この作品は私、勇忌煉の『死戦女神は退屈しない』と、世嗣氏の『其の八極に』によるコラボ作品です。
あらすじにも書いてありますが、この作品は私、勇忌煉の『死戦女神は退屈しない』と、世嗣氏の『其の八極に』によるコラボ作品です。
矛盾や細かい設定などは一切気にせずご覧ください。また、両作品に目を通しておくと、さらに楽しめるかもしれません。
――その日、少年の中には妙な違和感があった。
(なんだか、空気が違うな)
森に入った時から感じていた、薄いながらも妙な違和感。
肌に感じる空気がどこか歪んだような、可笑しな魔力が混ざっているような覚えのない雰囲気を漂わせている。
それ故だったのだろうか――彼と彼女が出会うという、神様のイタズラが不意に起こってしまったのは。
いつもの森でいつものように鍛錬をしていると、少年の視界の端でがさりと草木が揺れる。そして、赤みがかった黒髪の少女が姿を見せた。
見たところ190はあろうかという、170後半の少年を見下ろすほどの長身に加え、肌の露出が少ないせいでわかりにくいが、その身体は相当鍛えられているように感じられる。
「……こんなとこで何してんだ、お前」
少女の方も、まさか少年がいるとは思っていなかったようで、少し驚いたような声を出す。
「何、と言われてもな。見たらわかるように自己鍛錬だ、としか」
少年――エデル――が少女――緒方サツキ――を見て抱いた感想は、一言に尽きる。
――『獣』。
しかも野生に生きる肉食獣。牙を持ち、爪を磨き、日々己を戦闘に晒す。そんな獣の雰囲気が少女にはあった。
対して、サツキの方がエデルに抱いた感想は、
――おいおいマジかよ。まだこんな奴がいたのか。
という、簡単であり、複雑なものだった。
嬉しくもあり、悔しくもあった。どうしてこんな奴を見逃していたのだと。どうして今になってこんな奴が現れたのだと。こんな奴が、もう少し早く現れていたら良かったのにと。
しかし、初めて見るタイプの強者を前に、さすがのサツキも興奮はしてしまった。また強ぇ奴と戦える。そう、顔に出さず喜びながら。
エデルが自身を睨むように見つめるサツキを、さも面白いものでも見たかのように猛禽のような目を細めて見せる。
「しかし、俺の圏境に引っかからぬとは可笑しな話だが……それより、其方、かなり
「なに一方的に話してんだコノヤロー」
自分の言いたいことを差し置いて、言うだけ言って喧嘩を売ってきたエデルに軽く苛立つサツキ。
「でもまぁ……その台詞、そのまま返すわ」
エデルも自分と同じく、
「くく、随分と辛辣だな。そんなに刺々しい雰囲気を醸し出さぬ方が良いのではないか?」
「生憎、これがデフォルトなもんでね。そんで――やるのか?」
「嗚呼、少しばかりやる気が抑えきれてなかったか」
「当たり前だろ。そんな、やる気満々な敵意ぶつけられたら誰だってわかるわ」
「ククク、なら、御託はもう要らんだろう」
エデルがサツキの言葉にニヤリ、と唇をゆがめて笑う。
対するサツキもハッと小馬鹿にするようにして笑う。
先程からじりじりと距離を測りながら、重心を動かす目の前の男が自身と殴り合うつもりであることは一目瞭然。
いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたサツキは、似たような雰囲気を持つ人間に出会ったことも何度かあった。
だからこそ、今回は楽しめる。サツキにはその確信があった。
「では――往くぞ」
ズ、と瞬きの間にエデルが地面を踏みしめる。
震脚、と呼ばれるエデルの使う武術の一つ。強く踏みしめられた地面は蜘蛛の巣状にひび割れて砕け、そしてエデルが生じた力を体内に還元。
滑るようにしてサツキへとの距離を詰める。
「おっ――?」
一秒にも満たぬ短い時間。しかし、致命的なその一瞬でエデルがサツキの懐まで潜り込む。
そして目を見開いて驚く少女の腹部へ向けて、右手を引いて掌底を叩き込んだ。
「冲垂」
拳の先が音を切る。
魔法がなくとも大木にヒビを入れられるレベルの威力を内包した一撃。そして対応できるはずのないスピード。完全に虚をついたタイミング。
回避も防御もできるはずがない、そうエデルが考えて――――思考にサツキの声が割り込んでくる。
「――甘ぇよ」
(避け、た……?)
サツキが動いた。普通ならあり得ない反応速度で、エデルの拳をしっかり目で追って、半身を少しズラす事で拳の軌道を見事に外して見せる。
「歯ァ、喰いしばれッ!」
サツキが拳を握る。全力で、下手すれば骨が軋んでいるのではないかと思うほど強く。そして、驚愕が彩るそのエデルの顔面へと右ストレートを叩き込んだ。
左足で地面がひび割れるほど強く踏み込み、そのまま叩き込んだ拳を深く入れ、身体を捻って腕を振り切る。
「がっ――!」
殴られたエデルが派手に吹き飛んで、そのまま衝撃に身を任せて転がるようにしてサツキから距離をとっていく。
(手応えが思ったより軽い……直前で後ろに跳んだのか? だとしたら器用な奴だな)
サツキがへぇ、と感心したように声を漏らす。
(冲垂を目で見て避けたぞ、彼奴。身体強化によるものじゃない。恐らく元々の身体能力が桁外れなタイプだ)
エデルがひりつく左頬を舐めて、不敵に笑みを浮かべる。
「すまぬが、魔法を使わせてもらうぞ。そうした方が楽しめそうだ」
「……好きにしろ。同じことだ」
「感謝する」
エデルがポケットから真紅のコインを取り出して親指で弾く。キィン、と高い音を響かせて弾かれたコインが頭上まで上がり、やがて重力に従って落下を始める。
そしてコインが目の前に来た時に、エデルが短く起動句を詠唱する。
「獄葬――――身体強化」
赤い光が身を包み、エデルがジャージ姿から赤い苛烈な戦闘服へと姿を変える。
「……真紅ときたか」
「長年使ってきたものでな、今更変えられぬよ」
「あァ、そう……んじゃ、やろうか」
エデルがバリアジャケットに身を包んだのを確認し、再び対峙する。
そして、言葉を交わす事なく拳が交わる。
先に動いたのは真紅のエデル。一瞬のうちに震脚、加速を行い一度目のように懐へと潜り込もうとする。しかし、サツキにそう何度も同じ手が通用するはずもなく今度はしっかりと対応される。
ならばと、エデルがポケットから小石を取り出し指弾の要領で弾き目を狙うが、それもサツキは化け物じみた反射神経でかわしてしまう。
「そっちがその気なら、こっちもその気でいくわ」
つま先で地面をちょこんと蹴ってテニスボール並みの破片を生成し、エデルの額目掛けて蹴り飛ばす。
しかし、エデルの方も小石や砂礫による攻撃には慣れたもの。体の軸だけをずらして最低限の動きでそれをかわす。
「へぇ……なら、次だ」
サツキは一息つく間もなく、エデルの顔目掛けてハイキックを左右同時に繰り出す。
エデルはその同時蹴りを、見る間もなく咄嗟に両腕で左、右の順に防いだ。これにはサツキも驚きの色を隠せなかった。
「ほう、良い蹴りだ。鍛練の跡が見て取れる」
と言いつつも、蹴りを防ぐ際に使った両腕は痺れているようで、先の頬みたくひりついていた。
エデルの発した『鍛練』という言葉に物申したくなるも、サツキはギリギリのところで堪える。コイツに言っても意味はなさそうだと、判断したうえで。
「勝手にほざいてろ。――ブチのめすからよ」
エデルの痺れた腕をしっかりと視認し、それを好機と見たサツキが動く。さっきとは打って変わって、愉しそうに赤みがかった瞳をギラつかせながら。
まず手始めに空いている右手を拳に変え、それをエデル目掛けて突き出すことで、矢のような拳圧を飛ばす。
次にエデルが拳圧を交差した両腕でガードするも、引きずられるように後退した瞬間を狙って、両の拳を固く握り、その身体能力を存分に使った拳撃をエデルへと向けて何度も放つ。
それはさながら豪雨のごとくエデルに降り注ぐ。連撃であっても一発一発は必殺級に重く、速い。
その全てを手首のスナップや、戦闘経験に基づく先読みで弾き、かわして見せながら、エデルが興味深そうに呟く。
「これは……速いな。下手すればジーク並みだ」
「ジーク……エレミアのことか。あんなんと一緒にすんじゃねぇよ」
サツキが聞こえて来た名前に思わず反応する。それはもう、非常に苦々しい顔で。
「む? あいつと知り合いか? DSAAの選手か何かなのか、其方」
「最初に『元』が付くけどな。アイツとは…………知り合いっちゃ知り合いだな。何度も殴り合っ――」
サツキはここで振り返る。ジーク、エレミアことジークリンデ・エレミアが、自分にとってどんな人物なのか。
風呂場で人の背中を切り裂く、飯は食い散らかす、ほぼ毎日添い寝してくる、貞操狙いでセクハラしてくる、黒い虫が出たからって人の家を破壊しようとする、迷惑な奴……。
「――いや、殴り飛ばしたの方が正しいか?」
ろくな印象がなかった。否、あってたまるか。サツキにとっての彼女は、まさに厄災と言ったところだろう。
「ほう、ジークをそれほどか。尚更興味が湧いた」
(あっ、誤解された……まぁいいか。嘘は言ってねぇし)
拳の応酬が止まる。
エデルはサツキの拳を捻るようにして連打を止めると、軽くステップを入れて横へと動く。
「其方、名をなんという」
「……緒方サツキだ」
「オガタ・サツキ……不思議な響きだな」
「まぁ、ミッドチルダ出身じゃねぇからな。アタシの故郷はあくまでも地球って星だ」
かのエース・オブ・エースで有名な高町なのはと、夜天の書の主である八神はやての出身地でもある第97管理外世界にある星――地球。サツキもまた、そこの生まれであった。
「チキュー? 聞き覚えがない言葉だな」
しかし、エデルは聞いたことのない単語に首を傾げるだけだった。世間知らずなのだろうか。
「そういうお前は何者だ? こっちが名乗ったんだから名前くらい教えろよ」
「ん、確かにそうだな、すまぬ」
ぽりぽりと頭を掻きながらエデルが謝る。
そのどこか間の抜けた仕草にサツキが「変な奴だ」と微妙な表情を浮かべる。
「俺は、エデル。別の名もあるにはあるが、今はそう名乗っておこう」
「あっそ。エデル、ね……って、危なッ」
サツキが言葉を終える事を待たず、突如エデルが殴りかかる。だがそれも持ち前の身体能力で躱されて、髪にわずかに掠るだけにとどまる。
「む、これも避けるか。すごい反射神経だ」
「テメェ、話してる途中に殴りかかってくんじゃねぇよ――ぶっ殺すぞ!?」
あまりの蛮族っぷりにサツキが殴りかかりながら吠える。だが、とうのエデルはどこ吹く風で、楽しそうに笑うだけだ。
(さて、あまり楽しめないから使う気は無かったが……この相手はそうも言ってられんな)
エデルが小さく息を吸う。それだけでスイッチを切り替えて、世界と認識を丸ごと騙す圏境を発動させる。
サツキの研ぎ澄まされた感覚から、エデルの気配がぐんにゃりと歪んで、どこにいるか捉えられなくなる。
こんなものは超人的な身体能力を持つサツキが相手だと、一瞬騙すことしかできないだろう。しかし、エデルにとってはそれだけあれば充分。
「噴ッ!」
「あァ? なんだこりゃ……?」
存在が揺らいだ一瞬で、震脚でサツキの足を踏みつけて、地面へと縫い付けるように押しとどめた。
「寸勁」
「チッ――!」
サツキは瞬時に腕を上げて胸部を守る。圏境でエデルが上手く感知できないのにガードを実行したことは下を巻くほかなく、誰にも真似できないものであった。
(このガキ……アタシに護りの体勢を取らせやがった……!)
そして同時に、サツキは自分の失態に気づく。
大抵の攻撃はノーガードで、もしくは最低限の防御で受けきる自分が、相手の存在を上手く感知できない状態とはいえ、自ら攻撃を捨て完全な防御体勢を取ったのだから。
しかし、無情なことにエデルへのガードは無意味である。
「が、はぁっ……!?」
衝撃が、ガードを通り抜けてサツキの体で炸裂する。これこそがエデルの武術の真髄。
防御を抜けて衝撃を徹し、相手を内部から破壊する『八極拳』の技術である。
その攻撃は一発のみでも骨をきしませ、肉を叩き、五臓六腑を痛めつけた。恐らく二、三日は内部へと確かなダメージが残ることだろう。
サツキの顔が苦悶に歪む。
「いってぇ……こなクソッ!」
だが、サツキは退かない。お返しとばかりに頭を粉砕するかのような頭突きをエデルへと叩き込む。
石と石をぶつけあわせたような音が木霊して、エデルがたたらを踏むように数歩下がった。
その一瞬を、サツキは見逃さない。すかさずエデルの胸ぐらを掴み、何度も頭突きをお見舞いする。
エデルもある程度は関節を通して衝撃を流していたが、度重なる頭突きの威力は全て流せなかったのか、頭を軽く押さえる。
そして、サツキが隙ありと言わんばかりにエデルの腹部へ前蹴りを叩き込んだ。
「上から押されたことはあるが、貫通されたのは初めてだな……」
前蹴りを喰らって再度後退するエデルを見て、感心するように、イラついた様子で呟くサツキ。エデルもまた、軽くお腹を擦りながら口を開く。
「カカ……こちらこそ、戦闘中に頭突きをしてくるような奴は初めてだ」
「頭突きくらい誰でもできるだろ……」
サツキは胸を押さえながら、エデルは未だふらふらする頭を振りながら、不敵に笑う。どちらもまだ戦意は失っていない。
「そろそろ、か」
「あァ?」
だが、世界はこの悪戯をもう許してくれそうに無かった。
「其方も感じてるであろう? そろそろ決着の頃合いだ」
「チッ、言いたくねぇこと言いやがって……こちとらまだまだやれるってのによ」
「嗚呼、まったく名残惜しい。が、仕方あるまい」
「…………だな」
エデルは世界を感じ取る圏境で、今までひりつくような感覚を訴えかけて来たものが、だんだんと薄れていっているように感じていた。それは、どこかに穴が空いて空気が丸ごと吸い込まれているようなイメージが近かった。
また、サツキの方も何となくではあるが、今起きている事象が少しずつ薄れていくのを感じ取っていた。奇遇にも、エデルと似たようなイメージを浮かべながら。
名残惜しそうに、エデルが空を見上げる。そして、小さく息をついた。
「今一度名乗ろう」
す、とエデルが構える。左手開手右手握手の腰を少し落とした『八極拳』の構え。
「俺はエデル。『魔女』と過ごし、『覇王』と競い、『聖王女』を主と仰ぎ、『鉄腕』を愛した、『魔拳』エデルだ」
エデルが名乗り終えると同時に、サツキも脱力した自然体の構えを取って、軽く微笑んで名乗り返す。
「アタシは……緒方サツキ。世間じゃ“死戦女神”だとか変な名前で呼ばれちゃいるが……ムカつく奴はぶん殴る、頭はぜってー下げねぇ。どんなときも突っ張り通す、ただのヤンキーだ」
互いの視線がぶつかって、二人とも愉快そうな、どこか狂気的な、満たされたような、そんな色を顔に宿した。
「サツキ。恐らく俺はお前の事を忘れられなくなりそうだよ」
「ハハッ、そりゃ奇遇だな。アタシもお前のことは忘れそうにねぇわ、エデル」
「口説き文句のつもりだったのだがな」
「そんな気これっぽっちもねぇくせによく言うわ。寝言は寝ていうもんだぜ」
「これ自体が、半ば夢のようなものであろう」
最後に小さく笑みをかわして、二人はそれ以上何も言わずに、己が誇りを拳へと込める。
エデルが瞳を閉じる。すると、足元に真紅の逆三角形の魔法陣が現れ、そこから疾風が吹き荒れる。
「我が八極に二の打ち要らず」
そして告げる。
祈るように、呪うように、その言葉を口にする。
「上等だコノヤロー。――全殺しにしてやんよ」
サツキもお返しと言わんばかりに、今ここで思いついた決め台詞を口にし、左の拳を溜めるように構える。
魔力を使っているわけではないので、魔法陣が展開されたり、風が吹き荒れたりはしない。
が、彼女の纏う雰囲気は最初の頃よりも大きく変わっていた。それこそ、彼女の周囲の空間が歪んで見えるほどには。
そして――次の瞬間だった。エデルが駆け、サツキが加速したのは。
「断空・極ッ!」
「エクシード・ブロォォッ!」
エデルの『断空・極』が、サツキがたった今即興で編み出した『エクシード・ブロー』が、交叉し互いへと全く同時に炸裂する。
そして二人のフィニッシュブローを最後に、世界に光が広がり、二人の意識が遠のいて行く。
(嗚呼――――)
(楽しい、もんだったな……)
「というような事が、あったんだが」
「いつ?」
「いや、それがよく覚えてなくてな……。昨日のような気もするし、もっと前のような気と、もしかしたらなかったような気もする」
「全然わかんない」
「奇遇だな、俺もだよファビア」
「というかなんで突然そんな話を?」
「なんというか、ふと思い出したのだよ。頭に滑り込んできたというか、記憶の水底から浮かび上がってきたというか」
自分で言いながらもうまく説明できないのか、苛立つように頭を乱雑にかいた。そんな彼をファビアは膝の上から呆れたように見つめる。
「なあ、シリウス。その子
「ああ、確かな」
「んー、
「覚えがないのか?」
「悪いけど、無いと思うんよ……。ほかに、なんかいうてなかった?」
「他に……あ、そうだ。『元』DSAAの選手だと言っていたぞ、確か」
「へぇ、DSAAの。ならもしかしたらどこかで戦ったのかも知れへんなぁ」
そこまで話して唐突に何か思い出したのかぽん、とエデルが手を打った。
「二つ名みたいなのを名乗ってたな。ヤンキーで……そう、“死戦女神”だったか?」
「“死戦女神”ィ? なんや聞き覚えのない名前やなぁ」
「あれ? そうか、間違えたかな」
「えー、なになになんの話ー?」
むむむ、と唸る少年の元にお盆に人数分のコップを乗せたヴィヴィオがパタパタと駆け寄ってくる。その後ろには、同じように軽食を乗せたお盆を手にするアインハルトの姿があった。
「ヴィヴィオさん、走ったらこぼれてしまいます」
「えへへ、大丈夫ですアインハルトさん――きゃっ」
「言わんこっちゃない」
アインハルトの忠告も虚しくヴィヴィオがフローリングでつるん、と足を滑らせた。ふわり、とコップが宙を舞い、ため息交じりの少年に全て空中で回収される。
「ナイスシリウス! ありがと〜」
「……次はもっと気をつけろ」
少年はお盆をテーブルに置くと先ほどのように椅子に腰掛けて、ファビアを自身の膝の間に座らせる。
「あの、シリウス」
「どうしたアインハルト?」
「どうして今クロを膝に? 隣の席空いてますよね?」
「ああ、俺、定期的にファビアにぶっ壊れた毛細魔力回路の検査してもらっててな。それには触れててもらわなきゃいけなくてな」
「ファビアも隣の席で触って置くだけでも……」
「隣より自然に触って置く方が効率が良くない?」
「いやでも二人は男女で……」
「あー、ダメやよハルにゃん。この二人の距離感狂っとるから何いうても無駄やと思うんよ」
少年とファビアが示し合わせたように首をかしげる。
その後再びヴィヴィオに何を話していたのかを尋ねられ少年がファビアとジークに補足を受けながらもう一度自身の体験を説明する。
それを聞いていたヴィヴィオは一言。
「騙されたんじゃないの? その人に」
そう言った。
「でも、嘘を言っている感じでも無かったんだよなぁ……」
「シリウスがそういう時は、外れないからなぁ。じゃあ嘘じゃないんだろうけど」
ヴィヴィオの記憶では少年が誰かの嘘を見抜けなかったことは数えるほどしかなく、よって信ずるに値する言葉なのだが。いかんせん鵜呑みにするには少し現実味がなかった。
「では名前は? それがわかればいくらか調べようもありますよ」
「名前、名前は……」
アインハルトが名案を思いついた、とでも言うように優しく笑む。
少年は、記憶に刻み込んだ名前を思い出そうと空を見上げる。
そんな少年の元に、不思議な色合いの蝶々が、どこからともなくやってきて静かに見つめる。
「名前は……」
「クソがァッ!!」
――逃げられた。あと一歩のところで。
いつだったかは覚えていない。だけど、その勝負で決着をつけることができなかった。サツキはそれが悔しくて堪らなかった。
サツキにとっての勝負には勝ちか負けしかない。引き分けで終わるなんて冗談じゃない。
その悔しさを拳に乗せ、すぐ近くにあった大木をぶん殴る。すると殴られた大木がバキバキと音を立てながら、他の小さな木を巻き込んで倒れていく。
「な、なー魔女っ子。なんでサッちゃんあんなに怒ってるん?」
「そんなの私が聞きたいよ。今までにないほどキレてるし……」
怒りに身を任せ、いつも以上に拳を振り回すサツキを見て、呆然とする二人の少女。
その光景を見ていても仕方がないので、サツキの暴走を止めるべく彼女に話しかけた。
「さ、サッちゃん」
「くたばれボケがァ――ッ!!」
「ごぶぅっ!?」
まずツインテールの少女――ジークリンデが話しかけるも、サツキは待ってましたと言わんばかりに彼女を殴り飛ばした。そう、待ってましたと言わんばかりに。
「サツキ、止まって止まって。森がなくなっちゃうから」
「いたた……ちょ、魔女っ子! その優しさプリーズ! 吹っ飛ばされた
「おいクロ、あのアホ呼んでるぞ」
「どうでもいいこと言ってないで、とりあえず落ち着こう? ね?」
「どうでもいい!? それはさすがに酷いと思うんやけど!?」
次に魔女っ子と呼ばれた少女――ファビアがサツキを可能な限り、優しく宥める。吹っ飛ばされたジークリンデをそっちのけにして。
「チッ……わかったよ。お前がそう言うんなら仕方ねぇな」
「なんやこの差は!? あっ、
ファビアの頭を優しく撫でながら、ジークリンデの言うことをガン無視するサツキ。その目付きは、ヤンキーの彼女らしからぬほど穏やかで、どこか遠くを見ていそうなものだった。
さすがにそれが気になったようで、ファビアはサツキを心配しながら口を開く。
「でも、どうして暴れていたの? 何か嫌なことでもあった?」
サツキはズボンのポケットからタバコとライターを取り出すと、いつものように一服しながら、少し考えたところでこう答えた。
「あの野郎がタイマンでバックレやがったんだよ」
「あの野郎って誰や……?」
あの野郎……。自分でなければ、ジークリンデでもない。一体何者なのだろうか。
「あー、そうだな……赤髮の『魔拳』だ」
「赤髪の?」
「『魔拳』?」
バックレたという相手の特徴を、覚えている限りで思い出すサツキ。それを聞いた二人は、ジークリンデ、ファビアの順に首を傾げた。
「……まるで古代ベルカにいそうな名前だね」
空間が静寂に包まれそうになったところで、そう言ったのはファビアだった。
ジークリンデが「あー、確かにいそうやね」と同意し、サツキも何となくではあるが、ファビアの意見に同調の姿勢を見せた。
「言われてみりゃそうかもしんねぇな……で、心当たりは?」
「ないよ」
「あるわけないやん」
彼女達がそう言った直後、二人の脳天に拳が振り下ろされた。
「あ痛……!」
「あだぁあああっ!? なんで
頭を押さえて涙目になるファビアとは対照的に、頭を押さえて悶えまくるジークリンデ。これが日頃の行いから来るものだろう。
「ねぇ、その人の……名前は覚えてないの?」
「名前、なァ……」
サツキは、その勝負でらしくないほど記憶に刻み込んだ名前を、どうにか思い出そうと唸りながら考え込む。
そんな彼女の元に、どこからともなく不思議な色合いの蝶々がやってきて、気になったので静かに見つめる。
「名前……あれ?」
「「あいつの名前、なんだっけ……?」」
違う世界、意図せず重なったその言葉を、小さな蝶の羽ばたきが風に乗せていずこかへと運んでいった。
これより下はそれぞれの作者によるあとがきです。
世嗣
「というわけで、勇忌煉さんのトコの子とのコラボ作品でした。滅多にない経験させてもらって楽しかったです。ここまで来て読んでくれた方はありがとうな!」
勇忌煉
「どうもです。今回は世嗣さんの作品の子とコラボさせていただきました。本格的なコラボは今回が初だったので不安でしたが、こうして無事に書けたことを嬉しく思います。ここまで読んでくださった方、そしてコラボ許可をくださった世嗣さん、本当にありがとうございました」