「彼」は孤独を自ら選び続けた。
「彼」は黒蝕竜の姿を追い求めた。
「彼」は多くの病原体を狩り続けた。
「彼」は狂竜症の感染拡大を否とした。
「彼」は功績を誇らず眼中にもなかった。
「彼」は挑んだ黒蝕竜に生涯負けなかった。
「彼」の原動力は病的な執着力と怒りだった。
「彼」は黒蝕竜絶滅のために全てを投げ打った。
「彼」は目の光を失おうとも戦いを辞めなかった。
「彼」の遺した情報は後進への大きな財産になった。
「彼」が遺した黒蝕竜の出現傾向予測は被害を防いだ。
「彼」は結果として多くの民を救っている。
「彼」の非業の生き様は竜人の吟遊詩人が謳う。
「彼」に魅せられた者が出るのも当然のことである。
「彼」の背中を追うことは既に叶わない願いだとしても。
「彼」が世につけた痕跡は決して小さくないものなのだから。
彼女が幼い頃、黒蝕竜によって一家が崩壊した。
アプケロス引き竜車で一家移動中に襲撃を受けて父母妹が鋭爪に裂かれ絶命し、濃密な狂竜ウイルスによって黒くなっていったのを覚えている。忘れようとも忘れられない。
彼女とて見逃されたわけではなく、一撃のもとに散華しなかっただけで大きな傷を負い狂竜症も受けてゆるやかに死を待つ。
そんなときに「彼」がやってきた。
全身黒の出で立ちだが頭髪は真っ白。大きな幅広の剣を担いでいた。
ほとんど入れ違いになった「彼」は大いに悔やむ。
死にかけている彼女へ「彼」は問うた。
いますぐ適切な治療を施せば君は快復するだろう。
しかし君の家族は亡くなっているようだ。
きっと幼い君のこの先の人生は辛いものになる。
その傷の深さでは大きな傷跡も残るだろう。
近いうちに仇のあの黒蝕竜は必ず冥府に送り届けよう。
この世に未練がないなら、苦しませずに家族の後を追わせることもできる。
君が生きたいなら治療して近くの病院まで届けよう。
どうする?
彼女は生きることを選択した。
「彼」は宣言通り治療を施して近くの病院まで彼女を届け、10日と経たずに黒蝕竜を討伐したと見舞いにやってきて、証拠に真っ黒な分厚い鱗と折れた太い触角を残して去った。
あとで聞いた話だが、家族の死体は油をかけてまで入念に焼却消毒されていて、彼女には骨の灰しか戻らなかった。
彼女の治療費は「彼」が黒蝕竜の亡骸を然るべき場所に売り払ったお金が使われており、余ったお金は彼女の手に。
「彼」が危惧したように彼女の人生は楽な道に行かなかった。
養ってくれる家族親戚はおらず、歳は13かそこいら。顔を含めた左半身に怪我と縫合痕。
そんな状態で自らを食べさせられるだけの職を、となれば彼女もやはりハンターとなった。
彼女のハンターとしての技量は高くない。
歳が若いのもそうなれば単純に体もできていない。
鍛えなければ武器に振り回されるし、駆け出しゆえに比較的軽量の防具ではあってもまだ着せられている感は強い。
光る才能の片鱗を見せることもない小粒の素材。
彼女に年不相応なところがあるとすれば、身の程をわきまえていたことだろう。
無謀に飛竜に挑みかからず、肉食竜に囲まれれば逃げ一手。
今はまだ体を自由に操縦できないとちゃんと理解していた。無茶をしないことは狩人にとって美徳である。
同年代の者からはその姿勢を消極的と侮るが、彼女を侮った若者は数年以内になにかしらの大きな怪我をしでかした。
本当に地道に成長を重ねた彼女は同期より遅い昇進を続けた。
同年代が毒怪鳥に挑む頃、彼女は大猪を倒した。
同年代のパーティが雌火竜を制した頃、彼女は怪鳥を転がした。
同年代が鎧竜に挑む頃、彼女は盾蟹を撃破した。
同年代が轟竜や角竜に追いかけ回されている頃、彼女は魅惑色の電竜を打倒した。
同年代がぽつぽつ上位に上がる頃、彼女は岩竜を砕いた。
概ね単独で依頼を受けていたのは誰に似たか。
竜人の吟遊詩人が弔い歌を唄う。
生涯大怪我をせずも幽鬼と成り果てた今際の姿。
それでもなお2頭の黒蝕竜を道連れにした執念の塊。
死した彼の魂はなにを求めるのかと。
化けて出るなら黒蝕竜の寝首を溜め斬りで掻くだろうと彼女は思う。
彼女は「彼」の死を吟遊詩人の唄で知ってから飛躍する。
「彼」が遺した資料は上位ハンター以上であれば龍歴院で閲覧可能という。
無理をせず日々の暮らしをそれなりに充実して過ごせるだけの稼ぎがあればいい。
安定志向だった彼女に目標ができた瞬間である。
齢22。体の成長は落ち着き肉もつき運動能力の把握もできて、ハンターとしての成長期が訪れていた。
雪獅子を鎌蟹を迅竜を雷狼竜を化け鮫を水竜を炎戈竜を、無茶をしつつ幸運にも大失敗せず立て続けに大物を狩り続けいざ上位昇格試験。
なんの因果か若い黒蝕竜狩猟を斡旋された。
彼女の奥底で明るい火が灯る。
意識しないほうが無理がある。
それを受注してみるとギルドからちょっとした紙束が渡された。
題字『黒蝕竜の心得』。原作者は彼女を救った「彼」だった。
記されていたのは「彼」による黒蝕竜の徹底的な解析。
くるであろう攻撃とその対処があらゆる形で網羅され弱点部位の指定とその狙い方すらも書かれ、初見であろうとも必ず殺せるようにという殺意の文章が何ページも続く。
めまいのするような情熱と怨念。
この殺意の手順書があっても実際どこまで現場で戦いながら活用できるかは人によるだろう。
彼女にとっては恩人からの強烈な後押しである。
そして彼女は自分の戦い方というプライドを放り投げこの手順書の指示を忠実に守った。
読み込みが足りず時々で危うい場面はあったが、初見で古龍の幼生体を相手にギリギリの場面には出くわさず黒蝕竜狩猟を完遂した。
家族を殺め大怪我を負わされた相手だが終わってみても彼女に感動も達成感はなかった。
手順書ひとつでああも思い通りにいくものかと、こんなに弱いのかとすら思ったぐらい。
晴れて上位ハンターになった彼女は新たな段階の狩猟に出るよりも先に龍歴院を訪れる。
「彼」の遺品である資料を閲覧するために。
いびつに変形して紫黒に変色もしている「彼」の物言わぬ髑髏。
狂竜結晶が無数に生えた肋骨と肝臓。
人骨なのに変形して鋭さのある手の指先。
変わり果てた恩人は骨になってもあの時と遜色ない殺意を残しているように感じる。
これを触媒に生きる人形を作ればすぐにでも黒蝕竜を殺しにいくだろう。
彼の手記も保存されていた。
途中から代筆者がそれを書いており、彼女を助けたことも書いてあった。
発見と到着が遅れたことを手記でもとても強く悔やんでいた。
狂竜症に村全体が冒され焼かなければいけなかったこと。
依頼を受けて行ってみれば依頼主は狂竜症で亡くなっていたこと。
ポポの牧場で狂竜症が流行し全頭処分しなければならなくなって牧場主と殴り合いになったこと。
狂竜結晶が「彼」の体内に生成され激痛でのたうち回ったこと。
快癒の見込みがない狂竜症患者から殺してくれと頼まれたこと。
楽にしてあげてと家族からも頼まれて「彼」が手にかけたこと。
狂竜症で完全に正気を失い暴れる人を殺したこと。
それについて遺族から突き上げを受けたこと。
ギルドからも殺人で突き上げを受けたこと。
一方でギルドナイトからは勧誘を受けてそれを断ったこと。
「彼」は復讐者であると同時に狂竜症の専門家でもあったということ。
マメだったのか発生理由からその対処まで逐一書かれている。
手記を読み進めただけで相当狂竜症への理解が深まった気がする。
先の黒蝕竜狩猟の際に渡された手順書と一部被る内容があり、これは誰かに読まれる前提で書いていたのではないだろうかという疑問が浮かぶ。
手記とは別に狂竜症を発症したモンスターの変化を「彼」なりにまとめた観察帳のようなものもあった。
軽い気持ちで読み始めた彼女はこれがとんでもない宝だと認識を改める。
「彼」が相対したありとあらゆる狂竜化モンスターをどのような手段で狩猟すれば上手くいくのか、独自の観点からみっちりと記した技術書に近いものであったのだから。
彼女には斡旋されないモンスターの記述も数多く、「彼」の実力がいかに優れていたのかを間接的に知る。
黒狼鳥と砕竜が狂竜化した時は「彼」も手を焼いたらしく1対1は正気の沙汰ではないとまで形容して、仲間を集めて拘束手段をフル活用して短期決戦に挑むことを推奨していた。
轟竜と金獅子は病状が極限フェーズに進行すると大きな街すら襲うほど獰猛になるので狂竜症罹患個体が発見されたら症状が進行する前に特に迅速に処理すべきとしている。
重要度は落ちるが極限フェーズまで進行した雷狼竜や紋蛇竜は敵にしたくないと愚痴も洩らしている。
「彼」の警告は活かされているのだろうか。
これらと相対することがあれば全力で逃げようと彼女は心に誓ったので、彼女の役に立つことは決定された。
持ち出すことは禁じられていたが書き写すことは許可されていたので、彼女は足繁く龍歴院を訪れ「彼」の遺した技術を写本した。
これが必要な人に広まらないのはあまりにも惜しい。
それから3年余。
彼女は大怪我歴のない綺麗な体で上位等級を卒業した。
「彼」の技術論を完全消化して自らの糧とした結果。
同年代で最も早い出世になっていた。
彼女を消極的と侮蔑した者達は唖然としていたが意には介さない。
しかし彼女はここの段階で向上心を失った。
「彼」が名指しで強敵認定した狂竜症の黒狼鳥と相対して、実際どの程度かと自分の実力を試すつもりで挑みかかった。
防戦一方大怪我せず撤退できたのが奇跡という有様。
心が萎えた。
「彼」が名指しした強敵との1対1は正気の沙汰ではない。
「彼」本人が正気ではなかったから始末に負えない。
なにをどう狂えば単独であれを制し続けられたのか。
死ぬ直前まで大怪我しなかった意味がわからない。
彼女の英雄はやはり化け物であった。
心が萎えたからといって技術が鈍るわけでもなく。
安定した収入を得られるほどの腕がある。
食えればいいが彼女の原点。
金も相当ある。
彼女は「彼」の理念を継いだ剪定係となった。
将来極限フェーズに達したらマズイことになる個体を単なる狂竜症のうちに潰す。
黒蝕竜は力量が届く範囲なら仲間を募って急行、『黒蝕竜の心得』を実演していかに楽になるかを説く。
手に負えない黒狼鳥と砕竜はもっと上の人に。
彼女もまた家族を持ち子を孕んだ。
しかし剪定係を買って出たがゆえに蓄積された狂竜症の毒素は彼女の体を汚染していた。
子は死産。体内で狂竜症に胎児が負けていた。
さらに2度と子を産めない体にもなっていた。
「彼」すらも知らなかったこと。
男であったし復讐鬼となってからは独り身。
発想がこれに至るとは思えない。
彼女は運命を嗤った。
彼女は手始めに、「彼」が調べなかったであろう狂竜症と女性の関係を洗った。
出てくる出てくる狂竜症に負けた胎児の話。
妊娠初期の罹患であればかなりの確率で流れる。
安定期だと産まれた子に障害が出やすい。
後期だと死産になりやすく母体へのダメージも大きい。
過去に罹患して重症化していると何事もなく健康な子供を産む率も下がる。
流れた子に狂竜結晶が付着していた例すらあった。
あんな棘だらけの結晶が子宮にあればさぞ母体へのダメージも大きかろう。
一方で旦那だけが罹患した例を調べてもそれらしい影響は発見できず。
狂竜症は胎児に成長阻害効果を持つ様子。
もしかすれば最初の黒蝕竜の襲撃の時点で母体としての彼女は手遅れであったのか。
女としての未練が風に吹かれてどこかへ飛んでいった。
彼女は「彼」の歩んだ道を進むことにした。
その最期が苦痛に満ちていると知っていても。
どうせ「彼」が生かしてくれた命なのだ。
黒蝕竜を殺そう滅ぼそう。
狂竜症は滅菌しなければ。
それが「彼」と腹を痛めた我が子への恩返し。
かくして彼女は狩人に復帰しもうちょっとだけ上を目指した。
「彼」ほどの狩猟技術は持てないが、もうちょっとだけ押し出しを良くするために。
歳40も近くここから先は肉体的に衰える一方であるのだから動けるうちに上がっておく。
彼女の旦那は元旦那になった。
子は産めぬ旦那を愛すより亡き者の背を追いかけているでは愛想もつきる。
なるべく高めた実績を手土産に彼女は龍歴院の戸を叩く。
狂竜症が妊娠に与える悪影響への周知を目的として。
「彼」がいたからこれへの理解がはやい。
開拓村や女性ハンターにとっては非常に重大だから。
ハンター協会への働きかけも丸投げる。
正確な証拠集めも丸投げる。
一個人が提起するより学術に優れたところに発表させたほうが説得力がある。
あとは「彼」と同じだ。
草の根分けても黒蝕竜を探して倒す。
狂竜症に罹患したモンスターを倒して龍歴院に研究資金を注ぎ込む。
平行して後進のハンターに狂竜症の危険を説く。
実績と実体験と資料の合わせ技で信じてもらう。
齢45を過ぎて遂に到来した体内からの激痛。
骨か管か臓器にできた狂竜結晶が暴れる。
口から結晶混じりの血を噴いて病院に担ぎ込まれる。
医師は首を横に振った。
結晶が生えた位置が悪かったらしい。
「そうかあ……」
中途半端な狂気の染まり方では「彼」よりも寿命が短くなるのか。
「黒蝕竜に負けたなあ」
成し遂げられたことは本当に小さい。
彼女は狂竜症との戦いに敗れた。
彼女が背中を追った「彼」は黄泉路でどう迎えてくれるだろう。
「勝って死にたかったなあ」
誰かが黒蝕竜と狂竜症の危険性を警鐘し続けてくれることを願って彼女は逝った。
享年46、狂竜結晶が体内に発生したことによる動脈破裂が直接の死因だった。
彼女の死体は家族と同じ入念な焼却が施され弔われた。
狂竜症と戦いほんのすこし爪痕をつけた死であった。
文末のワンパターンさを利用してみるテストでもある。
話の内容は正直蛇足じゃねと思わなくもない。
今度こそ終わり。
なんか滅ぶ話書くとしても次は全く別の題材。