男の子は自分のことをライアンと名乗った。
一方で俺は自分の名前すら名乗れなかった。喋れないし書けないし手話なんて高等技能はできない。どんなにがんばってもうめき声すら出ないあたり声帯がおかしいのかもしれん。早急に意思伝達の手段を考えなくては。
じゃないと、どこぞの牢獄から逃げてきた罪人だーといういらぬ誤解を受けてしまう。
俺は男の子が運転というか操っている馬に乗っていた。馬というのはあれだな、意外と揺れるものでしがみ付く場所がないので男の子につかまっているわけだが。
「……」
お尻が痛い。鐙の上で揺れるのと、長時間座ってるせいで血の巡りが悪くなってくる両方の痛みを感じる。もじもじと動いてマッサージは試みてるわけだが。
「ひっ」
「ふぃ」
何か男の子が妙な声で鳴くからやりにくい。
「??」
横から顔を覗き込んでみると真っ赤になっている。よくわからん。
挙動不審な男の子ことライアン君にお陰で体感にして数時間後には村についていた。
村は俺の想像しているものとは違った。外周を先を尖らせた丸太と茨を巻きつけた柵で守っていて、火を焚いた後が複数残されていた。得体の知れない四本足の何かの死体が腐るままに放置されているのも。
おかしいな。のどかな農村かと思ったら世紀末感が漂ってるわけだが。
「近頃、モンスターどもの襲撃が多くて……僕たちも精一杯身を守ろうとはしているんですけど、どうしても……森から出てきていることはわかっていたんです。だから調べに入ったら襲われてしまって、お姉さんに助けてもらったんです」
なるほど。モンスターの襲撃とはずいぶんありきたりな話だが俺のいた地球だって熊に襲撃されたり狼に家畜をやられたりという話はあるわけで。
そんなモンスターが沸く森に一人で調べに入る段階でライアンは無謀かよほど人手がいないのどっちかになる。あるいは両方か。若者が無謀なのはいつの時代だって同じだ。
「あの、聖女様は」
「……」
俺たちは馬を下りて道を歩いていた。ことあるごとに聖女様呼びしてくるライアン君に俺はどうしたものかと天を仰ぐ。
実際聖女様になってましたという展開は大いにありうる。奇跡の力を有した乙女! 的なやつだ。
「ここが僕の家です。開けますね」
何を言いかけたのかはわからないが、俺が上を向いていたのをなんと解釈したのか、ライアン君は質問を中断して自宅を指差しながら懐から鍵を取り出した。
木造の家だった。ログハウスを思わせる構造をしていた。手作り感満載の不ぞろいなレンガを重ねて粘土を刷り込んで穴を埋めたキノコに似た形をした煙突やら、庭で暢気に虫を啄ばんでいる鶏やら、薪用の小屋やらが併設されていて、生活感に溢れている。実にいい。こういうのは好きだった。
家に入ってベッドに横たわるげっそりとやつれたライアンの母親を見るまでは。ライアンと同じ黒い髪の毛をセミロングにした儚げな雰囲気の女性が布団をかぶってぐったりしている。
「お兄ちゃんどこで油売ってたの? お母さんがこんな時期に……」
「あ、聖女様紹介します妹のミミです」
疲れた顔をして出てきたのはエプロンを身に着けた同じく黒い髪の毛を伸ばした犬耳の獣人だった。身長が低く、目測になるが150cmもない。この体が目測オーバー170cmはあるので、目線を大きく下にする必要があった。
「聖女様ってお兄ちゃんが昔読んでた絵本に出てくる御伽噺じゃない。はじめまして。聖女様?」
「………」
妹のミミはあからさまに信用していない胡散臭そうな目を向けてきた。正しいぞ、君の判断は正しい。
ライアンが俺との間に割って入った。
「ちょっと待てよミミったら! 森で大怪我してるところをこの人に助けて貰ったんだからさ!」
「へーじゃこの人魔術師ってこと? こんな田舎に魔術師が来る訳ないじゃない。私を一杯食わそうたってそうはいかないんだから。証拠はあるの? この魔術師さんが魔術師だっていう」
見るからに疲れ切ってるミミが兄のライアンに食って掛かった。
村の生活といったってやることは沢山あるはずだ。掃除洗濯家事薪割り家畜の世話に母親の看病まで一人でいままでやっていたのだから疲れるのも当たり前だろう。
困り果てた顔のライアンが俺のほうを見た。
「せ、聖女様、そのお疲れとは思いますが、僕たちのお母さんを治して頂けませんか……数ヶ月前から体調を崩していて……」
よし、任せろ。力の使い方を試す意味でもこれはいいチャンス。
俺はこくんと頷くと母親の傍に跪いた。意識朦朧としているらしく起きる気配がない。手をとって握って、目を閉じて念じてみる。瞼越しにもわかるくらいはっきりとしたエメラルドグリーンの光が手元に宿った。
「嘘……ちょっ、ちょっと、治療費なんてうちにはないわよ……」
「そんな人じゃないったら!」
なにか後ろで口論が始まってるが、俺は気にすることなく力を行使することにした。
一分かからなかったと思う。俺が目を開けると、やつれてはいるものの二人の母親が目を覚ましていた。
「ここは……?」
「お母さん!」
「うそ……!?」
駆け寄って抱きつこうとするライアンと、呆然と俺を見つめてくるミミ。
俺は状況が読めず呆然としている母親に対し肩を竦めた。
で。俺は布っぽい服っぽい何かと男物の下着では格好がつかまいと、二人の母親の服をもらってきていた。
「………」
わからん。なぜだかわからないが服がきつい。俺は居心地悪くて体を捻ったりしていた。
「丈は調整する必要がありそうですね……」
母親さんは俺の服を見ながら顎に指を置いていた。
女物の服の着方は母親ことリアンに一通り教わった。リアンは俺よりも背が低く痩せているので、俺が彼女の服を着たところできついのは当然だったらしい。
「調整しきれるかしら……冬用の服を……」
なぜかぶつぶつ呟いて俺を見てくるリアン。まあ、着られるならなんでもいいよ。
「ほら言ったじゃないか絶対聖女様だって! 呪文も使ってないのに癒しの力を使ってるんだよ!?」
「で、でも! 森の奥から出てきたなんて怪しいにも程があるじゃない! あのモンスター共を召喚か何かして私たちに親切にして信頼を得ようとしてるかもしれないじゃない!」
「医者も魔術師もいないこの村なんだからそんなめんどくさいことしなくてもみんなを治してまわればいいじゃないか!」
きょうだいはリビングで机を挟んで口論の真っ最中だった。
………妹さん、俺がマッチポンプをしてると言いたいらしい。誤解を解きたいが言葉が話せないのがつらい。
俺がこほんと咳払いをすると、二人そろってぎょっとして振り返った。
「……」
気まずいな。
俺は机まで歩いていくと腰掛けたのだった。
「ありがとうございました……この恩をなんとすればいいか……ほらあんたも頭を下げなさい!」
「お母さん痛いって!」
リアンは、ぺこぺこと頭を下げつつ、頭を下げるどころか腕を組んでそっぽを向こうとするミミの頭を掴んで強制的に下げさせていた。
一方俺は空腹を訴えることに成功し(串肉一本じゃ足らんでしょ)ミミお手製の野菜シチューと黒パンを飽きるまで食った後で、レモン味のするお茶を嗜んでいた。
「ほら言ったじゃないか。お前も見ただろ」
「ぐぅぅぅ~~! 悔しいけど癒しの力を持ってることは認めるわ。けど聖女だとかなんとかって眉唾物の話は信じるわけにはいかないわ」
それみたことかとライアンが言うと、ミミは悔しそうに歯をぎりぎり言わせた。
いい判断だ。どことなく頼りなさ漂う兄と比べて妹は芯が通った性格をしている。
聖女。胡散臭すぎて俺も信じてない。ライアンが昔読んでいたという絵本に載ってるらしいが……民間伝承の類だろうか?
「聖女様かどうかはともかく、ライアンの傷を治して、私も癒してくださったのは事実。えっと、ライアン。このお方の名前は?」
「それが……喋れないみたいなんだ」
「筆談は?」
「もできないみたい」
できるよ。日本語オンリーで。この世界の文字を勉強せねばならんな。
「それは困ったわね………もしかして記憶がない、とかじゃないかしら……」
「……!」
その設定はいいな。俺はリアンの言葉にうんうんと激しく頷いた。
「それは……大変ですわね……」
あらあらと頬に手を当てて顔をしかめるリアン。まあ、記憶あるんだけどそういうことにしておいたほうが説明が早そうだし。
「ライアン。その絵本の聖女様の名前ってどんな名前なの?」
「アルスティア様!」
「なんであんた名前覚えてるの……?」
若干引き気味のミミ。兄をあんた呼ばわりといい態度といいまるでこっちが姉のようだ。
リアンが俺に対しておずおずといった様子で提案してきた。
「アルスティア……様、とお呼びしてもよろしいですか?」
俺はまたしても、うん、と頷いた。