那須隊の番犬   作:遠野雪人

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 ――後に犬彦はこう尋ねた。何故初手にこの人を選んだ、と。

 ――小夜子は当然のようにこう答えた。その方が面白そうだからに決まってるじゃん、と。


第14話 仁礼光

 

 

 

 オペレーターは各員の通信を取りまとめ、情報共有・支援することが基本の仕事になる。

 支援できる情報は多岐に渡り、戦場のマップは勿論、そこから狙撃位置や敵の位置を割り出すことも可能だ。

 狙撃されれば弾道解析してある程度の精度で敵の位置をマークすることもできるし、更には逃走経路や各員の行動から未来の位置まで計算して伝えることができる。

 

 戦闘員の力量をフルに発揮させるためになくてはならない存在であり、戦闘員と同じく腕を問われるポジションである。

 やれるかどうかはともかくとして、話を聞きに行くのは吝かではない。

 しかし1つ問題があった。

 

 ――女性しかいないんですよねえ。何で俺ここにいるんですかねえ。

 

 作戦室の扉の前に立った犬彦は泣きそうな面持ちで立ち尽くしていた。

 何でも統計から並列処理能力が高いのが女性だからとかいう理由で、現在ボーダーにいるオペレーターはほとんど女性ばかりだ。

 コミュ障なのに異性に話を聞きに行くことについて考え直すよう口にしたのは一度や二度ではきかなかったが、結局やけに押しの強い小夜子に押し出された格好となった。

 

『先方に話は通してあるから、この時間に訪ねて行ってね。事情が事情だしこっちの事情もある程度話してあるから気楽に行けばいいよ。匂いはこっち寄りの子だし』

 

 最後の一言に嫌な予感しかしなかったが、これもコミュ障克服の一環と言われたらどうにも断りにくかったのだ。

 今回は小夜子不在とはいえ、段取りは整えられている。

 先方も乗り気とあれば従わざるを得なかった。

 

 訪問先は、B級上位の影浦隊である。

 男性3人にオペレーター1人のオーソドックスな構成のチームだ。

 

 今回会う人は仁礼光という小夜子と同い年の女性らしい。

 こっち寄りの匂いなどといった小夜子の発言からするに一癖ある人物なのは間違いないだろう。それが一歩を踏み出すのを躊躇わせている理由でもあるのだが、向こう側の好意を無下にするのは流石に失礼が過ぎる。

 

 覚悟を決めてインターホンを押す。

 電子音が室内に響くも、しばらく経っても中からの反応はなかった。

 もう一度押してもやはり変わらず。

 時間間違えたかな?と首を捻りつつもスマホを取り出して小夜子にチャットでメッセージを送った。

 

『インターホン鳴らしても反応ないんだけど』

 

 メッセージが送られると、すぐに既読がついて返信が来る。どうやらスタンバイしていたらしい。

 

『おかしいねえ。場所間違えてないよね?』

『確認したから間違いないはずなんだが』

『んー、ちょい待ち』

 

 しばらくの間。察するに電話をかけているのだろうが、室内から着信音が響く様子はない。防音が効いているのか、それともマナーモードにしているだけか。

 耳をそばだてて確認しようと身を乗り出した瞬間、自動ドアがスライドしてぎょっと身を硬直させた。

 ロックがかかっていなかったのか、開かれた扉の向こうには誰もおらず、生活感の漂う室内の様子が広がっている。

 

 呆然としていると、微かに鈍い振動音が聞こえた。室内のスマホの着信音だろう。

 着信音が途切れるのに合わせてメッセージが送られて来る。

 

『ダメだねえ。室内にはいるだろうしもしかしたら寝てるのかも。一度出直す?』

 

 犬彦は思わず室内を見た。

 人の気配はないように見える……いや。犬彦の鼻が仄かに香るシャンプーの匂いをとらえた。

 どうやら目的の人物は中にいるらしい。着信が鳴っても反応がないということは恐らく寝ているのだろう。

 出直すことも考えたが、ここに来るまでにも幾度かの葛藤を経て来ている。再び精神を振り絞るような真似はできるだけしたくなかった。

 

『開いちゃったよ、ドア。どうもロックかかってなかったっぽい』

『うせやろ……なんて不用心な』

『匂い的には多分中にいるような気がするので入ってみようと思うが、どうだろ』

『気をつけてね、スネーク』

『誰がスネークだ』

 

 却下ではなかったので足を踏み入れる。

 お邪魔します、と声をかけても返事はない。

 

 鼻を効かせた感じでは室内には1人しかいないようなので、寄り道せずにそちらに向かった。というか入ってすぐ左手に目的の人物を発見した。

 

「初夏も近いのにこたつ……」 

 

 暑くないのだろうか、と戦慄しながらぐるりと見渡す。

 

 中央に存在感を主張するこたつが1つ。

 床には絨毯が敷かれ、上座にはテレビやゲームが無造作に広がっている。

 壁に並ぶ本棚の中身が漫画ばかりであるのを確認して、頷かざるを得なかった。小夜子の言い分は正しく、まさしく仁礼光、あるいはこのチームメンバーはこちら寄りの存在だと。

 

 その少女はこたつに包まり、横になって幸せそうに寝息を立てていた。

 明るい色合いの髪をサイドで結い上げた髪型……こたつで寝たまま。解くことなく。幼さが残る顔立ちはだらしなく緩んでおり、口の端には涎が垂れている。こたつの外で広げられた手のそばにはゆるキャラカバーのスマホが乱雑に放り出されていた。

 

 ――えっ。どうすればいいのこれ。

 

 犬彦は立ち尽くして途方に暮れた。

 

 声をかけるのも躊躇われる。触るなどもってのほか。小夜子に着信音を鳴らしてもらっても手元から離れているこの状況では効果は薄いだろう。出直すことはさっき考えた。

 となると、彼女が起きるまで黙って立っているしかないのだ、が。

 

 犬彦はじとりと机周りを見た。

 中身の入ってないスナック菓子の袋。

 放り出されたゲーム機と絡み合ったコード。

 積み重なった読みかけの本。

 雑に押し込められた棚。

 

「掃除するか」

 

 衝動が己を突き動かす。

 気付けば犬彦はゴミ袋を手に取っていた。

 

 

 

 

 

 粗方片付いた辺りで、もぞりと少女が身動きした。

 寝ぼけ眼を擦りながら上半身を起こす動きに自然と犬彦の身体が硬直する。

 

「んんー……」

 

 茫洋とした半開きの目が犬彦を捉える。

 一瞬寝起きの小夜子を幻視した。

 

「……姉ちゃんもうちょい寝るから……」

 

 そう呟いて再び上半身が仰向けに沈んだ。

 硬直した犬彦は声を上げることもできず、このまま彼女が真に目覚めるまで立ち尽くすのみかと思われた。

 

「ん? あれなんか縮んだような気が……」

 

 寝言のようなことを呟きながら再起動。

 脊髄反射でカチンと来た犬彦が眉を吊り上げるが寝言である。誰とも何とも言っていないのでセーフ、と言い聞かせる。

 

「すみません、仁礼先輩ですか。小夜子の紹介で来たんですけど」

 

 起き上がった少女に、今度は逃がさない、と先制攻撃。

 ……微妙に口調がキツいのは先程の寝言のせいではない。ないったらない。

 

「小夜子? 紹介? ……ああ! 弟くんか!」

 

 ようやく覚醒したらしい。ぽん、と手を打った少女がぐしぐしとジャージの裾で顔を擦りながら放り出されたスマホを手に取った。

 

「あー小夜子からの着信めっちゃ来てる……わりーわりー全然気付かなかった」

「い、いえ。それは全然いいんですけど」

 

 スマホを弄りながらの言葉にわかりやすく犬彦がたじろぐ。

 無理もない。今まで犬彦の周囲にはいなかったタイプの女性だった。

 タイプで言うと熊谷先輩に近い空気だが、しっかり者の空気を感じさせる熊谷先輩と違い仁礼先輩は少し雑破だ。しかしそれが自然であるように伺わせる様は気ままな猫を思わせる。

 蓮っ葉な口調と相まって、今まで犬彦が培って来た女性像とは少し異なるタイプの人だった。

 

「勝手に入っちゃっててすみません。外で待つべきかとも考えたんですけど」

 

 ただ、中身は確かに小夜子に近い。そのおかげもあって犬彦は初対面の女性という条件にしてはだいぶ普段に近い姿勢で話すことができていた。

 

「あーいいよ気にすんな。すぐ出れるようにロック外して弟くん待ってようかと思ってたんだけど寝ちゃってなあ。こたつに横になったのは失敗だったな」

 

 からからと笑う。

 器も大きい。雑なだけかもしれないが、少なくとも第一印象は悪くなかった。

 

「ところで、何で掃除してんの?」

「へ? あっ、と、すみません。どうしても気になっちゃって……つい」

「いや、別にいいけど……うわめっちゃ綺麗になってる。棚まで直したのかよお前」

「すみません。ついいつもの癖で」

 

 勝手にやったことには違いないため、平謝りである。

 幸いなのは仁礼先輩に怒っている様子がないことか。目を丸くして純粋に驚いている様子だった。

 

「ふーん……」

 

 かと思えば、今度は腕を組んで観察するようにこちらをじっと見てくる。

 知識はあるが見たことはない動物を目にしたような反応。

 

「あの、何か?」

「いや、どこの弟も皆こうなのかなーって思ってさ」

「こう、とは」

「ウチの弟もできる子だからさー、行き着く先は皆一緒なのかなってちょっとセンチになっただけ」

 

 まあそれはいいとして、と脇に押しやるジェスチャー。

 

「まずは自己紹介か。仁礼光です、どうぞよろしく」

 

 何故敬語、と眉をひそめながらも挨拶を返す。

 

「志岐犬彦です。今日は無理言ってすみません」

「いいっていいって。で、小夜子から聞いたけど、オペレーターの仕事が知りたいんだって?」

「ええ、まあ」

「どうして知りたいんだ?」

「あれ? 小夜子から聞いてませんか?」

「本人の口から聞きたいだけ。嫌なら答えなくてもいいけど」

 

 手櫛で髪を整えながら仁礼先輩が言う。

 隠し立てするようなこともなく、犬彦は正直に答えた。

 

「カードの種類を知りたいんですよね」

「は? カード?」

「ええと、オペレーターのやれる範囲が知りたいって意味です。普段戦闘中にオペレーターが何をしてるのか、どこまでサポートできるのか。味方として行動する分には勿論、敵に回した時にも手の内が掴みやすいですし」

 

 ダイヤ・スペード・ハート・キング、1から13の数字にジョーカー。

 カードの種類を把握もせずにポーカーをしたところで勝てる道理もない。基本ルールさえあやふやな状態で戦って、おもわぬ方向からの指し手に詰められるなんて真似だけは避けたいところだ。

 そういう理由なので別にこうして教えてもらいに来る必要は微塵もないのだが、小夜子はそれを否と言う。

 意図するところはわかるためにこうしてやって来たが、未だに抵抗を感じていることくらいは許して欲しいところだった。

 

「ははっ、こりゃすげーわ。マジで小夜子の弟なんだな」

 

 犬彦の答えに、仁礼先輩はひどく愉快そうに笑った。

 感心することしきりといった様子に犬彦は首を傾げるしかない。

 

「何がそんなにおかしいんです?」

「弟くんの答えが小夜子とまったく同じだったからな。別に疑ってたわけじゃねーけど、何よりも確かな身分証明だ。似てるってのは見た目だけじゃないらしいな」

「そう、なんですかねえ」

「なんでちょっとダメージ負ってる顔なんだよ」

 

 日頃からああはなるまい、と反面教師にしている姉に似ていると言われてはそうもなるだろう、と犬彦は顔をしかめた。

 腕を組んで言葉を濁す様子がおかしかったのか、仲良いんだなー、と朗らかに笑う仁礼先輩。

 その視線がおもむろに壁に掛けられた時計を追った。

 

「あーもうこんな時間か。どうすっかな」

「何か予定でも?」

「予定というか、んー……」

 

 時計を眺めたまましばし唸り声を上げて考え込む仁礼先輩。

 邪魔をしないように話しかけないでいると、その目がついと犬彦をとらえ――いいこと考えた、とばかりに弓の形にしなった。

 その視線に、背筋が不意に寒くなったのは何故なのか。

 

「おし。とりあえず基本的なところから教えてやるよ。まずは視覚支援からな」

 

 力強くそう言って、こたつから出た仁礼先輩が手招きしながら犬彦をモニタが置かれたデスクへと導いていく。

 近寄ることに理由のない抵抗を覚えながらも、犬彦はそれに従った。

 

 

 

 

 

「あれ、お客さんまだいるの?」

 

 ドアがスライドする音に顔を上げると、ぞろぞろと青年らが連れ添ってやってきたことに思わず表情を強張らせた。

 思わず立ち上がりかけたが、いいのいいの、とデスク脇に立つ仁礼先輩がジェスチャーでそれを止める。

 

「おう、コイツが来る前にアタシが寝ちゃってなー。ちょっと時間ズレてんだ」

「ちょっとってどのくらい?」

「30分くらいか?」

「そりゃズレこむわけだよ」

 

 せっかく気を利かせて空けておいたのに、と肩をすくめるのは先頭を行く一際恰幅のいい青年である。

 ちなみに実際はその更に15分とんで45分である。部屋の掃除を粗方終えてしまったあたりでお察しであった。

 

「ごめんねウチのが振り回しちゃって。あ、北添尋です。どうぞよろしく」

「いえ、俺は別に……志岐犬彦です。どうも」

 

 がっしりとした手と握手を交わす。

 背丈も体格もこの中で一番立派であり、醸し出される威圧感は中々のものであったが、同時にその顔つきはこの中で一番人畜無害そうなおっとり顔である。首から上が優しそうに見えるだけで全体の印象も変わってくるのだから人の認識って凄いな、と犬彦は感心の吐息をつく。

 先陣を切ってきただけあり、もっともとっつきやすいのはどうやらこの人だけらしく、後の2人は一癖も二癖もありそうな雰囲気だった。

 

「絵馬ユズル」

 

 空気を察して自己紹介をしてくれた、一番年若そうな少年はまだいい。

 寡黙そうな顔立ちであるにせよ利発そうな目をしており、落ち着いた付き合いができそうな雰囲気を感じる。同年代かその前後という空気を察した犬彦は年上ばかりの空気の中で少なからず安堵を覚えた。

 問題は、一際不機嫌そうな空気を放つ最後尾の青年である。

 

「んで、何でまだこのガキが部屋にいるんだ」

 

 舌打ちを1つ。

 青年はこちらをちらりと一瞥した後、他のメンバーのように名前を告げることもせず、仁礼先輩に問いかけた。

 

 ――落ち着け落ち着け。この言い方ならセーフセーフ。大丈夫、致命傷だ。

 

 どちらかと言えば青年の台詞の一部分にカチンと来ていた犬彦であったが、状況を鑑みて鋼の自制心で押し止まった。もっとも、そのこめかみには青筋が浮いているのだったが。

 

「ごめんね。こいつは影浦雅人、ウチのチームのリーダーで、俺達はカゲって呼んでるよ」

「勝手に言うんじゃねえっ! 言っとくが同じ呼び方で呼ぶんじゃねえぞ、おい」

 

 北添先輩のナイスアシストで影浦先輩のことも知れた。

 本人からはキツい視線が飛んで来たが、釘を刺されるまでもないことだったので素直に頷く。

 で? と催促する空気に、仁礼先輩は悪びれた様子もなくしれっと言った。

 

「見学だよ見学。いきなりざっと詰め込んでもよくわかんねーだろうし、実際に見せた方がわかりやすいと思ってな」

「え? ランク戦見学させるの?」

 

 北添先輩はそう言って目を丸くするが、犬彦などは声も出せずに目を剥いた。

 勿論、何も、聞いて、ない。

 

「俺は別にいいけど……そもそも、見学なんてできるの?」

「明確な規定はなかったはず。C級とは言え隊員なんだし別にいいと思うけど、見学させるだけなら別にここじゃなくてもいいんじゃない? 観覧室でも見れるんだし」

 

 冷静に指摘する絵馬先輩。

 絵馬先輩の言うとおり、B級ランク戦はオペレーターを始めとする隊員の実況・解説付きで観覧室で観戦できる。見学だけを目的とするなら別にここである必要はないだろう。

 中立な立ち位置からの意見であり、犬彦も納得の一言なのだが、仁礼先輩は恐らくキメ顔と思われるニヒルな笑みを浮かべて言った。

 

「せっかく頼って来てくれてるのに、途中で放り出すなんて真似できるわけないだろ?」

「……そもそもこんな時間までズレ込んじゃったのは光のせいじゃ」

「ユズル、シャラップ!」

 

 ……不思議と親近感を感じるやり取りだった。肝心なところで決めきれない……まるで誰かさんのようだ、と。

 

「つうかそもそも、俺らがそこまでしてやる義理はねえだろ」

 

 やり取りを聞いていた影浦先輩が牙を剥いた。腕を組んで見るからに不機嫌そうである。

 

「教えてやるように頼まれたってのはいいが、そもそもそいつがなるのは戦闘員じゃねーか。必要ねえことを教えて、ランク戦まで見せてやる必要はねえ」

 

 ぐうの音も出ない正論である。

 ここで影浦隊のランク戦を見せてもらうということはつまり彼らの作戦・立案・行動の全てを見せてもらうのと同義であり、同じ組織の人間とは言え、競い合うライバルにはできるだけ秘密にしておきたい情報だ。

 感情的な判断かどちらなのかは不明だが、北添先輩も絵馬先輩も強く否定しないということはつまりそういうことだ。

 

 犬彦とて、そこまでしてもらうのは流石に気が引けるというのが本音だ。

 勿論、見せてもらえるなら見たい。凄く見たい。

 しかしそれは、何も知り合ったばかりの人達の領域に強引に押し入ってまで成し遂げたいことじゃない。

 自分から仁礼先輩に進言すべきか悩んでいると、その仁礼先輩が不満そうに唇を尖らせながら言った。

 

「えー別にいいだろー、見学くらい。そもそも見られて困るもんがアタシ達にあるかよ」

「まあそれは確かに。作戦もほぼ行き当たりばったりだしねえ」

 

 苦笑交じりに北添先輩が言うと、そうだろー?と何度も頷く。

 

「アタシも小夜子から頼られた手前、中途半端に投げ出したくねーし、見学くらいさせてやってくれよ。それに聞いた話じゃ弟くんも結構優秀らしいし、成長すればカゲも楽しめるんじゃねーの?」

「なってから言えよ、そういうのは」

「なあ、弟くんもそう思うだろ?」

 

 急に水を向けられてどきりとする。

 反射的に否、と口にしそうになったが、止めた。

 

 そもそも今、表立って否定しているのは影浦先輩だけだ。

 だからこそここまで揉めているのであるが、北添先輩も絵馬先輩も事の成り行きを見守っているのみで、口を出そうとはしていない。

 

 つまり、ここでは犬彦の意思こそが重要。

 それに気付いた時、犬彦は影浦先輩に向けて頭を下げていた。

 

「すみません、お願いできませんか」

 

 想定していなかった展開だが、オペレーターの仕事は勿論、B級上位の戦いを間近で見られる機会はそうはない。拒んでいるのも影浦先輩だけとなれば、特攻する価値は充分にある。

 影浦先輩は苛だたしそうに舌打ちをして頭を掻いた。

 

「邪魔だけはすんじゃねえぞ」

 

 そう言い捨て、背を向けた後姿が控え室に消えていく。

 正直なところ、意外だった。頑として否と蹴られるのも覚悟していたが、想像以上にすんなりと決まってしまったことに思わず呆然としてしまう。

 ぽん、と北添先輩に肩を叩かれた。

 

「ちょっと気難しい奴だけど、あんな感じで悪い奴じゃないから気にしなくていいよ」

「そう、ですね。断られるかと思ってたのでびっくりしました」

「あんな見た目だからねえ。まあリーダーの許可も出たし、楽しんでってよ。――じゃあ光ちゃん、あとよろしく。いつもの感じでいいね?」

「市街地Aじゃ作戦も何もねーし、いいだろー。いつも通りぶっ飛ばすだけだ」

「……自分が言うのもなんだけど、あんまり参考にならないと思うよ、ウチは」

「あ、あはは……」

 

 苦笑交じりの言葉を最後に、北添先輩も、絵馬先輩も後を追って控え室に入っていく。

 

 ――いい人達だったな。

 

 急な訪問・急な申し出、にも関わらずここまで良くしてくれるとは思っていなかった。

 北添先輩は勿論、絵馬先輩も、そして影浦先輩も刺々しくはあるけど良い人だ。

 来る前はどうなることかと思ったが、小夜子もたまには良い仕事するもんだ、と犬彦はすっかり安心して気を抜いていた。

 

「よし、行ったな」

 

 全員の退室を確認した瞬間、仁礼先輩がぼそりと呟いた。

 

「仁礼先輩?」

 

 不穏な空気を感じ取った犬彦が呼びかけた。

 こういう時の嫌な予感は当たるのだ、と自身の余計な経験則が頭の中で囁いている。

 仁礼先輩はしばらくキーボードを叩いた後、くるりと振り返って立ち上がり、モニタ前の席を空けた。

 

「よし、弟くん。ここに座りな」

「えっ」

「何やってんだ、あいつらがいない今がチャンスなんだからな。ほら、はよ」

「えっ? あの、ちょ――わ、わかりました! 座りますから! 触るのは!」

 

 拒むこともできず、促されるままに椅子に座る。

 この時点で嫌な予感しかしなかった。

 

「んで、このヘッドセットをつけさせて。アタシはこの予備のをつけて、こうして。――ハイ、完成」

 

 じゃーん、と気の抜けた声で完成を祝う仁礼先輩。

 手を広げてみせる先には、モニタを前にしてヘッドセットをつけて椅子に座る犬彦の姿があった。

 

「あの、これは、どういう?」

 

 もう色々と察してしまっていたが、聞かないわけにもいかない。

 震えた声で問いかける犬彦に、親指を立てたイイ笑顔を浮かべて仁礼先輩が言った。

 

「ん? 見ての通り実践の機会を作ってあげてるんだが」

「やっぱりか! いや、さっき見学って言ってたじゃないですか!」

「実際に触ってみなきゃ身につくもんもつかないだろー? それにアタシは見学させるとは言ったが、体験させないとは言ってない」

「何ちょっと上手いこと言ったみたいな顔してんですか! そんな、ついさっき教えてもらったばかりなのに無理ですよ!」

「何言ってんだ、結構できてたぜ弟くん。基礎的なことはだいたい覚えたみたいだし、あとは実戦するだけだ。そうだろ?」

「そんなテレビゲーム感覚で気軽に……! 嫌ですよ間違いなく怒られますって!」

「でも、正直ちょっとやってみたいだろ?」

「ぐ……!」

 

 ……否定は、できなかった。

 色々と口にしてはいるが、何だかんだ犬彦は椅子から腰を上げようとはしていない。

 からからと笑いながら仁礼先輩が言った。

 

「そう固い顔すんなよ。最初はマップとか敵の位置知らせたりとか簡単なことばかりだし、本当に忙しくなってくるのは敵と遭遇してからだ。アタシもこうして横にいるし、ヤバくなってきたらフォローしてやる。マイクも基本はアタシ持ちだ。バレやしないさ」

「そうは言いますけど……それでも不利な条件を俺の都合で先輩達につけるのは申し訳ないですし」

「なあに、カゲは強い奴らと戦えればいいような奴だし、1回負けたくらいじゃどうってことない。遠征目指してるわけでもないし、他のやつも何か言うようなやつじゃない。好きにやってみな」

「……いいんですか?」

「まあ勿論、バレた時には後で怒られるのは確定だろうけどなー。アタシもフォローはするけど、ゲンコツ1つくらい覚悟しておけばいいんじゃね?」

「……いえ、終わったら自分から言います。それくらいはやっぱり、けじめはつけておかないと」

「いいって。カゲとか多分めっちゃ怒るぜ?」

「う……でも、それは。自分で決めたことですし、はい」

 

 怒り狂う影浦先輩を思い浮かべるとしくしくと胃が痛む。

 しかし仁礼先輩の計らいとはいえ、最終的に決断したのは自分なのだから。バレるバレないではなく、迷惑かけてすみませんでした、くらいは言わなければならないと思うのだ。

 青い顔をして胃の辺りを擦る犬彦を、仁礼先輩はきょとんとした目で見つめていたが、やがて面白そうに表情を崩した。それからおもむろに手を伸ばして犬彦の頭を撫でまくる。犬彦の悲鳴が響いた。

 

「よしよし、それじゃ気張って勝たなきゃな! 勝手しても結果的に勝っちまったならこっちだって万々歳だ。カゲの拳骨だって1つくらいは少なくなるだろうさ」

「きがるにいってくれるなあ」

 

 1時間も教わってない素人に何を期待しているのかと呆れるが、犬彦の罪悪感を和らげる道はもはやそれしかないのも事実。

 それに犬彦は指示されたとおりに画面を操作するだけであって、実際に動くのは確かな実力と経験を持つ影浦先輩たちである。ならば可能性はゼロとは言い切れないはずだ。

 

 ……もし勝てたら、那須先輩にも胸を張って話すことができるだろうか。

 

 そう思うと、不思議と心が落ち着いて、何でもできるような気がするのだった。

 

 

 

 

 

 尚、現実は非情であった模様。

 祈ったことが罪なのか。期待を裏切るかのように見事敗北した犬彦は、戻ってきた影浦隊の面々(主に影浦先輩)に鬼のように叱られるのであった。

 

 

 

 




 同じ弟持ちとしてめっちゃ話が合いそうだよなあ、という理由から仁礼先輩の登場です。紹介するにあたって欄外で裏取引等もあった模様。
 私生活面だと犬彦は割と優秀な方なので、原作カバー裏コメントのとおりに姉御肌を吹かせられるかどうかは今後に期待というところですね。
 今回でオペレータースキルを習得したので、その方面でなら難しくはないかもしれません。

 次回はB級昇格前の最後の話です。またヒロイン追加します。

 余談ですが、活動報告も更新してます。
 たまにアンケートみたいなこともやってますので、色々な意見を聞かせていただけるとありがたいです。
 
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