那須隊の番犬   作:遠野雪人

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 今回は11話の後日談です。



第12話 小南桐絵⑥

 

 

 

「というか、流されるままに出てきたけど……ファミレスなんて行けるわけないだろ」

「何で?」

「何で、って。こんな時間に明らかな未成年を入れさせてもらえるわけねーよ」

 

 さして深く考えもせずに出てきてしまった犬彦も犬彦だが、小南も小南だ。半ば勢いで言ったことなのだろうが、少しはブレーキを効かせないといつか事故るぞ、とため息交じりに告げる。

 

「そうなの!? 知らなかったわ……」

「えっ」

 

 マジ顔で驚く小南に驚愕の表情で凍りつく犬彦。

 この反応は間違いない。いつもの他愛ない嘘にさえ真に騙されている時の反応……つまり、小南は本気で知らなかったことになる。

 ファミレスを利用したことがないか、その時間帯まで遊び歩いたことがないか、あるいは単純に知識がなかっただけなのか。

 犬彦とてコミュ障故にあまり利用したことがないものの、知識くらいは備えている。小南くらいの年齢であれば少し羽目を外して遅くなるくらいのことがあってもいいはずだが、小南の反応はそういった経験がないとまで匂わせている。騙されやすいことといい、大事に育てられた箱入り娘、という印象だ。

 

 そこまで考えて、犬彦はおもむろにずいと小南に顔を寄せた。突然のことに、「は、え、ちょ!?」と顔を真っ赤にさせてあたふたしだす小南を尻目に犬彦は語気も強く指さしつきで忠告する。

 

「いいかお前、どこ行くにせよ絶対にトリガーを手放すなよ」

「は、はあ?」

「そんで怪しい奴にはついて行くな。ヤバいと思ったら即使え。あとお前がどんなに騙されやすくてもせめて詐欺の手口くらいは勉強しておけ。いやしてくれ、頼むから」

「あんたはあたしの母親か! 言われなくてもそのくらいわかるわよこの大馬鹿っ!」

「いやいやいや。俺もそんなに付き合いある方じゃねえけど、お前ほど見てるだけで危機感覚えるような奴見たことないから。チャラ男にありふれた誘い文句で誘われて瞬く間に人生破滅しそう。その辺把握してる分小夜子のがよっぽど安心して見てられるわ」

 

 まあ、そもそも小夜子の場合は1人で出歩くことがないのだけれど。その点からいっても少なくとも小南よりは安全であると踏んで犬彦はしたり顔で頷く。

 

「何よそれ! あたしがそんなわかりやすい誘いに引っかかると思ってんの!?」

「思うから言ってるんだが……逆に聞くけど、今までにこういう忠告されたことないか? 親からとか学校の行事以外で。そしたら今すぐこの場で土下座するけど、どうよ?」

「も、勿論ない……わよ」

 

 言葉とは裏腹に、逸らした目が泳いでいる。

 嘘を吐き慣れていない様子には好感が持てるが、だったら下手に意地を張らなければいいのに。

 大きく溜息をついて言った。

 

「まあお前がそう言うならいいけど、とにかく気をつけろよ、本当に。茶化したり馬鹿にしたりしてるわけじゃなくて、本当に心配なんだよお前」

「う……わ、わかったわよ。気をつける」

 

 犬彦の語調が真剣であることを悟ったのか、しおらしく肩をすぼめて小南が頷いた。真っ直ぐな誠意に照れを隠せなかったのか、耳まで赤く染めて居心地悪そうに身じろぎしている。

 さて、そうなるとどこにするか。

 

「一応聞くけど、後日にするって手は」

「ないわよ」

「ですよねー」

 

 眼光鋭く突き刺さり、犬彦は頰を引きつらせた。

 

 ――プランもないくせに勢いだけで口にするんだからなあ、この先輩は!

 

 いつものこととはいえ、もっと時と場合を考えた提案をするべきだと強く思う。代案があるならともかくないのに半ば意地のような勢いで推すのは流石にどうだろう。ちらちらとこちらを伺うくらいなら最初から突っ走るなというのだ。

 とにかく、返す返すもこの時間だ。1時間2時間くらいで終わる話ならともかく小南の勢いから言ってそうはなるまい。となると深夜帯まで、それも未成年でも過ごせる場所が必要になるわけだけども。

 

「ところで、小南はこんなに遅くまで過ごして親から何も言われないのか?」

「さっき連絡したもの。何も問題ないわ」

「……親御さん何か言ってなかった?」

「な・に・も・な・い・わ・よっ!」

「アッ、ハイ」

 

 それだけで全てを察したが、口にするのはやめておいた。

 

「ていうか、だったらもう玉狛戻った方が早くね?」

 

 今更ではあるが、こんなに悪条件が揃っているのであれば出る必要などなかったのではないか。訓練室さえ動かせるのなら話の流れで実際に身体を動かすこともできるし、悪くないように思えるのだけど。

 犬彦の提案に、小南は腕を組んで首を横に振った。

 反応は早いが、口にする言葉には力がない。考えなかったわけではないのだろう。

 

「却下」

「何で?」

「……あんな感じで出てきておいて戻ったら馬鹿丸出しじゃない」

「えっ、今更? ――ちょ、痛い! なんて理不尽!」

「うるさい! とっとと次の案考えなさいよ!」

「次の案って言っても……」

 

 制服こそ着てないものの、見た目からして少年少女然とした2人組である。となると店に入るという選択肢は必然潰れてしまい、そうなると選択肢などほぼないに等しい。

 対案も考えつかないわけではないが、もっとダメそうであることを考えるとこれしかなかった。

 どうしてこんなことになったのか。くたびれた溜息を漏らしながら、犬彦は投げやり気味に言った。

 

「じゃあ、ウチ来るか?」

 

 

 

 

 

「お、お邪魔します……」

 

 先に玄関の土間に踏み入った犬彦が、思わずといった様子で振り返った。

 

「何でそんなに緊張してんだよ……ビビるわ。普通にしててくれよ」

「き、緊張なんてしてないわよっ」

「いや、まあいいけどさ……」

 

 緊張云々は、繰り返し言ったところで水掛け論になるだけだろうと早々に諦めた。

 どうせ犬彦と小夜子しかいない部屋だ。両親がいるならともかく、同年代の面々しかいないのだからそのうちいつもの調子に戻るだろう、と放置を決め込む。

 

 それにしても友達の家に遊びに行くくらいでこれとは、ますます箱入りっぽいな、と犬彦は密かに疑いを強めた。

 素直ではないものの、明るく善良な小南のことを考えるに、友達付き合いがないという線は薄いだろう。となると単純にこういう経験が少ないだけか、親から止められているか、あるいはボーダーに尽くしていたか。

 小南にかかっている容疑を考えると2番目の線も捨てがたい。前に聞いた、古参メンバーの1人らしい話を聞くと3番目の線も考えられる。

 

 今度従兄弟らしい嵐山先輩にでも話を聞いてみようか、と結論づけて思考を打ち切る。すると不意にポケットの中のスマホが着信を知らせた。画面には小夜子の名前がある。

 

「もしもし」

「誰? お母さん? それともアウトな方?」

 

 足音で来客を悟ったらしく、鋭く囁く声には緊張が走っている。

 突然足を止めて電話に出た犬彦を背後の小南が不思議そうに見ている。無理からぬ反応だ。こうして電話に出ている犬彦自身も理解はしているが納得はしていないのだから。

 深々とため息をつきながらそれに応じた。

 

「どっちも違うわ。というかアウトな方は流石に哀れみがすぎるからやめてやれよ」

「ならとりあえず身内の線は消えたわけか……ほ。そうなると誰になるのさ。身内以外っていうと、友達? まさか」

 

 両親の線が消えた途端、嘘みたいに流暢に語る様を見て思わず天を仰いだ。

 

 ――嫌われすぎだろ親父……。いや無理もないけどさ。

 

 幼少の頃からのエピソードを探せばいくらでも原因がゴロゴロと出てくる。そういう関係なので今更同情を寄せる理由もなかった。

 電話の向こうのダメ姉はかなり失礼なことを平然と吐いているが、これでもトーンは真剣そのものなのである。お互いを熟知し、交友関係を知り尽くしているからこその真顔の発言。今更腹を立てることもないがこの調子で社会に出られるのか弟としては不安で仕方がなかった。

 再び声を潜めて小夜子が問いかけた。

 

「男? 女?」

「……女だけど」

「なっ……!」

 

 鋭く息を吸う音が聞こえたと思ったら電話が切られた。リビングが俄かに騒がしくなり、慌ただしい音を立てて廊下に繋がるドアが開かれる。

 犬彦の背後に立つ小南を認め、小夜子の目が大きく見開かれた。

 

「ひっ、酷いわ犬彦っ! 私とのことは遊びだったのね!」

「俺は何も疾しいことはしていない!」

「む。素の反応っぽくありながらもそれでいてこっちの演技に付き合った回答。やりますねえ!」

 

 物陰からこちらを悔しそうに覗く不倫相手の真似から一転、へーいへーいと子供のようにハイタッチをねだる小夜子。

 適当にあしらっていると、どさっ、と背後で響く鞄が落ちる音。

 首を傾げた2人が仲良く振り返る。――驚愕に顔を引きつらせた小南が細い指を突きつけて叫んだ。

 

「あ、あんた達そういう関係だったの!?」

「待て待て待て、俺は何も疾しいことはしていない!」

「姉弟でなんて、不潔よ不潔! 変態! 変態!」

「チクショウ、ネタが通じねえ奴はこれだから! おい演技は終わりだ、お前からも何とか言ってやれ!」

「ちょっと犬彦! 誰よこの泥棒猫は!」

「お前もここぞとばかりにノってくるんじゃねえ! 収拾つかねえだろが!」

 

 この後、喜色の色を隠しきれていない小夜子のかき回しに翻弄されつつも何とか小南の誤解を解くことに成功した。

 かかった時間は15分。言うまでもなくトップレコードであった。

 

 

 

 

 

「意外と片付いてるのね」

 

 リビングに踏み入りながら感心したように小南が言った。

 他人からそう褒められると、ダンボールだらけの初日を思い出して犬彦は何だかとても感慨深い気持ちになった。

 元々小夜子が買い集めたゲーム以外にモノが少なかったこともあり、不要なものを捨てて整理してしまえばそんなに多くは残らない。こざっぱりとしたリビングに目立つのは大型のテレビとゲーム機を収納したラックくらいのものだった。

 きょろきょろと物珍しそうに周囲に目をやる小南に、腰に手を添えた小夜子が得意げに胸を張って鼻を鳴らした。

 

「ウチは犬彦がそういうの気にしてますから。弟が有能で姉の私も鼻が高い」

「まあそうだな。姉が何もしてくれないからな」

「痛烈なカウンターが姉の心に大ダメージ! ところで今日はどうしたの? こんな時間に小南先輩が来るなんて珍しい」

「必死さが滲み出てんぞ」

「……犬彦さん、もしかして割と怒ってます?」

「答える必要ある? それ」

 

 低く呟くと、逃げるようにさっと目を逸らした。

 要らない揉め事で無駄に浪費した体力と時間の恨みを犬彦は決して忘れない。

 

「ちょっと犬彦に話があって。急に押しかけて来て今更だけど、こんな時間に来て大丈夫だった?」

「全然大丈夫ですよー。私達しかいませんしこの時間はいつも徹ゲーやってますから」

「徹ゲー?」

「徹夜でゲーム。朝までぶっ通しでやる予定なんですけど、やります?」

 

 咄嗟の判断に困ったらしい小南がコメントを求めるように犬彦を見た。

 犬彦は少し考えて、

 

「後にしよう。話がどれくらいかかるかわからんし、とりあえず小夜子だけでやっててくれ」

「ほいほい」

「やるかやらないかの同意を求めたんじゃないわよっ。ていうかあんた達、いつもそうなの?」

「流石に平日はやりませんけど、週末は大体。防衛任務とかない限りは基本そんな感じですけど?」

「平然とダメなこと言われてる気がするんだけど、私がおかしいのこれ……?」

 

 納得いかない表情をして唇を曲げる。

 もっともそれは志岐家の内情を知った人間がとるおおよそ普通の反応だったが、当然不利な情報を口にするはずもなく犬彦はさて、と手を叩いてキッチンに向かった。

 

「とりあえず時間もアレだし先に飯にしよう。ちょっと時間かかるから小南は小夜子と遊ぶなりしててくれ」

「え? あんたが作るの?」

 

 エプロンを手にする犬彦の姿に小南が目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。

 言ってなかったっけな、と首を傾げながら犬彦は頷いた。

 

「料理できるの?」

「まあ、人並みには」

「安心して! 犬彦の家事スキルは本物だから! 何せ私の家事スキルがゼロなので犬彦が上げざるをえなかったんだからね!」

「あんた、苦労してるのね……」

 

 変な同情を買ったようだがその効果はあったらしい。目頭を押さえながらの小南の言葉を背にキッチンに立つ。

 そこそこ夜も遅いし、相手は小南だ。あまり凝った料理にする必要もないだろう。

 

 

 

 

 

 犬彦特製の焼きそばを食べ終えた後は、ようやく本題の『どうやったら強くなれるか会議』だ。

 座卓の上にノートパソコンを立ち上げ、訓練の様子を録画した映像を流して観察する。

 犬彦と小南とで肩を付き合わせて食い入るように眺めていたのだが、気付けば小夜子も興味深そうに目を輝かせて画面を覗き込んでいた。

 2合、3合で何度も切り捨てられて行く犬彦を見ながらの最初の言葉は、

 

「これどう考えてもレベルアップポイントだよね。一度前のステージに戻ってレベル上げに勤しまないと」

「ああ、明らかに運営がここで難易度釣り上げて来た空気あるよなこれ。……でもこれ最初のステージなんすよ」

「クソゲーかな?」

「バグと言われても納得しちゃう。早く修正パッチ当ててほしいんだけど」

「いやいや、ゲーマーとしてはここでレベル上げ以外の抜け道を探すのも全然アリだと思うんだよ」

「ほう。たとえば?」

「毒入り煙幕叩きつけて動きを止めるとか」

「お前何でこの動画見てるか覚えてねえだろ」

「特殊コマンドで小南先輩の足元の床がパッと抜けたりしないかなあ」

「そこまでしないと勝てねえのか……いかん、なんだか泣けてきた」

「あんたたち真面目に見なさいよっ」

 

 いつものノリで小夜子と話していたらついに小南の雷が落ちた。

 確かに側から見たらそう見えるかもしれないが、頭から尻までふざけていると思われるのは心外である。

 

「いやいや、じっと黙って見てたってわからんでしょ。第一それでわかるようなら側から見てたレイジさん達が気づかないわけがない。違うか?」

「あんた達の話、全然わからなかったけどとても真面目に話してるようには見えなかったんだけど」

「小南先輩はゲームやったことないんです?」

「ないけど」

「なんて勿体無い! 人生の半分は損してますよ。実際、私の人生はほぼほぼゲームで形作られたと言っても過言ではないです」

「口にする人間のせいで説得力がカケラもないんだが」

「犬彦、シャラップ!」

 

 まあこれは放っておいてだな、と犬彦が小南に向き直る。

 意外にも真摯な目に小南が鼻白んだ。

 

「どんな馬鹿話でも会話してるってことが大事なんだよ。1人の頭の中で考えつくことなんてたかが知れてる。人が違えば、視点も変わるし感想も意見も変わるんだ。俺が考えもしなかったことがポロッと会話の中に零れ落ちることもあるから案外馬鹿にできないぞ」

「会話……ねえ」

 

 犬彦の言葉を受けて、小南は顎に指を添えて考え込む仕草をした。

 頭ごなしに拒否されるかと思ったが、顔色や雰囲気は意外と肯定的である。こういうところもこの先輩を嫌いになりきれない理由なのだった。

 

「私もやった方がいいの? それ」

「バッチこいだ。身内の外からの視点ってのがすでに新鮮だからな。ゲーマーじゃないってところもいい」

「あんた達の話、さっぱりわかんないんだけど」

「気にするなって。こういうのはノリが肝心なんだよ」

「いっそ見ながら教えましょうか。この機会に是非小南先輩もゲームの魅力を知ってって欲しいですよ」

「そんなに楽しいものなの?」

 

 その質問には、小夜子と口を揃えてこう返さざるを得なかった。

 

「それはもう、とびっきりに」

 

 

 

 

 

「んう?」

 

 朝日を受けて小南は薄らぼんやりと目覚めた。

 身体はクッションの効いたソファに沈み込んでいる。寒くはなく、ほんのり温かい。いつのまにか毛布をかけられていた。最近干したばかりなのか、お日様の香りが鼻に付く。

 

 ――どこだっけ、ここ。

 

 半覚醒の意識で小南は考える。

 そう、昨夜は犬彦の家を訪ねて、夜も遅い時間から話し合いを始めた。その後話の流れで小夜子がゲームを持ち出した辺りから記憶が飛び始めている。恐らくそのまま寝入ってしまったのだろう。

 隣を見ると、犬彦の姉である小夜子が長い黒髪をソファに垂らして寝入っている。毛布に包まれ、緩く笑んだような寝顔はきっと幸せな夢を見ているのだろうことを悟らせた。

 

 ……改めて見ても本当によく似ている。

 昨夜小夜子と顔を合わせた時、小南は内心とても驚いていた。まさに犬彦を女性にしたらちょうどこんな感じになるのだろうという顔立ち。恐らくどちらかがどちらかに合わせて変装したら今の小南にはきっと見分けがつかないに違いない。

 今度アイツ女装させてみようかしら、とぼんやり考えながらかけられていた毛布を剥いだ。

 

「お、起きたか。早いな」

 

 キッチンから声がかけられた。

 見ると昨日と同じくエプロンを着た犬彦が小南に小さな背を向けて料理をしている。

 

「おはよう。今何時?」

「おはよう。もうすぐ9時になるんじゃねえか? 結構遅くまで起きてたはずだが、朝はきちんと起きれるのな、お前」

 

 9時。その時間はいつも7時か8時には起床する小南に軽い衝撃をもたらした。

 それほど疲れていたということだろう。夢さえ見ない眠りから覚めた小南の頭はひどく重かった。

 

「そういうあんたは何時頃起きたのよ?」

「7時くらいだな」

「……あんたこそ早いじゃない。あたしより遅くまで起きてたはずでしょ?」

「まあ慣れっこだからな。習慣みたいなもんだ。いつもならこの時間までぶっ通しでゲームしてることを考えれば、このくらいは当然」

「あんた達マジで早死にするわよ……」

「なあに、昼に寝れば帳尻は合うだろ」

「完全にダメ人間の発想じゃない」

「そのダメ人間が朝飯作ったわけだけど、いらねえのか?」

 

 言葉に反応したのか、小さく小南のお腹が鳴った。

 彼ら姉弟と違って規則正しい生活を送っている小南には正常な反応である、が。……何もこんな時に鳴らなくても、と小南は顔を赤く染めてやけ気味に叫んだ。

 

「いる! いるわよ!」

「そんな噛み付くように言わんでも……ほら、できたぞ」

 

 チン、と軽い電子音。レンジから取り出したトーストを皿に乗せ、もう片方の手にサラダを持ってやって来るのが不思議と様になっている。

 

 ――しっかりしてるんだ。

 

 本人に言ったら怒られること間違いなしだろうが、今までの小南にとっての犬彦への印象は年相応のやんちゃな子供、というものだった。小柄な見た目に普段の付き合い方を考えれば、どうしたってそれ以上にはならない。

 しかしこうして一晩、特に家での犬彦の振る舞いを見ているとまた違ってくる。

 家事を一通りこなし、甲斐甲斐しく姉の世話を焼いているのを見ると世話焼きのお兄さん、という印象の方が強い。

 弟なのに兄、というのも変な話だがこの姉弟の場合その方がしっくりくる。背伸びして手伝いをしているだけならともかく、一連の動きは手慣れている空気を感じた。これが彼らにとっての日常なのだろう。

 

 ――週末の日課は徹ゲー、と平然と口にしているような変なところもあるけどね。

 

 その辺りは年相応なのだろうか、と小南は運ばれたトーストに口をつけた。

 

「お姉さん、小夜子は起こさなくていいの?」

「徹ゲーしたわけでもなし、そのうち起きてくるだろ。昼までには起こすさ」

 

 未だにソファで寝こけている小夜子を見ながら聞くが、犬彦は姉のことより自分のトーストの味付けに夢中らしく、マーガリンの上からジャムを塗る手を一切止めないままに言い放った。

 

「適当ねえ」

「休みだし、予定があるわけでもないしな。ところでお前はどうするんだ?」

「これ食べたら一度帰るわ。着替えたいし、一応の方針は立ったものね」

 

 立たなかったら昼まで続投の構えだったが、幸いにしてそれはなくなった。ならいつまでもここに残る必要はないだろう。

 

「本部って休みでも空いてるのか?」

「空いてるけど、何?」

「午後から暇だからな、一度顔出そうと思ってる」

「自主練? 別にいいと思うけど、休みだしほとんど相手なんていないわよ?」

「1人でも筋トレはできるし、立ち回りくらいならやれるだろ」

「休み明けでいいんじゃない? 急いでやる必要もないと思うけど」

「そうか? ……なんか意外だな。お前なら積極的にやれって言ってくるものかと思ってた」

 

 不思議そうに、あるいは気味悪そうに犬彦は言った。

 確かに小南自身、本来であれば犬彦の言う通りの反応をするところではあるのだが。

 

「あんたって、どうして強くなりたいの?」

「強く? またいきなりな質問だな」

「お金のためだったり身内の人を殺された恨みを晴らすためだったり、色んな人がいるけど、あんたってそのどれでもないでしょう? そこまでお金に不自由しているようには見えないし、何より小夜子がすでに働いているんだもの。滅私奉公ってタイプでもなさそうだし、なのにそこまで頑張るのはどうしてなのかなって」

 

 一晩を通して犬彦と話し合い、その日常を見て、確かに犬彦への印象は変わった。でもそれはあくまで犬彦の人となりを知ることができただけにすぎない。

 大きなバックボーンがあるわけでもなく、人よりトリオン能力が高いだけの普通の子供だ。ボーダーでの活動もいいとこ部活の延長上でしかなさそうで、必要に駆られる理由もないのに頑張るのは何故なのか。それが小南には不思議だった。

 小南の問いを受けて、犬彦は腕を組んで首を傾げた。

 言葉にはしづらいのか、少し間が空く。

 

「憧れたから、じゃダメなのか?」

「それだと、別にあたしに教わる必要はないんじゃない? 要は玲の技術を学べればいいわけでしょう?」

「まあ、そうだけど。でもお前のも……その、良いと思ったわけで」

 

 尻すぼみに口の中に消えていくが、言いたいことは伝わってくる。気分は悪くないが、答えとしては物足りない。

 無言で促すと、そうだなあ、と背もたれに深く背中を預けて、夢見るようにぽつぽつと呟く。

 

「まあ今になって思い返してみれば、最初は興味からだったな」

「興味? ボーダーの活動に、ってこと?」

「それもあるが、どっちかというと小夜子が働いてる職場に興味があった、という方が正しいな」

「……シスコン?」

「違えよ。小南は見たこと……ないのか? あるかもしれんが、あいつは普通に働くにはちょっとばかり障害が多すぎるからな。最初はすぐに逃げ出すんじゃないかと思ってたけど、これがどうしてよく続く。となれば、興味が出てくるのも無理ないだろ?」

「障害? ……って、聞いてよかった? これ」

 

 隠せるようなものでもないしな、と犬彦は肩をすくめて続ける。

 

「異性恐怖症で、コミニュケーションも苦手、ゲームをやって育ったおかげでパソコンは扱えるけど、人に言える得手なんてそれくらいのもんだ」

「あんたにも当てはまるんじゃない? それ」

「そうだよ。だから興味が出たんだ」

 

 茶化すつもりで口にした言葉に、犬彦は意外にも真摯な声でそう返した。

 空を仰いで、目を決して合わせようとしない。呟かれる声に小南は思わず口を噤んだ。

 

「小夜子があんまりにも楽しそうだったから、似た者同士な俺も小夜子みたいに楽しくやれるんじゃないかってな。最初のきっかけはそれだ。学生の頃から働けて給金が出るってのも魅力的だったし……で、小夜子に無理言ってボーダーの模擬戦を見せてもらって、那須先輩の技に憧れた」

「……入る前の話? だとしたらマズイんじゃないの、それ」

 

 いくら身内とはいえ、内部の情報をそう気軽に部外者に見せてはいけないだろう。たとえ模擬戦の情報であっても、だ。

 ジト目で咎めると、犬彦とて危ない橋を渡っているのは理解しているらしく、それは言わない方向で一つ頼む、と目を逸らした。

 シリアスめな話をしている割に肝心なところで締めきれないなあ、と小南は頬杖をついて顎を乗せる。

 

「まあそれは貸し1として、ね。あんたの入ってきた経緯はわかったけど、それで熱心に頑張る理由は何なの?」

「借りてもいないのに貸したことになるのか……。とにかくそういうわけだから、入った理由はふんわりしたものだった。憧れたから、興味本位で、小遣いを稼ぎたいから……そんな理由しかなかったし、だから強くなりたい理由も、やるなら1番を取りたいから、ってくらいのものでしかなかった」

「なかった、ってことは今は違うの?」

「詳細は省くけど、この前那須先輩とそういうことを話す機会があった。それでちょっと、考えが変わった」

「どんな風に?」

「お前が言うところの、熱心に頑張る理由が欲しいと思ったのさ」

「……んん? 熱心に頑張る理由が欲しいから熱心に頑張る……?」

 

 無限に続いていきそうな言葉の連なりに小南は思わず首を捻った。

 理由が欲しいのが頑張る理由だなんて、なんだかよくわからない言葉だ。

 

 眉根を寄せる小南とは対照的に、そんなに悩むことだろうか、と犬彦は教鞭を振るう教師のように指を立てて言葉を続けた。

 

「さっきも言った通り、俺にたいそうな理由なんてものはなかったんだ。身体を鍛えておきたいから適当な運動部を選ぶとか、そんな曖昧な理由でしかここにいることを説明できない。けど那須先輩の理由を聞いて、それじゃダメだと思ったんだ。明確な目的がないと、本当の意味で強くなれない……なんて、俺もよくわかってねえけど、何となくそう思ったんだよ」

「その明確な目的ってのが決まってないのに、熱心に頑張るの?」

「……決まってないから、足掻くしかない、が正解だなあ。頑張るのをやめたら、それこそ目的なんて手に入れられない気がするだろ」

 

 渋い顔をして犬彦は言った。

 苛立たしげに頭を掻くのを、小南はじっと目を細めて見つめた。

 

 ――あんまり良くないわね。

 

 漠然とした感覚ながらも、小南は今の弟子の状態をそう判じた。

 目的や理由を求めようとするのはいい。けれど今の犬彦の状態はあまり健康的ではないように感じた。

 止まり木も見つからず、果てのない大海の上を渡る鳥のようなものだ。足掻くのをやめれば墜落する。それがわかっているから足掻くのをやめられない。

 それはあまりにも救いがない。けれどやめさせるのもそれはそれで違う気がする。

 

 理由はどうあれ、犬彦は今目的を探すために行動しようとしている。

 必要なのは道しるべだ。

 この選択が正解なのかはわからないが、もとより理性的な判断など向かないタチだ。

 小南は勘の赴くままに口を開いた。

 

「あんたとしては、今のまま頑張っててもその頑張る理由ってのは見つからないと思ってるわけよね」

「……見つかればいいなあ、とは思ってるけどな」

 

 先行き不安、と考えてることは明白だった。

 

「ボーダーに来てから何かやった?」

「C級の訓練に教養に……お前との特訓か?」

「ほぼ身体鍛えることしかしてないわね。だとしたら無理もないんじゃない? 頑張る理由も何も、何のために鍛えてるのかも理解してないんだもの」

近界民(ネイバー)と戦うためだろ?」

「それがよくわかってないって話よ。近界民(ネイバー)と戦うことは手段であって目的ではないでしょう? 市民を守るために戦う、が模範解答じゃない?」

「あー……そうだな、その通りだ」

 

 気まずそうに頬をかく犬彦にため息をつく。

 歳を考えれば無理のない反応だが、仕事をする上では、特に公の場でしていい反応ではない。

 

「別にいいわよ。人は皆自分のために戦うものだし、入ったばかりでそういう意識を持てってのが無理だってことくらい理解してるわ。だからきっと、まずあんたに必要なのはきっかけでしょうね」

「きっかけ?」

「B級に上がれば防衛任務が入ってくるし、近界民(ネイバー)が襲ってくれば最前線に立って迎撃することになる。市民を助けるために、守るためにね。その時に感じたことをよく覚えておきなさい。それがあんたにとっての原動力になるはずだから」

「原動力……」

 

 手のひらを広げて視線を落とす。

 そこに何が見えるのか、何が掴めるのかを思い馳せるような茫洋とした表情。

 

「……それまでは結局、今まで通り訓練するしかないってことか」

「まあB級にはさっさと上がりなさいよ。訓練生と正隊員とじゃやれることがまったく変わってくるんだから、何をするにせよB級に上がらなきゃスタート地点にさえ立てないわ」

「きがるにいってくれるなあ」

「ボーナスポイント与えられてる奴の言うセリフじゃないわね。それまで手持ち無沙汰だって言うなら……そうねえ」

 

 細い顎に指を添えて、小南はそこで言葉を途切らせた。

 対面の犬彦は、小南が何を口にするのか興味があるかのようにじっと見守っている。

 

 バックボーンがない人間にとってのわかりやすく高潔な目的といえば、市民を守るという使命や正義感だろう。とはいえそういうのは教えられて決められるものではないし、今この場での答えとしてはそぐわない。

 むむむ、と唸りながらも小南は考える。

 経験も説得力もない、感覚所以の考えだ。自信などあるはずもないし、とんでもない間違いなのかもしれない。

 しかし――小南は犬彦の師匠であると決めた。ならばたとえ自信がなくても、間違いかもしれなくても、自身が考えうる限りの答えを口にするべきだろう。

 重要なのは、視点が真っ直ぐ一点にしか向いていないようなこの弟子の視野を広げることだ。

 

「訓練から離れたところ……そうね、見学でもしてみたら?」

「見学?」

「ボーダーの。どうせあんたどこに何があって、どんなことしてるのかって言うのも全然把握してないんでしょ?」

 

 言葉に詰まった様子でさっと目を逸らす犬彦。本当にわかりやすい弟子だ。

 

「小南は把握してるのか?」

「まあだいたいはね」

「嘘だろ……」

「これでも古株なんだからね。細かいところはわからなくても、おおよそのことは知ってるわよ」

 

 裏切り者、と呟いて犬彦の額がテーブルに沈んだ。

 馬鹿にされたことは確定なので追い討ちで脛を蹴り飛ばしておく。

 

「訓練するのもいいけど、それだけじゃ足りないのはあんたが思ってるとおりだと思うわ。だからまずはB級に上がって、それから色々勉強してみなさいよ。目的も大事だけど、無理して見つけるものでもないと思うわ」

 

 取り繕った目的ほど脆いものはない。今の犬彦のような状態で作ったところで、きっとそれは蝋燭の火より頼りない。

 真っ直ぐなのもいい。正直なのもいい。けれど直情的であってはいけない。

 犬彦に今必要なのは鞭打って走ることではなく、息を整えて周りを見る時間だろう。

 戦いのことしか頭にないのならそれから離れさせる。安直な考えだが意外と悪くない気がした。

 

「……感動した。小南がすげえ師匠っぽい」

「師匠っぽいじゃなくて師匠なのよ馬鹿!」

 

 額に手をやって感動に震える犬彦の向こう脛にもう一撃。

「2回目は反則だろ!」と激痛に悶えているが小南の知ったことではなかった。

 

 

 

 

 

 




 お察しかと思いますが、異性恐怖症のために犬彦はたまに感覚がズレていることがあります。
 異性の家に遊びに行ったら普通は小南みたいに緊張したり戸惑うと思うんだ……。

 それはそれとして、行き先が決まってからの道中の小南の表情を妄想するととても幸せになれますので是非どうぞ(ゲス顔
 ついでに異性の家にお泊まりして朝帰りとかいう地雷ネタが生まれたのでいつか使いたいですね(暗黒微笑

 ちょっと次の展開についてはどうしようかなーと悩んでます。
 とはいえ今回時間かけてしまったので、一週間以内には上げたいかなと。
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