「京楓の誕生日を祝ってあげたい?」
最初に相談をした大誠は面食らっていた。確かに思いつきだったし、突然そんなことを言われてもという感じだろう。勿論それを承知で口にしたのだけど。
「だけど、どうして突然そんなことを?」
「テレビの星座占いで、京楓がてんびん座の運勢がいいって言って喜んでたから、そういえば誕生日いつなのって尋ねたら22日って言うから、それならと思って」
「おや、君は知らなかったのかい?」
「10月っていうのは聞いてたけど、日付までは知らなかったから」
「成程。それにしても、またえらく突然だね」
「だって、日がもうあまりないし、一人でやるようなものでもないだろうから。手際よく決めたくて」
大誠とも、まだ出会って半年前後しか経ってない。だけど、こういったことについて彼は信用できるということは、まだ短い付き合いの中でもわかっていた。
思い付きは俺と京楓、話を膨らませるのはみさきと大誠。まだこの面子になって半年程度だけど、気付けばそんな役回りに早い段階でなっていた。
「で、質問の答えがまだなんだけど」
「あぁそうだったね……。まぁ、でも大誠が思う通りかなと思うけど」
「ま、そうだよね。そりゃ京楓に『おんぎ』も感じてるよね」
「『おんぎ』ってなんだ?」
「ありがたいって思ってるってことさ」
「京楓も言ってたけど、確かに大誠は難しい言葉を使うな」
「君もその内覚えるさ」
言葉の意味はともかく、今でこそこうやって同じ目線で話せているが、それはそれとして間違いなく彼女は命の恩人だ。そして、だからこそ。
「俺が京楓に拾われてから、まだ何も返せてないと思うから、やっぱり何かしてやりたいなって」
「みなまで言わなくていいよ」
飄々とした物言いなお陰で、すぐには真意が掴めない。だけど、そう悪い感触でもないというのは、雰囲気から察せられた。
「まぁ、暁の言いたいこととやりたいことはわかったよ。確かに、いつもどこか外へ遊びに行くばかりで、特定の誰かの記念日を祝うこともなかったしね。思えば、これだけいて何もしてこなかった方が驚きだ、我ながら」
「それじゃぁ――」
「ま、みさきがなんて言うかだけどね。けど、確かに僕達はそういうようなことをやったこともなかったし、やってみてもいいかなって思う。みさきが反対することもないだろうし、計画自体は始めててもいいんじゃないかな。構想自体は早い方がいいだろう?」
ひとまず大誠は駄目ではないらしい。とりあえずは反対されなかったことに一息つく。
「と、いうことで暁はどういったことをしたいんだい?」
と思えば、向こうは一息つかせる暇はくれないらしい。こちらも想定はしていたけど、こっちの質問に対してすぐに返事をできる材料は、今の所持ち合わせてはいなかった。
「――まさか、やりたいってだけで、何も考えてなかったと?」
「仕方ないだろ、何かやるにしても、『何かを京楓にしてやりたい』としかまだ決まってなかったんだから」
「ま、そんなもんか。今日の時点で相談なんて、色々と煮詰まってないのだからそれも当然か、僕が悪かった」
意外とすんなり大誠が引く。実際これ以上突っ込まれても何も答えられなかったから、今はそれでありがたかった。
京楓は、特別俺に対して何かをしてほしいというようなことを言ってこない。だから、それ自体はきっと下手に何かをやってしまったら向こうも却って恐縮してしまうだろう。だけど、誕生日という普遍的におめでたいことなら、きっとそれらを抜きにして喜んでくれる。それを、俺一人が祝うんじゃなくて、みんなでやることによって、俺は彼女に感謝ができるし、みんなの結束も強まるはずだ。
「でも、最終的に何がしたいかということ自体は、もう暁の中で決まっているんだろう?」
「そりゃぁね。それがなかったら、そもそもこんな提案なんてしていない」
「今はそれが聞ければ十分だ」
大誠とみさきと、そして京楓と。俺が初めて出会った仲間。家族にしてくれた京楓がその中でも先に来ることは否めないけど、折角の機会だからみさきや大誠とももっと距離を縮めたいし、もっと仲良くなりたい。
桜が散る頃、俺に手を伸ばしてくれた彼女。無理にでも引っ張り上げて、かつての家族のように扱ってくれた彼女。同い年だからというのもあるけど、どちらが上とか下かとか見ず、常に対等に扱ってくれた彼女。
「さてと、みさきのとこへと行きますか」
「え、今からいくのか?」
京楓の誕生日を祝ってあげたい。最初にそう思ったのはいつだったか。きっと、単純に彼女を喜ばしたいだけじゃない。何かしらで喜ばして、それで――。
「ん? そりゃ今すぐだろう、善は急げと言うだろう?」
――じゃぁ、俺は彼女のどういう姿が見たいんだろう?
「だから京ちゃんの誕生会かぁー、成程ねー」
改めて考えていることを伝えたみさきの反応は、概ね好評だった。
「うん、いいと思うな。こっそり仕掛けて、当日に京ちゃんを驚かせるの」
「これならみさきの体調も気にせずやれると思うし、確かに京楓のために何かっていうのはやったことなかったから、僕としてもいいと思うけど」
「私も賛成―。今から予定立てて当日頑張れば、きっといい会になるよー」
これで事実上GOサインが出た。家のことはこっそり話せば、これくらいのことは聞いてもらえるだろうし、まず問題ないだろう。なら後は内容を詰めるだけだ。
「それじゃぁ、私はケーキ作るよ! 京ちゃんのための特製ケーキ!」
「へぇ、みさきはケーキ作れるんだ?」
「そうだよ! だって私の夢はケーキ屋さんだもん!」
「そうだったんだ……」
「京ちゃんが好きなケーキはね――」
みさきが京楓の好みをつらつらとあげていく。そんな中、ぽんぽんと俺の右肩が大誠に叩かれた。
「暁。このままだと、他でもよくあるようなお誕生会になるけど、それでいいのか?」
どうにも大誠は、お誕生会という企画自体が普通すぎて、俺がそれでいいのか、それを懸念しているらしい。だけど、それに対して返す答えは既に決まっていた。
「それでいいよ。というより、そういうことがみんなも初めてなら、最初こそ普遍的なことをやりたいかな。みさきがケーキ焼くのが好きってのは初耳だったけど」
初めてなのだから、そんなに奇をてらう必要もない。別に背伸びなんてしなくていい、年相応に、やれるだけのことはやって、素直に京楓のことをお祝いしてあげられればいい。
とはいえ、みさきのケーキは本当にいい意味で想定外だった。当日の手間も余計なお金もかからない。勿論みさきへの手間賃だとかは必要だと思うけど。京楓はきっとみさきのケーキのことは知っているだろうけど、それだけでも十分サプライズにはなるんじゃないだろうか。
「さて、そうと決まれば、暁はどういう風にしたいんだい?」
「どう、って……」
急に大誠から話を振られて、思わず口ごもる。お誕生会の形式ということが決まったことすらたった今だ。故に特別な何かをするかどうかなんてまだ何も考えてない。
「発案は暁だ、というわけじゃないけど、でも、暁は京楓をどういうようにしたい、させたいとかあるんじゃないのか?」
「どうって……」
何も考えてないというわけじゃない。だけど、具体的に何がしたいかというようなことを言われると、うまく説明できないのもまた事実だった。
少し考えてみる。俺は、彼女をどういう風にさせたいんだろう?
「ま、でもさっきの今だし、遅くとも二日後ぐらいまでに決めてくれれば――」
「いや、あるよ」
大誠の言を遮った。やることはまだ決まらずとも、やりたいことならある。
「勿論それは友達になってくれたみさきや大誠にも改めて感謝したいことだけど、まずは俺を拾ってくれた京楓にこそその恩を返したい。それはこの一回で出来るようなものじゃないとわかっているし、今後もずっとやれればとは思うけど、まずはその一回目がやりたい、したい、というのは駄目かな?」
思いかけず一息で言い切ってから、すこし間を置く。それが、俺自身の思っていることそのままであり、形にしたいことだったから。
なのに、反応が二人からない。何もなさすぎて、気まずい沈黙がその場を支配する。
「――えっと?」
「はわわ、突然のラブコールを頂いちゃいましたー!?」
「突発的にこんな熱いエールをもらうのも、まぁ悪くはないね」
「――あぁ!? それもそうだけど今は別にそこまでのつもりじゃぁ!?」
あまりにも想定外の受け取られ方をして思わず赤面する。サプライズかどうかはともかく後々二人にも、ということは考えてはいた。そして最初に京楓に何らかの形で還元したいと思っていたのも事実だ。
とはいえ、これでサプライズは中々難しくはなったけど、仲間に嘘はつきたくないし、何より前々から考えていたことだ、しっかり実行には移したい。まずは京楓だ。
みんなでパーティーをして、みんなでプレゼントを用意して。ただ京楓の誕生日を喜んで、みんなで飲み食いして喋るだけのなんてことない会。誰かの嬉しい日を喜ぶなんてこと、長らく忘れていた。
きっとそれはとてもありきたりかもしれない。ともすれば彼女はありきたりで面白くないと切って捨てるかもしれない。
それでも、俺は京楓の嬉しい日を祝ってあげたい。それは必ず京楓のために成し遂げるんだって、強く誓った。
「でも、暁くんがそういうのなら、私も期待しちゃおうかなー」
「これは、暁にはしっかりと機会を作ってもらわないとね。びっくりさせてくれるのを待ってるよ」
「それはサプライズでもなんでもねー!」
――暫くは、このネタで二人には弄られそうだ。不覚。
今年の10月22日は水曜日だったから、どうやって飾りつけとかをしようか、どうやって京楓にばれないようにするかとか考えることの方が大変だった。
いつも遊んでいる時以上にみさきと大誠とは密接に打ち合わせをして、当日の構想を練る。可能なら二人には飾りつけの一部制作もしてもらう。部屋の関係上、こればかりは俺には手伝えなかったから、本当に助かった。
そして、可能な限り、俺と京楓の部屋で何か遊べることがあったら遊ぶようにもした。そうすれば二人が部屋の飾りつけのための下調べが出来るし、みさきも体調を殆ど気にせず仲間内でいられる。毎日のように体調が悪いふりをしながら――それがふりじゃない時も勿論多かったけど――部屋に来るみさきの演技力は素直に驚かされたし、二人の新たな一面も知れて有意義な準備だったと思う。
そして、その当日は、いつもより少しだけ早く授業が終わった。すぐにでも降り出しそうな空模様、だけど早めに帰ればなんとか傘は差さないで済むかもしれない、そんな天気。とはいえ、早く帰ると今日はまずいのだけど。
「京楓ー、ちょっとさ、寄りたいとこがあるんだけど、俺一人だとちょっとわからないこともあるから、一緒に付いてきてくれない?」
それっぽい素振りをして京楓を呼び出す。もうここからサプライズは始まっている――というと流石にかっこつけすぎだが。
「いいよー。鬼無水と大誠は?」
想定通りの京楓の返し。だから、話を振られた二人も、既に用意していた返事を口にするだけだ。
「僕はちょっと必要な買い物があって、その後用事だから」
「私も大誠くんと同じ感じかなぁ。家族の都合で行かなきゃいけないところがあるんだよね」
「そっか、それじゃぁ今日はちょっと遊べないな」
少しがっかりしたような声を京楓が出す。ここまでは想定の範囲内だとはいえ、こういう声を彼女にさせるのは少しばかり心苦しい。
「それじゃ、僕はちょっと急ぐ用事があるんでね」
「あ、私も急がなきゃいけないんだった」
二人が慌てて昇降口へと向かおうとした。ふっと、大誠が俺の方を向いて、瞳の中を一瞥する。
――一時間は頑張って稼ぐ。
――こちらも手早く終わらせていつ来てもいいようにするよ。
さっと大誠とアイコンタクトを済ませ、二人を見送る。クラスメートや他クラスの子らに紛れて、雑踏の中二人の声すらもすぐに聞こえなくなった。
俺の合鍵は渡した。一旦は二人が施錠してくれるから、京楓が開錠しても不審がられないようにはしてくれる手筈になっている。同時に靴は靴箱にしまって、ギリギリまで家にいることをばれないようにする。帰宅したら、まずはそれとわかるように、俺が何らかの形で大き目の声を出して主賓が帰ったとわかるように。今日必要な手順はそこまでだった。あとは俺がどうにかするしかない。
「暁、行かなくていいのか?」
「あぁ、まぁ少しぐらいゆっくりでもいいかなって」
すぐに出たら、それこそ二人が俺たちの家に向かっていることがバレかねない。慎重には慎重を期するに越したことはないけど、適度に動かないと京楓に怪しまれる。
「でも急がないと雨が降るぞ?」
「お、おう、そういえばそうだったな。でも天気予報を信じるなら、まだ焦ることもないと思うぞ」
中々に際どいことを言われて思わず声が上ずってしまった。大丈夫、今すぐに帰ろうと言い出さない限りは大丈夫だ。いつもそういうようなことを言うのは京楓より俺だし、今日に限ってそんなこともない。
「まぁ、そろそろ俺たちも行きますか」
「そうだねー。降らないといいけど」
「でも、行き帰りとも傘持ってって、結局使わないと文句垂れるのはどこの誰だっけ?」
「確かに私だけどさー。でも降らない方がやっぱりいいじゃんー」
段々と賑やかな声が減っていく教室は、やがて空間を作り、同じ音量で部屋の中の声がよく通るようになる。雨が降りそうな日は、晴れている日より物音が聞こえやすいような気がするけど、それもあるのかもしれない。
「あーあ、折角の誕生日なのに、みんなと遊べないのは寂しいなー」
誕生日という単語にドキリとする。けど、京楓から誕生日のことは教えてもらったんだ、自身の誕生日のことぐらい当日に把握していて何の不思議もない。
「ま、でも今年は暁がいるし、そんなに寂しくはないかな! 私の誕生日初めてだもんな、一緒に楽しもうよ!」
気付けばもう俺たちしかいなかった教室に、京楓の昂った声が、やけに大きく響いた。
「セロテープとノリ? うちにはまだそれなりにあった気がするぞ?」
「あれそうだっけ。けど割と使うこともあるし少し多めにあって困ることはないでしょ」
本当は今飾りつけでだいぶ消費しているはずだからだけど、購入と併せて文房具の予備が少ないものを確保しておきたかったのもまた事実だ。
スーパーの文房具売り場は、どうしても必要になるものは確実に揃っているから、今や減少の一途を辿る文房具屋をわざわざ探すよりかはこちらに来てしまう方が早い。専門的なものが必要でない限りはその方が楽だ。
おまけに、今回の所用は文房具だけではない。だからこそスーパーに来たというのもあるのだが。
「あともう一ヶ所、ちょっと寄ってもいい?」
京楓が頷くので、階が変わって雑貨が入るフロアにやってきた。完全に個人的な用事に京楓を連れ回すのも気が引けるのだが、今日ばかりはそうも言っていられない。
京楓の意見を聞きつつ、時々うんうん唸りながら時間を稼ぎ、買うものを決める。京楓が持っているものとは被らず、だけどデザイン的にはお揃いのものが丁度あったのはよかった。正直、彼女と合わせてしまっていいのかという気後れはあるのだけど、対等を望むのは彼女の方だ、なら俺もそれを望まれるような奴でありたい。
そして京楓を待たせてゆっくりとレジに向かう。その時、それが目に入ったのは偶然以外の何物でもなかった。
「――ん?」
それは、大き目の布がリボン状に結ばれたヘアゴムだった。水色地に白い水玉が散りばめられたデザインは、気取らない程度におしゃれだ。
京楓は今でも似たものを持っていて、そしてつけている。だけど布自体はそんなに大きくないから今よりも見栄えはしそうだ。プレゼントはもう買ってあるけど、多いことにこしたことはない。
何より、少し髪の量が前より増えて来て、それならアクセントも大きい方が見栄えがするかなって、そう思ったんだ。
「すみません、これと――」
「――で、暁が買おうとしてるのはそんなんでよかったのか?」
「うん、まぁ京楓のお勧め確認しておきたかったというのも大きかったからね」
「吸水性のいいハンカチねぇ……」
こればかりは真面目に自分のための買い物だ。散々家のお金で衣装周りも全て揃えてもらってしまってはいたが、せめて毎日使う、その中でも概して使いやすいものは仕入れておきたかった。多分明日から隔日で使うことになるだろう。
だけど、今は同時に買ったものの方が重要だった。実は既に俺もみさきも大誠もプレゼントを買ってある。だけど、レジ前で見かけたアレは、京楓のことを頭に浮かべたら衝動的に買っていた。別にプレゼントを差し替える訳じゃない。プレゼント自体が純増になることになんら問題はないし、ともすればもっと喜んでくれるかもしれない。
京楓の足止めと自分のための買い物と、二つの意味を持たせるために出向いた所であったが、思わぬ形で副産物が舞い込んだ。結果的には副産物がメインになった。
「ところで、何か関係ないもの買ってる?」
誕生日という単語が出たさっきの発言よりも明らかにギクリとした。流石にこればかりはバレるわけにはいかない。
「まぁ、暁が関係ないものを買うってことって、これまでなかったからねぇ。たまにはいいと思うな」
どうにも、個人的な趣向と思ったようで胸をなで下ろす。流石に時間を稼ぎ過ぎたか。時間稼ぎのために諸々の行動をゆっくりやるというのは、特にこう雨が降り始めそうな天候な時は、隠し事をしている身には諸刃の剣だ。
とはいえ、自然な具合に物事を遅くこなせたからか、意外と時間が経過していた。予定より十分は多く時間を稼げたように思う。まぁ流石に二人も飾りつけは終わっているだろうけど、流石に途中に帰り着くわけにもいかないし、ゆっくりに越したことはない。
「ところでさぁ、暁」
一拍の間。これは宜しくない流れだと、瞬時に察した。
「なーんか、さっきから私に隠してない?」
再びのギクリ。間違いなく京楓には不審がられている。
「どうにも怪しいんだよねぇ。買い物自体も、何か特別必要なものかと言われると微妙なとこだし」
「いや、消耗品とかハンカチとか、取り急ぎ仕入れておきたかったものしか買ってないぞ?」
「いやーそれにしてはレジから出てくるのも所々遅かったし、それに――」
ぽつり、と冷たいものが頬に落ちてきた。それに伴って、京楓が続けたい事も一旦中断される。雨自体はよくはないのだけど、このタイミングで降り始めてきたことだけは、寧ろ感謝しよう。
「あちゃぁ、降って来ちゃったかぁ」
強くはないが、それでもずっといるとしっとりと身体が濡れてしまいそうな雨脚を見て、手早く傘を差す。
「よっと」
そこに、ぴったりと入り込む京楓の姿。だけど、京楓は俺とは別に傘を持っている。
「――京楓さん? 狭いんじゃないんでしょうか?」
「わざわざ傘二つも濡らすことないじゃん、目的地一緒なんだし」
確かにその通りだし、別に入られて困るということのほどでもないのだけれど、それでも手から下げている袋の中を覗かれないかとヒヤヒヤする。
だけど、この所急に涼しくなってきた気候には、横にいる温もりが心地よかった。雨に濡れないように多少は傘の下に収まろうとはしているけど、無理にくっつこうとまではしていない。それなのに、温もりが伝わってきて、寒いだとか涼しいといった感情を一切抱かせない。
『彼女』が生きていた頃は、わざわざこういったことをやろうとは思わなかったし、しなかった。これが京楓にとっての普通、なんだろうか。
京都の街は、雨の日は観光客も少なくて静かだ。時たま住宅街に紛れ込む観光客の姿も今日はいない。寄り道をしたからか、各学校の下校時間ともずれて、今周囲には俺と京楓以外誰もいなかった。
無機質なアスファルトの川に浮かぶ傘一輪。叩きつけられた雨が、排水溝へと流れていくのに逆らって俺たちは歩いていく。
あの雫は、俺たちが掬わなければただ流されるままだ。俺も、この雨水みたいに、京楓に拾われなければただ流されるだけだったのだろうか。それとも、どこにも行ける場所すらもなかったのだろうか。
「――ねぇ」
そんなことを考えていたから、京楓から質問が急に飛んできて、現実の声だと認識するのに数秒掛かった。
「暁はさ、気付けば出会って半年は経過したけどさ。こっちにはもう慣れた?」
正直、この質問には困惑した。質問内容にじゃない、明らかに京楓の声がどうにも弱々しいものだったから。
「暁からはさ、それまでいた所の話を少しは聞いてるけどさ。それを暁が辛いものだったというならさ、今の生活は、暁のためになってるのかなって」
「そんなの、なってないわけないだろ」
反射的に口が出る。彼女がそう言うことだけは、絶対に否定しないといけない。
「京楓に拾われなかったら俺は死んでいたのは間違いない。だけど、あそこに俺が居続けたとして、あのまま生きていられたとも思えない。だから、結果論だけど、今この時が人生の最適解だって、ずっと思いながら過ごしてる。だから、京楓には、京楓にだけはそんなことを思ってほしくないし、俺もそんなことを思わせたくない」
一息でまくしたてると、少しだけ京楓が下を向いて、そして自信なさげに微笑む。
「暁がさ、そう言ってくれれば何よりなんだけどさ、だけど私だってもう少しやれることはないかって――」
だけど、京楓の言葉もそこで一旦途切れる。見上げれば、白い一軒家。今の俺が帰る場所。
「――着いちゃったね」
正直、こんな話をしながら帰るなんて思ってもいなかった。
「ごめん、今ちょっとすぐに出ないから、鍵出してくれる?」
「了解っと」
ここまではそんなに不自然な言動にはなってないはずだ。京楓は今家に誰もいないと思い込んでいる。鍵がかかってる我が家に誰かいるとは思うわけもないのだが、とにかく今の所は変に思われてないと思いたい。
「それにしても、強く降られなかったことだけはよかったよねー。そんなに濡れずに済んだし」
濡れ具合を確認してみると、あまり濡れずに済んでいる。大きめの傘であることもだが、京楓もうまい具合に入り込んでくれていたようだ。それでも、傘からはみ出た肩などに、少しばかり濡れた感触がこびりついている。
とにかく、先程言いかけていたことを、少しばかり自分にも言い聞かせるように、先に洗面台に向かった京楓の後ろ姿に向けて、しっかりと口にする。
「そうそう、やれることはないかって言うんだったら、たまには京楓も宿題早い内にやっておけよー。俺やみんなに迷惑かかんないくらいにー」
「そんな大声で言わなくてもいいでしょ」
「ちゃんと聞こえるように言っただけ」
少し京楓を責め立てるような物言いになってしまった。だけど、とにかくある程度の大きな声を出さないと、みさきと大誠が『主役』が帰って来たことを把握できない。
「とはいえなぁ、宿題ってなくても正直授業聞いてればわかる節あるよね? テストの点もそれなりに取れてるし」
京楓の後ろに付くようにして部屋へと向かう。
「いつもみさきや大誠みたいに最低点が90点とかじゃないと駄目だよ、それ言うのは」
可能な限り喋って、みさきと大誠に京楓が接近してることを知らせる。
「うっ……それ言われると厳しいなぁ」
どっきりなんて初めてだから、うまくいくかもわからない。流石に緊張してきた。
「まぁ、だから京楓はひとまず宿題も併せて予習復習しっかりやれた方がいいんじゃないかな。俺も人の事言えないけど」
部屋の前まであと数歩。もう目の前だ。
「暁が二人みたいなこと言うー逃げ場がないー」
さぁ、始めようか。
「まぁ、確かにたまには私も宿題くらいは先にやり始め――」
パン、とクラッカーの音が響いた。その間にさっと俺も自席に回り込み、大誠の向いの席に座る。
部屋の奥、京楓に向かい合う位置にいるみさきが、少し見回して確認を取った。
「せーの」
これが、俺の、俺たちの気持ちだ。
「お誕生日、おめでとー!」
部屋の中に三人の声が反響して、そして消えていく。後に残ったのは少しの静寂。
「――えっと、これ、どゆこと?」
最初に認識したのは、呆然としている京楓の姿。部屋を見渡した上での、困惑とも付かない戸惑いの表情。
途端に、自身の顔が青ざめていくのがわかる。京楓は、こういったことを望んじゃいなかったんだ。
――駄目だ、失敗した。失敗した失敗した失敗――。
「これ、私のために!? えっ!? すごく嬉しい!」
今度はこちらがポカンとする番だった。一旦は駄目だったと認識してしまっていたばかり、認識が追い付かない。
「え、これ、誰がやるって決めてくれたの!?」
「えっと、俺」
おずおずと手を上げると、たたっと京楓が俺の元へと駆け寄ってきた。手が、『あの時』みたいに急に持ち上げられ、ふわりと重力を無視して浮き上がる。
「これを私のために!? この飾りつけとかケーキとか、みんな私のために!?」
「いや飾りつけはあっちの二人だしケーキはみさきが焼いてくれたものだし、俺は殆ど何も……」
「ありがとう! 本当にありがとう! 暁やみんながこんなこと考えてくれてるなんて思ってもみなかった! こんなこと初めてだから、私、私……」
ぶんぶんと振られる手が、勢いがよすぎて寧ろ痛い。腕まで振られて、胴体までがつられて小刻みに上下に振動する。
「あっ、ごめん、痛かったよね?」
「いやいいけど……それより、そんなに興奮するとは思わなかった」
「そりゃするよ! だって、私のために、こんな……」
京楓は殆ど感極まっていた。それをなんとか押し殺して、彼女は部屋の中を一周する。学校の文化祭であるような飾りつけが、自室に展開している図は、俺からしても圧巻だ。京楓のための装飾なのに、俺までも何か主役であるような錯覚を覚える。
みさきが一番扉よりの席に移って、先程までみさきが座っていた所に京楓が収まる。サプライズは危なげなくも成功した。なら、本番はここからだ――とはいえ、進行の手筈は全く決まっていなかったのだけど。
「ではー、発案者の東雲暁くん、乾杯の音頭をお願いしますー」
「えっ、ちょ、聞いてないぞ大誠!」
くそ、しれっと言いやがって。みさきもわくわくしながらこちらを見ているから逃げ場がない。確かに色々お願いしたのはこちらとはいえ、こんなところで返ってくるとは思っていなかった。
肝心の京楓は――駄目だ。この表情は俺が何かを言うことを期待している顔だ。ええい、ままよ。
「えー、先にみさきと大誠、飾りつけありがとう。そして二人が協力してくれなかったらこの会は実現できませんでした。せいぜい俺は発案をしたくらいだ。だからこれは、俺が、ということではなくて、俺たち三人で協力して作った会だと思ってほしいです」
一拍置いて、改めて京楓の方を向き直す。彼女の表情は、期待から真剣なものへと変わっていた。
「そして京楓、君に出会えなければ俺は間違いなく死んでいた。まだ君と出会って半年くらいしか経ってなくて、まだまだ知らないこともたくさんある。だけど、そういったことはこれから知っていければいいと思っているし、京楓も俺に関して知らないことがあったらどんどん知ってほしいなって思う。まだまだ京楓を始めとした野々宮家や、みさきと大誠には何かを返したい、返していければって思ってはいるけど、何よりも、まずは今日この場を楽しんでくれると嬉しい」
気付けば、前から思っていたことがするすると口から零れる。ここまで本心を垂れ流しにするつもりもなかったのだけど、一旦出てしまえばもう取り消しは効かない。
「願わくは、京楓が今日という日がこれまでで一番ラッキーな日だと思ってくれれば、俺としては最高です。えっと、終わり」
突発ながらよくもまぁ口が回ったものだと思う。少しだけ溜息を付いて下を向く。殆ど息継ぎをしなかったせいで脳に酸素が回っていない。
「うっ、うえっ」
急な嗚咽に振り向くと、京楓が感極まっていた。――そこまでのことをしたつもりもないんだが。
「あきらぁー」
「――って、うわっ!?」
横から急に圧迫されて身動きが取れなくなる。ここまで京楓と密着したのは初めてだ。
「ほんとにありがとぉー」
背中に手を回すと、彼女の温もりが、先程の相合傘よりも直接伝わってきた。先程濡れた肩に残る僅かな湿気に混じって、彼女が持つ香りがふわりと鼻先に付く。
これが、俺を救ってくれた温もりなんだ。それが、今俺の腕の中に飛び込んできてくれている。それだけで、全てが報われたような気がした。
「やれやれ、暁も罪深い男だね」
「ちょっ、なんでそんなしみじみ言われなきゃ、えっ」
「ほんとに仲良しさんでいいねぇー」
「みさきもかよっ!」
いつもいじられる役回りは大誠のはずなのに、今はこうやっていじられるのが心地よいと感じている自分がいる。それは、俺がそういうのがいいということじゃなくて、京楓と仲良しでいられているという事実が、きっと身震いする程嬉しい事だからなんだ。
「えっと、それじゃぁ、改めて」
「かんぱーい!」
――多分、やっていることは、誰にとっても限りなく普通のことで、きっとその内仔細はみんなして忘れてしまうだろう。
「さてと、これが僕からの贈り物」
「えっ、わざわざ私のために?」
「私のはこれー」
「鬼無水も!? ケーキと別で!?」
「えっと、俺のはこれ」
「暁まで……」
まぁ、でも、それも悪くはないのかもしれない。今、あぁやって喜んでくれている姿を見られただけで、きっと他のことはどうでもよくなるだろうから。
「これとさ、あとさっき買ったこれも、実は京楓の……」
「これも、私に……?」
やっぱり彼女と出会えたことが俺の人生で一番ラッキーな出来事だったんだと改めて思う。それだけで、日本一ラッキーな男だと自称できる位には、本当に彼女には助けられた。
「うわぁ、京ちゃん、そのゴム似合ってるねー。大誠くんも思うよね?」
「そうだね、主張しすぎず、かといって目立たない訳でもなく、丁度いいと思うよ」
そして俺が見たい京楓の表情は、ただ笑顔なだけじゃない、喜怒哀楽、様々な姿を全部だっていうことに、今この時初めて気付いたんだ。
「はい、これ付けるのは今は終わり!」
「別に今は付けっぱなしでいいじゃん」
「あとで、まずは暁の前で付けていたいから……」
「――別に、俺の前とか、そこ拘らなくてもいいのに」
「いやいや、暁がくれたものだから、まずは暁に見せないとって思うから」
だから、それが出来るように、まず俺は京楓に何かを返し続けたい。ずっと笑顔じゃなくてもいい、表情豊かでいられるようにと。それは義務じゃなくて、俺が見たいから。
「でも、ありがとうね! 私これほんとに気に入った!」
「お、おう。何よりだ」
そして何よりこの笑顔が、短い間で接してきたどんな笑顔よりもきれいで、眩しくて――。
「――どしたの?」
「い、いや、なんでもないさ」
――それが、多分、最初に彼女に惹かれた時の事。
「――で、本当によかったのか? 日付ずらすとかしてでも今年はそういうの開かなくて」
俺が初めてこの家に来てから、基本的にはずっと変わらない部屋を見渡しながら尋ねる。俺のため――京楓のも同じ時にではあったけれど――に買ってもらった勉強机も、二段ベッドも、ずっと変わっていない。京楓の誕生日で、且つ京楓と二人きりでずっといるからか、自然と二人で育ってきたそういった部屋の隅々にまで目が行ってしまう。
「いやぁ、昨年があれだけ豪勢だったでしょ。だからたまには静かにやりたいかなって」
確かに昨年はすごかった。一部の出前と出来合い、それとみさき特製のケーキを除けば、俺が全ての料理を作ったのはいつも通りだったけど、来客がいつもの比じゃなかった。いつもの幼馴染の面子に加え、琥珀にクレア、どうしてかそのためだけに東京から来た黎まで揃って騒がしかった。鹿乃も、ぶつくさとは言いながらもそれなりに楽しそうにはしていたか。
誕生会であると同時、実質同窓会を兼ねたものとも化していたから、全員未成年者で酒はなかったのに飲めや食えやのどんちゃん騒ぎ。日曜日且つ外は台風が接近していたことによる雨で外に出ることも出来なかったから、とにかく馬鹿騒ぎでやりたい放題してたように思う。
ともあれ、あの時はこれまでの倍の人数を迎え、近況報告をし合ったんだったか。半分は俺と京楓、大誠と鹿乃への質問攻めだったようにも思うけど。
だけど、成人を迎える今年――2018年10月22日の誕生日は、どうしてか誕生会というものを一切開かず、俺と二人きりがいいと、京楓から言ってきたのだった。
「しかし、俺と二人きりなら別にいつでも大丈夫だろうに」
「それとこれとは違うの! 毎日同じ部屋で過ごしていても、やっぱり、その……か、彼氏とは……」
「あー悪い。俺が軽率だった」
思わず赤面する。京楓にも余計に恥をかかせてしまったらしく、二人で俯いてしまう。
なんだこれ。かれこれ十年来の付き合いで、恋人になるまえも家族兼幼馴染として長くやってきたのに、まるでお見合い結婚したばかりの夫婦みたいだ。
思わず嘆息が漏れる。だけど、どうにも二人して同時についていたらしく、思わず笑ってしまう。
「そういえば、そのリボンずっと付けてるよな、今も」
あの時の誕生会で俺があげたリボン状の飾りがついたヘアゴム。最初は何かハレの日の時に付けていたけれど、それまで使ってたのがボロボロになって以降は、記憶にある限りではずっと付けている。
「そりゃぁ、暁から初めてもらったものだもん。大切にするしましてや捨てられるわけないじゃん」
「同時に文房具もあげたじゃん」
「消耗品は流石にねぇ……でもこれがあるから」
「そんなに大切?」
「当たり前じゃん。そうでもなかったらゴムが伸びきっても別のゴムにわざわざ付け替えないっての」
ムキになるほど強く言うっていうことは、それだけ京楓の中では大切な物なのだろう。その大切をあげた十年前の俺も、まさか今に至るまでずっと使っているとは思いもしていなかった。けど、そういう理由で使い続けてくれているのは、素直に嬉しい。
「にしても、全く、あいつらも、京楓の希望がどうとか伝えたら、電話口なのににこやかな笑顔が浮かぶような口調で『二人で楽しんで』だもんなぁ。
「なんでも、私たち以外は全員で大誠の家に集まって何かしてるらしいよ。黎は昨年言ってた事業がなんたらの関係で来れないらしいけど」
「――それ、終わったらうちに大挙してカチコミ来るとかありそうじゃないか?」
「それはあり得る……」
「琥珀ってそういや今日は殆どどこかに泊まってくるみたいなこと言ってたけど、そういえば合鍵……」
「持ってる……」
「みんな来たらたまらんな……」
「まぁ、その時はその時でってことで、後で考えよ」
鹿乃はともかく、クレア以外は全員が誕生日を迎えているからきっと酒が入っているはずだ。まぁそうしたらクレア、ともすれば鹿乃も飲んでいるだろうから、恐らく全員が酔っ払いだろう。それらが全員うちに押しかけてくるとすると……。
「やっぱりぼちぼち対処考えておいた方がいい気がする」
「だよね」
とはいえ、やっぱり今は京楓とゆっくりしたい。折角みさきが二人で食べてと焼いてくれたケーキがあるんだ、せめてこれだけでも二人きりで、何も邪魔されずに食べていたい。まぁ、それすら邪魔するような無粋な奴らじゃないし、向こうも騒がしいだろうからすぐに来るということもないだろうけど。
「しっかし、自分で言うのもなんだけど、まさかこれが毎年恒例になるとは思ってもなかったよなぁ。俺とかみさきとか大誠とかのはやらず、京楓だけ」
毎年の慣例行事なんて、俺たちの間にはこの後も特に何も決められなかった。京楓の誕生日を祝うことだけは、誰が言い出したわけでもなく残ったことだ。気付けば、すぐに仔細なんて忘れてしまうだろうと思っていた初めての誕生会こそが一番に覚えていたし、どうなるかわからないものだ。
「それ、私が一番思ってる。毎年私だけ悪いって常々思ってて、それもあの時伝えたのに、暁が『京楓は毎年やるぞ』って言ったから」
「あれ、毎年なんてこと言ってたっけ?」
「言ったよ。『とにかく京楓だけはやる、誰もやらなくても俺がやる』ってさ。嬉し恥ずかしで大変だったんだから」
「あーそういやそうだったか」
そもそもの言い出しっぺが俺だった。忘れていたこと自体は正直恥ずかしいが、同時にどういう文面でそう言ったか、段々と記憶が戻ってくる。
「いやさ、実はあれ大誠にけしかけられた節もあってさ。『みさきや僕はいいから京楓はやってあげて』って言ったんだ」
「なんで大誠が?」
「んー、なんでだろうなぁ」
ここはしらばっくれておこう。大誠やみさきも、その時点で前々から京楓に対してあまり何かしてやれているって思えてなかったと感じていたということは、俺だけが知っていればいい。
「そういえばさ、初めて誕生会を企画した際、なんでそんな急に泣きだしたんだ?」
唐突に浮かんだ疑問が、つい口から出る。京楓は、果たして、少しだけ真面目そうな、だけどどこか自信がなさそうな表情をした。
「――笑わない? それと他言無用にしてくれる?」
こくりと首を縦に振る。こういう時の京楓は秘密を明かしてくれる時の顔だ。十年も見てればそれくらいすぐにわかる。
「大誠も鬼無水もさ、ほら、なんというか頭いいからさ、二人の会話に混ざれないことも多くて、だから二人とは距離間があるように感じてたから。隣の芝生は青いっていうけれど、みんなの間で、鬼無水は体が弱いからどうしても鬼無水に合わせることが多くて、それでそういう時は大誠が常に話し相手になってたから、体力バカな私のやりたいことがやれないってどうしてもいつも思っちゃってね」
――あぁ、そっか。
「だけど、暁と出会って、家族になったってのもそうだけど、私に一番近い人ってのが出来て、おまけに私のために誕生会を開いてくれるなんて思ってもなかったから。それまでそういうお祝いって誰であってもなかったというのもあるけど、みんなの中で私のために何かをしてくれるっていう経験が、あの時が初めてだった。だから、かな」
確かに、大誠の見立て通りで、京楓が考えていたこともその通りだった。
なら、尚更、大誠とみさきが思っていたことは、京楓が知るにしても、俺から伝えるのは野暮ってものだろう。またその内、みんなで集まった時にでも、こっそりそんな話が出来るように仕向ければいい。
「そういえば今だから聞くんだけど、前から思ってて、物事を繋ぎ合わせるとそうとしか考えられなくて、自惚れじゃなければそうじゃないかって気がするんだけど」
「ん?」
急に京楓に何か言われるような心当たりがない。料理自体は今なんとか手ほどきしているけどその不満か、大学関係の勉強のことか、だけどエッチの時は意地悪とか散々言われているけどそのことか――。
「暁と出会った時にさ、ラッキーとだなんて一言も言ってなくて、ただ私を可愛い女の子として出会えたことがラッキーとしか言ってなくてさ」
「う、うん」
あまりにも想定外な方向から話題が飛んできた。何だ、何を言いたいんだ。
「それで、私が鬼無水と大誠に暁を紹介した時に、暁が『日本で一番ラッキーな男』って言ってたのを後々思い出してさ、だけどそれまでの間に暁に特別何かあったような話も聞いてなくて、実際ほぼ私が傍にいたはずだから何もなかったはずなんだけど」
「――うん」
あ、これはまずい。
「暁が日本一ラッキーな男を名乗り始めた、というかラッキーだった出来事って、もしかして私と出会ったこと……?」
「うっ……」
駄目だ、京楓の顔が一切見られない。やましいことではないとはいえ、絶対に言わないと決めていたことがバレるというのはこんな気持ちなのか。
言わないでいたのに。恥ずかしいことに加え、今対等でいられるからこそ、冥土の土産にしようとしていたのに。
「はい……そうです……」
「へ、へぇー、ふーん、そうなんだ……」
顔から火が出そうだ。今が双六盤面で、同じマスにカラスが入れば、あっという間に焼き尽くされているだろう。
「そりゃぁ、その時はまだ日本一ラッキーとまでは思っちゃいなかったけど、本当にここに連れ帰ってくれて、身の回りの世話をしてくれて、そのまま家族にもしてくれて、ずっと対等でいてくれて、一番仲良くもなって、おまけに可愛いとくれば惚れないわけないでしょ……」
「か、可愛いはその、その時にも聞いたけど……」
完全に空気が停滞してしまった。見なくたって、京楓も俺と同様に顔が真っ赤なのがわかる。お互いがこうだと、室内気温もそのせいで少し上昇しているんじゃないだろうか。
というより、こうも羞恥心に晒されると、そろそろ理性が限界なわけで。
「えーっと、ごめん」
「わっ、わわっ!?」
ガバっと立ち上がり、思わず脇まで行ってぎゅっと抱き締める。あの時のような湿気にも邪魔されず、ふわりと香り立つ京楓の匂いがたまらない。そういえば十年前の今日は逆の構図だったなと、抱きしめてから思い出した。
「やっぱり俺の彼女、可愛すぎるわー。家族で幼馴染で彼女可愛すぎるわー」
「なんか棒読みっぽくなってない?」
「可愛いのは本当だから」
あの時の京楓は無邪気だったのだろう。今は、そんな想いじゃ簡単に抱き締められない。
「――京楓は、俺の生きる意味だよ。あの時以来、ずっと」
出会って十年が経った。惚れてからも十年経った。付き合い始めてからは二年弱しか経ってない俺たちだけど、想いは日増しに強くなっていく。
「私だって、暁がいないととてもじゃないけど――」
「俺は、京楓に拾ってもらえてなければ、本当に死んでいたから」
「うん……」
全ては京楓が俺を拾ってくれたあの春の日から。最初は彼女を好きになることは烏滸がましいこととも思っていたけど、今は持ちつ持たれつなこの関係こそが、俺が一番欲しかったものだったと、胸を張って言える。
「ほんと、『恩義』ばかりだよ」
「急にどうしたんだ?」
「なんでもない」
折角京楓が望んで、そしてみんなも協力してくれて出来た二人きりの記念日だ。折角の機会だ、俺も彼女と共に楽しませてもらおう。
この日のために取っておいたスパークリングワインを、二人きりの今だからこそ開ける。ぽんという小気味いい音と共に白い煙が瓶から揺らめいた。
「さて、乾杯でもしようか。京楓もやっと酒が飲めるようになったわけだし」
ワイングラスに注がれた半透明な液体から、静かに細かい泡が立ち上り、消えていく。この泡ももののあはれ、というには流石に情緒的すぎるだろうか。でも、それ位でいいだろう。
「それじゃ」
カラン、と軽い音を二つのグラスが奏でると、白い泡が少しだけ波打って、そしてまた消えた。
「誕生日おめでとう、京楓」
「そういえば、お面の裏の鍵はそのままだけど、スマートフォンのパスワードはそのままなの?」
「お、おう、そのままだけど、それがどうした?」
「あの中に入ってる幼馴染の漫画、ちょっと読みたくて」
「いいけど……あれやこれやな展開もあるだろ」
「えっと……後で……その……それこそ……」
「――後でな」