それでは、よろしくお願いいたします。
なんでもない日常の中で唯一未だに俺の中でこびり付いていた記憶は、永遠と脳内で流れている。あの日以来、いつまで続くと思っていた日常はあっけなく崩れ去った。ただただ連れ去られるあの人の背中が頭の中に離れる事のないまま、俺は立ち止まっている。
――もしもだ、私に何かあったら――
「お兄ちゃん、起きて~」
――皆の事は頼んだぞ――
「お兄ちゃん…。」
――約束だぞ、ハチマン――
「お兄ちゃん!!もう夕方だよ!!起きないとコマチ、お兄ちゃんの事を嫌いになるよ!!」
ゆさゆさと身体を強く揺さぶられた俺は目を覚ます。夕陽が俺の視界に差し込んできたせいか、瞼をあけるのが少し辛かった。いや待て、そんな前置きなんてどうでもいい。このままではマイラブリーエンジェルコマチたんに嫌われてしまうではないか。いつもより俺は勢いよく起き上がるのだった。どうやら畑作業で疲れてしまったせいか、近くの木にもたれ掛かりながら、爆睡していたらしい。太ももには丁寧に毛布までかけられていたという事は、誰か来てたのか…?そんな疑問を抱いていると、小町はプンスカと可愛らしく腰に手を当てていた。何それ可愛い…流石は俺の妹。
「全く、家に帰ってこないと思ったら、こんな所で寝ちゃって…コマチ心配したんだからね!?」
「悪い悪い、なんか変な夢を見ていたんだが…。」
「もしかして…また先生の夢を見たの?」
「……いや、そんなんじゃねえよ。ちょっと働かずに過ごす人生送る夢をだな」
「うわあ、確かに変だね…。流石ゴミいちゃんなだけあるよ」
ゴミを見るような目で見られてはいたものの、何年もこいつのお兄ちゃんをしている俺なら分かる、どこか心配そうに俺を見つめていることに。微妙な空気になりつつあった為に、俺は強引に話題を切り替えるのだった。
「そういや、今日は友達と遊びに行くんじゃなかったのか?」
いつもなら友達と遊んでくるとか言って帰ってくるのが遅い筈なのに、今日はいつもより帰りが早いのだ。まあ、俺は友達とかいないからそんなの関係ないけどね‼なんなら、いつだって帰るのが人類最速を目指せる気がするぜ!!これ絶対後で死にたくなる未来しか見えないけど‼
「それならもう終わったよ~。ほら、お兄ちゃんの為にコマチは早めに帰ってきたのです!!あ、今のコマチ的にポイント高い!!」
「はいはい」
可愛らしく敬礼する妹を適当にあしらいながら俺は返事をした。とはいえ、先ほど疲れが回復した事もあり、少し乱暴に頭を撫でてやった。日が暮れ始めていた為、急いで家に戻った俺は目がくらみそうになる…。辺りを見渡すと物やタバコの吸い殻が散らかっており、とてもではないが、くつろげるような状況ではなかった。ふっ、俺の家事力を見せつける時が漸く来たようだ。ていうか早く片付けないとあの人に叱られるし、まじで殴られるしな…。汚している張本人に殴られる善人とか色々とおかしいんだよな…。しかし、この家はそんな理屈は全く通用しない事を知っている俺は慌てて掃除をするのであった。その時、奥からドアが開く音がした。
「お前たち、戻ったぞ」
そちらに目をやると、腕に買い込んだ食材を抱えている憲兵団の正装を着ていた女性が立っていた。一度、荷物を近くのテーブルに置くと、俺の方を向き、優しそうな表情で話しかける。
「やあ、やっと目を覚めたかね」
「あ!!シズさん、お帰りなさいです!!」
「うっす」
ぶっきらぼうに返すと、ヒラツカさんは一度顎に当てて何か思い出したような仕草を見せた後に、ジト目で俺の方に視線を向けていた。何故かポキポキと鳴ってはいけないような音が彼女の拳から聞こえてくる。あれ、俺殴られるような事しましたっけ…?
「いつまで経っても帰ってこないから真面目に働いていると思えば、どうやら働かずにいい夢を見ていたではないか。」
「げえ…」
もしかして毛布かけてくれたのこの人かよ…。この人の名前はヒラツカ・シズカである。憲兵団班長を務めており、実は結構凄い人だったりするんだよな。
「ヒキガヤ?働かざる者食うべからずという言葉を知っているか?」
「ヒラツカさん、俺の夢は憲兵団のエリート女戦士かどこかの貴族の紐になる事です。寧ろから働く事よりも家事の方が大切なんですよ。あ、そうかヒラツカさんまだ」
ビュンと風を切るが如く俺の頬を何かが掠る。そして正面には青筋を立てながら、メンチを切っているヒラツカさんの凄い笑顔があった。無論、仏のような穏やかな表情な訳もない。つまり、俺は死の宣告を下されてしまったらしい…。いや待て、まだ俺何も言ってないぞ!?何で分かったんだよ…。鬼の形相で俺の事を睨みつけて、次に殴り飛ばすというメッセージなのか拳をより一層強く握る悪魔が一言呟く。
「次はないぞ?」
「ヒェッ…、すっしゅいましぇん」
あまりの怖さに噛み噛みの返答になってしまった。嫌だって、事実じゃん…殴られるから言わないけどさ…。やべっ、睨まれた…。それを見たヒラツカさんは呆れた表情で一度深く溜息をつき、ポケットから箱を取り出す。箱はかなりボロボロになっている事からどれ程この人の身体と心が朽ちかけているか分かるレベル。
「誰のせいで朽ちかけていると思ってる…全く…その腐った性根と目はどうやったら治るのやら」
「いや目はデフォルトですから…ヒラツカさんだって、いつになったらタバコ癖治るのですか?掃除意外と大変なんですよ?吸い殻のカス集めたりとか臭いとか色々と…。」
これマジ。割とマジ。この人一日5本吸ってるから、部屋の中がタバコ臭くなるし、煙で充満するし。挙句の果てには吸い殻ポイ捨てするし。そのせいで部屋の壁とか染みがつくし…。それ全部俺が片付けてるんですからね?まさか勝手に綺麗になっているとか思ってませんよね?俺は家政婦〇タじゃないからね?ただ本人は聞く耳すら持たず、俺を物凄く睨み付けている。この人が絶対結婚出来ない理由を俺は垣間見た気がした…。
「小僧、それを屁理屈と言うのは知っているか?」
「小僧ってヒラツカさんからしたら年下かもしれませんけど」
二度目の拳が飛来した。そして、今度は見事に俺の鳩尾に突き刺さり、俺はその痛みに耐えられる事無く地面に崩れ落ちた。まじで半端ないって…。この人本当に人間かよ?まず性別間違えて生まれてきただろ…。
「レディに年齢を聞くなと教わらなかったのか?」
「それレディのする事じゃねえだろ…。」
この人は絶対あれだ。雌ゴリラを転生した最終形態だわ…。最終的には仙人に必殺技教わって、俺が殺されるオチが見えたぞ…。明日からスーパー独身バーサーカーって呼んでッ!!!グハッ!!!」
回し蹴りが顔面に捻じ込み、そのまま吹き飛ばされ、近くの壁に背中を強く強打した俺は力尽きて床に倒れた。
「さて腐ったゴミは放っておいて飯にしようか」
「お兄ちゃんって本当学習しないよね…。」
いつも通り俺は小町に蔑まれた視線を浴びる事になった。もはや日常の一環と言えるまでである。何か悪くないな…妹なら色々とされても問題ない気がする。冷たい床に体を預けながらも、俺はくだらない事を考える。台所から陽気な歌声が耳に入り、楽しそうに料理するヒラツカさんを思い浮かべた。全くこの人のこういう一面だけさえあれば、惚れてしまいそうになるのにな…。
「あーゆ所だけがあれば、結婚できるのにな…。」
「お兄ちゃん、コマチお義姉ちゃんはもっと若いのがいいよ」
「誰もそんな話してねえよ…。」
「え~だって、あまりにも年上過ぎるとコマチ気を遣っちゃうもん、イヤだよ」
「何で俺の結婚相手選ぶのに妹の要件まで考慮しなきゃいけないんだよ…。」
うちの妹は何故全て彼女候補にあがるだろうか…。アホの子だと思っていたけど、これ以上残念にならないでね?コマチはヒラツカさんが居る台所に目をやりながら、寂しそうに言葉を溢した。
「でもまあ、コマチ達もヒラツカさんには感謝しないとね。折角こんな居場所くれたんだから…。」
俺達は居場所がない。流れるように生きてきた俺達からすれば、こういう生活は今まで考えられなかっただろう。両親はコマチを産んでから姿を眩まし、先生はあいつらに連れ去られて行った。他の連中もどこに居るかは検討もついていない中、この人は俺達を見捨てなかった。住む家があって食える飯があるだけで、俺達は正直十分すぎる。これ以上の贅沢を言うとすれば、寝る布団がもう少し柔らかければと言うぐらいしかない。
暫くすると、両手にホクホクと湯気が出ている皿を抱えながらヒラツカさんはやってきた。皿から溢れる美味しそうな香りに俺達は釣られて、席に付いた。ここまでしてくれたこの人に俺は何をすればいいか考えながら、スプーンを握る。残念ながら、お金を稼げるような技術を持っていない俺には家事が精いっぱいだ。だが、もしも出来る事があるとするならば
「「いただきます」」
それは多分…。
「ああ、存分に食べたまえ」
必ずこの場所を守って見せる事だ。
だが、この時の俺に知る由なんてなかった。
この平穏な日常が破壊されてしまうその日がもう近いという事を。
☆
人生とは些細な事でも悩む生き物なのかもしれない。
例えば、寝る布団をどっちにするかとか、使う枕をどちらにするとか、コマチの使った布団で寝るかどうかとか?いや待てよ、コマチが関わる事という事は一大事だな!!!ヒラツカさんの婚期以上に大事だ。コマチの布団とか間違いなく一億人の男が群がる可能性が高い…。寧ろ群がらないわけがないんだ!!これはいかんぞ。その一億人の男達を残虐なままに殺し尽くす方法も悩む事になってしまったではないか…。『え、殺しちゃうの?』ってか?当たり前だろ、コマチに近づく男は全員死刑に決まっている。なんなら、全員の息子をなぎ倒してから、川に埋めるまでである。コマチをどこぞの馬の骨から守る為に全力で頭を回転させている俺をコマチが俺の体を揺さぶりながら現実に引き戻した。
「お兄ちゃん!!とりあえず早く決めて」
「コッコマチ?」
真剣そうに俺の顔を見つめるコマチは俺に決断を求めている。ていうか、何の話してるんだっけ?あ、そうだ。コマチの布団で寝るかどうかについてだ。危ない兄として大切な事を忘れていた。
「早く!!」
俺の目の前に迫るコマチに向かって自信満々に答えやろうじゃないか?
「じゃあ、コマチの布団で」
「お兄ちゃん何言ってるの?キモイよ…。」
「あのなぁ?お前らそんな事より早くどの肉買うか決めてくれない?後ろにお客さん溜っているからよ」
店員さんと妹に怪訝そうな目で睨みつけられる俺は躊躇する事なく頭を下げた。
「あっあの…すいませんでした…。」
悩む事に碌な事もないという事を俺は漸く学習したのであった。
「全く昔と変わらねえな、ハチマンにコマチ」
呆れたような表情で手を横に伸ばしながらも、嬉しそうに俺の事を見つめるこの男
どこかで見覚えがあるんだよな…。いやこれは触れないのが一番だ。俺はこんな所でトラブルには巻き込まれたくない。
「じゃあ、このデカい奴二つ下さい」
「はいよ、元気にしてたか?」
向こうは意地でも会話を進めるつもりなのか、注文を他の店員に伝えると再び俺達に話しかけてきた。すると、コマチ物凄く不安そうな目線を俺に送り、腕に抱き着いてきた。
「どしたの?」
「ねえ、お兄ちゃん。この人怖いよ。何でコマチの名前知ってるの?」
「「え?」」
店員と見事にハモった。あ、反応しちまった…。どうやら、俺にはフラグを回避する事は不可能らしい…。でもだ、怯えている妹をここから抜け出してやるのも兄の仕事の範疇だからな。うん、今すぐに逃げよう。
「お兄ちゃん、この店やめとこう!!やばいって!!」
「え、待って?コマチちゃん覚えてないの?俺だよ?俺?」
「コマチ、それは幻覚だ。きっと悪い夢を見てるんだよ。だから家帰ろう、今すぐに!!」
この機を逃してたまるか。ここは『あれ?何もなかった事ね?作戦』で行こう!!これは俺が初めて女子と会話した時だ。勇気を振り絞ってとある女子生徒に挨拶をして、なるべく自分から率先して会話を切り出そうと奔走していた頃の話だが、悉くなかった事にされた…。ひどい時は、マジのノーリアクションだ。無表情で歩き去ったのだった、まるで俺の存在すらなかったかのように…(涙)。俺は強引に話を切って、コマチの手首を掴んで、違う店に行こうとした時だった。背後から悪魔が囁いてくる(脅し)。
「おい、テメェ?お前がカオリに告白して振られた後何していたか妹にばらすぞ」
「コマチ、ユウジだ。居ただろ、何か頭が悪そうな馬鹿が。」
「頭が悪そうなは余計だっつうの…。」
え、かっこ悪いって?嫌だってコイツ何故か妹には知られていない俺の黒歴史メッチャ知ってるし…。だから、関わりたくなかったんだよ…。それを聞いたコマチはかなり驚愕していた。
「え!!ユウジ兄ちゃん?ウソ!?前と別人じゃん。」
「まあ、色々とイメチェンしたからな」
この茶髪で眼鏡をかけているチャラチャラとした糞ゲス野郎で薄気味悪いドヤ顔を浮かべている細目の男の名前はサルトビ・ユウジだ。
俺と同じ学び舎で育った同期でもあり、ミーフリ・ツユルの弟子である。
「俺の自己紹介辛辣過ぎねえ?」
気のせいだ。後、心読むな。
to be continue
「現在公開可能な情報」
ヒキガヤ・ハチマン:11歳。目が腐っている。なんなら性格も腐っている。
ユウジと同じ学び舎で学び、ミーフリという師匠が居たらしい。
今はヒラツカとコマチと共にひとつ屋根の下で暮らしている。
ヒキガヤ・コマチ:9歳。ハチマンの妹。可愛い。とにかく可愛い。
サルトビ・ユウジ:11歳。肉屋でバイトしている。ヒキガヤ曰く『下衆野郎』
ヒラツカ・シズカ:年齢不詳。憲兵団班長を務めている。体術はかなり長けている。
次回 彼らのいつも通りの日常はまたして崩さる。