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世界の何処かにあるとある部屋。薄暗いその部屋は至る所に機械という名のがらくたが散乱しており、それはまさに瓦礫の山。床はケーブルによって樹海のように埋め尽くされている。そんな不気味な部屋を歩く小さな物体。
それは『リス』だった。それも『機械仕掛けの精巧なリス』。ソレは生き物のように動き、時折乱雑に転がっている部品をかじり、全く別の部品へと造り変えていく。
かじっただけで部品を分解、吸収、再構成する出鱈目なリスなど、世界中の何処を探しても存在はしない。
───
そしてその部屋の奥に見える三つの人影。いや、一つの人影と三つの人影のようなものだろうか。
そこに陳列しているのは『真っ黒な三体の巨人』。その三体の前に佇む一人の女性。彼女の姿は誰が見ても異色そのものだった。
真っ青なワンピースにエプロンと背中の大きなリボン。そして彼女のトレードマークでもある白兎の耳を彷彿とさせる機械仕掛けのカチューシャという格好。
その姿は『不思議の国のアリス』に登場するキャラクターを二つ合わせたもの。
顔立ちは不健康に淀んだツリ目であり、その目の下にはくっきりと隈がついている。どう見ても寝不足である。
そして何より目立つのは胸の膨らみであった。胸を留めるボタンはギリギリまで引っ張られている。大半の女性がそれを見れば圧倒的敗北感に駆られる事だろう。
「………」
そんな不気味過ぎる彼女の前に浮かぶのは空中投影のディスプレイとキーボードがそれぞれ六枚ずつ。
優秀な人間でさえ思考が止まってしまいそうな膨大なデータを前に、彼女は表情を変えることなく目配りしつつキーボードをピアニストのように滑らかな動きで叩いていく。その行動によって数秒単位で切り替わっていく画面も全て把握しながら。
彼女はもはや『天才』処ではない。
世界の何もかもを変えた『天災』そのもの。
「お~わりっと。………君達は少しの間待機だよん。さてと、お仕事しなくっちゃ」
作業を終えたのか、彼女は操作を止めて背伸びをしている。一体どれ程の時間を費やしたのか、身体を動かす度にパキパキと音がなっていた。
誰が見ても彼女は寝不足で、今すぐにでも寝るべきだ。しかし、彼女はその『お仕事』を優先してるのか颯爽と部屋から出ていった。
その三体の前にはディスプレイが残されている。そこに記されている様々な情報の中に、一つだけ目立ったものがあった。
『最優先事項。目標『柳隆道』と『篠原日葵』の───』
クラス対抗戦の日程表が出された日の放課後。生徒指導室には教員が一人仁王立ちで佇み、生徒が一人椅子に座っていた。その生徒は足を組み椅子に寄りかかるという、明らかに教員の話を聞く態度ではない姿勢で。
そんな生徒を睨む教員は千冬、そしてその眼力に全く動じずにへらへらと笑う相手は───。
「………篠原。何故ここに呼ばれたか、わかるな?」
「全っ然わかりませんけどぉ」
「昨日の放課後に柳と接触したそうだな。目撃したと生徒から報告があったぞ」
「へー、見られてたんですねぇ。………で、それがなにか問題でもあるんですかぁ?」
悪びれずに応える彼女──日葵は笑顔を絶やさず目を決して逸らさない。その貼り付いたような表情に彼女は寒気を覚えた。
───『篠原日葵』───。
今年入学した新入生の中ではぶっちぎりの問題児として教員に最大の警戒をされている生徒。
一年三組のクラス代表、二人目の男性IS操縦者である隆道の実妹。
そして日本国家代表に最も近いとされている代表候補生であり、日本の『穏健派女性権利団体』に所属する───その会長の娘。
彼女の実力はこれまでの在校生と比較しても群を抜いていた。
筆記試験に関しては他の生徒と大差無いが、実技試験は彼女が断トツだった。
何せ試験を担当した教官を、手加減無しの状態で
そう、教官を倒したのはセシリアだけではない。では何故知られていないのか。
その試験を見ていた全ての教員は恐怖を抱いたのだ。笑顔を絶やさずに教官を嫐る彼女に。あまりにも暴力的だった彼女の試験は機密扱いとなった。
本来ならば彼女の人格を考慮して入学させるべきでは無いのだが、それは出来ない。彼女の背後には女性権利団体と一部の政府がいる。そして何より、IS適性も高かった。
IS適性にはランクが存在する。ISを操縦する為に必要な身体的素質であり、値が高いほどISを上手く使いこなす事が出来るのだ。しかしこれは訓練や操縦経験の蓄積によって変動するため絶対値ではない。
ランクはS、A、B、Cと大まかに格付けしており、中でも『S』は千冬を筆頭に国家代表クラスの数名しか存在しない。
イギリス代表候補生のセシリアはA+、中国代表候補生の鈴音はA、一夏はB、隆道と箒はCと現時点でのランクはこのようになっている。
そして日葵のIS適性値は───S寄りのA++。
高ランクの適性値を持つ彼女は国籍保持の為にどの代表候補生よりも高い待遇を受けており、必ず入学させろとIS委員会上層部から通達があったのだ。IS学園は拒否を許されなかった。
彼女が入学する事に教員は不安を隠せなかったが、その悪い予感は的中した。
彼女は入学して早々クラス全員に喧嘩を売り、一組がやったようにISを使った決闘を行ったのだ。他のクラスには内密にして。
彼女を除いた、最も適性値が高かった生徒がこの試合に挑んだのだが、結果は悲惨の一言に尽きた。
互いに訓練機ではあるが、素人と代表候補生。これだけでもどちらかが勝つなど目に見えている。あっさりと終わるはずの試合なのだが、彼女は決してそうはしなかった。
格の違いを見せつける為に、今後決して逆らわない為に徹底的に相手を痛めつけたのだ。
教員は流石に彼女を止めた。でないと相手が壊れてしまうからだ。この試合結果にも当然箝口令が出された。
相手を故意に痛めつけた彼女は既に処罰の対象のはずなのだが、高待遇により却下されている。圧倒的な強さの前に三組の生徒達は恐怖、又は崇拝を植え付けられ彼女に逆らおうとしなくなった。
既に三組は彼女の支配下にある。しかし、それに飽きたらず彼女の暴れっぷりは止まらない。なんと自身のクラスだけでなく上級生数人にも牙を向き、同じく嬲り殺しにして支配下に置いてあるのだ。
彼女は代表候補生の中でも別格だが、それを知る人間は少なく、一般には公開されてない。何故ならそうするように背後の人間が情報操作をしているからだ。
わざわざ格が違う存在に歯向かう者などいない。故に、敢えて実力を隠し、何も知らない相手を一気に地獄に叩き落とす。それが彼女のやり方。それが他者を蹴散らす為に課せられた役目。
世間に存在する、ただ権力を振り翳し威張り散らすだけの人間ではない。巨大な力を持ってしまった暴れ狂う悪魔のような存在───それが篠原日葵である。
千冬は彼女については日本代表を退役する前から知っており、どれだけ危険人物なのかも知っている。隆道の家族構成の調査書を見て、彼の身内である事も知った。だからこそ、今まで散々近づくなと彼女に注意したのだ。彼が彼女の事をどう思ってるかわからない以上接触させるべきではないと判断したための行動であったが、それも無駄に終わってしまった。
「以前忠告したはずだ、柳には接触するなと」
「そうは言っても血の繋がった兄ですよぉ?八年振りなんですから再会ぐらい良いじゃないですかぁ。織斑せんせーだって弟さんとしばらく離れたらそうするでしょうぅ?」
「………奴が今どんな状況か、お前はわかってるのか?」
「織斑せんせーが言ったんじゃないですかぁ。女性不信によるPTSDですよねぇ?それも通常のものとは違う『複雑性PTSD』。えーと確かC-PTSDて名前でしたっけぇ?」
───『複雑性PTSD(C-PTSD)』───。
短期間に起こった要因で重度のストレスを感じてトラウマを引き起こし発症するPTSDとは違い、逆に長期に渡って重度のストレスやショックを受け続け、後に発症するのが複雑性PTSDと呼ばれてる。隆道はその後者に該当するのだ。
彼の持つ症状は追体験(フラッシュバック)と悪夢、外傷体験に関連する刺激の回避や精神的な麻痺、過覚醒と薬物の使用、そして自傷行為に摂食障害と非常に多い。
彼は自分語りを決してしない為に通常のPTSDと判断していたが、ここ最近の彼の行動の観察と生徒からの報告、部屋の状態を知った事でようやく判明したのだ。
彼は一刻も早くこの学園から離れて治療を受けるべきだ。それも女性とISから隔離した徹底的な治療を。しかしそれすら難しいのが現状である。
彼は様々な所から狙われている。治療と漬け込んで近づく人間はいるだろう。故に彼はこの場所に留まるしかないのだ。
「にーには変わり果てちゃったなぁ、昔はあんなに格好よくて元気だったのにぃ。あ、今も十分格好いいなぁ。ヒヒッ」
「………」
気味が悪い。悪すぎる。まるでこれっぽっちも悪いと思ってないような素振りをする彼女に戦慄を覚えざるを得なかった。
彼女もまた隆道と同様に今までにないタイプだ。自分に対して憧れも、恐怖もない。常に貼り付いたような笑顔である為、考えてる事が今になってもまるでわからない。
「………本来ならば今すぐにでも拘束し退学させたい所だが、今の私ではお前に手出しは出来ん」
「あらぁ、随分と怖い事言いますねぇ。まあそうですよねぇ、今は肩書きだけ残ったただの教師ですもんねぇ。イヒヒ」
「黙れっ………!いいか、もう一度忠告する。今後、決して、柳には近づくな」
「ええ~。にーにともっとお話したいぃ」
目の前の彼女を見ていると気が狂いそうだ。早々に話を切り上げてこの場から立ち去ろう。そう思った時だった。
「まあ、いっか………ところで話は変わるんですけどぉ。織斑せんせーに見せたい物があるんですよぉ」
「………なんだ」
「これですこれぇ」
「………?」
そういって彼女は自身の首元を指差す。千冬がそれを注視すると彼女はリボンとYシャツのボタンを二つほど外し、襟を捲って
「………っ!?!?!?」
「あはぁっ、どうですこれぇ?中々似合うと思いませんかぁ?」
「お、お前っ………それはっ!?いつからっ!?」
「これはぁ、織斑せんせーが退役して直ぐですよぉ。なんかこれぇ、自分じゃあ外せないんですよねぇ。あ、ご心配無くぅ、手続きは昨日済ませたので問題は無いですよぉ。後で確認してくださいねぇ」
千冬は悪寒が止まらなかった。彼女のソレを見ただけではない。
ソレを見せた途端、彼女は次第に歪みきった表情となったのだから。
隆道の『どす黒い何か』とは別物。
それは『得体の知れない何か』。
「にしても奇遇ですよねぇ。やっぱり兄妹だからかなぁ?あぁ、運命感じちゃうなぁ」
「篠原………お前はっ………!」
「イヒヒッ。学園生活が楽しみですねぇ、織斑せんせー?」
一夏と鈴音のいざこざから数週間経った五月。クラス対抗戦まで残り一週間となり、アリーナは試合用に調整される。その為、ISを用いた特訓は今日で最後となる。
「未だに顔を背けられるんですけど、本当にこれで良かったんですかね」
「向こうが拒否してんだから構う事ねえだろ。前にも言ったが下手に近づいてみろ、何言ってくるかわかったもんじゃねえぞ」
結局の所、鈴音の機嫌は数週間経った今も直らなかった。むしろ日増しに悪くなっている。
彼女から一夏に会うことは無く、たまに廊下や食堂で会っても露骨に顔を背けられるのだ。
彼は叩かれた翌日に謝ろうとしたのだが、彼女はそれを聞こうともせず逃げてしまう。何度かそれを繰り返し、完全にお手上げになった彼はまたしても隆道に相談をしてしまった。
『ほっとけばいいんじゃね、 ああいう奴は下手に近づくと騒ぎ出すからな。どうせ痺れを切らして向こうから来るんだろ』
結論。彼は鈴音を放置することにした。隆道に女性関連を聞く事事態が間違いなのだが、彼がそれに気づくのははたしていつになるだろうか。
そんな事はさておき、現在は放課後。クラス対抗戦に向けた最後の特訓の為に彼等は第三アリーナに向かっていた。ちなみに彼等の数メートル後ろには箒とセシリアもいる。
「まさかここまで柳さんと進展無しだとは思ってもいませんでしてよ………」
「もう諦めた方が良いのではないか?未だに会話すら出来ていないのだろう?」
(………って言ってますけど)
(知ったことかよ。ライム女と話す事なんて一つもねえっつうの)
ここ数週間における放課後の特訓でセシリアは毎回、一夏経由で隆道を誘ったのだが全て拒否されている。何度か彼女本人が直接誘うという荒業を繰り出したのだが、それに対して隆道は自身の必殺技『
しかもあまりにしつこいと感じたからか、隆道は彼女の事を『馬鹿』から『ライム女』と言うようになった。いくら女嫌いであれど、これは酷すぎるのではないだろうか。
隆道が訓練の誘いを断ったのは単純に彼女が要因なのは確かだ。しかしここ最近はそれだけでなく、一人で考え事をしたいからであった。
(もう数週間は経ってるんだぞ………なんで何もしてこねえ)
あの日から今日までの数週間。何があっても良いようにいつも以上に警戒を張り巡らし身構えていたが、結局何も起こらなかったのだ。それがかえって不気味に感じた。
『覚悟してねぇ、にーに』
どう考えても自分と一夏を潰す予告だった。しかし何も起こらない。それ処か接触すらしてこない。日葵が何を考えてるのかまるでわからなかった。
(日葵………お前の目的はなんだ?俺らを潰すんじゃねえのか?)
そのような思考がぐるぐると回るが、考えたところでわかりはしない。他人の心などわかるはずがないのだから。
(っと、いっけね。考え過ぎたか)
考えに耽っている内に、いつのまにか第三アリーナのAピット入り口に到着していた。もうこれ以上はよそう、襲ってこないならそれでいいと隆道は考えるのをやめた。
「今日は何するんです?ここ最近ずっとランニングからの武装の空撃ちじゃないですか」
「いや、今日は織斑の模擬戦でも眺めてるわ。『鋼牙』もそこそこ慣れたし、流石に一人は飽きた」
「なんか、やけに『鋼牙』に拘ってますよね。何かあったんですか?」
「言わなかったっけか?この『鋼牙』はな、実はりょ───」
自動扉を開けながら隆道は『鋼牙』に拘る理由を語ろうとした。しかし、ある少女の声に寄って掻き消される事になる。
「待ってたわよ、一………夏………」
四人の前に佇むのは、ピットの中央で腕を組み仁王立ちしている鈴音。先程まで不敵な笑みを浮かべていたのだろう。
何故、だろうと四人は思ったのか。それは彼女の表情がみるみる青ざめているからであった。
(な、なんでコイツまでいるのよ!)
どうやら隆道がいることを視野に入れていなかったようである。やはり考えなしの脳筋で間違い無いであろう。
しかし、ここで怯む訳にはいかない。今日は一夏と話をするために彼女は来たのだ、今更後には引けない。
「待ってたわよ、一夏!」
((((何で言い直した?))))
彼女は仕切り直しをしたかったのだろう。触れたらいけない気がする、故に四人は黙る事にした。
「………で、一夏。反省した?」
「へ?なにが?」
「だ、か、らっ!あたしを怒らせて申し訳なかったなーとか、仲直りしたいなーとか、あるでしょうが!」
(うっそだろコイツ………)
突如そんな事を言い出す彼女。あまりにも自分勝手なのではないかと隆道は顔をしかめた。
確かに謝りたいという気持ちは一夏にはある。しかしその本人が避けたのではどうしようもないのも事実だ。
「いや、そう言われても………鈴が避けてたんじゃねえか」
「アンタねぇ………じゃあなに、女の子が放っておいてって言ったら放っておくわけ!?」
「おう」
隆道の助言(?)もあってのことだが、放っておいて欲しいなら放っておいてやるのが一番だ。放っておいてくれと言われて、それでも近寄るようならしつこいと思われてしまう。
故の放置なのだが、それの何がいけないのか一夏は首を傾げてしまった。
「なんか変か?」
「変かって………ああ、もうっ!謝りなさいよ!」
彼女は頭を掻きながら焦れたように声を荒げる。そのあまりに一方的な要求には、彼は応える事は出来ない。
頭を下げることに何の躊躇もないが、自分が納得いかないまま謝罪などお断りだ。
「いや、確かにちゃんと覚えてなかった事は悪いと思ってるけどよ。説明してくれたっていいじゃねえか。」
「せ、説明したくないからこうして来てるんでしょうが!」
「だから、なんでだよ!」
もはやこうなってしまっては平行線だ。互いに譲らないものがある為、話が一向に進まない。
「………」
「あ、あわわわ………」
「や、柳さん………?」
箒とセシリアは隆道の様子を見て慌てふためいている。既に彼の中では鈴音の評価はぐっと急降下をしていた。
元からマイナスではあるが、やかましい、厚かましい、横暴の三拍子が揃った時点でコイツも今までの奴と一緒かと目を細める。
ちなみに鈴音は彼の不機嫌に気づかない。激昂して既に周りが見えていないからだ。
「じゃあこうしましょう!来週のクラス対抗戦、そこで勝った方が負けた方に何でも一つ言うことを聞かせられるってことでいいわね!?」
「………おう、いいぜ。俺が勝ったら説明してもらうからな」
正直のところ、一夏は彼女の要求に承諾はしたくなかった。以前の───自分とセシリアが揉めた時の状況と似ていたから。
あの日を思い出すだけで自己嫌悪に駆られる。今も未熟であると自負しているが、未熟故の過ちを繰り返したくはなかった。
しかし、ここで渋ったら彼女はまた騒ぎ出すだろう。特訓の時間をこれ以上削られては困るので此方が折れるしかない。
「せ、説明は、その………」
「なんだ?やめるならやめてもいいぞ?」
自分で勝負の賭け事を持ち掛けたにも関わらずノーリスクはあんまりであろう。よほど説明をしたくないらしい。
故に一夏は少々の親切心で言ったのだが、彼女には逆効果だった。
「誰がやめるのよ!アンタこそ、あたしに謝る練習しておきなさいよ!」
「なんでだよ、馬鹿」
「馬鹿とは何よ馬鹿とは!この朴念仁!間抜け!アホ!馬鹿はアンタよ!」
頭に血が上っているのか、もはや語彙力の無さを主張するかの如く彼に罵倒の嵐を浴びせる彼女。
ここまで言われては流石に腹が立ってしまう。故に彼は彼女が一番気にしていることを───。
「織斑、もうやめろ。時間の無駄だ」
───言う前に隆道に肩を掴まれた。
「………っ!………すみません、つい」
「ったく。今日で最後なんだからしっかりしろよ」
彼は隆道に心の中で感謝した。もし止めてなかったら、彼女の一番気にしている事───『貧乳』と言おうとしたのだから。彼女は自分のスタイルにコンプレックスを持っている。危うくそれを言うところであったのだ。
そんな訳で彼は止めてくれた隆道に口には出さず感謝を連発しているのだが、話に割り込まれた彼女としては非常に面白くない。
「ちょっ………アンタ!今あたしが一夏と話してんの!脇役はすっこんでてよ!」
「はあ………。おい、中国人」
「中国人て言うな!あたしには凰鈴音てちゃんとした名前が───」
「とっとと失せろ」
ドスの効いた声で一言放つ。確実に黙らせる為、少しばかりの『殺意』を出して。
「───っ!?」
「聞こえなかったか?失せろって言ってんだよ」
「………うぅっ!」
隆道の『ソレ』が常に見えている彼女にとってはこれだけでも効果的だ。しかし、以前の接触で多少の耐性が付いたのだろう、ギリギリ意識を保つ事が出来た彼女は何も言わずピットから出ていった。
「あ、おい、鈴っ!」
「ほっとけ、どうせ対抗戦で鉢合うんだからな。それよりも時間押してるぞ、いいのか」
「………そう、ですね。今は特訓に集中する事にします」
クラス対抗戦当日。第二アリーナで行われる第一試合は一組VS二組。つまり一夏と鈴音の対戦となる。
噂の新入生同士ということもあってアリーナは全席満員であり、それ処か通路まで生徒で埋め尽くされていた。会場に入れなかった生徒や関係者はリアルタイムモニターで観戦するとのことだ。
(大丈夫………大丈夫だ、やれることは全部やった。後は試合で出し切る………それだけだ)
既に両者はISを展開し、アリーナ内で待機している。対戦相手の鈴音も試合開始の時を静かに待っていた。
───第三世代近・中距離両用型IS『
彼女のISは『ブルーティアーズ』と同様に
機体のデザインもまさに中国らしい装飾をしており、観客席の生徒達はそれに注目するのだが、一夏は全く別の所に意識を向けていた。
(シェンロン………か。ダメだ、どうしてもアレを連想してしまう。………よし、『こうりゅう』と呼ぶことにしよう)
緊張してると思いきや、何度も『有名な龍』が脳内で暴れ回るので別の呼び名を考えていた。彼は結構余裕があるのではないだろうか。
『それでは両者、規定の位置まで移動してください』
アナウンスに促されて、彼と鈴音は空中で向かい合う。その距離は五メートルと近距離状態で、直ぐ様動ける様に身構えている。
始まる前の挨拶として、二人は
「一夏、今謝るなら少しくらい痛めつけるレベルを下げてあげるわよ」
「雀の涙くらいだろ。そんなのいらねえよ」
「一応言っておくけど、ISの絶対防御も完璧じゃないのよ。
「………」
それは決して脅しではない。それを証拠に、IS操縦者に直接ダメージを与える"ためだけ"の装備も存在する。もちろんそれは競技規定違反だ。試合でお目にかかる事は絶対に無い。何より人命に危険が及ぶ。
しかし、既存の武装でも───。
───
口振りからして、彼女にはそれが可能なのだろう。いや、代表候補生以上の人間はそれが出来るはずだ。相手をいたぶる事など。
しかし彼は恐れない。何故ならば───。
「………知っているさ」
───彼は既に目の当たりにしたからだ。
あの日の事は決して忘れはしない。隆道の全身全霊の悪足掻きを受け、地表で苦しみ悶えるセシリアの事を。
本来はそこにいるはずだった自分。
自分の身代わりとなり、血に塗れた隆道。
今度は自分がそれに出会すかもしれない。
怖くないと言えば嘘になる。
しかし、一夏は逃げはしない。
隆道も自分の為に覚悟を決めて戦ったのだ。自分も覚悟を決めなくてどうする。
『それでは両者、試合を開始してください』
「行くぞっ!鈴っ!!」
自身の唯一の武器となる『雪片弐型』を展開し、彼は構える。
───織斑一夏の、人生初となる本気のIS戦が幕を開ける。