対魔忍RPG 苦労人爆裂記   作:HK416

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新イベントが開催中。
うーん、今回の配布は自然、超人、魔族と来たから精神辺りかなぁ、と思っていたのだがまさかの自然で若さくらとはな。目論見が外れた。こちとら精神のアタッカーが災禍さんとラスタしかいねぇから期待してたのに! オーガどうやって倒せばいいんだよぉ!

そして、ガチャはスネークレディか。ふたなりは興味が無いので食指が動かないが、魔族の単体超特大威力持ち欲しい不具合。如何に対処すべきか……!

そして今回は色々な前振り回。
感想の方でも書きましたが、エロは回想モードと称してR-18の方でやりますのでご容赦を。では、どぞー。




苦労人の周りには覚悟がガンギマリしてる女しか存在しない

 

 

 

 

 

 魔都・東京。

 闇の存在が影に潜み、今こうしている間にも罪のない人々を汚泥の中へと引きずり込もうと暗躍する日本の首都。

 夜を照らす綺羅びやかなネオンの数々は、まるで誘蛾灯のよう。闇の存在が齎す快楽は、日常に飽いた人間にとっては途方もない誘惑となって襲い掛かる。

 誘惑の声はそこかしこ。しかし、無力であるが故に真面目な彼等は手を出さずに帰路に付き、闇の存在を認知するには至らない。

 

 

「三日も寝てたのか。あのホモ野郎、もっとまともなもんを寄越しやがれってんだ」

 

「まあ、仕方ありませんな。所詮、当面の目的が一致しているだけの間柄。互いの尾を喰む蛇として腹の探り合いと出し抜き合いと行きましょう」

 

「だな。アサギの排除というこっちの第一目標は失敗に終わった。尤も、あのホモ野郎にとってはブラックに褒めて貰う事が最終目標。そのためにオレを利用した。なら、のらりくらり要求を躱しながら、こっちの最終目標を達成するまで物資も支援も引き出せるだけ引き出して利用してやるまでだ」

 

 

 日常と非日常が危ういバランスで交差する街の中。

 日常から切り離され、非日常そのものと言える闇の歓楽街にもノマド傘下のクラブがある。

 

 ノマドは表向きには様々な分野を手掛ける多国籍複合企業であるが、裏の顔は魑魅魍魎の跋扈する闇の世界の大部分を担い、統括する組織。

 エドウィン・ブラックを頂点とし、アサギの宿敵・朧などが脇を固める対魔忍が最も危険視する存在でもある。こうした歓楽街にある大小様々な組織は大抵ノマドに上納金を支払っており、建物などの権利も明け渡している。

 無論、このクラブも真っ当なものではない。裏では魔界技術で改造・調教を行った奴隷娼婦が性サービスを提供し、上客であれば魔薬をも売り捌く反吐が出るようなクズと餌の溜まり場だ。

 

 その地下を骸佐と権左は現状を再確認しながら、歩を進めていた。

 

 フュルストに対する悪意満点のプレゼントに巻き込まれた骸佐であったが、爆発の瞬間に己の忍法を発動させて咄嗟に身を守った。

 そこまでやるかという驚きと、あいつならやるという奇妙な信頼を抱きながら、骸佐はフュルストに提供された魔薬の副作用、アサギとの戦闘によって生まれた消耗から意識を失い、現在に至る。

 

 

「それで、こっちには何人付いてきた」

 

「二車の者はほぼ全て。他家のふうま一門が一部。全く関係がないながらも賛同をした連中も少々。総勢で二百五十一名、骸佐様をお待ちです」

 

「ふん。予想よりも数が少ないな。それほどアサギが恐ろしいという訳だ。それに、オレを本当の意味で待っているのは、お前みたいに今回の反乱の目的を全て知った上で納得した連中だけだろうが。残りの連中は頭の湯だった阿呆どもだ」

 

「ですなぁ。特に、ふうま一門と関係のない連中は酷い。反乱に乗ったのも、全ては自分が好き放題にできるから。倫理もなければ我慢もできない。正真正銘の社会不適合者どもです」

 

「あぁ? お前みたいにか?」

 

「元ですよ元。その辺り、幻庵殿にしこたま叩き込まれたもので。性根は変わりませんでしたが、倫理を理解して添える上、我慢も十分に出来ますとも」

 

 

 今、現状の立ち位置と戦力を簡易的に確認しながらも、骸佐は冗談を飛ばし、権左は肩を竦めて笑う。

 二人の関係性は、紅と権左のそれと似る。主従という関係性は崩さないが、精神的には兄弟の近い。

 対魔忍の極一部から差し向けられる刺客、二車家の失脚を狙う策謀を、共に手を取り合い潜り抜けてきた。骸佐は権左に全幅の信頼を寄せ、権左は骸佐を自らの主に相応しいと認めていた。

 

 そして、二人の会話から察するに、反乱自体は本来の目的に至る手段の一つに過ぎないようだ。

 アサギの排除に関してもまた同様。しかも、成功しようが失敗しようが大局的には影響を与えない事が伺える。

 

 

「それで? ふうま一門なら使えそうな奴は目を付けちゃいるが、それ以外の連中で使えそうな奴は居たか?」

 

「まあ、何人か。元々対魔忍内部で問題視されていましたが、能力に関しては使いようがある女が一人。条件を飲めば遮二無二働きそうな女が一人、此方はまだ事情も理解できますし、使えそうです」

 

「よし。それだけでも御の字だ。前者はクズ共と一緒にフュルストからの要求で使い潰せ。我欲に塗れた馬鹿どもは要らん。後者はオレが直接話を聞く」

 

 

 何にせよ、骸佐にとって今回の反乱に本気で乗った者も、自身の利益追求から乗った者も等しく現状が見えていない愚か者に過ぎないようだ。

 事情がある故に乗ったのであれば、まず話を聞く。嘘か真かは目を見れば分かる。納得できたのであれば、恩を売る。そうして、今まで当主として家を守り、部下から信頼を勝ち取ってきた。状況が変わった今もやる事にもやれる事にも変化などはなく、直向きに続けていくしかないと彼は知っていた。

 

 

「――――しかし、まさかアイツがあんな事をしているとはな」

 

「すっかりと騙されたものです。当主として根回しをしていたのは知っていましたが、自身の手を汚す仕事まで熟しているとは、頭が下がる思いですよ」

 

「…………オレは、それどころじゃないがな」

 

 

 決定的な決別。別れの最後の瞬間に自身の正体を明かした小太郎を思い、骸佐はギリと憎しみから歯噛みした。

 それは小太郎に対する憎しみではなく、彼の背後に居る者に対する憎しみであり、己に対するものでもあった。

 

 しかし、次第に彼の表情は、あらゆる邪悪を見逃さぬ不動明王のように険しくも決意に溢れた男の顔へと変化していく。憎悪も悔恨も、思考にさえ介さねば強い原動力だ。

 

 今、この場に立っている理由。

 次代の当主を選定するまでの間、対魔忍への憎しみと怒りさえ押さえていれば、それなりの生活と立場を保証されていただろう。

 紅との間には会話があった。かつてのように無邪気にとは行かなかったが、自らの立場というものを忘れさせるものであった。……巧くすれば、いずれは小太郎とも。

 その全てを捨て去ってでも、達成しなければならない目的がある。ただ一人残された二車家の正統後継者として、成し遂げなければならない事柄が、確かにあった。

 

 ()()()ふうま一門の再興。それこそが、嘘偽りのない彼の願いであり、本心である。

 

 

「権左、地獄の底まで共にしろ」

 

「言われるまでもなく。この身は槍なれば主人の身を守り、敵を穿つが務め。錆付き折れ果てるまで、共にありましょう。それから、御母堂ですが……」

 

「…………言った筈だ、捨て置け。どの道、連れてきたところで足手纏い以外の何者でもないし、鬱陶しいだけだからな」

 

「……よろしいので? アサギは兎も角、己の感情も御せない者共に襲われかねませんが」

 

「ハッ! 正義と誇りしかない対魔忍の脳無しどもより、アイツの方がずっと早く動くさ」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「…………はぁ」

 

 

 五車学園の屋上で水城 ゆきかぜは給水タンクの上で座りながら溜息を吐いていた。

 普段の勝ち気さと負けず嫌いは失われ、傍目から見ても気落ちしているのが分かるほどだ。

 

 ゆきかぜという少女はよく怒り、よく笑う。正の感情を隠さず、負の感情を押し殺す。

 周囲からは明るい少女と思われているし、ゆきかぜ自身もそう感じていたのだが、今は違う。

 

 授業を休んだ事のないゆきかぜは、今日はやる気も起きずにサボりを決め込んでいた。

 自分の感情に正直で、自分の実力を信じている彼女は周囲を見下している節があるものの、それは強者が弱者を守らねばならないという真っ当な考えと高い自負心から来るもので、魔族のそれとは少しばかり形が違う。

 そして、より多くを守るためには実力を身に着けるのが最短距離と信じており、授業に対する取り組み姿勢はうぬぼれとは結びつかないほどに真面目。

 そんなゆきかぜが授業をサボるなど、今頃教室では同級生達がザワついている事だろう。

 

 

「……私、小太兄の事、何にも知らなかったんだ」

 

 

 両手で抱えていた膝に顔を埋め、ポツリと漏らした言葉が、ゆきかぜが気落ちしている何よりの原因であった。

 

 小太郎との出会いは何時だったか。

 少なくともゆきかぜが覚えているのは、幼い時分に母である不知火に連れられ、アサギの家へと挨拶に伺った時だ。

 いずれは水城家を受け継ぐ立場となる故に、早い段階で顔合わせをしておくのが、対魔忍の通例であったからだ。

 

 相手はあのアサギ。ゆきかぜが生まれる以前から闇の者と戦い続け、常に勝利してきた正真正銘の最強。

 何時も外で遊び回り、人見知りなどしない幼いゆきかぜであっても緊張する相手であり、硬い表情と足取りに手を引いていた不知火も苦笑を漏らすほどだった。

 

 扉を開けて現れたアサギに抱いた印象は、自分とは全く別の生き物というもの。

 柔和な笑みで打ち消されていたが、醸し出される雰囲気と隠しきれない死の臭いに一層緊張したが、ゆきかぜの胸の内に沸いたのは素直な尊敬と喜びだ。

 未熟な自分でさえ一目で分かるほど鍛え抜いた身体と技。死の臭いがこびり着いてはなれないほど潜り抜いた死線の多さ。自他共の厳しくも、正義と誇りを胸に無辜の人々の生活を守ってきた姿に、アサギの下でいずれ戦う幸運に身を震わせた。

 

 正直な所、その場で興奮して何を言ったのかは覚えていない。

 大人二人は笑っており、酷く恥ずかしい思いをしたのだから、きっと身の程を弁えない発言でもしたのだろう。

 その後、何度か言葉を交わすとアサギは家の中に向かって誰かの名を呼んでいた。

 

 

『小太郎……小太郎っ!』

 

『――――何?』

 

『貴方も挨拶なさい。同い年だけど、貴方の方が少しだけお兄さんよ』

 

『………………』

 

 

 呼ばれて現れた自分と同い年の少年に抱いた印象は、アサギと同じく自分とは全く別の生き物というもの。

 但し、アサギに抱いた強さ故の畏敬であったが、少年に対して抱いたのは異質さ故の恐怖からであった。

 

 アサギに言われるがまま、隣に立ってペコリと会釈をするだけで挨拶も何もなかったが、会釈をしている事自体、ゆきかぜには驚きだった。

 

 まるで現実に穿たれた穴のような少年だった。

 人の形をしている癖に、人間と相対している気がしない。これなら人形の方がまだ人に近い。

 能面のような無表情に、深い黒瞳に宿っているのは虚無。まるで底のない深淵を覗き込むような気分にさせる異常性。

 

 ゆきかぜは悲鳴を押し殺すのに必死だった。

 見た目が人そのものであった故に、不気味さが増している。これで見た目も怪物然としていたのならば、其処まで恐怖を生み出さなかっただろう。

 何も知らないゆきかぜが異常性を理解できてしまうほど――――いや、何も知らないゆきかぜだからこそ、小太郎の精神性(なかみ)が人のそれとは全く異なっていることを見抜いた。

 

 無意識の内に、自身を守ってくれる母の影に隠れていたゆきかぜに、小太郎は相変わらずの無表情で品定めでもするかのような視線を送るばかり。

 そんな彼の様子に呆れ返るアサギと憐憫の表情を浮かべる不知火に、ゆきかぜは素直に脱帽した。怪物を人と同様に扱うなど、怪物を恐れていない証明に他ならない。

 

 不躾な態度のままの小太郎に、アサギは頭にゲンコツを振り下ろす。

 かなり良い音がした。少なくとも自分がやられれば泣いてしまうと幼心に感じたが、小太郎はアサギを横目で眺めるばかり。

 次に反応らしい反応を見せたのは、暫く経ってから。彼は大きく溜息を吐くと一歩踏み出して片手を差し出した。

 

 

『よろしく』

 

 

 差し伸ばされた手と言葉に、自分は何をされているのか分からなかった。

 脚にしがみついたまま硬直してしまったゆきかぜは、不知火に促されてようやく前に出た。

 

 人の形をしているだけの怪物が、人の真似事をしている事実に驚いたものの、分かったのは一つだけ。己の異質さを理解して、彼なりに歩み寄ろうとしていた事だ。

 恐る恐る差し出された手を取れば、無機質な冷たさは皆無で、血の通った暖かさがあった。

 

 それが、小太郎との出会いだ。

 

 以後、アサギと不知火の提案もあり、顔を合わせる機会がよくあった。

 その度に、ゆきかぜは異常さの中に確かに存在する人間性を垣間見て、次第に惹かれていった。

 彼の品定めするような猜疑の視線は人をよく見ている裏返し。隠し事はバレてしまうが気遣いに助けられた事は一度や二度ではない。

 第一印象が最悪だったからこそ同じ人間なんだと知る過程は、ゆきかぜを恋する乙女に変えてゆくには十分過ぎた。

 

 彼の動作一つに目を引かれ、彼の言葉一つに一喜一憂する。

 次第に自分と同じ顔をしている紅や凜子にも気付き、今の関係と相成った。

 自分よりも長い時を過ごしたアサギや災禍、天音、同じ人を好きになった紅や凜子に思いの強さで負けるつもりはなく、誰よりも小太郎を見てきたと自負していたゆきかぜであったが――――結局の所、それも一部分に過ぎなかったのだ。

 

 独立遊撃部隊に配属されるに当たってアサギから聞かされた小太郎の事実を聞き、ゆきかぜが覚えたのは自身に対する落胆であった。

 身を焦がすほどに、歯痛のように片時も忘れずに小太郎を思っていた筈なのに、真実には程遠い。真実を隠していた小太郎に対する怒りよりも見たい所だけを見ていただけの自分に何よりも失望した。

 

 

「――――ううん、落ち込んでいる暇なんかない」

 

 

 考え方を変えよう、と落ち込んだ気持ちを心機一転押し上げる。

 恋した相手を見誤っていた愚かな過去は変えられない。ならばせめて、これから歩む未来は別のものにしようと誓う。

 見たいところだけを見て納得などしない。知らないところをそのままにせずに問い続ける。疑われていると邪推されようが関係はない。小太郎のあるがままを見せて貰おう。あるがままの彼がどのようなものであったとしても、嫌いになることだけはないと自信があるから。

 

 給水タンクの上で立ち上がり、パンと両頬を打つ。それだけで気持ちは切り替わり、己の情けなさなどどうでもよくなった。

 単純だと笑いたければ笑えばいい。それでもなお、これは覚悟だと胸を張るだけ。その意地を最後まで張り続ける。

 

 

「此処に居たか、ゆきかぜ」

 

 

 乙女らしい覚悟を決めたゆきかぜに声を掛けたのは屋上へとやってきた凜子であり、その瞳にはゆきかぜに勝るとも劣らない覚悟の光を宿していた。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 五車学園の廊下を秋山 凜子は眉間に皺を寄せながら歩いていた。

 普段の冷静沈着さと優しさは失われ、傍目から見ても腹を立てている。

 

 凜子という少女は生来の人当たりの良さ故に気づき難いが、極力感情を表に出さない。

 周囲からは厳しくも優しい少女と思われているし、凜子自身は無我を一つの境地としている逸刀流の教えに忠実であったが、今は違う。

 

 授業中に廊下を移動しているにも拘わらず、後輩同窓先輩教師に至るまで誰も彼女に声を掛けないのは、誰の目から見ても明らかなほど彼女が憤っていたからだ。

 今の彼女は般若のような威圧感を発しており、事実として朝から誰にも声を掛けられていない。新世代の対魔忍として注目を集める彼女が怒り心頭であれば、恐ろしさは誰でも抱こう。

 授業をサボりながらも止められないのはそういう理由であり、関係のない第三者はきっと任務だと己を納得させて目を逸らし、好き放題に憶測の言葉を交わしていた。

 そうした身勝手な憶測を重ねる視線と言葉に凜子は一切気にかけず、更に憤りを募らせる。

 

 

(小太郎の薄情者。馬鹿め………馬鹿馬鹿馬鹿ッ!)

 

 

 自身でも理不尽で見当違いだと理解できているのに納得できない現実に、凜子が憤る何よりの原因があった。 

 

 小太郎との出会いは何時だったか。

 少なくとも凜子が覚えているのは、自宅の道場で門下生の中に混じりながら稽古に一切参加しない彼を見つけた時だった。

 今は亡き両親も当時は健在であり、夫婦二人三脚で対魔忍に伝わる剣術の主流、逸刀流の元締めとして門下の指導に当たっており、いずれ秋山家を受け継ぐ立場となる故に、幼い頃から稽古に参加していた。

 

 アサギもまた逸刀流を修めており、凜子の両親とも面識があった。

 凜子には何も聞かされていなかったものの、現役の当主に対する顔合わせ、多くの対魔忍に対する顔見せ、更には一族から離されて環境の変わった小太郎の気晴らしを含めてアサギが道場へと送り込み、凜子の両親は快諾した。

 

 正直な所、彼の境遇に対する両親の同情や憐憫に反比例して、小太郎への門下生の心証は決していいものではなかった。

 自分達が必死に鍛錬を積んでいる中、道場の隅で正座のまま鍛錬を眺めているだけ。鍛錬の辛さから不満も募れば、同年代が必死になっていれば怠惰に見えよう。

 

 そして、凜子自身の心証も、最悪に近いものだった。

 

 飛び抜けた剣の才能を生まれ持った凜子が抱いた印象は、兎に角不気味さしか感じなかった。

 日がな一日、微動だにせず道場の中で鍛錬の様子を眺めている彼の行為は、凜子にしてみれば観察に他ならなかった。

 

 ただ見ているのではない、確かに観ている。ただ聞いているのではない、確かに聴いている。

 

 道場の中に居る人間全ての一挙一投足に注意を払い、神経を擦り減らし、他でもない敵として入念な観察をしていたのだ。

 凜子の目には、それは見取り稽古であり、敵の情報を入手する視察にしか映らず、ただひたすらに不気味であった。

 

 まるで昆虫のような機能の権化。

 ただそれだけの機能しか持たないかのような、人間として余りに欠落しているものが多過ぎる姿は奇異を通り越して異常だ。

 そもそも、何故そんな真似をする必要があるのか理解できない。門下生でないにせよ、将来は共に戦う仲間になる筈なのに。

 

 それから一週間後。

 門下生は不満を募らせ、凜子が小太郎の視線に気味と居心地の悪さに耐えられなくなる直前に、小太郎は立ち上がり、皆の前でこう告げた。

 

 

『帰ります。この技術はボクの才能じゃあ習得できそうもない――――それに、こんな方法じゃ、ボクには手緩(てぬる)すぎるから』

 

 

 その一言に、門下生の不満は爆発した。

 今の今まで見ているばかりで何もしなてこなかった小僧がどの口で。

 自身の腕にも、逸刀流に対しても誇りを持つ門下生達が、努力を嘲笑われるような一言を見逃せる筈もなく。

 怒号が飛び交い、ある者などは木刀を片手に襲い掛かろうとしたほどであった。

 

 父はそんな中、襲い掛かった門下生を一喝して止め、この有様に逆に精神面に対する教育の甘さを認めた上で自らの不徳と詫びた。

 そして、問うた。年端も行かぬ小太郎を対等の存在として、何が足りなかったのかと教えを請うように。

 

 

『だって、誰も死んでない。稽古が終わった後はへらへら笑っていられる。呼吸が出来なくなるまで、心臓が止まるまでやらなくちゃ意味がない。死んだとしても許しを与えずに鍛えるべきだ』

 

『いや、それは――――』

 

『何も違わない。敵を殺す技術を覚えているのに、誰も殺される覚悟をしていない。誰も殺されるなんて夢にも思っちゃいない。才能のないオレでは、そんなやり方を続けても死ぬまでの間に大成できないし、殺される方が早いので』

 

 

 父が続けようとした言葉を遮り、極当たり前のように余りにも苛烈な答えを返す。

 彼の言い分は間違っていた。およそ武術と呼ばれるものは弱者が身を護るために築き、発達した技術であり、根底にあるのはより長く生きるためという生き物として当然の願いだ。

 敵を殺す技術であるのは認めるが、それはあくまで過程であって目的は護身。苛烈過ぎる鍛錬は逆に肉体を破壊して寿命をすり減らし、護身の目的から外れてしまう。

 

 逸刀流の開祖から連綿と続いてきた教えを説こうとした父であったが、結局は何も言わずに小太郎を道場の外へと送っていった。

 あらゆる歯痒さを押し殺しながらも、或る意味においては正しいと認めた故だろう。結局、その出来事を堺に小太郎は道場を訪れる事はなくなった。

 

 凜子は素直に安堵した。

 父や逸刀流の教えに反した彼は間違っている。従えないのなら出ていくべきだ。彼が訪れてから道場の雰囲気は悪くなる一方だった。

 神聖な道場が彼の存在に侵される事もない。もう二度と会う事もない。会ったとしても会釈するだけの関係でいい。

 嫌いではないが、好きでもない。ただひたすらに不気味な彼とその程度の関係で居られると分かれば安堵の一つもしよう。しかし、凜子の心に一つの棘を残したのは確かであった。

 

 それから一切接触のなかった二人であったが、数ヵ月後に再会した。

 

 凜子は日増しに厳しくなっていく両親の指導に加え、自主訓練として始めた走り込みの最中に脚を挫いた。

 道の端で道着姿のまま蹲って痛みを堪えていたが、痛みは一向に引かずに途方に暮れていたのだが、其処に通りがかったのが小太郎だ。

 

 両手に包帯を巻き、薄汚れた格好は浮浪者のようだった。

 当時、既に対魔忍の隊長であったアサギの家で生活をしている筈の彼が、どうしてそのようなという気持ちはあったものの、それ以上に、こんな奴にこんなところを見られるなんて、という羞恥と屈辱の方が強く、とてもではないが助けを求める気分にはならない。

 何よりも、自主訓練を始めたのは元を正せば小太郎が凜子の心に残した棘にこそあった。道場での訓練が手緩いなどと言われて、次代の当主として引くに引けない。無理のない範囲で訓練を増やすのも無理はない。

 

 当時の凜子は小太郎に対して負の感情しか持っていない故に助けを求めるはずもなく、小太郎も凜子に対して無関心であった故にその場ですれ違うだけに終わるかと思われた。

 しかし、意外な事に小太郎は脚を止めると凜子に声を掛けてきた。印象の違いから驚きこそしたが、子供らしい意固地さから差し出された手を払い除けた。

 

 彼にとて感情はある。此処まですれば捨て置いて去っていく。

 

 そう踏んでいた凜子の考えは淡くも打ち砕かれる事となる。

 小太郎は助けもせず、かと言って去りもせず、黙ってその場に立って眺めて続けているばかり。

 彼が何をしたいのか全く理解できない凜子はさっさと行けと言うばかりであったが、日が暮れても微動だにしない小太郎に遂には折れ、盛大な溜息と共に助けを求める運びとなる。

 

 肩を借りても歩けない様子に、小太郎は黙って凜子を背負い、平然と歩き出した。

 彼の背中は助けられておいて何だが耐え難かった。ただでさえ嫌っている相手だというのに、薄汚れた彼の背中は獣の臭いがした。

 明らかに風呂にも入っていなければ、着替えもしていない。汗もそのまま、もしかしたら排泄物すら垂れ流していたかもしれない。

 

 不潔で不快な相手から逃げられず、それでもなお助けられている気まずさから、気がつけば凜子は口を開いて何処で何をやっていたのか問うていた。

 

 

『鍛錬だ』

 

 

 返ってきたのは、短い一言のみ。

 唖然とする他なかった。この姿、この状態を見れば分かる。最低でも一週間、人間らしい生活の一切を遮り、鍛錬にのみ打ち込んでいたのだと分かる。

 あの時、道場で放った一言は揶揄や嘲りではなく、小太郎にとっては紛うことなき事実であり、本心だった。

 食事も睡眠も排泄すらも頓着せず、下手を打てば死にかねないレベルに身体を虐め抜いてきたのだ。その証拠に、肩に置いた手から伝わる感触は、同年代の誰よりも、凜子以上に鍛え上げられていた。

 

 

『それから、お前は右脚を前に出すときに重心の移動が甘くなるから、早目に矯正しておいた方がいいんじゃない? だからこういうことになる』

 

 

 凜子自身も、師範代である父親ですらも見過ごしていた癖を指摘した。

 恐らくは、道場での稽古を眺めていた時に気付いていたのだろう。

 他者に対して不気味なほどの無関心さを維持しながらも、意外なほどよく見ている彼に驚愕と感心と呆然とが混ざりあった妙な気持ちになったのをよく覚えている。

 

 それが、小太郎との出会いだ。

 

 以後、凜子は向上心から小太郎の観察眼を頼るようになった。

 その度に、小太郎は珍しく嫌そうな顔をしていたものの、凜子の熱意に押し切られる形で助言を与えた。

 助言の効果は凄まじく、自己が強くなっていく過程の中で、信頼を抱くようになり、やがて信頼は恋心へと変わっていく。

 第一印象が最悪だったからこそ頼りになる存在なんだと知る過程は、凜子を恋する乙女に変えてゆくには十分過ぎた。

 

 彼の動作一つに目を引かれ、彼の言葉一つに一喜一憂する。

 次第に自分と同じ顔をしている紅やゆきかぜにも気付き、今の関係と相成った。

 自分よりも長い時を過ごしたアサギや災禍、天音、同じ人を好きになった紅やゆきかぜに思いの強さで負けるつもりはなく、誰よりも小太郎を見てきたと自負していた凜子であったが――――結局の所、それも一部分に過ぎなかったのだ。

 

 独立遊撃部隊に配属されるに当たってアサギから聞かされた小太郎の事実を聞き、凜子が覚えたのは自身に対する怒りであった。

 身を焦がすほどに、歯痛のように片時も忘れずに小太郎を思っていた筈なのに、真実には程遠い。真実を隠していた小太郎に対する怒りよりも見たい所だけを見ていただけの自分に何よりも腹を立てた。

 

 

「――――今度は、見落とさないからな」

 

 

 考え方を変え、怒りの感情が高ぶっていくのを抑える。

 恋した相手を見誤っていた愚かな過去は変えられない。ならばせめて、次こそは見落とすまいと誓う。

 見たいところだけを見て納得などしない。知らないところをそのままにせずに問い続ける。疑われていると邪推されようが関係はない。小太郎のあるがままを見せて貰おう。あるがままの彼がどのようなものであったとしても、嫌いになることだけはないと自信があるから。

 

 屋上へと続く階段を登りきり、続いて扉を開ける。雲一つない青空を目にした時には、己に対する怒りなどどうでもよくなった。

 単純だと笑いたければ笑えばいい。それでもなお、これは覚悟だと胸を張るだけ。その意地を最後まで張り続ける。

 

 

「此処に居たか、ゆきかぜ」

 

 

 乙女らしい覚悟を決めた凜子が声を掛けたのは給水タンクの上に立ったゆきかぜであり、その瞳には凜子に勝るとも劣らない覚悟の光を宿していた。

 

 

「よっ、と。凜子先輩、紅先輩は……?」

 

「声を掛けておいた。もう直ぐ来るさ」

 

「そっかぁ、紅先輩も腹を括ってくれたんですね」

 

「いや、アレはどちらかと言えば、私達がそう口にしたから流されるままに、と言ったところではないか?」

 

 

 給水タンクから一息で飛び降りたゆきかぜは、猫のような身軽さで音もなく凜子の目の前に着地すると、待ちきれないとばかりに紅の名を口にして到着を今か今かと待ち侘びている。

 凜子はそんなゆきかぜを宥めながら、当人も隠しきれない期待と不安から右手で逆の二の腕を掴んでいた。

 

 紅を加え、二人は一体何をするつもりなのか。

 三人の共通点を考えれば、小太郎に関することだけは間違いはない。

 

 

「二人とも、待たせたな」

 

 

 そして、最後に現れた紅の瞳にも、二人と同様同質の光が宿っているのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

『若様、二車家の奥方と侍女の身柄を確保しました』

 

「ご苦労さん。天音は馬鹿やらかさなかっただろうな」

 

『天音が馬鹿をやるのは若様の前だけですよ。予定通り、二人はアサギに……?』

 

「ああ。骸佐の事だ、二人には何も伝えちゃいまい。頭の湯だった連中が手を出す前に安全を確保したかっただけ、手元に置いておく意味もない。アサギには二人を匿うように伝えてある。そのまま受け渡してくれ」

 

『承知致しました』

 

 

 五車町の外れに小太郎が住まう一軒家がある。

 秘書である災禍、執事である天音から引き離されていた彼には、ふうまの資産管理、運用も己の手で行わなければならないものであり、其処から出した金銭を使って購入した。

 とても学生の身分で購入できる規模の家ではないが、弾正が持ち出せずに残した資産は莫大であり、十年前の裏切り工作に乗った家に分割して渡しても十分過ぎる額が残っている。

 己の手元に残った資産を元手に、アサギの名を勝手に借りて株に手を出し、既に人生を三回は遊んで暮らせる金を手にしていた。尤も、そうして得た金は使用する銃と弾丸、爆薬の購入によって消えていってしまうが。

 

 家の居間は大きく、床のフローリングはワックス掛けがされて壁や天井にはシミ一つない。

 数ヶ月に一度接触が許されている災禍と天音が家の手入れをしているのだが、調度品は極端に少ない。

 居間の中央にはローテーブルが一つ、周囲三方囲むようにソファーセットが、空いた一方の先にテレビがあるだけで、当人の趣味が反映される小物や嗜好品の類は一切ない。

 他の部屋も同様で、家の大きさに反して生活感が欠如して寒々しさすらあったが、何時でも引き払える事を前提としている故だろう。

 

 災禍の報告が終わると同時に小型の通信機をテーブルの上に投げ捨てた。

 本来であれば現状二車家当主の役割を背負うべきは骸佐の母親であるが、十年前の内乱で夫と骸佐以外の子を失くし、正気を失って久しい。

 今回の反乱においても足手纏いになると判断され、置いていかれるのは目に見えていた。

 

 そうなれば、厄介なのは一部の対魔忍による正義感と誇りの暴走だ。尤も、小太郎にしてみれば単なる八つ当たりであるが。

 反乱の首謀者の母親が、反乱を起こされた側の本拠地に残っている。であれば、首謀者に対する悪感情はそのまま母親に向けられるであろうし、先走った者が粛清に走りかねない。

 

 粛清も当然と言えば当然であるが、現代倫理とアサギが旨とする理想からは外れている。

 何より母親にせよ、侍女にせよ、何の役にも立ちはしない。殺したところで意味のない者を殺すのは合理性に欠いており、生かしておいた方がまだ使い途がある。

 言わば、骸佐に対する釘であり軛だ。誰かの保護がなければ生きていけない母親ならば、骸佐の性格から保護しておいた方が得だろう。

 

 

(あの覚悟の決まりっぷりを考えれば万に一つに過ぎないが、ゼロになるよか幾分マシだな)

 

 

 母親が生きていれば骸佐が止まる可能性も多少は残るが、死んでしまえば骸佐にブレーキは消えてなくなり、止まる理由はなくなる。

 情による判断ではなく、あくまでも合理と理論の上での判断だ。其処に正気を失った母親に対する同情は欠片もなかった。

 

 取り敢えずは一段落ちついた小太郎は、机の上に広げられた古い書物や巻物に手を伸ばす。

 元々は弾正が溜め込んでいた書物であり、現在は災禍が管理を行っている。

 独立遊撃部隊の立ち上げに辺り、アサギは小太郎と災禍、天音の接触禁止を解除させていたため、昼間の内に持ってこさせたものだ。

 

 

(独立遊撃部隊立ち上げに当たって最大のネックは紅、ゆきかぜ、凜子の実戦不足と忍法の扱いの甘さ。災禍と天音はまだ使う気も起きるが、あの三人に関しちゃ使う気にもならん)

 

 

 才能のある三人の事、今後の伸び代に関しては学生の中でも最大の期待値を誇る。

 問題は現状だ。とてもではないが手足としてすら使えない、扱う気にならない。これまで自分が熟してきた任務ですら不可能だろうし、独立遊撃部隊というアサギの面倒案件丸投げ課では携わる任務の難易度は跳ね上がる。

 其処で三人に求めるのは、柔軟な思考と限界の把握、忍法の応用範囲向上だ。

 

 才能だけならば三人はアサギを超えている。

 

 ヴァンパイアハーフの身体能力と邪眼、風遁。更には幻庵仕込みの心願寺流を修めた紅。

 既に固有の武器を与えられ、高位魔族ですらも焼き払える火力を持つゆきかぜ。

 空遁の術と逸刀流の免許皆伝の腕前に加え、現状でも忍法の応用力が最も高い凜子。

 

 これ以上ない三人ではあるが、問題は戦いの何たるかを知らない事だ。

 魔族、米連との暗闘において、あらゆる行為は許容される。卑怯卑劣などという思考がそもそも愚かしく、単純な勝ち負けではなく任務達成こそが勝利条件。

 自身に何が出来て何が出来ないのか、自身の限界は何処なのか、限界を超えてしまった場合の判断は如何にすべきかを学んで貰わねば、とてもではないが実戦には連れていけない。才能や実力云々の話ではなく、扱われる者として最低限必要な思考なのだ。

 

 そして、戦いに特化し過ぎた能力を、他の方向にも伸ばす。

 幸い、才能だけならばピカ一の三人だ。キャパシティも他の者達とは比べ物にならず、使い方さえ提示してやれば必ず実現するだろう。

 

 

(そのために、まずはオレが三人の忍法の使い方を学ばないとな。弾正もちったぁ役に立つ。本人じゃなくて、本人が蒐集していたものだがな)

 

 

 持ってこさせた書物は風遁、雷遁、空遁に関して記述された書物。

 幸い、風遁、雷遁は使い手も多く、使用方法は多岐に渡る。空遁は使い手が少ないものの、空間を操る特性上、他の術に比べて応報範囲は極めて高い。

 戦闘のみならず、補助型の使い方――――潜入や情報収集は勿論の事、破壊工作にも撤退の手段としても使用できる。

 

 

(紅は風遁で情報収集、ゆきかぜは破壊工作、凜子は何でもござれ。凜子の負担はデカくなるが、能力のレアリティ上仕方ない――――――こんな時間に何だよ)

 

 

 独立遊撃部隊の運用を考えていた小太郎であったが、家のチャイムが鳴るよりも早く近づいてきた人間の気配を察した。

 小太郎宅周辺には他の邸宅はなく、近づいてくる人間は皆、小太郎に用があると見て間違いない。小太郎の命を狙ってか、身を案じてかは別として。

 

 コルトSAAに手を掛けたが、直ぐに書物へと視線を落とした。

 気配を殺していない以上は暗殺者ではない。ならば、誰か物好きが近づいてきているのだろうが、約束もしていない相手に応対する必要性もない。

 早々に居留守を決めた小太郎であるが、次の瞬間、目が丸くなった。

 

 

(――――は? いや、ガチャンて)

 

 

 明らかに玄関の鍵を外す音がした。

 

 あり得ない。この家の鍵は特別性だ。

 家と周辺には魔族の魔界技術、米連の最新技術による防衛機構。更には対魔忍の昔ながらな罠がふんだんに仕掛けてある。

 特に前者二つに関しては鍵自体に敵味方識別を行う信号装置が取り付けられているため、アサギに災禍、天音にしか渡していない。

 しかし、アサギにせよ、災禍にせよ、天音にせよ、この家に来る際は監視を警戒して、小太郎に連絡を入れる手筈になっていた。

 

 

(あの三人、鍵を落とした――――わけねぇか。いや、この気配は、マズいぃっ!)

 

 

 小太郎にしてみれば気の緩みきった三人であるが、鍵の重要性を理解していない訳でも、鍵を落として気が付かないほど間抜けでもない。

 何よりも、よく知っている気配に何があったのかを察し、慌ててテレビのリモコンに偽装した防衛機構のスイッチを押した。

 アサギにすら明かしていない事だが、この家の防衛機構には二種類ある。敵味方識別可能なものと相手が誰であれ、有無を言わさずに起動するものだ。だからこそ、先の三人には必ず連絡を入れておくようにしてあるのだ。

 

 間一髪のところでOFFになったが侵入者は知る由もなく、勝手知ったる我が家のように居間に向かってきている。

 最早、言葉を掛ける気にもならない。よく知った気配であったが、まさか此処までするものとは思わなかった。

 

 

「小太郎は居るなっ!」

 

「あぁ、こんばんは御三方。お帰りは今来た道だ。おやすみなさい」

 

 

 居間の襖を吹き飛ばさんばかりの勢いで開け放ったのは幼馴染の紅であり、その後ろにはゆきかぜと凜子の姿もある。

 天音は鍵自体を小太郎からの信頼の証として絶対に渡さないだろうが、アサギか、災禍ならば事情を話し、信頼に足ると判断すれば渡すに違いない。

 

 ひしひしと押し寄せる嫌な予感を受け流し、平静な態度でお帰りを願う。

 だが、三人は素っ気ない態度すらも気にせずに、何か意を決したように動かない。

 

 

「じゃあ、三人は好きなようにしてくれ。オレは寝る」

 

「待って。逃げないでよ、小太兄」

 

 

 頑として動かない三人に業を煮やし、小太郎はソファから立ち上がって寝室へと向かおうとしたが、ゆきかぜに遮られる。

 彼女の意思は強く固く、肩を掴んで退かそうとした小太郎ですらがたじろいだほどだ。

 

 暫くの間、睨み合いにも似た膠着が続いたものの、折れたのは小太郎の方だった。

 下手を打った。機を逸した。良くも悪くも女としての三人を舐めていたと認め、観念してソファへと戻って腰を下ろす。

 

 好きにしてくれ、と言わんばかりの態度に三人は目を見合わせて頷くと、テーブルを挟んで真正面に立つ。

 

 

「小太郎、私はお前が好きだっ! 私をお前のものにしてくれっ!」

 

 

 余りにも唐突な告白の台詞に、小太郎は唖然とした。

 

 いや、紅の好意には気付いていた。無論、ゆきかぜと凜子のそれもだ。世間一般で言うところの恋心に等しいものであることも分かっている。

 だからこそ、日常の中では素っ気ない態度を取り続けてきた。下手に距離を詰められても面倒だった。

 

 彼女達の恋心を利用し、自分に利益を齎す手もあっただろう。

 だが、対魔忍の倫理観は兎も角として、価値観や恋愛観と言ったものは一般のそれと変化はない。

 恋心を利用する下衆な人間なぞ、何処の世界でも敬遠されがちで返って自分の首を閉めかねない。一般的な価値観と恋愛観を想定した上で、不利益の方が大きいと判断しただけのこと。

 

 紅には幻庵からの頼みがあった。ゆきかぜと凜子は顔見知りだっただけ。

 別段、特別な感情など抱いていない。単なる幼馴染、それが小太郎の三人に対する結論だ。

 困っていたら助ける、誰かと同時に困っていたら優先する程度で、いないのならいないで構わない。彼女達の恋心には釣り合わない軽いものだった。

 

 しかし、だからと言って、過程から何からすっとばしていきなり告白されては、唖然とするだろう。

 

 どうだ、やってやったぞ、と言わんばかりの表情で背後の二人を振り返ってみた紅であったが、ゆきかぜは頭を抱え、凜子は片手で顔を覆っていた。二人にとってもこれは予想外であったようだ。 

 

 

「そっかぁ、紅先輩って、テンパっててもあんまり表情に出ないんだ」

 

「お前にしては妙に冷静だと思っていたんだが、そういう事か」

 

 

 よくよく見れば、紅の目はぐるぐると回っていて、明らかに冷静さから掛け離れていた。

 紅の思わぬポンコツぶりに、出鼻を挫かれたゆきかぜと凜子は何とも言えない表情だった。

 

 

「…………うぅ」

 

「まあ、取り敢えずは仕切り直しだ」

 

「小太兄、ちゃんと話を聞いてね」

 

「お前らね、そういうところだぞ。打ち合わせくらいしてこいよ。どうすんだこの空気」

 

 

 その後、テンパって真っ赤になった紅を落ち着かせ、それぞれ空いたソファに腰を下ろした。

 紅は耳まで真っ赤にして俯き、涙目になっている。これ以上の説明は無理と判断されても仕方がない。

 

 

「オレとしては、このまま牽制し合ってくれているのが理想だったんだがな」

 

「それは分かっているが、我々としてはそうもいかなくなった」

 

「独立遊撃部隊として戦う以上、任務も戦いもこれまでよりも難しいものになっちゃうもん。そうなったら……」

 

 

 対魔忍は魔族や米連に対抗すべく戦うために死亡率は高い。

 また敵の手に落ちた場合、悲惨な事態に陥る可能性もまた高い。

 

 アサギが良い例だ。

 闇の者がアサギに抱く恐怖心は並のものではなく、噂を耳にしただけでその日の裏取引を中止にするほどであり、正に抑止力と呼ぶには十分なレベル。

 だからこそカオスアリーナ、東京キングダムにおける罠で敵の手に落ち、無力化された際に、彼女の身に何が起きたのか。

 

 人としての尊厳を奪い尽くし、これまでの鬱憤を晴らすが如く襲い掛かる陵辱と恥辱の数々。

 並の対魔忍ならば三日と持たずに廃人となるだろう地獄を、アサギはそれでも潜り抜けて未だに現役を貫いている。

 

 女性対魔忍の宿命として、心無く、欲望の抑え方も知らない下衆共に身体を穢される可能性は常に存在している。

 それだけならばまだマシな方だ。闇に飲み込まれ、そのまま行方知れずとなった者が何人いるか。己の精神を守るため、堕落の果てにこれまでの自分を捨てて魔族側に寝返る者も何人いるか。

 

 任務の難易度が上がれば上がるほどに、そういった側に陥る可能性も増していく。

 

 

「ならせめて、初めては小太兄がいい」

 

「…………だったら、告白する必要はないだろうが」

 

「ふふふ、笑わせないでよ。小太兄だって私達の事を見ているけど、私達だって小太兄の事を見ているんだから」

 

「お前は、やり始めると本気になるからな。告白されると浮気に走るよりも本気になるタイプだ」

 

「知ったような口を聞くじゃないか」

 

「あれ? 違ってた?」

 

「………………合って、ます」

 

 

 ゆきかぜと凜子の言葉は正鵠を射ていた。

 小太郎自身そう感じていたからこそ、三人とは距離を取って置きたかったのだ。

 

 今も紅の告白は嬉しくはある。他人の好意は素直に嬉しい。だが、煩わしく鬱陶しい。

 他者からの愛を、恋を受け取る事で、これまで迷わずに選んでいた選択肢が選べなくなる。合理と理論を優先して選択できなくなるのは苦痛以外の何者でもない。

 

 

「それに、小太兄にとっても悪くないでしょ? 男とか女とかの話じゃなく、これから再興するふうまの当主として」

 

「まあ、一番手っ取り早い手じゃあるがな」

 

 

 ふうま一門の再興は、単にかつて弾正が率いていた頃に戻すだけではダメだ。

 老人達や現当主達の嫉妬を考えれば、組織の最大閥にまで成長し、人脈も人材も他とは一線を画したものにしておかないと、どのような妨害や介入を招くことか。

 

 ふうま一門の規模を大きくする手っ取り早い手段としては、他家の当主候補との婚姻だろう。対魔忍は能力主義、何も男ばかりが当主になるわけではない。

 そうして一門の一員として迎えた上で当主を取り込み、家も一族もまるごと取り込んでしまえばいい。

 無論、下からの反発はあるだろうが、其処で重要となってくるのが、対魔忍全体の一般に即していながらも何処かズレた価値観にある。

 

 家に決められた許嫁という者は対魔忍の世界にも存在する。するにはするのだが、現代の自由恋愛を是とする風潮は流れ込んできており、子の気持ちを優先して親の思惑が御破算となる展開は侭あるのだ。

 その上で一夫多妻も認められている奇妙な風潮であるが、かつての忍の価値観とこれからの日本人としての価値観が半端に混ざった結果であろう。

 

 当主が自由恋愛の末に、余所の家の嫁になると言ってしまえば、前述の風潮や価値観から強く反発に出られない。

 況してやふうま一門に名を連ねるだけで、実質的な家の運営にまで首を突っ込まねば、多くの離反を招く事もない。

 詭弁欺瞞も甚だしいが、最悪嫁に取ってしまえば、両家には関係が生じる。後は小太郎の口八丁手八丁。彼の得意とする分野での暗躍があればどうとでもなってしまう。

 

 自分達の次期当主という立場さえ、小太郎との恋を成就させるための手札として利用する女としての業の深さに、小太郎でさえ舌を巻いた。

 目を見れば分かる。本当に、心の底から何でも利用する腹積りだ。三人の覚悟の決め方に引くほどである。

 

 

「勿論、男と女だから繋がって一つになっちゃえばいいってのもあるよ? けど、私達はそれくらい小太兄の事が好きだから。何を犠牲にしても、売女だとかアバズレだとかビッチだとか罵られたって気にならない」

 

「この場合、罵られるのはオレの方なんじゃないですかねぇ。家のために女を唆した下衆野郎ってよぉ」

 

「なら安心だな。お前は罵詈雑言など気にもしない。私達については、どれだけ仲睦まじいかを見せつければいいだけだ」

 

 

 してやったりと笑うゆきかぜと凜子に、小太郎は久方振りに本気で頭を抱えた。

 控え目な女よりも、強引で我を通す女の方が恐ろしい。自身の母親を筆頭に、アサギや災禍、天音といって自身の周囲にいる女は皆そうで嫌でも痛感する。

 

 しかし、小太郎も腹を括らざるを得なかった。

 ゆきかぜ達が本気ならば、小太郎もまた本気で答えねば嘘だ。彼女達が感じていたように、ふうま 小太郎という人間は元よりそのような形である。

 

 

「分かった、オレの負けだ。お前達が良いというなら、オレは素直に利用させて貰うさ。だが、一つだけ約束してくれ」

 

「…………何だ?」

 

「もし、オレよりも好きな奴が出来たら、迷わずそっちに行く事。オレと居るよりも幸せに慣れる奴は他にも沢山いる筈だからな」

 

 

 ようやく羞恥から戻ってきた紅の問いに、小太郎は笑いながら答える。

 こうまで一途に己を好きだと嘯く女が不幸になるのは忍びない。とてもではないが、己では真っ当な男女の幸せというものが築けるとは思えない。ならば、己以上の男が居るのであれば、そちらを選んで欲しい。

 

 最早、約束というよりも懇願に近かった。

 己に出来る事は少なく、やらねばならない事は多い。その際に、犠牲となるのは三人との日常だろう。

 全うな恋人同士が行う逢瀬などまともに出来るかどうか。女としての役割を求めるばかりで、女としての幸せを満たせてやれるとは思えないからこそ口にした言葉だった。

 

 

「ない。それはないぞ、小太郎」

 

「そうだな。私達はお前とならどんなに不幸でも構わないのだからな」

 

「んー、まあ、いいじゃないですか。小太兄がそういうなら約束してあげましょうよ。だから、小太兄も一つだけ約束して」

 

「……何だ?」

 

「小太兄も、何時までも私達がメロメロになっちゃう、私達が好きになった小太兄でいるって」

 

 

 にっこりと何の憂いもなく笑うゆきかぜに、紅と凜子はそれはいいと続いて笑った。

 

 小太郎は完全に両手を上げた。

 此処まで言われては仕方がない。腹を括るには十分過ぎる。今ので、彼自身も本気になった。

 

 

「負けたよ。オレの完敗だな、これは。でも、勘違いはするなよ」

 

「何が……?」

 

「オレがお前等を抱くのは一門の再興だの、利用するためって小難しい話だからじゃない。こんな良い女、手を出さなきゃ損って単純な理由だ。惚れた女に手を出さない理由もないからな」

 

 

 

 

 

 





ほい、というわけで骸佐と権左のやり取り&ゆきかぜと凜子の回想&若様包囲網の完成、の回でした。

骸佐についていった者に関しては既に決定済みです。まあ、登場するかは不明ですがね!
そして、着々と紅達の調教、もとい運用方法を真面目に考える若様。そんなことをしている内に外堀を埋められてた。

では、次回もお楽しみにー!

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