比企谷八幡誕生祭2018ss

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誕生花をあなたに~いつもを添えて~

  日付けが変わった。現在の時刻は8月8日午前0時。

  普段ならこんなことに気を配ってスマホの画面を見ていることはない。なのにどうして俺がスマホとにらめっこしてるかというとラインの通知がうるさいからである。

  別にリア充じゃないしぼっちだし、相手いないし、小町だけでいいし、既読スルー怖いし……

 それなのに強制的に友達登録されてしまった。連絡先持ってたやつの全部追加された。そして連絡先交換してなかったやつとはラインを交換された。恐るべしライン……

 ラインを始めた当日はまた黒歴史の1ページを捲ってしまった気がする。友達かも?とか友達として追加されたって相手側には通知がいくらしい。いや勝手に追加するなよ。許可を得ろ。許可を。

 

『え?ライン始めたの?』、『よろしく! 』とか、『ウケる笑』とか。いや、ウケないから。なにも面白くないから、こっちはライフを削られてるから。そんな感じでたった一言送られてくる。どういう風に返信すべきか何時間か悩んだ末に、『 よろしく』と無難に返してしまった。絶対あいつら画面見ながら笑ってる。馬鹿にしてる姿が目に浮かぶ。

 

  俺の新たな黒歴史は良いとしてラインを見ていく。

  お団子頭のクラスメイトからは、

 

『ヒッキー誕生日オメデト!! ヽ(`・ω・´)ノ イェイ!!ⓗⓐⓟⓟⓨ ╰(*´︶`*)╯ ⓑⓘⓡⓣⓗⓓⓐⓨこれからもよろしく!ヽ(^ω^)ノ』

 

  というのが、いや顔文字使いすぎだから。わざわざ英語でも言わなくていいから。なんかネット始めたばかりの中年みたいになってるから。いや、逆にこれがリア充というものなのだろうか。でもこの間パパが顔文字とかスタンプ全部使ってくるからウザイって言ってたような……リア充コワイ。

  あざとい後輩からは、

 

『せーんぱい。お誕生日おめでとうございます♪これからもよろしくです!』

『 あっ、今ニヤケました?こいつならイけるって思いましたよね?わかりやす過ぎです。下心丸出しの死んだ魚のような腐った目をした人は守備範囲外なのでごめんなさい。』

 

 おい!目は関係ないだろう!目は!てか、なんで俺が勝手に告ってもないのにフラれたみたいになってるんだよ。何回お前にフラれればいいんだ。やめて!八幡のライフはもう0よ!

  厨二病さんのでも見て少し落ち着きますかね……

 

『我が同胞、比企谷八幡よ!今日はお主の誕生祭だな。我は嬉しいぞ。盛大に祝おうではないか。また我の密書を読むが良い。我はこれで失礼する』

 

 おっおう。いつにも増して意味不明なことを言ってやがる。今回の設定はなんだったのかなー?材木座。密書ってどうせまたお前が執筆しているラノベだろ。密かに書いてないし、秘密にされてもないし、なんならお前から広めてるまである。

 落ち着くどころか呆れてしまった。次は……

 

『比企谷誕生日おめでとう。君もまたひとつ私の歳に近づきましたね。君が私の歳に近づくということは私も歳をとって君の歳から離れるということですね。近づけば近づくほど遠くに感じる恋みたいですね。ps.今度一緒にラーメンでも食べに行きませんか?』

 

 ボンッ。唐突!布団にスマホを投げてしまった。うん。見なかったことにしよう。そうしよう。残念系独身教師様は今宵も健在なご様子。なんなんだこの乙女は……ラーメンならいつでも行きますから。てかほんと誰か貰ったげて!じゃないと俺が貰っちゃいそうになるから。

 落ち着けー。落ち着くんだ比企谷八幡。誕生日は始まったばかり、ここで倒れるわけにはいかんのだよ。ここはラブリーマイエンジェルから来たのを見よう。

 

『八幡誕生日おめでとう!』

 

 なんということだろう。一言、たった一言なのに癒される。画面越しから出る電磁波をも凌駕して癒しの波動でも出ているのだろうか。あぁ……とつかわいいって思ってたらなんかもうひとつ来てた。

 

 『おめでと』

 

 素っ気ない。何がおめでたいのかわからない。相手に伝わるようにって教わらなかったのかしらん?俺が言えることじゃないけど。なんか自分で言っときながら悲しくなってきた。俺のことは後にして、その一言を送ってきたのは川なんとかさん。まぁあいつらしいと言えばあいつらしい。素直に嬉しい。他の言葉に頼るでもなくおめでとうの一言だけに込められた何かを感じる。そう思うのは俺の過信だろうか。とりあえず返信しとこう。

 

『さんきゅ』

 

 うん。我ながらスマートな返しだ。自ら感心してしまう。

 

 『はーちゃんお誕生日おめでとう!』

 

 ふぁ?もうそろそろスマホから目を離そうと手放したと同時にその言葉は送られてきた。こっ、これはまさか!?

 

『ごめん。けーちゃんがあたしのスマホ取って勝手に送った』

『あぁ。気にするな。京華にありがとうって言っといてくれ』

『ほんとあんたって京華には甘いよね』

『うっせ!祝福されたから礼を述べたまでだ!』

『はいはい』

 

 なんか。幼女のおかげ?で会話が続いてしまった。けーちゃん可愛いわ。幼女に誕生日祝われるとか生きてきた中で初めてである。やっぱり幼女は最高だぜ!!うん。キモイな。

 送られてきたラインは川崎姉妹からので最後だった。別にこれから誰かから祝福される予定はもうない。小町を除いて!うん小町は祝ってくれるからね!

  これは俺の独り善がりな、一方的な幻想。考えるのはやめろ。期待をするなと頭のどこかでブレーキがかかるが、どこかで期待している自分がいる。酷くもどかしい。

 

  もやもやした気持ちを胸に俺は意識を手放した。

 

 ―――

 

 目を覚ました俺は、我が親愛なる妹の待つリビングに向かう。入ったらキッチンで朝食の支度をしている姿が目に入った。

 

 「おはよう。小町」

 「あっ、お兄ちゃん。おはよー」

 

  うん。至って普通だ。今日が何の日かわかっているのだろうか。まさか妹に忘れられてしまったというのか!?嘘だ!嘘だと言ってくれ誰か。そう誰か……

 

 「はい。できたよ召し上がれ。」

 「おう。さんきゅ」

 

  テーブルに並べられたのは鮭の塩焼きに大根の味噌汁、カブの漬け物に玉子焼き。素晴らしい。家庭的な朝食。うちの妹はいつでも嫁に出せるね!!出さんけど!!絶対嫁にはいかせないから!!

 

 

  妹パワーを注入した俺は今、録画してあるプリキュアを一気見していた。HUGっと!しちゃう。ぷいきゅあがんばれ〜!

  ピンポーンと家のチャイムが鳴った。誰だこんな時間に。出るのは小町に任せよう。てか、もう小町が向かってるし。

 

 「お兄ちゃんお客さん♪」

 

  ぴょんぴょんと心がぴょんぴょんしてしまいそうなまでに明るい向日葵のようなスマイルでこちらに向かってきた小町。

 

 「おう。そうか良かったな」

 「いやお兄ちゃんにだから」

 「は?俺に?いつ?誰が?どこに?なんの用事で?」

 「ほんとめんどくさいごみいちゃんだなぁ。いいから行った行った」

 

  まるでゴミを見るかのような蔑んだ目で俺を見据え、シッシッっと手で俺を向かわせようとする小町ちゃん……お兄ちゃん悲しいよ。

  仕方ないので玄関に向かう。誰だよ!俺の朝の癒しを邪魔するのは!プリキュア観るのが生きがいだってのに。いやそれは言い過ぎか。

  玄関を開けるとそこにいたのは……

 

 「おっおっ、なんでお前が……」

 「あら?私が訪ねてきたらおかしいのかしら?それよりも何その鳴き声は?新種のセミが鳴いているのかと思ったわ。こんなに暑苦しい日なのにさらに暑くなるような鳴き方はやめてもらえるかしら」

 「おい!俺はセミじゃねえし。頑張って命燃やして鳴いてるセミに失礼だろうが!俺はそこまで命を懸けて生きるつもりはない。てか、どうしたんだこんな暑い日に。俺に用だと聞いたが?」

 

  会って早々俺を罵倒してきたのは言うまでもない。氷の女王雪ノ下雪乃だ。水色のフェイクスエードコートを羽織り、白と黒のボーダー柄のバルーンスリーブカットソーにベルト付きタックパンツという高校生とは思えないほどの大人顔負け上品なコーディネート。やっぱりこいつはパンツスタイルが良く似合うな。

 

 「あら?私のことをずっと見つめているけどどうしたのかしら?視姦谷くん?」

 「もうそれほとんど合ってないから。視姦してないから。ただお前の服装を見て綺麗だなって……そう思っただけだ」

 

  勇気というかなんかを振り絞って俺ができる最大限の褒め言葉を言った。

 

 「そっ……そう。ありがとう……」

 「おっ、おう」

 

  なんか変な空気になってしまった。また冷え切った目でこちらを見て罵倒してくるのかと思ったら、少し頬を染めながら俯いたままだ。おい!恥ずかしがるな!こっちまで恥ずかしくなるだろ!ちくしょう。

 

 「ん。あー。ところでなんの用だ?」

 

  堪えきれず俺からもう一度要件を尋ねた。

 

 「そっ、そうだったわ。その……今日は何の日か知ってるかしら?」

 「ほえ?」

 「また変な声を出さないでくれるかしら。近所の人に聞かれたら私まで変な目で見られてしまうじゃない。」

 「うっ、うるせ。えーと」

 「世界猫の日よ」

 

  俺が答える前に焦れったかったのか割り込んできた。

 

 「世界猫の日?」

 「そう。国際動物福祉基金。通称IFAWが制定した日よ。何故この日なのかという具体的な理由は調べてもわからなかったわ。ちなみに日本の猫の日は2月22日よ」

 

  おっ、おうさすがユキペディアさん。詳しくていらっしゃる。なんか顎を少し上げ腕を組んで自慢げにどう?という視線を送ってきてる。

 

 「知らなかったな。それでそれがどうした?」

 「だからその……」

 

  持っていたバッグからチラシを手に取って見せてきた。

 

 「これに一緒に付いてくることを許すわ」

 「世界の猫展?」

 「ええ。世界各国のたくさんの種類の猫が私たちを待ってるわ」

 「さいですか……」

 「ちなみに行かな──」

 「あー、お兄ちゃん雪乃さんをしっかり守ってあげないと晩御飯抜きだから☆」

 

  トタトタと近づいて来たと思ったら恐ろしいことを言う小町。

 

 「よし。雪ノ下行くぞ。早くしろ」

 「はぁ……本当にあなたって人は」

 「ありがとう小町さん。今度お礼するわ」

 「いえいえー。じゃ頑張ってください!」

 

  小町が手を振って見送ってくれた。雪ノ下と小町がなんか話してたが俺の知ることではないだろう。

 

 

 

 Interlude・・・

 

  あーあ。ほんとに行っちゃったな。ほんと二人ともめんどくさいんだから。

 

  雪乃さんからお兄ちゃんを誘いに来るなんて思わなかった。凄いオシャレしてくるし。綺麗だったなぁ。ほんと綺麗な人お兄ちゃんにはもったいない。

 

  お兄ちゃんは雪乃さんと話せて満更でもなさそうな顔をしてる。ちょっと照れくさそうに話してる。兄のこんな姿見たことがない。

 

  兄のことをわかってるのは私だけだと思ってた。でも違った。もしかしたら私自身兄のことをわかっていないのかもしれない。それ以上に兄のことをわかってて大事にしてくれる人がいるのだという事実が嬉しかった。

 

  だけど、少し。

 

 

 ──さみしいな。

 

  安堵にも似た一抹の寂しさが頭から離れない。

 

 ―――

 

『世界の猫展』が開催されているショッピングモールに着いた。猫展は一階の大きなスペースで開催されている。もうなんかにゃーにゃー聞こえるし、なんなら猫ノ下さんが隣で輪唱してるまである。

 

 「雪ノ下はどんな猫が好きなんだ?」

 「どんななんて、猫に貴賎はないわ。みんなちがってみんないいもの」

 「そうか。なら良かった」

 「ど……どういう意味かしら?」

 「いや、世界から集まってきた猫と触れ合える体験型イベントなんだろ?だからみんな好きならたくさん触れ合えるじゃないか」

 「そっ、そうね。とにかく行きましょう」

 

  頬を染めながら小走りで先頭を行く雪ノ下さん基デレノ下さん。

 

 「やっぱりアメショーは可愛いわね。にゃー」

 「アメショー?」

 「アメリカンショートヘアの略よ。可愛いでしょ?ねぇ?アメショー?にゃー」

 「おっおう」

「アメリカンショートヘアーは2種類の毛質をもつダブルコートでして、毛量ですが、長くまっすぐなオーバーコートは1本ずつ、短くて柔らかいアンダーコートは1つの毛穴から平均10~12本生えているので毛の量も相当です。アンダーコートはお腹に向かって密集して生えてるんですよ〜」

 

  と言いながらイベントの係員が近づいてきた。

 

 「手入れが大変そうね」

 

  その話を真面目に聞いていた雪ノ下。

 

 「そうですね。抜け毛の季節だけでなく、日ごろからブラッシングをしてスキンシップをすることが大切ですよ。部屋に舞う毛を抑えられて、家族がアレルギーを引き起こす原因を減らすこともできます。猫は被毛からの感覚も敏感なので、あまり細かな目のコームでは嫌がる子や、幅広のブラシだとゾワゾワっとして苦手そうな子もいます。アメリカンショートヘアーなどの抜け毛の多い子は、ブラッシング嫌いにさせないように注意したいので、猫ちゃん好みのブラシを見つけてあげるのがポイントですね。」

 「猫とのコミニュケーションや、スキンシップにもなりますし、それに彼氏さんと飼うんでしたら、お二人でケアしてあげると、ちょっとした癒しの時間にもなってラブラブ度がアップしちゃうかもしれませんね♪」

 

  は?

 

 「そ……それは……」

 「あっ、そちらの猫ちゃんはですね……」

 

  爆弾を投下して係員は別の客のところに行ってしまった。

 

 「そ……その……」

 「す、すまん」

 「い、いえ……別にあなたのせいではないわ」

 

  ふと見回すと確かに周りはカップルばかりだ。まぁ、そういう関係だと思われても仕方がない。特に意味もないサービストークだったのだろう。

 

 「そ、その……あなたはどの猫が好きなの?」

 「おっ、俺か。そうだな。ペルシャ猫だな」

 「なぜかしら?」

 「金持ちって感じがするだろ」

 「はぁ……あなたって人は。長毛種で気難しげな容姿。運動量が少なく鳴き声も小さめ、温厚な性格を持っているから飼いやすいと聞いたことがあるけれど、ケアは大変なそうよ。時間とお金がかかるかもしれないのに専業主夫志望のあなたに飼えるのかしら?」

 

  で、出たー。ちょっと優しいなって思ったら毒を吐くやつー。からかうような、少し嘲笑するように俺の目の底まで見通すかのように黒い瞳が輝いている。

 

 「あー。それなら大丈夫だ。家庭的で夫を労わってくれて、献身的に養ってくれる人がいるから」

 

  適当なことを言って逃げる。

 

 「へぇ。それは誰なのかしら?」

 

  ふふっと笑いながら雪ノ下が問うてきた。その言葉と同時になぜか雪ノ下を見つめてしまった。

 

 「さぁ……誰だろうな」

 

  特に雪ノ下が気にしてる様子がなかったので惚けたふりをする。

 

 「それより腹減らないか?あっちに屋台があるぞ」

 「ええ。私もちょうど何か食べたいと思っていたところだったの。あなたの話に乗るのは遺憾なのだけれど、今回はあなたの提案に賛成するわ」

 「はいはい。行こう行こう」

 

  ツンノ下さんの話を軽く受け流す。

 

 「雪ノ下は何が食べたいんだ?」

 「私はこのにゃんにゃん焼きそばにするわ」

 

  全メニューに、にゃんにゃんって付いてる。にゃんにゃんにゃーんってどっかのスクールアイドルみたいで可愛いね!

 

 「わかった。俺もそれにする。ちょっと買ってくるから待ってろ」

 「ちょっと私も一緒に行くわ」

 「いやいい……だってお前その……疲れてんだろ」

 「え?」

 

  ここに来てからの雪ノ下はというとハイテンションでガンガンいこうぜ!的な感じだった。

 

 「お前体力ないだろ。能力は高いけど……ま、待っとけ」

 「わっ、わかったわ!待ってるから早く行きなさい。早く私の前から消えなさい!」

 

  カァ~ッと文字が浮かび上がりそうなほど頬を真っ赤に染め、俺を消滅させようとする。

 

 「はいはい。言われなくても行きますよ」

 

  お怒りの雪ノ下に背を向け屋台へと歩を進める。

 

  まぁ、雪ノ下の額に見える汗が、純白でレースを思わせる珍至梅の花弁に滴る雨のように煌やかで、一瞬でも見惚れてしまったことは言うまでもない。

 

 

  焼きそばなど適当に買い終え辺りを見回す。

 

 「さてと、雪ノ下は──」

 「ねえねえ?君一人?」

 「……」

 「一人なら俺たちとにゃんにゃんって一緒にブラッシングして猫と一緒に遊ばない?」

 「……」

 

  ナンパされていた。しかも意味からんことを言われている。お前達の都合に猫を巻き込むな。その時点でゆきのん的にポイント低いぞ。ほら、無言を貫いているが拒絶するような冷え切った目だ。

 

 「おい!なんか言えよ!」

 「……」

 

  そう言って雪ノ下に襲いかかろうとするナンパ男。別に雪ノ下の身を心配しているわけではない。雪ノ下ならこんなヤツらの相手をするのは造作もないことだろう。だけど頭の中では思っていても体が、本能が、感情がどうしても言うことを聞かない。穢れを知らない何者にも染まらぬ『白』のような彼女の手を汚す訳にはいかないのだ。別に誰かが、誰かなら彼女を染めてもいいという事では決してないのだが……

  「理性の化け物」だと言われたことがあるが、そんなもの今の俺を見たらあの人は何と言うのだろうか……少しだけ興味が湧いた。

 

 「やめとけ」

 「うおっ」

 

  腕を掴み、払った。その拍子に後ずさるナンパ男二人。

 

 「雪ノ下行くぞ」

 

  少し強引に彼女の手を取りこの場から離れようとするが──

 

 「なんだてめぇ!待てよ。邪魔すんじゃねえぞ!」

 

  やはり諦めてはくれないようだ。二人のナンパ男が前をふさぐ。はぁ……普段の俺なら、日頃『腐った、死んだ魚のような目』と定評のあるこの目で静かに安全に事を終わらせるだろう。本当に事が無事に終わるかどうか知らんけど……一度崩壊した理性は留まることを知らない。

 

 「どけ!」

 

  今まで一度も出したことのない咆哮のような鋭い怒声を響かせ、すごんでみせた。そのまま歩く。この前読んだラノベのお兄様の真似をしてみた。似てるかどうかは定かではないが俺たちの歩みを止める者はいない。かき分ける必要も無い。ただその場から離れた。

 

 

  イベントスペースから離れて少し経ったあと雪ノ下が握っていた手を離した。

 

 「どうした?」

 「……さっきのあなた怖かったわ。私の知ってるあなたではないようで怖かった。でも……ありがとう」

 「悪かった。」

 「本当に私はあなたのことを何も知らないのね……あなたに頼ってばかり。守ってもらってばかり……何一つ変わらない……」

 

  拒絶の意思ではなかった。どこか儚げに俺を見据えて自分を戒めている。

 

 「帰るか……」

 

  普段は心地よいはずの静寂が棘のように心に突き刺さるのがいたたまれなくなって歩きだす。その後を彼女が付いてくる。

  ふと、彼女の足音が聞こえなくったのを感じ振り返る。

  彼女は何かを見つめていた。その先に視線を向けると──

  クレーンゲームの景品があった。その景品というのはパンダのぬいぐるみ。厳つい目が印象的なパンさんのぬいぐるみだった。前にも似たようなことがあったのを思い出す。あの時と違うのはパンさんが浮き輪を付けてサマーバージョンになっていることだろう。やっぱりどの業界でも季節限定ものはあるのね……ガチャとか……ガチャとか……

  それよりも、雪ノ下はあの日渡したぬいぐるみをどうしているのだろうか。その事が気になったが聞くことはない。

 

 「待ってろ」

 「え?」

 

  不意に話しかけられ驚いている彼女をよそにクレーンゲーム機へと進む。今回は必殺技など使わない。さっきのお詫びとなんだかんだ楽しかった今日誘ってくれた礼を兼ねているから。

 

 

 

  野口さんが数枚消え去ったが何とか取ることができた。必死になって格闘している俺を見て雪ノ下は笑ってた。すげー恥ずかしい。カッコつけて「待ってろ」とか言ったのにこのザマだ。まぁ、彼女の笑顔が見れただけ良しとしよう。取れたてホヤホヤのパンさんのぬいぐるみを彼女に渡す。

 

 「ありがとう。大切にするわ」

 

  ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて愛おしそうに微笑みながらそう言ってきた。

 

 「さっきは悪かった。それと……今日は──」

 「待って」

 「比企谷くん少し時間をくれる?」

 

  俺の礼は彼女の発言で制された。別にまだ夕飯には時間があるし断る必要もないので答えは決まっている。

 

 「あぁ。どうかしたのか?」

 「少し寄りたいところがあるの。さっき入ってきたところで待っててくれるかしら?」

 「わかった。迷子になるなよ?」

 「心配してくれてるの?」

 「べっ、別にそんなんじゃねえし。ただ探すのが面倒だからであって……あー、もうじゃあな。待ってるからよ」

 

  ちょっと弱みにつけこもうとしたらカウンターをくらった。たぶんというか絶対顔が真っ赤なので退散する。逃げるは恥だが役に立つね!

 

 ―――

 どれだけの時間がたったのか正確にはわからないが雪ノ下が袋を手に提げて戻ってきた。

 

 「ちょっと歩きましょうか?」

 「あぁ」

 

  少ない言葉を交わし、橙に染まり始めた空に照らされる彼女の背を追うように歩き始める。

  歩き始めて十分以上は経過しただろうか。雪ノ下が足を止めた。

 

 「ここで少し休みましょう」

 

  そう言って人通りが少ない道から中に入った。そこは虫たちだけの音色が響く公園だった。中に入ってすぐ雪ノ下が振り返って俺の方を見てきた。

 

 「比企谷くん。これ……姉さんから」

 

  そう言いながら手に提げていたひとつの袋を手渡してきた。

 

 「え?あ?おう」

 「はい。どうぞ」

 

  突然のことに頭が追いつかず変な返答をしてしまったが、特に弄られることもなかった。素直に受け取った。中身を確認する。

 中に入っていたのはオシャレに疎い俺でもわかる高級そうな腕時計と財布だった。それに加え手紙が……

 

『比企谷くん誕生日おめでとう。雪乃ちゃんの隣に居たいのならそれなりの物を身につけなさい。これは未来のお義姉さんからのあなたへの投資ね☆あと、登録してないと思うから電話番号とLINEのID教えとくね。追加しないとわかってるよね?』

 

  日が沈んできたとはいえまだ暑い夏の日なのに寒気を感じて震えた。身体的にも精神的にも……。プレゼントは変哲も捻りもない普通のものだった。優しさに似たものを感じたが、この怪文書がなければ完璧だったのに……やはり魔王はコワイ。というか別に俺は雪ノ下とそういう関係になりたいわけではないし、この安寧のポジションから離れるつもりもない。

 

 「意外よね。姉さんが普通の物を贈るなんて」

 「あぁ、びっくりした。いろんな意味で……」

 

  たぶん今の俺はちゃんと笑えていないだろう。

 

 「そ……それからこれは私から……」

 

  笑うしかない俺に、右手に提げてたもう一つの袋を差し出す雪ノ下。

 

 「誕生日おめでとう比企谷くん」

 

  そう言って彼女は微笑んだ。よく聖母のようだとか、何かあれば絵画のようなとか表現されることがあるが、俺の語彙力では到底表すことのできない。そう思ってしまうほどに彼女の笑は美しかった。今までに会った女性よりも、今まで見てきたどんな笑顔よりも。

 

 「中見てもいいか?」

 「ええ、もちろん。」

 

  許可を得てしっかりと誕生日の贈り物用に包装されていた箱を開ける。

 

 「花の栞?」

 「ええ。」

 

  中に入っていたのは繊細に描かれた花が描かれている三枚の栞だった。

 

 「左から順に、クレオメ、アンスリウム、アザレアという名前の8月8日の誕生花よ。」

 「どうしてこれを?」

 「あなた読書好きでしょ?というか読書しかしないものね」

 「おい!読書は人並み以上にはする方だが"しか"は余計だ!"しか"は!」

 

 「……ねえ……比企谷くん」

 

  そう言って俺の方に彼女が目を向けた瞬間、場が凍りついたような錯覚に陥った。夜が更けてきた冷たさなどではない。彼女の黒き瞳を見つめていると、この場には俺たち二人しか存在しないのかと思えてくる。逃れられない。ひどく体が震える。そんな感じの冷たさだ。

 

 「もう一つだけ本当に渡したいものがあるの。上手く言葉にできるかわからないけれど、受け取ってくれる?」

 

  今にも消え入りそうな声音で俺に問うてくる。どうしたのだろう。こんな彼女を見るのは初めてだ。俺はこのあと何を言われるのだろうか……怖い。だけど、なんか聞き逃してはいけないような気がして、目を逸らしてはいけないような気がして、彼女を受け止めなければいけないような気がしたから。俺は──

 

「ああ……」

 

  こう返すのが精一杯だった。我ながらひどいセリフだと思う。でも、俺はラノベやゲームの主人公じゃないからかっこいい言葉を返すことなどできない。ああ、こんな時主人公ならなんて言うのだろう……そんなことを思っていたら、彼女は艶のある唇を開いた。

 

 「クレオメの花言葉は『秘密のひととき』よ。いつもの紅茶をいれて、何気ない話をする時間。過言かもしれないけれどあなたの言葉は全部覚えてるわ。そんなどこにでもあるようなひとときをあなたとずっと過ごせますように……」

 

 「アンスリウムの花言葉は『恋にもだえる心』。素直になれなくて遠ざけてきたこの宝物のような気持ち。あなたと見つめ合った瞬間この胸に溢れた優しい景色をずっと忘れませんように……」

 

 「アザレアの花言葉はあまりこちらの意味では使われないかもしれないけれど、『恋の喜び』よ。今、あなたに惹かれている私がここにいることを、あなたをそばに感じているこの想いをずっと覚えていられますように……」

 

 「この栞は道しるべ。あなたとずっと歩んでいけますように……この栞は目印。もし道に迷ったらまた新しい二人で未来を迎えにいけますように……」

 

 「あなたとずっと一緒に居たい」

 

 「あなたと一緒の景色(ものがたり)が見たいわ」

 

  澱みも曇りもなく達観した夏の星空のように澄んだ黒。何者にも染まらぬ穢れを知らぬ白。それほどまでに熱い決意が見て取れる。

  触れることなど許されないと思っていた。

  関わることなど許されないと思っていた。

  そんな彼女の、嘘偽りのない「本物」の彼女を知ってしまったから。この目で見てしまったから。

  雪ノ下雪乃は可愛いものが好きで、猫が好きで、おばけと高いところが嫌いで、体力がなくて、方向音痴で、負けず嫌いで、自分が何者かなんてことに悩むような……普通の女の子だった。

  途切れることなく想いを、言葉を紡いでくれた彼女にしっかりと向き合わなければ、今度は俺が伝えなければ……

 

 「俺は──」

 「待って。別に今答えを聞きたいわけじゃないの。だって、まだあなたのことを大切に想ってる人がいるはずだもの」

 「だから、いつか、あなたの……比企谷八幡くんの気持ちを教えてください」

 

  俺の覚悟は虚しく散ることになった。

 

  だって、真夏の夜なのに粉雪がしんしんと降りてきてるのではないだろうかと錯覚してしまうほどに綺麗な笑を浮かべる彼女に見惚れてしまったから。

 

 ―――

 晩御飯の用意をしていると兄が帰ってきた。どこか満足げに少しはにかみながら……

 

  あー、そっか。それだけ思った。

 

 「たでーまー」

 「おかえり。お兄ちゃん♪」

 

 「おう小町。晩御飯はなんだ?」と言いながら席に着く兄。帰ってきて早々そんなこと聞くんだ……ほんと──

 

 「お兄ちゃんが好きな小町特製肉じゃがだよ!」

 「おおおおお!今日は本当に最高の日だな!」

 「さぁ……食べよ!」

 

 

 

 

  夕食も一段落したところを見計らって言う。

 

 「お兄ちゃんお誕生日おめでとう!」

 「おっ、おう。ありがとな……なんか忘れられてるのかと思ったわ。やっぱ家族に祝われるのって嬉しいもんだな」

 「忘れるわけないじゃん!」

 

  そう。忘れるわけないじゃん。私は新しいものをあげることはできないけど、『いつも』を添えることはできるから……誰にも負けないくらいの『いつも』をあげることはできるから。

 

  ねぇお兄ちゃん。今日は素直になってもいいよね?

 

 「お兄ちゃん。いつもありがとう」

 

  私の言葉を聞いた瞬間。兄の体がビクッと震えた。目には涙らしきものが溜まって上を向いて、「あ、なんか目から水が流れてきた」とか言って誤魔化してる。ほんとお兄ちゃんはお兄ちゃんだなぁ。

  どう?私の素直な気持ち伝わったかな?でもね。これだけは口にはしないんだ。私の心の中に閉まっておくね。絶対に聞いても教えないから。

  捻くれてて、不器用で、だけど優しくて、真っ直ぐなお兄ちゃんのことが──

 

 

  大好きだよ。

 



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