「はぁ……はぁ……はぁ……!」
「失礼ですが、未熟。その一言に尽きますね」
楽 尚之助と獅子神 自斎の戦いは余りにも一方的なものだった。
肩で息をする自斎と涼やかな表情で相対する敵を酷評する尚之助。
一方は抜き放った刀を片手で構え、もう一方は腰に二刀を納めたまま両腕をだらりと下げた自然体。最早、それだけで剣士として余りにも大きい隔たりがあろうと察するには十分すぎる光景である。
(強い……速さも技量もそうだけど、何よりも技の起こりがない……!)
自斎は自己評価が低いものの、客観的に見たその腕前は対魔忍の中で流布している逸刀流の使い手としては上位に位置する。
流石に、最強の名を冠するアサギ、逸刀流の元締めである凜子には及ばないが、それでも剣士として敗北する相手は稀であろう。
だが、尚之助は遥か上から見下ろしている。
果敢に踏み込んで行こうとも、二刀を用いた抜刀術で容易く迎撃してのける。
抜刀どころか納刀すら見せぬ神速の斬撃。その上、人体が動き出す前の起こり――力を生み出すために必要な
つまり、一瞬の油断ですら命取りとなる真剣勝負において、相手の先が読めず、攻撃を見てから避けるか迎え撃つしかない圧倒的に不利な状況下。
恐るべきは尚之助の技量である。
あらゆる無駄な力みが排除され、脱力しているかのようにすら見える姿は、まるで伝説に語られる剣豪の如し。
更に言えば、彼は現時点で忍法は一切使用していない。思わず笑ってしまうほどの実力差であった。
「しかし、随分と良い目か耳、或いは両方をお持ちのようですね。どうやら、貴女の五感は我々とは違うようだ。神遁の影響ですか?」
「其処まで知っているのなら、逃げて欲しいのだけれど……」
「御冗談を。主命は主命。忍はそれに粛々と従うものです。況してや、主から信を得ているのであれば尚の事。腹の底を探り合い、裏切り裏切られるのが常の忍びの世界において命をかけるには十分すぎる理由では?」
「馬鹿馬鹿しいわ」
それだけ隔絶した実力差を前にして自斎が健在である理由を、尚之助は的確に見抜いていた。
彼女の視界を中心とした五感は人よりも遥かに鋭く、また違っている。本来であれば見えぬものが見え、聞こえぬものが聞き取れる。
理由は生まれ持った忍法に由来する。獅子神 自斎の持つ忍法は神遁の術――――自然界に潜む超常の存在、神と呼ばれるモノの力を借りる忍法。
彼女の両目には生まれながらに神々の力の源である“神気”が宿っており、このお陰で仮面で視界を完全に閉ざした状態でなお、探知や索敵を得意とする忍術使い以上に周囲の状況を感じ取れる。
詳しい根拠は自斎自身にも分からないが、力を貸している神の五感と彼女の五感が
ともあれ、自斎は現状においても精神的な余裕を残しているのは確かだ。
まるで同意を求めるかのような尚之助の言を、真っ向から斬って捨て、否定しているのだから。
しかし、妙な会話ではある。
いま戦いの天秤は、誰の目から明らかに尚之助に傾いているにも拘らず、両者の言動は彼が追い詰められているとでも言わんばかり。
「もう一度言う、これが最後。お願いだから、退いて」
「御断りします。この身は既に一振りの刃。戦が終わるまで鞘に戻る事はありません」
「……そう、残念だわ」
飄々とした優男の仮面の下に隠された断固とした意思で、文字通りの最後通告が跳ね除けられる。
自斎は静かな口調ながら、苦しみに喘ぐかのように下唇を噛み締める。これから起きる現実は、決して彼女の望むものではない。
それでも躊躇はなかった。これまで見てきた光景、これまで目の前で起きた現実から、彼女は一つの回答を得ていたから。
生きてさえいるのなら、次がある。
実に単純で明確な、誰でも似たような事を考える面白味のない結論。
それでも、彼女が生まれ持った忍法は、彼女に力を貸す神は、誰しもに与えられる現実を許さない。
自らに力を貸す神の名など知らない。知るだけの知識もなく、また道筋もない。
だが、名は体を現すという言葉があるように、物であれ、人であれ、存在を確立するためには名が必要となる。
そして、宿った神を彼女はこう呼んだ――――忌々しい神。忌神、と。
「“神気解放”――――もう、私にも止められない」
「…………これは、また」
顔を覆っていた仮面が上がり、薄闇の中で紅に淡く輝く双眸が露となる。
対魔粒子とも異なる力の波動が溢れ出し、視線に射抜かれた尚之助の表情が俄に強張った。
彼女の背後では、地面から滲み出るように巨大な異形が現れいでる。
かつてこの世に確かに存在しながら今は滅び、星の覇権を人に譲った人智の及ばぬ超常の存在。
まるで石像のような質感の肌と見目。人のそれとは明らかに異なる胴体とはアンバランスで巨大な両手。まさに神威と呼ぶに相応しい正も邪も超越した位置に存在する威容。
古く、日本に住まう人々は自らの力の及ばぬ存在を神と呼んで畏れ敬った。
人から掛け離れた姿形をしているが、神聖なる天使も邪悪な悪魔も人から掛け離れた描かれている。ならば、この異形もまた神と呼べるだろう。
問題があるとするのなら――
『オォ、ォォォオオオオ――――!!』
――この神は、ただひたすらに災厄と破壊を振り撒く荒ぶる神であることか。
神遁の使い手は対魔忍の歴史を遡っても殆どいない。
生まれてくる割合は千年に一度と呼ばれるほど希少な忍法であり、これまでの使い手や詳細な情報は長き時によって遺失してしまっている。
どんな忍法なのか。どんな使い方があるのか。どんな活躍をしてきたのかは全く残されておらず、ただ神の力を借りるという漠然とした言い伝えのみが残るのみ。
ただ、自斎だけは、何故そんな漠然とした言い伝えのみを残してきたのか理解できていた。
それは恐れ故。どれだけ希少で強力な忍法であろうとも、有用となるのは制御できてこそ。制御の効かぬ力を持つ者の末路なぞ、自らどころか周囲全てを巻き込んだ壮絶な自滅でしかない。少なくとも、彼女はそう考える。それ以外に考えられない。
無理もない。自らの目で見た人間が、取り憑いている神によって殺されれば、他の考え方など浮かんできはしまい。
獅子神 自斎が孤独を望む理由。
それは他でもない、生まれ持った忍法によって常に傍らにある神が、誰彼構わず祟り殺すからこそ。
トリガーは自斎が相手を見るという簡単なもの。それによって、彼女は多くの者を喪い、多くのモノを壊してきた。他者との触れ合いに幸福を感じる心優しい少女はその度に傷つき、自らと取り憑いている神を恐れるようになったのである。
自斎の諦観に呼応するように、解き放たれた神威は尚之助に襲い掛かる。
何か、特殊な神通力を用いた訳ではない。たた単純に接近し、人間の胴よりも遥かに太い石柱のような両腕を振るって暴れ回るだけ。
まるで子供の癇癪を見ているかのような稚拙極まる攻撃であるが、繰り出す存在が人間よりも遥か上位の存在であれば話は別。地面を叩く拳が、鍾乳石に振るわれる腕が、一撃でも決まれば尚之助の身体など弾け潰れてしまう。
「ふぅ。貴女に見られた者は祟り殺される、とのことですが…………正直、安心しました」
「安心ですって?」
「ええ、ただの物理攻撃であれば対処の使用はあります。少なくとも今は、神とやらも確かにこの世に存在しているようですので」
「強がりを……!」
暴れ狂う忌神の攻撃を先読みして躱しながら、尚之助は心から安堵の言葉を口にした。
余裕がある訳ではない。忌神の暴威は解き放たれた瞬間から苛烈になる一方。今は躱せていても、捕まって文字通りに潰される未来は遠からず訪れる。
それでも焦りを見せぬのは、弱味を見せれば付け込まれるという実戦経験からなのか。
だが、その態度が自斎を苛立たせていた。
これまで誰もこの神を止める事など叶わなかった。彼女自身は勿論の事、その忍法を生まれ持った娘に歓喜しながら、娘自身を守るべく神の制御にあらゆる手段を講じようと必死になり、最後には投げ出す事しか出来なかった両親すらも。
尚之助の何とかしてみせようという態度は、彼女がこれまで積み重ねてきた全てに対する侮辱である。誰にもどうにも出来なかったから、孤独にならざるを得なかったというのに。
自斎の諦観に覆い隠された理不尽への怒りが顔を出した瞬間、忌神は一際大きく神威の豪腕を振るう。
拳を打ち付けられた洞窟は、まるで生き物の悲鳴を連想させる甲高い轟音と共に罅割れ、大きく揺れた。
既の所で後方へと大きく飛び退り、尚之助は難を逃れていた。
「楽 尚之助。
「…………っ」
戦闘において時折、訪れる一瞬の静寂。互いが敵を仕留めるために態勢を立て直す仕切り直しの中、ようやく忌神と剣士の視線が絡み合った。
忌神は蚊の如く逃げ回る矮小な存在を今度こそ捕らえるべく、顔らしきものを向けて必殺の意思を示す。
尚之助もまた神の視線を真っ向から受け止め、敬意を示すが如く名乗り上げる。
飄々した態度も、優男らしい柔らかい笑みすらも消し去った顔は、正に剣士そのもの。
冷静と情熱を同時に有し、自らの死を覚悟してもなお、目の前の敵を生きて斬り捨てんとする意思を捨てていない。
目にした自斎は息を呑み、湧き上がってきた感情は劣等感だった。
ずっと昔から自覚はあった。生まれ持った力に振り回され、誰も傷つけたくないからと孤独に過ごす日々の中、自身を騙し続けてきたことを。
結局のところ、一人で過ごそうとも人との繋がりを完全に断てはしない。事実として、今は仮初とは言え部隊の一員として戦いに身を投じている。
もし本当に誰も傷つけたくないのなら、忍法と神を制御すべく必死になるべきだった。半端に孤独に浸ったところで何の意味もない。それはただの逃避だ。
だが、どうしても一歩が踏み出せなかった。
何とかしなければと奮い立とうとする度に、血塗れになって倒れた両親や友人の姿が重なって、立ち上がる前から膝が折れた。
自分には出来ない。自分のせいで。自分なんて生まれてこなければよかった。自責と諦観から目を背け続けた。
「鬼に逢うては鬼を斬り、神に逢うては神を斬る。剣の理此処に在り。ご照覧あれ――!」
これまで見せてきた自分全てを捨て去って、忌神と自斎に力強く宣言する。
まるで神に奉納する神官の如き姿であり、同時に背中を見守る後輩に先達としての在り方を示すように。
尚之助が初めて見せた構えは奇怪極まるものだった。
得意の二刀流を捨て去り、ただ一刀の鞘と柄にのみ手を掛けている。
片足を後方に大きく伸ばし、額が地面に付きそうなほどに上半身を撓ませている。まるでこれより放つ必殺に全てを賭すと言わんばかりに。
自斎の懊悩を、尚之助は手に取るように分かった。彼と彼女の境遇はよく似ている。ただ、周囲に見捨てられたか、自ら諦めたかの違いに過ぎない。
尚之助は二車の下忍である楽家の出身。
かつては幹部としての地位を確立していたようであるが、それも遥か昔の話。
楽家にとって屈辱の日々であった。一度でも栄光の味を知った者は決してそれを忘れられない。
だからこそ、類を見ない才能を生まれ持った尚之助の生誕を楽家全体が歓喜した。
彼の生まれ持った忍法は隼の術。当時はまだ“最強”と呼ばれていなかったものの、対魔忍は勿論のこと、闇の組織においても噂され始めていたアサギと同じ忍法であったのだ。
これならば落ちぶれた当家の地位もかつて以上の位置にまで返り咲ける。
楽家の誰もがそう信じ、大きな期待を掛けられた。尚之助もまた生真面目な性格に生まれた故に周囲の期待に応えるべく、幼い頃より血の滲むような努力を重ねてきた。
全てが一変したのは、彼の隼の術はあくまでも両腕に特化したものだ、と分かった時。
特化と言えば聞こえはいいが、実際の所は劣化でしかない。本来、隼の術とは僅かな時間だけ速さに特化した五感五体を強化する異能。
刀にせよ、拳打にせよ、両腕の力だけで行うものではない。複雑な全身運動である。だと言うのに、両腕から先ばかりを加速させてどうすると言うのか。それでは宝ではなく見た目と名前だけのガラクタだ。
尚之助を褒め称える声は、その日から罵声に変わった。
何故、井河の小娘に出来てお前に出来ない!
どうして、貴方は私の期待に答えてくれないの!
さんざん期待させておいてこれか、楽の恥晒しめ!
まともな者が聞けば、何とも手前勝手な罵声の数々であったが、尚之助は生来の真面目さからそれを真正面から受け止めた。
父も、母も、祖父も、祖母も、兄弟も、仲間も、誰一人として悪くない。悪いのは彼等の期待に応えられない自分自身。
そうやって更に過酷な努力を重ね、重ね、重ね、重ね、重ね、重ね、重ね重ね重ね重ね重ね重ね、重ね続ける内に、尚之助の性格は今では考えられぬほどに卑屈で暗いものとなっていた。
そんな折、楽家に二車の当主・又佐より命令――というよりも一つの願い出があった。
『最近、骸佐は若様と遊びによく宗家の離れへ向かうのだが、当主の息子を護衛も付けずに向かわせるのは此方の面目が立たん。かと言って、今は井河・甲河と緊張状態が続いるから下手に人も動かせん。よって、尚之助を世話役として借り受けたい。無論、報酬も払うつもりだが、どうだ?』
今にして思えば、又佐の気遣いだったのだろう。
幼い尚之助の目から見ても、又佐の家の当主としての力量、人としての器量は両親とは比べ物になるものではなかった。そんな彼が、かつての幹部だから、などという理由で楽家から息子の護衛を選出するとも思えなかった。
結局、彼には最後まで分からず仕舞いであったが、又佐は余りにも身勝手な大人の理屈を押し付けられる幼子の存在を把握しており、檻のような環境から解き放ってやらねば、と考えた末の決断であると尚之助は信じている。
一時的にとは言え、ようやく家から解き放たれた尚之助であったが、それでどう変わるものではない。
生家から二車の屋敷に移り住み、骸佐の世話役としての務めを果たす毎日の中であっても、家の呪縛からは逃れられなかった。
かつての栄光に取り憑かれた一族は、これを足掛かりに幹部への階段を駆け上がろうと画策しており、尚之助よりも相応しい者がいると又佐に進言を続けており、いずれはお払い箱になるだろうと憂鬱だった。
何よりも――――何よりも辛かったのは、護衛として宗家の離れに向かい、骸佐を始めとする子供達が遊び回るのを見守る時間だった。
何を根拠にそんなものを抱いているのかは、自覚があった。そんな理不尽で醜い自分がますます惨めになっていく毎日。
けれど、称賛が悪罵に変わるのが一瞬であるように、苦痛に満ちていた人生と時間が別の姿に変わるのもまた一瞬。
『尚之助、貴方は此処に来るのが嫌なようですね?』
『え? い、いえ、奥方様、そのような事は! 御館様直々に私に与えてくれた任務です。こんな、名誉……』
切欠は丁寧に辞してもなお誘われて、仕方なしに付き合った縁側での一時であった。
ふうま宗家の奥方――ふうま 潤直々に茶と菓子を出され、恐縮としながらも子供達が遊ぶ姿を共に見守っている中、唐突にそんなことを問い掛けられた。
本心を見抜かれて心臓が跳ね上がり、思ってもいない事を口にする。だが、最後には蚊が鳴くようなか細いものとなり、最後まで続けられなかった。
潤の口にした言葉は、他ならぬ尚之助の本心だ。この穏やかで緩やかな時間が嫌で嫌で堪らなかった。こんな時を過ごすのなら、両親や家の期待に応えるべく鍛錬に打ち込みたい。そうでなければ己が余りに惨めだったから。
周囲から目抜けと呼ばれながらも本人は一切気にせず、母から無償の愛を一身に受ける小太郎。
既に一族が受け継いできた忍法を発現させ、十分過ぎる才能を生まれ持った骸佐と凜花。
忌まわしい怨敵の血を引き、ふうま一門から忌み嫌われながら、幻庵の確かな愛情によって守られている紅。
自分の欲しかったもの、自分には与えられなかったものを手にした幼子達の姿は、尚之助の劣等感をどうしようもなく刺激し、醜い嫉妬を抱かせる。
他者の幸福を素直に祝福できない自分が醜く、そして惨めで――――気が付けば、何の関係もない筈の潤に全ての心境を吐露していた。
彼女の忍法は心法識。他者の感情を色として視る邪眼であると聞き及んでおり、取り繕いなど無駄だと諦めたからだったかもしれない。
全ての吐露し終えた時、潤はなおも朗らかに微笑んでこう言った。
『そう、それは辛かったでしょうね。では、こうしましょう。私は、尚之助の全てを信じます』
『それは、無理です……私などでは、奥方様の期待に応えるなど……』
『あらまあ、期待なんてしてないわよぉ。まともな大人なら子供に期待なんてしないもの。ただ、信じているだけよ』
『意味が、分かりません……』
『さっきも言った通り、貴方の全てを。貴方なら貴方の人生を必ず踏破できる。貴方の望んだ未来と将来を掴み取れる。そう信じているだけ』
『何を根拠に……!』
始めの内は、彼女が中身のない慰めを口にしているだけだと思った。
己の気持ちが見えたとしても、理解できないだろう人間の言葉など何の慰めになろうか。いや、下手な慰めなど逆に怒りを煽るものにしかならない。
今この場にこれまで溜まりに溜まった鬱屈した感情を全て吐き出し、両親の思惑も、これまで己が築いてきた全てを投げ出してやろうとすら思っていた。
『だって、尚之助は逃げもせず、諦めもせず、投げ出しもせず、苦しみに立ち向かっている。一番信じられる人間ってそういうものよ?』
あっけらかんとした気軽な口調。だからこそ、彼女の本心全てであると分かる科白。
『根気は本来誰もが持ち得るものだけど、持ち続けるのは難しいわ。私なんて特にね。私だったらとっくの昔に楽の連中ぶっ飛ばしてるでしょうし。だから、尚之助は私よりも凄いのよ?』
『………………』
『尚之助が自分を信じられないと言うのなら、私が信じるわ。尤も、又佐も幻爺も同じでしょうけど。考えても見なさいと、大事な息子と孫娘を信じられない奴に預けると思う?』
『…………ぅ……っ』
『尚之助は凄い子よ。今までよく頑張りました。これからも皆の事を頼むわね』
溢れ出す涙は止まらず、優しい言葉と抱擁は尚之助が最も欲しかったものでもある。
『あ、母上が尚之助を泣かせてる。何やってるんですか、母上ェ……』
『い、いくら奥方様でも、尚之助を泣かせるなんて、許さないぞぉ!』
『ふ、二人共、奥方様にはきっとお考えが……』
『……ふぇ』
――――ああ、無上の歓びとはこういうものなのか。
気の毒そうな目を向ける小太郎は己を頼りにしているからこそであり。
怖じ気と共に怒りを燃え上がらせている骸佐も己を信じているからであり。
オロオロとしている凜花も、釣られて泣き出してしまいそうな紅も、自らを大切に思ってくれているからこそ。
又佐にせよ、幻庵にせよ同じ事。
子供達を任せたのは、尚之助の人柄と愚直に積み上げた鍛錬を信じ、お前ならば必ずや子供達を守り抜くであろうと無言の信頼を示していた。
両親も一族も決して認めはしなかったが、尚之助の欲しかったものは既に握られていたのだ。
その日を境に、尚之助は生まれ変わった。
後ろ向きで卑屈な性格は徐々に成りを潜め、静かな自信に満ちた青年へと成長していく。
性格が前向きになれば、日々の鍛錬も結果はより大きいものとなる。筋肉が明確なイメージを持って鍛えればより大きく成長するように、より理想の自分へと近づいていく。
けれど、両親も一族もそんな彼を一向に認めない。
どれだけ鍛えようが忍法に劣り、明確な上位互換がいる以上、尚之助の価値は彼等にとって無きに等しい。
それでも気にせずに鍛錬を続けた。愚直に、根気強く、逃げも諦めも投げ出しもせずに。
もう、他者にとって都合の良いだけの期待に応えようなどと思ってはいなかった。
徐々に徐々に、性格も肉体も忍法も変わり始めた。
両腕から先のみしかできなかった強化と加速は全身に及んでいた。尤も、一秒未満の刹那の時でしかなかったが。
それでも劣等感は既になく、彼にあったのは信じられた以上は応えたいという純粋な願いと男としての意地と信念だけ。
それはついに、アサギですら辿り着けぬ極みへと尚之助を辿り着かせた。
完成したのは両親も一族も死に絶えた後。弾正とそれに従うふうま一門を見限り、価値のある内に売り払おうと井河の本拠となろうとしていた五車へと向かう小太郎の護衛を務めていた最中。
『鴉野 魎馬――――井河の長老衆に仕える手練です』
『あー、確か死霊を操る忍法を使うんだったっけ? 勝てるか?』
『分かりません。それでも一直線に走って下さい。アサギ殿はこの先にいるでしょう。信じて、頂けますか?』
『んー…………信じちゃいないが、頼りにはしてる』
『十分です。では、剣の理、ご覧入れましょう――!』
かつて辿り着いた境地に再び足を踏み入れる。
尚之助は剣の腕前においてならばいざ知らず、隼の術という点においてアサギに大きく劣っている。
アサギは実に六秒もの間、術を持続し続ける事が出来るのに対し、尚之助は全身を加速出来るのは僅か一秒未満で精一杯。
ならばと思い至ったのは、その僅かな刹那に全てを解き放つこと。
これまで培った技術も。これまで重ねた鍛錬も。これまで賜った信頼も。これまで育んできた命も。全て、全て。
その果てに待っていたのは、全てが静止した世界。
世界の色が褪せ、これから動き出そうとしていた忌神も、何かに堪えるような表情をしている自斎も微動だにしない。
この一瞬、この刹那だけは尚之助の加速はアサギすらも上回る。
何故か。それは一太刀に向ける意識の差。戦いに向ける情熱の違い。彼にとって戦いとは、一生分の力を、一瞬で燃やし尽くす事故に――!
「――――“無明零閃”」
やること事態は単純明快。命すらも投げ売って、敵の懐に潜り込んで、刀を振るうだけ。
だが、それが行われるのは光速すら超えた更に越えた速度。放つは一閃すら越えた零の領域。
「――――ォオ」
「…………え?」
自斎には何も見えなかった。
常人より優れた視覚も聴覚も嗅覚も、何一つ役に立たず、捉えられない。
気が付けば、忌み嫌っている神が縦一文字の真っ二つに両断されている。
ずずん、と重苦しい音を立て、忌神は左右に分かれて地面へと倒れ伏す。後には何も残らない。切断面から神気が漏れ出して、砂糖菓子のように崩れていく。
その光景を呆然と眺めている他なかった。
ある意味において、自斎はこの忌神を信じていたからだ。この怪物を止められる者などいない、と。
けれど、どうだ。今こうして、無力な存在にまで堕ちている。
この現実をどう受け止めればいいのか。これまで培ってきた価値観が、諦観諸共に崩れ落ちてしまい、とてもではないが受け入れられない。
「勝負あり、ですね」
その無防備な喉元に、尚之助は刃を突き付けた。
今し方、死線を潜り抜けたとも、神を断ってのけたとも思えない朗らかな笑みを浮かべながら。
ただ、尚之助も決して無事ではない。
アサギに劣っている筈の隼の術で、アサギすら超える領域に手を出しているのだ。
無数の筋肉断裂と内出血、複数の骨折。全身は悲鳴を上げており、いつ倒れてもおかしくはない。
それでもなお立っているのは、この男の信念故に。とうの昔に信念が肉体を凌駕しているのだ。
剣客対魔忍は勝利と剣の理を声もなく謳い上げる。
――――剣の一撃極まれば、神すら断ってみせようか。
まるで、自らを信じてこの世を去った者に、未だこの世に在り己を信じる者に示すかのように。
新型機のペットネームはどれがいいですか? 感想の中から作者が独断と偏見で選びました。地獄へお届け(デリバリーヘル、略してデリヘル)は色々な意味で面白すぎるので出禁で
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白兎(いつも忙しそうなので)
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夜梟(機体の静粛性能から)
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影狼&蜃気楼(苦労と九郎で)
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飛梅(完全和製)
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蜂鳥(ホバリングとそれなりの速度から)