「おっと、そっちも終わったようだな」
「権左殿も御無事なようで」
「ま、小娘に負けるほど耄碌しちゃいねぇさ」
「――――くっ」
「………………」
権左は凜花を、尚之助は自斎を打ち破り、元の地点へと戻っていた。
若い対魔忍を拘束するでもなく、武器を手にしたまま背後に立って先を進ませているだけであったのは誰かを拘束する予定などなかった故であり、また自らに対する自信からでもあった。
事実、権左と尚之助であれば、この状態からならばどのような反抗を示された所で如何ようにでも制圧できるだろう。
それが分かっているからこそ若き対魔忍は動けずにいた。
凜花は明確な実力差を示された上、更には小太郎と仲間にとって不利な状況になってしまった現実に表情を歪めてたが、焦りから有効な打開策を思案できない。
対し、自斎の仮面から解き放たれた顔に表情はない。これまで信じてきたものを打ち砕かれ、茫然自失の状態であった。
その時、権左は尚之助に犀利な視線を送った。
声と顔色から彼が決して万全の状態ではないと悟ったのである。
それでも安否を確認しなかったのは、未だ己の両足で大地を踏み締めているからであり、状況の打開を探る凜花に余計な情報を与えぬためでもあった。
尚之助は尚之助でこの現状を如何に対処すべきかを考えていた。
既に己が完璧な状態ではなく、エウリュアレーと事を構えるのであれば足手纏いにしかならない事実は頭の痛い問題だ。
そうでもなければ忌神を打ち破り、自斎を無力化できなかったとは言え、権左しか戦えぬ状況では如何ともし難い。
互いの現状を確認し合った幹部二人の見解は同じであり、出した答えも同一であった。
「仕方ねぇな、っとぉ!」
「うっ……!」
「見てるんだろう、宗家のお坊ちゃん! この二人を殺されたくなけりゃ、さっさと姿を見せなぁ!!」
権左は槍で、尚之助は脚を使って、捕らえた二人の膝を突き、その場に跪かせた。
同時に洞窟全体へと響き渡るように声を張り上げて、姿を見せないながらも隠れ潜んで様子を探っているであろう小太郎へと呼び掛ける。
矢車に呼び掛けなかったのは、彼の実力以上に小太郎に対して信を置いていたからだ。
彼らは既に小太郎が裏で何をやってきたのかを知っている。矢車程度であれば、と考えるには十分過ぎる事実であった。
「さて、案の定。どうしたもんかねぇ」
「どうするも何も助けないと……!」
「意気は良いんだがな、お前は何時も
「そ、それはそうかもしれないけど、でも……!」
その様子を天然の石柱の影から小太郎はきららと共に見守っていた。
同年代とは隔絶した実力を持つ鬼娘は形振り構わず討って出ようとするものの、小太郎の呆れ顔と言葉に止められる。
彼女の実力は精々凜花と同等だ。相手はその凜花を無傷で殺さずに無力化している以上、勝てない相手と考えるべき。
そのような事実はきららとて分かっているが、対魔忍らしい対魔忍である彼女には仲間を見捨てるという選択肢は存在していない。
無論、小太郎も同様である。いっそ見捨ててしまった方が楽ではあるが、自身の自由にできる戦力ではなく、エウリュアレーの討伐も控えている以上、見捨てたくとも見捨てられない。
じっとりと湿度が高く、妙に温かい粘ついた空気の中、小太郎は大きく溜息を吐いた。
共闘や交渉が可能なラインは当に通り過ぎてしまった。
本音を言えば、小太郎にせよ、権左にせよ、尚之助にせよ、共闘はしたい。だが、他の目がある。
矢車、引いては凜花や自斎が暴走せずにいたのならば、まだ現場判断という言い訳も経っただろうが、戦闘後の共闘はいくらなんでも互いの仲が深いものであると語るようなものだ。
元主と元従者。事実として関係は深いが、見せるべき姿勢というものがある。
権左側からしてみれば、矢車を失った状態で小太郎と手を組むなど言語道断。元より矢車を切るつもりであった骸佐がそれを許そうとも、骸佐の思惑と目的を知らぬ者達は許しはしない。
小太郎側からしてみれば、味方を人質に取った相手との共闘を対魔忍の内部で知られればどうなる事か。況してや、相手は反乱を起こした者達。邪推に邪推を重ねられては今後が動きにくくなってしまう。
黙っていれば漏れることはないのだろうが、現状と今後を見据えている三者ならばまだしも、残る凜花、きらら、自斎の三名が理解しているとは思えまい。
いずれかがポロリと事実を漏らしてしまえば対魔忍内部で噂は広がる。骸佐とて対魔忍の動向は常に探っているだろう。其処で噂をキャッチされようものなら、どれだけ箝口令を敷こうとも噂は人から人へと渡り、いずれは誰にも知れ渡る。
「仕方ない。お前は此処で待機だ」
「ちょ、ちょっと一人でどうするつもりよ」
「待機していろってだけでただ待てと言っている訳じゃない。やることはある。後は、アイツ等がどれだけオレを信頼しているかだな」
「……ど、どういうこと?」
「分からないなら言う通りにしてろ。余計な真似はしなくていい。いいか、これから――――」
切欠は矢車だったとは言え、この状況を招いた要因の一つとして自身も関わっている。解決の糸口が見えない現状に彼女が焦るのも無理はない。
だと言うのに、この男は既に二人を救い出す道筋が既に見えているかのようだ。
とても味方を人質に取られたとは思えない落ち着き払った口調に、きららは困惑を隠せずにいた。
それでも従う以外に道はなかった。
任務が始まった頃とは打って変わった従順な姿は人が変わったかのようだ。
どれだけ複雑な感情を有していようとも根は素直で単純。まだまだ信頼とは言い難い僅かに芽生えた小さな感情に従っているだけであるが、これもまたアサギが小太郎に求め、きららに望んだ変化である。
(…………気温が下がっていく…………そういう手筈ですか)
(悪いとは言わねぇし、巧い使い方とは思うが、ちと浅はかすぎやしないかねぇ?)
鋒を凜花の心臓に。刃を自斎の首筋に。
それぞれが何時でも跪かせた相手の命を奪える状態かつあらゆる反撃に備えた状態の中、鋭敏に環境の変化を察知した。
洞窟の温度と湿度は、太陽光や大気などがないため、常に洞窟周辺の平均温度になり、年中一定の温度に保たれる。
それが変化する理由と伴って何が生じるのかを察した尚之助と権左は僅かに眉根を寄せた。
暫くすると薄暗闇で満たされた洞窟内部は更に視界が効かなくなる事態に発展していた。
暗い闇とは異なる真白の闇で満ちていく。大気中の水蒸気が小さな粒状の水滴へと変化して視界を遮る現象。即ち、霧である。
「さて、話し合おうか」
「小太郎……っ」
「………………」
「これはこれは、また大仰な登場で。しかし、随分とまあ痛々しい姿ですなぁ」
「心遣い痛み入るよ。どうせだったら、間抜け二人を開放して欲しいもんだが」
「そうもいかんでしょうよ。こっちとしちゃ苦労して手に入れた戦利品みたいなもんだ。相応の見返りってもんがなきゃねぇ」
「ご尤も」
互いの視界を邪魔する霧の中から滲み出るように小太郎が片手を上げて現れた。
霧によって細部までは確認できないものの、もう一方の手は見るも無惨に拉げており、一目で重傷であると伺い知れる。
その姿に、凜花は顔を青褪めさせ、尚之助もまるで我が身を傷つけられているかのように顔を歪める。唯一、権左だけは冷静さを保ちながら、逆に警戒を強めていた。
只でさえ、手負いの獣は恐ろしい。況してや、それが智慧持つ狩人ならば尚の事。本能的に分かる。強さそのものは大したものではないにせよ、ふうま 小太郎という人間は間違いなく狩る側の人種であると。
霧の出現はきららによるものであった。
水分を多量に含む空気が急激に冷やされ、露点温度に達する事で霧や靄が発生する。
洞窟内部という一定の温度を保ちつつも湿度の高い空気は、きららの冷気によって冷やされることで霧を発生させる条件を満たしていた。
これが実現できたのは彼女の受け継いだ異能があってこそ。同じように氷や冷気を操る対魔忍は他にもいるが、これだけの広範囲に渡って冷気を行き渡らせる真似が出来るのは彼女だけ。
尤も、それも長く続くまい。スーパーカーが爆発的な加速を実現するのに多大な燃料を消費するように、強大な力は総じて莫大な消耗を強いられる。
加えて、きららはこのような使い方に慣れていない。瞬間的に冷気を生み出して攻撃に利用するならばまだしも、一定の冷気を持続的に放出し続ける経験はほぼない。消耗は普段の数倍にまで達するであろう。
小太郎の現在の姿に強い悔恨と痛みを抱いている尚之助を庇うように、自然と口を開いていた権左であったが、内心は不審で満たされている。
わざわざ霧を発生させたというのなら、狙うべきは奇襲。視界が効かぬ利点を生かして、相手に悟られぬ内に一気呵成に攻め立てるべきだ。
にも拘らず、姿を現したのは何故か。この程度の視界不良による奇襲など真っ向から迎え撃ち、いくらでも制圧する自信はあったが、答えの出ない疑問とは気味が悪くて仕方がない。
「小太郎、私達はいいから……うぐっ!」
「黙ってろ。これがお前が勝手をしたツケだ。考えなしの犬じゃこういうことになる。よく見ておくんだな」
「このぉっ……!」
失態を犯した自分達を見捨てるように口を開こうとした凜花であったが、権左に髪を掴まれて止められる。
その声は何処までも冷たく、己の失態が自身の身のみならず、仲間にまでも及ぶと語っていた。
手荒い権左を睨みつけようとするものの髪を掴まれては抵抗の余地はない。
否が応でも姿を現した小太郎の姿を見ることになってしまう。霧に覆われたままでは表情までは伺えないが、失望の色に染まっているのは明らかだろう。
それがより一層、凜花に深い苦しみを与える。想像は時に現実以上に人を追い詰めるものだ。
「とは言え、こっちは払えるものもねぇ。こっちから持ち掛けるなら兎も角、テロリスト同然の反逆者からの交渉には応じない」
「ならば、どうなさるおつもりで?」
「こうする以外に何かあるのか?」
「――――っ!」
徐々に濃くなっていく霧の中、よく通る声が洞窟に反響する。
人質の扱いに何を言うでもなく、権左の問い掛けのみに応えた小太郎は、驚くべき行動に出た。
懐から何かを取り出して口元に運ぶと何かを咥えて引き抜く仕草を見せ、間髪入れずに四人に向かって放り投げる。
その行動に愕然としたのは、誰よりも小太郎を知っている尚之助であった。
今の仕草は任務で何度となく目にしてきた姿。米連の軍人は勿論、何処でどう入手したのか闇の街のチンピラですら使ってきた殺傷兵器。
安全ピンを外してから一定時間で爆発に伴う無数の破片で相手を殺傷せしめる範囲攻撃にして投擲武器。即ち、手榴弾。
尚之助は率直に言って混乱していた。
小太郎様がこのような真似をするなど、と言う驚愕。同時に、小太郎様ならばやりかねない、という納得。相反する思考に板挟みにされ、初動が遅れた。
尚之助の知る小太郎は、身内と認めた人間には極端に甘い。
どのような失敗であれ許容するし、相手の性格を読んだ上で失敗すらも想定して行動している節がある。
全ては身内を許すため。そうでもなければ己の立場上、立ちいかなくなる可能性があるとは言え、明確な背信を抱いていなければ、裏切りですら許すのだから甘過ぎると言ってもいい。
だが、同時に何処までも冷徹になれる男であるとも知っている。
使えぬ者、従わぬ者、敵対した者に容赦はない。使えぬ者は実現可能ギリギリの範囲を見極めて使い潰し、従わぬ者は邪魔だと感情すら交えず切って捨て、敵対した者は親兄弟であっても如何なる手段を用いても殺してのける。
相反する二面性のどちらが発露しているのか。どちらの面であるのか判断に迷う。
とは言え、混乱が決断に影響を与えるほど尚之助は未熟ではない。
初動こそ遅れたが、其処からの動きは迅速の一言。宙空に放たれた手榴弾の影を正確に捕らえていた。
抜刀術は本来、刀を鞘に納めた状態で襲い掛かられた場合に用いる術。言わば、不意打ちへの対応策。この程度の不意打ちなど真正面から打ち破れて至極当然だ。
これまで何度となく訪れた危機は尚之助に知識を齎した。
手榴弾と言えど爆発には明確な原理が存在し、理屈は単純。
炸薬と信管を鋼鉄の容器で覆った兵器であるならば、信管を断って起爆させなければ意味を為さない。
当然のように迎撃し、稚拙な不意打ちを斬り裂かんとし――――
「尚之助、ブラフだっ!」
――――嵌められたと悟った。
権左の直感からなる助言も、僅かに遅れている。既に迎撃は形をなし、両者にも止めようがない。
放物線を描く物体を斬り裂いてみれば、手榴弾とは手応えが違う。見れば、ただの石塊だった。
(そもそも不意を打つのならばわざわざ我々の目の前で安全装置を外す必要などない! 見えない場所で外して放ればいいだけのこと! やられた! ならば――――)
(霧を出したのはそういうことかよっ! 姿を現したのは自分の行動で尚之助の混乱を誘って意識をあちこちに分散させるためか! なら次の手は――――)
「おらおら、死ぬ気で避けろよー」
「そんなもん何処に隠し持ってたんですかねぇっ!!」
霧の帳の向こう側で、小太郎は片手で何かを構えていた。
僅かな間に立場が逆転した事実、名前は知らないが見覚えのある武器に権左は悲鳴のような声を上げる。
小太郎の手に握られていたのは大型の回転式拳銃のような武器。
名はMGL-140。米連海兵隊ではM32と呼ばれる六連発リボルビンググレネードランチャー。
量産開始から既に50年以上が経過しているにも拘らず、様々な改良が加えられながらも基本構造に変化が見られないのは、実際の運用を想定した基礎設計が如何に優秀であったのかを物語っている。
一時、コンピューター制御によって敵の頭上で爆発するエアーバーストグレネードに地位を奪われかけたものの、一発辺りの値段が高く、使用弾薬の統一性がなかったために、未だ採用され続けている古参。
権左にしても、尚之助にしても、想定していなかった武器である。
服の下に隠すには大き過ぎ、始めから手にしているか、背負ってでもいなければおかしい部類だ。
どのような手段を用いたかは別にして、意表を突くというのなら、現実的に其処に存在しない筈の武器はこれ以上ないほど相手の意表を突けよう。事実として
ポン、と瓶の栓が抜けるような音と共に、40×46mmグレネード弾が尚之助の顔面に向けて放たれる。
既に刀を握った腕を振り抜き、残りの腕も負傷している尚之助にはどうしようもない攻撃。
「チィッ! いちいち容赦のない御人ですよ、全くっ!」
「ぐっ――!」
「お前ならそう動くわな――――今だっ! 二人共こっちに走れっ!」
「自斎ちゃん、さあっ!」
「えっ? あっ――――きゃあああっ!!」
まるで予定調和のように、それぞれが動き出す。
人質の確保を完全に諦め、尚之助に向かって飛び掛かり、諸共に土中へと逃れる権左。
依然、焦りはあったものの、呆然としたままの自斎の腕を掴んで前へと走り出す凜花。
未だに忘我の彼方にあったが腕を引かれ、突如として背後で発生した爆発と衝撃に驚愕の悲鳴を上げる自斎。
走り出した二人を確認しながらも、既に装填されている対人榴弾を一定の間隔で撃ち続ける小太郎。
二人と擦れ違った辺りで、小太郎はようやく最後の一発を撃ち尽くす。
その時点で彼の思惑は完了しており、霧の中へと紛れるように消えていく。残されたのは濃霧と静寂だけだった。
(流石に巧いねぇ。爆発と衝撃で足音を消していた。こっちから話かけて場所を探ろうにも洞窟の中じゃ反響してハッキリとした場所は分からんだろうし。完全に一本取られたな)
「権左殿……」
「何も言うな。宗家のお坊ちゃんが一枚上手だっただけだ。戦うだけならこっちが上だが、戦いの流れを操作するのはあっちが上だな」
土中に潜り込み、対人榴弾の影響を受けなかった権左は消沈した尚之助を脇に抱え、面白げながらも苦笑を漏らしていた。
恐らく、小太郎は始めから尚之助に狙いを定めていた。
姿を確認し、声を耳にした権左と同じ段階で負傷の度合いに気付き、かつて見た奥義を使用したのだと悟っていたのだろう。
その上で自分ならばやりそうでやらない、或いはやらなそうでやるラインの行動を取って見せることで混乱を誘い、霧による視界不良で行動の真意を悟られる時間を遅らせていた。
権左としても、このような場所で矢車ならば兎も角、尚之助を失うわけにはいかない。自身の危機ならば容易に払えるが、他者へと降り掛かる危難を払うのは全身全霊を掛けねばならないと骸佐を守り続けた十年近い歳月で嫌というほど身に沁みている以上、全ての有利を捨てて尚之助を守る選択をする。
更に言えば、身を隠す算段までも完璧に等しい。
権左の“捲土往来”は直接的な戦闘以上に、不意打ちや身を守る際に最大限の効果を発揮し、実際のところ攻めるには不向きだ。
何せ、人が八割頼っている視界が完全に塞がれてしまう。どれだけ地中を自由自在に動けようが、相手を認識できねば意味がなく攻めようがない。
この不利を補うため、権左は視覚よりも聴覚を鍛え、敵の足音や気配を頼りに位置を探る術を自然と身に着けていたが、地上で爆発が起きればその感覚も無駄になる。
見せた一手が次に繋がり、別の意図に繋がっている複雑さであったが、彼自身の行動自体は実に単純。
戦いの雌雄を決する流れを操る力、敵の思考を読み切った上で一定の方向へと誘導する狡猾さ。
いずれにおいても、二車一の知恵者にして策士であるカヲルすら上回っていると権左も素直に認めざるを得ず、更なる笑みを溢した。
(はてさて、どうしたもんか。このまま戦って勝つ自信はあるが……得るものが少なすぎるし、オレも嵌められちゃ敵わん)
相手は重傷の小僧一人と消耗した未熟な小娘三人だけ。縊り殺すも刺し貫くもそう苦ではあるまい。
しかし、尚之助を抱えた状態では無理だ。
“捲土往来”は権左が一度でも地中で手を離してしまえば、相手は生き埋めとなる。そうやって敵を仕留めた経験もある以上、戦うならば尚之助を安全な位置で休ませておかねばならない。
だが、問題は小太郎だ。ある意味において、己以上に忍法の使い方を心得ているであろう小僧が、それを知らぬとも考え至らぬとも思えない。
己の相手は三人に任せ、自身は尚之助を確保するために動くだろう。そうなれば、立場は完全に逆転する。
「権左殿、此処は退くべきかと」
「完全に同意するぜ。大して強くはないが、戦うとなるとああいう輩が一番厄介だからな。やるなら万全じゃなきゃ話にならんからな。最後に、負け惜しみでも言っておくか」
尚之助の提言を、権左は素直に受け入れる。
エウリュアレーの抹殺或いは勧誘は失敗に終わったが、矢車との手切りは完了した以上、最低限の仕事は果たしている。無理をせずとも問題ない。
戦いに対する狂気は胸で燃え上がっていたが、容易く鎮火する。狂気の解放も鎮静も、狂犬から槍となった今では随分と手慣れたものであった。
土中深くに逃げ延びたが、言葉通りに地表へと向かって上昇し、とぷんと顔のみを空気に晒す。
地面が波紋が広がるように揺れたが、濃くなった霧ではそれも見えない。
「いやぁ、一本取られました。流石は奥方様の教育の賜物! 見事に成長したもんですなぁ!」
「そいつぁ、どうも! 権左ぁ、まだやるかっ!」
「いやいや、御冗談を。これ以上は此方のメリットがない。素直に尻尾巻いてトンヅラさせて頂きます! 決着は、次の機会に!」
「ああ、そうかいそうかいっ! 安心するな、全くよぅ!」
もう既に、互いの位置を正確に把握する術がないと分かっているからなのか、洞窟内に反響させるほどの声量で言葉を交わす。
印象的であったのは権左が今の状況を面白がっているのに対し、小太郎は苛立っていた事か。
立場も勝ち負けも小太郎が上回っているのだろうが、これからアジトに戻るだけの権左は気軽そのもの。対して、小太郎は未だ本命に手を掛けてすらいないのだ、苛立ちもしよう。
勝負や賭けに勝っても、貧乏籤を引かされる。それが彼の人生で運命なのだ。
「ああっ?! ちょっと待て、矢車連れてけよっ! あっちで動けなくなってるから!」
「嫌ですよ。犬以下のクズなど役に立たない。処分はそちらに一任しますので御勝手に」
「ふざけんなテメェっ! どう考えてもオレにぶん投げられる案件だろうがっ!」
「でしょうな、頑張って下さい。御多幸のほど、祈っておりますよぉ、っと」
「テメェ、首根っこ捕まえて五車に引き摺り戻したら、骸佐と一緒にコキ使ってやるから覚悟しとけよぅ、クソがぁっ!!」
「ははは、これは本気を出さねばなりませんな。では、これにて」
これから己が身に降り掛かる想像してか、涙声の悪態は虚しく洞窟に残響したが、権左は全く取り合わずに再び地中へと潜降した。
いいようにやられたのだ。これくらいの負け惜しみと苦労の押しつけをしてやってもバチは当たるまい。
体よく矢車の処分を押し付けた権左は、尚之助を肩に抱えながら泳ぐように移動する。
無明の闇に閉ざされた地中を慣れた様子で真っ直ぐと。何の目印もない土中はただ真っ直ぐ進むだけでも困難であろうにこれだ。回遊魚や渡り鳥レベルの方向感覚を備えているらしい。
「権左殿……」
「どうした、尚之助」
「久方ぶりに小太郎様に会い、一つ確信致しました。私は――――――――」
「…………今の言葉は、聞かなかったことにしてやる。お前の言ったことは正しいよ。だが、骸佐様への背信に等しいからな」
「……分かり、ました。ですが、もう一つだけ恥を忍んでお願いがあります」
「あぁ?」
土中では相手の声だけが聞こえ、表情までは見られない。
それでも権左には尚之助がどのような思いで呟いた言葉であったのか、痛いほど理解できた。
だが、看過できぬ言葉というものはある。況して、二車を背負って立つ幹部が決して口にしていい言葉ではない。
なおも聞き流したのは、尚之助を信頼しているからだ。
背信に等しい思いを抱こうとも決して裏切らない男であると、同じ男として心から信じている。これまで彼が築いてきた信頼とこれまで己の目にしてきた行動が全てだと言葉にするまでもなく語るように。
そして、再び口を開いた尚之助の願いに、権左は首を傾げるのであった。
新型機のペットネームはどれがいいですか? 感想の中から作者が独断と偏見で選びました。地獄へお届け(デリバリーヘル、略してデリヘル)は色々な意味で面白すぎるので出禁で
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白兎(いつも忙しそうなので)
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夜梟(機体の静粛性能から)
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影狼&蜃気楼(苦労と九郎で)
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飛梅(完全和製)
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蜂鳥(ホバリングとそれなりの速度から)