それを"何と"名付けるかはきっと貴方達次第 作:ハマグリボンバー
後編は今週中に投稿予定。
人によっては退屈に感じるかも知れません。
───それは、今から半年前のこと。
「──うん。そう、おめでとう」
電話の先で、少女がしゃくり声をあげた。
抑揚が覚束ない不安定な声は、これからの未来を嘆くようでも、喜びが胸から溢れてしまいそうなのを、必死に堪えているようでもある。
久し振りに来た妹分からの電話は、佐々波夢見にとってひどく嬉しい朗報だった。
「わかった。わかったから、一回深呼吸して最初から話して」
きっと、不安で不安で、たくさん悩んだのだと思う。なまじ強い子であったから、最後まで独りで悩み抜いたのかもしれない。
彼女の兄はその選択でたくさんの人を不幸にした。
世間の風当たりもあった筈だ。その選択への忌避感もあったのだと思う。
猛反発する家族だって、それは娘のことを思ってなのだということも、彼女は気づいていた筈だ。
それにきっと、彼女はヒーローになど、なりたいとは思っていないのだ。
「……うん。………うん」
川沿いの小道を歩きながら、夢見はゆっくりと目を瞑った。
暖かく照らす夕陽は、瞼の裏側を赤く染める。
「……そうね。おじさんの事は私も一緒に説得するから」
佐々波夢見は、麗日お茶子を尊敬する。
自分が彼女の立場であったら、同じ選択は取れなかったと思うから。
それはきっと強さだ。麗日お茶子は、他でもない自分自身に誇れる選択をした。
だから、彼女はこれからその選択を正しいものにしなくてはならない。
「これからが本番だから。入学初日で除名とか、本当にやめてよね」
強い言葉で叱咤をかければ、ピィと、良くわからない奇声を発した。
思わず少し笑って、夕焼けの空を仰ぐ。
まだ少し明るい空に、星は見当たらない。
それでも、どこかで、それは見てると思うから。
───あんたの妹、高校生になったってよ。
祈るようにそう呟いた。
「……ん?────いやいや、卒業してもうちの事務所には入れないから。………いや冗談じゃないし」
それは、桜の花が咲く少し前のこと。
ヒーロー『シューティングスター』が犯した犯罪。大勢の人間の希望であった者が与えた絶望。
"神野区銀行襲撃事件"と銘打たれるそれが与えた社会的影響は、彼が強奪した5000万円や、周囲の施設や道路に対する被害が霞むほど大きなものだ。
一番の問題は、ヒーローへ芽生えた不信感なのだろう。
「勝手な話だと思わないか。ただ餌を待つ雛鳥が、巣に落ちた手負いの成鳥を責め立てるようなものだ。我が子でもない雛鳥の面倒など、なんの役にも立たないのにな」
「不愉快な口を閉じろ『オーバーホール』。世間がどう騒ごうと俺が関知することじゃない」
どこまでも殺風景な応接間。黒い革張りのソファーが二つと、その間に置かれたテーブルだけで完結したその部屋は、会話をする以上の機能を持たない。
その小さな部屋には四人の男がいる。その一人てある『オーバーホール』は、顔に付けたクチバシのようなマスクに触れながら、正面に座る『メテオレイン』に話しかける。
「お前のことだけを言ってるんじゃない。お前の周囲にいた人間も同じだけ──いや、お前以上に痛感した筈だ。にも関わらず、この期に及んでまだヒーローであり続けるなんて、とても正気の沙汰じゃない」
まさに病気だな。と『オーバーホール』は続ける。
その言葉に、『メテオレイン』は僅かに眉を潜める。
「知るか。俺だって聞きたいぐらいだ。夢見にも家族にも、生活に困らないくらいの金は送ってる。それでもヒーローであり続けるなら、或いはヒーローを志すなら、それはまた別の理由があるんだろうよ」
「なんだ、他人事だな『シューティングスター』。もう過去の話か?」
「いい加減にしろよ治崎。俺の個性が"暴走"したらどうする」
おっと、と『オーバーホール』は両手を上げて降参の意思を見せる。
『メテオレイン』は、一度大きく息を吐いた。
『オーバーホール』の背後に立つ二人の男は、ピクリとも反応しない。
詰まる所、二人の一触即発の空気などいつもの事なのだ。
「それで、俺を本部まで召集してなんの用件だよ」
両膝の上に肘を乗せ、両手の指の腹を合わせたまま、『メテオレイン』は尋ねる。
『オーバーホール』は、普段着けている薄い手袋を外した両の手を、顔の前でヒラヒラと振って見せる。
「計画は既に佳境に入った。『オールマイト』も『オールフォーワン』も消えた今、お前の存在を頑なに隠す必要もない。例え、ヒーローが攻め込んでくる危険を背負っても、こちらに引き戻しておくべきと判断したんだ」
「解せないな。なんで今だ」
「少し判断が遅れただけで目くじらを立てるなよ。それに、『ヴィラン連合』の連中ともこの前接触してな。今、"協力"を検討してもらっているが、いまいち信用出来ない連中だ。返答の如何に関わらずお前には居てもらった方がいい」
「……あの組織がそこまで有用だとは思えないがな」
『ヴィラン連合』の名前に、『メテオレイン』は嫌そうに表情を歪める。
『ヴィラン連合』は、今、最も世間を騒がしている敵組織だった。
"ヒーロー殺し"の『ステイン』に始まり、先日の"神野の悪夢"の『オールフォーワン』。
確かに、どれも強烈な印象を与える事件であったし、『オールマイト』を再起不能にまで追いやった"神野の悪夢"は、後世に大きな影響を与えるだろう。
だが、そのやり方は消耗戦だ。今やヒーローは飽和状態にあるのだから、そのやり方ではヴィラン側に勝ち目などあるはずもない。
つまりは泥舟。長い目で見るのなら関わるべきで無いように感じた。
「いや、欲しいのはネームバリューだ。それに、あの連中が失敗しているのは、何も無能だからじゃない。明確な計画性の欠如、これが問題だ」
「尚更だ。そんな無鉄砲な奴らごめんだぞ。ストレス発散なら徒党を組まないでいただきたいね」
「そこはこちらが操作してやればいい。奴らも所詮はヒーローと同じ病人の集まりだ」
淡々と話す『オーバーホール』は微塵もブレない。
そもそも自分に意見など求めていないのかと、『メテオレイン』は思い直す。これはただの業務報告のようなものだ。
「……勝手にしろ。どうせ俺にそこまでの決定権はない」
そうさせて貰う。と『オーバーホール』は頷いた。
「とりあえず、話は分かったよ。それで?俺は何をしていればいい」
「壊理の相手でもしててくれ。用があれば声をかける」
「それは楽でいいな。外出はしていいのか?」
「いや、基本的には中にいろ。外出するならまず俺に話を通せ。必要であれば許可を出す」
「分かった」
当然だなと、『メテオレイン』は内心で頷いた。それは、ただリスクを犯すだけの行為だ。
その上で、『メテオレイン』は言葉を紡ぐ。
「……ところで、明日壊理と買い物に行きたいんだが」
机に触れる『オーバーホール』の手に、僅かな力が入った。
「……お前は話を聞いてなかったのか?それともふざけてるのか」
ペストマスクでは隠しきれない怒気が、『オーバーホール』の顔にありありと浮かんだ。
『メテオレイン』は鼻で嗤う。ここで自分が外出することにリスクがあるのは百も承知であったし、壊理を連れ出すことの意味も理解している。
だがそれは、すべて"死穢八斎會"の都合だ。『メテオレイン』には関係ない。
「大真面目だよ。多少の息抜きぐらいいいだろ」
「息抜きならお前一人で行け。壊理の重要性は理解してる筈だろ」
『オーバーホール』は一度大きく息を吐いた。マスクの中に収まりきらなかった分が、彼の髪を僅かに揺らす。
「いやいやいや、良く考えれば思ったよりリスクはないんだ。俺が付いてるんだ、壊理を見失うなんてことは考えられない」
「……」
『オーバーホール』は、無言のまま眉を潜めた。
『オーバーホール』が『メテオレイン』の提案を一蹴出来ないのには理由がある。
そもそも、『メテオレイン』の目的は、壊理を救い出すことにある。だがそれは、ただ壊理を"死穢八斎會"から逃がすだけでは達成しない。彼女が保有する『巻き戻し』の個性は、当たり前の幸せを手に入れるには余りに強力過ぎたからだ。
ここから逃げたところで、第二の"八斎會"が現れるだけだ。
故に、壊理を救い出すには前提として"個性破壊弾"が必要で、それには"死穢八斎會"が必要不可欠だ。
ある種の矛盾ではあるが、それはあくまでも"個性破壊弾"が完成するまでの話だ。
それが完成してしまえば、『メテオレイン』はこんなところに用はない。瞬く間に壊滅させ、塵一つ残さないと心に決めていた。
とはいえ、それは『オーバーホール』も警戒しているはずだ。三年前のふざけたマッチポンプで『メテオレイン』が忠誠を誓うと考えるほど愚かではないだろう。それでも『メテオレイン』の力を欲したからこそ、壊理という鎖まで持ち出したのだから。
であれば、『オーバーホール』からもたらされる"個性破壊弾"の進捗など、信用できる筈もない。
だが、"死穢八斎會"は"個性破壊弾"が完成したところで『メテオレイン』がいれば、大手を振ってそれをさばくことも出来ない。
故に、"個性破壊弾"の完成後には必ず『メテオレイン』の始末が必要となる。
『メテオレイン』が狙っているのはその瞬間だ。それが『メテオレイン』のわかる"個性破壊弾"完成の合図であったから。
一方で、『オーバーホール』はその一度の瞬間を見誤る訳にはいかない。それこそ、『メテオレイン』は単騎で"死穢八斎會"を上回ると理解しているからこそ、彼は慎重にならざるをえなかった。
その一度は必殺でなければならない。
それは完全なる奇襲でなくては成功しない。
『メテオレイン』が自分達に無防備な背中を見せる必要がある。それは、"利用するもの"と"利用されるもの"の関係ではなし得ないことだ。あくまでも対等。その関係が良好とは言えずとも、ある種、お互いがお互いを信用するような、そんな関係でなくてはならなかった。
他でもない『オーバーホール』が"お前は信用できないから駄目だ"と突っぱねる訳にはいかなかった。
例え、お互いがお互いの思惑を察していたとしても、その茶番劇をやめる訳にはいかない。
「……好きにすればいい。ただし、ヒーローに見つかった場合は必ず始末しろ。これが条件だ」
「さすが『オーバーホール』。助かるよ」
じゃあまた明日だな。と『メテオレイン』は席を立った。
『オーバーホール』との会談を終えた『メテオレイン』は、その足で壊理のもとへと向かう。少女と会うのは、凡そ2ヶ月振りだった。
というのも、『オーバーホール』が"死穢八斎會"と『メテオレイン』を結び付けられるのを酷く嫌ったからだ。
それもそのはず、『メテオレイン』は紛れもないヴィランであるのに対し、"死穢八斎會"は黒に近いグレーだ。この繋がりが公になれば、すぐにヒーローが攻め込んで来てしまう。
無用な危険を避けるため、『メテオレイン』の主な仕事は遠方での作戦活動だった。
完全には信用できない戦力を、手元に置いておきたく無かったということも、要因の一つではあったことだろう。
少し歩いて、『メテオレイン』は一つの扉の前で足を止める。地下の一室。窓一つないその暗い部屋が、壊理に与えられた個室だった。
コンコンコンと、その扉をノックする。小さく開いた隙間から声をかければ、中から布が擦れる音がした。
少しだけ待って、『メテオレイン』はその部屋に入った。
「入るぞ、壊理。……なんだ、また電気消してるのか。エコな奴だな」
電気の消えた部屋のベッドの上に座る白髪の少女は、『メテオレイン』の姿を見て、安堵の表情を浮かべた。
久し振りに入ったその部屋には、前よりも幾つかの小物が増えていた。『メテオレイン』は名前を知らないが、今テレビやっている女児向けのアニメのキャラクターの物だった。
テレビの無い部屋に軟禁されている壊理が欲したものかは、『メテオレイン』には分からない。
「遅くにごめんな。もう寝るのか?」
「まだ寝ない」
その言葉に、そうかと『メテオレイン』は頷く。
ベッドの中央に座り込んでいた壊理が、もぞもぞと端へと移動していく。
二人で話すときの、いつもの定位置だった。
「今度はどこにいってたの?」
「宮城県だよ。これでもかと牛タンを食べてきた」
「ぎゅうたん?」
「んー……。超美味しいお肉」
「それじゃわかんない」
むすりと、少女は唇を尖らせる。
『メテオレイン』は、アハハと笑って誤魔化した。
「それより、今日は壊理にお土産買ってきたんだ。ほら、リンゴ。帰りに青森に寄って買ったんだよ」
「ありがとう。でも、青森県って一番北なんだよね?」
どうやって帰ってきたんだろうと首を傾げた壊理に『メテオレイン』は内心冷や汗をかく。
『メテオレイン』との雑談から少しずつ知識を吸収していった壊理に、自分のサボり癖が解明されつつあった。
「……それより、食べないのか?それ」
受け取ったリンゴを、枕元の棚にそっと置いた壊理に『メテオレイン』は尋ねる。
「うん。食べたら無くなっちゃうから」
「そりゃそうだ」
「だから勿体なくて」
「……そうか」
多くの人にとってはなんでもない物も、この少女には余りにも希少で特別な物だったりする。
失敗だったか、と『メテオレイン』は頭を掻いた。
「──でもそれ、ほっとくと虫に食われるぞ」
「……え」
「部屋も臭くなるし」
「え」
「虫って、寝てる間に口に入ってきたりするらしいよ」
「………」
黙り込んだ壊理に、『メテオレイン』はもう一度尋ねる。
「食べないのか?それ」
「…………食べる」
「よし」
大きな瞳にうっすらと涙を溜めながら、壊理は再びリンゴを手に取った。
「まぁあれだ。また買ってきてやるから、それは旨いうちに食え」
「……ほんとう?」
「応とも」
壊理がそれを食べずに置こうとしたのは、未来に希望が持てなかったから。
また誰かが、自分の好物を、或いは幸せを、運んできてくれるとは思えなかったから。
せめて手元にある幸せを、無くさずに取っておこうと思ったのだ。
それはきっと悲しいことだ。
それはきっと寂しいことだ。
麗日星也には未来なんて見えなくて、過去を変える力もない。
それでも、せめて目の前の幼い子供には、何も考えずに笑っていて欲しいと思うのだ。
「なぁ壊理、明日俺とデートをしよう」
「……え?」
思わず声を上げた壊理のその表情に、麗日星也は優しく微笑んだ。
※
────それは、彼の原点の話。
『センセー!"ヴィラン野郎"がまたオモチャ壊したーー!!!』
道路脇にある保育施設。ヒビの入った壁面と、錆びた滑り台が一つ。民家と言われても信じてしまいそうなほど小さなそこで、麗日星也は幼少期を過ごした。
家族は仕事で忙しかった。
個性の台頭により、どの業界も大幅なコストカットに成功し、価格競争、品質競争はこれまでとは比べ物にならないほど激化した。
土木業を個人経営で行っていたものの、そこまで有利な個性を保有していなかった麗日星也の両親は、その差を埋めるために休みなく働いていたのだ。
小学校に上がるまでの6年間、麗日星也はその大半を保育施設で過ごしていた。
"ヴィラン野郎"。それは、そこでの彼の渾名だった。
別に苛められていた訳ではない。ただその身に宿った力が制御出来なくて、抱き上げようとしたネコを殺してしまったときから、周囲の子どもから敬遠されていたのだ。
──あの子に近づくと殺される。
今思えば、保護者の中でそんな噂が広がっていたのかも知れない。
誰とも関わらず、何も触れず。
それが、麗日星也にとっての精一杯の対処で、精一杯の自衛だった。
この世界はあまりにも脆い。
きっと神様は、世界の作り方を間違えたのだと、幼いながらに確信していた。
そんなある日、"ヴィラン野郎"に妹が出来たのだいう話を聞いた。
※
「やはり、お前がいると壊理が素直でいい」
「嫌味なら黙ってくれないか。あんたと一緒にいるだけで最悪な気分なんだ」
カツカツと二人分の硬質な足音が響く。
その後を追うのは、幼い少女の軽い足音だ。
翌日、『オーバーホール』と『メテオレイン』は壊理を連れて共に歩いていた。
『メテオレイン』も壊理も、"死穢八斎會"の通常の出入口を使用するわけにはいかない。
新しく作られた抜け道の一つを『オーバーホール』が案内している形になる。
「これだけの逃走経路、ちゃんと管理できてるんだろうな?ヒーローの侵入経路になったら元も子もないぞ」
「当たり前だ。それに、地下への入り口がそもそも隠し口になってる。そう簡単には見つからないさ」
「あぁそう」
自分から聞いた癖に気の無い返事をする『メテオレイン』に、『オーバーホール』は鼻を鳴らした。
薄暗く、陰鬱な地下道は、『オーバーホール』が潔癖症であることもあり、その雰囲気に反して酷く綺麗に手入れがされている。
『メテオレイン』が、チラリと背後に視線を向けた。
前を歩く二人に置いてかれんと、短い脚を必死に回転させる少女がそこにはいて。浅く息を乱しながらも、まだ疲れてないと言わんばかりに鼻を鳴らした。
『メテオレイン』は薄く微笑んで、正面に向き直る。
ふと、視界の先に、地上へと出る階段が見えてきたことに気がついた。
『メテオレイン』は、着ているパーカーに付いたフードを深く被る。口元に付けたペストマスクだけが大きく突き出し、その表情は窺い知れなくなった。
"死穢八斎會"の保有する地下道を歩くこと十数分。ようやくたどり着いた扉に手をかける。
いやに狭い扉を潜れば、そこは小さな小屋の中だ。
天井からぶら下げられた電球が、すきま風に吹かれて揺れる。
「どう考えても最近できたってって感じじゃないぞ。今時白熱電球っておい」
「前からあった建物を譲り受けてな。地下施設に繋げたんだが…。失敗だったな、不衛生で病気になりそうだ」
「いや、先に改築とかしないのかよ。つーかせめてLEDを──」
「黙れ。せっかく名義まで他所から持ってきたんだ、うちの土地だってバレたくない。今更、うちの者を出入りさせられる訳ないだろう」
「なら地下通路はどうやったんだよ。どっちにしろ業者はいれたんだろう?」
言い募る『メテオレイン』に、『オーバーホール』は鋭い視線を向ける。
微かな怒気が、その瞳には燻っていた。
「いい加減にしろ『メテオレイン』。お前は知る必要のないことだ」
あっそと、『メテオレイン』は適当に相づちを打つ。
正直に言えば『メテオレイン』もそこまで興味があったわけではない。『オーバーホール』が話すことを嫌がるなら、無理に聞き出そうとは思わなかった。
それに、今は所謂"超人社会"。普通が意味をなさなくなった世界だ。やろうと思えば、それこそ無限の方法がある。
「俺はここまでで戻らせてもらう。何度も言うが──」
「わかってるよ。ちゃんと帰ってくるさ。そろそろ信用して欲しいもんだよ、ホントに」
『オーバーホール』の言葉に『メテオレイン』は答える。やれやれと横に振った頭に合わせて、その茶髪が揺れた。
『オーバーホール』が額の傷痕を掻く。
「してるさ。信頼してない男に、壊理を預けたりしない。もっとも、気に入らない男なのは否定できないがな」
「そりゃそうだ。悪かったな」
『オーバーホール』の言葉にカラカラと笑ってみせる。
「じゃあ、行こうか壊理」
立て付けの悪い木製の扉を潜れば、そこは泥臭い裏路地だ。
それでも、確かに日は射し込んでいて、『メテオレイン』はその眩しさに思わず目を細める。
隣に立つ少女は、大きな瞳を一際輝かせ、澄んだ青空を仰いだ。
道路を走る車の音。街を歩く女性の笑い声。
一度大きな通りに出れば、そこには人の営みが溢れていた。
「わぁ……」
それは、ずっと地下に監禁され続けた少女の眼にはどのように映ったのだろう。
小さな身体をソワソワとさせながら、首は落ち着きなく右へ左へと行ったり来たりする。
辺りを一通り見渡した少女は、隣に立つ麗日星也を仰ぎ見た。その瞳はキラキラと輝いていて、身体を駆け巡るエネルギーを持て余しているようでもあった。
その姿に苦笑しつつ、つけていたマスクを腰に括り付けた『メテオレイン』は、フード越しでも表情が解るように顔を近づけつつ、歯を見せて大袈裟に笑って見せた。
「どこに行く?」
その言葉に、少女は跳び跳ねながら答える。
「すごいところ!」
「どこだそれ」
壊理の無邪気な返事に困ったのは麗日星也だ。だがそもそも、壊理は外界を知らない。希望を聞かれたとしても、抽象的になってしまうのは仕方がないことだろう。
どうしたものかと、麗日星也は頭を掻いた。
ふと、この時期に咲く桜の木が近くにあることを思い出した。
冬桜と呼ばれているその木は、丁度、秋ごろから花を付ける。場所によっては、紅葉と桜の花を同時に見ることも出来るひどく幻想的な植物である。
この近くにあるそれは、寺や自然公園などが管理する有名な観光地という訳ではない。冬桜もその一本があるのみで、おそらくはどこかの変わり者が気紛れで植えた花なのだろと、麗日星也は勝手に考えていた。
本来はもう少し経ってから咲く種類の樹木だった筈だが、今年はどういう事か既に花をつけているのを先日見かけていた。
少しパンチは弱いかもしれないが、『すごいところ』なんていう壊理の注文にもある程度合致しているし、壊理も喜んでくれることだろう。なにより、壊理にはそんな日常に紛れた美しさを知って欲しいと思う。
それは、子育ての経験がない彼なりの無難な選択だった。
そうと決まれば話は早い。
「よし、壊理。ついてこい。凄いところ連れてってやる」
「うん!」
そういって、歩き出した麗日星也の横に少女が並ぶ。近寄った拍子に、少女の指先が麗日星也の指に触れ、しかし、握られることなく引っ込められた。
それに気付かない麗日星也は、隣で自分の指を弄りながら歩く少女を見下ろし、その微笑ましさについ頭を撫でてあげたくなる。
思わず腕が伸びる寸前で、壊理が手を伸ばされることを嫌うことを思い出した。危ない危ないと手を握り締め、少しだけ冷たい北風に身震いした。
「どこにいくの?」
いつもの白いワンピースの上に灰色のコートを着た壊理が尋ねる。
「花を見に行こう」
「お花?」
「あぁ。少しだけ、特別な花だ」
んー、と壊理は首を傾げる。
「それ、すごくないよ?」
「言いやがったなクソガキ」
見てろよコイツ。
ジロリと横目で壊理を見ながら、麗日星也は口を尖らせる。
その様子に、壊理は少しだけ歩調を弾ませた。
「───あ」
ふと、壊理が声を上げた。
その視線の先は、道路を挟んだ反対側の歩道を歩く家族だ。
丁度、壊理と同じくらいの年齢の少年が、手を父親に引かれながら道路脇の縁石の上を歩いていた。
「あれがやりたいのか?」
「……ううん」
壊理が伸ばした右手の人差し指は、フラフラと少しだけ揺れた後、視線の先にいた家族の先ではためく"氷"が書かれた幟を指した。
「あれ食べたい」
「──あぁそう、すくすく育てよ成長期」
かき氷に身体を成長させるだけの栄養素があるとは到底思えなかったが、自分の自意識過剰さがどこか気恥ずかしくて、思わず悪態が口を衝いて出た。
なんだかなぁと麗日星也は空を仰ぐ。
そんな彼の袖を、壊理が僅かに引く。人差し指と親指こ先だけで引かれたそれは、どちらかというと摘ままれたと表現した方が良いのかも知れない。
「わかったよ。買ってやるから」
壊理の無言の催促に、一度短く息を吐いてから、麗日星也は一歩踏み出す。
麗日星也はひょこひょこと歩く少女を横目に入れつつ、横断歩道を渡り反対側の歩道へと移動する。
目当ての店の前までたどり着けば、深くかぶったフードの位置を調整しつつ、傍らの少女に声をかけた。
「どれがいいんだ?」
「これ」
「いや味の話な」
"かき氷150円"というメニュー表を指差した壊理に短く告げ、色とりどりのシロップが並べられた棚を指し示して見せた。
しばらく悩む様子を見せていた少女だったが、ついに決めきれないとばかりに横の青年に向き直った。
「どれがおいしい?」
その言葉に麗日星也は思わず苦笑した。
「どれも美味しいけど、最初ならイチゴかブルーハワイ辺りがいいんじゃないか?スタンダードなやつだ」
んー…と、壊理は眉を寄せた。
「レインさんはどれがすき?」
「断然レモンだな。甘過ぎなくて爽やかなんだ」
「………メロンにする」
「今の会話の時間返せやクソガキ」
ホントに可愛くないと、一度大きなため息をついた。
もっとも、肝心の壊理は麗日星也に悪態をつかれる度に上機嫌になっていく。頼る相手が極端に少ない少女にとって、失礼なことを言っても笑って済ましてくれる人の存在は、麗日星也が思うよりもずっと大きなものだ。
寄り道しながら歩くことしばらく。男の想定よりも随分と長い時間をかけて、周囲の町並みはどこか閑散としたものに変わっていく。
「……さむい」
「当たり前だバカタレ」
小さな声で呟きながら自分の手のひらに息を吹きかける少女に、星也は短く告げる。
自分のかき氷だけでは飽き足らず、男の分にまで手を出したのだ。当然、身体は芯から冷えていることだろう。
交差点の隅に設置された自動販売機で買った温かいお茶を手渡しつつ、もう一方の手では、自分用に買った缶コーヒーを弄ぶ。
ジリジリと肌を焼く熱は、冷えきった身体に丁度よく、徐々に染み入る暖かさに、男は目を細めた。
「ここだ」
ややあって、麗日星也は声をあげる。
そこは、公園とも、広場とも違う小さな空き地。
忘れ去られた祠が隅に鎮座する、人の気配がしない一区域。
樹木と呼ぶには余りにも若い冬桜の木。
細い枝の先で、疎らに咲いた薄桃色が、風に煽られて揺れる。
満開には程遠い。そもそも、冬桜は晩秋と春の両方でその花を咲かす。春の満開の桜をイメージしていれば、間違いなく見劣りすることだろう。
ひっそりと佇む忘れられた桜の木。色素の薄いそれは、言い様によっては弱々しく、消えてなくなりそうな儚さがあった。
チラリと麗日星也は傍らで、無言のまま木を見上げる少女を見た。その大きな瞳には、この光景がどんな風に映っているのか、彼には想像も出来ない。
──きっと、たいしたことないと感じているのだと思う。
壊理には、そもそも桜が春に咲くものだと言う認識が薄い。もちろん知識では知っているのだろうが、実物を見た記憶は無いだろう。それが秋に咲いてるから凄いと言われても、あまりピンと来ないのではないだろうか。
それでも、いつかこの日を思い出したとき、この思い出が、少しだけ特別なものであってほしいと思う。
「───なんで、このお花はいま咲いたの?」
不意に発されたその問いに、麗日星也は意識を引き戻される。
「なんだって?」
「このお花は春まで我慢できなかったの?これから寒くなるのに、いま咲いちゃったら苦しいよ」
少女にとって、咲いてる花はどこか無防備なものに見えるのかも知れない。一向に春の来ない冬を耐え忍ぶ少女には、冬の直前に咲く花が理解できなかった。
麗日星也は、少しだけその返答に窮した。
なぜ今咲いたのかと問われれば、そういう花だからと答える他にない。
ただ、きっと違うのだ、少女が求めているものは、おそらくそういうことじゃない。
少しだけ悩んで、男は口を開く。
「──これから冬が来るからだよ」
「え?」
「花は往々にして笑顔の表現方法として使われる。本で読んだことあるだろう?"ひまわりの様な笑顔"とか」
「……うん」
「そういうもんなんだよ。苦しいこととか悲しいことを越えて、何者も花を咲かせる」
男の言葉に、少女は再度問いを重ねる。
「でも、苦しいのも悲しいのもこれからだよ?」
「それを越える誰かのために咲くんだよ。"大丈夫だ。私がいる"って主張するの。それは本物の花ではないから、春に咲く花よりどこか色が薄くて、少し物足りなく感じるかもしれない。きっと、咲いた花も冬を越える前に散っちゃうんだと思う」
麗日星也は、桜の木ではなく、自分を見上げる少女に語りかける。
僅かに揺れるその瞳を真っ直ぐと見つめ、聞き取り易いように意識的にゆっくりと言葉を紡ぐ。
「本当の価値があるのは、間違いなく春の花なんだ。だってそれは、冬の花が全てをかけてでも咲かせたかった花だから」
目の前で寒さに震える白い蕾は、いつの日にか咲くのだろうか。
春一番が吹くより先に、枯れてしまうことはないだろうか。
絶対に咲かせてみせると麗日星也は己に誓った。
成就の日は未だ見えずとも、この胸の内には譲れないだけの理由がある。
「──だからこれは、未来のための開花なんだよ」
麗日星也は、白い少女に微笑んでみせる。
安心しろと、言外に語ってみせた。
ほんの少しでも伝わってくれていればと、そう思った。
「───レインさんは」
絞り出した様な、壊理の声が鼓膜を打つ。
どうした?と少女に問い返した。
「わたしが咲くの、ちゃんと見ててね」
───この少女には敵わないと、心底思う。
「……それを言われると、急に無理な気がしてきたな」
「え」
それがどこか気恥ずかしくて、麗日星也は今日も茶化した。
事件が起きたのは、その帰り道の事だ。
ついに降り出した雨がしんしんとアスファルトを叩き、パタパタと走る二人の裾を汚す。
僅かに息を切らし走る少女に、麗日星也は問いかける。
「大丈夫か?やっぱり傘を買うぞ」
「だ…だいじょうぶ」
壊理がなにを考えて傘の購入を拒否するのか、麗日星也には想像もできなかったが、水溜まりを跳ねさせて走る姿は何処か楽しそうでもあったため、本人がそう言うならいいかと自分を納得させた。
「帰ったらまず風呂だぞ」
「うん」
一歩後ろを走る壊理に意識を向けつつ、麗日星也は地面を蹴る。
きっと、そんなことをしていたからだろう。
ドンと、わき道から出てきた緑色のヒーロースーツを着た少年とぶつかったのは。
「────おっと」
麗日星也は、咄嗟にぶつかった少年の手を取る。バランスを崩した相手の腕を引くことで体勢を立て直させ、すぐに謝罪の言葉を口にした
「すいません。大丈夫ですか?」
「いえ!こちらこ────え?」
少年は、まるでオバケでも見るかのようにこちら見た。
フードに隠れた顔を覗き込むかのような不躾な視線に、麗日星也は思わず一歩距離を取り、フードの位置を調整する。
「……なにか?」
「い、いえ!すいません」
僅かな非難を声に乗せれば、少年──緑谷出久は反射的に謝罪をする。
これなら大丈夫かと、麗日星也はフードの下で眉を寄せる。
”ヒーローに見つかった場合は始末しろ”
『オーバーホール』の言葉が脳裏に浮かんでいた。
早々に話を切り上げようと考えた麗日星也であったが、緑谷出久の後ろから現れた青年────通形ミリオに声を掛けられる。
「後輩がすいませんね!ほらっ、スーパールーキー!」
「いえ、私が前を見ていなかったんですから。それに、見たところヒーローのようで、こんな恰好の男は当然疑います」
ガハーと、通形ミリオは大袈裟に笑う。
「そう言って貰えると助かります。助かるついでに、格好の訳を教えていただいても?」
「ええ。個性の関係でね。少々醜いものですから、こうして隠して出歩いてるんです。その方がお互いに良いと思いません?」
「それは返答に困る質問だっ!!初対面の私から言うことではないですね。因みに、娘さんの包帯も個性の関係で?」
「勿論。私の実子ではなく友人の子ですが、まだ個性の制御が得意で無いようでして、よく暴走して怪我をしてしまうんです」
なるほどと呟く通形ミリオの視線が、麗日星也の腰に括り付けられたペストマスクにいく。
先手を打つように麗日星也は口を開いた。
「もういいですか?その件はまたいつか。子供の前ですることじゃないでしょう」
「……そうですね」
よしと、麗日星也は内心安堵の息を吐く。
”死穢八斎會”が指定敵団体と言えど、法的にはあくまでグレーだ。それだけ何か問題になるわけではない。
それこそ、『メテオレイン』であることが発覚した場合、大事になるのは間違いないが、そうでなければ特別注視すべき出会いでも何でもないのだ。
麗日星也の顔はフードに隠れて確認できない。
体型だって、一目でそれとわかる様な特別な体型はしていない。
故に、麗日星也と『メテオレイン』を繋げるのは不可能だ。それこそ───。
「あ、あの!」
過去に、麗日星也の声を直接聞いたことがあるような、根っからの”ヒーローオタク”がいなければ。
「───『メテオレイン』、ですよね?」
瞬間、街の一角が爆ぜた。
───例え、何を引き換えにしても、少女を救うと誓ったから。
人の怒号と、幼子の泣き声。ドタドタと人が走る音と、車のクラクションの音。
道路は抉れ、木は倒れ、窓ガラスは砕け散った。
人々の助けを求める声が、ありとあらゆるところから聞こえる。
その中心に立つ『メテオレイン』は、正面を油断なく見据えながら、背後に立つ壊理に声をかける。
「あと三歩下がって伏せてろ。あぁあと、目と耳も塞いどけよ」
「……レインさん──」
「──早くしろ」
「……うん」
高く舞い上がった粉塵が、雨によって通常よりもずっと早く落とされていく。
正面にいた二人は大きく後ろへ吹き飛んだものの、最低限の受け身はとったのだろう、細かな裂傷こそあったが、その動きは未だ精彩を欠かない。
僅かに動揺した様子で自分の手を見ていた通形ミリオは、何かを振り払う様に声をあげた。
「『デク』くん!君は避難誘導を!!」
「───はい!」
『メテオレイン』は視界を遮っていたフードを払う。
視界が大きく広がったのと引き換えに、冷たい雨がその頬を濡らした。
目を僅かに細め、一人残った通形ミリオの出方を窺う。
『メテオレイン』は目の前の男の個性を知らない。
反対に、『メテオレイン』は有名なヴィランだ。ヒーローである目の前の男が、その個性を知らないとは考えづらかった。
敵の個性を知っているものと、知らないもの。
その差は、近代の戦闘において致命的だ。
『メテオレイン』にすれば、個性不明という圧倒的なディスアドバンテージこそ、真っ先に解決すべき問題だった。
だが、この情報戦において、本当に劣勢に立たされているのは、『メテオレイン』ではなく通形ミリオの方だ。
先ほどの『メテオレイン』の一撃は、確かに不意打ちだったものの、通形ミリオは確かに反応し、その個性を発動させたはずだった。
───『透過』していたにも関わらず、『メテオレイン』の個性を受けたという事実が、彼の心を粟立たせる。
「一対一とは嘗められたな」
「まさか!!最善策ですよ先輩!!」
通形ミリオは、『メテオレイン』の個性を危険と判断。理由こそわからないものの、自分の『透過』を貫通する可能性があるとして、一層警戒心を強めた。
ただそれは、臆病になることとは違う。胸の内で大きくなりかけた弱さを、声を張り上げることで霧散させた。
その内心を知ってか知らずか、『メテオレイン』は広角をあげる。
「なら、答え合わせだ」
──細く、鋭く。
破壊の波とは異なる、線の一撃。まるで巨人が斧を振り下ろしたかのような不可視の一閃は、大きなうなり声をあげて、直線上の全てを両断していく。
絶対的な防御不可。通常の攻撃範囲を捨てたそれは、『メテオレイン』の周囲に限り、『オールマイト』の一撃すら凌駕する。
たが、その防ぎようのない一撃を前にして、通形ミリオは身体を前傾に倒した。
その次の瞬間だ。何事かと眉をひそめる『メテオレイン』をして、目を疑う事態が起こった。
通形ミリオの身体が音を立てずに地面に沈んだ。否、地面に落ちてみせたのだ。
地を抉り、巻き上げる必殺の一撃も、地中に潜られてしまえば当たるはずもない。道路に大きな爪痕を残しながら進み、交差点の信号をへし折ったところで消滅する。
「───チッ」
目の前の現象に、『メテオレイン』は思わず舌打ちした。
地中に潜った通形ミリオに、『メテオレイン』が連想したのは"死穢八斎會"の『ミミック』と呼ばれる男の個性だ。モノに入り自由自在に操るその個性と同様、道路に入り込み、それを意のままに操れるとしたら。それは──少しだけ面倒くさかった。
いずれにせよ一度距離を取るべきだ。
その判断の下一歩後退った『メテオレイン』が、不意に人の気配を感じたのは背後だ。
その間は、通形ミリオが地中に沈んでから1秒と少し。例えそういう個性であったとしても、それは余りにも速い。
咄嗟に『メテオレイン』が選択したのは回し蹴りだ。振り向き様に繰り出されるその足は、『メテオレイン』の個性により、人の肉体を容易く破壊する凶器となる。
果たして、『メテオレイン』の一撃は空振りに終わった。
通形ミリオの肉体はおろか、頭部につけられたバイザーさえも、全てをすり抜け無効化したからだ。
歯を見せて笑う通形ミリオと、目を見開いた『メテオレイン』の視線が交錯した。
伸ばされた手が、『メテオレイン』の腕へ向かう。
「まずはその腕だよね!」
通形ミリオが狙うのはまず個性の無力化だ。
『メテオレイン』が一番最初に個性を発動したとき、両手の指を合わせた事から、発動に必要なものと予測したのだろう。
その予測は間違いじゃない。正確には、"両手の指が合わさっていないと制御が出来ない"が正しいが、いずれにせよ腕を引き離されれば、『メテオレイン』に勝ちはない。
だが、既に反撃を選択した『メテオレイン』は通形ミリオの腕を避けることが出来ない。
無理に個性で距離を取れば、それこそ反動で関節がイカれてしまう危険性があった。
そしてなにより、『メテオレイン』はその腕を避ける必要がない。
通形ミリオの腕が『メテオレイン』に届く寸前。まるで硬質な物にぶつかったかのように、伸ばした腕が遮られた。
それは、硬質な空気の壁。『メテオレイン』の周囲に張られた力場による鎧だ。
圧倒的な存在からすれば意味のないそれは、資格のないものを決して通さない絶対の壁になる。
「──つぅぅ!」
「潰れろ」
ドンと、通形ミリオの立つ場所に巨大な質量が落ちる。
地面は大きくひしゃげ、クモの巣状に亀裂が走った。
直前に大きく飛び去った通形ミリオも、その片腕を巻き込まれたのだろう。その左腕は外側に大きく曲がり、腕全体が内出血を起こしている。
脂汗を額滲ませる通形ミリオの目は、それでも死んでいない。
「読めないな。蹴りが通り抜けたのは高速移動の応用か?俺の直接の個性は避けられないようだが……、まぁもう関係のない話か。………弱いな。ヒーロー」
「…だ…まれ。まだ終わってない」
交戦が始まって僅か20秒ほどにして、無傷の『メテオレイン』と、既に致命傷を負った通形ミリオ。
本来、二人の実力にここまで隔絶たるものではない。
問題はその個性の相性にあった。
通形ミリオの個性は『透過』。ありとあらゆるものを透過しすり抜けるそれは、発動の間、視覚と聴覚を失う他、呼吸を行えなくなるという多くの制限を払い、ある種、絶対的な防御力を誇る。
また、彼の個性はそれだけではない。他の質量と重なれないという性質を持つ彼の個性は、別の何かと重なっている時に『透過』を解除すると、彼の身体は質量の外に弾き出されるのだ。先の高速移動も、透過中の彼が地中に"落ち"、地中にから弾き出されることで、瞬間移動と見紛うほどの移動速度を可能としていた。
そうだ。彼はありとあらゆるものをすり抜ける反面で、重力だけは通常通りの影響を受ける。
『オーバーグラビディ』。つまりは、重力を司る彼の個性だけは、通形ミリオは『透過』することが叶わない。
それは実力の差、経験の差以前の問題だ。通形ミリオでは、『メテオレイン』には勝てないという純然たる事実がそこにはある。
荒い息を吐く通形ミリオは、それでも後退の意思を見せない。
そのヒーローは、意識が朦朧とするほどの激痛の中、真っ直ぐと『メテオレイン』の目を見据えた。
「お前のことは、俺も知ってる」
「……うん?」
時間稼ぎかと考えつつも、『メテオレイン』は聞き返した。
「『シューティングスター』。誰もが憧れたヒーローだ。伸ばされた手は決して振り払わず、無謀とも言える作戦の多くを完遂させた男」
淡々と話すその姿は、誰かの経歴を語るというよりも、自らの罪を懺悔しているかの様に見える。
一度喉を詰まらせた通形ミリオは、いっそ泣き出してしまいそうなほど表情を歪め、血を吐くよう言葉を発する。
「────かつて俺は、その姿に憧れた」
その姿には、親の背中を見失った子供のような痛ましさがあった。
クスリと、『メテオレイン』は少しだけ笑う。
「知らないなそんなやつ」
「───っ」
付き合う気はないと告げる『メテオレイン』に、通形ミリオが何かを言うよりも早く、巨大なものが砕ける轟音が響く。
一瞬の間をおいて、通形ミリオの背後に建っていた建物の残骸が飛来した。
木材、金属の材質を問わず放たれた散弾銃は、通常のそれとは違い、距離を追うごとに加速する。
ミリオの肉体に到達したとき、それは肉眼で追えるスピードではなかった。
それは、通形ミリオにとって脅威足り得ない。だが、僅かに意識が後方に割かれた。
彼等の戦いにおいて、その一瞬は致命的だ。
「余所見をするな」
個性による爆発的な加速で飛来した『メテオレイン』の飛び蹴り、正確には、その周囲に張られた力場の鎧が、通形ミリオの腹部に突き刺さった。
『メテオレイン』が持っていたエネルギーを一身に受けた通形ミリオは、その場に踏ん張ることも出来ず、それこそ、まるで連玉振り子のように吹き飛ばされる。
その身体はアスファルトで削られながら減速し、十数メートル離れたところで停止した。
「───あ……が……」
なすすべもなく吹き飛ばされた通形ミリオは、その身体を己の血で真っ赤に染め、息をすることも苦しそうに蹲っている。
『メテオレイン』は、彼がまだ生きていることに舌を巻いた。
「凄いな。あの状況で受け身でも取ったのか?……まぁ、それでどうにかなるわけでもなし、悪戯に苦しむだけか」
呆気なかったな。と『メテオレイン』は呟いた。
通形ミリオに止めを刺すべく『メテオレイン』はその歩を進める。
その瞬間。
緑色の閃光が、『メテオレイン』の下に走った。
「先輩から離れろよ!!!」
避難誘導を中断した緑谷出久が、『メテオレイン』の下へ飛び込んできた。
きっと今までの戦いも遠目で見ていたのだろう。
鞭のようにしならせた足が、無防備な『メテオレイン』の顔面に突き刺さる。
───否、『メテオレイン』の周囲に薄く張られた不可視の鎧にその足は防がれた。
一切防御の姿勢を見せなかったにも関わらず、ピクリとも動かなかった『メテオレイン』は、視線だけを緑谷出久へと向ける。
「───っ!!!」
「ちょっとだけ衝撃がきたよ。次も頑張れ」
次の瞬間、緑谷出久の身体はドンと音を立てて水平に射出される。何一つ行動を取れぬまま数メートル先の廃墟となった店舗の壁面に激突し、顔面から地面に落ちる。
それで終わり。
頭部を強く打った緑谷出久に、立ち上がることは不可能だ。
呆気ない終わりに、『メテオレイン』は一度息を吐く。
緑谷出久の行方へ視線を向けていた『メテオレイン』だったが、通形ミリオへ向き直るよりも早く、不意に誰かが立ち塞がる気配を感じた。
流石はヒーローが飽和した社会だと、『メテオレイン』は少しだけ呆れる。騒ぎが起きてから3分足らずだというのに、もう新しいヒーローが来たのか思ったからだ。
だが、そこにいたのは『メテオレイン』が想像していなかった人物だ。
大きな瞳を真っ赤に充血させ、その小さな両手を広げて精一杯に自分の身体を盾にする少女。
壊理が通形ミリオを庇って立っていた。
その姿に『メテオレイン』は問わずにいられない。
「何のつもりだよ。壊理」
「やめてよ……、レインさん」
堪えきれないとばかりに、少女の喉がしゃくり上がった。
雨で濡れたその頬に、また新たな水滴が流れる。
「やだ。こんなのやだよ」
壊理だって、麗日星也をただの気の良いお兄さんだと思っていたわけではない。
『メテオレイン』が誰を殺した、『メテオレイン』が何を潰した、そういった諸々は、意識しなくても少なからず耳に入って来ていたから。
───それでも、少女はこんな光景を見たくなかった。
大切な誰かが、罪の無い人を傷つけている。
自分にとっての絶対的な正義が、圧倒的な悪を成す。
信じていたものに裏切られた気分だった。
自分の中にあった唯一の支柱が音を立てて崩れた気がした。
麗日星也には、彼女の思うヒーローであって欲しかった。
「………」
『メテオレイン』は、無言のまま壊理を目を真っ直ぐに見る。
黒を黒で塗り潰したようなその眼は、普段とは違い、壊理に漠然とした不安を抱かせる。
どれくらいそうしていたか。
壊理の膝が遂に折れてしまいそうになったその時、麗日星也は頭を掻きながら大きなため息をついた。
「『オーバーホール』に怒られるなこりゃ」
その言葉に、壊理の肩の力が抜ける。
「いいの?」
「ダメ。ダメだけど、今回は仕方ないな」
麗日星也にすれば、壊理が誰かを庇ったことは、それだけ衝撃だった。
壊理が優しい子なのは知っていた。それでも彼女の強さは耐え忍ぶことにあったから。
自分の為に立ち上がる強さを未だ持てない少女が、誰かの為に立ち上がる強さを先に持ってしまった。
それは美しいことではあったが、そんな強さを獲得させてしまった自分自身が、麗日星也は不甲斐なくて仕方がない。
「走るぞ。これで違うのに見つかったら本末転倒だ」
「──うん」
壊理は、一度だけ背後で倒れる通形ミリオを見た。
既に意識はないのか、その身体はピクリとも動かず、ただ僅かに胸を上下させる生命の主張が、彼女の肩の荷を少しだけ降ろした。
もう二人は振り返らない。
太陽の差し込まなくなった裏路地の道を、横並びで走っていく。
※
『せいや?あなたも今日からお兄ちゃんになるんやよ』
その言葉を聞いたのはいつだったか。
お茶子が産まれた時期だろうから、小学一年生の頃だったと思う。
両親の仕事が少しだけ落ち着いて、一緒にいる時間が以前よりも長くなって少しした頃だった。
父親が行っていた事業の、自宅兼事務所の一軒家で、一階はいつも資材やらなんやらの材料置き場になっていた。
玄関が、いつも埃臭かったのを覚えている。
お茶子は保育施設ではなく、自宅で面倒を見ることになった。
母親は自宅にいることが多くなり、仕事が忙しい時は祖父母に協力を求めていた。
麗日星也は、自分の個性によって殺してしまわないように幼い妹から出来るだけ距離を取るように努めていた。
寂しいと思ったことはなかった。
麗日星也にとって、世界は砂糖細工のように感じていたから。
言い方によっては、麗日星也にとってこの世界は、物心ついたときから庇護の対象だったのだ。
そんなある日の事だった。
母親がお茶子を寝かし付けた後、二人を残して買い物に出掛けた。
その後に、予期せぬ珍客が現れたのだ。
きっと、"麗日建設"という看板に引かれて来たのだと思う。
『おいガキ、金庫がどこにあるか教えろ』
最早何処にでもある、ヴィランによる強盗だった。
※
「それで?つまり壊理に嫌がられたから見逃して来たって言うのか?正気か?」
翌日、いつもの応接間で、『オーバーホール』は苛立たしげに『メテオレイン』を睨む。
「壊理の心情を優先したんだ。有象無象のヒーローの生死より、替えの利かない壊理の心が"死穢八斎會"から離れないように努めた」
「言葉は正しく使えよ。八斎會じゃなくてお前からの間違いだろう?」
「ひいては八斎會だ。…なぁ『オーバーホール』。俺は今、悪くないバランスにいると思うんだ。あんたの実験には痛みを伴う。そりゃ壊理には嫌われるさ。だからこそ、そこは俺が補う。感情は俺が、実利はアンタが。こういうのは分担すべきだろ?」
「減らず口を」
カツンと、『オーバーホール』の靴底が一際大きな音を立てた。
「まぁいい。今回は俺達の敗けを認めよう。俺の判断ミスで、お前の不手際だ」
「あぁ、悪かった」
『メテオレイン』は確かにあの戦いに勝利した。だが、『メテオレイン』が"死穢八斎會"にいることが知られた可能性が高く、壊理のことも見られた。
戦術的には大敗と言っていい。
「近日中に拠点を移そう。それと、それまでの逃走経路の見直しも必要だな」
「迎え撃たないのか?」
「お前の存在が割れてないならそれでも良かったんだがな。かの『メテオレイン』様が相手となれば、襲撃の規模が想像出来ない」
「あんたが俺を褒めるなんて珍しいな」
「ほざけ」
それはそうとと、『オーバーホール』は一度仕切り直す。
「今日、"ヴィラン連合"の奴らが返事にくる」
「なるほど、泥船はこっちだったって訳か」
誰のせいだとばかりに、『オーバーホール』は『メテオレイン』を睨み付ける。
「船腹に穴を開けたのはお前だぞ。それに、こちらとしてはまだどうとでもなる」
「悪かったよ。それで?」
「まぁ断られる心配はしていない。計画の全容を話せばおそらく乗ってくる筈だ。だから───」
それからの"死穢八斎會"の日々に、語るべきものは多くなかった。
"ヴィラン連合"との協力関係が決まり、『トガ』と『トゥワイス』の2名が"死穢八斎會"へ派遣されたりもしたが、根底で"ヴィラン連合"を嫌う『メテオレイン』は、表面上こそ友好的にしつつも、積極的に関わろうとはしなかった。
拠点を移す準備を進めながらの日々はあっという間に移ろって行く。
運命の日は近い。緩やかな日常はここで終わる。
となれば、ヴィランの話はここまで。
ここからは、ヒーローの話。
故にこそ、話は3日ほど遡る。