悪役令嬢は百合したい   作:猫毛布

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03.魔法使いは逃げ出したい

 まるで売られた家畜の気持ちであった。

 シャリィ・オーベ准男爵は少しばかり豪華な馬車の中でそう感じていた。果たして自身の何が悪かったのだろうか。自分はただ魔法の研鑽を積み重ね、それが現在の王に気に入られてこうして貴族の称号も得た外聞的に変人である。

 その変人が政治的に何かをする訳でもない。王命をせっせと熟して、残りは好き勝手に研究へと没頭したいというのがシャリィ自身の気持ちであった。

 けれども、なんだこの状況は。

 あの悪名高きゲイルディア侯爵に呼び出された。一体私が何をした。直接問いただしてやりたい。いいや、そんな事をすれば胴体と頭は首という架け橋を壊されて永遠の別れを言い渡されるだろう。それも、秘密裏に。

 私を恨む同じ貴族達か? いいや、そんな事をした所で何の意味があるというのだ。いいや、意味の無い事をしてくる馬鹿共だと思っていたけれど、まさか、そんな、ここまで盛大に権力を用いて潰してくるにしてもゲイルディアを使うとは思えない。思いたくない。

 そもそも私とゲイルディア家の繋がりなんて無い。私の血族とゲイルディアの血族がまったく繋がっていない。親しみすらない。というか、あんな悪名高い貴族様とお近づきになりたくない。

 それほど社交界に興味のない私だってゲイルディアの悪名は耳にしている。それこそ王に歯向かう事はないけれど、裏では相当に汚い事をしているらしい。噂では、全ての悪事に関してゲイルディアが関わっているとか。何を大げさな、と幾つか調べてみようとしたけれど、その全ての資料はものの見事に無く、多少繋がりのある貴族に聞いた所で返ってくる答えは「やめてくれ」である。

 それらの噂と貴族の反応からして、悪名の大半は正しい事なのかもしれない。そのゲイルディアにどうして私が向かわなくてはならないのか。

 なんだ、この状況は。

 

 

 

 

 

 果たして馬車が到着したのは見事なまでの邸宅である。私が保有している自宅兼研究所と比べる事すら烏滸がましいだろう。

 羽織っていたローブの裾を正す。ここまで緊張したのは何年ぶりであろうか。近頃は無かった感覚だ。この先に死刑台に向かう時にきっとまた味わうことになるだろう。

 大きく呼吸をして意識をしっかり保つ。逃げたい。二日程離れた研究室が既に恋しい。研究資料に埋もれていたい。

 そんなシャリィの思いなど一切無視される事はシャリィ自身が理解している事だ。自身で断れない事であるから先方に自身の不要さと、政敵にすらならない事を示して、研究(住処)へと帰してくれる事を願うばかりである。

 

「……、それでは行きましょうか」

 

 大きく吐き出そうとした息を飲み込んで、シャリィは足を進める。頭の中には今から会うであろうゲイルディア家の悪評と自身の研究している魔法式の理論を展開し、この国における処刑方法が流れては消えていく。自分も消えてしまいたいが、そんな事を許さないと言わんばかりにメイドや執事が案内をしてくれる。なんて丁寧なのだろうか。自身が死んだ時の予行演習でもしている気分だ。

 

「クラウス様、お連れしました」

「入れ」

 

 重厚な木製の扉が開く。奥から聞こえた低く太い声にシャリィの顔は少しだけ強張る。数年前に研究資料が無くなった事と比べればまだまだ余裕である。足が震える程度だ。

 部屋の中には一人の男が居た。厳しい顔が顰められており、走らせていた羽ペンを止めてその鋭い青の瞳がシャリィを一瞥する。

 もしも悪という物を人の形へとするのならばこの男の姿になるに違いない。シャリィは確信した。同時にその思考を深く深く沈めて蓋をした。

 

「ようこそ、と言っておこう。俺がクラウス・ゲイルディアだ」

「は、はじめまして。シャリィ・オーベ、と申します」

「……オーベ卿が男爵を拝命した際にも俺は居たが」

 

 息が詰まった。冷や汗が流れる。シャリィとて准男爵になった事は覚えている。尤も、その前日に眠れずに研究に没頭した末に式典に参加していたのだから記憶とて曖昧であるが。

 クラウスの瞳が更に細くなる。まるで全てを暴くようにシャリィを見つめ、頭を振る。

 

「貴公がどのような人物であるかはよく知っている。だからこそ、こうして話をするとは思わなかったが」

 

 なら帰してください……。そんな小さな言葉が口から出そうであったが、シャリィは口すら開ける事ができなかった。

 

「既に伝えた事であるが、貴公には我が子、ディーナに魔法を教えてもらう。見返りとして貴公の研究を支持しよう。当然、資金援助もする」

「は、はぁ……それで、その、ディーナ様はお幾つなのです?」

「今年で三歳になった」

「さっ!?」

 

 シャリィは咄嗟に出そうになった言葉が口から出ないように手で抑えた。三歳で魔法に興味を持つのは理解できる。そういう子供も、少ないが存在している事をシャリィは知識として知っている。

 その全ては自身のような偏屈な魔法使いなどではなく、栄華と名誉を謳う魔法使いに教えを請うものであった。それも知識として理解している。

 その役割が自身に回ってきた。ただそれだけの話であるのならば、シャリィとて驚きもせずに気の抜けた返事をしただろう。クラウスを前にそれが出来るとは言わないが。

 

「その、失礼ながら。私を呼んだのは、ゲイルディア卿の判断でしょうか?」

「俺が貴公のような無名にも近い魔法使いをこの場に呼ぶと思うのか? ディーナの願いだ」

 

 誰が好き好んで呼ぶものか、と言外に言ってみせたクラウスの言葉にシャリィの背筋が震える。自身の情報という物は魔法使いにとっては知り得る情報であるが、まだ三歳の子供が知り得る物ではない。

 更に言えば、目の前にいる男が娘にその情報を与えたとも思えない。

 恐ろしい。と同時に興味が湧く。帰りたいという気持ちの中に一分ほどの興味が芽生える。

 

「ディーナからお前を帰せと言われればそれまでだ。精々嫌われないようにしろ」

「はい」

 

 逆を返せば、そのディーナお嬢様に嫌われてしまえば研究所に戻れるのだ。芽生えた興味が踏み潰される。シャリィはこんな所に一瞬たりとも長くいたくはなかった。

 

 

 

 ようやく重苦しい圧から解放されたシャリィはメイドに案内され、目の前の扉を見つめる。

 この向こうには噂のディーナお嬢様が存在する。彼女に嫌われるならばどうすればいいのか。それこそ彼女に罵詈雑言を浴びせてみせれば、この家から容易に脱出できるだろう。この世界からも脱出できてしまうが。

 なるべく、彼女を傷つけず、そして嫌われる。子供に嫌われる事は得意だ。なんせ自身が追い求めている事は子供にとってはつまらない事に違いない。

 悪魔の子は悪魔なのか。

 一瞬で思考を巡らせて、シャリィは一歩踏み出した。

 

 そこには、綺羅びやかな小さな悪魔が存在した。あの男に似た青の瞳がシャリィを貫き、波打った金色が少女の存在を頭に叩きつけてくる。童顔である顔に笑みを浮かべている。

 詰まった喉を無理矢理に動かして、シャリィは奥歯を噛み締めてから声を出す。

 

「はじめまして、ディーナお嬢様。私はシャリィ・オーベと言います」

「はじめまして。シャリィ・オーベ様」

 

 笑みを一層深くして答えるディーナにシャリィが安心したように息を吐き出す。なんて事はない。悪魔の子が悪魔であった所で、今はまだ幼いのだ。だから、こうしてこの少女に対して恐れていたとしても――。

 

「ご気分が優れないようですが」

 

 ゾクリと背筋に怖気が走る。剣を突きつけられたように、魔法が目の前で行使されてしまったように。けれど、目の前の少女は口元に笑みを浮かべている。まるで、こうして怯えている自身を楽しむように。

 

「ああ、いえ、その……長く馬車に揺られていたので」

 

 まるで売られた家畜の気分であった。そんな事を冗談として呟いたけれど目の前の少女にはつまらなかったようだ。そう、それでいい。自身がどれほどつまらない存在であるかを証明すればいい。そうすれば、この家から――この少女から逃げる事ができるのだ。

 カップを口につけた少女は確認するようにシャリィを見つめる。

 

「オーべ様はどのような魔法が扱えるんですか?」

「ええ、そうですね。私が扱う属性は……水が主ですね」

 

 火のように苛烈でなく、土のように形に現れるでもなく、風のように感じる事もない。子供にとって体験できないという事は同時につまらないという事に違いはない。魔法式の解法によってある程度の属性魔法を扱うことのできるシャリィにしてみれば、そのどれもをディーナに体験させる事も可能であるけれど。

 

「まあ! オーベ様。嘘はいけませんわ」

 

 静かに置かれた筈のカップの音が嫌にシャリィの耳にへばりつく。嘘。そう、嘘である。けれど、その確証などこの少女がもっている訳がない。なんせ自身の研究結果を少女は知りえない。過程を知りえない。

 まるで答え合わせでもするように、罪状を読むために取り出された分厚い本はシャリィとて見覚えのある物であった。内容の全ては記憶にないけれど、その本にシャリィ自身がどのように偏屈で嫌味な存在であるかが書かれていた筈だ。嫌になって本を投げ捨てたのは思い出せた。

 

「その中に私が書かれているようですが、その通りに私は嫌味で偏屈な存在ですので――」

「では、本当に属性魔法のすべてが扱えるのですね」

 

 教えるには向いてません。と口にする前に少女の口から飛び出た言葉にシャリィが固まる。脳裏に残った僅かな本の内容を思い出せば、確かに自身の研究題材に関して書かれていた。同時にそれが如何に狂った物であるかも。

 なんだ、なんだこの少女は。

 恐ろしい。恐ろしい。

 

 

 けれど、同時に実に面白い存在である。

 この幼い悪魔が私の研究を理解し、研鑽したならば、研究はどこまで進むのだろう。いいや、落ち着くべきである。まだ幼い少女である。けれど、もしも……。

 既に言葉が止まらない。延々と理論が口から溢れていく。その全てを理解する事などできる訳もなく、一端ですら理解などできないだろう。なんせ、この少女は未だに三歳なのだ。

 そう、三歳である。三年しか生きていない悪魔である。

 

 その一端ですら理解できるというのならば、私はこの悪魔の子と契約してみせよう。

 それこそ、私の為に。私の研鑽の為に。

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