独自解釈多めなのは目を瞑ってください……(白目
――それは、最初の訓練の時のこと。
いよいよ、那須先輩に直に教えてもらえることになった。
「正直に言って、私もまだ完全に使いこなせているわけじゃないわ。だから誰かに教えるなんて、荷が重い気もするけれど……せっかく頼ってくれているのだし、やってみるわね」
苦笑を交えつつ那須先輩が困ったように言うけれど、不満などあるはずがない。マスタークラスに属している人が荷が重いだなんて、謙遜もいいところだ。
宜しくお願いします、と深々と頭を下げる。
「それじゃあ、まずは犬彦くんも使ってるバイパーからね。憧れて使ってるなんて聞くとちょっと面映ゆいのだけれど、犬彦くんはバイパーを使う上での利点ってなんだと思う?」
「利点、ですか」
バイパーの特徴は、他のトリガーに比べて軌道を自由に設定できること。
「軌道を細かく設定できること、だけだと不十分ってことですよね」
「そうね。確かにその通りなんだけど、その答えだと50点かな。バイパーはアステロイド、ハウンド、メテオラに比べると、使用場所を選ばないというのがまず最大のメリットね」
説明しながら、ホワイトボードにそれぞれの軌道を書き込んでいく。
「アステロイドとメテオラはほぼ直線、ハウンドは誘導弾だから大体こんな感じの曲線になるでしょ? でもバイパーはこれよりもっと細かく、複雑に設定できる。つまり」
「障害物に左右されない、ってことですか」
そうそう、と嬉しそうに那須先輩が頷いた。
「開けた場所ならともかく、狭い路地裏とか、家屋が立ち並ぶ住宅街とかになると
わかります、と相槌を打つ。
この辺りはゲームが趣味の犬彦にとって馴染みの深い話題なので理解も早い。
「障害物を狙うこと自体がダメってわけじゃないですよね?」
「そうね。射線を確保するためだったり、味方への援護とかで狙う場合もあるから必ずしもダメというわけではないわ。話を戻すけれど、つまりバイパーの利点は、場所を選ばない利便性の良さ、ってことになるかしら。バイパーなら、大体のシチュエーションで応用の効く軌道を描けると思うわ」
「ただ、そういう風にリアルタイムで弾道を引けるのは那須先輩か出水先輩だけ、って聞きましたけど」
「私自身、あまり特別なことをしている自覚はないのだけれど……そもそも、バイパーを使っている人自体が少ないのも関係しているのかもね」
「そうなんですか? さっきの話だと、利点ばかりが目立つような気がしましたけど……?」
「そうでもないわ。たとえば、さっきみたいな状況になったとして考えてみて。もしその状況で咄嗟に撃つことが求められた時、犬彦くんはすぐにバイパーを撃つことができる?」
狭い路地裏。住宅街。いずれも見通しが悪く、標的が少しでも動けば簡単に障害物に隠れて見えなくなってしまう場所だ。
「無理ですね。直線か、短距離なら1回曲げて持ってくくらいはできるかもしれませんけど」
「そういうこと。そもそもバイパーって、普通はあらかじめ自分でいくつかの弾道を設定してストックしておくものなのよ。さっき言ったように咄嗟のシチュエーションで軌道を描ける人が少ないから、自然とさっき言ったようなバイパーの利点がなくなっちゃうのね」
「なるほど。そうなると確かに、利点の少ないバイパーよりは、利点の明確な他のトリガーを使った方が良くなりますね。前に小南が扱いの難しいトリガーって言ってましたけどそういうことですか」
「そうね。確かに、慣れるまではちょっと時間がかかると思うわ」
苦笑を浮かべて那須先輩が頷く。
奥ゆかしい那須先輩がここまではっきりと言うということは、本当に上級者向けのトリガーであるらしい。
今更ながら、自分がどれだけの茨の道を進もうとしているのかを理解して気分が重くなった。
「もしかして俺、選択ミスっちゃったりしてるんでしょうか」
聞けば、入ってきたばかりの新人が
アステロイドには及ばないものの、威力はそこそこで、何より誘導性能があるから多少狙いが甘くても目標には当てられる。トリオンの扱いに慣れていない初心者が扱うにはうってつけだろう。
バイパーを選んだ理由に、利点だの利便性だのといった頭のいい理由などない。ただそれを扱う様に憧れただけだ。そんな不純な理由で選ぶべきではなかったのかもしれない。
それを理解しているのか、那須先輩の浮かべる表情も苦笑いに近いものだった。
「うーんまあ、多分初めての人に勧める人は少ないと思うけれど……私はそうは思わないかな」
「え? 扱いの難しいトリガーなのに、ですか?」
「それはそうなんだけど、扱ってると色々なものが見えてくる、奥深いトリガーでもあるからね」
「色々なもの、というと」
思わず身を乗り出して問いを投げる。
明らかな手のひら返しだ。現金だなあ、と苦笑を見せられても反論することはできなかった。
「それじゃあ、ちょっと考えてみましょうか。逃げる相手にバイパーを当てる時、犬彦くんはどう当てる?」
「えっと……?単純に背中を見せて逃げてるようなら、まっすぐな軌道で当てればいいと思いますけど」
「そうね。でもそれだと、アステロイドを使ってもいいと思わない?」
「あー……そうですね、その通りです」
ぐうの音も出ない言葉に、恥ずかしくなって頰をかく。
「たとえば、こうしたらどうかしら」
ホワイトボードに人の絵を描いた後、四方から取り囲むように矢印を描く。
なるほど、こうして見るとバイパーとは上手く名付けたものだと思う。その図はまさに、四方八方から襲いかかる蛇の群れそのものだ。
「こうすると、相手はシールドを使うか、切り払うかの選択をしないといけなくなるから次の弾が当てやすくなるわね。敢えて1つ逃げ道を作って、誘導するのもいいかも」
じゃあ、次の問題、と別の絵を描いていく那須先輩。
「壁の向こうに隠れた相手を狙う場合、どうやって当てようか?」
えと、と思考するための一呼吸を置いて、
「壁を崩して、道を塞ぎつつの包囲攻撃とかどうですかね?」
「いいわね。ただそれには壁を崩せるだけの威力が必要になるし、相手のトリガー構成にもよるから事前の下調べはきちんとしないといけないわね」
「確かに……グラスホッパーなんて持ってたら上に飛んで逃げられるだけですもんね」
まあそもそも、このシチュエーションに持ってくには相手が逃げ一辺倒になるほどの圧力をこちらが持っていなければならないのだけど……思考実験に威圧感がどうとか言い出すのも野暮な話か。
他に何かないか、思考に没入していく犬彦を那須先輩は楽しそうに見ている。
飲み込みのいい弟子を見る目にも見えるし、新たな同志の誕生を喜んでいるようにも見えた。
「他にも色々と、それこそ考え出せばキリがないほどシチュエーションはあるけれど、今はこの辺にしておきましょうか」
「あ、はい」
その声に意識を引き上げられる。
思考の中の犬彦は気付けば別のトリガーを持ち出していたし、相手は1人から2人にも増えていた。
那須先輩が止めていなければきっともっと長い時間を過ごしていたことだろう。
「どう、楽しい?」
「……そう、ですね。実際に動けるかは別として、自分ならどう使うかを考えるのは大変ですけど、楽しいです」
「私は別に他のトリガーよりバイパーの方が優れているなんて言うつもりはないし、扱いの難しいトリガーっていう評価も間違ってはいないと思うわ。けれど、1番楽しいトリガーは何かって聞かれたら間違いなくバイパーを推すと思う。だってこんなに使い手の創意工夫が活かされるトリガーはバイパーをおいて他にないもの」
「それは、はい。俺も凄くそう思います」
きらきらとした目。熱く映画の感想を語っていた時と同じ目だ。そこに視線を合わせるのがどうにも照れ臭くて犬彦は視線を逸らしながら頷いた。
「だから、初めて使う人には難しいかもしれないけれど、犬彦くんの選択は間違いなんかじゃないと思うよ。大事なのは、思考を止めないこと。考えて考えて、当てるために必要なことを学んで、それから他のトリガーも使っていけばいいんじゃないかな」
犬彦は、那須先輩が最初に話をしてくれた時のことを思い出していた。
弟子を取ること自体が初めてだということもあって、那須先輩は実に丁寧に指導してくれていた。
それぞれの弾トリガーのことを教え、そして当て方を教えてくれた。
殊更に丁寧だと感じたのは、最初にバイパーを使わせるにあたって、那須先輩のようにリアルタイムで弾道を引くことを禁止したことだ。
リアルタイムで引かずとも、予め軌道をストックしておくことで撃つことはできる。
反撃という選択肢を削ってひたすら回避に専念させた小南のように、那須先輩もまた変なクセがつかないように土台をしっかりさせることからスタートさせた。
犬彦はそれに不満はなく、むしろ全面的に受け入れていた。
銃ならともかく、ゲームにおいても扱ったことさえない、扱い方もわからない弾をいきなり応用から扱えるなんて自惚れるほど犬彦は自信家ではなかったからだ。
この前の、B級に上がってからの最初のランク戦でも犬彦はストックした軌道のみを用いた。最後の間宮隊を全滅させた変則撃ちも、要はほぼ直角に曲がる弾を使用しただけだったのでリアルタイムで引いたわけではない。
つまり、犬彦はバイパー使いとしては未だひよっこであり、今は許可が出るまでひたすら下積みをしている段階である。
犬彦とて強い憧れはあったためにいつ許可が出るものかとやきもきしている段階だったのだが、本日は少し毛色が違った。
「今日はランク戦をしましょうか」
B級ランク戦ROUND1を快勝で抜けて、最初の訓練の日。那須隊訓練室。
いつもであれば座学を経て的当ての訓練から入るところ、少し茶目っ気のある笑顔を浮かべて那須先輩がそう言った。
え、と戸惑いの色を隠せずに尋ねる。
「ランク戦、ですか。ここで?」
「そう。勿論ポイント移動なしのランク戦ね」
「それはわかりますけど……」
小南との訓練のように縛りプレイだろうか、と首を傾げる。
未だ犬彦に許されているのは軌道をストックするタイプのバイパーのみであり、仮にバイパーのみの戦いであれば那須先輩に勝てるはずもない。実戦での当て方を研究するとか、そういうことだろうか。
このタイミングでのランク戦の指導に首を傾げていると、指を立てながら那須先輩が言った。
「理由はいくつかあるんだけど、その前に確認しようかな。犬彦くんは新しい技を覚えたらすぐに試したくなるタイプ?」
「新しい技、ですか」
急な質問に戸惑いこそあったけれど、犬彦はほんの数秒、考える間を置いて答えた。
「度合いによりますけど、完璧に覚えたなら試します。逆に少しでも不安があるなら、それしかない場合、もしくは勝算が高い場合を除いて試さないと思いますね。状況にもよりますけど」
「さよちゃん、どう?」
「大丈夫だと思いますよ」
那須先輩は犬彦にではなく、側に居合わせた小夜子に尋ねる。
小夜子もまた、まるでそれが予定調和であるかのように平然と答えた。
「犬彦は確かに抜けてるところもありますけど、負けず嫌いでズル賢いタイプなんで。ウッキウキで覚えたての技を試して自滅、なんてことにはならないかと」
「突然の悪口!」
「要は説明書読んでチュートリアルもきっかりこなすタイプってことですね」
「うーん、私ゲームはあまりやらないから、そのたとえはあんまり」
「まあ、今のは素に近い反応だったので裏を読んだりとかはないと思いますよ」
「あの、さっきから何を?」
「ああ、ごめんね。疑うわけじゃないんだけど、ちょっと慎重になりすぎちゃったかも」
「慎重?」
表情が強張る。気付かないうちに何らかのテストを受けていたらしかったのだから当然だ。
先の答えに間違いはないが、もっと考えるべきだったかもしれない、という考えが一瞬脳裏をよぎった。
身構える犬彦に、那須先輩が柔らかく言った。
「うん。今日から解禁を考えてるから、ついね」
「解禁? ――え、それって?」
「そう。今までは私みたいにその場で弾道を引くことを禁止していたけれど、今日の訓練から本格的に教えていこうと思ってるわ」
「う、おおお……!」
その言葉に全身が歓喜に震えた。
憧れに一歩近づけたことへの喜び。必殺技を学ぶ高揚。男の子としても弟子としても喜ばない方がどうかしている。
途端にギラギラと輝き出した弟子に、那須先輩は微笑ましそうな顔で付け足した。
「犬彦くんも不思議に思ってたように、このタイミングなのはちょっと変かもしれないけどね。私なりに色々考えてみて、やっぱり教えるべきだって思ったから」
「そういえば、いくつか理由があるって」
「うん。まず1つ目は単純な話で、これから戦うことになる相手の方がずっと強いから。経験値もそうだけど、どのチームもエースクラスの実力を持つ人がいるからROUND1のような力押しはほとんどできないと思った方がいいわ」
「う……そうですね、確かに」
犬彦は参考資料として過去のランク戦を見たことが何度かあったが、その戦いはやはりROUND1の時とは比べ物にならないほどレベルの高いものだった。
チームとして合流しなければ実力を発揮できないのではなく、それぞれが意志を持って動くことができ、尚且つそれを可能とする実力のある部隊。そんなイメージだ。
犬彦ほどのトリオン能力を持つ人間はボーダーにもそうはいない、と小南にもお墨付きをもらっている。が、それだけでは勝ち切れないことを犬彦は十分に理解していた。経験にも、人数でも圧倒的な差がある。補うための方法を見つけなければこれより先で勝つことは不可能だろう。
「2つ目。これはちょっと矛盾するかもしれないけど、軌道を引くことに早く慣れた方がいいから」
「やっぱり慣れとかあるんですか?」
「勿論。バイパーは特にたくさんの判断がいるトリガーだもの。その時間を減らすには常に扱って慣れるのが1番よ。ただ、流石に最初からリアルタイムで引くのを実戦してしまうと変なクセがついてしまうから、そこだけは止めさせてもらったけどね」
「多分、最初から自由にさせてもらってても勝手がわからなくてオタオタしてたと思うんで、それはすっごくありがたいです」
「私も最初はそうだったしね、多分皆が通る道かな」
そう言って那須先輩が苦笑した。
オタオタする那須先輩というのもちょっと想像できない話だったけれど、考えてみれば那須先輩に師匠はいないのだからほぼ独学で学んできたはずである。あそこまで鍛え上げるために、一体どれだけの苦労を味わってきたのだろう。
「本当はもう少し待った方がいいかなとも思ったんだけど、この前のランク戦。多分、犬彦くんはもう一定のレベルに達してるわ。だったら、多少のリスクを背負ってでも手札を増やしてあげた方がいいかなって思ったの」
「犬彦ー、顔がにやけてるよー?」
「に、にやけてねーし! 表情筋の訓練だし!」
「このタイミングでやる意味とは一体……?」
腹の立つ顔で見上げてくる小夜子の額を小突く。
師匠から褒められて喜ばない弟子がいるはずもないだろう。
「とは言っても、まだまだスタート地点に立ったばかりなんだけどね。2週間くらいでここまで来れたのも十分驚異的なんだけど、躓くのはここからよ」
じゃあ、具体的な話をしましょう。
那須先輩が目配せすると、小夜子が自分のデスクに引っ込んでいく。
しばらくして、殺風景極まりないモノクロの訓練室が市街地Aの様相に移り変わった。
「基本的には、ポイント移動のない普通のランク戦を行います。使用トリガーはバイパーのみで、ルールを1つつけましょう。私は犬彦くんがバイパーで私に一撃当てるまでは回避に専念するわ。当たったら、攻撃を始めます」
「最初に、一撃ですか」
バイパーのみで、リアルタイムで引いての一撃。
なにぶん初めてのことばかりでその難易度も犬彦には正確に推し量ることはできなかったけれど、数も速度も指定されておらず、市街地である。やりようはある、と考えることにする。
「シールドもなしなんですね?」
「ええ。つけることも考えたけれど、それは訓練の目的から逸れてしまうから無しにしましょう」
「なのに、一撃を食らってから?」
「そう。だから勿論、そのまま勝負が決まることもあるわね」
さらっと言ってのけた那須先輩の表情から微笑みが消えることはなかった。
他の人が言ったなら、その余裕にきっとカチンときていただろうし、不満も出ただろう。
けれど、犬彦自身が理想とした、憧れの人であれば。
――そうだ。そうでなくちゃ、追いかけ甲斐がない!
「宜しくお願いします!」
衝動のままに頭を下げる。
その大声に驚いたのか、きょとんとした面持ちで那須先輩が言った。
「……反発とかあるかなと思ったんだけど、そうでもないみたいね?」
「那須先輩の強者感が男の子ハートに触れたっぽいですね」
「解説どうも。そんな感じなので、反発とかは全然です!」
「狙ったつもりはなかったけど、結果オーライなら良しとしましょうか。じゃあさよちゃん、そろそろお願いね」
「了解です。じゃあカウントダウン開始しまーす」
マイクに乗って小夜子の声が聞こえてくる。残り10秒。
距離を取る前に声をかけようと口を開いたところ、被せるように那須先輩が言った。
「犬彦くん」
「? はい」
「私“も”、結構動けるから。大変だと思うけど、頑張ってね」
――優雅に、艶やかに。どきりとするほどの笑みを見せた那須先輩に問い返すことは、ついぞ叶わず。
その言葉の意味を、犬彦はこの訓練で嫌というほど思い知ることになるのだった。
「ぜんっぜん当たんねえ!」
床に倒れ伏した犬彦が掠れた声で絶叫した。
10本勝負を終えただけなのに、時計を確認すると1時間も経っていた。
当てられたのもクリーンヒットは一切なく、薄皮1枚を削ったかのような接触があったのみである。
そのくせ那須先輩からのバイパーはそのほとんどが有効打になったのだから、結局どちらが回避する必要があったのかわからないほど犬彦は翻弄され、1勝することさえできずに最初の訓練を終えることになったのだった。
体力的な消費こそないが、終始当てるために頭を使い、そして翻弄されることになった犬彦の精神的な消耗は計り知れない。
息を大きく荒げ、あまりの消耗に薄っすらと汗さえ浮かべながら床に大の字を晒していた。
そんな犬彦に、スポーツドリンクを差し出しながら那須先輩が寄ってきた。
こちらは犬彦と違い、同じように走り回っていても涼しい顔だ。
「お疲れ様。大丈夫?」
「あ、すみま、――ッ!」
直後。“それ”を認識した犬彦は、思い切り額を殴りつけた。
「ど、どうしたの?」
「いえすみません何でもないです気にしないでください本当にすみません」
「そう……?」
犬彦の様子に訝りながらも、それ以上気付いた様子はない。そのことに犬彦は安堵した。
――めっちゃいい匂いしためっちゃいい匂いしためっちゃいい匂いしたそりゃ代謝機能再現してるんだから当然だよねああああホントすみません……!!
トリオン体って匂いするんだ、と。運動による疲労とは別の理由で激しく鼓動する胸を抑えながら犬彦は思った。
また1つ、いらない知識を重ねてしまった瞬間である。
兎にも角にも、運動後である。犬彦ほど消耗を強いられてはいなかったとはいえ、那須先輩もまたよく動いていた。
視線を上げれば、ペットボトルを頰に当ててその冷たさに浸っている那須先輩の姿が目に入り、それが妙に艶めかしく見えて犬彦は腕で顔を覆った。
「どう、犬彦くん。ストックして撃つのとはだいぶ感覚が違うでしょ?」
そんな状態だから、話が逸れてくれたことには感謝しかなかった。
視線を逸らしたまま、そうですね、と相槌を打つ。
「ストックして撃つ時にはどれ使うかってのと、目標くらい決められればだいたい何とかなったんですけど、リアルタイムで引くのは全部1から決めないといけなくて……やること多すぎて、しんどかったです」
「そんなに違うの?」
デスクから離れて寄ってきた小夜子が尋ねた。
それは勿論、と頷いて指を立てる。
「たとえば、ストックして撃つ場合なら①地形を確認して②目標とその未来位置を見て③どれを使うか決めて、撃つんだよ。俺の場合は1回、多くても2回曲がるくらいの軌道をストックしてる」
「ふんふん」
「単純な話、これがリアルタイムで引くことになるとそれを設定する工程が増える。ストックして撃てば瞬時に判断できた未来位置も設定している間に変わったりするから、設定する時間を考慮した未来位置を計算しなきゃならない。その間に障害物が増えるようなら更にそれも計算したりして……」
「相手も止まってるわけじゃないもんね。ついでに案山子でもないから、相手のガードを掻い潜る戦術も立てないといけないと。いや大変だね、頭パンクしそうだよ!」
「お前他人事だからってそんなイイ笑顔するのはどうかと思うんだよ」
だって他人事だし、と唇を尖らせる小夜子に渋面を作る。
「勿論、必ずしも当てる必要はないけどね」
フォローするように口出ししたのは横で見ていた那須先輩だ。
「前に犬彦くんも言っていたけど、大事なのは相手の動きをコントロールすること。壁を崩して道を塞ぐのもいいし、極端な話当てなくても相手を動かすことはできるわ」
「選択肢多すぎて迷っちゃいますね……」
うへえ、と眉尻を下げて犬彦がぼやいた。
「そうね、確かにその通り」
さらっと那須先輩が肯定する。
手慰みに生み出されたトリオンキューブが那須先輩の手の中で円を描く。
「迷うことは誰にでもあるわ。私だって未だに迷うことばかりだもの。だから私達がすべきなのは、判断までの時間を減らすこと。考えて経験して、決断への時間を限りなくゼロに近づける。それが大事なことじゃないかしら」
ふ、と那須先輩が表情を綻ばせる。
その手の中にはくるくると自在に踊るトリオンキューブ。
「バイパーは私達の手。そう思えるくらいに慣れるのがまずは最初の目標かな」
「……了解です! 何とか頑張ります!」
「完全に勢いだけの返事だねそれ」
「ぶっちゃけ、那須先輩のあの動きに当てられる気がしないです!」
「うん、まあそれはあるね。正直、見てて気の毒になるくらい翻弄されてたもんね」
過去のログで、そして今の訓練を経て犬彦は実感した。
那須先輩の真骨頂は、戦場を高速で機動して、その自在な射撃で相手を翻弄するスタイルである。体感した今だからこそ口にできるが、その身軽さは小南のそれとほとんど遜色ない。
――『私“も”結構動けるから』
訓練の始まる前、那須先輩の言葉を思い出す。
「那須先輩、めっちゃ動けるんですね」
「身体を動かすことは好きだから。それに私自身がトリオン体について研究しているチームの一員だもの。発揮できる身体能力とか、一通りは調べているつもりよ」
「説得力が凄い……!」
犬彦自身、1ヶ月と少ししか訓練していないとはいえ、小南の無茶振りという訓練を経てきている。更にはレイジの助言もあり、身体操作についてはそれなりに自信を持っていたのだけれど、那須先輩のそれはまさしく完成度が違ったように思えた。
実際に身体を動かして染み込ませるアナログな手法と、数値を計測して理論として染み込ませるデジタルの手法。
元々の経験値は元より、那須先輩のそれは2つの手法のどちらも実戦した上での成果である。完成度の違いもむべなるかな。
――すげえなあ。
鳥籠と呼ばれるまでに昇華させたバイパーの技に加えて、A級と比べても遜色のない身体技術。
そんな凄い人が教えてくれている。
改めて実感した事実に犬彦は歓喜に打ち震えた。
「俺も計測始めようかな……」
「小南先輩に『そんなことしてる暇があるなら訓練しろ』って言われそう」
「いや、強くなるためなら小南もそこまでは……言いそう、だなあ」
デジタルとアナログを両立させたのが那須先輩なら、とことんまでアナログを突き詰めたのが小南である。元より小南自身が感覚派であるからして、間違いなく良い顔しないだろうことはすぐに想像がついた。
「まあ、一歩ずつ確実に、かな」
よいしょ、と腰を上げて立ち上がる。汗も引いた。休息もとった。ならばまた詰め込むだけである。
「那須先輩、もう10本お願いします!」
意気揚々と頭を下げると、何故か一瞬、虚をつかれたように間が空いた。
しかしそのことに気付くより早く、時計の針は動き出す。
「――ええ、そうね。そうこなくちゃ。ルールはさっきと同じにするとして、ステージはどうする? 他のステージも試してみる?」
「あ、っと。そうですね、もう一度同じステージで」
「わかったわ。それじゃあさよちゃん、また宜しくね。犬彦くん、次はもっと早く当てられるように頑張ろうね」
――とても眩い笑みだった。
「楽しそうだね、那須先輩」
「っ、小夜子。まだいたのかよ」
「フリーズしてたみたいだったから、再起動しとこうと思って」
「いや、そんなこと……」
苦い顔で言い淀む。言葉は最後まで告げられなかった。
図星だったのもあるし、もしこのまま始めていたらしばらく間の抜けた顔を晒して立ち尽くしていたことは想像に難くなかったから。
「まあ、アレは見惚れちゃうよ、仕方ない。那須先輩のあんな顔、私もほとんど見たことないし」
「いや、それは流石にないだろ」
「本当なんだけどなあ。多分那須先輩、本当に楽しいんだよ。身体のこととか研究とか、色々あってチームのランク戦くらいしか満足に戦えないし。ソロで行くのもないことはないけど、相手がねえ」
「相手?」
「犬彦、那須先輩とガチでやり合えって言われたらどう?」
「……あー、なるほど。なんとなくわかった」
折れそうなほど細い容姿に、あの美貌。抵抗がある、と考える人は少なくないように感じた。
実際のところ、犬彦もあまりに当たらなすぎてそのことを考える余裕がなくなったからこそ抵抗が消えただけなので、そういう譲れないものがない状況であれば、特に異性は全力で当たるのは難しいかもしれない。
「だから、そういうアレコレ気にせず遠慮なしにやれる犬彦は結構ありがたい存在なんじゃない? やる気があるってのも那須先輩的にはプラスポイントだと思うし」
「いやいやいやまさかそんなこと」
「まあ、都合のいい頑丈なサンドバッグができたって感じの喜びかもしれないけどね」
「そうやって的確に崖から突き落とすのやめよう! せっかく高まってたやる気がガクンと落ちたよ30パーセントくらい!」
「匠の技と呼んでくれたまえ」
「褒めてねーよ」
「なあに、どうせ舞い上がったまんまだと落ち着かないだろうしこれくらい冷えてた方が犬彦的にはちょうどいいでしょ」
「ああそうだなありがとよ畜生め!」
吠える犬彦をからからと笑い飛ばして、小夜子がデスクに引っ込んで行く。図星をつかれたのはやはりお見通しということらしかった。
楽しいんだろうね、と小夜子は言った。
間違いということもある。
けれどもしそれが本当なら――自分は、どこまでも頑張れる。そう思えた。
楽しい。心底からそう思って那須は笑みを深めた。
素晴らしい才能の原石を磨いている、ということ。
意気高く、向上心もあること。
そして何より、そこに自分の姿が見えること。
それが何より那須を愉快にさせている。
恐らく、犬彦が最初に指導を受けたのが那須であればこうはならなかった。最終的にはなったかもしれないけれど、この段階でその片鱗を感じるほどにはならなかった。
――きりちゃんには感謝、だね。
小南の顔を思い出して笑む。
期せずして小南という、攻撃手ランク3位の師匠を得たこと。それがターニングポイントだった。その訓練内容は伝聞でしか知らないけれど、攻撃手としての術を教えられない代わりに体術を中心に教えていると聞く。
そして、あの小南の攻撃を避け続ける訓練。
――多分、バイパーに慣れてたらもっと大変だったね。
正直なところ、自身の回避についてはかなり手を抜いている。そうでもなければ延々と那須が避け続けることになるのだから止むなしである。
けれど、こと攻撃という点に関しては那須はほぼ本気で当てにいっていた。
今はまだ、扱いが不慣れであるためにそっちに思考を取られてしまい、攻撃と回避の両立ができていない。
でも。もし、それができるようになったら。
下地はすでにできつつある。
後はそこに那須の技術を上乗せすれば、生み出されるものは自身と同じ、あるいは超えていく存在だ。
笑みが深まる。
今までの訓練では決して出会えなかったもの。
優秀な弟子であり、互いに高め合う存在――好敵手。
「本当に、楽しみ」
ひそりと呟いて、那須は訓練に身を投じていった。
犬彦、ついに弾バカへの一歩を踏み出すの巻。
リアルタイムで引く難しさってぶっちゃけ言及がふんわりで感覚でしかわからなかったのでこんな感じになりましたが大丈夫でしょうか(震え
しかし考えれば考えるほどに難易度高いトリガーだなあと。その覚える手間暇で他の訓練した方が強くなりそうですね(小並感
BBFで同校同クラスであることが判明したというのにその友好関係に関して言及が一切ない小南と那須の組み合わせ。
小南は周囲に偽ってまで隠しているし、口裏合わせの観点から言っても那須と親しくなってないのはありえないと思うんですよね。
ならば二次らしく突っ切ってしまおう!と妄想した結果が『きりちゃん』呼び。
2人の学校での様子とか超見たい……見たくない?
次はランク戦前のアレコレの予定です。