの備品は一人で使うには適してませんから」

 「ふむ。課題を終わらせたなら、私から言うことは何もないな。存分に遊ぶと――ちょっと待てアレキサンダー。そのナイトは悪手だ」

 対面に座るは赤髪、露出の激しいインナーに身を包む美少年。こちらを振り向いて艶っぽく笑っている。幼き頃の征服王。

 「こんにちは、二人とも。ねえ聞いてよ、先生ったらこんな感じで、全然手加減してくれないんだ」

 二人がやっているのはチェスだった。盤面を覗き込むと、ややアレキ君の方が押しているように見えた。打ったナイトは私から見ても善手に映ったのだが――

 「――確かにこの手は、今この面だけを見れば魅力的だ。これによって敵陣により深く進攻しやすくなる――が、ナイトが深く動くと言うことは、自陣の守りも薄くなる」

 「分かってるよ、先生。クイーンとルークが動き易くなるよね。でもその前に詰ませられないかな。この一手、放っては置けないでしょう」

 「…」

 先生は黙って、ビショップを動かした。それはナイトを無視した一手に見えた。

 「「あ」」

 マシュとアレキ君が揃って声を上げた。

 「え?」

 「ナイトが動いたことで、こいつが射程内から外れた。二手あればこのビショップは君のキングに届くぞ」

 「…あ」

 私もそこで気付いた。

 「参ったなあ。先を見てたつもりだったんだけど」

 かしかしと髪を掻くアレキ君。先生は溜め息を吐きながらも、優し気に言った。

 「認識出来ないものは、戦略には取り込めない。考え、俯瞰することを諦めないことだ」

 それからまた二人は黙り込んで盤面と睨めっこを始めた。

 「本当に、先生と生徒みたいだね」

 「あのお二人は、そうあるのが一番なのでしょうね」

 私とマシュは何をしたかと言うと、テレビゲームに興を咲かせた。最近ではマシュも腕前が上達して来て、対戦ゲームも良くやるようになった。途中からは対局を終えた先生とアレキ君も参加して、四人でパーティーゲームに切り替えた。

 そうして夜になって、ご飯を食べて、ちびっこサーヴァント達と一緒にお風呂に入って、寝て――

 

 

 

 私は、夢を見た。暗がりの中で、誰かの声が響く。

 ――幸せを享受するなど、許されない。

 あの声だった。昨日よりも鮮明で、気付いた。それは今まで私が会ったことのなる人々の声だった。

 私が取りこぼしてしまった人々の、最後の訴えだった。

 何かを言おうとしたけれど、まるで喉は干上がってしまったように、掠れた吐息が漏れるだけ。

 ――お前は、一生私達を背負って、日々苦しみ、苛みながら生きていくのだ。それがお前に与えられた責務なのだから。

 それは、実に正当なことのように思えた。私は声が出ないので、それに抗議する気も段々なくなっていった。

 そもそも、抗議する筋合いもないじゃないか。私は彼等を救えなかった。

 それなら、当然、背負うべき責だ。

 私は、幸せになっちゃいけない。

 何かを得ちゃいけない。

 そうしたら、彼等のことを忘れてしまう。

 薄れてしまう。

 消えてしまう。

 それじゃダメなのだ。

 気持ちが沈んで、何だか悲しくなって、自分が自分じゃなくなるような、変な感覚に襲われて――ふと、黒い外套が私を包んだ。

 

 

 

 「――立香」

 私を呼ぶ声で、眼が覚める。

 「…ッ」

 まるで息を忘れていたんじゃないかと思うくらい、胸が苦しかった。心臓も肺も、張り裂けそうになっている。私の背中をさする手があって、驚いて横を見ると、巌窟王が枕元に立っていた。私を呼んだのは彼の声だったけれど、彼は私のことを名前では呼ばない。だから、それも夢だと思ったのだ。

 「大丈夫か、マスター」

 いつもの調子の、無愛想な声。それが寧ろ嬉しかった。

 「…大丈夫、なのかな。分かんないや」

 彼は怒るでもなく、寧ろ、ほんの少し笑った。

 「違和を感じ取ったか。それなら、俺も少しはやりやすくなる」

 そう言って、懐から青色の瓶を取り出した。

 「それ、何?」

 中身をコップに注ぎながら、彼は言った。

 「ギルガメッシュ王に無理を言って借り受けた。“真実の薬”と言うらしい…ダメ元だったが、人の心身に影響なく、効果の高いものとなると、この場所で持ち合わせているのは彼ぐらいのものだろうと思ってな」

 中身も透き通った青色。見ているだけで心が落ち着いてくるような、不思議な液体だった。

 「効能は?」

 「自白剤――と言うと、聞こえは悪いが、それに類するものだ。違うのは、服用者に、自身を認識していない深層部分を覗かせると言うこと。気持ちを沈め、己の心と向き合うための道具だと」

 彼はそのコップを私に差し出した。

 「今のお前の状態を解決するに相応しい薬だ」

 「…もしかして、シミュレーションの後に用事があるって言ってたのは――これのことだったの?」

 彼は不敵に笑った。良く見ると、口の端が切れているのが分かった。

 「賢王に話を付けるだけで済めば良かったのだがな、生憎と宝物庫は一つ。英雄王の方は少々、納得させるのに時間がかかってしまった」

 「戦ったの!?」

 声が上ずってしまうのも無理はなかった。

 かのバビロニアを治めた、神と人の相の子。この世の全てを手に入れ、その宝物庫に収めた、英雄と、それに連なる伝承・伝説全ての原典――ギルガメッシュ王。全てが規格外の英霊だ。このカルデアどころか、世界の中でも最も強力なサーヴァント。それと戦うなんて――

 「憎み合っての争いではない。俺が彼の宝物を借り受けるに足るか、それを確かめさせるための、言わば試練のようなものだ」

 彼は静かに言った。嘘を吐いていないことは、その眼を見なくたって分かる。

 彼は、嘘が嫌いな人だ。

 「――御免ね」

 「何を謝る」

 「私、嘘を吐いた」

 やっぱり、ダメだ。私なんかが、幸せになっちゃ、ダメなんだ。

 私のために、あの英雄王と戦ってまで、何とかしようとしてくれている人を。

 何より、私が一番思っているその人を、欺くなんて。

 「心配をかけまいとしたのだろう」

 「…違うよ」

 今だったら、そう言う意図でも嘘を吐くかもしれない。でも、あの時は――

 「正真正銘、自分可愛さに、嘘を吐いたの」

 巌窟王は、眼を瞬いて、それから、は、と一笑に付した。

 「予想が外れたのは残念だが、しかしマスター。それでもお前が謝る道理はない」

 「でも」

 「嘘とは、真実を偽ること。確かに俺はそれを憎むが、だからと言って全てに目くじらを立てる程餓鬼ではない。俺には知られたくないことがあるのだろう。当然だ」

 彼は天井を仰いで、言った。

 「悪辣に依らぬ嘘もある。悪意に染まらぬ裏切りもある。それはどうしようもないこと、そうせねばならなかったことだ」

 彼が何を考えているのか、何となく分かった。きっと、メルセデスのことだ。生前の彼が婚約を交わし、将来を誓い合った――けれど卑劣な策謀によって、繋がりを断たれた女性。

 「…私のは、そこまで気高くないよ」

 うなだれた私の頬に、彼の手が触れる。

 「それは自分が決めることではない。周りが判断することだ。しかし、もしお前がそこまで悔いていると言うのなら――この薬を飲んでくれ」

 私は一瞬、耳が可笑しくなったのかと思った。

 「――巌窟王。あなた今、飲んでくれ、って言った?」

 「ああ」

 聞き間違いではなかったらしい。あの、高潔で、尊大な、誰にも屈せず、誰にも支配されない彼が。

 「お前にものを願うのが、そんなに変か」

 「変だよ。そんなことしたこともないじゃない」

 「だとすれば、それはお前の勘違いだ。俺は不遜なのではなく、不必要な遜りを好まないだけだ」

 それは少し疑わしかったけれど、私は理解した。

 「…少なくとも、今はそうする必要があるってこと?」

 彼は頷いた。

 「何故なら、この薬はお前にとって不都合かも知れないからだ」

 「不都合?」

 「ああ。お前を苦しめている者を、意識下に引きずり上げる――それと同時に、他の隠された意識も浮かんでくることだろう。お前が忘れていること、知らない振りをしていること、知られたくはないこと――あらゆるものを。対象を選択出来る程、こう言った類の秘術は優しくはない」

 「…そっか。自白剤、だもんね」

 「嫌だと言えば、俺はこれを仕舞おう。丁重にかの王に返却し、お前の内に潜む者を焼き払う。それは一時的な解決に過ぎないが――育つ度に、何度でも。俺ならばそれが出来る」

 しかし、と彼は続けた。

 「最初の一度は、お前が人理を修復した直後だった。その時のお前は、欠片も気付いては居なかった」

 「今日初めて知ったよ」

 「しかし二度目には、お前は奴の存在を、何とはなしに認識している。それに相違はないな?」

 私は頷いた。

 「声が聞こえるの。入り混じった――人の声。私が救えなかった、人達の」

 「認識とは、こと魔術に於いて重要なファクターだ」

 彼は自分の掌を見つめて言った。

 「生前のモンテ・クリスト伯は、秘宝によって死の王となった。しかしそれは、復讐を終えた段階で消え失せ、超常の力は遺らなかった。その写身たるこの俺が、怨恨の黒き炎を宿しているのも――全て人の“こうであったろう”と言う認識によるものだ。俺だけではなく、ほぼ全てのサーヴァントが例外なくその影響を受けている。魔術とは――神秘とはそう言うものだからだ」

 「…私が、この“何か”に気付いたのが、問題ってことだよね」

 「察しが良いな、マスター。お前は認めてしまった――認めさせられたと言うべきか。一個の人間の認識によって、その存在は正当性を得た。“ここにある”に足る権利を獲得してしまった」

 「何が起こるか、分からない。大人しくしている保証もない」

 彼は頷いた。

 「故に――頼んでいるのさ。俺は…お前の内に、そんなものを蔓延らせておきたくはない。根を断つためには、お前が奴の全貌を認識する必要がある」

 「でも…そんなことしたら、益々逆効果なんじゃ」

 彼は口元を歪めて、言った。

 「真名看破だ、マスター。俺がお前にさせようとしていることは、とどのつまりそれなのさ」

 あ、と声が漏れた。

 「理解したか?」

 「…うん」

 私は、コップを受け取った。

 「それを飲めば、お前は意識を失う。夢の中で、我等の敵と向き合うことだろう――釘を刺すようだが、他の幾つかの秘密とも。そして俺は都合、それに触れてしまう」

 「うん」

 「お前はそれを諾するか、立香」

 ――夢じゃなかったんだ。

 思わず口元が綻ぶ。もう、良いか。

 それだけで報われた気分だった。

 「…ねえ、巌窟王」

 「ん?」

 「もしかしたら、幻滅されるかも知れないから、先に言っておくね」

 息を吸って、一息に言った。

 「――私、あなたのことが好きなんだ。ずっと、多分、最初にあった時から」

 彼が、今まで見たこともないような呆けた顔をしたのを見てから、私はコップの中身を飲み下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い長い、潜水だった。私は意識の海を掻き分けて、奥へ奥へと進んで行った。

 色んな感情が私を通り過ぎていく。ありふれた喜怒哀楽は、進む毎に複雑なものへ変わっていく。

 果てに辿り着くと、そこは広大な空間だった。まるで空気で出来たドームのように、そこから先は異質なのだと見るだけで分かった。

 意を決して飛び込むと、途端、重力に囚われた。わ、と思う内に身体は落下を始めて、眼に入るもの全てがスローに見えた。その空間には、様々な景色がホログラムのように交錯し、映し出されている。ドクターロマニの死を悼む皆。シバの業火に飲み込まれるオルガマリー所長。消滅する数多くのサーヴァントに、血を流し死んでいった現地の人々。存在を焼却され、盾を残して消えてしまったマシュ。黄金の粒子に還るゲーティア。忘れてしまいたかった、けれど忘れることなんて出来なくて、大事に仕舞い込まれた悲惨な記憶。

 そして、悩む私自身。映像の中の私は、ブツブツと一つの言葉だけを繰り返している。

 『幸せになってはいけない。幸せになってはいけない。幸せになってはいけない。幸せになってはいけない幸せになってはいけない幸せになってはいけない幸せになってはいけない幸せになってはいけない』

 ふわりと、何かの腕が身体を抱き留めた。

 私を受け止めてくれたのは、やはり巌窟王だった。

 「…ありがとう」

 私は恐る恐る、彼の顔を窺った。呆れているだろうか、失望しただろうか。

 ――それは、怒りの表情だった。

 驚いたのは、それで居て、その眼は悲哀に満ちていたからだった。

 「――何と言う惨たらしさだ、マスター」

 その声は、まるで絞り出すようだった。

 「…えっと、御免――」

 「何を、謝っている」

 ぴしゃりと彼は言った。鬼の形相と言うものは、きっとこう言うのを指すんだろう。私は身体を縮こまらせた。

 「御免なさい、御免なさい!!私は馬鹿で、こんな簡単なことにも気付かなくてっ…最初から、幸せになる資格なんて――」

 「違う!!違う違う違う!!」

 絶叫がこだまする。思わず眼を開くと、彼は、言い様もない程悲し気だった。

 「お前は、そうじゃない。そうじゃないだろう、立香!!!お前は脆く、それに馬鹿だ、だがな!!!弱くはなかった!!!どの絶望をもお前の脚を折ることはなかった――お前は正しく、無窮の意志を備えていた!!!だからこそ皆、お前を慕い、付いてきたのだろうが!!!」

 今にも泣き出しそうだった。彼が――私よりも遥かに強い彼が、そんな顔をするなんて、思ってもみなかった。

 ――何で、そんな顔をするの。

 「幸せになってはいけない、だと?ふざけるな!!!誰がそんなことを言った。あの魔術王さえ打ち倒した我らがマスターに、誰がそんな下らない呪いを吹き込んだ!!!」

 ――呪い?違う。これは義務だ。そうでなくちゃならないんだ。

 頬を熱いものが伝った。

 「あれ?」

 ――何で、私、泣いてるんだろう。

 彼は、ゆっくりと私を下ろすと、憎悪の籠った眼でこの空間に漂う、うずくまった私の映像を睨んだ。

 「――貴様だな」

 刹那、黒炎が爆発した。それは今まで私が見て来たものとは比べ物にならない規模の魔力が籠っていた。視界が煙で埋め尽くされる。ズキリ、と一瞬痛みが走ったのは、急に魔力が回路を流れたからだろう。

 「が、巌窟王、いきなり何を…」

 それには答えず、彼はばさりと外套を脱ぎ、それで私を覆った。

 「立香。お前は今日、不幸せだったと思うか?」

 ――何を言っているのだろう。そんなの、答えるまでもない。

 「…幸せ、だった…気がする」

 答えてから、不思議に思った。おかしい。

 幸せでは、いけない筈なのに。

 「お前にあの霊薬を飲むだけの分別が残っていて、心の底から安堵しているよ。気付くのが遅れた俺の落ち度だ…まさかここまで汚染されていたとはな」

 彼は舌打ちした。

 「マシュ・キリエライトの――ひいてはギャラハッド卿の加護が失われて、随分久しい。精神汚染への耐性も言わずもがなと言うことか――俺としたことが、見落としていた」

 黒煙が、段々と晴れていく。それと同時に、その向こう側に居る“何か”の輪郭も、段々と明らかになっていく。

 「――立香。お前は強い女だ。どんな悲劇が起ころうと、どんな犠牲が生まれようと、それを受け止め、今を生きることの出来る人間だ。決して、過去に拘泥し、自分を責め立て、閉塞する人間では――断じてない!!!」

 力強く、彼の言葉が私を晴らす。暖かな熱が、外套を通じて私の身体に伝わるのが分かった。

 ――そうだ。何であんなこと、考えたんだろう。

 「それは、最も非道な裏切りだ。零れ落ちた者共への、最も残虐な冒涜だ。お前は理解していた筈だ、だからこそここまでやって来れた筈だ!!!」

 ――そうだ。私は、幸せにならなきゃいけないんだ。

 「『待て、しかして希望せよ』。お前は一条の希望だ。数多くの淡い望みを束ねた、眩く輝く光だ。絶望、後悔――は。下らない!!!この女が貴様達のようになるものかと、既に一度忠告してやった筈だ――」

 私は息を呑んだ。開けた視界に、一つの柱が屹立している。上下左右に蠢き、白い表面に幾つものを淀んだ紅の眼球を並列した、醜悪な化物。

 それは、見たことがあった。最終決戦の地、冠位時間神殿に於いて、最後に立ちはだかった魔術王の手先――ソロモン七十二の魔神柱が一柱。

 「――なあ、廃棄孔・アンドロマリウスよ!!!」

 声が空間に響く。

 ――不要。不要不要不要不要!!!幸福など不要、安穏など不要!!!何故貴様達は欲しがる。希望、前進、未来――捨ててしまえ、全て虚無に帰すのだ!!!

 巌窟王の眼が漆黒に染まる。獰猛に歯を剥き、全身から禍々しい力の触手が沸き上がる。

 「最早貴様との問答は必要ない」

 そう言って、振り向かずに私へ問いかける。

 「立香。過去に拘泥し、淀み、蟠り――行き着く先はあれなる廃棄孔だ」

 私も、それを見た。この眼で、しっかりと。

 醜いと思った。それ以上に、悲しいと思った。

 「お前は、あんなにものになりたいのか」

 「…ううん。なりたくない、死んだって御免だ」

 私は、全力で否定した。

 「すっきりしたよ、巌窟王。もう大丈夫――だから、お願い。あいつをやっつけて」

 「――クク。クハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!ああ!!!!それでこそ我がマスターだ!!!!」

 

 

 

 それは、一瞬の虐殺だった。戦いですらなかった。

 何故なら、敵は元より、藤丸立香の意識に寄生した魔神柱の残滓。彼女を欺き、少しずつ力を獲得していったその存在は――しかし当の本人が完全に認識したことで、今や外骨格を全て剥された甲虫の如き脆さだった。

 巌窟王は勢いよく地面を蹴った。この場所は藤丸立香の精神世界――従って、既存の物理法則や、理屈とは無縁の空間だった。

 しかし、それは彼にとっては些末なことだった。宝具にまで昇華された彼の無窮の知恵は、あらゆる障碍を超越する――時間や、空間さえも。

 一つ魔神柱が瞬く間に、巌窟王は肉薄していた。空間を裂くように右腕を振るうと、その動きに従うように触手が伸び、魔神柱の全身を貫いた。

 ――グオオオオオオ!!!

 悲鳴にも似た叫び声がこだまする。普段の彼であれば、皮肉の一つや二つ投げかけたことだろう。

 ――しかし、今の巌窟王は、想像を超える憤怒に煮えたぎっていた。凄烈な笑みを浮かべてはいるが、それは只、目の前の醜悪な獣を粉微塵に出来ることに対する暗い喜びの発露であった。

 「はははは!!!はははははははははははははははははははははは!!!!!!」

 哄笑し、そのまま縦横無尽に駆け巡る。速度は落ちることなく、それどころか段々と加速していく。貫通した触手は彼の動きを追従し、伸縮して――まるで糸のように魔神柱を雁字搦めにした。

 ぐるり、と魔神柱の眼が動きを止める。蠢動が収まり、やがてばらばらと全身の崩壊が始まった。さながら切断された瓦礫のように、すっきりとした断面の肉片が散らばる。

 巌窟王はそれを見るや、右手を翳した。掌に全身を覆う黒炎を集め、一気に解放する。

 轟音と共に、巨大な爆発が起こった。大気が震え、空間が振動する。先程見せたものを遥かに上回る出力だった。

 ――二度と姿を見せるな。留まることなく、蟠ることなく、永劫に消え失せろ。

 魔神柱に向けられたその呪詛が、恐らく巌窟王がこれまで編んだものの中で、最も深く、強く、怖ろしいものだったろうことを裏付ける爆炎。

 これでもまだ足りない、と巌窟王は思う。

 もし――もし仮に、あの獣に宿った自我が、生まれ変わりと言う形で再びこの世に現れたなら。

 喩えその魂が清廉で、善性に傾いたものだったとしても、遠慮なく焼き尽くせる自信があった。

 何度でも、何度でも。

 この世界に、存在してしまったことを後悔させるまで。

 

 

 

 眼が覚めると、何もかも終わった後だった。何回起きて、寝てを繰り返せば気が済むんだろう。苦笑しながら身体を起こす。

 巌窟王は私を認めると、いつもと同じように、湯気立つ珈琲を枕元に置いてくれた。

 「気分はどうだ」

 私は素直に頷いた。

 「本当に、もう何ともないや。ありがとう、巌窟王」

 彼は口元を歪ませて言った。それはある種、自虐的な笑みだった。

 「礼には及ばぬ。寧ろ、俺が詫びねばならない位だ」

 「どうして?」

 「一度目の時点で、きちんと摘んでおくべき火種だった。事なきを得たから良かったものの――もう少しで、お前の魂を歪めてしまうところだった」

 「良いよ、そんなの。ちゃんとこうやって助けてくれたんだし」

 彼は何か続けようとしたようだったけれど、結局溜め息を吐いて笑った。

 珈琲を啜る。うん、美味しい。

 少し苦いけれど、それが良いのだ。

 「立香」

 ふと、巌窟王が呟いた。

 「うん?」

 「先程、お前が言った言葉だが」

 顔が熱くなるのが、自分でも分かった。すっかり忘れていた。

 「…すっかり忘れていた、と言うような顔だな」

 図星を突かれて、慌てて私は手を振った。

 しかし、彼は微笑んで言った。

 「俺もだよ。お前の心に飛び込んだ後は、奴への怒りしか頭になかった」

 「そ、そう…」

 それで?とは、とても聞けなかったので、狡いなあとは思いつつ、彼の言葉を待った。

 「…俺は、復讐者だ」

 ぽつり。何度も聞いた、彼の独白。

 「復讐によって報われず、寵姫によって救われず、理不尽と悪辣を憎むことに取り憑かれた『もしも』の姿。故に俺は、この世の悪意に対して復讐することによってのみ、その存在を正当化することが出来る――そう思っていた」

 私は、驚いて顔を上げた。

 「今は、そう思ってないの?」

 「俺の在り方は変わらない。それはどうしたところで覆るものでもない――だがお前に会った日から、ずっと考えていることがある」

 山吹色の瞳。熾烈な輝きは、今は形を潜めて、穏やかに凪いでいる。

 「俺はこの世界が嫌いだ。理不尽で、不平等で、悪意の蔓延る糞溜めだ。お前を救うことは、この世界を救うことだった。人理修復の一助となるのだから、当然だ」

 「…うん。そうなるね」

 「だが俺はお前に、様々な者の面影を見た。理不尽な扱いを受け、それで居て気高き魂を失わなかった人々の面影を。そんなお前が、悪辣の体現だったあの塔で朽ち果てようとしていた。助力するに何の躊躇いもなかった」

 「結構楽しかったよ、あの一週間」

 「俺もだ」

 にやりと笑って、彼は話を続けた。

 「お前を助けて来たことは、全てその一点で解決すると思っていた。我が愛しい人々の写身が、理不尽を被ることが許せない――しかし、本当にそれだけか?否。幾ら似ていようが、幾ら重ねようが、他人は他人。お前は藤丸立香と言う一個人であって、ファリア神父でも、エデでもありはしない」

 「そりゃ、そうだよ」

 勿論、光栄なことだ。そんな人々と、自分を同一視してもらえるのは。

 けれど、私は栄誉が欲しい訳じゃない。

 「ああ、全くな。ならばお前を気に掛けてしまうのは何故だ?お前に降り掛かる理不尽を、悪意を、悉く払ってやりたいと思うのは何故なのだ?かの英雄王と拳を交えてまで、お前を救いたいと思ったのは――」

 私は、恐る恐る聞いた。

 「どうして?」

 彼は、微笑んで言った。

 「簡単なことだ。今や遍く悪意や理不尽よりも――お前を苦しめる悪意や理不尽の方が、俺にとっては許せない」

 私は、耳を疑った。あるいは、頭を疑った。それを私が思った通りの意味で受け取って良いものか、迷った。

 迷った挙句、少しだけ勇気を出すことにした。

 「…それだけ私が、大事ってこと?」

 彼は鼻を鳴らした。

 「好きに捉えるが良い」

 その答えでも、十分だった。思わず、笑みが零れる――ついでに、涙も。

 「…ねえ、巌窟王」

 「何だ」

 「エドモン、って、呼んでも良い?」

 かつて彼は言った。

 『エドモン・ダンテスとは――復讐の果て、あらゆる怨恨と憤怒を清算し、再び人の世に舞い戻った男の名。ここにある俺と言う霊基とは、似て非なる存在だ』

 だから、私は彼を“巌窟王”と呼ぶ。彼が私を“マスター”と呼ぶように。例え他の誰が、彼を何と呼ぼうと、私だけはそう言うことにしていた。

 けれど、彼の方が私を名前で呼ぶものだから。

 ふう、と溜め息を吐いて、彼は髪を掻いた。

 「…今の俺は、巌窟王には相応しくないかも知れん。好きな方で呼べ」

 「うん。じゃあ、そうする」

 涙が止まらない。一息吐いて、色んな感情がとめどなく溢れて来る。

 彼の気持ちが確認出来た喜びと――それと同じくらい、歪な絶望から解放された、安堵感。

 「――ふええん」

 情けない声まで上げてしまう。

 「ありがとう…私、もう少しで、あの人達にも、皆にも…顔向け出来ないところだった…」

 彼は、私の頭に手を置いた。

 「もう大丈夫だ。不安にさせて、悪かった」

 「…っ。うええええん」

 ――ああ。

 私はホッとした。

 本当に、魔神柱の影響だけだったのか。

 もしかしたら、実際に私は何処か、そういうことを考えていたのかも知れない。居なくなってしまった人々のために、私は不幸せでなければならないなんて――そんなふざけたことを。

 でも、やっぱり、そんなことはなかった。

 だって今、私は幸せだ。

 そう思えることが幸せだ。

 幸せを、幸せだと思えることが――心の底から幸せで、しょうがない。

 

 

 

 立香を寝かしつけた後、彼はゆっくりと部屋を後にした。身体の節々が軋んでいる。無論、彼が今から訪問しようとしている人物に与えられたダメージもさることながら、怒りに任せて少々力を使い過ぎたことも尾を引いていた。

 しかし、全てが終わったら報告せよ、と仰せであった。正直面倒だとは思いつつ、礼を立てるべきであるのは確かだった。

 談話室に入ると、二人のギルガメッシュ王が同時に顔を上げた。

 「「巌窟王か」」 

 同時に声を発し、如何にも嫌悪感丸出しと言った感じでお互いを睨み合い――英雄王の方が先に立ち上がった。

 「は。その顔を見るに、上手く行ったのだろう」

 「ああ。お陰様でな。助かったよ、ギルガメッシュ王」

 「礼なぞ要らぬわ。寛大なる我の手心があったとは言え、それは貴様が勝ち得た正当な褒美。どのように使おうと貴様の勝手よ」

 そう言って談話室を出て行った。

 賢王の方はと言うと、溜め息を一つ吐き、空いた杯に酒を注ぎ、彼に座るよう促した。

 「何が寛大な手心か。慢心故に後一歩まで肉薄され、乖離剣をも抜いた癖に良く言うわ」

 「クク。宝具を如何様に使おうと、英霊の勝手だろう。俺は負けた、貴君は勝った。そこから先は、確かに手心の範疇であろうさ」

 賢王は、少し意外そうに眉を上げ、言った。

 「貴様がそう言うなら、我も何も言わぬが…何やら、雰囲気が変わったな?」

 「そうか?」

 「応とも。まあ、あ奴の下に集った英霊は、皆多少なりそうなる。中々どうして、傑物と言えよう」

 彼は黙って、青色の瓶を手渡した。賢王はそれを軽く確認すると、無造作に背後に放り投げた。瞬間、そこに黄金色の孔が開き、吸い込まれるように消える。

 「確かに使ったのだな。戦果はどうだった」

 「出るものが出た。マスターの、これまでのレイシフトによる蓄積された深層意識。そこを温床としていた魔神柱の残滓――随分とギリギリだったが」

 賢王は、ゆっくりと頷いた。

 「貴様は嘘を吐くような男ではない。そも、我の前では意味がないがな。再発の可能性は?」

 「有り得ない。奴の存在は否定し尽くしたし、念のため、マスターの内側にも呪詛を残して来た」

 「ほう。どんな呪詛だ」

 「…邪悪なるものを、何者も侵入させない呪詛だ」

 賢王は微かに眼を閉じ、やがて噴き出した。

 「くく、ははははははははははははは!!!いや、それは愉快だな!!!全く以て面白い奴だ、貴様は!!!はははははははは――ゴホッ、イカン!!笑い死にしてしまう!!!」

 「…楽しんで頂けて何よりだ」

 そう言って、もう一口酒を呷る。

 彼が藤丸立香の深層意識に残して来た呪詛。

 それは、確かに外界からの侵入を阻むためのものだった。あらゆる邪なるもの、魔なるものを弾く呪い。

 只、例外と言うものは確かに存在するもので――それは今回の場合だと、正に彼自身が該当する。あらゆる枷、軛を突破する無窮の知恵を用いれば、己が手で編んだ呪詛さえも突破出来る。

 我ながら子供のようだと、彼は思う。ナイト気取りとは、全く以て焼きが回ったものだ。

 くく、と身体を折り曲げながら、苦しそうに賢王が言う。

 「…ま、まあ、良いのではないか…くくく。子供っぽいのも、たまには…くっく」

 「勝手に心を読むのは止めて貰いたいものだな」

 「ほほう!!ナイトがキングに楯突くとは!!しかし許そう!!笑かして貰った礼だ!!!」

 彼は諦めて、諸手を挙げた。

 「降参だ、賢王」

 そうしてカルデアの夜は更けていく。

 一人の少女の安らかな眠り、それから、二つのグラスが幾度となく交わされる音と共に。

 




復讐者と言うクラスは扱いに困るんですよ。バーサーカーの次位に困る。でも何故か琴線に触れるキャラが多いのは、多分あれですよね。ツンツンしてる癖にやけに依存体質で、一度関わり合いになったが最後デレデレのデレッデレになる子が多いからですよね(多分)。ヘシアン・ロボとかは例外だけど。
実は邪ンヌとどっちで書こうか悩んでて、途中までは邪ンヌで行く気だったんですけど、実は私邪ンヌを持っていない。ガチャ回してはいるんですけど、福袋は何故か三人目のエドモンでした。どうにもそっちの方に縁があるようなので、大人しくエドモンで書きました。
そんな感じです。拙文失礼いたしました。


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