境界線を抜けた先に待ち構えていた光景は、何とも穏やかなものだった。
日本では決して見られない広大な草原。
足首までの高さの草が生え揃い、遠くには霞のような薄雲を纏った霊峰がいくつも連なっている。
日は傾いて、草原も山肌も薄紅に染め上がり、物語のワンシーンを抜き取ったかのようだ。
溜息が出るほど美しい光景だが、元々の居た場所は東京キングダムの倉庫内だった。
その内側に展開された結界魔術がこれほどの規模の空間を再現しているならば、美しさ見惚れるよりも緊張感が嫌でも高まる。
頬を撫でる優しい風も、鼻孔を擽る若草の香りも、気を緩めるには至らない。
「また広い場所に出たわね」
「何の道標もない。こっちの体力を削るつもり?」
「それなら使い魔を使った方が手っ取り早い。誘っているのか、試しているのか」
「私を見つけてみせろ、ということ?」
「だろうよ。遊んでやがるな」
夕日の輝きに目を細めていた三人は、周囲を見回すも敵どころか何かの気配すらない。
気配の無さはいっそ薄気味悪さすらあるほどだ。この規模の草原で、鳥や虫の気配すら感じ取れない。再現を怠ったのか、演出のつもりなのか。潜んでいる魔女の意図の読め無さは正にトリックスターの名に相応しい。
結局、それぞれではどうすべきなのかの判断できなかったのか、最終的には小太郎に揃って視線を向ける。
魔術に関しての知識を持っているのは他に居らず、同時に隊長である彼の意向を聞くつもりであった。
(これは、まさか……成程、本格的に遊んでるな。面倒な魔女だ。まあ、魔女なんて人種に面倒じゃない奴なんていないだろうが)
「小太郎……?」
「取り敢えず、山の方向に向かう。凜花と獅子神は先行してくれ、途中で川を見つけたら教えてくれ。後詰めはオレと鬼崎でやる」
「分かったわ。でも、どうして山に? それから川も……?」
「進みながら話す」
周囲の光景に眉を顰めるばかりで反応のなかった小太郎に、凜花は怪我が尾を引いているのではないか、と心配を向ける。
しかし、彼女の杞憂を取り払うように小太郎は静かに指示を出し、先に進むよう顎を使って促した。
小太郎は怪我の影響から反応しなかったのではなく、瞳に映る光景に思う所があっただけ。
この情景は、エウリュアレーを調べていく過程で目を通した書物の中に拙い文章力で記されていたものと一致している。
それが意図するところに、エウリュアレーの目的が見え隠れしている事実に思考を巡らせていただけであった。
促されるまま自斎と凜花が足を進める。向かう先は遥か前方に聳えている山々であった。
「結界の中にある風景は術者が再現したものだ。記憶を元にしているのか、想像を元にしているのかの違いはあるが、共通するのは脳から引き出された情報ってとこ。つまり、必ず綻びがある」
「綻び……じゃあ、それが出やすいのが山や川なの?」
「後は海とかだな。山に分け入る、川を渡る、海に出る。それらはある種の異界へと足を踏み入れる行為だ。魔界側でも人界側でも共通の認識でもあり、魔術的に大きな意味を持つ」
「ああ、三途の川とか、カロンの渡守とかよく言うわよね」
「魔界側でも似たような認識があるらしい。だから、狙うなら其処だ」
人界には国は違えども似たような神話、似たような言い伝え、似たような認識が残っている。
ハイヌウェレ型神話、バナナ型神話。全く異なる神話の中にも伊邪那岐の黄泉下りとオルフェウスの冥府下りのような似たようなエピソードもある。
これらは死がもっと身近だった時代、人々がより長く生きるための智慧が神話という形で言い伝えられからだとも、精神の原型が同じだからとも言われている。
無論、魔界にも似たような話は残っている。
川は彼岸と此岸を隔てる役割を担い、山は神々の住まう場所故に妄りに踏み入るべきではなく、海の向こうは悪魔の住まう異界がある。
理論的に考えるのならば、川にせよ、山にせよ、海にせよ、文明が発展していなかった時代には近づくだけでも命を危険に晒される可能性があったからこその戒めであったのだろうが、文明が発展した今でも根強く共通の認識として人々の中に残っている。
この共通認識は魔術において時に強大な力を生み、時に致命的な綻びを生む。
例えば、人々に呪いの一品とされる物は、人々の思念や願望がこびり付き、魔術を行使する極めて優秀な触媒となる。
例えば、川などは現実と異界を隔てる境界線という認識は、術者本人の頭と心にこびり付いており、綻びとして現れ易くなる。
エウリュアレーほどの魔女であっても完全に綻びは消しきれない。
どれほど高度な仮想現実にもバグが発生してしまうように、完璧な結界魔術であったとしても術者の記憶や想像が完璧でない以上、綻びは必ず生じる。
その綻びが現れやすいのが境界線の共通認識である川・山・海。優秀な術者ほど、そういったものの再現を避けるものだが、エウリュアレーは例外中の例外。多大な慢心とも取れるが、絶大な実力を有していることも確かであった。
「……本当に身体は大丈夫なの?」
「問題ない。そっちこそどうなんだ」
「普通の対魔忍と一緒にしないで。私はママの血を引いてるのよ。知ってるでしょ?」
「そうかい、そいつは失礼。重畳だ」
小太郎は先行した自斎と凜花の後に続きながら、声を掛けてきたきららに視線を向ける。
二人に聞こえぬように会話をしていたが、警戒を下げてはいない。先を進む二人の進行方向の状況を探る役割も重要だが、後方からの奇襲に備える事もまた重要なのだから。
僅かに疑るような視線を向けるきららに、必要な分だけ事実を伝える。言葉の頭に『今は』を付けなかっただけで、決して嘘は吐いてはいない。
余計な事実を伝えて士気を下げる必要はない。現状であれば、三人のいずれも無意味な暴走は控えるだろう。
だが、正しく事実を伝えてしまえばどうなるか。時間制限が設けられてしまえば、焦りからそれこそ暴発しかねない。黙っていた方が得策、という判断であった。
「私達のこと調べた、って言ってたわよね……?」
「ああ。だが安心しろ。あくまでも能力や関わった任務や過去に関してだけだ。興味のないプライベートに首を突っ込んじゃいない」
「べ、別にそういうことを言いたいんじゃなくて……」
生来の気の強さを取り戻しかけていたきららの問いに、小太郎は冷ややかに返した。
多少マシになったとは言え、男嫌いは健在だ。彼女の抱えた問題は単純だが根が深い。一朝一夕で改善されるものではないだろう。
嫌悪を抱く人間に自身を探られるなど、不快感を抱いても何ら不思議ではない。また噛みつかれるのは面倒だ、と取り付く島もない態度をとったが、返ってきたのは意外な反応だった。
これまでの言動やら態度が頭の中で再生でもされているのか、見ていて可哀想になるほどしどろもどろになっている。
無理もない。彼女は彼女なりに反省はしているが、これまで男とまともに会話してきた事すらない。どういう態度で接すればいいのか、示せばいいのかも分からないのだ。
針の筵に座っている気持ちだろうが努力を怠るつもりはないらしく、しおらしいとすら言える様子で口を開く。
「……なら、私の
「………………」
「な、何よ、その目……」
「いや、別に」
耳にした言葉に、少なからず驚きの感情を漏らして視線を向ける。
彼女の言葉通り、忍法についても調べは付いていた。
対魔忍の忍法は五車のデータベースに保管されており、特定の者以外にはアクセスが不可能となっているが、独立遊撃部隊を設立するに当たって今まで組んだ事のない対魔忍と組まざるを得ない状況を見越し、アサギからアクセス権限をもぎ取っていた。
無論、全ての対魔忍がありのままの情報を提出しているとは限らないが、情報源の一つとして有用だった。後は、己の手足を使って地道に調べ上げて情報の信頼性と価値を上げればいい。
その結果、見えてきたのは彼女の忍法に対する思い。
きららにとって冷気を操る能力が母から引き継いだ誇りそのものだとしたら、発現した忍法は父の血から目覚めた忌まわしいものという価値観であった。
忍法は文字通りにピンからキリまである。五行思想に則った基本的なもの、戦闘においてのみ強力無比な効果を発揮するもの。逆に自身の身を危険に晒すものもあれば、何故と思うほど無意味なものまで。
きららの目覚めた忍法は派手さこそないが、あらゆる状況において効果を発揮する。効果は単純、故に厄介。応用も効けば、使い途も多岐に渡る。正に忍らしい忍法と言えよう。
しかし、これまでの任務において忍法を使った記録はなく、人の口にも話題に上がらず、誰も知らない。
意図して忍法を行使せず、誰にも明かさない姿勢は、彼女の父親に対する複雑な感情が透けて見えてくるかのようだ。
そんな忍法を明かすということは、これまでの姿勢を今は翻そうとしているも同然。きららも考え抜いた末の決断であった。
「正直、意外ではあるがな。いいのか、それで?」
「そりゃ、色々思う所はあるけど……君には迷惑を掛けたし、また都合が良いって言われるかもしれないけど、信じ、られるし……」
「そうか。まあ、都合が良い云々やら言いたい事はあるが置いておくとして……それで有効な使い途を思いつかない、と」
「……うぐぅっ……はい、その通りですぅ……」
見様によっては精神的な成長を果たして新たな一歩を踏み出した姿とも、風見鶏のように簡単に意見を変えたとも思える姿。
それでもなお小太郎は前者として好意的に捉える事にした。
口先ばかりで何もしようとしない人間よりも、どのような結果になるとしても覚悟の上で行動を起こす人間であれば、まだマシ。彼自身が語ったように、失敗を取り戻す、責任を取るための地味で全うなものという考えとも合致している。
問題があるとするのなら、きらら自身が忍法の有効な使い途を全く考えられていなかった事か。
きららは真を突く指摘に、顔を赤らめて肩を落とした。覚悟を決め、決断を下したというのにこれでは情けないやら恥ずかしいやら。
仕方ないと言えば仕方ない。異能そのものの忍法とて道具や技能と同じ。使えば使うほどに練度が上がり、新たな着想を得る。これまで使ってこなかった以上、練度は冷気を操るそれに比べて大きく劣るどころかゼロだ。
実戦でいきなり使用するには不安しかなく、巧く使えるとも思えない。結果、きららが下した決断は素直に頼ることだった。
失敗に失敗を重ねた今は、恥も外聞も男嫌いもありはしない。今は生き残って任務を達成する事が最優先。それを実現可能だと思わせるだけの何かが小太郎にはあった。
これまでの行動で自分を信じて貰えるとは思わない。都合の良いことは百も承知。それでも、まずは自分が信じてみなければ始まらない。
至極全うな結論であったが、それこそが信頼関係を築く第一歩であり、失敗を取り戻すための道でもある。彼女は今、その道を歩み始めたのだ。
「先にも言ったが、オレはお前らが思った通りに動かない事を想定して作戦行動を組む。それを理解した上で言ってるんだよな?」
「……分かってる。仕方ないし、当たり前だと思ってるから。でも……」
「ならいい。幸い、お前の忍法が最大限効果を発揮するためのカードは揃ってる。使うべき場面がくれば、お前でも自ずと分かる」
「そ、それだけ?」
「それ以上は言えないんだよ。この会話も聞かれてる可能性があるからな。まあ、お前の忍法はバレても十分に効果を発揮するタイプだ。その辺りを――――」
「…………え? えっ? 私の忍法、相手にバレちゃったら意味なくない???」
「――――すまん、オレが悪かった。指示は出す。黙って従ってくれ」
「そ、そう……よかったぁ~~~」
(不安しかねぇ~~~~~)
頭の上にハテナマークを飛ばしまくるきららに、小太郎は思わず片手で顔を覆う。
きららの忍法に関する評価は最上級。
いっそ自分が使えたら良かったのにと思うほど、ないものねだりをしない彼にしては珍しい評価を下している。
物理的な破壊力を伴わず、派手さは欠片もない。
戦闘能力のみを評価しがちな対魔忍、特に若者ならば発現した所で何の魅力も感じないに違いない。
だが、彼女の忍法は戦闘は勿論の事、潜入や調査のみならず、ありとらゆる場面で効果を発揮する。また、相手に手の内がバレたとしても何ら問題はなく、災禍の邪眼のように極端なデメリットもない。恐ろしいほどの汎用性の高さを秘めている。
ただ、考えなしでも使えるが、最大限の効果を発揮するには相手の思考や心理を読み切らねばならない。
生憎ときららは真価に全く気づいていない様子。これでは宝の持ち腐れも甚だしい。
本来、自分の忍法くらい自分で運用して貰いたいところであるが、これまで使ってこなかった以上は不安を煽る姿も当然の結果。
きららと関わり合いになるなど今回限りと涙を飲み、タイミングも使い方も己が決めると割り切った。
「――――隊長、川が」
「そうか。当たりだ」
「何、あれ。川の周りが……」
「アレが綻びだ。エウリュアレーが待ち構えてる最奥部まで一気に跳べる」
先行していた自斎が足を止めて指差した先には、確かに小川が存在していた。
しかし、凜花が漏らしたように様子がおかしい。蜃気楼に飲まれているかのように揺らめき、歪んでいる。
これまでの境界線は人の目では何らおかしいところは見当たらなかった。足を踏み込まねば、何処までも奥行きのある空間が続いているかのようであったが、今回は違う。
川の周囲に存在している揺らめきこそが記憶と想像の限界であり、張り巡らされた結界の綻び。
先に待つは目的も分からず、ただただ己の悦と楽を究めんとするトリックスター、エウリュアレー。
結界の内部に再現された時刻は逢魔ヶ刻。
其処にいる彼が誰なのかよく分からず、皆正体を見失う時。
大きな災禍を被るであろうと信じられてきた時間帯は、魔女と鬼と神と人とが交わる異界には相応しく、誰にも予期できない結末を暗示しているかのようだった。
新型機のペットネームはどれがいいですか? 感想の中から作者が独断と偏見で選びました。地獄へお届け(デリバリーヘル、略してデリヘル)は色々な意味で面白すぎるので出禁で
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白兎(いつも忙しそうなので)
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夜梟(機体の静粛性能から)
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影狼&蜃気楼(苦労と九郎で)
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飛梅(完全和製)
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蜂鳥(ホバリングとそれなりの速度から)