那須隊の番犬   作:遠野雪人

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第17話 黒江双葉③

 

 

 

「おーい、黒江?」

 

 は、と我に帰る。

 見ると、トリオン体に換装した犬彦が訝しげな目をしてこちらを覗き込んでいる。

 

「すみません、何でしたか?」

「何でしたか、って……。今日変だぞ、お前。変なもんでも食ったか?」

「いえ、すみません。何でもないです」

「何でもない、って」

 

 かぶりを振って強く言い切る。

 けれど犬彦は悩ましげに腕を組んで、思案している様子。明らかに怪しまれていた。

 

 言っておいて何だけれど、下手な嘘だった。

 そもそもトリオン体に換装してしまえば、体調不良など起こりえない。犬彦への下手な返しが、逆に黒江が何か抱えていることを露呈させてしまっていた。

 

 静かに、大きく息を吐き出す音。犬彦が言った。

 

「……無理に聞き出すつもりはないけどさ。何か悩みがあるんなら話してみないか? はっきり言って、このまま続けても練習にならない」

 

 否定はできなかった。

 黒江の今日の記憶はほとんど虫食いで、早くも薄れ始めてしまっている。こんな状態では何も身につくはずがない。

 

 それに、と。

 言いづらそうに目を逸らしながらこう続けた。

 

「約束の日はもう明日なんだ。どうせなら最後まで楽しくやった方がいいじゃないか……と思うん、だが」

「……先輩」

 

 なけなしの勇気を振り絞ったのだろう。こちらから隠すように手で顔半分を覆っているけど、それでも赤らんだ肌を隠しきれていなかった。

 

 少し、嬉しい。

 そのことも、犬彦が口にした言葉も。

 犬彦もまた、この日々を楽しいと感じてくれている。一方的ではなかったという喜びが黒江の勇気に繋がった。

 

「すみません。隠すようなことではなかったんですけど、まだ自分の中で整理がつかなかったので考え込んでしまってました」

「そう、か。あー、別に無理して話さなくてもいいんだぞ? 俺に解決できるかもわからないし」

「いえ、どの道先輩には話さないといけないことですから。……いえ、ちょっと違いますね。私が、先輩に話したいんです」

 

 短い間だけど、お世話になった先輩だから。最後まで義理は通したい。

 トリオン体を解除して、黒江は言った。

 

「少しだけ、相談に乗ってもらってもいいですか?」

 

 

 

 

 

 ――それは、昨日の訓練を終えた後のこと。

 

「まずは自己紹介かしらね。私は加古望。部隊はA級6位で、隊長をやらせてもらってるわ」

 

 宜しくね、と微笑む女性に、はあ、と気のない返事を零すしかない黒江。

 

 突然だった。

 廊下で声をかけられて、ここじゃなんだから、と建物内のカフェに連れられて、気付けば目の前には甘い香りを漂わせるオレンジジュースが置かれている。

 時間を飛ばされたかのような強引さと急展開に黒江は目を白黒させていた。

 

「黒江双葉です」

 

 名乗られたからには名乗り返さないと失礼、と半ば条件反射のように口にする。

 

「宜しくね」

 

 側から見ても無愛想な返事にも、嫌な顔1つせず加古は微笑んだ。

 

 ――大人の女性、って感じですね。

 

 酸味の効いたオレンジジュースを口に含みながら、ゆっくりと状況を咀嚼する。

 

 さらりと肩まで垂れた金色の髪に、細身の体躯。

 切れ長の目と口元のほくろが大人の色香を漂わせている。

 

 何となく、故郷の狐を思い出す人。

 そんな印象はおくびにも出さずに口を開く。

 

「それで、その」

「スカウトね。改めて聞くけど、黒江ちゃん、ウチの部隊に入らない?」

 

 これだ。先程も廊下で言われたけれど、あまりにも唐突すぎて黒江はまったくついていけない。

 

「……その、どこかでお会いしましたか?」

 

 取っ掛かりを得るために探りを入れる。

 黒江の記憶では、入隊前も、入隊してからも会ったことはないはずだ。なのにどうしてこの人は自分のことを知っているのだろう、と首を傾げる。

 

「直接顔を合わせたことはないわ。私が一方的に貴方のことを知っただけだもの」

「どこで?」

「ランク戦。結構皆見てるのよ? 戦い方の勉強は勿論だけど、こうして有望な新人を引き入れたりするためにね」

 

 なるほど、と黒江は頷いた。

 ラウンジにある大型モニタにはその時行われているランク戦の様子がランダム且つ無数に垂れ流されている。一月もランク戦をやっていれば、見られていたとしてもおかしくはない。

 だけれど、だ。

 

「A級6位、でしたか」

「ええ。不満だった?」

「いえ。むしろ、何故私なんですか? まだ入ったばかりですし、A級の方に勧誘されるような覚えなんてないんですけど」

 

 S級という例外を除けば、A級というランクがすでに1つの頂点を指す肩書きである。

 翻って自身を顧みれば、まだ何の結果も残していない素人同然のC級。疑問に思うのも無理はなかった。

 

 眉をひそめていると、加古が目を丸くして言った。

 

「意外と自己評価低いのね。ランク戦見せてもらったけど、良い動きしてたわよ。とてもC級とは思えないくらいに」

「そう、ですか」

「ええ。すぐに活躍できると思うわ」

「どちらかというと、声をかけられたことについていけてないんですけど」

「C級へのスカウトなら皆普通にやってるわよ。B級に上がってしまうとほとんどチームを組んでしまってるし、有望そうな子なら取り合いになることも珍しくないわ」

 

 そういうもの、なんだろうか。筋は通っているように思えるけれど、今まで陽の目を見ることのなかった自分に声をかけてもらっていることが信じられなくて、イマイチ現実味が薄かった。

 

「特に、ここ最近の貴方は見違えるほど上手くなってたから。出遅れたかもしれないと思っていたのだけれど、貴方の反応を見る限りそういう話はなかったみたいね」

 

 ――だから、きっと。未だに信じられていない最大の理由は、身近で輝く太陽を見続けてしまっていたからだった。

 

 カップを優美に傾ける加古に、あの、と声をかける。

 

「声をかけたのは私だけ、ですか?」

「どういうこと?」

「その、ここ最近私と一緒にランク戦をしてる人がいるんですけど……黒髪で、背の小さい男の子」

 

 心の中でごめんなさいを唱えながらぎこちなく説明する。犬彦にとっての禁句でしか特徴を説明できない自分の口下手さが恨めしい。

 何より申し訳なかったのは、「ああ、あの小さい子のことね」と、その説明で話が通じてしまったことだ。

 

「その子がどうかしたの?」

「私、最近あの先輩に色々と教わりながらやってるんですけど、先輩にはかけないんですか?」

「彼って同じC級でしょう? 先輩だなんて、不思議な呼び方をしているのね」

「すでに師匠を見つけてるんです。それで、色々と教えてくれているんですよ」

「そういうこと。確かにあの子も良い動きをしていたわね。……けれど、ね」

 

 頰に手をやって首を傾げる。

 仕草の1つ1つに気品が漂う人だった。

 

「彼、私の感覚(センス)には合わないのよね」

感覚(センス)、ですか?」

 

 不思議な単語が出てきて首を傾げる。

 チームの方針とか戦略とか、そういうことだろうか。

 

 加古は意味深な流し目で黒江を見る。

 まるで、黒江の反応を探っているような。

 

「ウチのチーム、皆名前のイニシャルに『K』がついているのよ」

「イニシャル?」

「そう。彼の名前、志岐犬彦でしょう? だからあの子はちょっと違うのよね。彼がダメというよりは、私の感覚(センス)に合わないから声をかけなかっただけ」

「黒江双葉……ああ、なるほ、ど?」

 

 そういうことか、と理屈は把握した。けれど彼女の言い分はよくわからない。

 良い動き、と言って褒めてくれたのだから流石に名前しか見ていないということはないのだろうけど、理屈に合わないから、という理由で犬彦より黒江を選んだのは彼女にとっては理解できないことだった。

 そしてどうやら、本人にとってはそれは真面目に重要なことらしい。少なくとも嘘や冗談を語っている風情ではなかった。

 

 首を傾げて思い悩む様子の黒江を、しばし観察していた加古が口を開く。

 

「不満かしら?」

「不満というか、よくわからないだけです。そんな風に誘われたのは初めてですし……」

 

 ――それに、何より。こんな形で道が別れそうになるとは、想像もしていなかったから。

 

 黒江の表情にわずかに影が差す。

 それを見て取ったのかはわからないが、加古が吐息をついて言葉を重ねた。

 

「まあ急な話だし、悩むのも無理はないわ。だから1つ、良い話をしておきましょう。A級になると、今使っているトリガーを改造することができるようになるの」

「改造、ですか?」

「そう。既存のトリガーを改造してもいいし、まったく新しいトリガーを創り出してもいい。それは私達の想像力次第。勿論、その中から実用に足るトリガーを生み出すのは大変なことだから、既存のトリガーだけで戦っているチームも多いんだけど、私達はそれを精力的に研究しているわ。だから貴方がウチに入れば、自分の好きなようにトリガーを研究することができるわよ」

「トリガーの、研究」

 

 呟いた言葉に、好奇心が疼く。

 

 ――正直、面白そうだと思った。別に現状に満足していないわけではないけれど、より自分に合うトリガーを研究するというのはそれだけで面白そうだ。

 

「そうそう、これ、私の連絡先ね」

 

 名刺を取り出して黒江に手渡す。

 書かれてある番号をまじまじと眺める黒江を置いて、席を立った。

 

「返事は今でなくてもいいから、ゆっくり考えてみて。貴方の先輩に相談してもらっても構わないわ」

「そう、ですね。はい」

「良い返事を期待してるわ」

 

 図星を突かれて目を逸らす黒江に笑みを1つ。伝票を手に取って加古は優雅に去っていった。

 

 

 

 

 

「大人だなあ」

 

 全てを聞き終えた犬彦が言った。

 あの余裕のある仕草には憧れるところもあったので、素直に「ですね」と頷いておく。

 

「黒江はどう思ったんだ?」

「……正直、興味はあります。A級で戦えることもそうですけど、トリガーの改造ができるというのは知りませんでしたから、面白そうとは思いました」

「それな。どこまでできるのかわからんけどワクワクするよな」

 

 夢見るように笑みを浮かべる。

 それ自体は間違いではないので、黒江もまた頷きを返した。

 

「しかし、聞いた限りだと良さそうな話に思えるけど、何に悩んでるんだ?」

「それは……その」

 

 ちらりと、犬彦の顔を盗み見る。

 犬彦は本気でわからない様子で首を傾げていた。

 目を逸らした。

 

 ……どう言えばいいというのだろう。

 そもそも、黒江には今この胸の内にある想いを形にできる自信がなかった。

 

 ストレートに形にしてしまえば、寂しい、だ。

 スカウトの話を飲めば黒江は一気にAランクに上がる。そうなれば少なくとも犬彦としばらくの間ランク戦で相見えることはなくなる。犬彦との訓練が楽しい今の時間が明確に終わってしまうのは紛れもなく寂しいことだ。

 

 そして、もう一つ。

 黒江は再び犬彦を見た。けれど表情の変化はない。

 ということは、少なくとも今犬彦にその考えはないということ。それもまた寂しいことではあったけれど、具体的にこの先の話をしたことがなかったのだから当然と言えば当然か。

 

 ――先輩とチームを組めたら、だなんて。言えるわけないですよねこれ。

 

 今の状況で、形にもなっていなかった夢のようなそれを口にするのは非常に勇気がいることで。

 黒江にはそれを口にする勇気はなかったし、口にしようとすると、様々な感情が絡みついてきて邪魔をする。

 

「……急な話だったから、整理がつかなかったんです。それに、加古先輩のこともよく知りませんし、人脈のある先輩なら何か知ってるかも、って」

 

 結局黒江にできたのは、建前を口にすることだけだった。

 

 

 

 

 

「人生の味がする」

「悪かったって……」

 

 夕食の席。

 苦々しい顔で焦げたハンバーグを口にする小夜子に、珍しく低い立場から犬彦は言った。当然、そう口にする犬彦の前にあるハンバーグも同じく焦げついていた。

 

「まあ完全に黒コゲじゃないなら全然大丈夫大丈夫。これも人生と同じだねえ」

「いちいち疲れるような言い回ししてんなよ。変な宗教にでもハマったのか」

「何言ってんの、犬彦が何か悩んでるみたいだからネタ振ってあげてるんじゃないか。いつもならこんな失敗しないもんね?」

 

 焦げ目の部分をフォークで突きながらそう言って笑う。

 そう言われると、図星な犬彦としては口を閉じるしかないわけで。

 

「悩みあるんなら話してみなよ。なあに、犬彦のやらかし話なんて今更なんだし1つ2つ増えたところでさして変わらないでしょ!」

「お前に言われると凄く反発したくなるんだがなあこの野郎め」

「それは否定しない」

「否定しろよ」

 

 何故かドヤ顔を決めている小夜子。

 などと言いつつも、一応は感謝している。犬彦にはいくら考えても何故自分がここまで引っかかっているのかわからないわけで、だからこうして小夜子に相談するのも、きっと決まっていたことだった。それをやりやすくしてくれたのは感謝してもいいのだろう。

 

 犬彦は今日の黒江とのやり取りを説明した。

 何が問題があったのか、何故こんなにも引っかかっているのかはわからなかったためにできるだけ客観的な視点で伝えるようにした。

 

 やがて全てを聞き終えた小夜子は、なんだかひどく呆れたような面持ちで口を開いた。

 

「犬彦と黒江ちゃんって、今後の話とかってしたことなかった?」

「今後? いや、特には」

「おけ把握。なんだ喧嘩でもしたのかと思ったら……まあ、問題が表面化しない分ある意味こっちの方がめんどくさいのかなあ」

 

 頬杖をついて思わせぶりにため息をつく小夜子。

 小夜子は即答えが出たようだけれど、犬彦には未だに理解できない。

 

「何だよ、お前にはわかるってのか?」

「わかるというか……まあ、外から見てればねえ」

 

 んー、と、小夜子はしばし考え込むような間を置いてから、わかりやすく肩をすくめた。

 

「まあ、このままだと良くないまま終わっちゃいそうだし、口出そうか。要はさ、黒江ちゃん、犬彦とチーム組みたかったんじゃないかと思うよ」

 

 それはまさしく、犬彦にとっては青天の霹靂だった。

 

「は? 俺と?」

「犬彦と。だって犬彦、B級進んでも組む相手いないでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「でしょ。で、話聞いてた限りだと黒江ちゃんもそういう話なかったみたいだし。だから多少なり、そういうことも考えてたんじゃないかな」

「……今後の話って、そういう」

 

 確かに、犬彦も黒江も、B級に上がったらどうするかという話はしたことがなかった。

 犬彦自身に具体的なプランが立ってなかったのもそうだし、自分のスキルを高めることに精一杯でそちらまで頭が回っていなかったこともある。何より、チームは最低限戦闘員1人にオペレーター1人で組めると知っていたのもあって何とでもなると考えてしまっていたことが大きかった。

 

「でも、それで黒江が俺と組みたいってことにはならないだろ」

「……まあ、犬彦から見るとそうだろうね。でも外から見てても黒江ちゃん、犬彦に懐いてたし。多分意識はしてたと思うよ」

「まあ、俺だってここんとこ楽しかったのは事実だけどさ。だからって、そうなるのか?」

「じゃなきゃ、そこまで悩む理由に検討がつかないよ」

 

 もしそれ以外ならお手上げ、とばかりに小夜子は両手を上げた。

 

 まさか、という思いもある。けれど犬彦は自身が感じていた引っかかりが解けていくのを感じていた。

 悩みを打ち明けた後の、黒江の笑み。

 どこか違う、と感じていながらも、けれど言葉にできなかったもの。

 

 咀嚼するように、呟く。

 

「……黒江は俺と組みたかった。けどそこに今回の話が来た。そこで板挟みになって、俺に相談してきた、って?」

「だいたいそんなところだと思うけど。で、どうするの?」

「どうする、って」

 

 戸惑う犬彦に、試すような眼差しで見つめる小夜子。

 

「じゃあ、聞き方を変えようか。犬彦、B級に上がったらどうするの?」

「チームの話か? 」

「そう。オペレーターについてはこの際置いておくとしてさ、仮に誰かのチームに入らず自分のチームを作るとして、犬彦は1人の方がいい? それとも黒江ちゃんと組みたい?」

「どっちかって、そりゃ……」

 

 ――黒江のことは嫌いじゃない。異性恐怖症の身ではあるけれど、気が合ったこともあってそれなりに早く打ち解けられた。戦いのセンスもあるし、競い合っていく上で不足のない相手だ。

 それを踏まえてチームを組みたいか、と聞かれたら。犬彦はその答えを口にしようとして、

 

「そうだね。良い機会だし、ちょっと真面目に話をしようか」

 

 よっこいせ、と佇まいを正した小夜子が言った。

 

「犬彦、私をオペレーターにしようとしてるよね?」

「……悪いか? それか規則でできないとか?」

「そのどちらもNO、だね。オペレーターになってあげてもいいし、規則で禁止されてるわけじゃない。少しばかり大変にはなるけどね」

 

 頷く。

 誰かを今から探すのもいい。けれど、犬彦のポテンシャルを誰よりも発揮させることのできるオペレーターは小夜子以外にないことを確信している。

 血を分けた姉であり、呼吸から性格まで犬彦の全てを熟知した存在である。これ以上があろうはずもなかった。

 

「前にも言ったとおり、私と犬彦が組んでどこまでいけるのかってのは純粋に興味があるし、面白そうとも思ってる。だから組むこと自体は問題ないんだよ」

「回りくどいな。何が言いたいんだ」

「はっきり言うとね。私の理想は、犬彦が那須隊に入ることなんだよ」 

 

 何の衒いもなく小夜子は言った。

 笑み1つさえ浮かべていない。それだけ本気だということだ。

 

「……それは、前も話しただろ」

「話したね。だけど納得したわけじゃないんだよ。誰か1人でも反対してるなら話は別だけどそうじゃないし。第一、犬彦が断った理由って“今は”何もしていないし、何もできていないから入りたくないってことでしょう? なら、しばらく経った後ならその理由は消えるはず。違う?」

「それはそうだけど……つまり、何か? 要はお前は、お前をオペレーターにするのなら黒江とは組むなと、そう言いたいのか?」

「違うよ、そういうことじゃない」

 

 一息。

 静かな目が犬彦を見据えて、恥ずかしげもなくこう告げた。

 

「これは私のエゴだよ。私の夢は犬彦が那須隊に入ること。だけど犬彦は少なくとも今は入りたくないんだよね? だから私をオペレーターにするのなら、条件をつけよう」

「条件……?」

「要はリスクだね。これについてはずっと前から考えてた。犬彦は今何のデメリットもなく私の手を借りようとしてるでしょ? それは不公平だと思うんだよね。私にも都合があるし、私の負担は増えるばかり。なのに犬彦はさしたる目的もなく私の手を借りようとしてる。なら、それくらいは呑んでくれるでしょう?」

 

 静かに尋ねてくるそれを、拒絶することは難しかった。

 無条件で力を貸してくれるなどと約束を交わした覚えはないし、その言い分も間違ってはいない。力を借りるなら、代わりに何かを背負うのは当然のことだ。

 

 問題は、それが何なのか、ということだけれど。

 

「そんなに変な話じゃないよ。というか多分、これについては犬彦も納得してもらえると思う」

「俺も?」

「そういうごく当たり前の条件ってことね。だから変に構える必要はないよ。ちなみに、この条件には黒江ちゃんは関係ないから。組むのも1人でやるのもどっちでもいいよ」

「……ちなみに、クリアできなかったら?」

「そりゃ勿論、ゲームオーバー。常識でしょ? 私達にとってはさ」

 

 そうだな、と犬彦は天を仰いだ。

 

 小夜子をオペレーターにした時点でゲームスタート。小夜子の目的が犬彦を那須隊に入れることだと考えると、つまりは力を借りられる期間は有限だということなのだろう。もしかしたらそれに加えて他にも条件がつくかもしれない。

 しかし、それを聞かされた上でも犬彦は小夜子以外のオペレーターを取るつもりはない。

 

「だから、もし黒江ちゃんと組むなら覚悟を決めなよ。黒江ちゃんの出世話を断ち切って、犬彦の都合に付き合わせて、挙句解散の可能性もある話だし」

 

 組んだ手を解く小夜子に、相槌を返すしかない犬彦。

 

 厳しい現実を突きつけられた。それだけだ。霧の向こうの道を照らしてくれた分、小夜子の言葉はむしろ温情があるとも言える。

 もっとも、どの道を選ぶのか、については未だに答えが出ないのだけれど。

 どうやら今日は眠れぬ夜を過ごすことになりそうだ、と犬彦は全てを受け入れた面持ちを浮かべる。

 

「で、その条件って?」

「簡単だよ。とってもシンプルな条件さ」

 

 そして、小夜子はそれを告げた。

 

 

 

 

 

「悪い。訓練の前に、ちょっと話しようぜ」

 

 そう言って連れてこられた先は、加古と話をした時にも利用したカフェだった。

 これには少なからず驚いた。

 

「どうしたんですか、先輩。こんな場所、先輩が好んで来るような場所じゃないでしょう?」

「……色々、考えた結果なんだよ。これでも、な」 

「とてもそうは思えないんですけど……」

 

 失礼かもしれないけれど、注文を取りに来たウェイトレスにさえ表情を強張らせている犬彦を見ていると失敗や後悔といった2文字しか浮かんでこない。

 男性客もいないことはないが、女性客の方が割合も大きく、傍目から見ても居心地悪そうにそわそわしている。明らかに場違いな風情だった。

 

 前に利用したのが優雅な様を貫いた加古の時だっただけにギャップが大きく、黒江は純然たる親切心から口を出してしまう。

 

「その、今からでも変えてもいいですよ? 先輩にこういう場所が無理なことは知ってますし、今ならまだ通ると思いますけど」

「……いや、すまん。頼むからこのままやらせてくれ。ホントお願いします」

「いえ、私はいいですけど……」

 

 重く息を吐き出しながら犬彦が頭を下げた。

 完全にミスった、とか、どうして俺はこう、とか、そんな声が漏れ聞こえている。

 

「その、元気出してください先輩。先輩がそういう人なのは知ってますし、何てことないですよ」

「フォローに見せかけた追い討ちだよそれ」

「だって私、先輩の良いところたくさん知ってますから。そういうプランニング下手だったり肝心なところでドジ踏んでしまうようなところより、もっと多くの良いところ挙げられる自信あります」

「よしわかった! 元気出た! 元気出たからそれ以上やめよう! じゃないと本当に立ち直れなくなっちゃう!」

 

 パンパン、とひどく慌てて先を促すように手を叩いて、一息。大きく肩を落とした先輩は疲れたように息を吐いた。

 仄かに緩む黒江の表情が原因だろう。本当に、最近の黒江の表情筋は自分の思い通りに動いてくれない。

 朗らかな気持ちで口を開いた。

 

「それで、結局話ってなんですか?」

「楽しそうにしやがって……まあ、アレだよ。ほら」

 

 咳払いを1つ。

 

「今日が約束の日だしな。ちょっと、これからの話をしようと思って」

「あ……」

 

 届いた言葉に、色々な思いが脳裏をよぎる。

 その可能性も考えていなかったわけではないけれど、予想外の場所や犬彦とのやり取りでいつの間にか有耶無耶になってしまっていた。

 

 そこでふと、気付いたことがある。

 

「もしかして、今までのってわざとですか?」

 

 気まずさを和らげるための、犬彦なりの演出だったのだろうか。

 そう考えて尋ねると、犬彦はぎこちなく視線を逸らして苦い声で言った。

 

「……場所を選んだところまではその通りだよ、うん」

「ああ、そういう……何だかその、気を遣わせてしまってすみません」

「いや、うん。こちらこそマジですみません」

 

 何故か喫茶店で頭を下げ合う2人組がそこにいた。

 犬彦も、今日の話をするにあたってきっと重く、最低でも堅苦しい空気になるだろうからと話しやすい場所を選んだつもりなのだろう。とはいえ流石にこれは予想外だったろうな、とどこか抜けている犬彦の一面を再確認した。

 

 そこで2人が注文した飲み物が届いた。

 これ幸い、と犬彦は早速アイスコーヒーを一口。

 黒江もまた気を取り直すように、シロップを注いだアイスティーに口をつける。ひんやりとした液体が喉の奥に消えていくのが気持ちいい。

 

 よし、とグラスを置いた犬彦が手を叩いた。

 

「話を戻そう。今後の話だけど、まずAランクを目指すのは確定として、問題は隊をどうするか、だ」

 

 知らず、グラスに触れる手に力がこもった。

 表情が変わっていないことを祈りながら、さりげなさを装って聞く。

 

「先輩は、どこかに誘われていたりするんですか?」

 

 少し、表情が変わった。

 

「1つだけ、な。まあ、断ったんだけど」

「断ったんですか……って、すみません。聞いてもいいことでしたか?」

「ああ。そのチームな、那須隊なんだよ」

 

 衝撃に息を呑む。

 けれどそれは、呑み込んでしまえば、ですよね、と納得の感想しか浮かんでこない。

 何せ師匠と肉親のオペレーターがいるのだから。

 

「前に、小夜子先輩がガールズチームだって言ってましたけど、それが理由で?」

「いや、それとはまた別。俺には勿体無いくらい良い人達ばっかりだったから組むのは問題なかったんだけど……ちょっと、我儘言ってな。誰かの隊に入る前に、どうしても自分がどこまでやれるのか、力を試してみたかった。ゲーム感覚なのは否定できないから、流石にそのままには口にできなかったけどな」

 

 グラスの結露した表面を指で弾きながら言った。

 

「でも、わかります、そういうの」

「意外、でもないか。お前もだいぶ負けず嫌いなところあるしなあ」

「も、ってことは自覚してるんですね」

「そりゃ、男だったらなあ。負けたくはないし、負けてばかりってのも面白くないだろ」

「失礼ですね。それだと、まるで私が男みたいって言ってるみたいに聞こえるんですけど」

「まあ中身は割とそれっぽ……待て、悪かった。謝るからこっちに伸ばすその手を引っ込めろ、ステイだ」

「いいことを教えてあげましょう。私、最近マッサージを勉強し始めたんですよ」

「どこを揉む気だ! その鍛え上げた腕で俺のどこを気持ちよくする気だ!?」

「先輩、先輩。――大丈夫ですよ、天井のシミを数えている間に終わらせますから」

「やっぱり男の子じゃねーか」

 

 両手をわきわきしながら目を光らせる黒江と、両手で身体を覆い隠しながらの犬彦。

 互いを見やりながら冷静に言って、小さく吹き出す。

 

「褒めてください。最近、ようやく先輩達の芸風がわかってきたんですよ?」

「芸風って言うなよ。まあ、あれだけ一緒にいればなあ」

「ええ。そのたびに寂しい思いをしてたんですからね」

 

 茶化して口にした言葉に、歯切れの悪い返事が応じる。 

 尋ねようとしたところで、あのさ、と犬彦が切り出した。

 

「黒江ってその、……俺と組みたいって思ってるの、か?」

 

 ――予想もしていた。聞かれるとも思っていた。

 

 唯一予想できなかったのは、尋ねられた時に、黒江がどう答えるか。

 

「はい。私は、先輩と組みたいと思いました」

 

 静かに黒江が言った。

 息を呑む音。それは果たして、どちらのものだったのか。

 

「それは、A級入りの話を蹴ってでも?」

「ええ。あの時と一緒です。私は、先輩がいいと思ったんです」

 

 この奇妙な関係が始まった時。最初に抱いた想いは今でも変わっていない。

 この楽しい日々を、このまま続けられたら。それは偽りのない黒江の本音だった。

 

 そうか、と犬彦は視線を落として呟いた。

 その意味を、その想いを、噛みしめるような長い沈黙。

 

 やがて、大きく息を吸った犬彦が言った。

 

「――ごめん。俺は、お前とは組めない」

 

 震えながら。上擦った声で。

 それでもしっかりと目を合わせて、犬彦がそう告げた。

 

「……理由を聞いてもいいですか?」

 

 落ち着いた声を出せたことに、自分で驚いた。

 それは多分、どこかで犬彦の意思に気付いたからだ。

 

「……オペレーターの話。俺は、自分の隊を作るなら小夜子しかいないって思ってる。互いが互いを良く理解してる仲だしな、これ以上はない。だけど、その小夜子から条件を出された」

 

 犬彦の口から語られる条件。

 それが厳しいのか厳しくないのか、今の黒江に正確に推し量ることはできなかったけれど、そもそも現在B級にいるお姉さんからの課題である。ギリギリのラインを攻めていることは容易に想像がついた。

 

「お前がたとえば、何の声もかけられていないのなら。どこにも入るつもりがないのなら、組むこともあったかもしれない。けど、A級入りなんて美味しい話を蹴って、それでも俺についてきてくれ、なんてことは――いや、違う」

 

 弱々しく、顔を覆って。

 

「違うんだ。それは全部、建前だ。それも否定はしない。でも決定的なのは、そういうことじゃなくて――今、那須先輩とお前を比べてしまった時、お前を選べない。それだけのことなんだ」

 

 自傷行為を見ているようだ、と思う。

 断られているのはこちらなのに、こちらに向けられるはずの刃がすべて犬彦に刺さっている。

 血を流しながら、吐きながら、それでも犬彦はそれを口にした。

 

 黒江は、もはや呆れてため息しか出ない。

 

「バカですか、先輩は。なんでそんなことまで口にしちゃうんです? 建前だけで充分理由になるはずなのに、余計なことを付け足して。どっちも傷つくだけじゃないですか」

「ぐ……いや、こういうのは本当のこと言わないと、ダメだと思ったんだ、が」

「馬鹿正直なのも、時と場合を選ぶべきだと思うんですよ。先輩、手癖とか凄く器用なのに、この辺はどうしようもなく不器用ですよね」

「ぐぐ……いや、はい。すみません、ホント」

「頭を、下げないでくださいよ」

 

 我慢できなくなって、額が机につくほど深く俯いた。

 ぐるぐると胸の中で荒波が渦巻いている。それが収まるのをひたすらに待った。

 

 やがて、力強くグラスを握って冷えたアイスティーを一気に流し込んだ。ただでさえクーラーの効いた部屋の中、身体が急速に冷えていくのを感じたけれど、知ったことではなかった。

 

「先輩。手を、握ってもらえませんか」

「――ああ、わかった」

 

 即答、ではなかったけれど。異性恐怖症の犬彦にしては躊躇いの薄く速い首肯。それがとても嬉しかった。

 

 差し出された手が触れる。

 一週間で慣れてしまった温もり。クセになってしまった手触り。柔らかく、けれどその内には硬質な感触を感じる、男の子の手つき。

 

 静かに、黒江が言った。

 

「私は、先輩を尊敬しています。でも、それ以上に負けたくないって思ってます。先輩は同期で、歳も近くて、私と同じ気持ちを持ってて。あの2秒の記録を出した人だって知って、ますます負けられないって思いました。先輩は、私の目標で、超えるべき壁なんです」

 

 ぽつり、ぽつり。胸の内の思いを1つ1つ取り出して並べるような、丁寧な声。

 

 だから、と。繋げる言葉に篭る力。

 

「私は、加古隊に入ります。だから、絶対にここまで上がってきてください。この1週間と同じように、また私の先輩として、ライバルとして競い合いましょう。――それだけが、私の望みです」

 

 

 

 

 

「犬彦、大丈夫?」

 

 犬彦の寝室に立ち入りながら小夜子が言った。

 声に、ベッドの片隅に背中から寄りかかり、床上に座り込んだ犬彦が顔を上げる。

 ぼうっとした表情。未だに魂が抜けたままらしい。

 

「ああ……悪い。もう夕飯の時間だっけか」

「まだ若いのにボケ入ったお爺ちゃんみたいなこと言わないでよ。ついさっき食べたばかりじゃない。料理なんてできそうにないから、わざわざ出前まで頼んでさ」

「ああ、そうだったな」

 

 答える声にも力はない。声は右から左へ抜けているようで、口から漏れる言葉も身のないものばかりだ。

 

 帰宅してから、犬彦はずっとこの調子だった。

 経緯は聞いていたし、今日が約束の日なのだから、理由を聞く必要はない。その心情も、おおよそ予想できる答えを思えば自ずと理解できる。伊達に生まれた時から一緒に過ごしてはいないのだから。

 

 ――まあ、今は何言っても無駄だろうね。

 

 異性の頼みを、断ったのだ。人生に関わること、と表現すると流石に大袈裟だろうが、それでも紛れもなく犬彦にとってのターニングポイントの一つだった。

 まして同性ではなく、異性に対しての決断である。

 犬彦が味わった苦悩と衝撃は計り知れないことだろう。

 

 しかし、これは犬彦にとって必要なプロセスだったことを小夜子は確信している。

 

 ――決めるってことは大事な経験だからね。喜びでも後悔でも、どちらに転んでもレベルアップできる。

 

 犬彦に決断を迫ったのは小夜子だ。結果までは断定できなかったとはいえ、この葛藤を犬彦に強いたのは小夜子である。

 それは犬彦の成長――ひいては異性恐怖症の克服には必要不可欠と信じたが故のことである。

 

 ――まず大事なのはオバケじゃなくて枯れ尾花だって理解させることだしなあ。

 

 未知の生物から、既知の生物に落とし込む。

 そのためには多くの女性と触れ合い、心を通わせることが必要だ。

 攻撃されるばかりでも、甘えさせられるばかりでもなく、対等の目線で付き合えるような人柄が望ましい。

 

 その点、側から見ても犬彦は黒江と良い関係を築けていた。

 黒江をダシに使った形となったのは小夜子とて心苦しいが、結果的に犬彦は一つ階段を登った。結果こそ黒江の望んだ形ではなかったとはいえ、だ。

 今度埋め合わせしないとね、と1つ頷いて小夜子は部屋を出ようとする。

 

「小夜子」

「ん? どうかした?」

 

 呼びかけに応える。

 犬彦は相変わらずぼうっとした顔で言った。

 

「黒江の話、な。断ったよ。お前とは組めないって」

「――ん。そう」

「結構、悩んだ。キレられることも覚悟してた。――なのにあいつ、何も言わなかった。罵らなかったんだ、1回も」

「うん」

 

 溢れる声に、耳を傾ける。

 ただ寄り添って、静かに聞く。

 

「下手くそな説明しかできなかったのに、いつもの調子で、笑ってて、手を握って。絶対上がってきてくださいね、って」

 

 なあ、小夜子。

 

「絶対に勝つ。やるぞ、姉弟」

 

 答えは決まっていた。

 

「任せて、姉弟」

 

 

 

 

 

 

 




 今回の展開については本当に悩みました。
 この時点でフリーな犬彦と黒江、親しい関係を築けてて、しかも互いに同時期のランクアップが可能となればチーム作ろうぜ!ってなるのも道理じゃね?と気づいてしまったのがいけなかった。
 アンケートとるのも真剣に考えましたけど、流石にそれはどうかなあ、と思ったので悩みに悩んで、最終的には犬彦の感情が決め手となりました。

 黒江には本当に損な役回りをさせてしまった感があるので、何かしらの救済を考えたいですね。
 中距離の犬彦と近距離の黒江、って感じで仮に組んだ時のバランスがめちゃくちゃ良さそうだったのが余計に罪悪感……。
 別ルート書いてみたいくらいですけど、まずは本編を優先します。そのうち「あるランク戦」くらいで書いてみるのはアリかもしれませんね。

 長くなってしまったのでその他の所感は活動報告に書きます。
 次回はランク戦その1。
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